読む・読もう・読めば 29
最初の従軍記者
現在まで続く日本で最古の日刊商業新聞は『東京日日新聞』(『毎日新聞』の前身)。1872年2月21日の創刊だ。同じ年、学制が発布され、新橋・横浜間を鉄道が走り、福沢諭吉が『学問のすゝめ』第1編を刊行する。つまり日本は文明開化に邁進していた。近代日本の最初の対外戦争はその2年後、1874年の台湾出兵である。そして日本で最初の従軍記者は東京日日の編集責任者、岸田銀次(号は吟行、画家・岸田劉生の父)だった。岸田の書く「台湾信報」が唯一の戦争報道であったために、東京日日は急激に読者を増やした。
東京日日は明治政府から有形無形の援助を受けてはいたが、従軍記者派遣の願いは、なかなか許可されない。軍の行動は隠密が常識だから、電信網さえ未整備で飛脚と船便で記事を送るような時代であっても、新聞に書かれてはまずい、という判断だった。岸田は「台湾蕃地事務都督」つまり総指揮官の西郷従道(西郷隆盛の弟)に直接談じ込み、軍の御用商人、大倉組の手代(社員)として事実上の従軍記者となることに成功した。
台湾出兵は、台湾「蕃族」による漂着した「琉球」島民54人の殺害事件を端緒としている。明治政府の抗議に清国が「化外の民」の仕業として応えなかったため、事件から2年後に出兵を決めた。清との間で帰属の明確でない沖縄の領有を宣言するとともに、征韓論に敗れた西郷隆盛が下野した後、国民の目をそらす目的もあっただろう。台湾出兵はのちの日清戦争、その結果としての台湾領有につながり、つまりは1945年まで延々と続く対外侵略戦争の第1歩となった。
岸田吟行が書いた記事は、「蕃賊」「土人」「酋長」といった用語を別とすれば、センセーショナルに国益を煽ることなく、淡々と見聞きした事実をつづる。日本軍兵士が、農民の逃げ去った後に残された農作物や家畜を食糧にしてしまうことも、民家を焼き払うことも。価値判断は読者に任せるということか。しかし野蛮なアジアを脱して欧米に続け、というイメージは、すでにここに胚胎する。戦争報道をめぐる問題の多くは、このように最初から現れていたと思われる。 (大内要三 2008年4月14日)
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