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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2010年12月

2010/12/28

読む・読もう・読めば 92

腰のもの

千葉県佐原の街を歩いた。かつて利根川の水運で栄えた町、支流の小野川に沿った歴史的町並みが懐かしい。残念なことに市町村合併のため「佐原市」はなくなり、「香取市」になっている。何軒も造り酒屋がある。日本全国を測量して地図を作った伊能忠敬はここの人だが、酒造りと金貸しで家を再興した後、50歳を過ぎてから本格的に測量術を学んだ。記念館を見学すると、驚嘆すべき緻密さと努力の人であることが分かるが、あまり友達になりたくないような性格の人であったかも知れない。

佐原公園と、旧宅跡に伊能忠敬の銅像がある。どちらも手には帳面を持ち、腰には刀を差している。忠敬は幕府の御用で測量をして廻ったから、名字帯刀が許されていたわけだ。しかし、どう考えても重い刀は仕事の邪魔だ。それでなくとも持ち物は多い。武器というか殺人用具というか、それを常に身につけていることが身分の証とは、疲れますね。

1588年、豊臣秀吉の刀狩令で日本の民衆は武装を放棄した、さすが平和憲法の国、などと礼賛する向きもあるが、それは違う。秀吉は一揆を起こさせないように民衆の武器を没収して方広寺大仏を造ったが、隠匿された武器は数限りなくあったはずだ。江戸幕府が確立されるまでは戦乱が続いたのだし、農民が雑兵として駆り出されるのが秀吉で終わりとは思えない。だいたい山里などでは刀も鉄砲も取り上げられたら仕事にならないだろう。

江戸時代、大小の刀を腰に差すことが武士の象徴だった。町人や農民でも脇差は黙認されたから、渡世人たちは脇差の名目で長ドスを持っていた。2本でないからいいわけだ。しかしながら刀というもの、武器としてはこれほど実用的でないものもない。1人で立ち向かえば、鉄砲はもちろん、弓矢にも負ける。大勢に取り囲まれて石を投げられだけでも負ける。刀同士でも長時間力いっぱい渡り合えば、刀身と柄が分離してしまう。要するに脅迫用であって実戦用ではない。そして第二次大戦後、占領軍は本物の刀狩りをした。

必ず勝てる武器などというものはない、と思う。伊能忠敬が腰に差していた刀は護身用でさえなく、幕府御用の権威の象徴だった。  20101228日)

2010/12/26

回答用紙

イージス艦「あたご」事件の公正な判決を求める

2.26横浜集会(仮称) に協力します

1.賛同人・賛同団体になります

  1-1 賛同人のお名前と所属または肩書き

  1-2 賛同団体名

  1-3 賛同団体となることを検討します

  1-4 名前は出せませんが協力します

2.集会に参加します

  2-1 参加するつもりです

  2-2 発言の用意をします

    2-3 参加できませんが、メッセージを送ります

3.宣伝に協力します

  3-1 機関紙誌・ブログ・ホームページで紹介します

  3-2 集会宣伝用チラシを  枚送ってください

  

4.カンパをします(1口1000円)

5.その他、下記のような協力をします

お名前

ご連絡先(住所、ファクス番号、メールアドレスのいずれか)

イージス艦「あたご」事件の公正な判決を求める 2.26横浜集会(仮称) 

ご協力のお願い

(各方面にお願いしておりますため、重複となりましたら失礼いたしました。転送を歓迎します。)

 海上自衛隊の最新鋭イージス艦「あたご」が千葉県野島崎沖で漁船「清徳丸」に衝突し沈没させ、2人の犠牲者を出した事件は、2008219日早朝に起こりました。漁船群を目の前にして自動操縦のまま突っ込んできたもので、東京湾入口近くまで来ていながら艦長は仮眠中、見張りは雨を避けて艦橋に入っていたというお粗末さでした。防衛相が謝罪し、防衛省の事故調査委員会も、海難審判所裁決も、「あたご」の責任を認めました。

 しかし本年8月に横浜地裁で始まった刑事裁判では、自衛隊側はなんと無罪を主張して争い、5人の強力な弁護団を繰り出しています。被告は事故当時の見張り責任者とその前任者の2人のみで、艦長や自衛隊組織の責任は問われていません。また公判前整理手続により、争点は「あたご」の見張りとその引継ぎの不備、清徳丸の航跡、の2点に絞られています。自衛隊側は「清徳丸が直前に右転しなければ衝突しなかった」と主張し、裏付けに前高等海難審判庁長官が作成した図面を出してきました。他の事件で検察による文書改竄や海上保安庁による情報漏洩が問題になっているなかで、検察側は押され気味です。

 裁判は1月までに17回の公判が行われて結審となる予定ですが、さらに延びる可能性もあります。この間、新聞報道はほぼ地方版のみでしかも間遠になり、傍聴人も毎回20名前後に減りました。裁判の様子は多くの国民にまったく知られておりません。

 私たち平権懇は、安保の犠牲者に寄り添いながら憲法の平和条項を守り発展させることを基本姿勢として活動してきました。潜水艦なだしお事件、えひめ丸事件に続く海難事件として「あたご」事件に注目して、いちはやく声明を発表し、また真相究明のためのシンポジウムも開催してきました。今回は公正な判決を求める集会を大きな規模で成功させ、世論を喚起したいと思います。ぜひご協力をいただきたく、お願いいたします。詳細は追ってご連絡いたしますが、横浜市の中心部で、226日、土曜日の午後に、私ども平権懇の主催で開催することを予定しています。年末年始のお忙しいときに申し訳ございませんが、ご協力をいただける場合はどのようなご協力が可能か、お返事を下されば幸いです。

添付回答用紙の各項目に記入または丸印をつけ、

郵送の場合は 〒176-0012 練馬区豊玉北5-24-2-1003 大内要三 あて

ファクスの場合は 03-5984-5088 大内 あて

Eメール送信の場合は 3u5j2zbma.biglobe.ne.jp あて(◎を@に変えて下さい)

郵便振替によるカンパ送付は 00110-2-76333(平和に生きる権利の確立をめざす懇談会) あて にお願いいたします。

 201012

               平和に生きる権利の確立をめざす懇談会(平権懇)

               ブログ:http://heikenkon.cocolog-nifty.com/blog/

2010/12/15

読む・読もう・読めば 91

あたご事件公判傍聴記4

1129日、30日、そして1213日から15日まで連続で、イージス艦「あたご」による漁船沈没事件の第10回~14回公判が横浜地裁で行われた。823日の初公判は炎暑の日だったが、4か月たって裁判所前のイチョウの葉は落ち、風は冷たい。この間、傍聴できなかったときもあり、新聞報道も参考にしつつ傍聴記を書く。

争われているのは、あたごの見張りの不備・引継ぎの不備と、漁船清徳丸の航跡だ。被告の自衛隊側は清徳丸が右転しなければ衝突はなかったから無罪だと主張して、検察側の提出した航跡図とは別に、元高等海難審判庁長官の宮田義憲氏による航跡図を提出している。清徳丸自体のGPS(衛星を利用した測位システム)記録は失われているから、僚船のGPSと、僚船および「あたご」からの目視・レーダー観測証言をもとに航跡を再現せざるを得ない。

29日の第10回公判。証人は衝突の約40秒前までの清徳丸の検察側提出航跡図を作成した、大野保安官。作図の根拠として、清徳丸の出港した勝浦市川津漁港と漁場の三宅島沖を結んだ線、康栄丸のGPS記録、康栄丸乗組員の「清徳丸を左前方7度、3マイルの位置に見た」という証言を挙げた。自衛隊側は反対尋問で作図を再現させ、距離には幅があり、角度も異なると追及したが、保安官は「誤差の範囲内」と説明した。

30日の第11回公判。一人目の証人は衝突までの清徳丸の検察側提出航跡図を作成した、中井保安官。この図では清徳丸は右転のため減速したことになっている。自衛隊側は、海上保安大学校の鑑定結果ではこの曲がり方では減速しないとなっていることとの矛盾を追及した。二人目の証人は独立行政法人・航海訓練所の竹井義晴航海課長。あたごの操船を「スーパーカーの感覚で操縦している」「平均点以下」と評し、「早めに避航していれば衝突は避けられた」と述べた。また当直の引継ぎに関しても、レーダー位置情報を消去して引き継がなかったことを「驚きだ」と述べた。

13日の第12回公判。一人目の証人は漁船、大市丸の船長。事件当日に僚船より早く出港し、三宅島沖の漁場までの間に大型船を見なかったと証言した。二人目の証人、検察側の航跡図をまとめる責任者だった横須賀海上保安本部の専門官は、自衛隊側の宮田航跡図だと大市丸の位置がおかしいこと、清徳丸は能力を超える24ノットという速力を出したことになることを指摘した。専門官はさらに、あたごの操船は「赤信号で交差点に入って警笛を鳴らすようなもの」だと批判した。

14日の第13回公判。証人は船渡健・元あたご艦長。海難審判では指定海難関係人になっていたが、裁判では被告になっていない。彼は検察側の航跡図が「左前方7度、3マイル」の証言を根拠とすることについて、船首に基づくのか進路に基づくのか記されていないと指摘。また複数の漁船乗組員の証言から清徳丸の「存在圏」を示す図を描いて見せた。この日、自衛隊側は、調書の一部が「作文に近い」として、清徳丸僚船を取り調べた地検検事を証人に申請し、裁判長はこれを認めた。

15日の第14回公判。証人は神戸大学で水先人養成を担当している吉川誠治氏。「護衛艦は戦闘のため訓練している、航海も訓練のうち」「見張りは目視が基本、レーダーは正確とは限らない」などと証言した後、第11回公判であたご当直員がレーダー情報を引き継がなかったことを問題にした竹井証言を「けしからん発言、許し難い」「社会人としての常識が欠如」とののしった。また漁船は「運動性能が低いので危機意識がうすれがち」「魚を探して不可解な行動をとる」「しばしば大型船の船首を横切る」などと述べた。自衛艦に小型船を無視して航行する習慣があることはよく指摘されるが、民間の水先人養成の任に当たる人がこのような意識を持っているのは驚きだ。こういう人が自動車を運転すると、路上の老人や子供や障害者はみな邪魔者に見えるのだろうか。

さて、あたご事件公判は131日に結審となるはずだったが、さらに公判期日が増えるのかも知れない。公判では細かで専門的なやりとりが続いているが、新聞報道も地方版だけでしかも間遠になり、傍聴人も少なくなってきた。海難審判のときは毎回、傍聴券を求めて抽選に並んだのだが。いま当事者以外に裁判の全容を知る人が極めて少ないのは危険なことだ。自衛隊側がどのような主張をしようが、自動操縦で艦長が仮眠中のまま東京湾入口近くまで来て、漁船群に突っ込んだ事実は動かない。裁判で被告になっているのは衝突当時の見張り責任者とその前任者だけ、艦長や自衛隊組織の責任が問われないのはおかしなことではないだろうか。これで再発防止につながるのだろうか。JR福知山線事故ではJR西日本の経営者責任まで追及されたのに。これでいいわけがない。私たち平権懇は、2月に「イージス艦あたご事件の公正な判決を求める横浜集会」(仮称)を実施することを企画している。 20101215日)

2010/12/13

12.11シンポジウム

連続学習会 日米安保50年の現実 シリーズ2 第4回

シンポジウム「米軍人・軍属による事件被害を考える」終了いたしました

パネリストの方々、参加くださったみなさま、ありがとうございます

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