読む・読もう・読めば 99
「原発がどんなものか知ってほしい」解説
原子力発電所の配管工事の監督だった故平井憲夫さんのお話をまとめた「原発がどんなものか知ってほしい」という文章が、いまインターネットやEメールを通じて、あるいはコピーの形で広く読まれています。原発に関する情報にはずいぶんいいかげんなものも多いようですが、これはれっきとした原発の「現場からの報告」です。でも出典、つまり何がオリジナルなのかを示さずに引用したり紹介したりするのは、やはりまずいでしょう。
平井さんのこの文章の元は、1995年5月に「PKO法『雑則』を広める会」が発行した小冊子『アヒンサー・地震と原発』に掲載されたものです。同会の佐藤弓子さんらが平井さんに3回にわたってインタビューしてまとめました。この文章は好評だったため、2004年10月に『アヒンサー・私、子ども生んでも大丈夫ですか』という本に再録され、さらに2005年1月に「市民メディア・インターネット新聞・JANJAN」に8回にわたって連載されました。これらの冊子・本は書店を通じての販売はされず(国会図書館所蔵)現在では入手できず、JANJANも休刊となりましたが、平井さんの文章はJANJAN掲載のデータをもとにいま、さまざまな形で広まっているものと思われます。
解説の解説になってしまいますが、「PKO法『雑則』を広める会」とは、1992年に成立したPKO法(正しくは「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)第5章「雑則」第26条が、自衛隊海外派兵に国民を動員する仕組みになっている(有事法制の先取りですね)のを広く知ってもらうことを目的に結成された女性たちの市民運動です。また「アヒンサー」とはヒンドゥー語で「非暴力」を意味し、紀元前のインドに発してヒンドゥー教・ジャイナ教・仏教に共通して取り入れられた考え方です。
さて、『週刊現代』2011年4月23日号は、「原子力発電所で私が見たこと」と題して、平井さんのこのレポートを7頁にわたって紹介しました。この記事は、退社後の平井さんの活動と死について、次のように書いています。「88年に退社した平井氏は90年に『原発被爆者労働者救援センター」を設立。……原発作業者の相談に乗り、彼らの労災申請を行うために、準備を始めた。そこで直面したのは、相談者自身からの『申請は待ってほしい』という訴えだった。被爆者だと世間に知れると、自分や家族が差別される恐れがある、というのがその理由だった。……97年1月、58歳で平井氏は亡くなった。しばらく姿を見かけないので心配した知人が自宅を訪ねたところ、倒れているのを発見した。死後から1週間ほどが経過していたという。結婚して息子がいたが、離婚して一人暮らしを続けていた。孤独死だった。死因は脳出血だが、被爆の影響なのかは分からない。」
(2011年4月14日)
« 読む・読もう・読めば 98 | トップページ | 読む・読もう・読めば 100 »
「大内要三 コラム「読む・読もう・読めば」」カテゴリの記事
- 読む・読もう・読めば 127(2013.06.12)
- 読む・読もう・読めば 126(2013.04.06)
- 読む・読もう・読めば 125(2013.02.11)
- 読む・読もう・読めば 124(2012.12.15)
- 美濃部革新都政への道をふりかえる(2012.11.22)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
福島原発事故と放射線障害についての情報リンク集を紹介します。東京都立戸山高校昭和40年卒学年会が編集し発信しています。
http://toyama-s40.u-me.jp/general/genpatu/index.html
投稿: 小幡利夫 | 2011/04/16 09:25