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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2007/06/23

追悼・松尾高志さん

お別れの言葉
松尾さん
こんな形でお話をしなければならなくなるなんて、私には思ってもみないことでした。 私はいま、当惑しています。2人でこなすことにしてはいましたが、実はあなたに任せておけば大丈夫、と思っていた、23日の大学の公開講座「平和を語る」を、私一人でおなさなければならなくなったからです。
そして、それ以上に、私にとって、かけがえのない知識と感覚を持ち、私のことをも分かってもらえる仲間を失って、こころの中の大きなつっかい棒のようなものを失った感じが続いているからです。

私が松尾さんに初めて会ったのは、共同通信社に入って間もない1969年の夏、新人時代を過ごした大阪から東京・社会部に戻り、仕事を始めて、そんなに時間が経たないころだったと思います。三上正良さんが事務局長をしていた当時の日本ジャーナリスト会議(JCJ)で、ジャーナリズムの仲間としてお会いしました。多分、辻井順二さんにお会いしたのが最初だったと思いますが、やがて山田昭さんにお会いし、そのころ松尾さんにお会いしたのだろうと思います。当時はベトナム戦争のさなか、ベトナム反戦の運動も広がり、一方で60年に結ばれた新安保条約が70年6月に期限を迎える、とあって、日本の運動もそれなりの盛り上がりを見せていました。
山田さんはこの時期、新日本出版社から「現代史の記録」というシリーズを出して居られ、一方でニュースレターを始めていましたが、そのニュースレターへの協力を求められたことも、あったのでしょう。私は、いわゆる商業ジャーナリズムの記者として、山田さんたちが提起する視点は、非常に新鮮で勉強になりました。

松尾さんはそのころは、あまりJCJの場には出てこられなかったと思います。しかし、松尾さんとのお付き合いが改めて深くなったのは、70年代の中頃、私が平和問題を遊軍で担当し、原水禁の統一問題や平和委員会の活動も取材対象としたころだったのではないか、と思います。
松尾さんが奥様と結婚されたのは、82年だったと伺いました。葉山のレストランで開かれたパーティに出席したことを覚えています。
1980年代に入ってからでしょうか、林茂夫さんに誘われた、弁護士の池田真規先生の勉強会でも一緒でした。林さんと一緒に、米軍の横須賀基地開放を見に行って、帰りに松尾さんのお宅に寄って、皆さんと楽しくお話ししました。なぜか長尾正良先生にお会いしたと思います。そんなこともありました。勉強会は形を変えて、いまも続いています。その勉強会の場で、私は足立昌勝先生にお会いし、関東学院大学に紹介されました。松尾さんも非常勤講師として講座を持つようになりました。
関東学院大学で、非常勤講師として「国際紛争の防止」と題する講義を始めた松尾さんは、毎週、早く出てきて図書館で勉強していることも、多くの学生が知っています。また、法学会のプロジェクトで、足立先生や宮本先生と私もご一緒したのですが、東チモールやカンボジアを訪問し、それぞれの国の平和構築の努力について観察し、討論し報告しました。専門的な立場からの指摘は、私たちみんなに大変有益でした。

松尾さんを尊敬してやまないのは、ジャーナリストとして、きちんとした現場取材と、地道にデータを集め、積み重ね行く中で、実態を分析し、それを理論化していくという姿勢です。日米安保についても、自衛隊についても、決して上滑りしないで、この姿勢を貫いてきたと思います。
そして彼の姿勢は、実際に事実を知らせ、論じていくというジャーナリストの立場だけでなく、平和委員会を中心にした平和運動の中でも貫いていたと思います。
多くの皆様がご存知のように、「平和」の問題は、ともすれば政治的な側面が先に出て、そこに引きずられて、運動が分裂したり、行き詰まってしまったりすることの多いテーマだと思います。しかし、彼の姿勢は、政党であれ、宗教であれ、専門家であれ、現場の感覚であれ、決して短絡してしまうことはありませんでした。自分の目で見て、自分の頭で考えるという、主体的な姿勢を失わず、運動の大きな目標のために、議論し主張していたことを、お聞きしています。
今回、自衛隊の情報保全隊の活動が問題になっていますが、私が書いたコラムに関連して、専門的な立場から、この問題をどう見るか、ということについてアドバイスしてくれました。
つまり、彼が指摘していたのは、「あれは監視ではなく調査であり、その時期が、自衛隊が海外に出るにあたっての国内対策としての調査だったことを重視しなければならない」といったことでしたし、警務隊と情報保全隊の違いとか、シビリアンコントロールというものの考え方とか、専門的な立場でのいくつかのポイントです。いま、抗議運動が広がり始めている中で、非常に重要で、しかも彼らしい指摘だと思いました。
 
私たちは本当に残念なことですが、松尾さんを失いました。それは、私にとって、安保や軍事の問題で判断に迷うとき「この問題はこういうことでいいのかなあ」と気軽に聞くことのできる仲間を失ったことですし、彼が活動していた多くの組織や仲間にとっても、同じように、仲間を失い、働き手を失ったことだと思います。
どうか、運動を一緒に進めていた皆さんには、松尾さんが終生願った、平和な世界、平和な社会をつくるために、彼のことばを忘れずに、大きな立場で、運動を広げていけるようにがんばってほしいと思います。
長々とお話ししてしまいました。
奥さんとお話ししたとき、本人が一番驚いていると思います、といわれましたが、まだいっぱいし残したことがあるし、彼にとっては、何よりも奥さんのことが気懸かりだったのではないかと思います。私たち友人は、その遺志を継いで、奥さんを応援していかなければ、と思っています。
松尾さん、どうか安らかにお眠りください。そして私たちをどこかでずっと見守ってくださって、声を掛けてください。ありがとうございました。

2007年6月18日     丸山 重威

(関東学院大学教授、元共同通信記者)

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