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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008/09/25

2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える  西野喜一」②  

2

○国民の8割が反対している

 まず総論ですが、これからその問題点を6点挙げてみます。事柄の性質上、楽しい話にはなりませんし、血湧き肉躍るという話にもなりません。地味な話になりますが、大事なことですので、そこは我慢して聞いて下さい。

 最初の大きな問題点は、この制度にはなんら必然性、必要性がないということです。国民が刑事裁判を是非これでやりたいと言ったことはないし、そういう声が盛り上がったこともないわけですね。それどころか逆に、周知が進めば進むほど反対意見が増えております。最初内容がよく分からなかった頃には、はっきり反対と言う人は少なかったけれども、だんだんその詳細が分かってくるにつれて、今ははっきり反対という人という人が増えてきて、今ではこんな制度はいらないという人が、世論調査によれば国民の8割を超えております。

世論調査も曲者でして、政府系の機関がやる世論調査では、こんな制度はいらないという結果が出ては困る。だから、いらないと思うかという選択肢は最初からないわけですね。裁判員制度はこれこれこういう制度ですが、あなたはどこまで協力できますか、というような問題が作ってある。あれはもう世論調査という名前の政府の広報です。政府の息のかかっていない世論調査ですと、率直な調査ができるので、いま反対は国民の8割を超えていることがわかります。

 そもそも立法や行政は多数決でよろしいと思いますし、多数を反映するのが立法や行政だろうと思いますが、司法がそれでいいのかというのが問題ですね。少数者を保護するところが司法の機能ですから、みんながそう言うからそれでよい、というわけにはいかない。ましてこの制度には圧倒的多数の国民が反対しているのです。

 制度を作ってしまった以上、なぜやるのかという理屈を立てなければなりません。やる方はどういう理屈を立てようとしているのか。審議会の途中では、推進派は、冤罪を防止するため、誤判を防止するために国民参加が必要なのだと唱えました。しかし審議会の最終答申では、まったくそれに触れておりません。審議会は政府の機関ですから、答申に、これまで誤判があった、冤罪があったと書くはずがないわけですね。そこで「司法の国民的基盤を強化するため」にこういう制度が必要なのだと書いてあります。しかし審議会で、司法の国民的基盤とはいったい何か、ということを議論したことはありません。司法の国民的基盤は今はどの程度のものなのかという議論をしたこともありません。これはもう明らかにとってつけたような理屈です。

 訳の分からない理屈では具合が悪いので、裁判員法の1条では、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上」のためにこういう制度を作ったと書いてあります。しかし司法に対する国民の理解を増進する、信頼を向上させるというためには、穏当で着実なやりかたがいろいろあるでしょう。被告人の運命を教材としてそれをやろうというのは何とも乱暴です。

 推進派の論者は、「裁判に健全な社会常識を反映させるため」にこういう制度が必要なのだと言います。しかしこれもずいぶんおかしな議論でして、それでは裁判官には健全な社会常識はないのか、いっぽう義務教育の終了だけを条件としてクジで選んだ人間に「健全な社会常識」があるのか、となると、まったく疑問と言わざるを得ないでしょう。率直に言ってしまえば、被告人にとって運が良ければ健全な社会常識を持った裁判員に当たる、というだけのことだろうと思います。

また、裁判員制度の対象となっているのは重大な刑事事件だけですから、重大な刑事事件以外の刑事事件や一般の民事事件では「健全な社会常識」は反映しなくてよいのか。あるいは、裁判員制度でやるのは一審だけ、地裁だけで、高裁に行ったら今度は裁判官だけの判断になりますから、そこには「健全な社会常識」が働かなくともよいのか。そう聞かれたら、おそらく答えられないでしょう。これもまた、とってつけた議論にすぎません。

 それからこの制度では、被告人は裁判員審理を辞退することはできません。そういう危なっかしい裁判では自分は心配だから、従来通り裁判官の審理で願いたい、と言ってもダメなんですね。なぜ辞退が認められないのか。それは国会でもある議員が質問していました。それに対する政府の参考人の答弁は、「辞退を認めると、この制度が利用されなくなる」というものでした。つまりこれを作った政府側といえども、この制度を選択制にすればもたない、誰も選択しない、ということがよく分かっているわけです。

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