読む・読もう・読めば14 カツオの海
生鮮食品を冷蔵あるいは冷凍のまま全国に流通させるシステムができたので(身近なのはクール宅配便)、海のない町でも鮮魚が手頃な値段で手に入る。都心のデパ地下でも、下ろしがいのある尺余の魚が並んでいるのがうれしい。日が経つと独特の臭気がするため敬遠されていたカツオも、いまやどこのスーパーにも新鮮なまま並ぶようになった。
しかし昨年あたりから、美しい青紫の金属光沢のあるカツオ(鱗が少ないから銀鱗とは言えないが)が減って、新鮮なのに表皮の美しくないカツオが増えた。伝統的な一本釣りによるのでなく、巻き網で群れを一網打尽にするから、表皮の一部がこすれて剥げてしまうし、ストレスで食味も落ちる。かつては加工用に回されていたこのようなカツオが堂々と生食用に並ぶようになったのは、イワシやサバと同様に漁獲量が減ってきたのだろうか。
カツオの専門家といえば愛媛大学の若林良和教授。専門書『水産社会論』(御茶の水書房、2000)はひとまず置いて、『カツオの産業と文化』(成山堂書店、2004)を読む。なんと漁業とはめまぐるしい環境変化に翻弄される経営不安定なものか、というのが第一印象。一本釣りによる漁獲量のグラフ、巻き網漁漁獲量のグラフを見ても、先行きはまるで分からない。モルディブの鰹節製造のことが書いてあるので、以前にアジア太平洋資料センターの雑誌『オルタ』に連載されていた、カツカツ研(カツオ・かつお節研究会)のレポートを思い出す。
これは『カツオとかつお節の同時代史』(コモンズ、2004)として刊行されていた。読んでみると、かつて沖縄の漁民たちが出稼ぎをしていた「南洋」、そこが戦場になり、戦後ふたたび日本企業の進出があり、現地資本の興隆がありと、これもめまぐるしい。削り節パックの中身の原産地もどんどん変わる。なるほど。それなりの資本力が必要なカツオ漁でさえこうなのだから、家族経営の沿岸漁業のさびれようも理解できる。ひとりの消費者として、海に生きる人々に幸多かれと思う。 (大内要三 2007年8月27日)

