2015年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト

「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

« 3.7シンポジウム報告 イージス艦「あたご」とはどのような船なのか? | トップページ | 3.7シンポジウム 質疑・討論 »

2009/03/25

3.7シンポジウム報告 海難審判で何が争われたか

1_2 田川俊一(弁護士、日本海事補佐人会会長)

「海難審判で何が争われたか」というテーマに沿って、海上衝突予防法の条文の一部と、いくつか資料を用意してきましたので、まずこれを説明します。

資料1の海図W61B、これは本物の海図の一部分をコピーしたもので原寸です。図の下のほうにと描いたところがありますが、これが衝突地点です。野島埼灯台から190°22.9マイル。衝突地点からずっと北の方を見ますと、「野島埼」の灯台のマークがございます。外国から帰ってくる船員がみなこの野島埼灯台を見ますと、たいへん嬉しく思う。ああ、日本に帰って来たな、というところなんです。

右のほうに勝浦から航跡を引いてあるのは清徳丸の針路で、215°の方向になっております。真北が0°、真南が180°なのはご存じのとおりです。その清徳丸は針路215°、速力15.1ノット、これは海難審判での事実認定から描きだしたものです。1ノットは1852メートルを1時間で行くスピードですので、時速約30キロぐらい、たいした速度ではないですが、船としてはそこそこの数字です。

右下から上(北)方に延びているのはイージス艦「あたご」の針路で、328°、速力10.6。このまま進んで行きますと洲崎沖、館山の西端あたりに洲崎灯台がありますが、これを右舷に見て、それから浦賀水道を通って観音崎を見て、北上し東京湾に入って横須賀に入るという、進路になります。

資料2は昨年3月28日付の『赤旗』記事ですが、私、田川が「データ公表は義務である」とコメントを書いております。「事故原因は海難審判庁や裁判所が判断しますが、最終的な判断を下すのは国民です」とあります。

資料3も『赤旗』で今年の1月23日付、海難審判の裁決が出た後のコメントです。海難審判で海上自衛隊に責任があることが明らかになった、したがって「あたご」の艦長にも勧告すべきである、ということです。

資料4も同日付の『日本経済新聞』ですが、最下段に私のコメントがひとこと出ております。「なだしおが教訓とされずに繰り返された事故で、海自が安全な航行を継続できるかは疑問。世論の監視と外部に開かれた再発防止策が必要だ」と。

自衛隊は今後は事故が起きないように教育・訓練をしますと、20年前の「なだしお」事件の時に繰り返し言っていたんです。ところが今回の事故を見ると、安全航行の基本である見張りができていなかった。

資料5は平権懇が「なだしお」事件翌年の1月に発行した『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』という本の目次です。なぜ20年前の本の目次を持ってきたのかと言われそうですが、見ていただくと分かります。「海軍化しつつある海上自衛隊」「街の暴走族と同じ」「市民感覚から遠い自衛隊」「起こるべくして起こった事件」「“軍機”より真相を国民の前に」というようなことで識者の方がそれぞれ短い文章を発表していますけれども、これが今回の事件とまったく変わっていません。つまり海上自衛隊は国民の審判といいますか批判をかわしつつ、本質的には従前の体質が変わっていないことが明らかではないかということを言いたいわけであります。

「あたご」事件の概要は、新聞その他で出ておりますことですし、説明は簡単にします。

「あたご」はハワイ沖合で米海軍と共同で、積んでおる武器にかかる「装備認定」、つまり装備がうまく働くかどうかをテストをしたわけです。このテストはたいへん厳しいもののようです。そのような試験を終えて、パールハーバーを発して横須賀に向かった。19日の午前3時ごろには野島埼沖を328°の針路で進んでいた。本当に進む方向は風と波の影響を受けて4°ずれて進んでいたのですが、大きな違いはありません。速力は10.6ノット。

いっぽう清徳丸は、同日0時55分に勝浦の漁港を発して、三宅島方向の海域にマグロ漁業に行くために、同じ海域を針路215°、速力15.1ノットで進行していた。

2 さて、これから見ると明らかなように、「あたご」からは清徳丸を右舷サイド、右側に見ることになります(資料1)。海上交通ルールでは、このように横切る場合は他船を右に見る船のほうが右転をしてかわせというのが原則で、これが世界的ルールとして条約になり、国内法では海上衝突予防法になっています。海上衝突予防法の第15条に規定がございます。道路交通法ならともかく、海上衝突予防法については船員以外の人では知らなくて当然ですが、ここだけを見れば明らかです。「横切り」とは何かと。「2隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは、他の動力船を右げん側に見る動力船(本件ではあたごになります。「他の動力船」が清徳丸です)は、当該他の動力船の進路を避けなければならない」(予防法15条)。

避けるためにどういうことをしなければならないかというと、第16条に、「この法律により他の船舶の進路を避けなければならない船舶(これを「避航船」と言いますが)は、当該他の船舶から十分に遠ざかるため、できるだけ早期に、かつ、大幅に動作をとらなければならない。」というふうに、明確に書いてあるわけです。

これらは「あたご」の艦長、当直士官、あるいは見張り員も含めて、海事関係者であれば誰でもいちばん最初に勉強する海上衝突予防法で、しかも、もっとも基本的な条項なんです。これを多少でも知っておれば、漁船が右から来ている、このまま行けばやがて衝突する、どちらの船が避航すべきかといえば我々である、ということがすぐに分からなければいけない。「大幅に、早期に」衝突を避けられる動作をしなければいけない。この例で言いますと、イージス艦「あたご」は速力が10.6ノットでしたから、大幅に速度を下げる、あるいは右に曲がって清徳丸の後方(船尾)をパスするようにすれば安全にかわすことができるし、その程度の動作をすることは何でもないことなんです。しかし「あたご」の艦橋には10名とか11名の者がいたんですが、誰もこのことに気がついていなかったということが、結果としては言えるわけです。

一般商船ですと、日本近海に近づいた、東京湾に近づいたとすると、東京湾から出る船、入る船、南北また東西に航行する船舶、船舶交通が輻輳する海域ですから、当然緊張します。一般商船はせいぜい3人くらいですが、それでもきちんと見張りをする。「あたご」はいったいブリッジで何をしていたのか、と言いたくなります。ただ自衛隊というのは縦割りですので、見張りは見張りだけしていて余計なことをしてはいけない。舵をとる人は舵をとればいいのであって、余計なことをしてはいけない。与えられた任務だけやれというのが組織の鉄則のようです。ただその背景は、漁船はいたって構わないと、「私は菊の御紋を背負った軍艦である」という意識があって、真剣に見ていなかったのではないかというふうにも思われるわけです。

そこで、先ほど出ました潜水艦「なだしお」事件とイージス艦「あたご」事件とを比較して見てみたいと思います。潜水艦「なだしお」事件は20年前の1988年7月23日、これは東京湾の横須賀沖でした。イージス艦「あたご」事件2008年2月19日、これも東京湾の入口である野島埼の沖合で事故が起きております。

共通点を見ますと、まず「なだしお」と「あたご」、両艦船ともに自衛隊ではその当時の最優秀艦なんです。「あたご」は事故の前年に生まれたばかりですね。「なだしお」も新しい潜水艦で、優れた機能を有していたわけです。私は「なだしお」事件のとき第一富士丸の補佐人を務めて、現場検証で「なだしお」の艦内まで昇って見ましたが、計器と機械がぎっしり詰まっている。しかしこれは航行の安全というよりも、敵艦を発見してやっつけるという目的のもので、軍艦ですからそういうふうになるんですけれども、じつに見事なものでございました。「あたご」はイージス艦でありますから、100機ぐらいの敵をいっぺんに発見してやっつけることができるという、優れた性能を持っているわけですが、肝心な漁船をよう見つけなかったということは何故かということです。

また、両事件はいずれも平和な海で、自衛艦が民間船と衝突し、重大な結果が発生したという点でも同じであります。「なだしお」事件では、週末に釣りを楽しみたいという乗客が28名、乗組員2名の30名が亡くなりました。「あたご」事件では清徳丸の船長とその息子さんが2人とも亡くなった。まことに重大な、痛ましい結果が発生しています。

次に共通点としては、海上交通ルールを見ますと、いずれも自衛艦側に避航義務があります。「なだしお」事件では、「なだしお」は富士丸を発見していたんですけれども、自動車の運転に例えればまずブレーキを踏む、それからハンドルをとる、という動作が基本ですが、「なだしお」はアクセルを踏んだわけです、富士丸の前を突っ切ろうと。その判断が誤りであって、衝突にいたった。「あたご」も避航義務を守りませんでした。

その前提となる見張りですが、「あたご」はいちばん始めは衝突の2分前、自分の前方右側に緑の灯火(右舷側の灯火)を確認したと言っていました。突然漁船が現れたと強調したいためにそう言ったのかも知れませんが、緑の灯火が見えたら衝突するわけがない。なぜそんな見え透いたことを言うのかと一斉に非難を浴びたら、実は初認は衝突の12分前だったと言い換えた。さらに30分前には右のほうに見えていたと主張を変えてきているわけです。いずれにしても見張りがきちんとできていなかった。

また海上自衛隊は両事件ともに、事実をそのまま発表しないで情報操作をしていたのではないか。「あたご」の乗組員をヘリコプターで呼んできたり、また陸から幹部が艦に行ったり、捜査が入る前にいろいろ動いていたということが明らかになっております。そのこと自体は仮にあったとしても、その中身を公表しないことで、情報操作をしているのではないかと思われても仕方がないわけであります。

「なだしお」事件では『朝日新聞』がスクープしたのですが、「なだしお」は航泊日誌を改竄しておったということを大きく取り上げた。「なだしお」の艦長は富士丸の30名が死にかかっているときに、艦長室で航泊日誌の改竄、衝突時間を2分ずらしたんですが、それをせっせとやっていたわけです。航泊日誌はふつうの商船では航海日誌と言いますけれども、機械的に船の動静をつける公の日誌です。漁船が突っ込んできたと言うためには、衝突時刻を2分ずらした方が言いやすくなるんです。単純に航泊日誌だけ書き換えたのではよろしくないので、チャート(海図)といって、いつどこを通ったということを記載し記録に残すんですが、それを1箇所をずらしたものですから数箇所を変えなければならない。せっせとそういう作業をやっていたわけですから、いかに自己保身を優先させたかということが明らかです。

富士丸では助けを求めて泳いでいる人が多いということが分かっているわけです。「なだしお」には屈強な若者が乗っているわけですから、飛び込むくらいの気概は持てと、海難審判で私も主張したんです。ところが、飛び込みは艦長の命令がない限り、たとえ目の前で溺れている人がいてもできないんだと。艦長は全体的な安全を考えて、飛び込んでも何にもならないから命令しなかったということでした。

また「なだしお」には救命艇、ライフボートがあるんですが、これをなぜ出さなかったか。ライフボートは潜水艦員を助けるためのものであって、民間人を助けるものではないと説明されました。いつ使うかというと、潜水中に何らかの事故で潜水艦が上がらなくなったとき、乗組員が水上に出て乗るのがライフボートであると。軍組織の優先ということを名実共に実践しているところであります。

「あたご」事件で大きな問題なのは、相手の船(清徳丸)の方位が変わらないように見えたので、速力がないと思ったという、乗組員の証言です。方位というのは自分の船から相手の船を見た角度をいうんですが、方位が変わらなければ衝突するわけです。子供が聞いても分かるようなごまかし、つまり自分には責任がないんだということを言いたいんでしょうが、その拠って立つ理論がなっていないのであります。

しかし国民世論、「あたご」はおかしいんじゃないかと言われて、少なくとも表面的には謝罪しなければならないところに追い込まれたわけですから、艦長は遺族を訪れて謝っていた。

海難審判では、衝突の原因、過失はどうであったかということが、第一に争われたわけです。自衛隊は、今まで悪うございましたと謝罪していたのが掌を返すように、あの事件は我々に原因はないと、清徳丸が進路を変え速力を変えたから衝突した、つまりわが艦の前方にわざと出てきたのではないか、ということを海難審判で言い始めました。

海図(資料1)を見ていただきますと、215°で清徳丸は進んでおりましたが、海難審判での自衛隊側の主張では、これを1マイルくらい南にずらすわけです。清徳丸が1マイル南を通ると衝突しない。そういうはずであったのに、「あたご」に近づいてきた清徳丸が今度は右に舵を切って、わざわざ「あたご」の前方に出てきたので衝突した。そう言い始めたわけであります。それはおかしいと審判官から批判されても、最後までその主張を曲げなかった。徹底して主な原因は清徳丸にある、漁船にあると、最後まで言い続けていたわけです。

なぜそうなるかというと、海難審判は受審人とか指定海難関係人が両方にいる場合に  互いの主張を聞けるのですが、清徳丸乗組員は死亡していましたので、それができなかった。したがって片裁判、海上自衛隊の乗組員と、それを補佐する弁護士だけで審判が行われて、厳しく詰めるという作業ができなかった。ある面では自衛隊は言いたいことを言っていたということであります。

そこには、いわゆる海軍意識、菊の御紋を背負っているという意識が根底にあるのではないか。民間船が自衛艦を避けるべきであって、海上交通ルールなんかはわが海軍には通用しないというふうな意識が根底にあるのではないか。本来、民主主義のもとでは国民が主権者で、公務員は公僕なんですね。ましてや自衛隊という大きな権力と暴力装置をもつ組織は、これを徹底的に尊重しなければならない。ところが、我々は国防のために日夜努力しているんだから、国民はその我々を敬って避けなければならないと。

今回、海難審判で海上自衛隊という組織に勧告が出たということで、海上自衛隊がどういう組織になっているか、よく分かるということを申し上げたかったわけです。

« 3.7シンポジウム報告 イージス艦「あたご」とはどのような船なのか? | トップページ | 3.7シンポジウム 質疑・討論 »

平和的生存権」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/204354/44467341

この記事へのトラックバック一覧です: 3.7シンポジウム報告 海難審判で何が争われたか:

» エピペンを救急救命士が [エピペンを救急救命士が]
エピペンを救急救命士が使えるようになりました。 [続きを読む]

« 3.7シンポジウム報告 イージス艦「あたご」とはどのような船なのか? | トップページ | 3.7シンポジウム 質疑・討論 »

無料ブログはココログ