読む・読もう・読めば 68
インタビューの礼儀
12月25日付の『週刊金曜日』781号に、烏賀陽弘道氏が本多勝一氏にロングインタビューをした記事が掲載されている。「俺があのルポを書いた時」と題されている。「カナダ=エスキモー」に始まる「極限の民族」3部作、ベトナム解放戦線を取材した「戦場の村」、そして南京大虐殺の現場を見る「中国の旅」。ベストセラーとなり、また大量のジャーナリスト志望者を生んだそれらの歴史的なルポが、社会部長の支持と理解のもとに、独自の方法・判断で行われたことが述べられている。本多氏の成功は希有な例であって、現在の企業ジャーナリストにすぐに参考になる部分はないように思われるが。
烏賀陽氏は周到な準備のうえで、先輩に対して礼を尽くしたインタビューを行っていると思われるが、しかしこの記事はまことに読みにくく、読後感が爽やかでない。その理由のひとつは文体と形式にある。本多氏はぶっきらぼうに言葉少なに語った後、30項目に及ぶ「本多付記」を加えている。舞台裏は本多氏によって雑誌の「あとがき」に当たる「金曜日から」のページに明かされている。「私もこれまでにさまざまな場でインタビューを受けたことがありますが、もともと話がへたで、その場では説明が不十分だったり間違えたりすることも多いため、掲載される前の速記録なりゲラなりで手を入れるのが常でした。そんなことは当然すぎて何の疑問も抱いていなかったので、今回もそうしようとしたところ、烏賀陽氏が原稿を修正や加筆しては困るとのこと。結局こういうかたちにならざるをえませんでした。」という。
一般的には要するに力関係なので、インタビュアーが著名人で話者が無名人であれば、ゲラなど見せてもらえず、インタビュアーに都合の良いまとめ方をされることが多い。しかしゲラを見せると、原型がなくなるまでに加筆をして貧しい発言を豊かな発言に変身させてしまう魔術師も少なくない。今回の場合、不幸なのはインタビュアー(朝日新聞社を早期退職した人)と話者(定年まで朝日新聞編集委員だった人)との間に信頼関係が形成されなかったことであって、とばっちりは読者に来るのだ。間に入るべき編集者が不在なのだろうか。 (2009年12月27日)

