2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える 西野喜一」④
○3日間で真実が分かるのか
3番目の問題点は、裁判員制度のもとでは審理も判決も非常に粗雑になって、真実の探究がおぼつかなくなるのではないかということです。
これまでの裁判では実体的真実主義のもとに行われてきました。実体的真実主義というのは、裁判の外に真実がある、それはいったいどんなものであるかを追求するのが裁判であるという考え方です。国によっては、そんなものはない、裁判所の言うところが真実だという考え方もあるわけですね。そういう国では裁判所が決めたことがすべて正しいわけですから、この判決は誤判だ、間違いだということはない。しかし、わが国ではそうはいきません。わが国では裁判に真実の発見を期待するのが国民性だろうと思います。本当はどうだったのか、それが知りたいから裁判の傍聴に行く。また、重要事件の判決の後には、真実が明らかになったかどうかということが必ず注目されます。
ところが問題は、裁判員制度のもとでこれが果たしてどうなるかということです。今のところ最高裁が出している資料によりますと、公判は3日程度になるようです。1日目の午前中に裁判員の選任をやる。午後から公判に入る。2日目はまる1日審理に充てる。3日目の午前中は審理をし、午後は評決をして結論を出す。そういうものを予定しているようです。問題は、裁判員制度の対象となる「重大事件」が、3回程度の公判で正しい審理ができるのか、真実が追究できるのかということです。
今までの統計を見ますと、自白事件、被告人が確かに私がやりましたと言っている事件でも、公判は平均4回かかっております。刑事の公判の1回はまる1日です。午前10時から始めて、午前中に証拠調べをやり、昼休みはとりますが、1時からまた証拠調べを再開して、3時ごろには休憩をとるけれども、4時過ぎまでずっと証人尋問をやるのが普通ですね。現在では、確かに私がやりましたという事件でさえ、平均で4回はかかる。まして被告人が、私は知らないと言っている事件なら平均して10回位はかかっております。人を場合によっては、死刑台に送るか、長期間刑務所に送るか、という重大な判断なのですから、時間がかかっても慎重に審理をすべきことは当然でしょう。
数年前、仙台で看護師による「筋弛緩剤殺人事件」と呼ばれるものがありました。これは1審では有罪でしたが、公判は126回やったそうです。裁判所はそれだけの審理が必要だと思ったからそうしたのでしょう。今年判決があった秋田県藤里町の児童連続殺傷事件では、公判前整理手続を延々と実に1年2ヶ月もやりました。争点を絞り込んで、どんな証拠をどんな順番で調べるか、ということをさんざん話し合って効率化を図ったはずですが、それでも公判は13回かかりました。13回ということは、連日やっても2週間では終わりません。公判はウイークデーだけですからね。しかも事前に1年2ヶ月も延々と公判前整理をやっている間、被告人は法廷に出て取りあえず自分の訴えをするということもできず、拘留されっぱなしです。
わが国ではどうしてこんなに公判に時間がかかるのか。ひとつは法定刑の幅がたいへん広いためです。わが国の刑法で殺人を例に取りますと、上はもちろん死刑です。しかし下は懲役2年半で執行猶予が可能です。被告人にとって死刑と執行猶予では天地の差がありまから、量刑、つまりどれくらいの刑が適切かということを決めることがたいへん重要なんですね。被告人が確かに私がやりましたと言っている場合でも、その人はどういう人生をたどってきて、どうしてこういう犯罪をやったのか、犯行に及んだ時の状況はどうであったのか、ということを非常に詳細に調べてきました。その結果として、殺人の場合でも執行猶予が付いた例があります。
たとえば老老介護で疲れ切って、心中するつもりで配偶者を殺し、自分も死のうとしたけれども死にきれなかった、という例がときどき新聞に出たりしますが、これも相手を殺しているわけですから殺人ですね。しかしそういう例ですと執行猶予もあり得ます。あるいは昭和40年代に娘が実の父親を殺して執行猶予になった例がありますが、これは被害者になった父親というのがとんでもない奴でして、娘を中学時代から強姦し続けて5人も子どもを産ませたというものです。
ことほど左様に量刑が重要なのです。だからこそ当然、公判での審理に時間がかかります。故意の殺人に対しては死刑しかない、という国もあります。そういうところでは何も詳しい背後事情を調べる必要はありません。裁判は、やったかどうかの問題だけです。わが国ではそうではない。きめ細かく調べて、きめ細かい対応をすることが求められてきました。
しかし裁判員制度で、国民から抽選で呼び出して裁判に参加させるということになったときに、国民からは、そんなことはやりたくない、忙しいのにそんなことはやっていられない、裁判官に任せておきたいという声が多数出ることは明らかですから、このことを予期して、最高裁判所は、重大事件の刑事裁判といってもたいしたことはないのだ、せいぜい数日のことなのだ、と言い続けてきました。その結果、たいていの事件では、3日ほどで裁判を終えなければならなくなったわけです。
その際もうひとつの路線としては、国民の皆様にはたいへん迷惑をかけるけれども、 これは国民の義務である、いざとなったら鉄砲をかついで戦場にいってもらうかもしれないけれども、それと同様のつもりで裁判に協力してもらいたい、10日かかるか20日かかるか1月かかるか分からないけれども、それも国民の義務である。そういう行きかたを採る可能性もあったでしょう。現に陪審制、参審制をとっている諸国はこういう路線をとっております。しかしこれはいまのわが国ではとうてい無理な考え方でしょう。
あらかじめ3日で終えますよと決めておいて審理をする、そんな乱暴な刑事裁判は他の国に例がないと思います。陪審制のアメリカですと、重大事件は始まる段階では何日かかるか分かりません。当事者が調べてくれという証人は皆調べるからです。現に1月かかった例もあります。毎日開廷です。9ヶ月もかかった特別な例もあります。陪審員は皆疲れ果て、頭がおかしくなりかけた人が何人も出たと聞きました。しかしアメリカでは陪審は市民の義務であるという考えがたいへん強いので、それでやって行けるのです。
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