イラク戦争で劣化した自衛隊と日本①
2008年12月19日 平権懇学習会報告に加筆
大内 要三
●はじめに
11月27日に米国はイラクのマリキ政権との間で行政協定(SOFA)を結んで、米軍は2011年末までには撤退することが決まりました。マリキ政権ががんばって、駐イラク米軍の不法行為に対する裁判権はイラクが保持しています。オバマはこの撤退期限よりも早く、2010年のうちに撤兵すると言っていますから、ようやくイラク戦争にも先が見えてきたことになります。
翌28日には浜田防衛相が、自衛隊のイラク撤収命令を出しました。陸自はすでに06年に撤収しており、残る空自が撤収すると、日本のイラク参戦もひとまず終わります。本日、3機のC130H輸送機のうち1機が帰国したニュースが流れました。
というわけで、戦争はまだ続いていますが、この時点であらためて日本のイラク派兵の実態とその影響について検証することは、イラク反戦運動をさまざまな形で進めてきた私たちにとって、意味あることだと思います。
●自衛隊イラク派兵の枠組
自衛隊派兵の根拠法は03年8月1日に成立した、いわゆる「イラク特措法」ですね。読み返してみますと、まず第1条の「目的」のところで、国連安保理事会決議1483号を踏まえて、「人道復興支援」と「安全確保支援」を行うことになっていました。「安全確保」とは、もちろん英米軍を中心としたイラク占領軍への兵站支援です。
安保理決議1483は米英軍の軍事行動も占領の正当性についても直接には触れていませんから、支援の根拠としては薄弱です。そこで03年12月9日に閣議決定された派兵の「基本計画」では、安保理決議1511(10月16日)が根拠として追加されました。こちらは多国籍軍への援助と戦後復興への国際協力を求めています。
特措法2条2項は「武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」と規定しています。憲法9条による制約です。そして同条3項では「戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」で活動するという限定があります。これらは後に述べる重装備や交戦規則付与と矛盾します。
安全確保支援の内容として、第3条2項で「医療、被災民の帰還の援助、施設もしくは設備の復旧、行政事務に関する助言又は指導」が挙げられています。同じく3項で安全確保支援の内容として、「国連加盟国が行う活動を支援するための医療、輸送、保管(備蓄を含む)、通信、建設、修理もしくは整備、補給または消毒」、が挙げられています。実際には要請がなく実施しなかった項目もあります。
その他、いろいろな制約はありますけれども、イラクが「大量破壊兵器」を保有していなかったこと、したがってイラク占領軍に大義はないこと、実質的に初の自衛隊戦地派遣であることは、特措法の国会審議のなかですでに明らかになっていたにもかかわらず、疑問を押し切って国会の多数を頼んで特措法は成立しました。
派兵の枠組の2点目ですが、今回の派兵で特徴的だったのは、初の交戦規則(ROE)を付与されての派遣であったことです。交戦規則を自衛隊は「部隊行動基準」と呼んでいます。「部隊行動基準の作成に関する訓令」はすでに2000年12月4日に出ていますが、その第2条で部隊行動基準を「行動し得る地理的範囲、使用し又は携行し得る武器の使用方法その他の特に政策的判断に基づく制限が必要な重要事項に関する基準を定めたもの」と規定しています。
実際にイラク派遣部隊に付与されたROEは公開されませんでした。新聞協会・民放連が「イラク人道復興支援活動に係る現地取材について」04年3月に防衛庁との間で結んだ「申し合わせ」では、ROEの内容も概要も報道禁止になっています。しかしこの申し合わせに先立って、03年12月12日付の時事報道、あるいは翌日付讀賣報道で、正当防衛や緊急避難の場合には、警告や威嚇射撃をしないで危害射撃ができる、というROEの内容の一部が明らかになりました。危ないと思ったらいきなり敵(と思われる者)を狙って撃ってよい、ということです。さらに今年、つい一昨日の東京新聞は、イラク派遣の空自部隊が不時着して略奪を受けそうになった時には、相手が丸腰でも撃ってよいというROEを付与されていたことを報道しました。自衛隊が現地で誰も殺さずに帰ってきたことは奇跡的だと思います。
イラク派遣部隊のROEの公開については請求がなされましたが、06年10月3日と本年7月15日に、情報公開審査会(委員に憲法学者、公法学者を含む)が不開示を妥当と判断しています。
派兵の枠組の3点目ですが、米英軍の指揮下での活動であったこと。イラクでの自衛隊の地位は、当初CPA(イラク暫定施政当局)命令17号に基づく地位であると説明されていました。イラク占領軍と同格であって、現地に裁判権はないという規定です。03年12月13日付のブレマーCPA行政官から日本政府あて書簡でこのことが書かれています。イラク派遣自衛隊員が現地でトラブルを起こしたときに日本の地裁で裁かれるのは変、という報道がなされていましたが、現地に裁判権がないことのほうが、占領軍の一員であることを明らかにしており、変だと言うべきでしょう。なおイラク暫定政府ができてCPAが解散した後は、自衛隊はたんに多国籍軍の一員となりました。
CPAの一員でも多国籍軍の一員でも、現地で勝手に独自行動ができたはずはないのですが、いずれも指揮・統制下には入らないとの公式発表になっています。亡くなった外務省の奥克彦さん(ベン・ヒルズ著『プリンセス・マサコ』で雅子さんの恋人とされた人)は調整官としてCPAに出向していたわけですから、どのような調整をしたのか、興味あるところです。
派兵の枠組の4点目として、世論の動きについて述べておきます。派兵前の新聞の世論調査では、自衛隊イラク派遣に反対・賛成率が、03年8月4日日経で28:52、9月3日毎日で16:41、10月24日朝日で32」55と、反対が賛成を圧しています。ところが実際にイラクでの自衛隊の活動がテレビで放送されると、04年1月26日毎日では47:47、翌日の讀賣で53:44と逆転します。報道規制があったとはいえ、マスコミの責任の大きさを感じます。ぜひ検証記事で、今まで書けなかったことをみな書いてほしいものです。
派兵の枠組の最後に、派兵基本計画を閣議決定して発表した際の小泉首相記者会見での「平和的生存権の理念に沿った活動」というセリフを思い出しておきたいと思います。言うまでもなく憲法前文の一部を引いているわけですが、憲法の平和主義規定をこれほど貶めた発言もないだろうと思います。
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