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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008/10/03

2008.9.6 平権懇学習会「裁判員制度を考える  西野喜一」⑩

○正しい裁判でなくて良いのか

 推進論者の中には、諸外国では皆やっている、という人もあります。これは私に言わせれば驚くべき主体性のなさでして、外国でどのようにしていても、我々は我々のやりかたでやればいいわけですね。G8諸国のうち日本以外はみなキリスト教の国だから日本もキリスト教にしましょう、というのと同じくらいおかしなことだと思います。

 裁判員制度について、最高裁は、審議会の初期のころは、これは憲法違反の疑いがあると言っておりました。ところが裁判員法ができた後は、裁判所はこの制度をずっと支持してきた、賛成してきたと堂々と言っております。裁判所のホームページを見ていれば分かることで、私のように最初からその動きに注目してきた者にとっては、開いた口が塞がりません。なぜ最高裁は賛成に転じたのか。これで予算と人員がどんどん増えることになったからです。まるで「打ち出の小槌」ですね。裁判員制度をやるためにはもっと裁判官がいる、もっと職員がいる、もっと法廷がいる、と言えばどんどん予算が降ってくるわけです。それにこれからは誤判があっても、世の中の人は、裁判官のせいではなくて、裁判員が入ったためにそうなったのではないかと思ってくれるかもしれません。

また、民事の大事件でも、刑事だって3日でやっているんだから、民事だって3日でいいじゃないか、簡単にやればいいじゃないか、というような風潮が広がってくるかもしれない。つまり裁判は正しいものでなければならないという理想が消えてしまいますと、裁判所は実に楽なんです。苦労して真実を追求する必要はなく、軍配を上げるだけでいい。これからは本当にそうなる恐れがあります。

 なお、今までのわが国の刑事司法を、私は決してすばらしいとは思っておりません。いろいろ問題があることは確かです。しかし裁判員制度よりは、まだしも今の制度のほうがいいだろうということです。まだしも間違いが少ない。もし間違いがあったとしてもそれを発見しやすい。これはたいへん重要なことですね。判決理由が延々と書いてあれば、誤判であっても、ここはおかしいんじゃないか、ここは理屈に合わないんじゃないかと言いやすいわけです。かつての再審無罪にも、それはたいへん大きな役割を果たしました。これに対してうんと短い判決であるならば、ここがおかしいじゃないかという指摘ができないわけです。この裁判員制度は、国民参加と引き換えに、現在のわが国の刑事司法が持っている美点をみな放棄しようとするものだと思います。

 また、たとえ裁判員制度を受け入れるとしても、なぜいまの時点、平成20年、21年というときにやるのか。こういう制度がうまくいくためには、人心が安定している、世の中が安定していることがきわめて大事なことではないかと思います。しかし今はどうでしょうか。非常に人心が荒廃しているように見えます。格差は急激に拡大しています。非正規労働者は急増しておりますし、国家財政は窮迫している。人心の荒廃という点から見ますと、何かちょっと違法な事態が発見されたら、マスコミをはじめ人々を動員してやっきとなって攻撃して裁く、そうしなければおさまらない、そういうことになっているのではないか。こういう制度を作ったのは、国民の、あるいは庶民の苦労には全然縁のない人たちです。そういう人たちは、被告人の運命も、あるいは正しい裁きをしてほしいという被害者側の感情も、どうなってもよいと思っているのではないか、というのが私の感想です。

    裁判員にならないために

裁判員をやりたい人はやればいいと思いますが、やりたくない人の逃げ方については『裁判員制度の正体』に詳しく書きましたので、読んでいただきたいと思います。

 裁判員候補になった後、いちばんいいのは何か事件が起きた後の選任期日の呼出状を受け取らないことでしょうね。受け取らなければ絶対に大丈夫です。受け取らないことに対する罰則はありません。呼出状には質問状が入っておりますが、これを返送しなくても罰則はありません。

選任期日に裁判所に行かないという手もあります。行かなければ裁判員にさせられることはありません。法律上は呼出状が来たら裁判所に行かないと10万円以下の科料があると書いてありますが、これは少なくとも最初のうちは発動しないと思います。これをやりますと、ますます非難囂々でしょうし、裁判所は、たぶん来ない人がたくさんいるだろうと予定しているからこそ、1件で50人から100人もの人を呼び出すわけですね。選任期日によんどころない用事を作っておく。これもいいでしょうね。病気になるのも結構だと思います。裁判所がまんいち診断書を出せと言ってきたら、診断書をもらうのに必要な文書料が裁判所から届いてから診断書を出す、と言えばいいのです。

裁判員制度推進論者は、やりたくない人が逃げるのはけしからんと言って私を非難します。やりたくないなら勝手にせい、そんなやつに用はない、とは絶対に言わない。裁判員になるかどうかは最終的には国民の自由であるということにすると誰も行かない、ということが推進論者にもよく分かっているからこそ、そういう言い方をするのです。

私の本に対して、司法に対して国民が努力をしないでいいのかという人もいました。私は、国民が司法に関して無関心、無責任であっていいというわけではもちろんありませんし、そんなことを書いたこともありません。司法というものは、憲法が国民の総意に基づいて成立しているものである以上、国民はそれに対して義務もあるだろうと思います。しかしながら、国民の司法に対する義務があるからただちに裁判員の義務があるというのがとんでもない論理の飛躍です。私の考える司法に対する国民の義務とは、憲法の枠内で国民として司法を擁護するということであって、具体的には司法に対する充分な関心をもつこと、司法制度とそれを支える人々に充分な理解を持つこと、個別の判断に対する充分な理解をもって進めるべきは進める、批判すべきものは批判すること、外部からの司法に対する攻撃に反対すること、そして憲法を擁護して、わが国の司法の良さを破壊しようという試みに抵抗すること、それが国民の司法に対する義務であろうと思います。

『裁判員制度の正体』という本を書きましたために、見知らぬ読者、全然知らない人からたくさんの賛同の手紙やメールをもらうという、著者冥利の初めての経験をいたしました。ネット上などでは批判論もありましたが、私が接した限りでは、まあ感情的and/or非論理的なものが大半でして、冷静かつ論理的なものはありませんでした。論旨の読み違いやら論旨の捏造やら、ひどいのになると私がまったく言っていないことを自分で作り出して自分で興奮し、けしからんなどというのまでありました。それからまた私は現行法の解釈を展開したのですが、こうあるべきだという理念論と混同したものも随分ありました。学者からの反論も多少ありましたけれども、裁判員制度全体ではなく、自分の分かるところだけに反論しておいて、かつレトリックで全体に対する反論のように見えるようにしている、というのが学者からの反論の共通点であったように思います。

先ほども述べましたが、私は今の裁判が素晴らしいものだというつもりは全くありません。いろいろ問題があります。司法制度改革審議会は、どこにどんな問題点があるのか、それを克服するには何をどうすべきであるのか、という地道な、着実な検討をこそすべきでした。そのへんを全部すっ飛ばして、いまの裁判には問題があるから陪審制だ、陪審がダメなら裁判員制だ、という驚くべき議論をしたことが問題なのです。従って決していまの裁判を素晴らしいというつもりはありませんが、少なくとも裁判員制度よりもマシである、裁判員制度には考え直すべきことが多すぎるというのが私の意見です。

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