読む・読もう・読めば 36
ゲバラの出発
ゲバラの2度目の妻、アレイダ・マルチが前夫について書いた『わが夫、チェ・ゲバラ 愛と革命の追憶』がまず昨年イタリアで、次いで今年は日本、キューバでも刊行され、評判になっている。驚くほど率直にゲバラとの出会い、ともに過ごした革命の日々、そして別れを書いているが、ソ連が崩壊した今でもまだ書けないこともあるのだな、と残念にも思う。
ゲバラがすべての地位とキューバ国籍を放棄してコンゴに転戦するに至った事情については、1965年2月のアルジェでの演説が引かれている。「われわれ代表に、アジア・アフリカ人民の集まりにおいて意見を述べることが許されたことは、決して偶然ではありません。共通の願望、すなわち帝国主義の打倒こそが、未来への前進においてわれわれを結びつけるのです。同一の敵との闘いという共通の過去がわれわれを結びつけてきたのです。」アレイダ・マルチがたんに「アルジェでの演説」と書いているのは、アジア・アフリカ人民連帯機構会議第2回経済セミナーでのオブザーバーとしての演説であり、引用部分は冒頭の「ごあいさつ」にすぎない。だからゲバラはコンゴに行き、次いでボリビアに行き、戦士として闘ったのだとしてこの部分を挙げるのは、適切とは思われない。
むしろ同演説中でソ連批判を行ったことが帰国後にキューバの党内で問題になり、ゲバラがカストロに4月には「別れの手紙」を書いて出国する原因になったというのが、現代史研究者の常識だ。ゲバラのアルジェ演説の1週間前にはブレジネフ新政権がキューバとの間に経済協力3カ年協定を結んでいるから、タイミングがいかにもまずかったと。しかし「ソ連批判」と言っても、決して剥き出しの形ではない。『ゲバラ選集』第4巻収録の訳文によれば、彼はまず「解放への道を歩みはじめた国の発展は、社会主義国によって負担されねばならない」と述べ、次いで社会主義国が「国際市場価格」で後進国と貿易を行うことについて、「こうした関係ができあがるなら、社会主義国といえども、見方によっては、帝国主義的搾取の共犯者とされても仕方ないだろう」と述べた。そしてその後ではソ連も中国もキューバの砂糖を「国際自由市場における標準よりも高い価格で」買ってくれている、とフォローもしている。
それでもゲバラは出国しなければならなかった。ハバナの革命博物館でも、サンタ・クララのゲバラ廟でもフォトコピーを見た「別れの手紙」は悲しい。
(2008年7月28日)
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