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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2010/08/20

沖縄密約の意味とメディアの役割

2010619日 平権懇学習会報告

柴田 鉄治

政府は国民に嘘をついてもいいのか

 西山事件に関連する情報公開訴訟の、私は25人いる原告の一人です。なぜそんな原告になったかというと、国民の一人として政府が嘘をつくのはけしからんというのが原点なんだけど、政府が嘘をついている場合、それを正すのはやはり本来メディアの役割だと思うんですよね。私はもう退社した後だけれども、ジャーナリストとして加わろうというふうに思ったわけです。

 原告団の団長代行、実質的な弁護団のリーダーに小町谷育子さんというきわめて優秀な弁護士がいます。その方が常々、これは西山事件じゃない、西山事件の続きだとみんなが思っているけれども全く違うんだということを言っておられたんですね。だけど裁判のたびに新聞には西山記者の顔が出て、勝訴のときも革命的な勝利だという西山さんの話と写真が出た。でもやっぱり小町谷さんの言うとおり、これは西山記者事件の続きではなくて、メディア対政府の新たな闘いの一環であろうと思います。

そのメディア対政府の闘いで言うと、38年間、ずっとメディアが敗北してきた。琉球朝日放送が作った西山事件の番組は、「メディアの敗北」という題でした。これは良くできた番組で、私は大学で教えていたときに学生たちにその番組を見せて、ああ、西山事件というのはこういうことだったんですかと、学生たちは本当に良く分かってくれたんですけれども。この題のとおり、メディアはずっと権力との闘いに負け続けてきた。

政府が国民に嘘をつくということは、そもそもどういうことなのか。逆に国民が政府に嘘をついたら何の場合でも罰せられるのに、政府は国民に嘘をついていいとはどういうことなのか。そこが私は原点だと思うんですね。その原点から言うと、政府の嘘を許さないというのを基本的な姿勢にするのが、国民の立場に立つメディアには当然のことだと思うんだけど、日本のメディアはきわめて甘いというか、政府が国民に嘘をつくのはしょうがないんだというような考え方がものすごく強いですね。それがますます強くなっている。まして外交には密約が付き物だなんて言っている人もいるぐらい、そういう考え方が非常に強いという気がします。

私は何か考えるときに、私の子供のとき、つまり戦前の社会はどうだったかということを原点に考えます。戦前の社会では政府対国民の関係では常に国が上に君臨して、いつも二言目に出てくるのは「お国のために」という言葉でした。お国のために尽くせ、命をささげろというのがあの時の教育でした。私は国民学校の世代ですけれども、国民学校では戦う小国民をつくる、お国のために命を投げ出せという教育を朝から晩までやっていた。そういう状況があったんですね。

戦争が終わって平和憲法ができたときに、二度と戦争はしないという平和憲法のすばらしさもさることながら、主権在民、国家の主人公は国民なんだということに感動したことを覚えています。主人公は国民で政府や官僚は国民に奉仕する公僕なんだと、公僕なんていう言葉は最近は誰も使わないけれども、当時は教科書に出ていました。

新憲法ができたときに、日本国民の中にその新憲法の適用を受けない人たちがいることについて、私たちはほとんど思い及ばなかったのは恥ずかしい話ですけれども、確かに沖縄はまったく置き去りにされた。古くは琉球処分から始まると言いますけれども、そんな昔はともかく、太平洋戦争でも沖縄は唯一の地上戦の舞台となって、結局本土のために切り捨てられたわけですね。

サンフランシスコ条約で日本が独立したときにも、沖縄は日本から外すという形で、そこで大きな沖縄差別がなされた。72年に復帰したことで、今度は新憲法のもとに沖縄県民になったとはいうものの、やはり沖縄は差別されたままの状況です。占領時代そのままといっていいほど軍事基地があり、核抜き本土並みとは言うものの、核はいつでも持ち込めるような密約があったり。返還にあたって日本がお金を出しながらアメリカが出したことにするというような密約もなされたわけです。

密約事件をめぐるメディアの躓き

密約の中でもいちばんひどい密約が核再持ち込みの密約だと思うんです。核再持ち込みの密約は若泉敬さんという佐藤首相の密使を務めた人が、自殺をする前に遺書として本を書いて、全部バラしたわけですね。けれども政府はそんなものはないと言い続けている。

西山記者問題は今さら説明する必要のないことですけれども、西山記者問題を政府対メディアの闘いというふうに考えるときに、メディア側にいくつかの躓きがあったと思うんです。まず、せっかく取ったスクープ、特ダネを、なぜ毎日新聞は1面トップで報じなかったのかということ。これはやっぱり最大の疑問点で、当時の毎日の幹部の方に聞いても明確な答えはないのです。西山さんはある集会での質問に対して、ニュースソースがばれるから避けたと答えられたと、間接的に聞きました。まったく逆に、横路孝弘さんが秘密電報を政府側に見せたためにニュースソースがばれたわけです。1面トップで報じていたら、さすがに政府も毎日新聞にその秘密電報を見せろとは言わなかったと思うんですね。

第二は、西山記者が女性事務官と「情を通じて」という起訴状で世論の風は変わったし、政府は公務員法違反で逮捕した。スキャンダルにすり替えたのは非常に計画的にやられたことではあるけれども、それはそれとして密約は密約という追及の仕方が、あの時なぜできなかったのだろうかということが、第二の疑問です。私は現役の新聞記者でしたけれども、そういう形にメディアが動く状況はなかったですね。最初は毎日新聞を筆頭に、政府に対する闘いだという形で激しいメディアの戦列が組まれたけれども、毎日新聞の謝罪社告、まずかったという社告からガタガタっとなったという感じです。アメリカのメディアだったら、取材方法の是非論は別の問題で、密約とはなんだという追及をしたんじゃないかというふうに思うんですけれども。

当時、アメリカのメディアは、つねに私どものお手本だったと思います。ペンタゴン・ペーパーズをニューヨーク・タイムスがすっぱ抜く。それを政府が差しとめたら、すかさずワシントン・ポストがそれをリレーして報道する。またそこをストップさせるとロサンゼルス・タイムスが報道するというような、メディアの連携プレーがあった。最終的に最高裁で国民の知る権利は民主主義の基本だという形で勝訴しました。

それで、さっき言った若泉敬さんの遺書によって密約がひとつ明るみに出る。琉球大学の我部政明先生の調査でアメリカの公文書館から続々と密約の文書が出てくる。密約に実際にサインをした外務省アメリカ局長の吉野文六さんが、北海道新聞の記者のインタビューに答えて、密約があったことを認める。次から次と新しい証拠が出てきたわけですね。政府はそれでも、そんなものはないの一点張りです。

そのときのメディアの対応は、私は3回目のメディアの躓きではないかと思います。公文書が出た、吉野さんが認めた、ということは報道したんですよ。それでそんなものは知らないと官房長官がひとこと言ったら、それで終わっちゃったんですよね。例えばアメリカのメディアだったらそういうときに何をやるだろうかと私は考えて、実際に現役の記者たちに、こういうことはできないかと提案をしてみたんですけど。

たとえば毎日、官房長官会見というのがある。最初、公文書が出てきたときそこで質問したら、そんなものはありません、と福田康夫官房長官が言ったわけですね。翌日、今度は別の記者が「あのアメリカから出た公文書はアメリカが捏造した文書だと思うか」と聞いてみたら、官房長官は何と答えるだろうか。あるいは吉野文六さんが、確かにそのサインは私のものだと認めたときに、「吉野さんは嘘をついていると思いますか」という質問をする。知らない、知らないと言うだろうけれども、政府側はこう答えたと書く。毎日毎日ほかの人が質問するような格好でメディアの連携プレーはあり得ないのかどうか。そういうようなことを現役の記者に言ったら、とんでもない、そんな空気はまったくないという話でした。

西山記者はそういう公文書をもとに、自分の名誉回復を兼ねて、再審請求ではなくて国家賠償請求する訴訟を起こしたんですね。最高裁まで争ったけれども、裁判所は門前払いを食わした。もう時効であると、民法で言う除斥期間を過ぎていると。その門前払いを受けて情報公開請求の裁判が始まった。また違う組み立てをしました。アメリカから出てきた公文書は日本側にもあるはずだ、その公文書を出せと外務省、財務省に請求する。そんなものはないと言って拒否される。拒否はおかしいと開示請求をする。そういう形の裁判を起こしたわけですね。原告25人に対して30人以上という、たいへん大きな弁護団で緻密な作戦を立てました。

ぶつかった裁判長が杉原則彦というなかなかの人で、最初の公判からみごとな訴訟指揮をやったんですね。たとえば国側に対して、文書がアメリカにあって日本にないということはどういうことなのか、その意味を説明してくださいと要求したわけです。捨てたなら捨てた、どういうことでなくなったのかということを説明しなさいと。弁護側には、吉野文六さんを証人として法廷に出しなさいと。こういう訴訟指揮をする裁判長ならば、もしかするとこれは勝てるかもしれないという感じを持ったのが、最初の法廷でした。まだ自民党政権下ですよ。政権交代が起こる前です。3月に提訴して、6月の第1回口頭弁論でそうだったんですね。12月の法廷で吉野さんは、90歳を超えて耳は遠くていろいろ聞き返していたけれども、歴史を歪めてはいけないと、密約はあったとはっきり述べた。

だけどこの裁判を起こしたときのメディアの扱いはですね、東京新聞が社会面3段、日経新聞が2段、朝日も読売も毎日も全部ベタ記事だったんです。杉原裁判長があざやかな訴訟指揮をみせた第1回口頭弁論も、讀賣、産経新聞は1行も報じなかった。これが日本のメディアの関心なのかと、そこで痛感したんですね。その後政権交代があり、やっと密約に対するメディアの関心が高まりました。外務省に有識者委員会ができ、密約探しが始まった。

核再持ち込みの密約「合意議事録」が佐藤首相の私邸から見つかったというのは讀賣の特ダネだったんですけど、讀賣と朝日が追っていてほとんど同着だったと聞いています。けれども讀賣・朝日の論調に、私は愕然としたんです。讀賣新聞の社説は「東西冷戦下の苦渋の選択だ」が見出しだったかな。佐藤首相の密約を評価するような内容でした。朝日新聞「天声人語」は「とまれ文書は破棄されず、秘密は広く共有された。歴史の審判を待つ故人の遺志を、そこに見る思いもする」と書きました。

日本のメディアはなんでこんなに密約に甘いんだと、私は愕然としました。佐藤首相の私邸から見つかったということは、公文書として保存する気がさらさらなかったということですよね。歴史の審判を仰ごうなんていう気持ちがまったくなかったことは明かです。それから余計な話だけれども、佐藤首相は非核三原則を理由にノーベル平和賞をもらったわけですね。非核三原則というのは、作らず、持たず、持ち込ませず、です。核再持ち込み密約がばれたら恥ずかしいという意識が、少なくとも彼にはあったと思うんですね。だから自宅に持ち帰った。幸いそれを息子さんが外へ出したということがあるとはいえ、メディアが「苦渋の選択」と佐藤首相を褒め称えるとはどういうことだというのが、私の思いです。

外務省でやった密約探しですが、大事な密約がなくなっているということを、東郷和彦条約局長がはっきり証言をしたわけです。それを引き継いだはずの次の条約局長は、そんなのは俺は知らないと言った。結局、半分見つからなかったことについて、有識者委員会は糾弾しない。しかも有識者委員会は不可解なことに、佐藤首相の私邸から見つかった核再持ち込みの密約について、これは密約に当たらないという見解を示した。誰が見たって密約中の密約だと思うんですけど。そういう変な有識者判断の見解に対して、メディアは批判らしい批判をしていないわけです。

密約がここまでばれてきても、そういうものは外交にはつきものだというような格好で何となく認めるかのような日本のメディアというのは、どうなっているのかというのが、私の率直な感じです。これでは私たちの裁判でせっかくすばらしい判決があっても、それを生かすことができない。原告たちが求めていたものは文書の内容なのではない、文書を出さない国の姿勢を変えさせたいのだとまで、判決に書いてくれているわけですよね。原告たちの精神的苦痛に対して賠償金をひとり10万円ずつ要求してあったんですが、その10万円も全部認めた。だから完全勝訴なわけですね。

問題は国がどうするかです。密約を全部ばらすと言っていた民主党政権だから、控訴しないんじゃないかと思ったら、そうじゃなかったですね。控訴したわけです。有識者委員会といい、控訴といい、政治主導だと言うけれども、民主党は結局、外務官僚の上に乗っているだけだというのが今回の事件だと思うんですけれども。

高裁ではどう闘うかは原告と弁護団でまだ打合せをしていないんです。私は打合せ会議があったら言おうと思っているんですけれども、判決は国の探し方が不誠実であると言っているわけです。ちゃんと探してないんじゃないかと。それから、もしないならば、誰かが捨てろと命令したに違いないと。外務省の高官が携わったに違いないということまで判決は言っているわけです。誰が命令していつそれを捨てたのかを、やっぱり国側に出させなければいけない。出させて、それを実際に命じた人に対して、処分を要求したらいいんじゃないかと、私はそう思うんですね。どこの国だっていわゆる密約はあるという説は多少認めるとしても、いちおう25年とか30年経てばそれは外に出すということをどこの国も持っている。だいたい歴史を偽ったままにするということは、近代国家として許されないはずです。外務省の中で言われていることは、情報公開の法律ができるときに、大量に書類を破棄したんですね。ゴミ屋さんに出したそのゴミのトン数の記録だけ残っている。そういうことをもう一回明るみに出して追及すべきじゃないか。

私は判決を聞きながら、日本の司法はもうほとんど死に体かと思ったけど、そうでもないと、まだ司法は生きていたと感動したんです。それが果たしてどうかというのはこれからの問題ですけれども。これから後の闘いは、日本のメディアが、政府が国民に対して嘘をつくことは許さないという姿勢を取り戻せるのかどうかということですね。幸いこの間の勝訴の持つ意味については各紙一斉に書いてくれたし、あそこで日本のメディアも少しは目覚めたんじゃないかと思っているんですけれども、ただそれがこれから後続くのかどうか、それが最大の問題だと思うんです。

新聞の足並みが揃っていた時代

日本のメディアがなんでいまこんなふうになっているのかということを、ちょっと歴史的に振り返ってみます。皆さん御存じでしょうけれども、日本のメディアは戦前は新聞が中心で、放送はNHKのラジオだけでしたけれども、戦後全部継続したんですね。これが同じ敗戦国でもドイツといちばん違うところです。ドイツではいったん戦前の新聞は全部廃刊されて、新しいものが戦後にうまれたわけです。日本では幸い新聞社も新聞の配達網も全部残っていたので、占領政策として生かしたわけでしょうね。日本のメディア自身も戦前に対して非常に強く反省して、戦後「二度と過ちは繰り返しません」と誓って再出発したわけです。これは嘘だったわけではないと思うんですね。ですから50年代、60年代の日本のメディアは、わりに政府・与党に厳しいという、メディアらしい姿勢をまあまあ持っていたと私は思うんです。

その例として、60安保に対する「7社共同社説」というのがあるんです。「共同宣言」でもいいですけれども。「7社共同社説」というのは朝日新聞の笠信太郎さんという主幹が各社に呼びかけてやった、「暴力を排し議会制民主主義を守ろう」という社説です。在京の7社だけでなく、地方紙も48紙が掲載した。「よってきたる所以を別として」というような文句が入っていて、大変な批判の声があることは私も十分に知っているし、私も決してあの共同社説を全面的に評価するつもりはないんです。ただ、あの社説で日本の安保闘争が収まってしまった、メディアが大衆運動を殺したんだというような、そういう言い方で非難する人たちもいるし、それはいろんな考え方があると思うんですけれども、私はそうは思わない。私はむしろあのときに共同社説がまとまったほどメディアの姿勢が揃っていたということに注目したい。「よってきたる所以は別」とは言いながらも、やっぱり岸内閣は退陣すべきだということに、ほとんど論陣は揃っていたわけですよね。また現に首相が退陣したわけです。

岸首相の退陣とともに池田内閣の登場で、所得倍増政策が当たったせいかどうかは分かりませんけども、スーッと潮が引くように大衆運動も引いた。それが7社共同社説のせいだというように言う人もいるんだけども、私はそうだとは思わないんですね。そうじゃなくて、民衆のあのときの怒りは、安保の中身についてではなく、岸政権の姿勢に対してみんなが怒り狂ったのではないか。

というのは、日本が戦争に負けて、講和条約で独立するときに、国民に相談することもなく吉田茂が一人でサインして、日米安保というのは生まれた。まだ日本は自衛隊もないなかで米軍に守ってもらうというのは、あのときの世界情勢から言えば、ある意味でしょうがなかったことなのかもしれない。けれどもその日米安保はメチャメチャな不平等条約なわけだから、岸政権は改定という形で、少し対等のものに戻そうとしたことは間違いないですね。だから私は必ずしも改悪ではなかったというふうに表現するんですけれども。岸内閣が前の安保よりももっとひどいものを作ったということではないんです。

だけどもあのときに国民は初めて安保の存在を知ったわけですね。それまでは安保というものについてほとんど何も関心はなかったわけです。しかも岸首相が強行採決をした。岸首相は戦犯として日本をあの戦争に導いた人ではないかということもあった。あのときの日本人のいちばんの心配は、アメリカの戦争に日本が巻き込まれてしまう恐れはないか、そういう形の安保反対だったんですね。日米同盟の本質からの反対が安保反対運動の原動力だったのならば、池田内閣に代わったとたんにあんなふうに潮が引くように引いたはずはないわけですね。安保といえばデモ隊のかけ声じゃないけどアンポハンタイで、私なんかも口調としてはアンポハンタイと出るようなぐらい、当時の人たちはそういうふうにアンポハンタイなんですけども、それは国民の安保反対闘争の原動力ではなかったんじゃないかな、というのが私の観察です。

日米安保は本来、間違いなく日本の平和憲法と抵触するわけですね。本来なら両立しないものだけれども、それをうまく日本は両立させてきた。憲法と安保という矛盾する2つを両立させてきたということが、戦後の日本の発展のひとつの原動力ではあったわけです。そのことに対して国民は、ある程度、納得しているという状況に近いんじゃないかと思うんです。だから日米安保を根底から否定するという考え方が国民の大多数の根底にあるかといえば、たぶん違うと思うんです。日米安保は米ソ対決がなくなって、本来は必要性がうんとなくなったはずだけれども、むしろアジアのなかで日米安保から日米同盟へと、より軍事同盟の性格をどんどん強めていくという変質があった。この変質については、もっと疑問視してもいいと思うのだが……。

朝日・讀賣の憲法対決

60年代までは新聞論調は曲がりなりにも足並みが揃っていた。そのもうひとつの象徴はベトナム戦争ですね。政府はアメリカ支持だけれども、メディアはこぞって反対したのが、ベトナム戦争への対応ですね。戦場にもどんどん記者を出して戦争の悲惨を報じた。

70年代に入ってまず変わったのは産経新聞です。産経新聞がはっきり論調の転換をやったわけです。日本の大新聞は偏向している、我々は左翼偏向に対してそれをただしていくんだという言い方で、政府・自民党寄りに路線を切り替えたのが70年代です。で、「正論」という欄をつくったり、雑誌を作ったりするわけですね。そのときの論説委員長が、今でこそ産経新聞は孤立しているが、やがて日本の新聞はみんなこの産経の後を追って来るに違いない、ということを書いていたのを覚えています。すごい自信だなあと。

70年代はさすがに産経に続く新聞はどこもなかったわけですけれども、80年代に入って讀賣新聞が大転換するわけです。御存じのとおりナベツネさんが論説委員長になって、明確に路線変更をやったわけですね。いちばんよく私が覚えているのは、83年の正月元旦の社説で、朝日新聞攻撃をやったわけです。朝日新聞という言葉はいっさいないんですけれども。立論としては、いま現在世界は東西対決になっている。東西対決のなかで日本は明らかに西側陣営にいる。読売新聞は西側の陣営にいるということを明確にしていくと。それに反対する、東側に近いようなメディアは、左翼だとか社会主義だとかいう言葉はいっさい使わずに、平和とか反戦とか反核とか、そういう耳障りのいい言葉を使ってそういうことに加担している。そういう社説を出したわけですね。私はそのころ論説委員だったから、朝日に対する宣戦布告だなと思いました。

論調の二極分化がいっそう明確になったのが91年の湾岸戦争ですね。産経・讀賣対朝日・毎日と当時言われた二極分化という形です。湾岸戦争に日本は130億ドルというものすごいお金を出したけれども、国際的に感謝されなかった。クウェートの感謝のなかに日本に対する感謝の言葉がなかった。これではダメだと、血を流さないで金で済まそうということでは世界に対して日本はますます孤立してしまう、世界の孤児になるというのが、讀賣・産経の強い主張でした。その議論を進めると、軍事貢献をやれということになりますね。それが憲法でできないなら、憲法改正をやれということになってきたんですね。

それに対して朝日・毎日ははっきりと、日本の国際貢献は軍事貢献ですべきではない、非軍事面で貢献するんだと主張しました。だからクウェートの復興資金を出すとか、そういうようなことにはいくらでもやれるんだということで。讀賣・産経の主張が軍事貢献もできる「普通の国」になれということだとすれば、朝日・毎日の主張は軍事貢献には立ち入らない「特殊な国」になれという、まあ主張だったわけですね。

それは日本の国内世論を二分することで、本来なら政党が言うべき話なんだけども、日本の政党はそのへんは全部ぼかして、メディアの戦いになった。自民党のなかも憲法を変えろという人たちが半分いると思えば、半分は変えるなと言っているのに、そういう点を曖昧にしながら日本の政治はなされているわけです。

湾岸戦争が終わったとたんに、改憲ムードはスーッと消えたんですけれども、讀賣新聞はそのまま突っ走った。何をやったかというと、94年の113日、憲法公布の日に読売憲法案、全文改憲案を出したわけです。そのとき面白いのは、讀賣に読者から、全文改憲案など新聞社が作るのはおこがましいという批判が殺到したんだそうです。それからもうひとつは、あの改憲案は讀賣新聞の社論なのかどうかと。1面トップからずっと書いたわけだけども、社説という言葉もいっさいないわけです。そういう反論に対して讀賣はちょっとたじろいで、これはひとつの提案なんだと、社会に対する提案であって、べつに読売の社論でも何でもないということを説明したらしいんですよ。そんな説明が通るわけがないから、やがて社論だと言うようになっていったようですけれども。

そのとき朝日新聞社内では大激論になったわけです。讀賣には勝手に出させておけばいいじゃないかという声が朝日の中には半分近くあったんですね。それに対して私は断固反対したんです。日本でいちばん部数が多くなった讀賣新聞が、全文改憲案を出しているのに、朝日がそれに対して黙っていることはないだろう、朝日は護憲でいくということをはっきり出したほうがいいんじゃないかと。それなら社内議論を大いにやろうというので、論説、編集、調査研究室、そういうところが一緒になって「日本の針路研究会」を作って一生懸命議論して、とにかく護憲を打ち出そうということで、9553日の憲法記念日に、朝日新聞の護憲大社説というのを出したんです。1面から何頁かにわたって展開したんだけど、全部に「社説」という言葉を入れて大型社説にした。

それから朝日・讀賣の憲法対決が始まるわけですね。朝日・讀賣の憲法対決が、そのままイラク戦争に行くわけです。95年の戦後50年企画でも、この50年が平和だったのは何故かということで、朝日新聞ははっきり、これは平和憲法のおかげだという主張を打ち出した。讀賣新聞は、これは日米安保のおかげだということをはっきりと打ち出した。

日本に2つの法体系があるんだという説を仮に認めるとすれば、讀賣は日米安保の法体系に乗り、朝日は平和憲法の上に乗るという、一見そう見えます。私は平和だった理由は平和憲法のおかげだという説にまったく違和感はないんだけど、今の人たちは必ずしもそうは言わないで、平和憲法と日米安保、矛盾するものをうまく使ってきたのが日本の智慧であり、またそれを認めてきたのが朝日新聞の論調だと言うんですね。確かに朝日新聞は、日米安保を全面否定したことはないんですよね。

讀賣と激しくやり合ったときに私は讀賣の人にも言ったんですけども、ベトナム戦争に韓国はアメリカの要請に従って軍隊を出したわけです。日本には自衛隊を出せという声はまったくなかった。アメリカはなぜ出してくれと言わなかったのかといえば、日本には平和憲法があるからじゃないのか。もちろん国民も認めなかったでしょうけども。アメリカが作ったと言われるような平和憲法のもとで日本の自衛隊を出すなんてとても無理だと、アメリカだって分かっていた。あのとき平和憲法がなかったら、日本もアメリカの要請に応えることを断りきれなくて、韓国のように軍隊、いや自衛隊を出した可能性はゼロではないんじゃないかと。

朝日新聞の岐路

その戦後50年からまた15年がたってどういうことが起こったかというと、朝日新聞の主張が、どんどん讀賣新聞のほうに寄って行ったわけですね。具体的に言うと、たとえば私が論説OBとして最初に猛烈に腹が立った朝日の社説は、同時多発テロが起こってアフガン空爆が始まった日の朝日の社説です。「限定ならやむを得ない」という社説。同時多発テロはたいへん悲惨な事件だけれども、テロっていうのは犯罪ですよね。犯罪に対する報復として、まったく罪のない国民の頭上に爆弾を落とすなんて許されるはずがないじゃないのかというのが、私の感覚なんです。私は空爆の体験者ですからね。10歳のとき我が家も空襲でやられたからよく覚えているんですけれども。アフガン戦争が始まったときの論説に戦争を知っている世代はいないわけですからしょうがないんだけども、限定なら一般市民を傷つけない空爆は可能だというような形の社説が出てくるということに、私はものすごく驚きを感じたんですけれども。

それから3年後に有事法制の問題がありました。あの小泉さんがアフガン戦争のころから出していたんだけども、かなり反対が強かった。それに対して2003年に民主党が修正案を出したんですね。修正案を出したとたんに朝日新聞が、民主党の修正案は「検討の余地がある」と社説を転換した。朝日新聞が3日連続社説を載せて賛成に転じた。それで自民党が民主党の修正案に乗って、有事法制は成立したわけですね。

有事法制というのは皆さん御存じだと思いますけど、戦時下には自衛隊は日本の法律を守らなくてもいいという法律です。そういうのを作っておかないと、自衛隊はいざ敵が攻めてきたら戦えないという。自衛隊の立場に立てばそれはよく分かるし、たとえば戦車が重量制限で普通の道路を走れないわけです。それから塹壕を掘るのに地主の許可を得ていたら、間に合わなくなるというのは、それはその通りです。ただ平時に軍事優先の思想を認めるかどうかというのは、これは別の問題なんですね。

従来の朝日新聞は日米安保も認める、自衛隊の存在も認めるけれども、軍事優先の思想は認めないという考え方をずっと採ってきたわけです。だから有事法制に賛成するという形で、ここでまたひとつ朝日はルビコンを渡ったと思うんですね。朝日新聞のそういうのを私は「ぐらつき」と言っているんだけども、朝日新聞がウイングを広げて、より正常化したんだと今の人たちは言う。

そういう朝日のぐらつきという目で見ると、この間の普天間のメディアの大合唱はどういうことか。讀賣の主張は従来のままなんです。自民党から民主党に替わって普天間問題は大変になる、アメリカの言うことを早く聞いて早く決めないと日米関係が危機に陥る、という形の社説をいちはやく出していた。その讀賣とそっくり同じ社説が朝日新聞に載ったわけですね。去年の1216日の社説です。私は思わずその社説の頁を閉じて1面を開けて、これは朝日新聞に間違いないんだろうなと思って見たほど、中身は読売の社説とそっくりでした。いわゆる1本社説という、いつもの2本を1本にする大社説です。

そういう激しいメディアの大合唱にもかかわらず、鳩山由起夫さんはとにかく先延ばしした。私は鳩山さん、なかなかやるじゃないかと思ったんだけど、その後の鳩山さんはまったくもうダメでしたね。腹案があると言ってみたけど何もなかったし、アメリカに対して県外、国外をどこまで交渉したのか、まったくその努力のあとが見えないし。

鳩山政権が倒れた理由をある学者が、民主党が自民党化したからだ、と讀賣新聞に書いています。なかなかうまいことを言うなと思ったんですが。つまり、民主党は金の問題で自民党と同じようになった、普天間は自民党が決めたとおりになった。というのを読みながら私は、いや待てよと、それにもうひとつ、朝日新聞の讀賣新聞化というので倒れたんじゃないのかと思うんです。さっき言った有事法制は民主党の自民党化、朝日新聞の讀賣新聞化によって成立した。鳩山政権も、民主党の自民党化と朝日新聞の読売新聞化によって倒れたと言っていいんじゃないかと思うんですけれども。

これからの問題は平和憲法か日米同盟かという場合に、メディアがどちらに依拠すべきなのかということです。これは難しいテーマだと思います。朝日新聞に聞けば「両方に依拠しています」と言うでしょう。讀賣新聞はもう明確に平和憲法じゃない、日米安保が日本の平和を保つと言っているわけです。

私は東大の新聞研究所というところに前いたのですが、そこのOBと学生たちの懇談会があって、ジャーナリスト志望のいまの学生たちと話したんです。新聞を希望しているという7人の学生と話していたときにふと思いついて、「日本が今まで65年間平和だった理由は、日米同盟のおかげだと思いますか、平和憲法のおかげだと思いますか、強いて言えばどっちかということで答えてくれませんか」と聞いてみたんですね。すると7人が全員、日米同盟だと言ったんです。平和憲法と言った人は1人もいなかった。それで私は衝撃を受けると同時に、朝日新聞の存在理由というのはもうなくなってきたんじゃないかと思いました。

いま日本のメディアはおかしいというのは、どういうことか。たとえば藤崎一郎大使がクリントンに呼びつけられて、普天間先送りを許さないと言われた、というような記事が、日本のメディアにドンと載りましたね。ところがその翌日、アメリカの国務省が記者会見して、国務省が呼んだんじゃない、日本の藤崎大使がちょっと時間をくれと言って説明に来たんだという説明をしているわけです。ところがそのことを日本の新聞は書かなかった。昔はメディアが書かなければそんなことはなかったことになるんだろうけど、いまはあっという間にネットの世界で広がった。なんでこんなに日米同盟が大切、日米同盟が大事だというふうに日本のメディアが考えるようになったのか、メディア志望の学生までがみんな、という事態になってきたのか。それが私のいちばん危惧するところです。

いま幸いなことに、平和憲法、とくに9条を改定するということに対しては、改憲を急いだ安倍晋三さんのおかげで国民の間はますます反対の方向へ動いていってですね、いま現在はとても9条の改定はできないと思います。その点では私は国民の世論を信用しているんですけれども、ただメディアがいまのまま進んでいったらどういうことになるか。朝日新聞は大きな岐路に立っているのかなあ。従来の朝日的な考え方というのがだんだん薄れて讀賣型になっていくのか。朝日も平和憲法に関して国民の支持はあるんだということで、もっと自信を持っていいはずなんだけど、どうもいまやすっかり日米同盟派になっていますよね。

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