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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2008/12/23

イラク戦争で劣化した自衛隊と日本③

●クウェート・イラクでの空自の活動

 空自の活動実績ですが、輸送部隊200人が043月から3ヶ月ローテーションで滞在して、クウェートのアリ・アル・サレム、イラク南部のアリ(ダリル)、中部のバグダッド、北部のエルビルの各飛行場を結んで、多国籍軍と国連の人員・物資を運びました。本日までに821回の飛行ということですから、2日強に1回というかなり忙しい任務ですが、46500人、673トンを輸送しています。前線に行く兵を運び、後方に帰る兵を運ぶのが基本任務です。このような空自の活動が、本年417日の名古屋高裁判決で「武力の行使」であり憲法91項に違反すると指摘されたのも当然だと思います。

 このほか044月には日本人3名の人質事件が起きて、危険だというのでサマワに滞在していた日本人ジャーナリスト10人をクウェートに「脱出」させるのにも空自の輸送機が使われました。これは初のNEO(非戦闘員退避作戦)になりました。

 なぜ自衛隊輸送機が重宝されたかということですが、これは単純で、米陸軍・海兵隊が米空軍機を使う場合は使用料が必要なのに対して、自衛隊機はタダで運んだからです。

 空自が使用したC130H輸送機は、小牧の第1輸送隊に16機あるのが空自の持つすべてです。うち3機をつねにイラクに貼りつけていたわけですから、小牧の部隊は大変だったろうと思います。入間の第2輸送隊も美保の第3輸送隊も、より古くて航続距離の短いC1輸送機しか配備されていません。だからいま、海外派兵専用輸送機のCXが開発されているわけです。

 そして空自の活動は、これも命がけのことでした。バグダッド空港さえ攻撃を受ける状況でしたから、派遣されたC130Hは空色、つまり空にまぎれる色に塗装されて、機首にはミサイル警報装置が搭載され、チャフ・フレアーディスペンサーも装備されました。実際にミサイル警報装置が作動したこともあったと言います。

 さらに空自輸送部隊は、テロ特措法の時代から米軍の人員・物資輸送を分担していました。011129日から小牧のC130Hが在日米軍基地間の国内輸送を始めまして、同年123日からグアムへも路線を延ばした。027月以降はC1も動員して、0711月にテロ特措法の期限が切れるまでに国内366回、国外15回の運航をしています。イラク派遣と重なりますね。併せて相当な負担です。

インド洋での海自の活動

 この間、海自はイラク派遣の主役ではありませんでしたけれども、テロ特措法でずっとインド洋に補給艦と護衛艦を出していました。0111月から補給艦2・護衛艦35隻体制、0211月から補給艦1・護衛艦23隻体制、057月から0711月のテロ特措法期限切れまでは補給艦1・護衛艦12隻体制です。

 うち3隻体制のときのイージス艦派遣が話題になりました。本来、イージス艦は空母護衛のためにつくられたものですから(ということは、空母を持たない日本には不要なものでしたが)、米国の空母打撃群と連携した作戦は合理的であったのかもしれません。しかし海自のイージス艦が太平洋を越えて米本土に向かうミサイルの監視・撃墜用に使われるようになったために、2隻体制以後は派遣されていないのだと思われます。

 海自に補給艦は5隻あります。すべてがインド洋に派遣されました。佐世保の「はまな」が6回、呉の「とわだ」が6回、横須賀の「ときわ」が5回、舞鶴の「ましゅう」が2回、佐世保の「おうみ」が1回です。とわだ型の3隻は8100トンで140名乗り組み、ましゅう型の2隻は13500トンとより大型ですが145名乗り組みです。そう大規模な部隊ではありません。頻繁な派遣は特定部隊への負担になったと思います。護衛艦のほうは各地から28隻が派遣されました。延べ39回です。

 給油実績ですが、オマーン湾、北アラビア海、アデン湾など中東海域のほか、ムンバイ沖での給油もあります。相手は米国が最大で、パキスタン、フランス、カナダが続きます。どの国もタダでの給油を喜んだわけですね。計793回、487,500キロリットル。

 07111日でテロ特措法が期限切れになって、いったん給油艦は日本に戻ってきたのですが、本年1月からは給油支援特措法で給油活動が再開されました。

 さて、アフガン向けのテロ特措法下での活動について述べてきたのは、このオイルがイラク戦争にも使われていたからです。ピースデポが補給艦の航泊日誌の公開を請求して不開示となり、替わりに米艦船の航海日誌を請求したところこれは開示になって、その結果、対アフガン作戦に参加していない時点での米空母キティホークが、同日のうちに、ときわ→米補給艦ペコス経由で給油を受けていたことが発覚しました。

 もっとも、本来インド洋に展開している米国の2空母打撃群(6ヶ月交代)は、同時に対アフガンの「不朽の自由作戦」、アフガン南方飛行禁止区域監視の「南方監視作戦」、そして「イラク自由作戦」の3作戦で、いずれも米中央軍の指揮下で洋上で動いているわけですから、日によって任務が異なっても、オイルを入れ替えたりするわけがありません。海自が実質的にイラク戦争に参加していたことは明白です。

 現在も続いている補給支援特措法による給油活動は、アフガン向けではありますけれども、第三者への移転を禁じながら、作戦間の転用の歯止めはありません。したがって陸自・空自が帰ってきても、海自は事実上イラク戦争への参戦を続けることになります。

 なお、イラク戦争関連の海自の活動としては、04年に陸自の車輌等を輸送艦「おおすみ」が運んだ実績があります。ホバークラフトの揚陸艇を乗せる船ですね。このときは護衛艦「むらさめ」が同行しました。

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