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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2011年3月

2011/03/29

読む・読もう・読めば 98

原子力三原則

息を潜めて原発事故報道を読む。だから原発は危険だと言ったではないか、などと今さら言っても空しい。ブツブツ言いながらも便利な生活を享受してきたのは、迷惑施設を見えないところに持っていったのは、私たち東京都民だ。あらためて原子力研究三原則のオリジナル、日本学術会議第17回総会の声明(1954423日)を読み返してみる。

この三原則は、国会で原子力開発のための予算が計上されたことに際して、科学者たちが討議してまとめたものだ。「平和利用」が軍事利用につながらないように、と枠をはめることが目的の決議であって、自主・民主・公開というお題目だけが人口に膾炙しているが、本文はまことに含蓄がある。「原子力の研究と利用に関する一切の情報が完全に公開され、国民に周知されること」「いたずらに外国の原子力研究の体制を模することなく、真に民主的な運営によって、わが国の原子力研究が行われること」「日本国民の自主性ある運営の下に行わるべきこと」。この通りに進んでいれば、商業用原発の実用化などまだ遠い先だった。1954年は31日のビキニ被災の年でもあった。

慎重論をはねのけて、というよりは一時は四面楚歌のなか三原則のもとを作り、日本の原子力研究を進めたという理論物理学者、伏見康治氏には一度だけお目にかかったことがある。中学生のころ愛読した「不思議の国のトムキンス」の訳者だったことは後で気付いた。三原則のもと、と書いたが、彼の起草した原子力憲章草案は、学術会議では後半が無視されたけれども、いま読むとこれまた含蓄がある。「日本国憲法の精神にのっとり」という一節が生々しい。詳しくは伏見康治『時代の証言 原子科学者の昭和史』(同文書院、1989年)。

統一地方選で民主党ボロ負けの後、「非常時」の名のもと「挙国一致」内閣で戦後憲法秩序が津波に流されていく危険があるとき、憲法にこだわった科学者たちのことを考える。

2011328日)

2011/03/14

読む・読もう・読めば97

災害派遣

東北・関東大震災の惨状には言葉もない。東京で報道を注目している私たちには救援カンパぐらいしかできないのがもどかしい。自衛隊24万人のうち10万人が、6県道知事の要請を受け、自衛隊法第83条の規定により災害派遣されつつある。陸上自衛隊では相馬原の第12旅団、守山の第10師団、留萌の第26普通科連隊、福岡の第4旅団が被災地入りしたようだ。米国の戦争に協力するために海外派遣されるより、ずっと有効・有用だ。派遣される隊員たちにとっても、働きがいがある。

米空母「ロナルド・レーガン」がすでに宮城県沖に到着し、艦載ヘリが救援物資の輸送に従事しているという。さらに第7艦隊旗艦の「ブルー・リッジ」やイージス艦7隻も加わるという。ありがたいことだが、米軍の好意を素直に喜べないのは、平和運動者の習いか。

カリフォルニア州コロナドを母港とする「ロナルド・レーガン」がこんなに素早く宮城県沖に現れたのはなぜか。母港の横須賀で定期点検修理中の米空母「ジョージ・ワシントン」に代わり、米韓合同演習に参加していたからだ。228日から310日まで行われていた「キー・リゾルブ」演習を終え、引き続き4月いっぱい行われる「フォール・イーグル」演習に参加するはずだった。

これらの演習は、5029作戦計画に連動している。5029作戦計画は北朝鮮の社会混乱への対応作戦であって、次の6項目の変事を想定している。大量破壊兵器流出、政権交代に伴う混乱、クーデターによる内戦、韓国人人質、難民流出、そして大規模自然災害。武力で北の政権を打倒する5027作戦計画に比べれば穏当だが。そしていま、5029作戦計画で想定する6番目の項目が、より実践的に日本で演習できるようになったわけだ。  2011314日)

イージス艦「あたご」事件の公正な判決を求める2.26横浜集会③

質疑・討論

中杉喜代司 検察官の調書の取り方は交通事故の刑事裁判と同じだと思いましたが、海の場合の実況見分はどのように行うのでしょうか。

田川 海でも現場検証はやります。ただ、陸上では事故の痕跡が残りますが、海上では風や潮の流れがあるので、30分もたてば場所の特定のしようがない。そういう困難があります。

竹中正陽 被告人側は大弁護団を組織したり、多くの証人を立てたりしていますが、自衛官個人で裁判ができるとは思えません。何かバックアップする組織のようなものがあるのでしょうか。また、海難審判での海上自衛隊の主張と防衛省報告とが矛盾している、整合性がないように思うが、どうでしょうか。自衛隊内でも逆転させたいという思いがあるのでしょうか。

大型船を持つ船会社では会社側の意見として、漁船が多くてかなわん、小さい方が避けるべきだという声もあります。会社の利益からすれば大型船優位にしたいと。

大内 防衛省は関係者の処分をして、「あたご」側に責任ありとはっきり認めました。裁判で被告人が無罪を主張しているのは、防衛省の態度とは異なります。だから被告人側は、自衛隊組織を挙げての支援は得られません。ただ、防衛省の処分決定に納得できない人々が自衛隊内にたくさんいて、その人々からのカンパがあるのだろうと思います。

田川 組織だっての支援があるとは思えません。ただ、「なだしお」事件でも艦長支援のカンパがたくさん集まって残ったので、それを今回も使っているとも言われます。今回は3人の弁護士は大阪から来ている。被告人はまだ30代ですから、多額の弁護士費用を自分で払えるはずがないのは事実です。

栗原三郎 自衛隊は海技免許がなくても船を動かせるというのはおかしな話ですが、外国ではどうなのか、国際ルールはどうなっているのでしょうか。もうひとつ、民事裁判はどうなるのでしょう。

大内 海上自衛隊は海技免許なしですが、独自に試験を行って資格を与えています。外国でも同じだと思います。

 民事裁判ですが、すでに遺族には防衛省から賠償金が支払われて示談が成立したと聞いていますので、裁判はありません。 

匿名希望 刑事訴訟法の改正で、被害者側も検察側から裁判に参加できるようになったはずですが、本件ではどうでしょうか。被害者遺族が田川先生に依頼すれば可能ですか。

田川 可能だと思います。

小幡利夫 仮に今回の事件で自衛官が無罪になった場合、自衛隊の戦意と言いますか、大きな影響があると思いますが。

大内 防衛省トップは慎重ですが、たとえば尖閣諸島問題などでは、自衛隊内部にはもっと強硬な態度を取るべきだ、自衛隊が出動すべきだと考える向きも少なくないと思います。今回の判決結果によっては、そのような強硬派を元気づけるという危険なことになるかもしれません。

大内 「あたご」事件はネット社会でも多くのブログ等で扱われていますが、「自衛隊が悪い」という意見に対してはすぐに、「民間船は軍艦を優先させるのが当然、それが国際ルールだ」などという書き込みがされます。そんな国際ルールがあるのでしょうか。

田川 かつては軍艦に出会った時には船旗を半旗にして敬意を表するような慣習もあったということですが、海上衝突予防法のような交通ルールは世界共通です。事故があれば軍艦も民間船も同じ法で裁かれる。ただ、艦隊を組んで進む軍艦の間を横切るのは危険ですから、この場合は先に通すのが慣行です。

吉清祥章 軍艦は灰色なので、海では非常に見えにくいんです。灯火も民間船と違って見えにくいと思います。

高橋二朗 大型船だと、前と後ろに灯火をつけても、その間には何もないと思って向かって来る船があります。それを避けるために中間にも灯火をつけます。

吉清祥章 自衛隊は「清徳丸」が24ノットで走ったと言いますけれども、漁場に向かう船がそんなにスピードを出したらエンジンがだめになる。(会場から、「高い油を無駄にするし」の声)

「あたご」は定数以下の人数で見張りをしていた。探照灯で警告したと言いますが、僚船の船長に聞いたところでは、漁船が避けた後で探照灯を照らしている。漁船のほうで避けるべきだという考えがあるのではないでしょうか。

竹中正陽 「あたご」は衝突当時、艦長は仮眠していたということですが、商船では入港する1時間以上前に「全員起こし」をします。だから東京湾入口近くなら当然、全員が起きて配置に着いている。寝ているなど考えられません。

イージス艦「あたご」事件の公正な判決を求める2.26横浜集会②

報告2 田川 俊一

あたご事件の論点

 私の方は細かい点と言いますか、当日3時以降のことに絞って、なぜ衝突したのか、どこに原因があるのか、という点を中心にお話をさせていただきます。

 本件に関しては、「あたご」の速力、進路については、それほど大きな論点はないのですが、問題は「清徳丸」の衝突にいたる航跡です。どういう状況でどう進行して衝突したのか、という点につきましては、海難審判、検察官の論告、被告人の弁論、それぞれ主張があって事実認定が違います。

 審判の裁決と検察官の論告は、両船の航跡、接近模様からして、海上衝突予防法15条の「横切り船」の航法が適用になり、「あたご」に避航義務があったということでは一致しています。

 被告人側は、「清徳丸」が衝突の3分前から急に右転をして、速力を増大させて、「あたご」の前方に自ら出てきたのであるから、これは 「清徳丸」に衝突の全面的な原因がある、このような主張をしたわけであります。

 裁判で争われましたのは、航跡を分析することによって、どちらの船が避航義務があるのに避航義務を尽くさなかったのか、陸上で言うと赤信号、黄色信号はどちらの船であって、どちらの船が青信号であったかというふうに、大まかに言えばなります。

 いま申し上げましたように、本件では、後に航跡図をお示ししますが、「あたご」は323とか328度のコースで北上しておりました。一方「清徳丸」は215度のコースで西のほうに向かって進んでいた。そうしますと、北上する「あたご」からは「清徳丸」は右舷前方に見る関係になります。

 世界の共通ルールである海上衝突予防法の15条に規定がありますが、他の船舶を右舷側に見る船舶、本件では「あたご」が、「清徳丸」を右舷側に見ているので、衝突を避けるために避航動作をとらなければならないことになります。陸で言えばブレーキを踏むなりしなければならない。船舶にはブレーキがありませんので、エンジンを使って速力を減速させる、あるいは大きく右に舵を取る、ということで避航することになっております。

 海上衝突予防法のもともとは、大昔に英国から発生したわけですけれども、昔の帆船は港に着く場合は左舷を着ける。避航する場合は右舷に見る船を避航する。帆船ではそのほうが良いということであるようです。右側通行の原則です。船では左側のことを今でも「ポートサイド」というふうに呼ぶんですが、岸壁に左を着ける。飛行機に乗っても、左側が出入口です。逆はない。

あたご側の“無罪”との主張

 さて被告側の主張は、「清徳丸」が衝突の3分前に大きく右転して、速力を増して「あたご」の前路に出てきたというものです。被告側の主張する「清徳丸」の航跡図ですが、衝突3分前ころに大きく右に変針して、20度ぐらい右転しているのですが、それからさらに進んで、衝突直前になってもう一度右転している。こういう航跡で出てきたので避けようがなかった、というにあります。宮田鑑定による航跡図に依拠していると思われます。

 なぜそういうふうな航跡図ができるのか。一言で言えば「結論ありき」で、結論に合わせて図を引いている、ということです。

恣意的な宮田鑑定

衝突すると思えば船員は、本能的に右舵を取ってエンジンを止めます。危ないと思ってアクセルを踏むようなことは絶対にしない。「清徳丸」が急に前路に出てきたと言うからには、右転したことにしなければならない。最初の宮田鑑定は「清徳丸」が衝突前に1回右転する図を裁判所に出した。そうしますと「清徳丸」は22とか24ノットの速力でないと衝突地点に至らないんです。24ノットでは、それまでの15ノットの速力から9ノットも増速することになりますが、これは考え難いので、約5ノット増速して20ノットぐらいの速力に押さえて作図し、結論としては、衝突時刻に衝突地点に至るように、つじつまが合うようになっております。

宮田さんはもと高等海難審判庁長官で、船長経験がありますので、つじつまの合うように図を引くことについてはベテランです。ただし恣意的な図ではだめなのです。

海難審判でも当初、自衛艦側は清徳丸が右転して増速したという主張はしていませんでした。途中から、いや、あれは「清徳丸」に衝突原因があったと言い出しました。艦長の舩渡さんの発想といいますか、原案を作ったようですが、それに基づいて弁護団が宮田さんに鑑定依頼をしたと、こういうことになるわけです。

宮田鑑定、自衛艦側の主張の基本的な欠点は、清徳丸のコースを2度に分けて右転させていることです。当初の1回の右転説では「清徳丸」は22から24ノットもの速力を出さなければ衝突地点に至らない。試運転のときには最大速力として出します。だけども一般航行中に2224も出すはずがないのです。それで修正された航跡図では、15ノット程度で進行中、20ノットに増速した、というふうにしています。

千葉県勝浦の港から出て三宅島でマグロの餌を獲りますので、漁港から沖へ出ますと、そこから行き先を入れて、215度とか220度とかの進路に設定します。それから餌場に午前8時に着くとすれば、15ノットという速力も、算出します。そこで針路と速力を設定して自動で航行します。海上のことで道路ではありませんので、風波によって船がぶれて動くのはその通りであります。速力も常に15ノット、ピッタリとはなりません。新幹線ですとレールの上を走り、コンピューター制御をしておりますから、現地点、速力は何キロか、秒、メートル単位で出ますが、海上ではその必要もないのです。

清徳丸が東京湾に向かうのではないのに、三宅島に向けて航行中になぜ20度も急に右転して速力を5ノットも上げるのか。海上では10から15ノットくらいがごく普通の速力です。「あたご」もこのときは約10.5という速力です。

 いずれにしても、両船はごくごく普通の航行をしていました。したがって「清徳丸」が急に右転して増速する必要はないのであります。

あたご側の見張りの欠落

 陸上でも飛び出しがいちばん避けにくい。これは海上でも同じで、急に自分の前路に増速して出てきたら、これは避けにくい。しかし、海上では急に速力は上がりません。見張りさえ十分にしておれば、他船の接近状況は分かります。

「あたご」ではブリッジ(艦橋、操舵室)に11人の人がいたということですが、普通の商船ではいても2人、多くて3人です。なぜ11人もいて、「清徳丸」が右舷方から近づいてくるのが分からなかったのか。まさに縦割り体制の弊害ではないでしょうか。操舵、舵を握っている人は舵を握ることが任務で、横を向いてはいけないんです。右舷見張り員は、前方と右舷側以外を見ることはないのです。それぞれ自分の職域を全うするのですが、11人いたうち誰も「清徳丸」が右舷から接近してくるということを見ていなかったことになります。見ていれば、清徳丸の接近は分かります。見えないはずがありません。

検察航跡の弱点

 海難審判庁の裁決、それから検察官の論告、それから弁護側の弁論、3通りの航跡が引かれていますが、われわれ船関係の者が見ると、いちばん矛盾がなくて、こうではなかろうかと思うのは、海難審判庁の裁決です。検察官の航跡で弱い点は、康栄丸から左7度、3マイルに清徳丸をおき、近くになってから「あたご」の乗組員の2人が、70度・200メートルに見えた、70度・100ヤードに見えたと供述しているのを、きちんとピンポイントで置いてそこを必ず通すという作図をしたものですから、やや無理が生じています。しかし海上での目測ですから、そのようなピンポイントで定める必要はないのです。

被告人側の検察に対する揚げ足取り

 もうひとつ、検察が弁護団から追及されたのは、「康栄丸」という同僚船の証言についてです。これはGPSがありますので比較的はっきりポジションが出ている。その船長が、「清徳丸」を約7度、3マイルに見たと検察は主張。本人は法廷で「73マイルと言ったことはありません」と証言しました。きちんとレーダーでカーソルを当てて見ない限り、7度なんて分からないんです。だいたい5度から10度の範囲内ということなんですかね。それを海上保安官が後に、船長が言ったことをチェックすると7度になるということで7度にした。距離もレーダー上の目測で3マイルピッタリということは読み取れないのであり、それを3マイル前後と見て、その当時の態勢が合理的になるということで3マイルにしたと思われます。ところが調書では「康栄丸」の船長が「7度、3マイルに見た」となっている。海上保安官の調書作成の仕方が適切ではなかったのです。初めから本人は「7度、3マイル」とは言っていないけれども、証言を細かくチェックしていくと7度、3マイルに落ち着くと、そう調書に書いておけば十分であったと言えます。

 また検察側が追及されたのは、取り調べの時にいろいろと最後の調書の前にメモを取るんですね、それを捨ててしまった。当時、大阪地検の前田検事が証拠の改ざんをしたり、いいかげんな捜査をしたということが問題になっていました。また海上保安官も尖閣諸島問題がありました。弁護団から、検察、海上保安官作成の調書は信用できないと言われたわけです。被告人は、検事は作文をしていると、はっきり法廷で言っているんですね。検事が書いた航跡図は、お絵かきだとも言う。私は弁護士を長年やっておりますが、「無罪だ」と言う人はたくさんいますけれども、ここまで言うのは珍しい。

被告人は、自分個人のためだけではなくて、海上自衛隊、国のためにもがんばり通さなければいけないと思っているようです。長岩被告人は、私は今後も国民の付託にこたえ、国防という職務に邁進すると述べました。海軍の伝統で、菊の御紋を背負っているという発想があるのではないかと思われます。

交通ルールを遵守するべきは陸上も海上も同じです。戦車であれ潜水艦であれ、赤信号では止まらなければならないのです。

「なだしお」事件の教訓を生かしていない

「なだしお」事件は19887月の事件ですが、「あたご」はその教訓を生かしていないのであります。海上自衛隊側は、海難審判の1審では勧告、2審の高等海難審判ではそれはなくなったんですが、勧告をなくすために何を言ったかというと、見張りを十分にするなど安全教育を徹底的に行うということでした。

そこで、「なだしお」事件と「あたご」事件を比較してみます。

    両艦とも優秀艦船である。

イージス艦はできて2年でしょうか、1隻が1千億円以上もする艦です。非常に優秀な艦船で、レーダーで複数の標的を一気に捕まえることができる。「なだしお」も優秀な潜水艦でした。「あたご」の艦長も「なだしお」の艦長も、海上自衛隊のエリートでした。

    平和な海で自衛艦が民間船と衝突し、重大な結果が発生した。

「なだしお」事件では30名、遊漁船の乗客28名と乗組員2名が死亡。「あたご」事件では乗組員2名、親子が死亡しております。

    本件には世界共通の海上交通ルールである海上衝突予防法が適用になる。

    いずれも自衛艦側に避航義務があった。

航跡図からすると、いずれも自衛艦側に避けなければならない義務があったというふうに、交通ルール上なるわけです。「なだしお」は「富士丸」を発見しておりましたが、驕り高ぶりでしょうか漁船が避航すべきとして、ただちに適切な衝突を避ける動作、速力を落とすとか進路を変更することをしなかった。「あたご」では、どうも見張りができていなかった。

    海上自衛隊は、両事件とも事実を迅速に発表することなく情報操作をしていた疑いがある。

衝突直後に「あたご」からヘリコプターで、キーパーソンを防衛省に呼んできて、事故の事情聴取をしていたようです。その内容は公表しなければいけないのですが、していません。防衛省は、はじめ2分前に「清徳丸」を見た、いや12分前だった、じつは30分前だったと二転三転して発表をしていますが、混乱のままであったのか、どの時間を取れば自分に具合がいいのか考えていたのではないかとも思われます。

しかし防衛省は最終報告で、はっきり「あたご」に原因があったと認めています。にもかかわらずと言いますか、「あたご」の当直士官は完全無罪を主張し、防衛省発表は残念だ、と漏らしているようであります。

「なだしお」事件では、衝突してまだ海に投げ出された人を助けなければいけない時に、艦長らは艦内で航泊日誌を書き換えていた。事故直後から情報操作と言いますか、証拠隠滅をしていた。私どもは公文書偽造ということで横浜地検に告発したのですが、検察庁は取り上げませんでした。

 自衛艦側は、1988年の「なだしお」事件でも、この「あたご」事件でも、いずれも審判あるいは刑事裁判で「無罪」を主張しています。言い方が似ています。「なだしお」でも、漁船がわが艦の前に出てきたと主張していました。「あたご」でも、速力を落として右に舵をとって避航すればいいものを、それをしないで、「清徳丸」が飛び出してきたのが悪いというような主張をしております。彼らは大きな事故を起こしたけれども、それを謙虚に反省して次の機会に生かすというふうなことがないのでしょうか。

再発防止につながる判決を

「なだしお」の艦長は禁錮26月、執行猶予4年の判決でした。「富士丸」の船長は禁固16月、執行猶予4年です。「あたご」両被告人とも、禁錮2年という求刑ですが、これが軽い、重い、ということは問題ではありません。

何が原因で衝突したのか、真実の発見を裁判所にしてもらいたい。そのことが再発防止につながる。このことが大事ではなかろうかと思っております。

 裁判の進行を見ていますと、弁護側に主張、立証をつくさせ、ていねいに訴訟指揮をしております。

本件が仮に無罪となれば、検察は控訴するでしょう。有罪となれば、禁錮2年・執行猶予4年が穏当と思われますが、被告人は完全無罪を主張していますから、控訴するのではないでしょうか。

 私どもとしては、裁判所がどういう事実経過を認定して、どういう理由で有罪とするか、大いに注目して見守りたいと思っております。

イージス艦「あたご」事件の公正な判決を求める2.26横浜集会①

報告1 大内 要三

裁判までの経過

 裁判経過のご説明の前に、事件の性格について説明しておく必要があるかと思います。この悲惨な事件が起こったのは2008219日のことでした。ほぼ3年前ということになります。千葉県勝浦市川津港から出た漁船「清徳丸」には、吉清治夫さん(58)と息子さんの哲大さん(23)が乗っておりましたけれども、三宅島沖で餌のサバを獲って八丈島沖まで行ってマグロ延縄漁をするつもりで出て行ったところ、千葉県野島崎沖でイージス艦「あたご」にぶつかられて沈没してしまった。船は左舷が大破して真っ二つに割れてしまいまして、人が乗っていた操舵室とともに2人は行方不明のままになりました。

 非常に早くからこの事件の本質を捉えていた人があります。朝日新聞出身の軍事評論家、田岡俊次さんが、事件が起こった日の夕刊に書いています。回避義務はあたご側にあったはず。見張りをしていれば肉眼で十分に発見できた。「房総半島南方と伊豆大島東方の海面は東京湾に出入りする船が多く、未明にそこに差し掛かればもっとも緊張して見張るべきで、艦長、当直士官、見張り員らは何をしていたのか、ふしぎなほどだ。」その日のうちにこういうことが分かってしまうくらいに、明々白々な事件だったんですね。

 私ども「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会(平権懇)」も、この事件を市民の手で解明しようという集会を持ちました。事件からほぼ1年後の200937日のことです。「赤旗」が報道してくれました。このとき私は報告をして、これは単なる事故ではなく事件であると強調しました。なぜなら、①見張りの不備があったほか、②なぜ衝突回避をしなかったのか、③なぜ救難をきちんとしなかったのか、④防衛省・総理への報告の遅れ、⑤証拠隠滅の疑い、⑥情報隠し、情報の二転三転、⑦そもそも安全対策がなかった、といった問題があったからです。かつて1988年には「なだしお」事件がありました。2001年には「えひめ丸」事件がありました。軍艦と民間船がぶつかった悲惨な事故が過去にあったにもかかわらず、自衛隊は何を学んだのだろうかと。

 では次に、今回の「あたご」事件の真相究明がどのように行われて、どのように責任追及がなされたのかについて、少しお話をします。

 2008321日、事件から1月あまり後に防衛省の艦船事故調査委員会が、「あたご」の乗組員から聴取をした結果として、中間報告を出しています。同時に海上幕僚長は退任、防衛省の幹部7人が処分されました。早々と上の方では処分がなされたわけです。この中間報告ですでに明らかになっていたのは、次のようなことです。「衝突前の見張員の配置やCIC(戦闘指揮所、ここでレーダーで見張りをしています)における当直員の配置状況も含め、艦全体として見張りが適切に行われていなかった」「あたごに避航の義務があったが、あたごは適切な避航措置をとっていない。また、衝突直前にあたごがとった措置は、回避措置として十分なものでなかった可能性が高い」。

 その後、海難審判が行われました。海難審判所は海の事故の原因究明をするところですね。08627日に横浜海難審判所に申立てが行われました。事件の当事者、指定海難関係人となったのは5者です。海上自衛隊第63護衛隊(のち第3護衛隊に組織改編、代表・同隊司令)、艦長、当直士官、前直士官、そして戦闘指揮所の責任者。1022日までに6回の審判が行われました。

 海難審判の結果ですけれども、2009112日の裁決では、非常に明らかに「あたご」側に責任があると言っています。「あたごの艦橋とCICの間に緊密な連絡・報告体制、並びに艦橋及びCICにおける見張り体制に複合的な背景関係にあって本件が発生したもので、総合的に改善する施策を整備し実効有る取り組みを行わなければ事故再発防止は図れない。個人には勧告しないが、第3護衛隊組織全体に対して勧告するのが相当である」。このように自衛隊組織に対して、きちんと改善しないとまたこういうことが起こる、と結論を出したわけです。

 では防衛省の結論はどうか。中間報告を出した後も聞き取りを続けて、2009522日に最終報告を出しています。報告書は書いています。「第2直当直士官の見張り指揮、見張り、行船上の判断・処置及び艦内における指揮は不適切であり、事故の直接的要因と考えられる」。まず衝突時の見張り責任者に責任がある。「艦長の運行に関する指導は不十分であり、事故の間接的要因と考えられる」。衝突当時は仮眠していたけれども、艦長にも責任がある。「隊司令のあたごに対する訓練管理及び安全管理に関する指揮監督は不十分であり、事故の間接的要因と考えられる」。つまり、自衛隊組織にも問題があると、防衛省そのものが認めたということです。

 再発防止策として、①見張り及び報告・通報態勢の強化、②運行安全に係るチームワークの強化、③運行関係者の能力向上による運行体制の強化、④隊司令による指揮の徹底、その他を挙げています。

 処分としては、前艦長と当直士官に停職30日、停職・減給・戒告・注意・口頭注意を含めて、計38人に処分がなされました。

 このように、海難審判においても、自衛隊内部においても、あたご側に責任があることは非常にはっきりしたうえで、裁判が行われたということです。

「あたご」という船がその後どうなったかについても、少しだけお話をしておきたいと思います。2008328日付の人事で、新艦長として清水博文一佐が就任しました。前艦長の舩渡健一佐は、0971日付で広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校研究部長に左遷されました。そして「あたご」は昨年、カナダ海軍創設百年記念国際観艦式に参加した足で、6月から8月までリムパック2010演習に参加しています。環太平洋の多国籍合同演習ですが、米国の航空母艦「ロナルド・レーガン」を守る役目で「あたご」が参加しています。

 昨年12月には新防衛大綱が10年計画として発表されたことはご存じと思いますけれども、同時に発表された中期防衛力整備計画、5年計画の中に、「あたご」の改修計画が盛り込まれました。イージス艦といっても「あたご」は今まで、敵ミサイルをレーダーで捕捉して仲間に知らせることはできても、落とす能力は持っていなかったんですが、それができるようになります。相当に強力な軍艦になります。

裁判の枠組みと経過

 さて、裁判の話に戻ります。すでに事故の原因究明は海難審判で行われ、自衛隊内部での処分も行われているわけですから、残るは社会的責任の追及ということになります。これが刑事裁判です。

 今回の裁判では、衝突当時の当直士官(長岩友久三佐)と、その前直、すなわち交代する前の当直士官(後潟桂太郎三佐)、この2人だけが起訴されました。艦長(舩渡健一佐)の責任は追及されていないし、自衛隊の上部組織の責任者も起訴されていません。海難審判の裁決では前直は事故の原因とは関係なしとされていたのですが、検察の判断は違って引継ぎに問題ありとしています。艦長が責任を追及されないのは、衝突当時に船の運航に関わっていなかったからだということです。刑事裁判で「海上自衛隊」が被告にならないのは仕方のないことですが、当時の防衛相とか第3護衛隊司令のような、上部組織の責任者が被告人となることはあり得たはずですけれども、検察はそれをしませんでした。

 最近の刑事裁判では事前整理で、公判が始まる前に検察と被告側弁護人との間で、どこを争点とするかが決められています。今回の事件では、見張りの不備と「清徳丸」の航跡の2点に争点が絞り込まれています。それにしては相当に長い、18回の公判というていねいな裁判が行われましたけれども、2つの争点以外は始めから問題にされていませんでした。衝突の直接的原因については追及するけれども、間接的原因については追及しない裁判であったということです。

 2人の被告人は無罪を主張していますけれども、情状酌量でなく無罪主張ということは、裁判の結果以前に、すでに自衛隊に対する反逆ということになります。自衛隊はすでに処分も発表して、「あたご」側が悪いと自ら防衛省は認めている。被告人の無罪主張は、自衛隊の決定に不満であると言っていることになります。ですから自衛隊全体からの支援は受けられないわけです。

 横浜地方裁判所で2010823日に裁判が始まりました。裁判では勝手に写真は撮れませんのでお見せする写真はテレビ画面からのものです。冒頭に3分間だけ全く動かない映像を撮る。これも不思議なもので、この画面に被告人はいない。人権を守るのはいいことですけれども、誰が何をしている場面なのか、よく分かりません。

 横浜地裁の第6刑事部に係属しています。業務上過失往来罪と業務上過失致死罪の疑い。裁判官は3人です。秋山敬裁判長、林寛子・右陪席、海瀬弘章・左陪席。恐らく左陪席が判決を起草して合議、裁判長が最終的にまとめるのでしょう。

 主任検事は今村智仁さん、検事側は2人が出席していますけれども、弁護側はなんと峰隆男主任弁護士など5人という大弁護団です。傍聴には毎回、自衛隊の方も来られているようです。しかしこの裁判が意外に注目されていないというか、注目のしようもない形になっているのは、たいへん残念なことだと思います。というのは、全国紙に報道されたりテレビで報道されたのは、裁判が始まった時と求刑のときくらいで、18回の公判ごとに何が行われていたのかは、新聞の地方版にしか出ていないんです。比較的ていねいに報道していたのは神奈川新聞と毎日新聞、そして赤旗です。神奈川地域以外の方は、どのような裁判が行われていたのか、ほとんど知ることができなかったということです。傍聴人も、最後のころはわずかに20人いるかいないか、くらいでした。

 しかも刑事裁判では、被告人の人権擁護の立場から、当事者以外は裁判に提出された文書も裁判記録も、閲覧することも複写することもできないんですね。時にはくじ引きになる傍聴券を手に入れて傍聴をしても、録音もできないし撮影もできない、メモを取るだけになります。

 では裁判で何が行われたのか。まず検察側の主張です。

「清徳丸」の航跡が争点になっていますけれども、残念ながら「清徳丸」は沈没したためにGPSによる記録は失われています。そのために「清徳丸」がどのように動いたかは、仲間の船に残された記録と、他の船からどのように見えたかという証言とから再現するほかはありません。そのうえで検察側は、①「あたご」に回避義務があった、②当直士官は衝突防止の注意義務を怠った、③前直は誤った引継ぎをした、と主張しました。

 起訴状を見ますと、「後潟被告(前直です)は接近中の漁船の動きを正確に引き継ぐ注意義務を怠り、停止操業中と誤った申し送りをした。長岩被告(当直士官です)は誤りに気付いた後も衝突を防ぐ注意義務を怠り漫然と航行を続けた。2人の過失の競合により漁船に衝突し沈没させたことは、業務上過失往来危険罪にあたる。また沈没した清徳丸の吉清治夫さん、吉清哲大さんを死亡させたことは、業務上過失致死罪にあたる。」とされています。

 これに対して被告側は、「清徳丸」が直前に右転しなければ衝突しなかった、という主張をしています。それを裏付けるために、元高等海難審判庁長官の宮田義務憲氏が作成した航跡図と、前艦長の舩渡健氏が作成した「存在圏図」、つまりいろいろな証言を重ね合わせると「清徳丸」がいた可能性のあるところはここだ、という図を出してきました。

「あたご」がどこで見張りをしていたかというと、ひとつはCIC(戦闘指揮所)です。ここからは外は見えませんが、レーダーで監視しています。もうひとつは艦橋です。窓から外が見えます。

 長岩被告は次のように証言しています。前直からの引継ぎについては、「交代後は私の責任で運行している」ので影響はない。自分の操船は「百点満点ではないが平均より十分上」だった。事故の原因は「考えても考えても思いつきません」。いちばんの反省点は「艦長の目の届かないところで事故を起こさせてしまったこと」。

 後潟被告は次のように証言しています。漁船が停船・操業中との判断は「見誤ることは常識的に見て考えられない」。「横からいきなり前に出てくる船は予想できるものではない」。「衝突と聞いて、どこから来たのかと思った」。

 被告側は、見張りや引継ぎは適切であった、検察側の強引な立件による冤罪事件であると主張しました。実際に取り調べをした海上保安庁の保安官や検察側の人を呼んできて、どのような取り調べをしたのか、その取調のメモは残っているのかと、延々と証人尋問をしました。そのときに、残念なことですけれども、海上保安庁・検察の取り調べに相当に杜撰なところがあったことが暴露されました。

明らかになったこと、争われなかったこと

 裁判で明らかになったことは何か。まず、監視が不十分であったことです。実際に見張りをしていた人の証言がありました。右舷、すなわち漁船群がいちばん見えるところで見張りをしていた人間が、このように言っています。「水平線上に3つの白灯を見、近づいていると認識したが、交代時に引継ぎをしなかった」。同じ右舷の衝突時の当番は、「3漁船と思われる白灯・赤灯を見たが、すでに前任者が報告済みと思い、当直士官に報告しなかった」。これでは監視していたとは言えません。CICで監視していた人の証言には、これは衝突前後のことではありませんけれども、「夜間訓練のためにCICに誰もいなかった時がある」とのことです。見張り体制に不備があったことははっきりしました。

 そして被告側が出した宮田航跡図ですけれども、これが非常に恣意的に作られたものであることもはっきりしました。「清徳丸」は最終的に24ノットという非常な高速で走ったとされています。ところが「清徳丸」は漁船ですから、24ノットで走ることなど不可能なんです。このような航跡図が本物であるはずがないですね。

 そして、どのように被告側が言ったところで、「あたご」が漁船群に注意を払わずに、自動操縦のまま突っ込んできたという事実は消せません。

 このことに対して、たとえば東京水先人会会長の佐藤克弘さんは朝日新聞に載せた文章で、次のように言っています。「船団がこちらに向かっているとなれば、その行動を警告するため汽笛を5回鳴らす。さらに注意を喚起するために探照灯で合図する。ここまでやれば相手の船長が自動操舵でたとえ居眠りしていても目を覚ます。そして状況に応じて大きく右に舵をとり、相手の漁船団の後ろを迂回し、漁船団をやり過ごす。実は、こうした対応は常時、多くの商船がやっていることだ」。「東京湾では横須賀に出入港する自衛艦、米艦船が過密状態の航路をスピードアップして横切る行為がしばしば見られる」。軍艦がいかに無茶なことを常時しているかが分かります。

 また航海訓練所の竹井義晴氏が証言しましたけれども、「あたごはスーパーカーの感覚で操縦している」「操船は平均点以下」「早めに避航していれば衝突は避けられた」と言っています。

 となると、「あたご」は軍艦であるということから、優先意識を持って、当然、漁船の側で避けるだろうと思ってまっすぐ突っ込んできたとしか言いようがないだろうと思います。そのことは「あたご」側も一部、認めています。舩渡前艦長は証言者として法廷に出ていますけれども、「あたご」が舵を取らなかったことに関して、「清徳丸があたご艦首を左にかわすという期待があったのではないか」と口走っています。

 124日の論告で、検察側は2人の被告人に対してともに禁錮2年の求刑をしました。131日の最終弁論では、被告側は無罪主張を繰り返しました。判決は511日に出されます。

 では、裁判で争われなかったことは何か。

 まず、防衛省が事件発生当時に証拠隠滅をした可能性があります。裁判では最初からまったく問題にされませんでした。これは防衛省幹部まで証人とする、あるいは被告人とすることによってのみ究明が可能だろうと思いますけれども、検察はこれをしなかったという問題があります。

 そして自衛艦が優先意識を持つために、民間船とは相当に違った扱いになっています。自衛艦には船舶自動識別装置(AIS)、これは民間の大型船はみな持っているのに、自衛艦にはこれを搭載する義務がありません。もっとひどいのは、自衛艦は海技免許状なしに、自衛隊内部で与えられた免許証によって艦の操縦をしています。陸上では誰でも、自動車は免許証がないと運転できませんけれども、海上では免許証なしに自衛艦が運航されているということです。

 あるいは、自衛艦には人命救助の準備が不足しています。「なだしお」事件のときにゴムボートを浮かべるまでに非常に時間がかかって、「助けてくれ」と叫んでも助けてもらえなかったという証言がありました。今回も潜水員、つまり海にもぐるフロッグメンがちゃんと「あたご」に乗艦していたにもかかわらず、練度が低いので出動させなかった。2月の海です。投げ出されて11秒を争うときに、助ける準備がないので助けられませんでした、ということです。

 そういった自衛艦のあり方が、今回の裁判ではまったく、初めから問題になっていませんでした。

再発防止のために

 裁判は仇討ちではありません。被告人2人、罪に対しては相応の罰が与えられるべきだと思いますけれども、刑が重いほどいいのかと言えば、そういう問題ではないだろうと思います。私たちが求めるのは、絶対にこういう事件、事故を起こさせない、再発防止に役立つ判決です。ここがいちばん大切だと、私は考えます。

 例えば、思いだしてください。JR福知山線の事故がありました。2005425日のことです。たいへん悲惨な事故で、107名が亡くなりましたけれども、この事件の裁判ではJR西日本の社長まで被告人にしています。JRの運行態勢自体に問題があったのではないかと、裁判ではそこまで追及されています。これと比較して今回の「あたご」の裁判は、いかにも手落ちではないかと言えると思います。

 かつて「なだしお」事件があったときに、私ども平権懇はいちはやく本を出して真相追及の運動を進めました。「えひめ丸」事件でも、宇和島での集会に協力をいたしました。二度とあってはならない事件がもう3度目です。どういうことなのか。これはやはり海上交通において、軍事優先の思想が蔓延しているということではないでしょうか。

 陸上ならば、大型車でも交通ルールをちゃんと守って道路を走っています。市街地では子供もいるし老人もいるし車椅子もいますね。そういう人たちに十分注意しながら、ダンプカーであろうが大型バスであろうが、みんな走っているんです。海上でも、巨大なタンカーや大きな商船は、小型船はどけというような運行はしない。右に見る船を避けなければならないとなればちゃんと避ける。自衛艦だけがなんで例外でいいのだろうか。それがいちばんの問題ではないでしょうか。

 そして、自衛艦に安全確保・人命救助の思想が不足していていいのでしょうか。陸上では自衛官でも無免許運転なら取り締まられます。例えばこれは2008719日にあった事件ですけれども、戦車隊の自衛官が無免許運転でつかまった事件がありました。戦車は運転できても二輪免許を持っていなかったんですね。海では自衛官は海技免許を持たないで船を運転していていいんだろうか。それも、そこのけそこのけで運転していていいんだろうか。

 今回の事件で、「あたご」はハワイから帰ってくる途中でした。イージス艦は飛んでいるミサイルをレーダーで捕捉して僚艦に伝える能力を持っています。イージス・システムは米国製でブラックボックスのまま、日本では中身が分からない装置です。「あたご」はそのシステムを積んで、ちゃんと働くかどうかチェックしてもらうために、わざわざハワイまで行って装備認定試験を受けて、報告のために横須賀に向かっていました。イージス艦は敵ミサイルを撃墜するために役立つ軍艦です。たとえば北朝鮮からハワイを狙うミサイルが発射されれば、それをレーダーで捕捉して米軍に伝える能力を持っています。すなわち、日本防衛だけでなく米国まで守る能力を持ったという驕りが、東京湾の入口近くまで来て漁船群に突っ込んでくるという行動に現れたのではないでしょうか。

 そのような部分まで含めて、自衛艦の横暴を許していいのかというところまで踏み込んだ判決が、ぜひ欲しい。そういう判決でなければ、「清徳丸」の親子は浮かばれないと、私は考えます。

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