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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2009/03/19

3.7シンポジウム報告「あたご」事件とは何か

1 大内要三(平和に生きる権利の確立をめざす懇談会)

映像をいくつかお見せしながら、「あたご」事件の概要を説明したいと思います。

今回の事件で沈められた清徳丸は、まぐろ延縄漁船で7.3トン、15メートルの大きさです。第3管区海上保安本部がマスコミに提供した写真では大漁旗を掲げて10人ほどが乗船していますが、事件が起きた昨年2月19日には、吉清治夫さん(58)、哲大さん(23)の2人のみが乗船していました。日本漁業の零細化、人手不足を象徴しています。

 清徳丸の本拠、千葉県勝浦市にはカツオ漁で有名な勝浦港があり、ここには勝浦漁協がありますが、その東西に7つの小規模な漁港があって、新勝浦市漁協を構成しています。東から、豊浜、川津、松部、鵜原、興津、浜行川、大沢。清徳丸は川津の船です。事件のあった日は、同漁協から8隻が午前1時ごろほぼ同時に出漁しました。船団を組むような形になるのは、安全のためです。8隻のうちでも金平丸、幸運丸、第18康栄丸、清徳丸が一団となっていました。

いっぽう、漁船を沈めた海上自衛隊のミサイル護衛艦「あたご」は、07年3月就役の新しい船で、京都府舞鶴の第3護衛隊群所属、7750トン、165メートル、速力30ノット以上出ます。定員は290人ですが自衛隊は慢性的に人員不足で、281人が乗艦していました。「あたご」がハワイから横須賀までの航路をたどるのは、今回が初めてだったということです。

2 衝突は08年2月19日4時7分、現場は千葉県野島埼沖約40キロでした。大海の真ん中ではなく、東京湾に近い海上交通の輻輳する海域です。当日は朝から多くの報道ヘリが飛んで、分断された清徳丸や行方不明者捜索の映像を流しました。

これは単なる「海の交通事故」ではなく、事件性をもつことだと、まず強調しておきたいと思います。出会い頭に偶然ぶつかった不幸な事故、ではありません。「事件」と呼ぶのは、以下のような理由からです。

まず第1に、見張りの不備の問題があります。防衛省の報告文書でも、雨が降ってきたので見張員を甲板から艦橋へ移した。前直は定員を満たしていなかった。操業中の漁船と誤認して、引き続き注目して見張るよう引き継ぎをしなかった。お粗末です。

2に、衝突回避をしなかったという問題があります。少なくとも12分前に漁船群を発見しながら自動操舵のまま直進し、1分前にようやく手動操舵に切り替え、後進に切り替えた。10ノットなら1分で100メートル進み、停止までに数百メートル進みます。間に合うはずがありません。相手が避けるのが当然と思っていたわけです。

3に、救難の不備の問題があります。相手の船が大破したわけですから、当然乗組員を助けなければいけない。しかし誰も海に飛び込まず、2隻の内火艇(救命ボート)が発進したのは救難開始命令13分後のことでした。潜水員もいましたが、練度が低いことから潜水作業はしませんでした。

4に、通報の遅れの問題があります。4時7分に衝突して、4時23分になって第3管区海上保安本部(横浜)に第一報を入れた。3管が救難出動命令を出したのは4時27分、それからヘリと船舶が現場に向かったのです。通報が遅れたため、当然救難出動も遅れました。もう一方の通報は上司あてで、4時40分に自衛隊統合幕僚本部に事故発生報告。それが5時38分になって防衛相に伝わり、ようやく首相に伝わったのは6時でした。

5に、証拠隠滅の疑いがあります。海上保安庁の捜査前に、防衛省は「あたご」の航海長をヘリで呼び、海保に無断で事情聴取しました。このヘリは7時25分に館山基地を発し、9時4分「あたご」着、9時55分市ヶ谷の防衛省に着いています。また入れ違いに、護衛艦隊幕僚長が8時2分横須賀発のヘリで「あたご」に乗り込み、これも海保に無断で事情聴取をしています。当然、事情聴取だけでなく口裏合わせが行われたでしょう。さらに3機目のヘリが8時15分に館山を発して、小指を打撲骨折した「あたご」乗組員を自衛隊横須賀病院へ搬送しました。緊急性の低い患者を、すぐ後に横須賀に回航される「あたご」からなぜ連れ出さねばならなかったのか。「あたご」にはレーダーの記録が残っていないことからも、証拠隠滅の疑いは晴れません。

 第6に、情報隠しの問題があります。当初は国会でも、艦長が事故当時どこにいたか、乗組員が何人だったかも防衛省は答えませんでした。衝突14分前に漁船群を視認していたことが明らかになった後も、防衛省は2分前と言い続けましたが、これらの情報は記者会見ではなく、自民党国防部会の席で初めて公開されました。

そして第7に、安全対策がなかったという問題があります。船舶自動識別装置(AIS)という、船同士の船籍・速度・方向・位置を知らせ合う装置がありまして、04年から国際航海に従事する船はすべて搭載する義務があります。ただし自衛艦は船舶安全法の適用外のため、義務づけられてはおりません。「あたご」はこの装置を07年4月に搭載していましたが、総務省の事前検査の遅れから機能していませんでした。この装置を使った船の海図によると、事件当時周辺海域に装置搭載船は80隻ありました。このように安全装置を機能しないまま放置していたにもかかわらず、自動操舵装置は積極的に導入して使用していたのです。自動操舵はイージス艦では初の導入でした。つまり操船部門の省力化は進めても、安全対策はおろそかにしていたことになります。

 以上に挙げたようなさまざまな問題を指摘されて、「あたご」の艦長は2月27日になって勝浦市の清徳丸乗組員家族のもとを訪れて詫びました。これに先だって2月21日には防衛相が現地に詫びを入れていますが、向かう途中の勝浦市内で自衛隊員運転の公用車が接触事故を起こすというハプニングがありました。勝浦市川津地区に向かう道路は細く入り組んでいますが、事故を起こしたのは国道沿い、表通りです。そして3月2日には福田首相が勝浦市川津に赴いて頭を下げました。

これで国側・自衛隊側は非を認めたかに見えたのですが、海難審判が始まると自衛隊は「漁船側に責任」との主張を始めました。それでも海難審判は本年1月22日に裁決を下し、自衛隊組織に勧告したのはご承知のとおりです。この結果を見て、近くあらためて刑事裁判が行われることになります。

では、これで「あたご」事件は真相が解明され、正しく裁かれるかといえば、そうではないだろうと思います。まず海難審判の限界があります。艦長はおとがめなし、事件解明は不徹底でした。もともと自衛官は海技士国家試験を受ける必要がなく、いわば無免許で船を操縦していますから、免許停止処分もないのです。

 刑事裁判にも限界があります。今回の事件で書類送検されているのは当直士官2人だけです。艦長も上部組織も告発されていないので、被告人になりません。これで再発防止の役に立つのか、はなはだ疑問です。

 事件の社会性をもっと問題にする必要があると思います。事故原因の究明を厳しく行って、情報操作や情報隠しを暴くことはもちろん重要ですが、同時に、イージス艦という存在自体をもっと問題にすること、そして漁業破壊者としての自衛隊の存在をもっと問題にすることが必要だと思います。

 たいへん悔しく思うのは、「あたご」事件には前例があり、その教訓をまったく生かしていないことです。「なだしお」事件と「えひめ丸」事件です。

 横須賀市の海上自衛隊観音崎警護所の敷地内には「なだしお」事件の慰霊碑があります。1988年7月23日、横須賀港沖の浦賀水道で、釣船「第一富士丸」が潜水艦「なだしお」に衝突され沈没し、30名が死亡した事件です。自衛艦が海の交通ルールを守らず事故を起こしたこと、救難・通報の遅れがあったこと、航泊日誌の改竄という証拠隠しがあったこと、海難審判で相手の責任と主張したことなど、「なだしお」がしたことは「あたご」がしたこととまったく同じです。この「なだしお」事件では海難審判と刑事裁判に5年かかりました。その間私たち平権懇は、第一富士丸の近藤万治船長の支援と公正な判決を求め、海で働くみなさんとともに運動を進めました。

 ハワイ、ホノルル郊外のカカアコ・ウォーターフロント・パーク内には「えひめ丸」事件慰霊碑があります。2001年2月10日、オアフ島沖で、宇和島水産高校の練習船「えひめ丸」が米海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され、教員5名、生徒4名が死亡、12名が重軽傷を負った事件です。米原潜はソナーで上に船がいることを知りながら急浮上して衝突しました。そしてワドル艦長は軍法会議にかけられることなく名誉除隊しました。私たちは「えひめ丸」の本拠、宇和島に赴いて真相解明の運動に協力しました。

 さて、先ほど挙げた「あたご」事件の社会性を追求するうえで、イージス艦という船については別に報告がありますので、漁業との関係を少し述べたいと思います。

 かつて世界に誇る漁業国だった日本ですが、いまや漁業はまったくの斜陽産業になりました。北洋漁業は1988年で終了、南氷洋の捕鯨もなくなり、大手水産会社は冷凍食品製造販売会社に変身しています。いま日本の漁業を支えている20万の漁民は、零細規模の家族経営がほとんどです。農水省の漁業就業動向調査でも、年間作業30日以上の就業者が06年には21万2500人、うち40%が60歳以上でした。船も、『水産年鑑』によりますと、「耐用年数を過ぎた老朽船が目立ち新船の建造は減る一方」です。

『千葉県水産ハンドブック』最新版を見ますと、県内の漁業就業者数は約7000人、漁船は約6000隻ですが、6年前の統計ですから現在はもっと減っているでしょう。就業者が減っているだけでなく、高齢化がもっと問題です。関東農政局千葉統計事務所によりますと、県内の男性漁業者は6000人を割り、うち60歳以上が60%を超えています。漁業は過酷な労働ですから、高齢者には無理です。日本漁業は今後、さらに衰退していかざるを得ない。清徳丸のような船、そして吉清哲大さんのような若い漁業者がいかに大事な存在であったかが分かりますし、その希望の星を自衛隊が消したことの重大性がよく分かります。

 千葉県の漁業者にとって、漁場での操業、そして漁場への往復にあたって、漁船を避けずに突っ込んでくる軍艦の存在は脅威ですし、網を切られる被害も起こっています。そして漁場の中に広大な米軍・自衛隊の射撃演習場があることも、大きな問題です。

 これは「野島埼南方C区域」といいます。もともと米軍の訓練海域で、「チャーリー海域」と呼ばれていました。ここでは夜間演習がない時のみ操業できますが、頻繁に射撃訓練が行われています。その日程は第3管区海上保安本部発表「船舶交通安全情報」に掲載されて、漁業無線を通じて各船に伝えられます。また横須賀港浚渫工事の排出土をここに捨てるとの通告があり、漁場がさらに荒れることが心配されています。

 事件当日も、この「C区域」で海上自衛隊の演習が行われる予定でした。早朝5時という早い時間に「付近を航行していた」護衛艦「しらゆき」と試験艦「くりはま」が捜索に加わったと発表されているのは、この演習に参加する予定だった艦を急遽捜索に向けたものと推測されます。

 さて、清徳丸の本拠だった勝浦市の川津港は、立派な施設をともなう勝浦港とは違ってこじんまりとした港で、家族経営の小規模な漁船が並んでいます。最近の燃料高騰のため、新船建造費の償却は困難だということです。

3  川津港のすぐ近く、小高くなったところに津慶寺という日蓮宗のお寺があります。勝浦市は日蓮聖人誕生の地、誕生寺のある鴨川市に隣接していますから、この津慶寺も古い仏足石があったりする立派なお寺です。ここに吉清家のお墓があります。今回の事件の犠牲者、吉清さん父子は行方不明のため遺骨はありませんが、先ごろ2月21日にはここで一周忌法要が行われました。墓地からは目の下に川津港が見え、太平洋が広がっています。

 事件の現場は野島埼沖でした。房総半島南端の野島埼には、18694 年に日本初の洋式灯台として建設された8基のうちのひとつ、野島埼灯台があります。目の前に伊豆大島が見える景勝の地で、たくさんの観光客が訪れます。沖合はひっきりなしに大型・小型船舶が往来し、その間を漁船が行き来するのが見えます。「あたご」事件はこの美しい海で起こりました。この海の安全を、この海の平和を願ってやみません。

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