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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2010年8月

2010/08/31

9.11リレートーク

2010.8.31 杉山 隆保

マスコミ・ミニコミ関係者のみなさまへ
9.11リレートークの告知・取材をお願いします!


民主党は先の衆議院議員選挙のマニフェスト第2項目「政治改革」の冒頭に、「参議院の定数を40程度削減します。衆議院は比例定数を80削減します。」と明記しました。また自民党は「自民党政策集 Jファイル2010第Ⅸ項目で「衆議院・参議院の国会定数を3年後に722名から650名に1割削減し、6年後には、国会議員定数を500名に3割削減します。」と書きました。

そして7月31日、菅直人首相は、国会議員の定数削減について8月中に民主党内での意見をとりまとめ、12月までに与野党間の合意を図るよう枝野幸男幹事長・輿石東参院議員会長に指示しました。

事態は急迫しています。私たちは「小選挙区制廃止をめざす連絡会」を発足させました。その狙いは憲法が本来定めている民意を正しく反映する選挙制度をめざした選挙制度を創ることにあります。

そこで、当面の活動として①賛同署名を集める②「週刊 金曜日」に意見広告を掲載する③9月11日に文京区民センターで「リレートーク」を行います。この「リレート-ク」には林克明、村岡到、山崎康彦、原田伊三郎、紅林進、矢崎栄司、田所智子、平岡章夫、橋本久雄、佐藤和之、江原栄昭、河内謙策、日隅一雄、朝倉幹晴が参加します。

ぜひ、これらの行動を告知ないしは取材・報道をしてください。よろしくお願いします。

「小選挙区制廃止をめざす連絡会」会員 

杉山 隆保

「小選挙区制廃止をめざす連絡会」
〒113-0033 東京都文京区本郷2-6-11
メールアドレス 
popularelection@nonet.jp

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告24

2010.8.31 杉山 隆保

勝利判決を迎えて 「原告弁護団」の声明

2010年7月29日

 本日、女性自衛官に対する性暴力に関する国家賠償請求事件(女性自衛官人権訴訟)について、札幌地方裁判所民事第3部(橋詰均裁判長)は、原告の主張をほぼ全面的に認める勝訴判決を言い渡した。

本訴訟で自衛隊は、①性暴力、②被害者保護・援助の不作為、③退職強要の全てについて争った。これらの判断にあたっては、セクハラ行為が「私行上の非行」とされ個人の問題に解消されてきた自衛隊において、その防止や被害者保護のために積極的に対応し、「良好な勤務環境」を確保すべき義務の存否、内容が問われた。

本判決は、以下のとおり、被害実態の分析・評価、自衛隊の事後対応の問題性について、深い洞察を加え、具体的詳細に論じており、今後のリ-ディングケ-スとなる画期的なものである。

1.被害者の供述の信用性判断にあたって、物理的強制の存否や内容に拘泥することなく、実情を踏まえた丁寧な検討を行なった。具体的には、

① 被害者の供述の一部に変遷や不合理と思われる点があっても、「性的暴行の被害を思い出すことへの心理的抵抗が極めて強いこと」「共感をもって注意深く言い分に耳を傾けないと、客観的事実と異なる説明やもっとも恥ずかしい事実を伏せた説明をしてしまうことはままある」「本事件に関する原告のもっぱら男性上司や男性警務隊員によって行われており、原告が性的暴行を冷静に思い出したり、記憶を言葉で説明することができなかった可能性が高い」等と指摘した。

② 本件現場、組織の特性として、「隊内の規律統制維持のため隊員相互間の序列が一般社会とは比較にならないほど厳格で、上命下服の意識が徹底した組織」であることを明確に判断したうえで、原告が「上位者である加害者に逆らうことができない心境に陥ることが不自然ではないと判示した。

2.被害者に対する保護・援助の点では、職場の法的責任につき、①被害職員が心身の被害を回復できるよう配慮すべき義務(被害配慮義務)、②加害行為によって当該職員の勤務環境が不快となっている状態を改善する義務(環境調整義務)、③性的被害を訴える者がしばしば職場の厄介者として疎んじられさまざまな不利益を受けることがあるので、そのような不利益の発生を防止すべき義務(不利益防止義務)を負う、と事後の配慮義務について積極的かつ具体的な判断基準を示して、それに対する違反があったとしたと認定した。

3.損害賠償580万円が認容され、その内訳を性暴力200万円、その後の保護・援助の不作為300万円の慰謝料、弁護士費用80万円とした。性暴力後の対応に多額の慰謝料を認めたことは、性被害被害の実態の捉え方(2次、3次被害の苦しみの大きさ)、被害者の所属する組織の責任の重大さを示した点で重要であり、賠償水準の引き上げにも寄与した。

 弁護団は、被告国が、本判決の内容を真摯に受け止め、控訴をしないこと、本件判決に基づいて自衛隊内のセクハラ防止策を見直し、実効性ある再発防止策をとることを強く求める。

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告23

2010.8.31 杉山 隆保

7月29日札幌地裁判決の確定にあたって「女性自衛官の人権裁判を支援する会」の声明勝訴判決が確定しました。

 原告、そして、今日までこの裁判と原告を支援し続けてくださった皆様とともに、こ の喜びを分かち合いたいと思います。支援し続けて下さった皆様、本当にありがとうございました。

 提訴から3年3ヶ月、事件が起こってから3年11ヵ月、原告にとっては本当に長い 時間でした。辛抱強く、原告に寄り添い、真実を明らかにしていった弁護団の努力には、心からの敬意を表します。

そもそもあってはならない事件が起こった上に、自衛隊は、被害者である原告に対して保護・援助を怠ったばかりか、退職を強要するなど、二次被害及びパワーハラスメントまで生じさせました。被害者が裁判に訴える以外に、性の尊厳、人権の回復を求める方法は残されていませんでした。

現職のまま提訴した原告に対し、自衛隊はいじめや嫌がらせを繰り返し、ついには任用を拒否(解雇)し、自衛隊から追い出しました。

  数々の困難に直面し、幾度もめげそうになりながら、今日まで自分の足で立ち続けた原告の勇気と頑張りに、私たちは心からの拍手を送ります。そして、原告(被害者)の言葉に、きちんと耳を傾けて下さった判決が今日、確定し、本当に報われたという思いで一杯です。

提訴後、原告や支援する会には、たくさんのメッセージが寄せられました。その中には、自分も同様の被害にあったというものも多く、自衛官や元自衛官という方々からも多くのメッセージが寄せられました。原告の事件が、氷山の一角であることは、そうした事実からも明らかです。

精神的にも深く傷つけられる性暴力の被害者にとって、自ら声を上げ、立ち上がることは、途方もない勇気とエネルギーを必要とします。

  被害者にそのような過大な負担を強いることが決して繰り返されぬよう、そして何より、二度とこのような事件を起こさぬよう、国と自衛隊には、今回の判決を真摯に受け止め、実効ある措置をとることを強く求めます。

事件当時20歳だった原告は、今年24歳になりました。彼女の二十代は、事件と裁判に翻弄され続けてきましたが、今日の勝訴判決の確定で、ようやく若者らしい時間を過ごし、新たな未来へ歩み始める条件が出来ました。

  ご支援いただいた皆様には、今後とも、原告を温かく見守り、支えていただければ幸いです。

 今日、確定した判決が、同様の被害に苦しむ方々にも、どうか力となりますように。

2010年8月12日

女性自衛官の人権裁判を支援する会

共同代表 竹村泰子・清水和恵・影山あさ子

http://jinken07.dtiblog.com/   

2010/08/29

読む・読もう・読めば 84

あたご事件初公判傍聴記

823日、横浜地裁で、2008219日に起きたイージス艦「あたご」による漁船沈没事件の初公判が行われた。事件から2年半、「主因はあたご側」と認定した横浜海難審判所の採決から17か月になる。海難審判裁決は、衝突時の当直士官だった長岩友久・元水雷長の過失のみを事故の原因とし、海上自衛隊第3護衛隊群第3護衛隊(事故当時第63護衛隊)に安全教育の勧告をした。しかし検察は、長岩被告に加えて、前当直士官だった後潟桂太郎・元航海長をも起訴した。2人の被告は起訴求職中となっている。

公判日も暑かったが、傍聴券を求めて集まった人々は屋外の駐車場で待たされた。2人の被告は大勢のカメラマンが待ち受ける正面玄関を避けて裏口から入場したが、こちらにもカメラマンはいた。2人はダークスーツに灰色のネクタイ。取材陣は各紙とも若い横浜支局員が主力のようで、記者クラブに加盟していないマスコミに雇われて抽選に並んだアルバイト学生にまで、「どのような動機で傍聴を?」などとインタビューしていたのに苦笑。45枚の傍聴券に対して約5倍の競争率、幸いに私は抽選で当選した。

横浜地裁第6刑事部、業務上過失往来危険等平成21()715号事件。101号法廷。判事は3名で、秋山敬・裁判長、林寛子・裁判官、海瀬弘章・裁判官。10時開廷、午後4時過ぎまでかかった。起訴状の要点は以下のとおり。後潟被告は接近中の漁船の動きを正確に引き継ぐ注意義務を怠り、停止操業中と誤った申し送りをした。長岩被告は誤りに気づいた後も衝突を防ぐ注意義務を怠り漫然と航行を続けた。2人の過失の競合により漁船に衝突し沈没させたことは、業務上過失往来危険罪にあたる。また沈没した清徳丸の吉清治夫さん、吉清哲大さんを死亡させたことは、業務上過失致死罪にあたる。

起訴内容認否では2被告とも無罪を主張した。後潟被告「検察の航跡図は真実とまったく異なる。私は船乗りの常識に従って行動した。私の引き継ぎが長岩を混乱させたことはない。」長岩被告「衝突したことに間違いはなく同義的責任を感じている。しかし検察の主張する位置関係や航跡は虚報であり、悪意をもって表現されている。作られた過失で刑事責任を問われるいわれはない。」

検察側冒頭陳述は今村智仁検事による。以下は要点。漁船を右方向に見るあたご側に回避義務があった。後潟被告はレーダーで3隻の漁船を確認し、速力などを算出させる操作をしたが、速度と進路を示す矢印マークを見落とした。停止操業中と誤った引き継ぎをした時点での清徳丸までの距離は7.1キロ。これはあたごの航行指針で回避行動を開始すべき7.2キロ以内。見張りを引き継いだ長岩被告は漁船群の一部は航行中と気づいたが、清徳丸は停止操業中と誤認。91メートルまで近づいてから自動操舵止め、後進いっぱいを命令した。

弁護側は峰隆男主任弁護人以下、5名であたった。パワーポイントを使っての説明で、いかにも手間と金をかけている。海難審判で退けられた、清徳丸が2回にわたり右転したため衝突したという主張をあらためて証明する主張を行うため、高等海難審判所OBの宮田義憲氏の鑑定による、金平丸船長の証言を基にした航跡図を提出。また多数の証言を矛盾なく総合したという、3時点での清徳丸の「存在圏」という新しい概念でも説明し、検察側の主張する航跡とは異なるという。清徳丸が右転しなければ衝突せず、あたごの後方を横切ったはず、という主張である。

証拠提出では、検察側が遺族や漁協関係者の陳述書なども提出したのに対して、弁護側は小型漁船の船首がわずかな波でも振れることを証明する実験結果や、事故後のテレビ取材への各船長の証言ビデオも提出した。後者の映像は放送局・出演者の承諾を得ているのか、疑問だ。総じて見た目では検察側の主張に迫力がなく、被告側が健闘した。11月の結審までに全17回の公判が予定されており、判決は来春になると思われる。次回公判は921日。

いまや刑事裁判は公判前整理手続きにより争点が絞られており、今回は清徳丸の航跡と後潟被告の過失の有無に限って審理が進められる。法廷で艦長の責任が問われることもなく、海上自衛隊の責任が問われることもない。事件発生の原因は漁船群の存在を知りながら自動操舵のまま回避行動をとらずに突っ込んできた「あたご」にあると私は考えるが、それが常識ではないだろうか。東京湾に近づいたのに艦長は就寝中、見張りは雨を避けて甲板から艦橋に入っていたのも弛緩としか言いようがない。また事件の遠因として、ミサイル防衛で米国防衛まで担うようになったと自認する海上自衛隊の慢心があったと思うが、どうだろうか。

私たち平権懇は、事件発生6日後の08225日に「ミサイル防衛計画を中止せよ! 太平洋を平和の海に! イージス艦の漁船衝突事件に際しての声明」を発表し、0939日には毎日ホールで「あたご事件」を考えるシンポジウムを開催した。シンポ報告のなかで私は7点のあたご側の問題点を指摘した。1.見張りの不備 2.衝突回避をしなかったこと 3.救済の不備 4.通報の遅れ 5.証拠隠滅の疑い 6.情報隠し 7.安全対策がなかったこと。声明、シンポ記録ともこのブログに掲載した。以後、東京新聞の半田滋記者が著書『ドキュメント防衛融解』で当時の防衛省・自衛隊の内部事情を書いた。しかし重要な問題点を不問にしたまま、というよりも不問にすることを前提として公判が進むならば、法廷外での私たち市民平和運動の役割は小さくない。(2010829日)

2010/08/26

9月3日ねりま9条の会学習会「日米安保は必要ですか?」

講師 大内要三さん 

2010年9月3日(金)夜6時30分より

豊玉リサイクルセンター  資料代300円

日米安保が調印されてから50年。1960年には大規模なデモが国会を取り巻き、70年代には先鋭化した学生によるデモが繰り広げられましたが、現在では「核の傘」や「日米安保」によって日本は守られていると考える人々がたいへん多くなりました。
 本当に日米安保は日本を守るのか、日米安保とはいったいどういうものなのか、知っているようで「実はチョット曖昧」と 感じておられる方も多いのではないでしょうか。
 調印から50年という節目を迎えた今、当時の日米政府のやり取りなどを検証しながら日米安保を学んでみようと、今年日米安保についての本を出版された大内さんに講師をお願いして学習会をすることにしました。

http://www.nerima9zyo.com/

小選挙区制の廃止をめざすつどい

9月11日(土)の午後6時20分より文京区民センター3階で「小選挙区制の廃止をめざすつどい」が開かれます。この会場で「平権懇」が作成したパンフレット「国会改革・比例削減でよいのか」を販売いたします。

2010/08/20

沖縄密約の意味とメディアの役割◎質疑応答

木下 いまの東大の学生の話というのは、いつですか。

柴田 昨日の夜の話です。私は朝日の主張とか讀賣の主張とか、いっさい言わなかったんですよ。その後で、じつは今から15年前に、私がまだ現役のときには朝日対讀賣の大論争のテーマであったと話した。学生の中のひとには、平和憲法なんてのは虚構でしょう、とまで言われて。

杉山 そういうのがメディアにどんどん入ってくれば……

柴田 今のままならそういう人が入ってくるわけだから、これはもう憲法のおかげ派は無理なんだなあと。現役の人と話しても、さっきのような私の主張に対して反発してきますよね。そんなにいつまでも平和憲法なんて言っていたらダメなんだと。もうすこし現実路線に立たなければ、っていう言い方をします。だから私がもう過去の人になっている。さっきの「限定ならやむをえない」というアフガン空爆許容社説と、有事法制に賛成に転じた社説に対して、私は著書で痛烈な朝日批判をやったんです。だけどそれに対して残念ながら、現役から反発がないんですね。「お前の言っているのは間違っている」と誰か言ってきてくれれば、そこで論争になっていいんだけどね。

木下 最初に産経がトップを切って転換して、そのあとメディアがついてくるだろうと。今は実際にそうなっているわけですよね。転換することによって、新聞社という会社になにかメリットがあるんですか。

柴田 もちろんメリットがあるんです。社会が変わっていくなかで、社会の動きに追随してそういうふうに変わっていくんだと思います。産経路線にすぐについていくのではなくて、讀賣新聞は産経に激しく攻撃されていたんです、70年代にはね。その産経の批判の対象だった讀賣が今度は大転換して、讀賣・産経対朝日・毎日というふうに二極分化したんですね。地方紙は朝日・毎日のほうに近いんです。だからまだ日本の新聞はそんなに捨てたものではないんですけども。

たとえばどういうことかというと、イラク戦争に対して朝日と毎日はイラク「侵攻」という言葉を使った。それに対して産経・讀賣は「進攻」を使った。日本のテレビは全部「進攻」ですね。それどころか産経だったか、「快進撃」とか書いたわけです。そういう時代になったんだなあと思ったんですけども。

それと同時に進撃が始まる前の日に日本のメディアは全部、バクダッドから引き上げたでしょう。これはメディアの劣化以外の何物でもないと思うんですね。ベトナム戦争のときには戦場の第一線に記者をどんどん出して、戦争の実態を報道したわけですよ。それが40年経ったイラク戦争では、なんと戦争が始まるときにそこにいた新聞記者は全部引き上げてしまう。これは新聞社の堕落だとある人に言ったんです。そうしたら、君は自分の部下が死んでもなんとも思わないのか、と言われた。危ないと分かっているところへ出して死んだら、その人の責任になるという考え方なんだね。それによって報道がちょっと劣っても、フリーの人からもらったっていいじゃないかと。そこまで日本のメディアが普通の会社になったんだなあと思いました。

杉山 私はイラク戦争の訴訟団で、東京の原告の100人のリレー訴訟をやった張本人です。現地が危ないから引き上げたということですけど、戦争が終わってからも実際にイラクからの報道が入っていないんですよね。ほとんどフリーですよね、みんな。

情報公開が逆戻りしたといま大議論になっているんです。イラク戦争で自衛隊がクウェートからどれぐらい米兵を運んだか、空自の情報開示を請求して、これが出たので名古屋高裁で勝てた。いま陸上自衛隊の活動記録が、これも情報開示を請求したら、全部また黒塗りに逆戻りしている。そういう意味では、メディアが本当の意味の情報を伝えなくなってきているのかなと。戦争が終わったって伝えないわけですから。本来ならばもし戦争があって行けなかったら、終わったらせめて現地へ追跡取材するとかすればいい。報道の仕方、切り込み方はいくらでもあると思うんです。いろんな切り込み方を考えだしていく、その基本に憲法なり何なりがあると考えないと。

柴田 ベトナム戦争のときに日本のメディアは新聞もテレビも、なかなか頑張ったわけですよね。だからこそ田英夫さんがキャスターを降ろされたり、「ベトナム海兵大隊戦記」という日本テレビの番組が途中で止められたり、そういう政府の介入がテレビにいろいろあった。それを私は以前はメディアの敗北のように考えていたんだけど、そうではなくて、政府がその番組を止めろと言ってくるぐらい批判的な報道をしていたということですよね。それは褒めてやるべきじゃないか。昔はね、政府に言われて放映を中止するなんて、なんてだらしないという見解だったんだけど。

今は単にメディアの変質ではなくて、明らかに劣化だと思うんですよね。論調の変化というのはあってもいいと思う。憲法改正にも賛成の新聞があって、反対の新聞があって、それは構わないと思う。だけど報道の基本に対して、たとえば自衛隊のイラク派遣反対のビラを入れた人が逮捕されて70日ぐらい拘留されているわけでしょう。ああいうことに対してなぜメディアは怒らないのか。蕎麦屋の宣伝ビラを入れた人は捕まっていないんだから、明らかにあれはビラの内容で逮捕しているわけだから、これは思想犯の問題なんですよ。完全に戦前社会の思想犯の取り締まりと同じことを、いまのメディアが許していることの不思議さというか、戦前派になりかかっている私としては非常に切歯扼腕するんですよね。

大内 メディアの劣化なり大学の変質がどこから来るかというときに、市民運動や労働運動との距離というのがひとつあると思うんです。たとえば東大法学部の学生がどんどん憲法なんてもういらない、変えるべきだと言うのは、東大法学部の憲法講座が変わってきているからですよね。かつて東大法学部の憲法講座といったら基本的に護憲で、内閣法制局長官と連携しながら、ぎりぎりのところで支えてきたということがあったわけです。芦部憲法なんかその典型的な例だと思いますけれども。しかし今の長谷部憲法を見たら、そうでないですね。

マスコミもたとえば朝日の場合に、輪転機を回している人は絶対に労働組合の委員長になれないシステムがありましたね。書記長にはするけれども絶対に委員長にしない。委員長にしたら新聞記者が言うことを聞きやしないから、という階層構造があったわけですね。それでも輪転機を回している人、庶務の人、発送の人、出版の人とか、みんなが議論して組合の方針を作っていたわけですけれども。しかし印刷部門が別会社になり、出版部門が別会社になり、校閲部門まで別会社になり、というなかで記者組合になってしまったわけですね。権力の隣で仕事をしている記者が、それをチェックする労働組合がなくなってしまったことによって劣化したと思います。働いている仲間とか生活に困っている人々とか、そういうところへの眼がどんどんなくなっていると、私は思います。

榎本 新聞というのは読者については何を期待しているんですかね。読者の眼とか投稿欄がありますね。ああいう動向など気にして編集しているのか、あるいはそれは参考程度でたいしたことないのか。

柴田 いや、それはもうものすごく気にしてやっていますよ。投書もたくさんあるなかから選んで載せるところに編集者の眼があるわけですよね。朝日の場合は朝日の論調と違うものもどんどん取り上げるようにはしていると思いますけど、やっぱり讀賣はかなりはっきり、自分の論調に近い投書を多く採用しているなあという感じがします。だから論調が変わっていく過程においては、読者の声というのはいろんなものがあるけれども、その読者の声をむしろ先導役とすることもあるんですよね。読者がもう変わってきたんだから、それによって変えるという。有事法制の問題なんかでも、私はもうOBだったけども、現役の論説委員と論争して、私のようなことを言っているから朝日が左だと言われて読者が去っていくんだと、もっとウイングを広げなきゃだめだと言われました。いつまでも同じところにとどまっているわけにいかないのは、読者自身も変わっているからだと。

杉山 この間普天間の問題で、毎日小学生新聞で沖縄に記者を出したんですよ、若い記者を。そしたら「やっぱり知ることは大事です」と書いている。いまの若い記者たちは、基地問題とかそういうところに直接取材に行く機会というのはきわめて稀なのかなと。やっぱり取材すれば、沖縄だから基地に反対かというと、そうばかりも言えない、基地が生活圏になっている人たちもけっこういることが分かる。学校で避難訓練をやるんですけれども、日常的に先生たちがヘリコプターの音とかジェット機の音に異常がないか神経をとがらしていることが分かる。基地と基本的には共存できないんだけど、どかすにどかせないというのが分かる。だから日米安保をどう見るかというのは、いま大事なとこに来てるんじゃないですか。

小幡 2つ質問があります。ひとつは、野中広務という人が官房機密費をマスコミに流したということで、何人かの評論家の名前を挙げた。東京新聞はOBにも、あなたはもらいましたかという話をしたようですけれども、その点でなにか情報、御意見がありますか。もうひとつは「ザ・コーヴ」というイルカの映画ですけれども、ちょっと問題はあると思うんですけれども、新しい右翼団体によって上映が差し止められている。足元から憲法で保障された表現の自由、言論の自由がつぶされていく。このまま放っておくとああいう運動がさらに元気づけられて、他の問題でも表現の自由がなくなっていくのではないかと思っているんですが。

柴田 官房機密費の問題は私も本当に腹が立っているんです。そもそも民主党が野党時代は透明化すると言っていたのに、しないわけですよね。ひどいのは、自民党は830日の選挙で大敗したのに、91日に官房機密費、金庫にあった25000万を全部おろしたわけでしょう。持ち逃げしたわけですよね。そのとき私は「マガジン9條」のメディア時評にも書いたんだけど、メディアはその25000万が何に使われたかだけでもいいから、徹底的に追及したらいい、そうすればメディアに対する信頼感も少しは回復する。それから、そんなのあるんですかと言っていた民主党の官房長官が、すぐにまた12000万おろした。野中が、黙って受け取る奴がいて怒り心頭というのはよく分かるけど、それなら誰にやったかぐらい言えばいいんですよね。断ったのが田原総一郎だと、ひとりだけ名前を挙げてね、彼だけが本当に真っ白だなんて信じられないなあと思った。週刊誌は、新聞の中で書いているのは東京新聞だけ、と書いているんですね。他の新聞はダンマリ、と。あの問題は目を離さずに明るみに出していくべきだと思いますね。誰か官房長官をやったのが腹をくくって出せばいいんです、吉野文六さんみたいに。そういう人を常にマークしているのがメディアの大事な役割で、いますぐなかなか取れなくても、そういうことを狙っている人を置いておくべきだと思うんです、歴代官房長官に密着してですね、死ぬ前に本当のことを言ってくださいよという、そういうことをやればいいんです。

 もうひとつの「コーヴ」。表現の中身とかそういうことと違って、表現の自由の問題なんだから、そういうことは許さないというのは、メディアが一斉に足並みをそろえなきゃいけないんですね。一昨日は明治大学まで止めたというのは、あれは見に行こうかと思っていたものだから、よけいびっくりした。抗議するメールが流れてきたから、私も抗議のほうに名前を入れましたけどね。

小林多喜二を虐殺した戦前の社会に日本を戻してはいけないんだということについて、日本のメディアが一致した見解をとれないのはどういうことなのか、私はよく分からない。だけど残念ながら、たとえば自衛隊派遣反対のビラを入れた人が最終的に有罪判決を受けたときの社説で、讀賣新聞は判決を支持すると書いているんですね。朝日は「これでは世の中が縮こまる」っていう批判。縮こまるで済ましちゃダメなんですよ。そういうことに対する怒りがないのは、ある意味で表現の自由が非常に進んだせいだということを言う人もあります。いや、それだけいい時代になったんだよ、とね。戦前の小林多喜二にしろ横浜事件にしろ、そういうものはメディアにとってどういうことだったのかということを、少なくともメディアの人ぐらいは考えてほしいというのが、私の意見です。

杉山 なかなか組合でもそういう議論にならない。

柴田 組合運動もそうだけども、いまの学生もほとんどデモなんてやらないでしょう。学生と話していると、なんとなくデモというのは悪いことだと思っている人がいるんだね、かなり。

大内 教職員の運動もなくなってしまいましたので、手本がないんですよ。

柴田 マルクスが恐竜か何かになったような心境ですね。時代が変わりつつあるのかなあ。だけどそのなかで唯一の救いは、憲法9条を変えることに圧倒的な国民の反対が強いわけです。それから9条の会が全国に広がって、そこだけはちょっと救いがあります。

大内 9条の会は自分たちがまた戦争に巻き込まれて犠牲者になるのは嫌だという、そういう感性が強すぎるのがちょっと怖いと思うんです。日本の自衛隊が外国に殺しに行っている時代なんですよ、というほうに力点を置かないと。これからは、国益を守るためにはということで、かわいそうだけど日本の兵隊さんも死んでください、になってしまうとどうしようもないと思うんです。

柴田 小泉さんははっきりと、アメリカのために自衛隊を出すんだと言っていたわけでしょう。分かりやすいんですよ、その論理はね。だから讀賣もイラク戦争を検証すべきだというけれども、自分のことを検証しない。ただその当時の論説委員長が書いているのを見ると、アメリカは日米同盟の大切さを守るためには働かなかったという主張ですよね。あれが今の人たちには意外に受けるんじゃないでしょうか。

大内 一昨日出た民主党のマニフェストのなかに、国益という言葉が出てきているんです。鳩山由起夫は昔から言っていたけれども。

柴田 私は国益という言葉が大嫌いなんですね。国益と聞いただけで寒気がするぐらいなんですね。国益という名の、そのときの政府益に過ぎないですよ。せめて国民益と言ってほしいけれども、国民益という言葉でも、そういう言葉になったとたんにまたおかしくなる。

小幡 非常に下世話な連想なんですけれども、大相撲の賭博疑惑が一斉に出てきているんですけれども、これもなんかメディアの陰謀ではないか。

柴田 陰謀ではないでしょうけれども、日本のメディアの雪崩れ現象というんですかね。英語でスタンピード現象と言うそうですけど、野牛が1頭走り出すと全部走り出して、草木をなぎ倒していくのをスタンピードと言うそうです。日本のメディアのスタンピード現象でひどかったのは拉致問題ですね。何がなんだか分からないけれどもワーッといく。もっとひどかったのはオウムですね。オウムに関してはどんな悪いことを書いてもいいみたいな社会になった。どちらかといえば少数意見の側、体制が雪崩れたときにちょっと待てというのがメディアなんだという考え方が、あまりないんじゃないですかね。むしろ体制に順応して、一緒に雪崩れようとする人が多いんじゃないか。

杉山 コーヴはもう見られない?

小幡 ネットで解禁するとか。2000人に限定して。

杉山 在特会は暴力的だから。

柴田 朝日新聞の前にずっと来ていた右翼は、街宣車に日本の旗とアメリカの国旗を立てていたわけですよね。アメリカの国旗を立てる右翼というのは成り立つのかなあと思った。だけどアメリカは親米右翼がよりナショナリスティックになることを心配しているんじゃないですか。沖縄にアメリカ軍の基地をどうしても置くのも、やっぱり瓶の蓋という意味が半分はあるんじゃないですかね。日本の右翼がアメリカはいらないというほうがアメリカにとっては心配の種だし、そっちへこれから日本が走るんじゃないかという心配があるんじゃないでしょうかね。ただこの間の普天間問題では、なぜ日本のメディアはアメリカの言うとおりにしろと言うのかというと、アメリカにいる特派員はもちろん、それぞれの社の幹部になっている人たちは、みんなアメリカ留学組とか、アメリカの知日派の人たちを情報源にしていた人たちですね。

大内 外務省記者クラブというシステムが壊せないでいることですか。

柴田 外務省クラブなんていう問題ではないですよ、普天間問題に関して言えば。むしろアメリカの特派員しかり、日本の論説しかりで。論説委員はクラブと関係ない。いまの朝日新聞の主筆の船橋君というのは、アメリカに長くいて、アメリカの知日派と非常に仲がいいから、ああなるのかなあと思うんだけど。

大内 外務省記者クラブがダメだなあと思ったのは、岡田克也外相が記者会見をオープンにしましたね。フリーの人間が質問して、面白いことを岡田がいろいろ言うんだけども、大新聞は全然書かないんですよ。たとえばジブチに自衛隊が戦後初の海外基地を36億かけていま作っていることも、オープン記者会見で岡田は認めているんですけれども、大新聞には出ない。

柴田 そうですか。そういうことこそネットで流れるわけですね。この間の、アメリカが呼びつけたんじゃないというのも、僕はメディア批評に書いたんですよ。そうしたら、今ごろ何を言っているんだ、そんなことネットの世界ではみんな知っているよと言われてね。私はじつはネットをほとんど見ないものだから。そういう意味では、昔はメディアが書かなかったら存在しないのと同じだったけど、ネット時代というのはそういう良さはあるんだけれども。

杉山 ネットに出たら、それを深めるのを新聞でやればいい。まだ新聞に信頼はそれなりにあるんですよね、テレビなんかに比べると。

柴田 メディアのどこかに出れば存在感はあるわけだから。私は新聞がここまで堕落した理由は、やっぱり記者クラブだと思うんですよね。新聞が立ち直るためには記者クラブをなくしたほうがいいというのが私の主張なんだけども。あんな便利なものはみんななくせないと言っている。

木下 21世紀臨調にマスコミ関係の上層部が70人ぐらいメンバーに名前を連ねていたというんですが、そのリストは御存じないですか。去年の総選挙のちょっと後くらいにサイトから削除されて、そのままになっている。元朝日の長谷川千秋さんの話です。

柴田 要求したらもらえるんじゃないですか。そういうメンバーを隠すということはないと思いますよ。要求して不開示というなら、開示請求をしてもいい。公平を保つためにメディアを入れたというのが官側の論理で、メディアが宣伝役をしてくれるという立場でしょう。さっき私がケチつけた有識者委員会にも、共同通信OBの人が入っている。

小幡 守秘義務があるそうです。

柴田 そういうことをされちゃダメなんだよな。

沖縄密約の意味とメディアの役割

2010619日 平権懇学習会報告

柴田 鉄治

政府は国民に嘘をついてもいいのか

 西山事件に関連する情報公開訴訟の、私は25人いる原告の一人です。なぜそんな原告になったかというと、国民の一人として政府が嘘をつくのはけしからんというのが原点なんだけど、政府が嘘をついている場合、それを正すのはやはり本来メディアの役割だと思うんですよね。私はもう退社した後だけれども、ジャーナリストとして加わろうというふうに思ったわけです。

 原告団の団長代行、実質的な弁護団のリーダーに小町谷育子さんというきわめて優秀な弁護士がいます。その方が常々、これは西山事件じゃない、西山事件の続きだとみんなが思っているけれども全く違うんだということを言っておられたんですね。だけど裁判のたびに新聞には西山記者の顔が出て、勝訴のときも革命的な勝利だという西山さんの話と写真が出た。でもやっぱり小町谷さんの言うとおり、これは西山記者事件の続きではなくて、メディア対政府の新たな闘いの一環であろうと思います。

そのメディア対政府の闘いで言うと、38年間、ずっとメディアが敗北してきた。琉球朝日放送が作った西山事件の番組は、「メディアの敗北」という題でした。これは良くできた番組で、私は大学で教えていたときに学生たちにその番組を見せて、ああ、西山事件というのはこういうことだったんですかと、学生たちは本当に良く分かってくれたんですけれども。この題のとおり、メディアはずっと権力との闘いに負け続けてきた。

政府が国民に嘘をつくということは、そもそもどういうことなのか。逆に国民が政府に嘘をついたら何の場合でも罰せられるのに、政府は国民に嘘をついていいとはどういうことなのか。そこが私は原点だと思うんですね。その原点から言うと、政府の嘘を許さないというのを基本的な姿勢にするのが、国民の立場に立つメディアには当然のことだと思うんだけど、日本のメディアはきわめて甘いというか、政府が国民に嘘をつくのはしょうがないんだというような考え方がものすごく強いですね。それがますます強くなっている。まして外交には密約が付き物だなんて言っている人もいるぐらい、そういう考え方が非常に強いという気がします。

私は何か考えるときに、私の子供のとき、つまり戦前の社会はどうだったかということを原点に考えます。戦前の社会では政府対国民の関係では常に国が上に君臨して、いつも二言目に出てくるのは「お国のために」という言葉でした。お国のために尽くせ、命をささげろというのがあの時の教育でした。私は国民学校の世代ですけれども、国民学校では戦う小国民をつくる、お国のために命を投げ出せという教育を朝から晩までやっていた。そういう状況があったんですね。

戦争が終わって平和憲法ができたときに、二度と戦争はしないという平和憲法のすばらしさもさることながら、主権在民、国家の主人公は国民なんだということに感動したことを覚えています。主人公は国民で政府や官僚は国民に奉仕する公僕なんだと、公僕なんていう言葉は最近は誰も使わないけれども、当時は教科書に出ていました。

新憲法ができたときに、日本国民の中にその新憲法の適用を受けない人たちがいることについて、私たちはほとんど思い及ばなかったのは恥ずかしい話ですけれども、確かに沖縄はまったく置き去りにされた。古くは琉球処分から始まると言いますけれども、そんな昔はともかく、太平洋戦争でも沖縄は唯一の地上戦の舞台となって、結局本土のために切り捨てられたわけですね。

サンフランシスコ条約で日本が独立したときにも、沖縄は日本から外すという形で、そこで大きな沖縄差別がなされた。72年に復帰したことで、今度は新憲法のもとに沖縄県民になったとはいうものの、やはり沖縄は差別されたままの状況です。占領時代そのままといっていいほど軍事基地があり、核抜き本土並みとは言うものの、核はいつでも持ち込めるような密約があったり。返還にあたって日本がお金を出しながらアメリカが出したことにするというような密約もなされたわけです。

密約事件をめぐるメディアの躓き

密約の中でもいちばんひどい密約が核再持ち込みの密約だと思うんです。核再持ち込みの密約は若泉敬さんという佐藤首相の密使を務めた人が、自殺をする前に遺書として本を書いて、全部バラしたわけですね。けれども政府はそんなものはないと言い続けている。

西山記者問題は今さら説明する必要のないことですけれども、西山記者問題を政府対メディアの闘いというふうに考えるときに、メディア側にいくつかの躓きがあったと思うんです。まず、せっかく取ったスクープ、特ダネを、なぜ毎日新聞は1面トップで報じなかったのかということ。これはやっぱり最大の疑問点で、当時の毎日の幹部の方に聞いても明確な答えはないのです。西山さんはある集会での質問に対して、ニュースソースがばれるから避けたと答えられたと、間接的に聞きました。まったく逆に、横路孝弘さんが秘密電報を政府側に見せたためにニュースソースがばれたわけです。1面トップで報じていたら、さすがに政府も毎日新聞にその秘密電報を見せろとは言わなかったと思うんですね。

第二は、西山記者が女性事務官と「情を通じて」という起訴状で世論の風は変わったし、政府は公務員法違反で逮捕した。スキャンダルにすり替えたのは非常に計画的にやられたことではあるけれども、それはそれとして密約は密約という追及の仕方が、あの時なぜできなかったのだろうかということが、第二の疑問です。私は現役の新聞記者でしたけれども、そういう形にメディアが動く状況はなかったですね。最初は毎日新聞を筆頭に、政府に対する闘いだという形で激しいメディアの戦列が組まれたけれども、毎日新聞の謝罪社告、まずかったという社告からガタガタっとなったという感じです。アメリカのメディアだったら、取材方法の是非論は別の問題で、密約とはなんだという追及をしたんじゃないかというふうに思うんですけれども。

当時、アメリカのメディアは、つねに私どものお手本だったと思います。ペンタゴン・ペーパーズをニューヨーク・タイムスがすっぱ抜く。それを政府が差しとめたら、すかさずワシントン・ポストがそれをリレーして報道する。またそこをストップさせるとロサンゼルス・タイムスが報道するというような、メディアの連携プレーがあった。最終的に最高裁で国民の知る権利は民主主義の基本だという形で勝訴しました。

それで、さっき言った若泉敬さんの遺書によって密約がひとつ明るみに出る。琉球大学の我部政明先生の調査でアメリカの公文書館から続々と密約の文書が出てくる。密約に実際にサインをした外務省アメリカ局長の吉野文六さんが、北海道新聞の記者のインタビューに答えて、密約があったことを認める。次から次と新しい証拠が出てきたわけですね。政府はそれでも、そんなものはないの一点張りです。

そのときのメディアの対応は、私は3回目のメディアの躓きではないかと思います。公文書が出た、吉野さんが認めた、ということは報道したんですよ。それでそんなものは知らないと官房長官がひとこと言ったら、それで終わっちゃったんですよね。例えばアメリカのメディアだったらそういうときに何をやるだろうかと私は考えて、実際に現役の記者たちに、こういうことはできないかと提案をしてみたんですけど。

たとえば毎日、官房長官会見というのがある。最初、公文書が出てきたときそこで質問したら、そんなものはありません、と福田康夫官房長官が言ったわけですね。翌日、今度は別の記者が「あのアメリカから出た公文書はアメリカが捏造した文書だと思うか」と聞いてみたら、官房長官は何と答えるだろうか。あるいは吉野文六さんが、確かにそのサインは私のものだと認めたときに、「吉野さんは嘘をついていると思いますか」という質問をする。知らない、知らないと言うだろうけれども、政府側はこう答えたと書く。毎日毎日ほかの人が質問するような格好でメディアの連携プレーはあり得ないのかどうか。そういうようなことを現役の記者に言ったら、とんでもない、そんな空気はまったくないという話でした。

西山記者はそういう公文書をもとに、自分の名誉回復を兼ねて、再審請求ではなくて国家賠償請求する訴訟を起こしたんですね。最高裁まで争ったけれども、裁判所は門前払いを食わした。もう時効であると、民法で言う除斥期間を過ぎていると。その門前払いを受けて情報公開請求の裁判が始まった。また違う組み立てをしました。アメリカから出てきた公文書は日本側にもあるはずだ、その公文書を出せと外務省、財務省に請求する。そんなものはないと言って拒否される。拒否はおかしいと開示請求をする。そういう形の裁判を起こしたわけですね。原告25人に対して30人以上という、たいへん大きな弁護団で緻密な作戦を立てました。

ぶつかった裁判長が杉原則彦というなかなかの人で、最初の公判からみごとな訴訟指揮をやったんですね。たとえば国側に対して、文書がアメリカにあって日本にないということはどういうことなのか、その意味を説明してくださいと要求したわけです。捨てたなら捨てた、どういうことでなくなったのかということを説明しなさいと。弁護側には、吉野文六さんを証人として法廷に出しなさいと。こういう訴訟指揮をする裁判長ならば、もしかするとこれは勝てるかもしれないという感じを持ったのが、最初の法廷でした。まだ自民党政権下ですよ。政権交代が起こる前です。3月に提訴して、6月の第1回口頭弁論でそうだったんですね。12月の法廷で吉野さんは、90歳を超えて耳は遠くていろいろ聞き返していたけれども、歴史を歪めてはいけないと、密約はあったとはっきり述べた。

だけどこの裁判を起こしたときのメディアの扱いはですね、東京新聞が社会面3段、日経新聞が2段、朝日も読売も毎日も全部ベタ記事だったんです。杉原裁判長があざやかな訴訟指揮をみせた第1回口頭弁論も、讀賣、産経新聞は1行も報じなかった。これが日本のメディアの関心なのかと、そこで痛感したんですね。その後政権交代があり、やっと密約に対するメディアの関心が高まりました。外務省に有識者委員会ができ、密約探しが始まった。

核再持ち込みの密約「合意議事録」が佐藤首相の私邸から見つかったというのは讀賣の特ダネだったんですけど、讀賣と朝日が追っていてほとんど同着だったと聞いています。けれども讀賣・朝日の論調に、私は愕然としたんです。讀賣新聞の社説は「東西冷戦下の苦渋の選択だ」が見出しだったかな。佐藤首相の密約を評価するような内容でした。朝日新聞「天声人語」は「とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこに見る思いもする」と書きました。

日本のメディアはなんでこんなに密約に甘いんだと、私は愕然としました。佐藤首相の私邸から見つかったということは、公文書として保存する気がさらさらなかったということですよね。歴史の審判を仰ごうなんていう気持ちがまったくなかったことは明かです。それから余計な話だけれども、佐藤首相は非核三原則を理由にノーベル平和賞をもらったわけですね。非核三原則というのは、作らず、持たず、持ち込ませず、です。核再持ち込み密約がばれたら恥ずかしいという意識が、少なくとも彼にはあったと思うんですね。だから自宅に持ち帰った。幸いそれを息子さんが外へ出したということがあるとはいえ、メディアが「苦渋の選択」と佐藤首相を褒め称えるとはどういうことだというのが、私の思いです。

外務省でやった密約探しですが、大事な密約がなくなっているということを、東郷和彦条約局長がはっきり証言をしたわけです。それを引き継いだはずの次の条約局長は、そんなのは俺は知らないと言った。結局、半分見つからなかったことについて、有識者委員会は糾弾しない。しかも有識者委員会は不可解なことに、佐藤首相の私邸から見つかった核再持ち込みの密約について、これは密約に当たらないという見解を示した。誰が見たって密約中の密約だと思うんですけど。そういう変な有識者判断の見解に対して、メディアは批判らしい批判をしていないわけです。

密約がここまでばれてきても、そういうものは外交にはつきものだというような格好で何となく認めるかのような日本のメディアというのは、どうなっているのかというのが、私の率直な感じです。これでは私たちの裁判でせっかくすばらしい判決があっても、それを生かすことができない。原告たちが求めていたものは文書の内容なのではない、文書を出さない国の姿勢を変えさせたいのだとまで、判決に書いてくれているわけですよね。原告たちの精神的苦痛に対して賠償金をひとり10万円ずつ要求してあったんですが、その10万円も全部認めた。だから完全勝訴なわけですね。

問題は国がどうするかです。密約を全部ばらすと言っていた民主党政権だから、控訴しないんじゃないかと思ったら、そうじゃなかったですね。控訴したわけです。有識者委員会といい、控訴といい、政治主導だと言うけれども、民主党は結局、外務官僚の上に乗っているだけだというのが今回の事件だと思うんですけれども。

高裁ではどう闘うかは原告と弁護団でまだ打合せをしていないんです。私は打合せ会議があったら言おうと思っているんですけれども、判決は国の探し方が不誠実であると言っているわけです。ちゃんと探してないんじゃないかと。それから、もしないならば、誰かが捨てろと命令したに違いないと。外務省の高官が携わったに違いないということまで判決は言っているわけです。誰が命令していつそれを捨てたのかを、やっぱり国側に出させなければいけない。出させて、それを実際に命じた人に対して、処分を要求したらいいんじゃないかと、私はそう思うんですね。どこの国だっていわゆる密約はあるという説は多少認めるとしても、いちおう25年とか30年経てばそれは外に出すということをどこの国も持っている。だいたい歴史を偽ったままにするということは、近代国家として許されないはずです。外務省の中で言われていることは、情報公開の法律ができるときに、大量に書類を破棄したんですね。ゴミ屋さんに出したそのゴミのトン数の記録だけ残っている。そういうことをもう一回明るみに出して追及すべきじゃないか。

私は判決を聞きながら、日本の司法はもうほとんど死に体かと思ったけど、そうでもないと、まだ司法は生きていたと感動したんです。それが果たしてどうかというのはこれからの問題ですけれども。これから後の闘いは、日本のメディアが、政府が国民に対して嘘をつくことは許さないという姿勢を取り戻せるのかどうかということですね。幸いこの間の勝訴の持つ意味については各紙一斉に書いてくれたし、あそこで日本のメディアも少しは目覚めたんじゃないかと思っているんですけれども、ただそれがこれから後続くのかどうか、それが最大の問題だと思うんです。

新聞の足並みが揃っていた時代

日本のメディアがなんでいまこんなふうになっているのかということを、ちょっと歴史的に振り返ってみます。皆さん御存じでしょうけれども、日本のメディアは戦前は新聞が中心で、放送はNHKのラジオだけでしたけれども、戦後全部継続したんですね。これが同じ敗戦国でもドイツといちばん違うところです。ドイツではいったん戦前の新聞は全部廃刊されて、新しいものが戦後にうまれたわけです。日本では幸い新聞社も新聞の配達網も全部残っていたので、占領政策として生かしたわけでしょうね。日本のメディア自身も戦前に対して非常に強く反省して、戦後「二度と過ちは繰り返しません」と誓って再出発したわけです。これは嘘だったわけではないと思うんですね。ですから50年代、60年代の日本のメディアは、わりに政府・与党に厳しいという、メディアらしい姿勢をまあまあ持っていたと私は思うんです。

その例として、60安保に対する「7社共同社説」というのがあるんです。「共同宣言」でもいいですけれども。「7社共同社説」というのは朝日新聞の笠信太郎さんという主幹が各社に呼びかけてやった、「暴力を排し議会制民主主義を守ろう」という社説です。在京の7社だけでなく、地方紙も48紙が掲載した。「よってきたる所以を別として」というような文句が入っていて、大変な批判の声があることは私も十分に知っているし、私も決してあの共同社説を全面的に評価するつもりはないんです。ただ、あの社説で日本の安保闘争が収まってしまった、メディアが大衆運動を殺したんだというような、そういう言い方で非難する人たちもいるし、それはいろんな考え方があると思うんですけれども、私はそうは思わない。私はむしろあのときに共同社説がまとまったほどメディアの姿勢が揃っていたということに注目したい。「よってきたる所以は別」とは言いながらも、やっぱり岸内閣は退陣すべきだということに、ほとんど論陣は揃っていたわけですよね。また現に首相が退陣したわけです。

岸首相の退陣とともに池田内閣の登場で、所得倍増政策が当たったせいかどうかは分かりませんけども、スーッと潮が引くように大衆運動も引いた。それが7社共同社説のせいだというように言う人もいるんだけども、私はそうだとは思わないんですね。そうじゃなくて、民衆のあのときの怒りは、安保の中身についてではなく、岸政権の姿勢に対してみんなが怒り狂ったのではないか。

というのは、日本が戦争に負けて、講和条約で独立するときに、国民に相談することもなく吉田茂が一人でサインして、日米安保というのは生まれた。まだ日本は自衛隊もないなかで米軍に守ってもらうというのは、あのときの世界情勢から言えば、ある意味でしょうがなかったことなのかもしれない。けれどもその日米安保はメチャメチャな不平等条約なわけだから、岸政権は改定という形で、少し対等のものに戻そうとしたことは間違いないですね。だから私は必ずしも改悪ではなかったというふうに表現するんですけれども。岸内閣が前の安保よりももっとひどいものを作ったということではないんです。

だけどもあのときに国民は初めて安保の存在を知ったわけですね。それまでは安保というものについてほとんど何も関心はなかったわけです。しかも岸首相が強行採決をした。岸首相は戦犯として日本をあの戦争に導いた人ではないかということもあった。あのときの日本人のいちばんの心配は、アメリカの戦争に日本が巻き込まれてしまう恐れはないか、そういう形の安保反対だったんですね。日米同盟の本質からの反対が安保反対運動の原動力だったのならば、池田内閣に代わったとたんにあんなふうに潮が引くように引いたはずはないわけですね。安保といえばデモ隊のかけ声じゃないけどアンポハンタイで、私なんかも口調としてはアンポハンタイと出るようなぐらい、当時の人たちはそういうふうにアンポハンタイなんですけども、それは国民の安保反対闘争の原動力ではなかったんじゃないかな、というのが私の観察です。

日米安保は本来、間違いなく日本の平和憲法と抵触するわけですね。本来なら両立しないものだけれども、それをうまく日本は両立させてきた。憲法と安保という矛盾する2つを両立させてきたということが、戦後の日本の発展のひとつの原動力ではあったわけです。そのことに対して国民は、ある程度、納得しているという状況に近いんじゃないかと思うんです。だから日米安保を根底から否定するという考え方が国民の大多数の根底にあるかといえば、たぶん違うと思うんです。日米安保は米ソ対決がなくなって、本来は必要性がうんとなくなったはずだけれども、むしろアジアのなかで日米安保から日米同盟へと、より軍事同盟の性格をどんどん強めていくという変質があった。この変質については、もっと疑問視してもいいと思うのだが……。

朝日・讀賣の憲法対決

60年代までは新聞論調は曲がりなりにも足並みが揃っていた。そのもうひとつの象徴はベトナム戦争ですね。政府はアメリカ支持だけれども、メディアはこぞって反対したのが、ベトナム戦争への対応ですね。戦場にもどんどん記者を出して戦争の悲惨を報じた。

70年代に入ってまず変わったのは産経新聞です。産経新聞がはっきり論調の転換をやったわけです。日本の大新聞は偏向している、我々は左翼偏向に対してそれをただしていくんだという言い方で、政府・自民党寄りに路線を切り替えたのが70年代です。で、「正論」という欄をつくったり、雑誌を作ったりするわけですね。そのときの論説委員長が、今でこそ産経新聞は孤立しているが、やがて日本の新聞はみんなこの産経の後を追って来るに違いない、ということを書いていたのを覚えています。すごい自信だなあと。

70年代はさすがに産経に続く新聞はどこもなかったわけですけれども、80年代に入って讀賣新聞が大転換するわけです。御存じのとおりナベツネさんが論説委員長になって、明確に路線変更をやったわけですね。いちばんよく私が覚えているのは、83年の正月元旦の社説で、朝日新聞攻撃をやったわけです。朝日新聞という言葉はいっさいないんですけれども。立論としては、いま現在世界は東西対決になっている。東西対決のなかで日本は明らかに西側陣営にいる。読売新聞は西側の陣営にいるということを明確にしていくと。それに反対する、東側に近いようなメディアは、左翼だとか社会主義だとかいう言葉はいっさい使わずに、平和とか反戦とか反核とか、そういう耳障りのいい言葉を使ってそういうことに加担している。そういう社説を出したわけですね。私はそのころ論説委員だったから、朝日に対する宣戦布告だなと思いました。

論調の二極分化がいっそう明確になったのが91年の湾岸戦争ですね。産経・讀賣対朝日・毎日と当時言われた二極分化という形です。湾岸戦争に日本は130億ドルというものすごいお金を出したけれども、国際的に感謝されなかった。クウェートの感謝のなかに日本に対する感謝の言葉がなかった。これではダメだと、血を流さないで金で済まそうということでは世界に対して日本はますます孤立してしまう、世界の孤児になるというのが、讀賣・産経の強い主張でした。その議論を進めると、軍事貢献をやれということになりますね。それが憲法でできないなら、憲法改正をやれということになってきたんですね。

それに対して朝日・毎日ははっきりと、日本の国際貢献は軍事貢献ですべきではない、非軍事面で貢献するんだと主張しました。だからクウェートの復興資金を出すとか、そういうようなことにはいくらでもやれるんだということで。讀賣・産経の主張が軍事貢献もできる「普通の国」になれということだとすれば、朝日・毎日の主張は軍事貢献には立ち入らない「特殊な国」になれという、まあ主張だったわけですね。

それは日本の国内世論を二分することで、本来なら政党が言うべき話なんだけども、日本の政党はそのへんは全部ぼかして、メディアの戦いになった。自民党のなかも憲法を変えろという人たちが半分いると思えば、半分は変えるなと言っているのに、そういう点を曖昧にしながら日本の政治はなされているわけです。

湾岸戦争が終わったとたんに、改憲ムードはスーッと消えたんですけれども、讀賣新聞はそのまま突っ走った。何をやったかというと、94年の113日、憲法公布の日に読売憲法案、全文改憲案を出したわけです。そのとき面白いのは、讀賣に読者から、全文改憲案など新聞社が作るのはおこがましいという批判が殺到したんだそうです。それからもうひとつは、あの改憲案は讀賣新聞の社論なのかどうかと。1面トップからずっと書いたわけだけども、社説という言葉もいっさいないわけです。そういう反論に対して讀賣はちょっとたじろいで、これはひとつの提案なんだと、社会に対する提案であって、べつに読売の社論でも何でもないということを説明したらしいんですよ。そんな説明が通るわけがないから、やがて社論だと言うようになっていったようですけれども。

そのとき朝日新聞社内では大激論になったわけです。讀賣には勝手に出させておけばいいじゃないかという声が朝日の中には半分近くあったんですね。それに対して私は断固反対したんです。日本でいちばん部数が多くなった讀賣新聞が、全文改憲案を出しているのに、朝日がそれに対して黙っていることはないだろう、朝日は護憲でいくということをはっきり出したほうがいいんじゃないかと。それなら社内議論を大いにやろうというので、論説、編集、調査研究室、そういうところが一緒になって「日本の針路研究会」を作って一生懸命議論して、とにかく護憲を打ち出そうということで、9553日の憲法記念日に、朝日新聞の護憲大社説というのを出したんです。1面から何頁かにわたって展開したんだけど、全部に「社説」という言葉を入れて大型社説にした。

それから朝日・讀賣の憲法対決が始まるわけですね。朝日・讀賣の憲法対決が、そのままイラク戦争に行くわけです。95年の戦後50年企画でも、この50年が平和だったのは何故かということで、朝日新聞ははっきり、これは平和憲法のおかげだという主張を打ち出した。讀賣新聞は、これは日米安保のおかげだということをはっきりと打ち出した。

日本に2つの法体系があるんだという説を仮に認めるとすれば、讀賣は日米安保の法体系に乗り、朝日は平和憲法の上に乗るという、一見そう見えます。私は平和だった理由は平和憲法のおかげだという説にまったく違和感はないんだけど、今の人たちは必ずしもそうは言わないで、平和憲法と日米安保、矛盾するものをうまく使ってきたのが日本の智慧であり、またそれを認めてきたのが朝日新聞の論調だと言うんですね。確かに朝日新聞は、日米安保を全面否定したことはないんですよね。

讀賣と激しくやり合ったときに私は讀賣の人にも言ったんですけども、ベトナム戦争に韓国はアメリカの要請に従って軍隊を出したわけです。日本には自衛隊を出せという声はまったくなかった。アメリカはなぜ出してくれと言わなかったのかといえば、日本には平和憲法があるからじゃないのか。もちろん国民も認めなかったでしょうけども。アメリカが作ったと言われるような平和憲法のもとで日本の自衛隊を出すなんてとても無理だと、アメリカだって分かっていた。あのとき平和憲法がなかったら、日本もアメリカの要請に応えることを断りきれなくて、韓国のように軍隊、いや自衛隊を出した可能性はゼロではないんじゃないかと。

朝日新聞の岐路

その戦後50年からまた15年がたってどういうことが起こったかというと、朝日新聞の主張が、どんどん讀賣新聞のほうに寄って行ったわけですね。具体的に言うと、たとえば私が論説OBとして最初に猛烈に腹が立った朝日の社説は、同時多発テロが起こってアフガン空爆が始まった日の朝日の社説です。「限定ならやむを得ない」という社説。同時多発テロはたいへん悲惨な事件だけれども、テロっていうのは犯罪ですよね。犯罪に対する報復として、まったく罪のない国民の頭上に爆弾を落とすなんて許されるはずがないじゃないのかというのが、私の感覚なんです。私は空爆の体験者ですからね。10歳のとき我が家も空襲でやられたからよく覚えているんですけれども。アフガン戦争が始まったときの論説に戦争を知っている世代はいないわけですからしょうがないんだけども、限定なら一般市民を傷つけない空爆は可能だというような形の社説が出てくるということに、私はものすごく驚きを感じたんですけれども。

それから3年後に有事法制の問題がありました。あの小泉さんがアフガン戦争のころから出していたんだけども、かなり反対が強かった。それに対して2003年に民主党が修正案を出したんですね。修正案を出したとたんに朝日新聞が、民主党の修正案は「検討の余地がある」と社説を転換した。朝日新聞が3日連続社説を載せて賛成に転じた。それで自民党が民主党の修正案に乗って、有事法制は成立したわけですね。

有事法制というのは皆さん御存じだと思いますけど、戦時下には自衛隊は日本の法律を守らなくてもいいという法律です。そういうのを作っておかないと、自衛隊はいざ敵が攻めてきたら戦えないという。自衛隊の立場に立てばそれはよく分かるし、たとえば戦車が重量制限で普通の道路を走れないわけです。それから塹壕を掘るのに地主の許可を得ていたら、間に合わなくなるというのは、それはその通りです。ただ平時に軍事優先の思想を認めるかどうかというのは、これは別の問題なんですね。

従来の朝日新聞は日米安保も認める、自衛隊の存在も認めるけれども、軍事優先の思想は認めないという考え方をずっと採ってきたわけです。だから有事法制に賛成するという形で、ここでまたひとつ朝日はルビコンを渡ったと思うんですね。朝日新聞のそういうのを私は「ぐらつき」と言っているんだけども、朝日新聞がウイングを広げて、より正常化したんだと今の人たちは言う。

そういう朝日のぐらつきという目で見ると、この間の普天間のメディアの大合唱はどういうことか。讀賣の主張は従来のままなんです。自民党から民主党に替わって普天間問題は大変になる、アメリカの言うことを早く聞いて早く決めないと日米関係が危機に陥る、という形の社説をいちはやく出していた。その讀賣とそっくり同じ社説が朝日新聞に載ったわけですね。去年の1216日の社説です。私は思わずその社説の頁を閉じて1面を開けて、これは朝日新聞に間違いないんだろうなと思って見たほど、中身は読売の社説とそっくりでした。いわゆる1本社説という、いつもの2本を1本にする大社説です。

そういう激しいメディアの大合唱にもかかわらず、鳩山由起夫さんはとにかく先延ばしした。私は鳩山さん、なかなかやるじゃないかと思ったんだけど、その後の鳩山さんはまったくもうダメでしたね。腹案があると言ってみたけど何もなかったし、アメリカに対して県外、国外をどこまで交渉したのか、まったくその努力のあとが見えないし。

鳩山政権が倒れた理由をある学者が、民主党が自民党化したからだ、と讀賣新聞に書いています。なかなかうまいことを言うなと思ったんですが。つまり、民主党は金の問題で自民党と同じようになった、普天間は自民党が決めたとおりになった。というのを読みながら私は、いや待てよと、それにもうひとつ、朝日新聞の讀賣新聞化というので倒れたんじゃないのかと思うんです。さっき言った有事法制は民主党の自民党化、朝日新聞の讀賣新聞化によって成立した。鳩山政権も、民主党の自民党化と朝日新聞の読売新聞化によって倒れたと言っていいんじゃないかと思うんですけれども。

これからの問題は平和憲法か日米同盟かという場合に、メディアがどちらに依拠すべきなのかということです。これは難しいテーマだと思います。朝日新聞に聞けば「両方に依拠しています」と言うでしょう。讀賣新聞はもう明確に平和憲法じゃない、日米安保が日本の平和を保つと言っているわけです。

私は東大の新聞研究所というところに前いたのですが、そこのOBと学生たちの懇談会があって、ジャーナリスト志望のいまの学生たちと話したんです。新聞を希望しているという7人の学生と話していたときにふと思いついて、「日本が今まで65年間平和だった理由は、日米同盟のおかげだと思いますか、平和憲法のおかげだと思いますか、強いて言えばどっちかということで答えてくれませんか」と聞いてみたんですね。すると7人が全員、日米同盟だと言ったんです。平和憲法と言った人は1人もいなかった。それで私は衝撃を受けると同時に、朝日新聞の存在理由というのはもうなくなってきたんじゃないかと思いました。

いま日本のメディアはおかしいというのは、どういうことか。たとえば藤崎一郎大使がクリントンに呼びつけられて、普天間先送りを許さないと言われた、というような記事が、日本のメディアにドンと載りましたね。ところがその翌日、アメリカの国務省が記者会見して、国務省が呼んだんじゃない、日本の藤崎大使がちょっと時間をくれと言って説明に来たんだという説明をしているわけです。ところがそのことを日本の新聞は書かなかった。昔はメディアが書かなければそんなことはなかったことになるんだろうけど、いまはあっという間にネットの世界で広がった。なんでこんなに日米同盟が大切、日米同盟が大事だというふうに日本のメディアが考えるようになったのか、メディア志望の学生までがみんな、という事態になってきたのか。それが私のいちばん危惧するところです。

いま幸いなことに、平和憲法、とくに9条を改定するということに対しては、改憲を急いだ安倍晋三さんのおかげで国民の間はますます反対の方向へ動いていってですね、いま現在はとても9条の改定はできないと思います。その点では私は国民の世論を信用しているんですけれども、ただメディアがいまのまま進んでいったらどういうことになるか。朝日新聞は大きな岐路に立っているのかなあ。従来の朝日的な考え方というのがだんだん薄れて讀賣型になっていくのか。朝日も平和憲法に関して国民の支持はあるんだということで、もっと自信を持っていいはずなんだけど、どうもいまやすっかり日米同盟派になっていますよね。

2010/08/15

パンフレット「国会改革・比例削減でよいのか」

坂本修さんを報告者とする6月9日の学習会の記録がパンフレットになりました。

報告・討論の全文のほか、情勢に関する前文と坂本さんによる「『新たな局面』についての追記」を新たに収録。A4版22頁。

国会定数削減が現実の課題として出てきている今、学習会テキストなどにお役立てください。

送料込み定価300円、まとまった部数を運用の場合はご相談を。

申込先、nora◎cityfujisawa.ne.jp(◎を@に置き換えて送信してください)杉山。

読む・読もう・読めば 83

風しもの村

最後の本をまとめるのは著者ではない。家族、友人、親しかった編集者など、残された人々だ。遺稿集。どんなにたくさんのすぐれた本を世に出した人でも、しめくくりの最後の本で、評価が(いちおう)定められる。

こんなに巧みな絵を描く人だったのか、と貝原浩さんの画文集『風しもの村』を見てあらためて吃驚した。チェルノブイリ原発事故で放射性物質が撒き散らされて立入禁止になった、ベラルーシのチェチェルスク村に住み続ける、「サマショーロ(わがままな人)」と呼ばれる人々の群像だ。老人ばかりではない、子どもたちもいる。あの林に入ってはだめ、この川に入ってはだめと教えられて育つ。人々の顔は明るく、眼に力がある。すでにたくさんの小説や映画や漫画に描かれている核戦争後の世界の、現実の姿のようでもある。

別のページには、コンクリートで固められ「石棺」と名付けられた4号炉のスケッチがあり、板を打ち付けて封印された家々のスケッチがある。貝原さんは書く。「ありとあらゆる知恵と金をもって、いまの状態から抜け出さねば、私達の享受する一切の文化文明生活なんぞ、一体何になろうか。」「毒にも薬にもならないオリンピックなぞに声をからすな、知恵を出せ! 金を出せ! 人を出せ! 「ガンバレ!! ニッポン」。

貝原さんは装幀家、イラストレーター、デザイナーとしてたくさんの仕事をした。平和運動のポスターやチラシにもたくさんの戯画風イラストを描いた。私と同世代の人だから良く理解できるが、そこまで描かなくても、と思うものもある。でもやっぱり絵が描きたかったのだろう。1992年、バルセロナ・オリンピックの年に彼はチェルノブイリの子どもたちへの医療支援をする人々とともにベラルーシを訪れ、帰国するとわずか2か月で大判の和紙10枚に画文をまとめた。そこには彼の技術と思いが凝集されている。

5年前に亡くなった貝原さんの作品、「風しもの村」と「チェルノブイリ・スケッチ」をもとに、みごとな編集で画文集に仕上げたのは芸大工芸科で同級の友人、宮澤賢治の画本で名高い小林敏也さんだ。核問題を考える人に勧めたい。貝原浩画文集『風しもの村』パロル舎、20107月刊、2800円+税。   2010814日)

2010/08/10

自衛隊イラク派兵違憲訴訟 定点報告22

2010.8.9 杉山 隆保

久しぶりの「定点報告」です。「自衛隊イラク派兵差止訴訟」関連で残されている課題は①自衛隊の「イラク参戦」を国会で検証させること②「自衛隊市民監視裁判」の勝訴③「女性自衛官人権裁判」の勝訴④イラクの民衆との連帯・支援です。

7月29日午後1時15分に札幌地方裁判所民事3部(橋詰裁判長)で示された「女性自衛官人権裁判」の判決は全面勝訴でした。

この事件の契機は「自衛隊員(家族)ホットライン」です。自衛官とその家族の悩みや人権侵害を直接に弁護団として聞かせて貰おうと立ち上げたネツトワークです。

この事件で被害者から最初に話を聞いた佐藤博文弁護士(「自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議」事務局長)は「同じ歳の娘を持つ身としては、積極的に『訴訟を』とは言えなかった。『提訴しなくてもあなたが負けたわけではないよ』『自衛隊を辞めてから提訴しても逃げたことにはならないよ』と何度も言ってしまった。この原告の意志の強さには脱帽する」と述懐しています。

判決についての報告です。
2007年5月8日に、原告(当時21歳)が現職のまま提訴し(昨年3月、不当にも再任

用拒否)、3年3カ月闘ってきました。

裁判所の認容額は、580万円で、その内訳は、性暴力200万円、その後の保護・援助の

不作為300万円、弁護士費用80万円です。

性暴力に遭った被害者の言動(最初にきちんと言えなかったとか、説明に変遷があった

ことなど)に対しても、性暴力被害者が置かれた精神的等の実情に踏まえた判断をしています。

事件後、原告に対して適切な保護、援助の措置を取らなかったことについても、部隊には「組織として、性的加害行為に対する泣き寝入りが生じないように苦情相談体制を整える義務」「(被害申告がなされたら)どのような加害行為がなされ、これにより被害者がどの程度の被害を受けたのかという事実関係の調査」を行い、被害の深刻さに応じ、①被害配慮義務、②環境調整義務、③不利益防止義務、を負うとして、婦人科の受信が妨げられたこと、加害者の隔離が不十分であったこと、退職が強要されたことなどを、具体的に認定しました。

慰謝料金額としても、性暴力それ自体よりも、その後の部隊の対応について多額の慰謝料を認めたことは、性被害の実態の捉え方(その後の苦しみが大きいこと)、被害者の所属する組織の責任の重大さを示した点で大変意義があり、賠償水準の引き上げにも寄与する判決になっています。

控訴期限は12日です。控訴断念の働き掛を強めましょう。既にこのブログでもお願いしていますがよろしくお願いします。要請先等をあえて再掲します。

一人の女性の「勇気」が、憲法の人権保障の未来を拓きます。

どうか、みなさま、この問題に注目し、かつ国に働きかけてください。

(要請文例)
「国は、7月29日札幌地裁で言い渡された女性自衛官人権裁判(平成19年ワ第1 205号事件)の判決に 従って下さい。

裁判の長期化はさらに原告を苦しめることにほかなりません。そして、二度とこのような事件を起こさないよう、自衛隊のセクハラ防止対策を本判決に基づいて検証し、実効 性のある再発防止対策を講じることを強く求めます。」

送り先:

菅直人内閣総理大臣

(首相官邸) FAX:03-3581-3883

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

北澤俊美防衛大臣
(防衛省) FAX:03-5362-4816(広報課)

メールフォーム
https://sec.mod.go.jp/mod/goikenshinsei/goikenbako/index.html

千葉景子法務大臣
(法務省)
ご意見などのFAX:03-3592-7393

ご意見・ご提案受付フォーム

https://www.moj.go.jp/mojmail/kouhouinput.php

*この他の電話、議員会館の連絡先などは、支援する会ブログにあります。
http://jinken07.dtiblog.com/

(要請文例)
「国は、7月29日札幌地裁で言い渡された女性自衛官人権裁判(平成19年ワ第1 205号事件)の判決に 従って下さい。

裁判の長期化はさらに原告を苦しめることにほかなりません。そして、二度とこのような事件を起こさないよう、自衛隊のセクハラ防止対策を本判決に基づいて検証し、実効 性のある再発防止対策を講じることを強く求めます。」

送り先:

菅直人内閣総理大臣

(首相官邸) FAX:03-3581-3883

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

北澤俊美防衛大臣
(防衛省) FAX:03-5362-4816(広報課)

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千葉景子法務大臣
(法務省)
ご意見などのFAX:03-3592-7393

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*この他の電話、議員会館の連絡先などは、支援する会ブログにあります。
http://jinken07.dtiblog.com/

2010/08/03

「女性自衛官の人権裁判」」の控訴断念の要請活動にご協力を!

みなさまへ 2010.8.3 杉山 隆保

「女性自衛官の人権裁判」」の控訴断念の要請活動にご協力を!
マスコミでも大きく報道されたように「女性自衛官の人権裁判」は全面勝訴しました。控訴期限は8月12日(水)です。勇気をもって提訴した女性自衛官をこれ以上痛めつけないで控訴しないよう、要請文を送ってください。

(要請文例)
「国は、7月29日札幌地裁で言い渡された女性自衛官人権裁判(平成19年ワ第1 205号事件)の判決に 従って下さい。

裁判の長期化はさらに原告を苦しめることにほかなりません。そして、二度とこのような事件を起こさないよう、自衛隊のセクハラ防止対策を本判 決に基づいて検証し、実効 性のある再発防止対策を講じることを強く求めます。」

送り先:

菅直人内閣総理大臣

(首相官邸) FAX:03-3581-3883

https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

北澤俊美防衛大臣
(防衛省) FAX:03-5362-4816(広報課)

メールフォーム
https://sec.mod.go.jp/mod/goikenshinsei/goikenbako/index.html

千葉景子法務大臣
(法務省)
ご意見などのFAX:03-3592-7393

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*この他の電話、議員会館の連絡先などは、支援する会ブログにあります。
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