読む・読もう・読めば 27
暗い時代に
「一つの國で、紙の質が段々すつきりしなくなつて來て紙質も低下して來たやうな時期に、どんな内容の本を出して來てゐるかといふことが、殆ど例外なくその國の進展の十年二十年さきを豫言してゐるやうに思はれるのが、世界の歴史の實情である。紙のわるいときにも本當にいゝ本が出されつゞけたか。それとも、紙のわるさにふさはしい屑が出たかといふことは、粗笨な主観に立つて氣に入らない本は出ないやうにする快味以上に、未來に向つて深刻な意義をもつてゐるのである。」
旧字旧仮名でなければ最近の文章とも思えるが、これは1940年の宮本百合子の文章であって、1941年に高山書院から刊行された『文学の進路』に収録された短文、「今日の文学」の末尾の部分だ。奥付をみると「定價 壹圓六十錢 外地 壹圓七十六錢」とあり、ちゃんと著者検印がある。朝鮮・台湾でも1割増しの定価で買えたのだ。表紙はダイコン畑のペン画だが、「matu」とサインがあるのは、松山文雄だろうか。軍による出版統制が深まろうとする時代に、彼女はこのような文章で抵抗していた。読む人が読めば軍政批判であることは明白なのに。勇気あることだ。
当時、高山書院がこのような本を刊行することができたのは、それなりに売れ筋の著者を多数抱えていたからだ。巻末広告を見ると、徳田秋聲、石坂洋次郎、丹羽文雄、尾崎一雄、田村泰次郎、田中英光、窪川稲子、といった名前が並んでいる。アタリマエのことだが、戦中と戦後はつながっているのだ。
出版人のありかた、物書きのありかたを、たとえばこのような文章から考える。「紙のわるさにふさはしい屑」を生産してはいないかと。宮本百合子は、「あと5年我慢すれば」という具体的な展望があって書いたわけではあるまい。このような文章が活字になって残っていて、21世紀の出版人・物書きの襟を正させることについて考える。
(大内要三 2008年3月14日)
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