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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2007年6月

2007/06/29

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告4

札幌訴訟第16回弁論報告

札幌訴訟の第16回口頭弁論が5月28日、午後1時30分から3時まで1時間30分にわたって行われました。この日で結審になると思われましたが次回の期日が入り、審議はさらに継続されることになりました。

原告の意見陳述は、まず、クリスチャンで詩人、米文学者、北星大学名誉教授の矢口以人先生が、「ピュ-リタンの影の部分とキリスト教原理主義」と題した意見陳述をしました。宗教的・文化的見地から「戦争を止めない」アメリカ・ブッシュの本質を説き起こしました。

続いて、影山朝子さんは、自ら作成中の映画「アメリカ-戦争する国の人々」の一部を上映しながら、帰還米兵や家族がどんなにひどい状態にあるか、自衛隊海外派兵の近未来がこうなること、いま止めないとあと戻りできなくなると、涙ながらに訴えました。

弁護団からは、3つの準備書面と証書(甲1217~1287)を提出されました。

1.準備書面(19) 2006年9月~2007年5月のイラク情勢と 自衛隊の活動実態、イラク特措法延長と空自派遣の明白な違憲性

2.準備書面(20) 被侵害利益個別主張

3.準備書面(21) ブックレットの内容

準備書面(19)については、田中健太郎弁護士が、新聞記事、航空自衛隊の活動情報の非開示、空自の輸送実績などについて、映像を使いながら約40分の大弁論を行ないました。

報告が遅れて申し訳ありませんでした。第17回口頭弁論が6月25日に行われています。そちらの報告は急いで行います。なお、今回の陳述書などは私の手元にありますのでお読みになりたい方はご請求ください。

(2007年6月29日 杉山 隆保)

読む・読もう・読めば10 町の図書館

窓社から715日に発売予定の細江英公写真集『死の灰(http://www.mado.co.jp/)普及の手伝いをして、世界の図書館について調べた。この写真集は、ポンペイ、アウシュビッツ、トリニティ・サイト、ヒロシマを結ぶ取材の総決算として、天災としてのポンペイを核戦争の人災で全地球規模で再現するような愚行を止めようとするものだ。予価3800円と一般書籍と比べると高価だが、2冊セットで購入していただき、うち1冊を世界の公共図書館、とりわけ核保有国の図書館に寄贈する運動ができないかと考えている。

ありがたいことに Libweb Library Servers via www というウェブサイトがあって、145か国7700の図書館のHPがリストになっており、しかもデータは毎日更新だ。本を郵送するために住所録のようなものを作ろうとすると、それぞれのHPを開いてみて、そのどこかに記載されている所在地・電話・ファクスのデータを転記していく必要がある。けっこう面倒だが、けっこう楽しい。というのは、HPをざっと見るだけで、それぞれのライブラリアンの心意気のようなものを感じ取ることができるからだ。

米国の公共図書館、日本でいえば町立・市立のようなものは、そう大規模ではなくてもみなサービスは充実している。障害者対策、マイナーな人々への配慮、読書会や展示会の開催、そして「何でも聞いてください、一緒に調べてみましょう」という態度が明らかなこと。図書館まで行かなくてもEメール、電話、ファクス、郵便で相談できる司書の名前が明記されていて、それも大人の相談を受けるのと子供の相談を受けるのはそれぞれ別の係だ。図書館司書が町の文化人として尊敬されているのは、リリアン・J・ブラウンのシャム猫ココシリーズや、ジェフ・アボットの図書館シリーズに描かれたとおりなのだろう(ミステリばかりですみません)。

所在地を写し取っていると、その町の「メインストリート○○番」というアドレスが多いのに気づく。まるで西部劇のようだ。町役場があって、教会があって、酒場があって、保安官がいる、というような。いまや図書館もその町の表通りにあって、親切な司書がいる。アメリカ民主主義の底力を見る思いがする。    

(大内要三 2007628日)

2007/06/23

追悼・松尾高志さん

お別れの言葉
松尾さん
こんな形でお話をしなければならなくなるなんて、私には思ってもみないことでした。 私はいま、当惑しています。2人でこなすことにしてはいましたが、実はあなたに任せておけば大丈夫、と思っていた、23日の大学の公開講座「平和を語る」を、私一人でおなさなければならなくなったからです。
そして、それ以上に、私にとって、かけがえのない知識と感覚を持ち、私のことをも分かってもらえる仲間を失って、こころの中の大きなつっかい棒のようなものを失った感じが続いているからです。

私が松尾さんに初めて会ったのは、共同通信社に入って間もない1969年の夏、新人時代を過ごした大阪から東京・社会部に戻り、仕事を始めて、そんなに時間が経たないころだったと思います。三上正良さんが事務局長をしていた当時の日本ジャーナリスト会議(JCJ)で、ジャーナリズムの仲間としてお会いしました。多分、辻井順二さんにお会いしたのが最初だったと思いますが、やがて山田昭さんにお会いし、そのころ松尾さんにお会いしたのだろうと思います。当時はベトナム戦争のさなか、ベトナム反戦の運動も広がり、一方で60年に結ばれた新安保条約が70年6月に期限を迎える、とあって、日本の運動もそれなりの盛り上がりを見せていました。
山田さんはこの時期、新日本出版社から「現代史の記録」というシリーズを出して居られ、一方でニュースレターを始めていましたが、そのニュースレターへの協力を求められたことも、あったのでしょう。私は、いわゆる商業ジャーナリズムの記者として、山田さんたちが提起する視点は、非常に新鮮で勉強になりました。

松尾さんはそのころは、あまりJCJの場には出てこられなかったと思います。しかし、松尾さんとのお付き合いが改めて深くなったのは、70年代の中頃、私が平和問題を遊軍で担当し、原水禁の統一問題や平和委員会の活動も取材対象としたころだったのではないか、と思います。
松尾さんが奥様と結婚されたのは、82年だったと伺いました。葉山のレストランで開かれたパーティに出席したことを覚えています。
1980年代に入ってからでしょうか、林茂夫さんに誘われた、弁護士の池田真規先生の勉強会でも一緒でした。林さんと一緒に、米軍の横須賀基地開放を見に行って、帰りに松尾さんのお宅に寄って、皆さんと楽しくお話ししました。なぜか長尾正良先生にお会いしたと思います。そんなこともありました。勉強会は形を変えて、いまも続いています。その勉強会の場で、私は足立昌勝先生にお会いし、関東学院大学に紹介されました。松尾さんも非常勤講師として講座を持つようになりました。
関東学院大学で、非常勤講師として「国際紛争の防止」と題する講義を始めた松尾さんは、毎週、早く出てきて図書館で勉強していることも、多くの学生が知っています。また、法学会のプロジェクトで、足立先生や宮本先生と私もご一緒したのですが、東チモールやカンボジアを訪問し、それぞれの国の平和構築の努力について観察し、討論し報告しました。専門的な立場からの指摘は、私たちみんなに大変有益でした。

松尾さんを尊敬してやまないのは、ジャーナリストとして、きちんとした現場取材と、地道にデータを集め、積み重ね行く中で、実態を分析し、それを理論化していくという姿勢です。日米安保についても、自衛隊についても、決して上滑りしないで、この姿勢を貫いてきたと思います。
そして彼の姿勢は、実際に事実を知らせ、論じていくというジャーナリストの立場だけでなく、平和委員会を中心にした平和運動の中でも貫いていたと思います。
多くの皆様がご存知のように、「平和」の問題は、ともすれば政治的な側面が先に出て、そこに引きずられて、運動が分裂したり、行き詰まってしまったりすることの多いテーマだと思います。しかし、彼の姿勢は、政党であれ、宗教であれ、専門家であれ、現場の感覚であれ、決して短絡してしまうことはありませんでした。自分の目で見て、自分の頭で考えるという、主体的な姿勢を失わず、運動の大きな目標のために、議論し主張していたことを、お聞きしています。
今回、自衛隊の情報保全隊の活動が問題になっていますが、私が書いたコラムに関連して、専門的な立場から、この問題をどう見るか、ということについてアドバイスしてくれました。
つまり、彼が指摘していたのは、「あれは監視ではなく調査であり、その時期が、自衛隊が海外に出るにあたっての国内対策としての調査だったことを重視しなければならない」といったことでしたし、警務隊と情報保全隊の違いとか、シビリアンコントロールというものの考え方とか、専門的な立場でのいくつかのポイントです。いま、抗議運動が広がり始めている中で、非常に重要で、しかも彼らしい指摘だと思いました。
 
私たちは本当に残念なことですが、松尾さんを失いました。それは、私にとって、安保や軍事の問題で判断に迷うとき「この問題はこういうことでいいのかなあ」と気軽に聞くことのできる仲間を失ったことですし、彼が活動していた多くの組織や仲間にとっても、同じように、仲間を失い、働き手を失ったことだと思います。
どうか、運動を一緒に進めていた皆さんには、松尾さんが終生願った、平和な世界、平和な社会をつくるために、彼のことばを忘れずに、大きな立場で、運動を広げていけるようにがんばってほしいと思います。
長々とお話ししてしまいました。
奥さんとお話ししたとき、本人が一番驚いていると思います、といわれましたが、まだいっぱいし残したことがあるし、彼にとっては、何よりも奥さんのことが気懸かりだったのではないかと思います。私たち友人は、その遺志を継いで、奥さんを応援していかなければ、と思っています。
松尾さん、どうか安らかにお眠りください。そして私たちをどこかでずっと見守ってくださって、声を掛けてください。ありがとうございました。

2007年6月18日     丸山 重威

(関東学院大学教授、元共同通信記者)

2007/06/19

追悼・松尾高志さん

お別れのことば

松尾高志さん。急なお別れになりました。

あなたが日本の平和運動のなかでどれほど貴重な存在であったか、その評価を過去形で語るには、いかにも早すぎます。

ジャーナリストとして松尾さんは、私にとっては山田昭門下の兄弟子でした。松尾さんは一九七〇年にジャパンプレスサービスという通信社に入社して、山田昭さんのもとで「ジャパンプレス・ウィークリーブレティン」や「現代史の記録」の取材・執筆・編集をされていましたね。私はその翌年に朝日新聞社に入り、たびたび山田さんの教えを受けてきました。

一九七二年、世界の平和を求め、社会の進歩を求める運動の中で、松尾さんは会社の内外で起こった政治的な事件に巻き込まれて、何人かの人々とともに会社を離れ、フリーのジャーナリストとして独立されました。この経験は松尾さんのなかに深く陰を落として、物事をより慎重に考える習慣と、権力的なものに対する反骨精神を、よりいっそう強めることになったと思います。そして私は企業に属したまま、書籍編集者としての道を歩みました。そのように、一九七〇年前後を原点として、松尾さんはジャーナリストとして私の一歩前を歩き続けてきました。

松尾さんが軍事問題を深く研究されて、この分野に限れば師匠の山田さんの跡を継ぐばかりか、それをさらに超えるだけの仕事をされたのは、誰もが認めることです。文献や情報を深く読み込み、詳細に分析する松尾さんの仕事は、何よりも信頼性の高いものでした。学究肌、と表現しても良いかもしれません。平和憲法のもと、軍事知識が求められることの少ない日本で、松尾さんのように、戦争評論家として活躍することを望まず、民衆の側から戦争を防ぐためにこそ軍事知識を活かそうとする人に、陽の当たることが少なかったのを残念に思います。

そして松尾さんは、研究室にこもる人ではなく、行動する市民運動者でした。呼ばれればどこにでも出かけて講演をする、あるいは研究会に出席して持論を述べる、フットワークの軽い運動者でした。日本平和委員会の理事として活躍されたことはよく知られています。一九八五年に私も入れていただいて「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」を創立してからは、その中心的なメンバーとして活動してこられました。松尾さんの、よく考えぬかれた短い発言が、議論の流れを変えた場面を、いくつも思いだします。議論のあと、酒場に場を移してからのくだけた会話では、真剣なまなざしとは打って変わって目を細めた笑顔の松尾さんの、民衆の歴史に対する深い信頼感、楽観的とも思える未来像に、いつも頭の下がる思いでした。

さて、松尾さんがこの間取り組んでこられた、有事法制研究、日米同盟分析の成果が、いまほど活用されなければならない時はありません。私は編集者として松尾さんに、近年の講演録をまとめて、今年中には本を出さなければいけませんよ、と言っていました。そうだよなあ、と答えながら、松尾さんはこの仕事にとりかかることができませんでした。

私たちが松尾さんの何をどう引き継ぐのか。たいへん重い課題ですが、松尾さんなら、まあ何とかなるさ、あとはよろしくな、と言ってくれそうな気もします。そうですよね、松尾さん。

二〇〇七年六月一九日     大内 要三 

2007/06/16

追悼・松尾高志さん

ジャーナリストで「平権懇」運営委員の松尾高志氏が、6月15日、腹部動脈瘤破裂で亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。

http://www.jcj.gr.jp/postmort.html

通夜  618日(月)19時~、鎌倉市「雪ノ下教会」

葬儀  619日(火)13時~、同上

喪主  妻・松尾康子さん

雪ノ下教会=鎌倉市小町21536 電話=同=0467-23-0652

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第21回参議院議員選挙立候補予定者にアンケート

世論調査では9条改憲賛成者は国民の3割なのに、国会で9条改憲派が多数を占めているのは、小選挙区制によるトリックです。とりあえず小規模に是正するには、今度の参院選で改憲派の伸長を抑え、参議院で改憲派が3分の2の議席を占めないようにすることが必要です。

安倍内閣は当初、憲法を参院選の争点にすると公言していました。その後急速に年金問題が浮上し(これも重大な問題であることは確かですが)、憲法がやや後景に霞んでしまいました。このため会派や候補者によっては、政策から憲法問題を外し、あるいは態度を曖昧にする傾向があります。

そこで私たちは、別紙のようにアンケートを実施することにしました。回答率を上げるには、この運動を広く知られたものにすることが必要です。次のようなご協力をいただけましたら幸いです。

1.     アンケート実施中であることを機関紙誌、HP、ブログ等で広くお知らせ下さい

2.     アンケート集計結果が出ましたら、同様に広くお知らせ下さい

3.     以上にご賛同くださる団体・個人名を「協賛団体・個人」として公表させて下さい

では、どうぞよろしくご検討下さいますよう。

2007参院選憲法9条アンケート実行委員会(準備会)

共同代表 尾形 憲(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)

同 榎本信行(平和に生きる権利の確立をめざす懇談会)

同 和田隆子(第9条の会・オーバー東京)(予定)

お問い合わせ・ご連絡先 ファクス03-3389-0411 nora@cityfujisawa.ne.jp

……………………………………………………………………………………………………………

「憲法9条改憲」に賛成しますか?

21回参議院議員選挙立候補予定者にアンケート

ご多忙のなか、突然のアンケート依頼で失礼いたします。

安倍首相は、今回の参院選の争点は憲法問題だと述べました。そこで、改憲問題に関する態度を明らかにすることが立候補者に求められていると思い、誰にも分かりやすい集計をすることにしました。

ずばり、うかがいます。あなたは日本国憲法第9条を改正して、自衛隊を国防軍として認知し、集団的自衛権を行使できるようにすることに賛成ですか? 反対ですか? 次の3択からお答えください。

 1.賛成

 2.反対

 3.どちらとも言えない

710日までにファクス03-3389-0411あて、別紙回答用紙でお返事くだされば幸いです。集計結果は記者会見でマスコミに発表するとともに、私どものホームページ他で公開させていただきます。お返事のない場合もその旨公開いたします。

重大かつ微妙な問題に3択では答えようがない、という方もおありかと思います。そのためにご回答とともにご主張・政策を公開されているHP等のアドレスをご紹介することにしました。このため、アンケート回答に文章でコメントを付けていただいても、集計・発表ではご紹介は割愛させていただきます。

なお、このアンケートを実施している私どもの連絡先、基本姿勢、これまでの活動については、下記の実行委員会構成団体のHP等をごらんください。

200772

2007参院選憲法9条アンケート実行委員会(準備会)

共同代表 尾形 憲(イラク派兵違憲訴訟の会・東京)

同 榎本信行(平和に生きる権利の確立をめざす懇談会)

同 和田隆子(第9条の会・オーバー東京)(予定)

お問い合わせ・ご連絡先 ファクス03-3389-0411 nora@cityfujisawa.ne.jp

「憲法9条改憲」に賛成しますか?

21回参議院議員選挙立候補予定者にアンケート

実施にあたってご協力のお願い

ご承知のように、国民投票法がいかにも拙速で成立し、次の通常国会から改憲案の審議が開始できることになりました。

722日に差し迫った参院選の当選者は、確実に6年の任期のなかで改憲準備国会に直面することになります。

2007/06/14

読む・読もう・読めば9 詩人が激するとき

疲れたときには小難しい本は読めないから詩集を開く。谷川雁や鮎川信夫を読むともっと疲れそうで、黒田三郎になる。大きな活字の遺稿詩集『流血』はクロス貼り函入り、函の挿画は糸園和三郎と、贅沢だ。フランス装の『詩集悲歌』はページを切らずに、覗き込むようにして読んでいる。どれも少部数だからできる凝った造本なのだ。著者の想い、印刷・製本職人の矜恃、そして編集者の心意気。

若い詩人のリリシズムは、年月を経て次第に生活者の悲哀に流れていく。国語教科書に載った『ひとりの女に』や『小さなユリと』収録の作品群はたしかに傑作だが、晩年の、なんでもないことをなんでもない言葉で書く技に、救われる思いがする。著作集には生前には詩集に収録されなかった拾遺詩編や初期作品も載っていて、興味深い。

初期の評論は別として、詩作品ではやわらかな言葉しか使わなかった黒田が、いちどだけ激した作品を書いたことがある(『渇いた心』収録「引き裂かれたもの」)。「二千の結核患者、炎熱の都議会に坐り込み一人死亡」という報道を目にしたとき、1950年代の話だ。患者の待遇改善を求める運動のなかで亡くなった貧しい女性は、近く誕生日を迎える幼い娘に書きかけた手紙を持っていた。「ほしいものはきまりましたか/なんでもいってくるといいのよ」。黒田は書く。

それは/どういうことだったのか/識者は言う「療養中の体で闘争は疑問」と/識者は言う「政治患者をつくる政治」と/識者は言う「やはり政治の貧困から」と

そのひとつひとつの言葉に/僕のなかの識者がうなずく/うなずきながら/ただうなずく自分に激しい屈辱を/僕は感じる

一人死亡とは/それは/一人という/数のことなのかと/一人死亡とは

決して失われてはならないものが/そこでみすみす失われてしまったことを/僕は決して許すことができない/死んだひとの永遠に届かない声/永遠に引き裂かれたもの!

他人の苦しみ・悲しみ・痛みに寄り添うこと。運動の初心を、黒田は書いた。(大内要三 2007614日)

2007/06/10

日米同盟の近未来⑦  松尾高志

5_1 (07.5.26 平権懇報告)

●同盟の近未来は

Ⅵのいちばん最後のパラグラフになりますが、これは概観に対応する結論のパラグラフです。「安全保障及び防衛協力のための同盟の変革を進展させることが、地域及び世界」にとって重要だ、平和と安全に貢献するものになるということで、あらためてグローバルな共同作戦ができるような日米同盟に変えるということを結論として出しています。

安倍さんの政権の在り方は、極右の面がありますから、同盟関係を進める上で多少ぎくしゃくする要素があるわけです。しかし全体として実務レベルでは、粛々と同盟関係の変革が進んでいる。ですから、いろんな問題で極右の部分が日米関係にとってマイナスに働くことがあり得たとしても、それがダメージになってこの同盟変革が滞るということは、たぶんないだろうというふうに思います。

アーミテージ・ナイ・レポートのバージョン2が発表になりましたけれども、あそこで書かれておりますのも、このブッシュ・小泉政権下で形作られ、安倍政権下で発展させられた同盟変革(アライアンス・トランスフォーメーション)の道が、次のアメリカの政権が民主党になっても共和党になっても変わらない、この路線で行くということです。イラクがどうなるかということはありますが、日米同盟の近未来については、ドラスティックな転換ということは考えられないわけです。この2+2の合意の延長線上で、日本はグローバルにどこまでやるか、そのために日本の国内の法整備をどこまでやるか、これは憲法を変えることを含めてですが、それがアメリカから強く求められる状況、事態がいま生まれている。

米軍が軍改革をやっていますから、自衛隊も軍改革をやります。これはなかなか見えないのですが、防衛省は「防衛の在り方検討」というのをずっとやっておりまして、アメリカのトランスフォーメーションに合わせて、変化した米軍とともに戦えるように自衛隊を変化させる、ということを決めております。大きく自衛隊像というものも変わっていく、これも粛々といま進んでおりますので、同盟の近未来は、現在の条件のもとでは考えているとおりに進むと考えざるを得ないというのが私の実感です。

それにどう対処したらいいのか。なかなか難しい問題ですが、そういう大きなアメリカと日本の同盟の在り方、そういうものを推進するために、国内体制が遅れておりますから、どう法的に整備していくかが、安倍内閣、安倍の次の内閣にとって大きな課題になるということが言えるのではないかと思います。

憲法改正、改憲ということが言われます。憲法の文言は現在までのところ変わってはいませんが、とくに90年代後半から、個別法が30本近くできているんですね。戦争できるソフトがもう積み上がっていますので、改憲したときにドラスティックに変わるかというと、そういう改憲の姿というのはないんじゃないか。実態はもうすでに変わっていて、その結果として文言が変わる。

そういう意味で安倍首相は、「新憲法の制定」と言っていますが、僕はそれは正しい言い方だと思います。憲法はよって立つ原則があります。原則を変えないで部分修正するのは改憲でいいですけれども、今の憲法でいえば平和原則、これは前文と9条で規定されておりますが、その原則を変えるわけですから、これはやっぱり新憲法の制定という事態になるわけです。

柳井俊二さんが座長になって、集団的自衛権行使についても研究するという「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」、あれがどういうレポートを出すか、まだ分かりませんが、いずれにしても安全保障のための法的な基盤について、作り直す作業が始まっているわけですね。これは改憲の手前の作業をやっているのではなくて、新憲法制定の前段の措置として実施しているのではないかと思います。そういう意味でこの懇談会のレポートでは、これまでの内閣法制局がダメだと言っていている問題について、どういうロジックで答申を出すのか、それに注目する必要があろうかと思います。

2007/06/09

日米同盟の近未来⑥  松尾高志

4_1 (07.5.26 平権懇報告)

●再編ロードマップの実施

Ⅳは「再編ロードマップの実施」で、これがいわゆる基地問題です。これは新聞報道でみなさんご存じのことと思いますので、省かせていただきます。

 あとⅤの「BMD及び運用協力の強化」とⅥの「BMDシステム能力の向上」はミサイル防衛です。ミサイル防衛が大きく扱われたのは、「概観」のところに書いてあるように、安倍首相とブッシュ大統領が去年の11月に、ハノイで会談した際にミサイル防衛を強化しましょうということを確認したので、今回それをもうちょっと具体的にブレイク・ダウンして合意を広げましょう、ということです。Ⅵのほうは事実関係が並んでおりまして、これは読めばいいわけですので、その以前のⅤのほうで運用の問題について申しあげます。

一つは、これまで「2国間の計画検討作業」というのをやっていますが、ミサイル防衛は入っていなかったんですね。ですから、オペレーション・プランの中に、ミサイル防衛を組み込みましょうということをまず合意をしております。

次の段落では、10月の合意で共同統合運用調整所を横田に作ることを決めたわけですが、ピョンヤンがミサイルを連射したときのことが書いてあります。新聞報道にもありませんでしたが、そのときに暫定的な調整施設というものを置いて、非常にうまくスムーズに処理できたと発表している。ですから共同統合運用調整所ができる以前に、暫定的な施設、まあビルの中の一部屋にリエゾン・オフィサーを置いて、ということだと思いますが、調整所を作る手前の段階ですでに始めているわけです。

その次のパラグラフは、リアルタイムで情報を共有するとありますが、これは再確認です。「共通の運用画面」とありますが、これ自体がひとつの軍事用語でありまして、アメリカ側と自衛隊とが、コンピューターの同じ画面を両方で見ている、そういう情報環境に置きましょうということです。共同作戦をやる場合にも、そういう環境を整える。これまで米軍のコンピューターと自衛隊のコンピューターはリンクしておりませんでしたが、これが進みますと、コンピューターのリンク、相互乗り入れということになります。

その次のパラグラグでは、そのための包括的な情報共有のロードマップ、どういう順番でどの情報をどのようにリンクするか、工程表を作って情報共有の進展をはかる、ということを決めております。10月の合意では情報共有をやりますということで留まっていたわけですが、今回はロードマップを作って、リンクをしていくことを決めたということになるわけです。

Ⅵはミサイル防衛について、個別具体的にこういうことをやってきたということの確認ですので、省略します。

2007/06/08

日米同盟の近未来⑤  松尾高志

3_1 (07.5.26 平権懇報告)

●役割・任務・能力

Ⅲの「役割・任務・能力」のところでは、まず05年10月の2+2の合意文書を出しています。ここでグローバルに自衛隊がやることとして、10項目ぐらい特定したわけですね。活動の例として。挙がっていたのは兵站支援のオペレーションまででしたが、アメリカは治安維持のオペレーションまで、アフガニスタンやイラクでやっている安定化作戦についても日本は関与してほしいと言ってきております。それに対して、いま恒久法の案を作っている自民党の石破さんたちのグループがありますが、素案では治安維持活動はやると明記しています。

この10月の文書、「日米同盟:未来のための変革と再編」は、アメリカではその頭文字をとってATARAレポートといって重視しております。日本では「中間報告」というふうに、ほとんどのメディアが報道しました。基地問題に着目するから中間報告なのであって、それはその次のロードマップで最終報告になるわけです。けれどもこの10月の合意は中間報告ではなくて、実は変革と再編と二つあった。再編の方は中間報告ですが、変革、というのは同盟の変革ですが、これは10項目を新たに、ガイドラインでの40項目と同じ形式で合意しています。

ということを再確認したうえで、実際にイラクやインド洋で活動していますねと言って、次のパラグラフ、これは周辺事態についてのオペレーション・プランですが、それを今年の9月までに完成するという日程で進んでいるわけです。周辺事態と武力攻撃事態をワンセットにしたプランを、いま米軍と自衛隊で作っている。最終段階に入りますと、軍だけが行動するプランを作っても意味がないわけで、それを実行し得るだけの日本政府の態勢がなければならないわけです。戦争は防衛省だけがするわけではなくて、各省庁が協力して、全体として戦争を遂行するシステムができあがるわけですから。「関係省庁の計画検討作業過程への積極的な参加が引き続き極めて重要である」と書いてあるのは、その意味です。防衛省との協議で、各省庁の行政のなかに、軍事合理性というものを貫徹させる。なかなかこの作業は進みませんので、政府間合意としてここに書き加えたわけです。

その次の段落ではGSOMIA(ジーソミア)、軍事情報包括保護協定に実質合意したとあります。先ほど情報共有のところで申し上げましたように、同盟関係の中で軍事情報の共有が、情報の傘ということで強められておりまして、そういう情勢のもとで、日本にはそういう情報を保全するメカニズム、法の整備は遅れておりますので、まず最初の段階としてGSOMIAという協定を結びましょうと、合意したわけであります。

GSOMIAは秘密協定でありまして、アメリカはモデル協定も発表しなければ、60何か国と結んでいるとかいいますけれども、ほとんどが公表されておりません。公開されたものを見て類推すると、アメリカが自国で実施している情報保全のシステムと同じシステムを相手国が確立することを約束するのが、このGSOMIAの協定です。ですからアメリカは秘密保全の措置をさまざまに採っておりますが、それと同じ措置、同等の措置を日本がとるということを、まず合意した。

GSOMIAで縛られるのは、軍事情報にタッチする人間だけです。軍事情報に関与しない一般人はGSOMIAの協定では縛られない。これは秘密保護法だという話がありますが、国民全体をカバーするような秘密保護法制とは違う性格のものですね。協定を結びますと、日本はこの協定に基づいて、情報保全の措置を採ると同時に、それを担保するための法律が必要になりますが、これをすぐやるというふうには久間さんは言っておりません。しかしながらこの段階で、情報が重要だということで機密保全の措置に踏み込んだことになります。これはオペレーションだけではなくて、兵站のほうにも関係しますので、軍事産業の従事者にはこれがカバーされる。また研究・開発の部門もカバーされる。それから官僚は当然ですが、政治家も知りうるということになりますと、カバーされることになります。ですから立法措置としてどこまでカバーするのかまだ分かりません。

その次のパラグラフでは、化学・生物・放射線・核防護作業部会、これは冷戦後の新しい脅威というふうに言われておりまして、こういうものについてのワーキンググループを日米の間で設立するということを合意いたしました。ですから今後、このワーキンググループは設置をされ、そのための取り組みというものが、米軍・自衛隊のみならず関係省庁を含めて進むということになります。

それから次のパラグラフでは、日米間の省庁間の調整メカニズムを作ることが合意されました。これまで日米間のガイドラインで決めておりましたメカニズムは2つありまして、作戦計画をプランニングするための包括的メカニズムと、有事になった場合に作戦調整をするための調整メカニズムが立ち上がっています。今回の2+2の合意ではそれに加えて、「危機及びそれ以前における政策、運用、情報及び広報に係る」2国間のメカニズムですから、戦争になるということを軸にして、それ以前に遡って平時から日米間で各省庁が連絡・調整する、新しい省庁間の調整メカニズムを作ることを合意しました。包括的メカニズムも調整メカニズムも、2+2の合意のあと次の2+2でチャートが承認されておりますので、今回のこのメカニズムについても、今後の2+2でチャートが出てくるものと考えます。そのチャートを見なければ、具体的にどういうふうに考えているのか分かりません。

そして最後に、共同訓練をやって能力を高めましょう。また、こういうことをやるに当たって資源、人的資源・物的資源・財政的資源、リソースを投入しましょうということを合意しているわけであります。

2007/06/07

日米同盟の近未来④  松尾高志

6 (07.5.26 平権懇報告)

●共通戦略目標

Ⅱの「共通戦略目標」のところですけれども、国・地域がずっと並んでおります。朝鮮半島、中国、APEC、ASEAN、オーストラリア、アフガニスタン、それからイラク、イラン、NATO。この範囲についてお互いに日米の間で戦略を一致させていきましょう、というこことの合意です。

ここには北朝鮮とか中国とか、イランのように、まあ多少警戒的に見ていきましょうね、という所についてどう共同行動をしていくかというのと同時に、抱き込んでいくと言いますか、巻き込んでいくものとしてAPEC、ASEAN、インドがある。それから、もっと軍事的な関係を強化するものとして、オーストラリアとNATOが挙げられているわけです。共に戦っている場所としてはイラクとアフガニスタンが記述されている。

安倍内閣が進めている、日本外交の新機軸というふうに言っているのは、「自由と繁栄の弧」構想ですね、麻生外務大臣が提唱しております。朝鮮半島からヨーロッパに続くユーラシア大陸を弧状に取り囲んでいる、それらの地域に自由と繁栄をもたらす、そういう働きかけを日本外交としていくんだという外交構想です。これを実行するために、西の端であるNATOと軍事的な協力関係を強めていく。東の端にあるオーストラリアとも軍事的な同盟を強くしていく。日米でこの間のところを共同対処しましょう、というふうにしたわけです。安倍首相今年の4月までアメリカに行きませんでしたが、実はNATOへ行ったり、オーストラリアと日豪安保共同宣言を出したりしたのは、日米の共通戦略目標に沿ったものであるわけです。

「自由と繁栄の弧」という地域ですが、これは実はアメリカが「不安定の弧」と呼んでいる地域とだぶります。同じ地域を、アメリカはここで何かが起きる、要警戒地域としている。日本はこの地域を、日本の外交努力で、援助を含めた努力によって安定、繁栄させて民主化する。そういう意味で「不安定の弧」と「自由と繁栄の弧」は、裏表の関係にある。分業でもってやりましょうということになろうかと思います。

2007/06/06

日米同盟の近未来③  松尾高志

5 (07.5.26 平権懇報告)

●概観

今日のペーパー(共同発表「同盟の変革――日米の安全保障及び防衛協力の進展」)の方に話は戻ります。このペーパーは、小泉内閣のもとで進んできた同盟変革、軍改革、基地変革、これをワンセットで再確認すると同時に、それをさらに進めるという、そういう性格のペーパーです。このペーパーはローマ数字で6部構成になっておりますが、Ⅰは「概観」。Ⅱは「共通の戦略目標」、05年2月の2+2の合意で戦略目標を確定したわけですね。Ⅲの「役割・任務・能力」、これは05年10月29日の2+2で、「日米同盟・未来のための変革と再編」というペーパーで確認したことです。Ⅳの「再編ロードマップの実施」、これがいわゆる基地問題になるわけですが、これは去年5月のマップで最終的な合意ができた。

この安倍内閣になって初めての2+2では、小泉政権のもとで3つの分野でもって進めてきた協議を、あらためて再確認をした。戦略目標で一致しましたねと。自衛隊と米軍との間の役割・任務分担でも一致して、おおまかなチャートはできましたよねと。基地再編についてはロードマップという形で、個々の基地について決めましたよねと。で、次はこういうふうに進めましょう、というのがこのペーパーです。ペーパーに沿って見ていきます。

Ⅰの「概観」のところでは、特段大きな問題はありませんが、パラグラフの2つ目。「閣僚は、現在の拡大する日米協力が、数年前に始まった同盟の更新及び強化のためのこれまでの努力によって可能になった」。米軍再編と言われているものは実は同盟を変える作業だったですね、と改めて言っているわけです。

その次のパラグラフでは、北朝鮮が核実験をやりましたので、あらためて「核の傘」を再確認しています。「拡大抑止」という言葉を使っております。アメリカはアメリカ本土に対して核攻撃をやられたら反撃するということで抑止を働かせているけれども、日本に対して核攻撃があった場合でも核攻撃力を行いますよと、そういう意味でのエックステンデッド・デタレンス(拡大抑止)ですね。

次のパラグラフでは、「情報共有」ということが強調されています。コンピューターを中核にしてネットワーク・セントリックな戦争をするわけですから、情報が持つ価値・能力の意味は非常に高くなるわけです。

国防次官補だったナイが、オーエンスという軍人と一緒に『フォーリン・アフェアーズ』に論文を出しております。以前は核抑止力、核の傘というもので同盟国を守ってきて、アメリカはそれを率いてきたが、産業社会から脱出して情報化社会に入ると、情報の傘を差し広げて、情報優位にあるアメリカが情報の中枢を握って同盟国を束ねる。そういうふうに変わるんだと書いています。核の傘から「情報の傘」へ、です。

情報共有を日米間で進めることになりますと、そのプロテクト、保全が問題になる。日本の場合は情報を保全するためのメカニズムがほとんどないわけですので、共有することになった場合に日本から漏れることがたいへん大きな脅威になる。これを日本はしっかりやってほしいということがクローズアップされてくる。後の段で具体的な形として出てくるわけです。

いちばん最後のパラグラフですが、防衛庁設置法を変えて防衛省に格上げすると同時に、自衛隊の任務として、これまで海外へ出て行くことは付随的な任務として、自衛隊法の雑則、附則に列挙されていたのですが、こういうものを全部、本来任務として位置づけるというふうに変えたわけです。そのことについて大きく、高く評価して歓迎しています。

先ほど、同盟の変質が2回目の変革期にあると、集団的自衛権の問題で言いました。もう一つのポイントは、再定義のところではリージョナルに自衛隊が日米共同作戦で表に出るというふうになりましたけれども、小泉・ブッシュ政権のもとでの同盟変革のプロセスでは、リージョナルな共同作戦からグローバルな共同作戦に拡大するということが大きな伏線としてあります。この「共通戦略目標」のところにも出てきますけれども、日米同盟というものはアジア太平洋地域のリージョナルなものとしてファンクションさせるのではなくて、グローバルに機能させる、そういう意味で自衛隊の行動範囲、米軍との共同作戦の範囲を、リージョナルなものからグローバルなものへ拡大する、というのが、同盟変革のもう一つの大きな目的です。

いま周辺事態では説明できないことをインド洋やイラクではやっていることで示されるように、アジア太平洋地域を超えたグローバルな展開をしていく方向性が出てきている。それが目の前でギシギシいいながら進んでいるわけですが、その一つとして日本政府は防衛庁を省に格上げすると同時に、自衛隊がグローバルに展開することを本来任務とする、ということをやったわけです。

2007/06/05

日米同盟の近未来②  松尾高志

4 (07.5.26 平権懇報告)

●日米同盟はどのように変質してきたか

そのことを日米同盟に即して考えていくと、どういうことになるか。冷戦が終わってから日米同盟は2回変質しています。最初は90年代の半ばで、日米安保の再定義と言われておりますが、クリントン政権のもとでガイドラインをバージョンアップしたんですね。そこで自衛隊が行動をするエリアを本土防衛から拡大して、周辺事態への対処、リージョナルに自衛隊を出して日米で共同作戦をする、という段階に入りました。当面のシナリオは、朝鮮半島で事が起こったときどうするか、ということで共同作戦計画の立案作業が進みます。

冷戦の最中は古いガイドラインのもとで、ソビエトと戦う戦争の一環として日本は本土防衛で戦えばそれでいい、ということだったわけですけれども、ソビエトが崩潰した後は、自衛隊を外へ出して戦うように日米同盟が大きく変質します。この変質のプロセスで周辺事態法という法律ができますが、リージョナルに自衛隊が海外へ出て行くときの、米軍との共同作戦の在り方で、大きな桎梏が生まれる。これまで内閣法制局の見解は、集団的自衛権は持っているが行使し得ない、という枠がありました。日本防衛については個別的自衛権の発動でまったく問題はないわけですけれども、日本が攻撃されていないにもかかわらず、アメリカがやっている戦争に際して兵站支援のオペレーションをするのは、集団的自衛権に当たるのか当たらないのかが問題になって、内閣法制局が線引きをするわけです。アメリカがやっている武力行使と一体化するオペレーションは集団的自衛権に当たるからできないが、一体化しないものについては問題ないという解釈でもって周辺事態法律案を作って通しました。

単純に考えてみますと、戦争というものは、戦闘正面でドンパチやるだけでは成り立たないわけです。後方から前線への物流、兵站支援のオペレーションをやらないと戦争はできない。そこをまず切り離して、戦闘はしません、兵站支援だけですよというふうにして、なおかつ兵站支援の中でも武力行使と一体とするものとしないものという区分けをして、ガイドラインの別表40項目を実行しうるようにした。

戦闘地域で一緒に作戦行為をやれば一体化になるが、非戦闘地域ならば構わない、という前提で話が進みました。そこで問題になったのは、例えばアメリカの軍艦に対して自衛隊が洋上補給をする場合に、ある一定の海域でやっていたとして、戦況が変わってそこが戦闘地域になったときにどうするかということです。周辺事態法の国会審議では、そのオペレーションを中止して自衛隊は離脱するというふうに説明をしたわけです。そういう、軍事合理性から考えると矛盾、不合理が生じるので、米軍からも自衛隊からも、これではやっていけないという不満が出る。一緒に戦っているにもかかわらず、途中で状況が変わったら自衛隊はさっさと逃げるということで同盟はもつのかと。そういう話になるわけです。

再定義が終わった段階、周辺事態法ができあがった段階で、そういうことが問題意識として登ってきた。再々定義をして、集団的自衛権が行使できるようなシステムに切り替える必要がある、という声が上がってまいりました。これが第一次のアーミテージ・ナイ・レポートで打ち出されたものです。集団的自衛権が行使できるようなシステムに切り替える必要があると。

日米安保の最初の再定義をやった当事者に、カート・キャンベルがいます。民主党系ですからブッシュ政権では在野です。彼は、最初の90年代半ばの日米安保の再定義は官僚のレベル、実務者のレベルでネゴシエーションをして、それを文書化したけれども、もう一回再定義する場合は、政府を挙げて、言論界、経済界、政界をひっくるめて、大きな問題として扱うべきだと、そういう提案をしておりました。そうこうしているうちにテロが起こるわけですね。

ブッシュの二つの戦争に対して小泉政権は、それぞれ特措法でもって自衛隊を出しました。兵站支援のオペレーションです。アフガニスタンの戦争のときは、NATOも、イギリスを除いては兵站支援のオペレーションをしているわけですが、NATOの場合は集団的自衛権の行使として実施したわけです。ところが日本の場合は、その兵站支援のオペレーションが集団的自衛権に当たるのか当たらないのかという議論を国会でしたときに、小泉首相は、あまり汲々詰められてしまうと答弁に窮してしまう、という答弁をやって、まあ彼のキャラクターがあるものですから、まかり通ってしまった。そういう意味で、集団的自衛権行使の問題についてはファジーな段階に入ります。

しかも、安保再定義のときには先に合意文書ができて、それを実現する行動が後に続くことになりますが、アフガニスタンでは実質上、再々定義がここで実践的には始まってしまう、という事態が起こります。イラクでも特措法を作って自衛隊を出して、サマーワの陸上自衛隊はもう撤退しておりますが、クウェートに出している輸送機はまだ兵站支援のオペレーションをやっております。そういう意味で、2つの対テロ戦争をともに戦うという中で、日米同盟が変質を始める。

同時に、日米間の戦略対話と言っておりましたが、外交・防衛の担当者による日米協議が、ずっと行われていきます。で、3つの2+2の合意文書としてそれが結実して、今日にいたるわけです。一番最初に申し上げましたように、基地の在り方を変える、軍の在り方を変える、同盟の在り方を変える、この3点セットがワンセットで協議では進んでおりました。アメリカの方では、抽象的な議論から始めてだんだんと具体的な議論にしていく、そういうプロセスを踏んでやるんだと言っておりましたが、日本側の対応が、選挙があるとか、さまざまな理由で遅れに遅れたんですね。

このような作業はアメリカは日本とだけでなくて、韓国ともやっておりますし、NATOともやっております。韓国、NATOのほうが協議は早く終わって、次の段階へもう移っておりました。日本は対応が遅れたので、アメリカのほうから基地問題でリークを始めたんですね。ですから、この米軍再編問題が基地問題と捉えられるのは、報道のプロセスにも問題があるわけです。

この協議は、ブッシュ政権になってからすぐ始まっております。外務省、防衛庁、国務省、国防省との間の審議官級の協議をずっとやって、節々に2+2を開いて確認するという手順をとってきました。基地問題から話が吹き出しましたので、アーミテージが日本に来て仕切り直しをして、3段階の2+2の合意文書をもって、これを進めるということにしたわけです。

2007/06/04

日米同盟の近未来①  松尾高志

3 (07.5.26 平権懇報告)

5月26日、平権懇連続学習会「テロ戦争の時代に」第2回として、会員の松尾高志さん(ジャーナリスト)が「日米同盟の近未来」と題して報告し、最近行われた日米安全保障協議委員会の合意文書を詳細に分析・解説した。

●米軍改革は9.11テロ以前から

この5月1日に米国務省で日米安全保障協議委員会(通称2+2)が開催され、ライス国務長官、ゲイツ国防長官、麻生外相、久間防衛相が協議をして、共同発表文「同盟の変革――日米の安全及び防衛協力の進展」が公表されました。僕はこの間、米軍再編が引き金になって同盟変革が進んでいると主張してきましたが、まさにそれがタイトルになった発表文ですので、今日はこれを読み解くことでお話をしたいと思います。

まず、一般に9.11テロがあったから対テロ戦争・米軍再編という事態が起こったのだと、そういう雰囲気で議論が進みますが、じつは9.11の前からその動きがあって、9.11はそれを加速したんだというのが僕の意見です。

クリントン政権末期に、ゴア副大統領とブッシュ州知事が、それぞれ民主党、共和党から出て大統領選挙戦をやりました。ブッシュ候補は、これはボブ・ウッドワードが『ブッシュのホワイトハウス』という本で書いていますが、選挙をやるに当たって最初から軍改革、国防改革を公約にして動いてきたんですね。軍改革は90年代半ばから表面化するトレンドですけれども、冷戦が終わった後、どういうふうにアメリカに対する脅威というものを考えて、どういうふうに米軍の在り方を変えていくか、根本的なものの考え方のところから考え直そうという動きです。同時にハイテク技術が相当進んでいますので、それを軍事の分野に積極的に応用・適用する。

ものの考え方で言いますと、トフラーが『第三の波』という本を書いた、世界は農業化、工業化、情報化というふうに進展してきている、という図式がベースにあるようです。これまでの軍の在り方は産業化社会、工業化社会のものだった。時代はもはや情報化社会に入っているのだから、それに対応した軍の在り方を考えなくちゃいかんと。トフラー自身が『戦争と平和』という本を出しておりますが、米軍にそういう問題を考えているグループがありまして、そこに呼ばれて共同研究をした成果です。ペンタゴンの中では主流にはなりませんでしたが、水面下でそういう軍の変革ということを考えるということが、ずっと底流としてありました。当時の言葉で言うと「軍事革命」(レボリューション・イン・ミリタリー・アフェアズ、RMA)です。

軍改革をやらなければならないというのがずっと底流としてあって、ブッシュ候補はそこに着目をして、自分が大統領になったらそれを自分の政策の柱の一つとして推進するというふうに決めた。選挙戦の中でシタデルという場所で国防演説をやります。『世界週報』にも翻訳の全文が載りますが、RMAでアメリカ軍を変えるということを、彼流の言葉で分かりやすく選挙民に訴えております。

国防長官も、その軍改革ができるような人物でなければならないということで、ラムズフェルドを据える。ブッシュは大統領になってすぐラムズフェルドを指名して、彼に軍改革のマンデートを与えます。まあ委任ですね。やってくれと。RMAと言っていたその言葉が、ラムズフェルドになってからはフォース・トランスフォーメーションという言葉に置き換わります。ペンタゴンの中にトランスフォーメーション局というものを置いて、ここを中心にして、軍の在り方、国防総省の仕事の仕方、全体のスイッチを切り替えるという作業を始める。

米軍そのものを変える、仮想敵といいますか、脅威の質が変わっていますから。冷戦の最中はソビエトを中心とする社会主義圏グループが仮想敵で、そういうものとあい戦うという前提で軍を編成し、装備も調達していました。相手の国とシンメトリック(対称的)な形で軍事力を構成するということで来たわけです。冷戦が終わってそういう脅威が無くなって、次の脅威はどういうものになるかという研究がペンタゴンで進められて、国家と国家が戦うというものではなさそうだということになった。トランスナショナルなスレット(越境的な脅威)、という言い方をしますが、国境を越えた脅威です。しかもその主体はノン・ステイト・アクター(非国家主体)、テロのことですが、そういうものがこれからアメリカにとっての新しい脅威になりうると。

これまで軍を編成していくときには明らかに仮想敵がありますから、その脅威に対応できるだけの力を持つということで建軍していけばよかったわけです。冷戦が終わってから後は、シンメトリックな軍の編成では立ちゆかない。非対称的な敵と戦わなくてはいけないので、脅威の姿を想定して建軍していくのではダメです。むしろアメリカに対してどういう攻撃能力があるか、と逆に考えていって、そういう能力に対して米軍としてはいかに対処し得るか、という形で建軍していかなければならない。

オペレーションの仕方も、これまではプラットフォーム・セントリックという言い方をします。武器を積んだ軍艦だとか航空機だとか師団、そういう物的なものをどう配置してどう戦争するかを考えていた。いまや情報化社会に入っていますから、ネットワーク・セントリックで軍の運用の在り方を考えていく、コンピューターを使った戦争のやり方です。それに使いやすいような軍の編成を考えて、陸軍・空軍・海軍それぞれが軍のありようを変えていく、という動きが出てきました。

アメリカは冷戦の最中は、仮想敵を取り囲むような形で米軍を海外に配置していました。もはや仮想敵に対して世界的に米軍を配置する必要がなくなりますので、次の新しい敵に対して迅速対処できるような形で海外の基地構造を転換する必要がある。軍自体を変革していくことと同時に、世界的な軍の配置の仕方、基地の在り方もリンクして変えていく。

それと同時に、アメリカの一極支配と言いますけれども、アメリカ単独でそういう脅威に対して立ち向かうのは限界があります。使える同盟は使いますが、これまでのように仮想敵に対する同盟関係を結んで戦うのではなくて、連合による戦争、コアリションと言っておりますが、やる意志がある者だけが寄り集まって、この指止まれで戦争をしていく。コアリションを形成する元同盟国・友好国の軍の在り方も、アメリカの変革した軍と一緒に戦うわけですから、共同作戦をし得るような形にリンクして変革させなければならない。

このように米軍再編と言われていることがらは、9.11テロの前に全部、布石が打たれておりました。3つの様相ですね。基地を再配置する、いわゆる基地問題。米軍自身の変革、トランスフォーメーション。そして同盟を変える、アライアンス・トランスフォーメーション。この3つの様相を持ったものがワンセットとして動き出したのは、9.11テロ以前です。ブッシュ政権は早くからそういうものを目指していた。

で、このテロの結果、そういうふうに非対称的な敵、トランスナショナルなスレットによる事件が目の前に起こってきたわけですので、方針は正しかったということでそれを推進すると、いうふうに事態は動いてくるわけです。アメリカはアフガニスタンに対して戦争し、イラクに対して戦争をする。アフガニスタンの場合はNATO、日米、ANZASの同盟を使って一緒に戦争をしました。イラクになるとNATOが割れますが、やれる者が一緒にやる、そういう意味でのコアリションでの戦争の形態がはっきりしてきます。

2007/06/01

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告3

裁判官「忌避」申し立て そして棄却

イラク派兵差止裁判をすすめる会・関西

5月16日に「自衛隊イラク派兵差止訴訟・関西」の第3回控訴審が開かれました。裁判官らは原告が請求した証拠採用や文書提出命令をすべて却下してしまいました。原告・弁護団は直ちに裁判官3名にたいし「忌避」を申し立て、訴訟手続は「停止」されました。ところが同25日には、裁判所は「忌避」を却下すると決定したのです。きわめて不当な決定であり、弁護団は特別抗告などの対応を検討しています。

原告側は以下のように証拠採用の必要性などについて裁判官に訴えました。

<証拠採用の必要性>
政府は「イラク特措法」の2年延長を決めたが、航空自衛隊による空輸実態は国連支援が7%に対して米軍・多国籍軍支援は93%にのぼり、「人道復興支援目的」との説明は虚偽。実態は米軍の安全確保支援活動、平たく言えば「米軍の後方支援」であること。

各国が撤退に進む中で、日本だけが米軍支援を続ける異常事態となっていること。

自衛隊の海外活動の拡大の歴史、それは米軍の軍事行動への「従犯」から「共同正犯」への道である。すなわち、集団的自衛権の「公然たる行使」への道であり、9条改憲への道であること。

イラク戦争と占領に対する自衛隊の軍事的加担に見られるように、日本の自衛と無縁の米軍の軍事行動に付き従って、「海外で戦争する国」への道を歩んでいる歴史である。この訴訟では、これに裁判所が憲法的視点・立憲主義・司法の番人としての観点から歯止めをかけ得るか否かが問われていること。

<各自の被害と平和的生存権>
第一審判決は、「イラク人控訴人ハッサンの生命・身体にたいしての危険が客観的にも現実化しているとみる余地もある」と認めた。したがって、ハッサンに及んでいる危険と自衛隊派兵との因果関係を明らかにするためにも、証拠調べが必要であること。

平和的生存権の権利性は、この訴訟の根幹をなす争点である。「二度と戦争をしてはならない」との思いに駆られて提訴した原告らの願いは、具体的な根拠を有する人格の発露であり、法的な保護に値する権利=平和的生存権もしくは法的利益であること。

「戦争は二度と繰り返されてはならない」ということは体験・記憶である。戦争は家族や身内の命を悲惨な形で奪うものである。だからこそ「戦争放棄」を憲法が明記した。これは日本国民の切実な願いによるものであり、そこに強く込められた平和の誓いは、原告らの人格的尊厳・人格的利益の中心をなすものであること。

原告らの思いはたんなる義憤・感想ではない。原告らが訴える「平和がなくして人間は生きることができない」と言う、その思いは、個々の人格的深みにまで結びついた信念、理念、哲学的思想によって支えられている。「平和が必要であり、国家は戦争をしてはならない」。このことを、換言すれば「人間は平和のうちに生きる権利がある。」ということにほかならないこと。

原判決は、「平和的生存権」「幸福追求権」「納税者基本権」は認めず、「人格権」のみが差止めと国家賠償の根拠として適法とされた。しかし、イラク戦争への自衛隊派遣は、従来の事件にない違憲・違法の問題であり、平和的生存権も新たな視点での判断が必要であること。

■イラク派兵違憲訴訟・東京の上告審でNさんに5月29日、上告棄却が言い渡されました。

(2007年5月31日 杉山 隆保)

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