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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2011/08/09

7.29 ヴァインさんの話を聞く会 記録①

●北村肇
 ディエゴガルシアとかチャゴシアンといっても、今日いらっしゃっている方々はお分かりかもしれませんけれども、なかなか日本にはまだ浸透していないと思います。しかし今日、ヴァインさんのお話を聞くことによってよく分かると思うんですけれども、アメリカの軍事戦略上、ディエゴガルシアのことを追求するということは、沖縄の問題を考える、あるいは日米の軍事同盟に我々が反対しているわけですけれども、そういうことを考えていく上で、非常に貴重なお話になると確信しております。今日は僕のほうから質問させていただいて、それでお答えをしていただく、このやりとりで参りまして、ヴァインさんのお話が伝わるようにお手伝いをしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 最初に、少しアウトラインを少しお話ししていただこうかなと思います。ディエゴガルシア島、チャゴシアン、そしてそこにある米軍基地、CIAのテロ容疑者収容所、こういう問題についての概要といいますか、歴史的な経緯も含めて20分ぐらい、お話をしていただきます。
●デビッド・ヴァイン
 今晩は。どうもありがとうございます。
 お招きいただいてたいへんうれしいです。この会を開いてくださいました実行委員会、協賛の「週刊金曜日」、そして賛同団体のみなさま、通訳のお2人、北村さん、そして何よりもここに聞きに来てくださった皆さん、どうもありがとうございます。
 今晩皆さまにお話しできるのは、私としてもうれしいことです。というのは、米軍基地のネットワーク、世界中のネットワークについて、新しい研究を始めているからです。今晩は北村さんからも質問をいただきますし、皆さんからも質問をいただきます。その質問を通じて、私もまた皆さんから学んでいきたいと思います。
 それでは始めに概略をお話しします。
 ディエゴガルシア島については、世界中でも、そしてここに基地を置く米国人でさえ、あまり知りません。これはインド洋の真ん中に位置する島で、アフリカとインドネシアの中間にあります。チャゴス諸島のなかのひとつの島がディエゴガルシアです。
皆さんがこの島の名を聞いたことがあるとしたら、イラクやアフガニスタンへの出撃基地になっているという面からでしょう。非常に大きな米国の海軍基地、空軍基地があります。イラク・アフガニスタンへのいちばん主要な出撃基地となりました。近年はイランを脅かすための基地になっています。
 ブッシュがテロとの戦いを始めてから、その戦犯とされる人々がディエゴガルシアに収容されていると信じられています。何年間も、基地を持つ米国政府も、そしてもともとこの土地を持っている英国政府も、テロの容疑者がここに収容されていることは否定してきました。しかし2006年にテロ容疑者の一部がここに収用されていることを認めざるを得なくなりました。でも、どんな容疑者がどれだけの間、どんな条件で収用されていたのかは、まだ真相が見えていません。歴史的にも闇に葬られてしまう問題かもしれません。
 米軍基地がディエゴガルシアにあることを知る人は非常に少ないので、その基地を造るために先住民が強制退去させられたことを知る人は、より少ないでしょう。その強制退去のひどさについては、なおさら知られていないでしょう。そこに住んでいた人たちは、2000キロ離れたモーリシャス、そしてセイシェルに追放されたのです。『ワシントン・ポスト』がそれを報じたのですけれども、強制退去させられた先住民はひどい赤貧のなかで暮らしています。
 それでも米軍はディエゴガルシアのことを「自由のためのフットプリント」、自由のための基地がある場所と呼んでいます。強制退去させられた人々はチャゴシアンと呼ばれますが、その人たちの痛みをまったく感じないわけです。
 強制退去前の様子を、何枚かの写真でご紹介します。リタさんのお話は私の本の中でも紹介しています。イーストポイントはディエゴガルシアの首都でした。1960年代の写真です。ごらんのように教会がありました。役所も学校もありました。すばらしく機能している社会が、18世紀から存在していたわけです。理想郷とも言えるような島だったのです。
ここにはアフリカやインドから移住してきた人々の子孫が住んでいました。初めは奴隷として連れて来られました。あるいは奴隷ではなくとも、強制労働のために移ってきました。それでも自由を得て、すばらしい社会を作っていたわけです。理想化しすぎてもいけませんが、プランテーションの労働者として働いていたところで、ここでの生活が終わってしまいました。プランテーション労働者であっても、自分たちの島に住んで、安定した生活が送れていました。労働の対価として社会保障もしっかりしていました。給料は現金、食物としてあたえられて、教育も無料でした。保険もありました。年金も出ましたし、葬儀のお金も出ました。
そのようなチャゴス諸島での生活がどのように終わったかといいますと、1960年代の初めに、米国海軍がディエゴガルシアに基地を造る計画を始めました。戦略的にディエゴガルシアを選んだのは、インド洋の真ん中という位置にあったからです。1963年にケネディ大統領がディエゴガルシアに基地を建設することを認めました。1964年にアメリカの高官とイギリスの高官が秘密裏に話をしました。というのはここは英国領で、そこに米国の基地を造るからです。その時代は植民地が独立していった時期でしたが、そのなかで新しい植民地を作る計画を立てました。セイシェルとチャゴスはひとくくりだったのですが、それを2つに分けました。チャゴス諸島は英国領インド洋諸島という、新しい植民地になったのです。
島にはチャゴシアンが住んでいたわけですけれども、米国の高官は、誰も住んでいない状態で引き渡せと主張しました。私が見つけた文書ですけれども、米国高官が英国高官に対して、もし人が住んでいたら強制的に退去させろと要求した文書があります。英国政府はそれに従いました。そして1400万ドルを支払うという約束で、英国は強制退去に賛成しました。その協定は1966年に署名されています。1400万ドルを払うことで米国はディエゴガルシアに基地を建設する権利を得たのです。英国はそのお金を受け取って、自分たちの手を汚して、チャゴシアンたちを強制退去させたのです。
1968年以降、チャゴシアンでたとえば医療を受けるために島を離れた、あるいは旅行で離れた人たちは、二度と帰って来られなくなりました。すぐ帰れると思って出て行ったのに、いざ島に帰ろうとすると、「あなたの島はもう売られてしまいました、戻ることはできません」と言われたのです。その後英国は、島に入ってくる薬とか食料を止めてしまいました。物資が不足することで仕方なく出て行く人たちが増えてきました。でも、いつか帰って来られると信じていました。
米海軍の最高権威が、残っているチャゴシアンの全員を強制退去させようと、1971年に命令を下しました。命令書はわずか3語です。Absolutely must go. 「絶対に行かなければいけない。」その後、アメリカ海軍が監視するもとで、イギリスの官僚がチャゴシアンを探して、見つけたら強制退去させる、ということを始めました。そして貨物船に詰め込んで、モーリシャス、セイシェルに送り出しました。
このとき、イギリス官僚はチャゴシアンがペットにしていた犬を燃やしました。飼い主の目の前で犬を燃やしたのは、命令を聞かずに居残るならお前たちもこうなるのだ、というメッセージでした。そのようにチャゴシアンの弁護士が言っています。彼らは強制退去に対する補償金はいっさいないままに連行されて、そのまま放っておかれました。ですから突然、非常に貧しい状態になったわけです。
強制退去のときの写真をいくつか見ていただきます。
持っていっていいものは、この箱一杯のものでした。モーリシャスやセイシェルでは、こんなところに住まわされていました。
いくつかのデータをご紹介します。平均収入は1日2ドルです。モーリシャスやセイシェルの人たちはもっとずっと高い収入があります。識字率は54パーセントです。アルコール依存症あるいはドラッグ依存症は、自己申告だけでも20パーセントです。これは私が仲間のアメリカ人と3人で行った調査によります。
チャゴシアンはその後、ほんの少し補償金を英国政府から受け取りました。でもその補償金を得るまでは、強制退去させられた人はモーリシャス、セイシェルでもどん底の生活を送っていました。
●北村
 ありがとうございました。質問をさせていただきます。
 まず、チャゴシアンが帰還の権利、金銭的な補償、戻った後の基地での雇用という要求を掲げて2000年に米国・英国両政府を訴えたと報道されています。この要求がどうなったか、お話しください。
●ヴァイン
 強制退去させられた後、チャゴシアンは抵抗運動を行って、帰還させよと主張しています。沖縄の人たちが運動を展開しているように、町中でデモをしたりハンガーストライキをしたり、署名を集めて英国政府・米国政府に提出したりしています。そしてここ15年、いくつかの訴訟を、米国政府、英国政府を相手に起こしています。訴訟を通して求めているのが、島に帰る権利を与えよということ、そして補償、さらには米軍基地があるならそこで労働させよというものです。
そのなかのいくつかは2000年に英国政府に対しては歴史的な勝利を得ています。経過は複雑ですが、ここ8年間でチャゴシアンは英国政府を相手に3回勝っています。英国の裁判所で満場一致で、強制退去が非合法であると言われたわけです。3回、チャゴシアンは勝ったのですけれども、その後英国政府が上告して、最高裁判所で1回は英国政府が逆転勝利してしまった。そのときは3対2という評決でした。
チャゴシアンは国際人権裁判所にこの件を持っていって、今度は勝つように努力しています。
●北村
 1975年に『ワシントン・ポスト』が強制移住について初めて報道したと。集団誘拐行為だという、かなり批判的な報道をしたということですけれども、この裁判闘争も含めて、そういうメディアの報道によって何か広範な運動が起きて、チャゴシアンをバックアップするというようなことが、米国あるいは英国で起きているんでしょうか。あるいはメディアの報道というのは、ほとんど影響がなかったのでしょうか。
●ヴァイン
 メディア報道はやはり影響が大きくて、1975年に英国で支援運動が広がりました。最近になってチャゴシアンが英国の裁判所で勝利を得たことを受けて、支援運動はさらに広がっています。それでも最後のチャゴシアンが強制退去させられてから2年もたってからようやくそういったニュースが出たのは、米国政府・英国政府の政策があったように思います。ディエゴガルシアの米軍基地を造ること、そのために強制退去をさせることは秘密裏に進められました。米国でも英国でも、国会には政府が嘘をついていました。その間、メディアが本当に行われていることを明らかにしないように、という政策が施かれていました。実際に米国国務省が『ワシントン・ポスト』に対して、基地に関する詳細を報道するのを遅らせるように命令しました。悲しいことに、『ワシントン・ポスト』はそれに従ったわけです。
●北村
 ウィキリークスが最近報じました。在ロンドン公使館の公電に秘密事項があると。そのことを少し、内容も含めてお話しください。
●ヴァイン
 ウィキリークスの件を見ても、ディエゴガルシアに限らず、米国がいかに秘密裏に物事を進めているかがよく分かりますし、ウィキリークスを支える運動の重要性が分かります。英国はチャゴス諸島に最近、海洋保護エリアを作ることにしました。海の環境を守るという、聞こえの良いものです。それでもチャゴシアンとその支援者たちにはすぐ分かりました。それは守るという名目でチャゴシアンが戻って住むことを妨害するためのものだったのです。質問に対して英国高官は、「いや、これは環境を守ることだけが目的だ」と言いました。でも、そこでウィキリークスが来たわけです。
 ウィキリークスが暴露した文書のやりとりのなかで、やはり海洋保護という名のもとでチャゴシアンが帰れなくしようということを、英国・米国政府が話し合っていました。英国高官からの文書のほうでは、チャゴシアンを非常に差別的に呼んでいました。1960年代によく使われていた言葉ですけれども、「あのターザンたち」とか、「あのフライデーたち」と。フライデーは『ロビンソン・クルーソー』のなかに出てくる、白人の言いなりに使える現地の人たち、という意味です。
 私にとって凄いなと思え、自分も頑張らなければと思うのは、チャゴシアンが40年経った今でもこの運動を続けていることです。私たちももちろん、自分たちの故郷の環境を守りたいです。私たちも、そこにいて守りたいです。
●北村
 海洋保護エリア、MPAと呼ばれていますけれども、これはもうできてしまったんでしょうか。
●ヴァイン
 英国政府によると、もうできたと宣言しているそうです。ただ、具体的に何かが進んでいるかというと、私が知る限りありません。環境を保護するなら、自分たちをそのための管理人にしてくれというのが、チャゴシアンの主張です。
●北村
 海洋保護エリアと米軍基地とは、きわめて矛盾した存在になると思うんですけれども、この点について米国はどういう見解でしょうか。
●ヴァイン
 ウィキリークスが暴露したなかにあった米国高官の文書には、まさにそのことが書かれています。「そのうち一般民衆がたぶんこういう質問をするだろう。どうして環境保護地区なのに大きな米軍基地があるのかと。そういう質問に対してどう説明しようか」というふうなやりとりもありました。
●北村
 結局、どう説明しているのでしょう。
●ヴァイン
 国家の安全保障のためには、例外も必要なんだと言っています。
●北村
 話は変わるんですけれども、これは日本でも大きく取り上げられました、ケビン・メア発言、当時の国務省日本部長の発言ですが、沖縄の人たちが「ゆすり名人」だというようなひどいものです。ヴァインさんは学生の作成したメモは正確であるとか、オフレコはなかったとか書かれていますけれども。実際にケビン・メアの沖縄の人たちを愚弄する発言は、先ほどのお話に引きつけて言えば、チャゴシアンに対する差別的な感覚を持っているんだと思いますが、ケビン・メアの発言を実際に聞かれたときにどのような印象を持たれたか、教えていただきたいのですが。
●ヴァイン
 ケビン・メアの発言を聞いたときに、私自身が侮辱されたような気もしましたし、日本の皆さんに心からお詫びしたいと思います。私の国の高官がそんなことを言うとは、非常にショックを受けました。彼がケビン・メアと学生たちの会見をセットしたのですけれども、そのセットした日がちょうどウィキリークスで米国の国務省の公電が暴露された、その日でした。彼が日本に学生を連れて来る前に、国務省日本担当の人に話を聞かせて下さいと、こういう話が出るとは知らずにセットしたんですね。そのときに米国の高官のほうから最初に「自己紹介をしてください」と言ったときに、学生たちは「ウィキリークスから来ました」とジョークを言ったそうです。高官も笑ったし、私たちも笑いました。それが下手なことを言ってはダメという牽制にもならずに、その後に彼はああいう差別発言をしたわけです。
それでも私たちの前で彼が本心を言ってしまったのは、いいことだったと思います。それがみんなに知れ渡ったから良かったということで、彼の態度、物の見方というのは残念ながら米国では珍しくはありません。彼がとくに「沖縄は日本のプエルトリコだ」と言ったのは、高官レベルで沖縄をどう見ているかをよく暴露していたと思います。プエルトリコも沖縄もどちらも島ですけれども、どちらも植民地的だった歴史を持ちます。プエルトリコの人も沖縄の人と同じように差別を受けています。どちらでも米軍基地を造るために住民が強制退去させられています。
このリストは、米軍基地のために強制退去させられた人々のリストです。沖縄では沖縄戦から始まって、1960年代まで強制退去させられています。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんけれども、沖縄の人が何千人も何万人もボリビアとか南米に移住した歴史があります。プエルトリコのビアケスというところでも、20年間にずいぶんたくさんの人が強制移住させられました。リストは続いてつい最近でも、韓国の平沢では米軍基地の拡張のために人々が強制移住させられています。これは2006年から2008年という、つい最近の出来事です。
誰が強制退去させられているかを見ると、ひとつのパターンが見えてきます。植民地化された人々。そして西洋人ではない人たち。少数民族で政治力のない人々。そしてこういった人種差別がチャゴシアンだけではなく、世界中の強制退去させられた人たちに共通した話だと思います。
●北村
 今のお話の延長線上でちょっとおうかがいしたいんですが、沖縄はまさに1972年の施政権返還以後も、占領状態になっているというふうに、多くの人たちが思っている。僕自身もそう思っています。今の話で類似点は分かりましたけれども、ディエゴガルシアと沖縄と、相違点はどういうところがありますか。
●ヴァイン
 類似点をもう少し言いますと、強制退去させられたときに、差別的な態度を権力側にとられたのは類似点です。強制退去させられたときに家がそのまま確保できなかった人と、いちおう用意をしてもらった人という違いがあります。
日本でも人種差別があったということがはっきりするケースがひとつあったということですけれども、小笠原には19世紀以来、西洋の人を祖先に持つ人たちが住んでいます。第二次世界大戦のときに、そこに住む人たちを全員、日本が避難させました。避難したあと、日本を祖先に持つ人々も、欧米を祖先に持つ人々も、どちらも島に帰れなくなりました。その当時は米国海軍に占領されていた島です。でも本当に帰らせてもらったのは、欧米の人を祖先に持つ人だけでした。白人ということです。そこに地方自治体政府もできて、食料などの支援も受けました。ですから、米軍基地の隣に住んでもいいと許された人々と、同じところから来たのにそこに住んではいけないとされた人たちがいたわけです。その2つのグループの違いは人種でした。
先ほどのご質問に戻って、沖縄とディエゴガルシアの違いですが、強制退去させられた人数がだいぶ違います。沖縄のほうが多く、ディエゴガルシアのほうが少なかった。チャゴシアンの人数が非常に少なかったので、その人たちを強制退去させても誰も気にしないだろう、あるいは誰も気が付かないだろう、というのが米国政府・英国政府の考えでした。
もうひとつの違いは、始まった時期です。沖縄は第二次世界大戦の終わりぐらいから始まって、そもそもここに来たのはここに米軍基地を置きたかったからです。でも強制退去は戦争が終わった後も続きました。米軍が戦後になっても米軍基地を拡張し続けたので、退去も続いたわけです。
●北村
 沖縄にしてもディエゴガルシアにしても、島を利用した米国の軍事戦略というものがあると思いますが、それについて少し解説をしていただけますか。
●ヴァイン
 これは本を書くために見つけた文書です。ディエゴガルシアができたのはもう思いつきでできたわけではなくて、そもそものベースが、戦略的軍事施設を島に置いておこうというコンセプトに基づいています。第二次世界大戦中はもちろんその前から、主要な場所に位置する島に軍事施設を置くというのが、非常に重要なことになってきました。とくに太平洋戦争ではそうでした。それでも1950年代、60年代に、いろいろなところで植民地が独立するにつけ、米国政府は米軍基地も追い出されるのではないかと心配するようになりました。植民地が独立すれば、どうせ米軍基地も出て行けと言われるだろうと。そこで米国政府が考えたのが、戦略的軍事施設を島に持っていくコンセプトです。
 米国政府は世界地図を眺めて、米軍施設を置ける島としてどこがいいか、探し始めました。探した島は、戦略的に場所がいい、人口が少ない、政治力・経済力がないというものでした。その場所を探すときの鍵になったのは、たとえば東京とかソウルのような大都市の近くだと反対運動も起こってしまうから、できるだけ離れた、孤立した島を探しました。ディエゴガルシアはその大計画の最初の島だったんですね。その後も沖縄やグアムには米国は執拗に固執し続けています。
 ここに人口概数の欄があるんですけれども、ディエゴガルシアは500人とされています。これは米国政府が出している資料ですけれども、実際にはディエゴガルシアのメインの島には1000人が住んでいて、諸島には1500から2000人が住んでいました。私が見つけたCIAの文書には、また違う記録があります。チャゴシアンの人数を4文字を使って表記しています。NEGL、「無視するに足る」という意味です。非常に少ないからとくに考えなくても良いと。それは政府高官がどういう目で見ているかをよく表していると思います。今では強制退去させられた人たちの子供たちも含めて、約5000人がチャゴシアンです。
 先ほど、英国の裁判所で勝利したケースがあったと申し上げました。何を勝ち取ったかというと、英国の完全なる市民権です。ですから彼らはイギリス人として堂々と英国で生きていける。2002年以降、約1000人のチャゴシアンがロンドンの周辺に住んでいます。

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