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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008/09/29

2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える  西野喜一」⑥

○クジで選んだ国民に任せて大丈夫か

裁判員は義務教育修了だけを条件として、国民の中からクジで選ぶわけですが、きちんとした判断ができる人がどれぐらいいるのか、というのが大きな問題だと思います。確かに国民のうちには数パーセント位は、並みの裁判官以上に立派な洞察力、判断力を持った方がいるかもしれません。しかしその次の2割、3割は、並みの裁判官とそう変わらないだろうと思います。その次の3割、4割は、あんな人にやらせるよりは裁判官に任せたほうがまだしもマシであるという人だと思います。そして最後の1割ほどにどういう人がいるのか。明らかにこんな人にはとてもやらせられないという人が必ず混じってきます。明日は秋葉原に行って人を殺してくれようと思ったけれども、たまたま裁判所から呼出状が来たから裁判員をしようか、なんていう人までいるかもしれません。クジで選ぶということは、そういう人が混じっても構わないということです。

陪審が徹底しているアメリカの例を見ますと、誤判や冤罪が無茶苦茶に多いんですね。昨年の8月下旬と記憶しますが、NHKの「クローズアップ現代」という番組でアメリカの誤判の多さを取り上げておりました。それによりますと、死刑を宣告されたけれども無実と分かった者が124名発見されたということです。アメリカですと被告人は陪審を辞退することができますから、124件全部が陪審ではないでしょうけれども、半分としても大変な数字です。日本の4件の比ではありません。  

また、これは有名な調査ですが、アメリカで1980年代にある学者が犯罪類型をある程度絞ったうえで、死刑を宣告された者のうち本当は無実だという者がどれぐらいいるかを調べたら、何と300人以上も発見された、そのうち20名余はすでに死刑執行済みであった、という調査結果があります。陪審は有罪か無罪かという結論だけを聞く制度なので、たいへん誤判が多いわけですね。そういう無作為抽出の国民を裁判員にして大丈夫なのだろうか、ということを、私などはたいへん不安に思いますし、少なくない国民もそう思うだろうと思います。

昨年の7月か8月でしたが、北陸の福井市でマスコミに関する全国的な会議があったときに、最高裁が係官を派遣して、裁判員制度が始まったらその事件の被告人の前科・前歴やら自白しているかどうかなどということを報道してくれるな、と言ったということがニュースに出ていました。このことは、最高裁は、くじで選んだ国民は、法廷に現れた証拠だけで冷静な事実判断ができるとは思っていないことを示しています。新聞やテレビで、この被告人はすでに自白しているとか、前科があると報道されると、それに当然影響されるであろうと考えているわけですね。だからこそマスコミに圧力をかけようとしているわけです。このように、最高裁は国民を信用していない、ということは頭にとどめておくべきでしょう。

また、裁判官とそのようにくじで集めた国民との間で評議がどれぐらい成り立つのかという点も、私は不安に思っております。現在の制度ですと裁判官3人はいつも同じ裁判官室におりますので、ちょっとでも疑問があればそのつど問題にして、いつでも評議をすることができます。いったん評議ができて判決を書き出していても、どうしてもうまく筆が進まない、頭の中では判決理由が完成していても、具体的に文章にしてみますとどうもうまく進まないのでまた評議、ということもあるわけですね。これは誤判防止に大変大きな役割を果たしています。

しかし、裁判員制ではそうはいかないでしょう。どこまで深い議論ができるかが問題ですし、いったん評議成立で解散してしまえば、問題があることが分かってももういっぺん集まることは、まあ無理でしょう。したがってこれからは、評議といっても簡単なものでよろしいと裁判所関係者がはっきりと認めております。判決も、今までは重大事件で、とくに争われている場合には、こういう証拠があるけれども、こういう理由でこの証拠は信用できないなどと、延々と解説、判断したわけですが、これからはそんなことは書けない、そもそもそこまでの評議はできない。これからはもう骨だけの判決になるがそれでよいと、すでに裁判所関係者が証言しております。重大でない事件はそうはいかないかもしれませんから、重大事件のほうが審理も評議も判決も粗雑になる可能性が大きい。これが来年からの現実であると思います。

また裁判員制ですと、検察の業務にも影響するだろうと思います。重大事件での司法取引も十分考えられます。つまり、検察官と弁護人が取引をするわけですね。たとえば弁護人は被告人をなるべく軽い刑にしてやろうと思って、殺人未遂で起訴されたら殺す気はなかったと徹底的に争うけれども、傷害で起訴するなら最初から認めるがどうか、と検察官にもちかけるわけです。検察官のほうも、傷害で起訴しておけば、裁判員の審理にはなりませんから、審理は簡単に済む、そこで、もう傷害で起訴しておこうということになる。こういうことは、陪審制のアメリカではすでに行われています。これからはわが国でもそうなるかもしれません。真実はどうであったのかということよりも、面倒さを避けたいというのは生身の人間であれば当然のことですから、今後はそうなる恐れがあると思います。いま挙げた殺人未遂と傷害の例は、フランスではすでに行われていることです。フランスでは一定以上の重大事件だけを参審制にしているからです。つまり殺人未遂なら参審制になりますが、傷害ならばそうならないわけでして、日本の裁判員制度と同じですね。

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