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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2011年4月

2011/04/28

読む・読もう・読めば 100

3.11で見えてきたもの

地震で雪崩れた書架から、懐かしい本たちが顔を出す。武谷三男さんの『原子力 闘いの歴史と哲学』(1974年、勁草書房)、堀江邦夫さんの『原発ジプシー』(1979年、現代書館)、剣持一巳さんの『ルポ原発列島』(1982年、技術と人間)、内橋克人さんの『日本エネルギー戦争の現場』(1984年、講談社)を読み返す。原子力発電は実用化するにはあまりにも未成熟・危険な技術であることについては、厖大な文章が書かれ、出版されてきた。プルトニウムが無害になるまで何万年も、どうやって誰が保管するのか。けれども電力消費地では便利な都会生活を維持するために、電力生産地では補助金依存の地方行政によって、人々は安全神話にだまされたふりをしてきた。我が亡き後に洪水は来たれ。

いま熟読しているのは吉井英勝さんの『原発抜き・地域再生の温暖化対策へ』(2010年、新日本出版社)。著者は京都大学工学部原子核工学科卒、衆議院議員。とても分かりやすく、何よりも地域からの視点がすばらしい。そして戦後日本のエネルギー政策に対米従属の歪みがあることもきちんと押さえられている。もう1冊、この著者は反原発の人ではないけれども公平に原発の問題点を指摘してもいる本として、本橋恵一さんの『電力・ガス業界の動向とカラクリがよ~くわかる本・第2版』(2010年、秀和システム)。

福島原発20キロ圏内が危険だという政府。50キロ圏内に記者を入れない内規を持つ朝日新聞。横須賀も危険だと逃げ出した原子炉を推進力とする米空母。笑うことはできない。10年後のことは誰にも分からないのだから。

福島県警のヘリが「原発爆発」を現認して緊急報告をしても3時間後まで無視した東電・政府。「原子力利用について着実に取り組む」とマニフェストに書いた民主党。地震・津波被害の「かわいそうな」国から、放射性物質を無断で海に流す環境テロ国家になった日本。政府もマスコミも信用できないとき、ネット情報が玉石混淆で飛び交った。今は何が玉で何が石だったか、少しずつ分かり始めている。石を流した人は流した相手に対してきちんと訂正・謝罪をしてほしい。そうでなければ、いわゆる風評被害の加害者のままになるのではないか。  (2011年4月28日)

2011/04/15

読む・読もう・読めば 99

「原発がどんなものか知ってほしい」解説

原子力発電所の配管工事の監督だった故平井憲夫さんのお話をまとめた「原発がどんなものか知ってほしい」という文章が、いまインターネットやEメールを通じて、あるいはコピーの形で広く読まれています。原発に関する情報にはずいぶんいいかげんなものも多いようですが、これはれっきとした原発の「現場からの報告」です。でも出典、つまり何がオリジナルなのかを示さずに引用したり紹介したりするのは、やはりまずいでしょう。

平井さんのこの文章の元は、19955月に「PKO法『雑則』を広める会」が発行した小冊子『アヒンサー・地震と原発』に掲載されたものです。同会の佐藤弓子さんらが平井さんに3回にわたってインタビューしてまとめました。この文章は好評だったため、200410月に『アヒンサー・私、子ども生んでも大丈夫ですか』という本に再録され、さらに20051月に「市民メディア・インターネット新聞・JANJAN」に8回にわたって連載されました。これらの冊子・本は書店を通じての販売はされず(国会図書館所蔵)現在では入手できず、JANJANも休刊となりましたが、平井さんの文章はJANJAN掲載のデータをもとにいま、さまざまな形で広まっているものと思われます。

解説の解説になってしまいますが、「PKO法『雑則』を広める会」とは、1992年に成立したPKO法(正しくは「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」)第5章「雑則」第26条が、自衛隊海外派兵に国民を動員する仕組みになっている(有事法制の先取りですね)のを広く知ってもらうことを目的に結成された女性たちの市民運動です。また「アヒンサー」とはヒンドゥー語で「非暴力」を意味し、紀元前のインドに発してヒンドゥー教・ジャイナ教・仏教に共通して取り入れられた考え方です。

さて、『週刊現代』2011423日号は、「原子力発電所で私が見たこと」と題して、平井さんのこのレポートを7頁にわたって紹介しました。この記事は、退社後の平井さんの活動と死について、次のように書いています。「88年に退社した平井氏は90年に『原発被爆者労働者救援センター」を設立。……原発作業者の相談に乗り、彼らの労災申請を行うために、準備を始めた。そこで直面したのは、相談者自身からの『申請は待ってほしい』という訴えだった。被爆者だと世間に知れると、自分や家族が差別される恐れがある、というのがその理由だった。……971月、58歳で平井氏は亡くなった。しばらく姿を見かけないので心配した知人が自宅を訪ねたところ、倒れているのを発見した。死後から1週間ほどが経過していたという。結婚して息子がいたが、離婚して一人暮らしを続けていた。孤独死だった。死因は脳出血だが、被爆の影響なのかは分からない。」

2011414日)

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