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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008/10/01

2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える  西野喜一」⑧

○人生が狂ってしまったら

   

今度は各論として裁判員制度の問題点で、具体的な国民への迷惑についてお話しします。

まず、なんと言っても公判の時間的、あるいは身体的な、そして心理的な負担が大変だと思います。いま予定されている方式によると、対象となる事件が起きて検察が起訴した場合、かねて選んである候補者の中から抽選で呼び出すべき人に呼出状を出すわけですが、だいたい6週間ぐらい先、何月何日から3日間ほどを空けておいて裁判所に出頭せよ、と書いてある。そして、その最初の日の午前中に実際の裁判員を決めるのだそうです。

まっとうに働いている人にとって、ウイークデーを3日間ほども空けるというのは大変な負担です。労働条件がたいへん厳しくなっている時代ですから、3日も休みを取ろうとすればクビになるかもしれない。あるいは自営業者なら、3日も商売を休んだらつぶれるかもしれない。最高裁は、勤めている人は上司に裁判員として呼び出されたと言って休みを取ればいいといいます。しかしながら、それを周囲に公然と言ってはいけない。そうすると周りから見ますと、ある人が突然消えて、なぜいなくなったのか分からない、ということになります。学校ならば、突然先生がいなくなり、しかもなぜいなくなったのか分からない。疑心暗鬼の世界ですね。自営業者なら、突然店が閉じる。当然つぶれたかと思われるでしょうね。そこで実は裁判員に選ばれたので3日ほど休みますと掲示をしたいでしょうけれども、自分が裁判員に選ばれたことを公にしてはならない、というのが最高裁の解釈です。たまったものではないですね。それでも裁判員をやってもいいと思った人は3日間ほどの時間を強引に作り出して裁判所に行く、ということになります。

午前中の選任手続でいろいろなやりとりがあって、あなたは結構ですと言われてお役ご免になることもありますが、あなたは結構だと言われなくて最後まで残るかもしれません。今のところ1件あたり60人から100人ほどを呼び出すそうですが、そのうち1件の事件で必要なのは裁判員が6人、補充がせいぜい23人、計8人か9人です。抽選に漏れれば、ご苦労さまでしたということになる。苦労して無理やり3日間空けて裁判所へ行っても、そういうことになる可能性が大いにあるわけです。

また、補充裁判員に選ばれた場合には、正規の裁判員が欠けたら繰り上がりますが、欠けなかったらそれまでです。その3日間、大事件なら1週間、ずっと法廷につきあっていて、証拠調べが終わってさあいよいよ評議だというときに、補充陪審員に用はありません。お疲れさまでした、ということになるわけですね。3日間、1週間無理をしてつきあってきたことが全部無駄になります。

 「12人の怒れる男たち」という有名な陪審のアメリカ映画がありますが、あれを見て本当の陪審のことだと思ってはいけない。あれはフィクションでして、あれを見て陪審制はすばらしいと言うのは、遠山の金さんの映画を見て、江戸時代のお白州はすばらしかったと言うようなものです。さて、あの映画の冒頭場面で審理が終わったのち、裁判長が「補充陪審員は任務解除」と言います。これに応じて2人の男が立ちあがって帰って行く。審理途中で陪審員が欠けた場合に備えて2人を予備として立ち会わせていたけれども、証拠調べが無事に終わったのでその2人はもう用がなくなった。そこで帰ってくれと言ったのです。わが国でもこれからはそうなるわけです。

 平日の貴重な3日なり1週間なりの時間をとられては、人生はどうなるか分かりません。これに対して裁判員制推進論者は、裁判員法では裁判員を勤めたからといって、不利な扱いをしてはならないという条文があるのだ、と言うかもしれません。確かにそういう条文だけはありますけれども、たとえば会社がこれを契機にある社員のクビを切ろうというときに、お前は裁判員になってしょっちゅう休むからクビだ、と言うはずがありません。必ず別の理由をつける。そしてクビになったあと、どうしたらよいのか。訴訟を起こすしかありません。訴訟を起こして、自分がクビになったのは裁判員を務めたからだ、ということが立証できれば勝てるでしょう。しかし訴訟は何年かかるか分からないし、その間の生活費をどうするのか。裁判員制度推進論者はそんなことを考えたこともないわけです。まして商売が傾いた自営業者はどういうことになるか。どうにもならないわけですね。

 裁判員として他人の刑事裁判にかわって、その結果として人生が狂っても、裁判所は何らかの補償をする意思も能力もありません。そんなことをしてくれるはずもないし、そもそもそんなことは考えたこともない。それは国民としてよくよく頭に刻んでおかなければなりません。

 心理的な負担もあります。重大刑事事件に立ち会えば神経を使う。凄惨な現場写真を見せられてトラウマを生じた人に、最高裁はカウンセリングを始めようと言っているそうですが、常識のある人なら誰でも、そうまでしてこんなことをやらねばならないのかと思うはずです。

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