2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える 西野喜一」⑦
○ 引き受けてくれる弁護士がいるのか
また、果たして弁護士がこの制度に対応できるのかという問題があります。今の刑事裁判は、かなりの大事件でも公判はせいぜい月2回です。弁護士さんは民事事件で収入を得ているわけで、刑事事件は、特別のスポンサーがついているような例外的なものを除いて、まず金にはならない。金に困ってコンビニを襲うような人を弁護しても収入にはならないわけです。民事事件で収入を得ながら、月2回程度の公判なら刑事事件にも対応できるというのが現実です。しかしこれからは、月2回の公判では、裁判員に、この前の公判ではこんなことをやりましたね、などといってもすぐに忘れますから、連日やることになります。月から金まで毎日やる。そうすると弁護人には、それに対応するだけの力がいります。東京では弁護士数100人を超える大事務所がありますね。いちばん多いところでは今385人いるそうですが、そういう事務所はビジネス関係の事件しか扱いません。刑事事件などはやらない。また地方ですと個人事務所が多いのですが、そういうところは民事で収入を得て、その合間に刑事もやっているというのが現実です。準備を含めて1月も2月もその事件だけに専念しなければならないような事件に対応できるのかどうか、私は疑問に思いますし、弁護士さんも無理だと言うのではないでしょうか。
4番目の問題は、裁判員制度では費用がかかりすぎることです。この国家財政の窮迫のおりに、法廷の増築・改修やら裁判員の旅費・日当やらでものすごい費用がかかることをやろうとしているわけです。
5番目の問題は、この制度では国民に多大な迷惑、負担がかかることです。憲法改正も国民投票もなしに、新しい国民の義務を作りだそうというわけです。
今は全労働者のうち実に3分の1以上が非正規労働者、パートとか派遣とかだといわれます。審議会ではそういう非正規労働者に対する目配りはまったくありませんでした。審議会でも1人だけ労働者の代表というべき人がおりました。しかし審議会でその全国的な労働団体の役員は何をしておったのか。陪審制の議論をしていたころには、熱心に陪審制を推奨する議論をしておりました。陪審制の話が参審制である裁判員制に切り替わったときには、裁判員制は一見憲法違反に見えるかもしれないが、決して憲法違反ではないという議論を熱心に展開している始末でした。
多少に嫌みになるかも知れませんが、いまやわが国の労働組合の組織率は2割ないわけですね。労働者のうちで労働組合に加入している者はわずか18パーセントぐらいです。全国的な労働団体のトップレベルの人が、労働者の利益をいかに守るかということよりも、刑事司法を己がやりたいようにするためにはどうしたらいいか、ということに熱中していた。これでは労働者に見放されても当然ではないか、というのが私の意見です。
6番目の問題点として、裁判員制度は国家主義的な、あるいは全体主義的な思想を醸成するということが挙げられます。この制度は、国民は司法に協力せよ、どんな事情があろうとも司法に協力することを優先せよ、というわけですから、個人の事情よりも国家の利益を優先するという思想の上に成り立っています。陪審制・参審制をやっている国はすでにそうです。アメリカなどは典型的にそうだと思います。国民は国家に協力すべきだという考えがたいへん強い。国家が求めるのであれば鉄砲をかついで戦場に行くのと同様に、陪審員の呼出状が来ればそれに答えるのは当然であるという観念が強いわけです。また参審制を採っているドイツ、フランスでは、現在でも徴兵制を持っております。そういう思想のうえにできた制度が、わが国にも適用されようとしている。
すでに報道規制が現実化していることは先ほど申しました。都合が悪いことは書いてくれるなと最高裁から申し入れがあったわけですね。のみならず、裁判員制度の広報が新聞に載りますと、当然国民もこれは政府の公報だという目で見ますから、多少割り引きして見る。そこで、記事の中で広報してくれという申し入れまであるのだそうです。したがって国民としては、見かけは記事であっても中身は広報ではないのかと注意しなければなりません。現在表れているところでは、マスコミはすでに御用報道一色であると言っていいだろうと思います。大新聞が大々的に裁判員制度批判の論陣をはることはあり得ないわけですね。アリバイ証明のような形で小さな反対論を載せることはありますが、ある程度以上大きな記事だと、必ず制度讃美の内容です。





