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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008年12月

2008/12/26

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本⑥

●日本の劣化と田母神「論文」

 海外派兵が続くなかで、日本の政治自体が軍事優先になってきているのではないか、という危惧を持ちます。とりわけイラク参戦を決めた小泉内閣以後、3回の日米安保協議委員会(2+2)が開かれました。これらは米軍再編のお手伝いをどのようにするか、基地再編強化をどのように進めるかが課題のように言われますが、むしろ経済・政治・外交に先立って軍事から対米従属を深めることになっているのではないかと思います。自立的な経済も外交もない国に、立派な軍隊がある。このような事態は日本の劣化と呼ぶべきではないか。

 平和憲法と日米安保の奇妙な共存が戦後政治の基本でしたが(むろん共存させてはならないというのが平和運動者の基本ですが)、海外派兵が日常というところまで憲法9条を空洞化させてくると、実際に憲法が改悪された時点ではすでに9条改憲状況を追認するだけになっているのではないか。あと残っているのは軍事法廷と憲兵隊くらいでしょう。国民投票法反対運動と安倍改憲政権の自滅で、改憲は遠のいたように見えますが、あちら側から見て改憲の必要がないまでに9条が空洞化することを恐れます。

 イラク参戦によって、将たちと兵たちの間の亀裂が広がりました。前者が「同盟」路線だとすれば、後者が「愛国」路線に結集していくことを警戒しなければなりません。なぜならば、どちらも東アジアの平和にとって有害なものだからです。ここに出てきたのが田母神「論文」です。

 引用された学者が文句を言っているくらいに、都合の良いところだけつまみ食いで継ぎ接ぎしたものは、とても論文とは言えないでしょう。また、靖国史観や、それを隊内で組織的に広めようとしたことが問題なのは当然です。さらに、自衛隊法46条による懲戒処分ではなく単なる辞職であること、高額な退職金が支払われたことも大きな問題です。しかしここでは、田母神前空幕長を防衛省が自ら切ったことについて考えたいと思います。

 1031日、アパグループが田母神前空幕長の受賞を発表した当日のうちに、麻生首相・浜田防衛相は田母神氏を辞任させました。「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは空幕長として不適切」という理由です。しかし問題は靖国史観ではなく、対米自立の主張にあったのではないか。このことは「へいけんこんブログ」に連載しているコラム「読む・読もう・読めば」の第43回に書きました。

 辞職した田母神氏は国会喚問でも自由に自説を開陳し、さらに雑誌「週刊現代」や「Will」に登場し、緊急出版で「自らの身は顧みず」などという本まで出しています。この中では日米安保批判にとどまらず、自衛隊装備の自主開発、米軍撤退、核武装までも主張しています。

 防衛省の主流は日米同盟強化路線です。その裏には、いま米国に付いていけば、米国は次第に衰退するのだから、相対的に日本の地位は上がる、という幻想があるでしょう。だから田母神氏のように、いまフライイングのように対米自立を言ってしまうのはたいへんまずい。しかも田母神氏は、順調にいけば来年は統幕長に就任するはずでした。首相官邸の司令塔機能とともに統幕監部機能も強化しようとしているとき、統幕長が対米自立を説くのはたいへんまずい。だからいま穏当に辞任させた。懲戒処分にするとかえって「愛国」派を刺戟する。麻生首相・浜田防衛相はそのように判断したのではないでしょうか。

 では田母神氏は、イラク派兵で亀裂の入った自衛隊のなかで、今後影響力を広げていくのか。それとも一過性の注目を浴びただけで消えていくのか。それは、ぐずぐずと自壊しつつある自民党とも、日本の民主党とも人脈を持たないオバマ政権が、再度の「同盟漂流」をどれほど危惧するかにもかかってくるでしょう。

長文をお読みいただき、ありがとうございました。今月末の「読む・読もう・読めば」(大内要三コラム)はお休みとし、また新年にお目にかかります。よいお年を。

2008/12/25

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本⑤

●不祥事続発の背景

 以上、多発する不祥事の一端を見てきました。単純な暴力事件や破廉恥事件は挙げればきりがないし、旧防衛施設庁の談合事件や守屋次官の収賄事件のようなものはまた別の機会に詳しく分析する必要があると思います。なお、本年715日に防衛省改革会議が発表した報告書「不祥事の分析と改革の方向性」が分析しているのは、①給油量取り違え事案 ②情報流出事案 ③イージス情報流出 ④「あたご」衝突事案 ⑤前事務次官の背信(いずれも同報告書の表現による)です。

 なぜこのように不祥事が続発するのか。旧軍のような鉄拳制裁よりも陰湿なイジメが蔓延するのは、昨今の社会状況の反映とも言えるでしょう。しかし上に挙げたような諸事件の裏には、海外派兵の影が垣間見えます。見てきたように海外派兵関連勤務は過酷なものですし、装備ばかり立派になっても定員を充足していないもとで、特定部隊には相当な負担がかかっています。

 自衛隊は「国際貢献」によって世界一流の軍隊へと脱皮するはずでした。昨年の防衛庁から省への格上げがそれを象徴していました。しかし現実には無理な海外派兵によって隊内にさまざまな形で亀裂・乖離が生まれ、そのことが不祥事続発の背景になっているのではないか。この実態を、私は自衛隊の「劣化」と表現します。

 第1は、派兵部隊の将と兵との乖離です。幹部学校出身の指導部は海外経験によってさらに昇進の機会をつかみますが、「熱望」して選抜された兵はこき使われるだけで、任期制自衛官が長く生活が保障される曹に昇進する昇任試験に合格するのは至難の業だそうです。しかも現地で見るのは米国の戦争への貢献にすぎない。日米同盟強化が国益なのかどうか、兵が疑問に感じても当然だと思います。

 第2は、選抜された者と選抜されなかった者の乖離です。参加を「熱望」しても家族が病気だったり本人に虫歯があったりすれば選抜されない。そして選抜者が抜けたあとは日常的に足りない員数からさらに減るわけですから、任務はきつくなります。

 第3は、派兵部隊と国内世論との乖離です。イラク派兵は世論の反対の中で実施されました。実施以後賛成・反対は逆転したとはいえ、国民の半数近くは派兵に疑問を持っているわけですから、海外任務の経験を誇れない。

 なお、かつての自衛隊はとにかく員数をそろえるために強引な勧誘をしましたから、他に行き所のないような若者が自衛隊に行く、という印象を今でも持っている方があるかもしれません。しかし、現状は違います。むしろ社会のエリートです。公務員試験対策の予備校が各地にありますが、ロビーには「会計士○○名合格」のような国家試験合格者の人数が張り出されている。そのなかに並んで「自衛隊○○名合格」と張り出されるような時代になっているのです。

 また、カンボジアPKOなどでは選抜されて拒否するかどうか悩んだ隊員もあるといいますが、イラク派兵に選抜された世代はみな海外派兵が恒常化して以後に入隊した者たちですから、喜んで参加した者が多い。それが現地を見て幻滅するわけです。

 日米同盟強化=対米従属への疑問を抱かせる現象のひとつに、生命保険の問題があります。自衛隊にも共済組合はありますが、それでは不足するというので、ほとんど強制的に保険に入らされる。その保険会社が、ずっと2社に独占されていました。ところが近年の金融再編のなかで、2社とも外資系に買収されてしまったのです。協栄生命がジブラルタに、東邦生命がAIGエジソンに。東邦は戦前の徴兵保険以来の軍御用達会社です。25万自衛隊員の生命の値段が外資に決められる事態が起こっているのですね。

2008/12/24

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本④

●自衛隊員による不祥事の数々

次に、近年の自衛隊内で何が起こっているかを見てみたいと思います。

1に、情報漏洩です。04年からファイル共有ソフトWinnyをインストールしたパソコンによる情報漏洩事件が多発しました。装備品(要するに武器)の性能のほか、コールサインや米国からの軍事機密も流出しました。防衛庁は私物パソコン持込禁止で対応し、Dellから40億円分のパソコンを緊急調達して配布しましたが、情報流出は止まりませんでした。その後も武器庫の見取り図とか、訓練資料、隊員名簿等が流出しています。

また、05531日付讀賣新聞が「中国潜水艦、南シナ海で航行不能に」というスクープ記事を掲載しましたが、この記事に関連して情報本部の1等空佐が記者への防衛秘密漏洩で取調を受け、立件されました。記事は1面左肩に6段で出ていますが、何が防衛秘密なのか一読してもまず分からないようなものです。26日ごろ、台湾と海南島の中間あたりの公海で演習中に事故を起こしたことを「日米両国の防衛筋が確認」したというのですが、当該艦が「明」級ディーゼル式攻撃型の「300番台の艦番号」と報道したのが秘密漏洩、つまり艦番号が問題だったようです。他紙は潜水艦事故については追いかけ記事を出さず、情報漏洩事件だけ報道しました。

07120日にはイージスシステムに係る特別秘密漏洩で、横須賀の海自艦隊開発隊の3等海佐を逮捕、護衛艦「しらね」乗組員他4名が書類送検されました。「しらね」乗組員の妻の入管法違反容疑で家宅捜索をした際に、あってはならない情報が発見されたのが発端です。イージスシステムの根幹にかかわる情報を含む、米国から供与された資料で教育用資料を作成し、これが隊外に持ち出された事件でした。関係者に対しては本年1028日に横浜地裁で有罪判決が出ましたが、控訴しています。

0754日には、陸自の教育用ビデオが、なんとYou Tubeに流出して誰でも見られるようになっているのが発見されて、削除されました。仮想敵国(というのはないはずですが)特殊部隊への対処法とか、格闘技指導のビデオだということです。

このような情報漏洩の続発に対して、海自は本年2月、記憶装置のないパソコン3万台を導入することで対応しました。こんなパソコンは使いようがないと思いますが。昨年、GSOMIA(日米軍事情報包括保護協定)が締結されており、米国も自衛隊の情報管理のずさんさについて指摘してきています。

2に、隊内での自殺が増えています。フリーライターの三宅勝久さんがこのテーマで『悩める自衛艦』『自衛隊員が死んでいく』の2冊の本を書きました。イジメによる鬱自殺、そして借金苦による自殺が多いようです。非番の日ごとに「飲む・打つ・買う」にのめり込んでサラ金地獄、というのが定番ですね。

063月の政府国会答弁によれば、イラク派遣隊員の自殺が陸4件、空1件ありました。071月にアカハタが入手した防衛庁作成の「平成17年度自殺事故発生状況」によれば、陸6件、空1件です。

防衛相発表の自殺者数は、02年が78名、03年が75名、04年が94名、05年が101名、06年が101名、07年が83名。年齢別の統計はありませんが、同世代と比べても隊員の自殺率はやや高いのではないかと思います。

また071113日付、照屋寛徳議員の質問主意書に対する政府答弁では、テロ特措法派遣10900名+イラク特措法派遣8800名中、在職死亡は35名で、うち自殺が16名とのことです。退職後に自殺した隊員の数については、防衛省は把握していません。もっとも充実した栄えある勤務を経験したはずの若い隊員がこれほど多数自殺していることに、その絶望の深さを感じます。

3に、いくつかの死亡事件等について見てみます。

護衛艦「きりさめ」はテロ特措法で3回派遣されている船ですが、07730日、インド洋上で20代の海曹長が死亡しました。のち「週刊現代」がスクープして問題になり、910日に防衛省が「自殺の疑いあり」と発表しています。詳細は今も不明です。

護衛艦「たちかぜ」乗員のイジメ自殺事件は0645日に起こった事件です。横浜地裁で係争中で、次回公判は218日です。

護衛艦「さわぎり」乗員のイジメ自殺事件は、99118日に演習航海中に起こった事件です。遺書が紛失しており、貯金が本人でない者によって引き出されています。本年825日に福岡高裁で国賠を求めた遺族が勝訴し、確定しました。

空自浜松基地整備隊員のイジメ自殺事件は、051113日に起こりました。イラク派兵で選抜され帰ってきた隊員が、選抜されなかった先輩に虐待され自殺したものです。29歳、結婚して子どもが生まれた5ヶ月後でした。静岡地裁浜松支部で係争中です。

そして本年99日には江田島の特殊部隊「特別警備隊」の隊員養成課程に所属する3等海曹が、15人を相手にする「格闘技訓練」で死亡しました。同課程を辞退して他へ異動するに際しての「送別」ですから、当然、集団暴行殺人にあたると思います。

関連して、女性自衛官人権裁判について述べます。0699日、北海道の部隊で上官による強姦未遂事件がありました。この女性は泣き寝入りせず隊内で訴えましたが、逆に「お前が悪い、退職せよ」といじめられ、国賠訴訟を起こしました。

これらの係争事件で特徴的なのは、いずれも訴えられた自衛隊側が組織的に口裏を合わせて徹底して否認し、証拠を隠滅していることです。閉鎖社会で起こった事件の事実究明は困難なことですが、裁判の行方に注目したいと思います。

 第4に、イージス艦「あたご」の漁船衝突事件について見ます。平権懇は「なだしお」事件、「えひめ丸」事件に続いてこのような「軍事優先の海」の危険性について注目してきましたし、「あたご」事件直後には声明を発しています。私も横浜での海難審判に通っています。

事件が起こったのは本年219日の朝、千葉県野島崎沖を出漁していく漁船群に「あたご」が自動操縦のまま、海上衝突予防法を無視して回避行動をとらずに突っ込んできたものです。事故通報の遅れで救援活動も遅れて、零細な漁船「清徳丸」の親子2名が行方不明のままとなりました。艦長は就寝中、見張りは雨を避けて甲板から艦橋に入っていたというお粗末さです。

さすがに衆院安全保障委員会では石破防衛相がわびていますし、321日付の防衛省事故調査委員会報告でも、見張りの不備、回避措置の不十分さが指摘されていました。そして艦長が勝浦市の家族宅を訪れて謝罪したため、一件落着のように思われていますが、海難審判が始まると海自は、衝突の原因は漁船側にあったとの主張を始めました。裁決は年初と言われていましたが、今のところ1月の予定には入っていません。

海難審判は衝突の原因と責任について判断します。この結果を待って刑事裁判が始まると思いますが、そこでは「あたご」がハワイで何をしていたのか、なぜ最短距離で横須賀に向かわなかったのか、なども追及されるべきだと思います。なんと言ってもイージス艦がミサイル防衛に役に立つ、つまり米本土防衛に寄与する自衛隊になったことへの驕りが、事件の背景にあったと思います。

5に、いずれも報道では小さな扱いでしたが、特徴的ないくつかの事件について述べておきます。

本年58日、国会構内で自衛官の諫死未遂事件がありました。朝霞の体育学校所属の陸士長です。短刀で切腹しようとして果たせなかったのですが、福田首相あての遺書(未公開)があったということですから、単なる自殺ではなく諫死、つまり君子を諫めての死だと思います。

本年719日、さいたま市内で富士の戦車隊員がバイク無免許運転で逮捕されました。当然、戦車は運転できる、つまり無限軌道限定の大型特殊免許は持っていながら、普通運転免許証も二輪免許証も持っていないからバイクにも乗れない。かつては運転免許がタダで取得できると言って自衛隊に勧誘していたものですが、昨今はそれもままならないほど忙しいようです。

本年918日には、座間市議選に立候補中の予備自衛官が、トラックの荷台から消火器弾を皇居に向けて発射した事件がありました。習志野の空挺団にいたのですが2年で自衛隊を辞めた、つまりエリート部隊について行けなかったのでしょう、次はフランス語もできないのにフランスの外人部隊に半年いた、という人です。消火器弾といってもべつに新左翼との接触もないようですし、「世間を騒がせたかった」「皇居は広くてけが人が出ないと思った」と語るような無思想の人ですね。市議選には当然、落選しました。

2008/12/23

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本③

●クウェート・イラクでの空自の活動

 空自の活動実績ですが、輸送部隊200人が043月から3ヶ月ローテーションで滞在して、クウェートのアリ・アル・サレム、イラク南部のアリ(ダリル)、中部のバグダッド、北部のエルビルの各飛行場を結んで、多国籍軍と国連の人員・物資を運びました。本日までに821回の飛行ということですから、2日強に1回というかなり忙しい任務ですが、46500人、673トンを輸送しています。前線に行く兵を運び、後方に帰る兵を運ぶのが基本任務です。このような空自の活動が、本年417日の名古屋高裁判決で「武力の行使」であり憲法91項に違反すると指摘されたのも当然だと思います。

 このほか044月には日本人3名の人質事件が起きて、危険だというのでサマワに滞在していた日本人ジャーナリスト10人をクウェートに「脱出」させるのにも空自の輸送機が使われました。これは初のNEO(非戦闘員退避作戦)になりました。

 なぜ自衛隊輸送機が重宝されたかということですが、これは単純で、米陸軍・海兵隊が米空軍機を使う場合は使用料が必要なのに対して、自衛隊機はタダで運んだからです。

 空自が使用したC130H輸送機は、小牧の第1輸送隊に16機あるのが空自の持つすべてです。うち3機をつねにイラクに貼りつけていたわけですから、小牧の部隊は大変だったろうと思います。入間の第2輸送隊も美保の第3輸送隊も、より古くて航続距離の短いC1輸送機しか配備されていません。だからいま、海外派兵専用輸送機のCXが開発されているわけです。

 そして空自の活動は、これも命がけのことでした。バグダッド空港さえ攻撃を受ける状況でしたから、派遣されたC130Hは空色、つまり空にまぎれる色に塗装されて、機首にはミサイル警報装置が搭載され、チャフ・フレアーディスペンサーも装備されました。実際にミサイル警報装置が作動したこともあったと言います。

 さらに空自輸送部隊は、テロ特措法の時代から米軍の人員・物資輸送を分担していました。011129日から小牧のC130Hが在日米軍基地間の国内輸送を始めまして、同年123日からグアムへも路線を延ばした。027月以降はC1も動員して、0711月にテロ特措法の期限が切れるまでに国内366回、国外15回の運航をしています。イラク派遣と重なりますね。併せて相当な負担です。

インド洋での海自の活動

 この間、海自はイラク派遣の主役ではありませんでしたけれども、テロ特措法でずっとインド洋に補給艦と護衛艦を出していました。0111月から補給艦2・護衛艦35隻体制、0211月から補給艦1・護衛艦23隻体制、057月から0711月のテロ特措法期限切れまでは補給艦1・護衛艦12隻体制です。

 うち3隻体制のときのイージス艦派遣が話題になりました。本来、イージス艦は空母護衛のためにつくられたものですから(ということは、空母を持たない日本には不要なものでしたが)、米国の空母打撃群と連携した作戦は合理的であったのかもしれません。しかし海自のイージス艦が太平洋を越えて米本土に向かうミサイルの監視・撃墜用に使われるようになったために、2隻体制以後は派遣されていないのだと思われます。

 海自に補給艦は5隻あります。すべてがインド洋に派遣されました。佐世保の「はまな」が6回、呉の「とわだ」が6回、横須賀の「ときわ」が5回、舞鶴の「ましゅう」が2回、佐世保の「おうみ」が1回です。とわだ型の3隻は8100トンで140名乗り組み、ましゅう型の2隻は13500トンとより大型ですが145名乗り組みです。そう大規模な部隊ではありません。頻繁な派遣は特定部隊への負担になったと思います。護衛艦のほうは各地から28隻が派遣されました。延べ39回です。

 給油実績ですが、オマーン湾、北アラビア海、アデン湾など中東海域のほか、ムンバイ沖での給油もあります。相手は米国が最大で、パキスタン、フランス、カナダが続きます。どの国もタダでの給油を喜んだわけですね。計793回、487,500キロリットル。

 07111日でテロ特措法が期限切れになって、いったん給油艦は日本に戻ってきたのですが、本年1月からは給油支援特措法で給油活動が再開されました。

 さて、アフガン向けのテロ特措法下での活動について述べてきたのは、このオイルがイラク戦争にも使われていたからです。ピースデポが補給艦の航泊日誌の公開を請求して不開示となり、替わりに米艦船の航海日誌を請求したところこれは開示になって、その結果、対アフガン作戦に参加していない時点での米空母キティホークが、同日のうちに、ときわ→米補給艦ペコス経由で給油を受けていたことが発覚しました。

 もっとも、本来インド洋に展開している米国の2空母打撃群(6ヶ月交代)は、同時に対アフガンの「不朽の自由作戦」、アフガン南方飛行禁止区域監視の「南方監視作戦」、そして「イラク自由作戦」の3作戦で、いずれも米中央軍の指揮下で洋上で動いているわけですから、日によって任務が異なっても、オイルを入れ替えたりするわけがありません。海自が実質的にイラク戦争に参加していたことは明白です。

 現在も続いている補給支援特措法による給油活動は、アフガン向けではありますけれども、第三者への移転を禁じながら、作戦間の転用の歯止めはありません。したがって陸自・空自が帰ってきても、海自は事実上イラク戦争への参戦を続けることになります。

 なお、イラク戦争関連の海自の活動としては、04年に陸自の車輌等を輸送艦「おおすみ」が運んだ実績があります。ホバークラフトの揚陸艇を乗せる船ですね。このときは護衛艦「むらさめ」が同行しました。

2008/12/22

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本②

●サマワでの陸自の活動                                     

 陸自では041月から067月までに10次の復興支援群(3ヶ月交代、500人、給水・医療支援・公共施設復旧の本隊)と、5次の復興業務支援隊(6ヶ月交代、100人、対外調整)を送りました。本隊は各師団を順繰りに出しましたから、陸自13個師団・2混成団のほとんどから選抜された者が出て行った、言い換えれば全国にイラク帰りが散らばったことになります。隊長15人はすべて1等陸佐、旧軍なら大佐ですが、戻ってから准将に昇進した者が複数あります。そしてこれらの隊長のほとんどは、海外での教育・任務の経験者です。先遣隊の佐藤正久隊長が米陸軍指揮幕僚大学に学び、カンボジアにもゴランにも行っているのをはじめとして。英語ができ英米軍と共同行動が可能な者が隊長に選ばれているのが特徴です。これに対してアラビア語の通訳は民間の者を連れて行き、あるいは現地で調達しました。

 活動の成果として、医療支援…4病院で医官が指導・機材の技術指導、公共施設復旧…学校36、道路31箇所、その他66箇所、給水支援…53500トンと発表されています。うち最大の目玉であった給水支援は052月に日本のODAにより浄水設備が稼働しましたので、自衛隊の活動は1年で終わりました。

 このような「成果」に対して、実際の活動の実態について見ておきたいと思います。まず、陸自は戦闘地域でないところに行ったにしては、かなりの重装備でした。よく知られているのが装輪装甲車ですが、110ミリ対戦車榴弾や84ミリ無反動砲は、自動車を使用した自爆テロに対抗するためと説明されています。途中からヤマハ製の偵察用無人ヘリも持ち込まれました。

 かわいそうなのは、兵たちが他国の軍と明らかに区別されるように、砂漠地帯では常識の茶色の迷彩服でなく、国内と同様の緑色の迷彩服を着ていたことです。しかも胸と肩には「日の丸」のワッペンを付けていました。「ここを撃て!」という標的に見えます。治安維持は任務のうちに入っていませんでしたので、サマワの町中でも当初はオランダ軍、後にオーストラリア軍に警護されました。

 そしてサマワは実際に危険なところでした。自衛隊宿営地内外への迫撃砲・ロケット弾攻撃は14回に及びます。045月にはサマワでオランダ軍が手榴弾攻撃を受け、1名が死亡、1名が重傷を負います。これでオランダ軍は撤退し、自衛隊は宿営地に引きこもることになりました。公共施設復旧などの工事は現地の業者が請け負い、その監督に何日かに一度、自衛隊員が行っていただけです。

 のちに国会議員になった佐藤正久氏は、いま集団的自衛権確立のため活発に動いていますが、07811日には「オランダ軍が攻撃を受ければ現場に駆け付け、あえて巻き込まれるつもりだった」と発言したのがTBSニュースに流れて大問題になりました。実際に彼のイラク滞在時にそのようなことがなかったのは幸いですが、この違憲発言に対しては弁護士たちが公開質問状を出しましたけれども、佐藤氏は無視しました。

 なお、サマワ市民が自衛隊に比較的友好的であったのは、雇用や資金援助を期待してのこともありますが、フセイン政権下での日本の実績が根底にあったことは述べておかなければならないと思います。80年代にイラクには多くの日本人が滞在して、高速道路をつくり、バグダッド国際空港をつくり、サマワ総合病院をつくったのでした。

2008/12/21

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本①

20081219日 平権懇学習会報告に加筆

大内 要三       

はじめに

 1127日に米国はイラクのマリキ政権との間で行政協定(SOFA)を結んで、米軍は2011年末までには撤退することが決まりました。マリキ政権ががんばって、駐イラク米軍の不法行為に対する裁判権はイラクが保持しています。オバマはこの撤退期限よりも早く、2010年のうちに撤兵すると言っていますから、ようやくイラク戦争にも先が見えてきたことになります。

 翌28日には浜田防衛相が、自衛隊のイラク撤収命令を出しました。陸自はすでに06年に撤収しており、残る空自が撤収すると、日本のイラク参戦もひとまず終わります。本日、3機のC130H輸送機のうち1機が帰国したニュースが流れました。

 というわけで、戦争はまだ続いていますが、この時点であらためて日本のイラク派兵の実態とその影響について検証することは、イラク反戦運動をさまざまな形で進めてきた私たちにとって、意味あることだと思います。

自衛隊イラク派兵の枠組

 自衛隊派兵の根拠法は0381日に成立した、いわゆる「イラク特措法」ですね。読み返してみますと、まず第1条の「目的」のところで、国連安保理事会決議1483号を踏まえて、「人道復興支援」と「安全確保支援」を行うことになっていました。「安全確保」とは、もちろん英米軍を中心としたイラク占領軍への兵站支援です。

 安保理決議1483は米英軍の軍事行動も占領の正当性についても直接には触れていませんから、支援の根拠としては薄弱です。そこで03129日に閣議決定された派兵の「基本計画」では、安保理決議15111016日)が根拠として追加されました。こちらは多国籍軍への援助と戦後復興への国際協力を求めています。

 特措法22項は「武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」と規定しています。憲法9条による制約です。そして同条3項では「戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」で活動するという限定があります。これらは後に述べる重装備や交戦規則付与と矛盾します。

 安全確保支援の内容として、第32項で「医療、被災民の帰還の援助、施設もしくは設備の復旧、行政事務に関する助言又は指導」が挙げられています。同じく3項で安全確保支援の内容として、「国連加盟国が行う活動を支援するための医療、輸送、保管(備蓄を含む)、通信、建設、修理もしくは整備、補給または消毒」、が挙げられています。実際には要請がなく実施しなかった項目もあります。

 その他、いろいろな制約はありますけれども、イラクが「大量破壊兵器」を保有していなかったこと、したがってイラク占領軍に大義はないこと、実質的に初の自衛隊戦地派遣であることは、特措法の国会審議のなかですでに明らかになっていたにもかかわらず、疑問を押し切って国会の多数を頼んで特措法は成立しました。

 派兵の枠組の2点目ですが、今回の派兵で特徴的だったのは、初の交戦規則(ROE)を付与されての派遣であったことです。交戦規則を自衛隊は「部隊行動基準」と呼んでいます。「部隊行動基準の作成に関する訓令」はすでに2000124日に出ていますが、その第2条で部隊行動基準を「行動し得る地理的範囲、使用し又は携行し得る武器の使用方法その他の特に政策的判断に基づく制限が必要な重要事項に関する基準を定めたもの」と規定しています。

 実際にイラク派遣部隊に付与されたROEは公開されませんでした。新聞協会・民放連が「イラク人道復興支援活動に係る現地取材について」043月に防衛庁との間で結んだ「申し合わせ」では、ROEの内容も概要も報道禁止になっています。しかしこの申し合わせに先立って、031212日付の時事報道、あるいは翌日付讀賣報道で、正当防衛や緊急避難の場合には、警告や威嚇射撃をしないで危害射撃ができる、というROEの内容の一部が明らかになりました。危ないと思ったらいきなり敵(と思われる者)を狙って撃ってよい、ということです。さらに今年、つい一昨日の東京新聞は、イラク派遣の空自部隊が不時着して略奪を受けそうになった時には、相手が丸腰でも撃ってよいというROEを付与されていたことを報道しました。自衛隊が現地で誰も殺さずに帰ってきたことは奇跡的だと思います。

  イラク派遣部隊のROEの公開については請求がなされましたが、06103日と本年715日に、情報公開審査会(委員に憲法学者、公法学者を含む)が不開示を妥当と判断しています。

 派兵の枠組の3点目ですが、米英軍の指揮下での活動であったこと。イラクでの自衛隊の地位は、当初CPA(イラク暫定施政当局)命令17号に基づく地位であると説明されていました。イラク占領軍と同格であって、現地に裁判権はないという規定です。031213日付のブレマーCPA行政官から日本政府あて書簡でこのことが書かれています。イラク派遣自衛隊員が現地でトラブルを起こしたときに日本の地裁で裁かれるのは変、という報道がなされていましたが、現地に裁判権がないことのほうが、占領軍の一員であることを明らかにしており、変だと言うべきでしょう。なおイラク暫定政府ができてCPAが解散した後は、自衛隊はたんに多国籍軍の一員となりました。

 CPAの一員でも多国籍軍の一員でも、現地で勝手に独自行動ができたはずはないのですが、いずれも指揮・統制下には入らないとの公式発表になっています。亡くなった外務省の奥克彦さん(ベン・ヒルズ著『プリンセス・マサコ』で雅子さんの恋人とされた人)は調整官としてCPAに出向していたわけですから、どのような調整をしたのか、興味あるところです。

 派兵の枠組の4点目として、世論の動きについて述べておきます。派兵前の新聞の世論調査では、自衛隊イラク派遣に反対・賛成率が、0384日日経で285293日毎日で16411024日朝日で3255と、反対が賛成を圧しています。ところが実際にイラクでの自衛隊の活動がテレビで放送されると、04126日毎日では4747、翌日の讀賣で5344と逆転します。報道規制があったとはいえ、マスコミの責任の大きさを感じます。ぜひ検証記事で、今まで書けなかったことをみな書いてほしいものです。

 派兵の枠組の最後に、派兵基本計画を閣議決定して発表した際の小泉首相記者会見での「平和的生存権の理念に沿った活動」というセリフを思い出しておきたいと思います。言うまでもなく憲法前文の一部を引いているわけですが、憲法の平和主義規定をこれほど貶めた発言もないだろうと思います。

2008/12/14

読む・読もう・読めば 45

貝になれなかった人

橋本忍氏の脚本による映画『私は貝になりたい』が評判になっている。同氏の脚本による映像化は、1958年の東京放送によるテレビ放送(芸術祭参加・文部大臣賞)、翌年の東宝による映画化、94年のTBSによるテレビ放送、そして今回の東宝による再映画化と、4度目になる。橋本氏は今回の脚本を朝日文庫で出版するに当たり、「序に代えて」で「改訂決定稿」と書いているが、加藤哲太郎氏による原作と自身の「作品」との関係については、まったく何も発言していない。したがってこのあたりの事情については、加藤氏側の『私は貝になりたい あるBC級戦犯の叫び』(春秋社刊)ほかで補わなければならない。

戦犯として死刑を宣告された(のち再審により30年の有期刑に減刑)加藤哲太郎氏が、巣鴨プリズンの中から、米軍批判は刑期短縮の妨げになることからやむを得ずペンネームで発表した創作「狂える戦犯死刑囚」中に、「私は貝になりたい」の名セリフがあった。このセリフを含む一節を『週刊朝日』が本物の戦犯死刑囚の遺書と誤認して掲載し、橋本氏はそれを読んで物語をふくらませたという。橋本氏は他の戦犯の手記もいろいろ取り込んで自身の作品にしており、加藤氏のオリジナルを読んでいる可能性もある。加藤氏が「私は貝になりたい」の原作者として名乗り出た後の橋本氏の対応は、不誠実きわまるものであったようだ。しかし東宝は加藤氏を原作者として認め、「遺書・原作 題名 加藤哲太郎『狂える戦犯死刑囚』」と明記するようになった。朝日文庫もそれを踏襲している。

橋本作品を読む。典型的な庶民のひとり、床屋の清水豊松が無実の罪で死刑にされる理不尽さ、日本軍の野蛮さと無責任体制については、素直に伝わるものがある。あまりにもベタでクサい表現ではあるけれども。しかし、戦争はこわい、というところで終わってしまっているのは、戦後60年余を経て戦争責任問題の論議が深まったいま、これで「改訂決定稿」とするのはなんとも淋しいことだ。今回の映画を見て、戦犯裁判は勝者の不公正な裁きだという印象だけを強める人もあるだろう。

加藤作品には、天皇への責任追及があり、強制されたとはいえ犯罪者となった自身への反省がある。戦後責任を考える走りであったかもしれない。そのような良質な部分を無視してお涙頂戴の部分だけを利用した橋本版「私は貝になりたい」が、衛生無害と判断され文部大臣賞を得たのも納得できる。貝になり沈黙することのできなかった加藤氏(1976年没)の無念さを想う。   20081214日)

2008/12/05

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告 17

「自衛隊国民監視活動差止め等請求訴訟」について

自衛隊イラク派兵差止訴訟は20041月に札幌で始まり全国11の裁判所での12の訴訟が提起されました。06年7月にサマワから陸上自衛隊を撤兵させ、今年4月には、名古屋高裁で「違憲判決」を勝ち取ることができました。この「違憲判決」から5か月後の9月11日には政府が航空自衛隊の年内撤収方針を示し、11月28日に撤収命令が出されました。12月下旬にはイラクに派兵されていた航空自衛隊が小牧基地に帰ってきます。

仙台、岡山、熊本で訴訟は続いていますが、これまで5年の間、全国各地で訴訟に取り組んできた原告(元原告)並びに弁護団(元弁護団)は自衛隊イラク派兵差止訴訟の会・名古屋、自衛隊イラク派兵差止訴訟名古屋弁護団、自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議の呼びかけに応えて勝利の全国集会を名古屋で行います。

今回の報告は自衛隊のイラク派兵などに反対する活動を監視した自衛隊情報保全隊を訴えた「自衛隊国民監視活動差止め等請求訴訟」についてです。

■訴訟の概要

訴状では、請求原因について監視活動は、①報道機関にも及んでおり報道の自由・国民の知る権利を侵害すること、②原告らの表現の自由を侵害すること、③プラインバシーの権利を侵害すること、④肖像権を侵害すること、⑤思想良心の自由を侵害すること、⑥平和的生存権を侵害すること、⑦そもそも自衛隊の市民監視行為は自衛隊法等の法令上の根拠がなく、また、その個人情報の収集・保全は行政機関個人情報保護法にも違反していること、さらに、⑧自衛隊の市民監視活動は立憲主義に対する背反であり戦前の「憲兵政治」復活の危険があるという、基本的人権保障や民主主義・立憲主義に対する重大な侵害行為であることを挙げ、これは国家的不法行為であると指摘しています。

その上で、国に対して、自衛隊イラク派兵に対する原告らの一切の表現活動、思想活動に対する情報収集・活動監視活動を行ってはならないとの差止めと原告各自に慰謝料100万円の国家賠償を請求しました。このように差止めまで請求し、単なる損害賠償訴訟にとどめていないのが特徴です。

第1次~第3次訴訟

1次訴訟 2007年10月5日提訴 原告4名(いずれも仙台市在住)

第2次訴訟 2008年3月12日提訴 原告22名(仙台市12名、大崎市2名、名取市2名、多賀城市2名、大河原町2名、柴田町2名、村田町1名)

第3次提訴 20081020日提訴 原告29名(仙台市18名、岩沼市5名、塩釜市3名、多賀城市2名、名取市1名)

以上合計55

仙台市34名、岩沼市5名、塩釜市3名、多賀城市3名、名取市3名、大崎市2名、大河原町2名、柴田町2名、村田町1名

現在、第1次訴訟・第2次訴訟は併合され、仙台地裁民事第二部で審理中です。

■被告国の対応

内部文書を作成したのか、しなかったのかも明らかにしないという異常な対応をしています。

■裁判所の訴訟指揮

具体的な主張・立証に入る姿勢を執っています。

■今後の日程

12月15日午後4時15分から第7回口頭弁論です。この日の午後3時に第4次提訴が行われます。原告は宮城県に限定せずに、東北をはじめ全国からの参加を予定しています。全体の原告数は第1次から第4次を合わせて100名以上を目標にしています。

(2008/12/04)

2008/12/03

12月19日 ミニ学習会「イラク戦争参戦で劣化した自衛隊と日本」&『平和憲法の確保と新生』のご案内

■ミニ学習会 12月19日(金)午後6時30分から
 「イラク戦争参戦で劣化した自衛隊と日本」
 講師 大内要三「平権懇」運営委員
 会場 毎日新聞社内
 *毎日新聞社受付前に午後6時20分集合

■「へいけんこん 望年会」午後7時45分~
 会場 神田・神保町 「しど」
 会費 料理3,500円 貸切
 *お申し込みはお早めにメールアドレス nora@cityfujisawa.ne.jp
  携帯電話 090・5341・1169 杉山まで

みなさまに「平権懇」ミニ学習会と「望年会」のご案内をしたところ、深瀬忠一さん(北海道大学名誉教授)から「平和的生存権の研究書を出版したので宣伝のチラシを送る」というご連絡が入りました。届いた文章によると「一括で購入していただければ約3,000円にするので購入者を募ってほしい」とのこと。そこで購入希望者を募ります。ご希望の方はファクスかメールでお申し込みください。

『平和憲法の確保と新生』
深瀬忠一・上田勝美・稲正樹・水島朝穂 編著

目 次 はしがき
第1部 平和的生存権の深化と展開
第2部 恒久世界平和の理念
第3部 東北アジアの信頼醸成機構の構想
第4部 核廃絶・軍縮の国際協調
A5判・並製・カバー・400ページ 予価3,990円

●お申し込み ファクス 0466-47-2130(杉山) 

またはメールnora@cityfujisawa.ne.jp

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