読む・読もう・読めば 35
黒田三郎のリルケ
日記によれば詩人・黒田三郎は1942年10月6日にリルケの『マルテの手記』を読了する(『黒田三郎日記』戦中篇Ⅳ)。友人の大井康暢が聞いた話によれば、黒田はその『マルテの手記』をジャワへ行く船の舷側から海中に投げ捨てたという。黒田が戦時中の繰上で東京帝国大学経済学部を卒業したのが42年9月、同時に南洋興発に入社。箱根丸で任地のジャワに向かったのは43年1月。黒田は一度はリルケを読み返すつもりで嚢中に入れ、途中で気が変わったことになる。
大井は上記黒田日記の付録で、次のように書く。「当時、戦局は日本に有利だったとは言え、この天性の詩人が、一時は詩を棄てて、占領地で軍国主義のお手伝いをしようと決心したこともあったのだ。大袈裟かも知れないが、黒田三郎も人並みにお国のために見栄をきったのである。」そうだろうか。黒田が船中でリルケを捨てたとしても、詩を捨てたことにはならないだろう。後に戦火で焼失したが詩集3冊分の原稿は残してきたし、ジャワでも詩作はしているのだ。本人が書いている。「戦時中の詩はない。南方から戦後一年目に帰ってくるときに、書いたものいっさい焼いてしまったからである。」気になるのは、焼いた原稿がどのようなものだったかということだが、時局迎合的な作品を書いたとは思えない。黒田は黄麻農園の管理、休廃止製糖所の管理に従事したのち、現地召集で二等兵になる。
戦後の黒田は日本放送協会で働きつつ『荒地』創刊メンバーとして12冊の詩集を発表した。小市民であることに居直ったような、分かりやすい、彼の作品は没後28年たったいまも愛読される。「荒地」グループの基調には戦争で生き残った者の後ろめたさがあるが、黒田の戦争体験はもう少し知りたいところではある。
黒田は42年9月23日の日記に、リルケの次の箇所を引いている。「僕はあらゆる人生の中にいる、そしてあらゆる文学のなかにいるこの第三者、しかしほんとうは決して存在したことのない第三者の『幻影』が無意味なものであるのを知ることが出来なかった。」コメントはしていない。 (大内要三 2008年7月15日)
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