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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2011年8月

2011/08/31

読む・読もう・読めば 108

船橋


脱小沢と減点法とで最後に残った野田佳彦さんが首相になる。原発推進・日米同盟基軸の人だし、藤井裕久元財務相が後見役になるから、増税・大連立への道が開かれたということだろう。次の参院選までは国会の状況が大きく変わることはないという「安心感」もある。残念ながら、政権交代時の、福祉重視・対等な日米関係という民主党の「売り」は、完全に払拭された。

野田さんは千葉県船橋市薬園台に事務所を持つ。薬園台小・二宮中・県立船橋高・早稲田大学政治経済学部、という学歴からして、長くこの地にお住まいなのだろう。薬園台は旧成田街道の、船橋宿から大和田宿への中間にある。小石川養生所の薬園があったことから名付けられた地名だが、野田さんの生まれた1957年にはまだ農村地帯だったと思う。いまはこのあたりはJR総武線、京成線、新京成線、東葉高速鉄道の4線が通る住宅地に変身して、毎日の辻説法をする駅もたくさんある。高度経済成長時代に船橋市は埋め立てで南に市域を広げ、1955年から77年まで海岸にまことにバブルに存在した「船橋ヘルスセンター」などという行楽地跡も(現ららぽーとTOKYO-BAY)、いまや内陸となった。

新京成線は鉄道連隊の線路の払い下げを受けて始まったので、何度も改修されたが今だに信じられないようなカーブが右へ左へと続く。薬園台駅のふたつ先が東葉高速との乗り換え駅、北習志野(きたならしの)という、これも信じられないようなひどい名前の駅だ。船橋宿の飯盛女「八兵衛」のことはここでは置くけれども、このような土地の出身者が首相に上り詰めた。船橋という土地が悪いのではないしそこに住む人が悪いのでもない、単なる印象からだが、日本の未来は明るくない、と思う。  (2011年8月29日)

2011/08/16

読む・読もう・読めば 107

復仇


『旧約聖書』詩編のうちでももっとも文学性が高いというか、誰の心をも打つのは、バビロン捕囚の悲しみを歌う第137のはじめの部分だろう。新共同訳による。「バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。/竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。/わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。/どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。」しかしこの詩は、激しい復仇の誓いで終わる。「娘バビロンよ、破壊者よ/いかに幸いなことか/お前がわたしたちにした仕打ちを/お前に仕返す者/お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。」

広島・長崎の被爆者運動の中から、占領が終わった後になっても、日本も核武装して米国に仇討ちしようという声が公然と出てくることがなかったのは、まことに賢明なことだった。その道徳性というか志の高さが、たとえば広島の原爆死没者慰霊碑に「過ちは繰返しませぬ」と書いたことにつながると、私は思う。むろん、この表現が激しい論争を引き起こして今なお止まないのはよく承知しているけれども。

エラスムスは1516年にギリシア語原典から『新約聖書』をあらたに翻訳したとき、序文に次のように書いた。木ノ脇悦郎氏訳による。「私にとって、本当の神学者というのは、次にあげるような人の事なのです。……キリスト者というものはこの世の助けに信頼するのではなく、全く天に依存すべきであり、不正に対して仕返しをせず、悪を願う者にも善を願い、悪をなす者にも善をもって尽すべきだと教える者の事ですし、又すべての善なる者は、同じ身体の肢体として平等に愛され、護られるべきであり、悪い者がもし正されないとしても、寛容に扱われるべきであると教える人の事なのです。」いまは「天」を「国際法」に読み替えるべきだろうか。

アジア太平洋戦争が終わって66年目の夏だ。戦争による悪が正されるまでには膨大な時間が流れる。世代は移り復仇の念は止むことがない。許す、しかし忘れない、と言える、言ってもらえるようになるまで、まだたくさんの対話が必要なのだろう。
(2011年8月16日)

2011/08/09

7.29 ヴァインさんの話を聞く会 記録②

●北村
では、会場の方からご質問を受けるコーナーに移りましょう。
●会場から
 有意義なご講演、ありがとうございました。聞いていて思った感想、質問がありますのでさせていただきます。
 まず、こういう国が中国や北朝鮮の人権について言う資格がそもそもあるのかな、と思いました。あと、米軍基地の位置ですね、日本の原子力発電所にきわめて似ているなという印象を持ちました。
 今日は軍事の話だったので本筋からはちょっと外れると思うんですが、いまあまりニュースになっていませんが、TPPの問題が日本ではあります。これは経済的な問題ですが、アメリカはとことん外国を支配することにばかり興味があるのかな、と強く思ったんですが、それがまったく変わっていないという印象を持ちました。どうでしょうか。
●ヴァイン
 TPPについてどのポイントをおっしゃっているのか良く分からないので、もうちょっと詳しく、あなたの意見も言っていただいたらと思います。
●会場から
 僕もそんなに詳しいわけではないんですが、TPPは農業問題のことばかり言われているんですが、要するに日本の経済の植民地化がたぶんこれの本質だと思っています。ですから軍事の植民地化、ディエゴガルシアと非常に似ている。今もってイラクで行われていること、アフガニスタンで行われていること、そういうことも。そういう印象を持ったということです。
●ヴァイン
 非常に面白い質問をありがとうございました。何人かの方にご質問をいただいてから、まとめてお答えしてもよろしいでしょうか。
●北村
 では手の挙がっている方。
●会場から
 アメリカの基地がいかに多いかが地図で分かりました。最近聞いたところによると、キューバのグアンタナモ基地を縮小していくということです。それの代わりにディエゴガルシアにテロ容疑者を移すことを考えているのでしょうか。
●会場から
 札幌から来ました。2つほど。
 北海道はアイヌがおりまして、国際先住民年とかありまして、けっこう活発に私たちも行事をしています。国連のやり方がいいということではないんですが、そういう国際機関に訴えることはできないのでしょうか。軍事とからむと国連なんかは難しいのかなということがひとつ。
 それから、イギリスのトライデント・プラウシェア2000の人を前にお招きしたことがあります。アンジー・ゼルターさんという方ですが、スコットランドの核施設をハンマーで壊して無罪になったんです。というのは、インドネシアの東ティモール弾圧を援護に行くための原子力潜水艦の施設を、壊したのは悪いけれどもそれを防いだということで、3人の女性が無罪になったんですね。トライデント・プラウシェアは「剣を鋤に変えよ」という行動の会ですが、イギリスではかなり頑張ってやっているところです。そういうところは動いていないんでしょうか。
●ヴァイン
 最初のご質問ですが、確かに米国が他の国の人権蹂躙に対して批判する資格はないと思います。TPPの話も出ましたけれども、私も関心を持っている問題です。軍事と経済の関係についての問題です。私の本にも書いたのですけれども、第二次世界大戦以前と以後では帝国主義の形が変わった。軍事的に植民地を抑えるよりも、経済・政治という道具による帝国主義支配になってきているのではないかと思います。それでも地図をごらんになって分かりますように、軍事の重要性が減っているとはいえ、米国の基地は世界に1000以上あります。ですから戦後の帝国主義支配のなかでも、軍事基地をどこに置くかはやはり重要な問題であり続けています。
 日本でも世界でもそうなんですが、米軍基地を置くことでその国、あるいは周辺の国に政治的・外交的圧力をどのようにかけているか、これは非常に興味を持って見ています。たとえばそのなかのひとつに、自由貿易協定にサインさせることもあるのでしょう。交渉の場になると米軍基地が、やりとりの道具になるかもしれません。
 日本を担当していたある米国の高官と話したことがあるのですが、「私は日本に交渉に行くときに、沖に空母が浮いていると非常にやりやすい」と言っていました。空母はもちろん海上の米軍基地です。ですから米軍基地の存在がその国、その周辺国の経済的・政治的な交渉にどのような有利な影響を与えているかという研究をしてみたいと思っています。米軍基地があることで間接的に政治・経済を支配している、その様子を具体的に研究するということです。
 グアンタナモとディエゴガルシアの話に移ります。
2001年9月11日、9.11の直後は、ディエゴガルシアもグアンタナモもテロ容疑者収容所として考えられていました。9.11の直後はその2つのうちグアンタナモが選ばれて、そこが収容所になりました。けれども2006年以降、米国政府も英国政府も認めているように、最低2人のテロ容疑者がディエゴガルシアに収容されています。米国軍部の高官の発言によって、他にもディエゴガルシアに容疑者がいることが分かっています。他の証拠によると、8人から10人ぐらいは収容されていると考えられます。他の人によると、ディエゴガルシア島のなかではなくて、たとえば港とか沖合の船に収用されているという話もあります。真相がなかなか分からない理由は、米軍の兵士でない限りディエゴガルシアには行けないからです。赤十字さえも行けません。ジャーナリストも行けません。20年間もそのような状況が続いています。
先住民族の問題に戻ります。チャゴシアンは国連で先住民族として認められました。非常にそれは助けにもなっています。それでも国連全体で話題にするためには、一国が提案しなければなりません。しかしどこの国もそれを提案していないのです。
市民運動については教えていただきたい部分もあるんですけれども、私のいまの研究のメインは、米軍基地に反対する運動とその発展についてです。
●会場から
 3点うかがいます。
ひとつは『ワシントン・ポスト』が1975年に社説でこれを取り上げたとき、圧力がかかって発表の時期を遅らせたというような話がありました。実際に強制移住が終わるまで発表しなかったのか。それから、この社説以外にも『ワシントン・ポスト』は継続してこの問題を追及しているんでしょうか。それから、『ワシントン・ポスト』以外の新聞とか雑誌も、この問題を取り上げているんでしょうか。
 もう1点は、アフリカのジブチに日本の自衛隊が基地を持っているという話があるんですが、ジブチは「アフリカの角」の付け根にありまして、紅海の入口でもあって戦略的な要衝だと思います。米軍がアフリカに基地を強化しているという話がありますが、米軍もジブチに基地を持っているんでしょうか。もし持っているとすれば、自衛隊との関係についてもお話しいただければと思います。
 3点目は、国際人権裁判所に訴えているというお話がありましたけれども、その見通しとか、あるいは先ほど国連では一国の政府が取り上げないと取り上げられないというお話がありましたけれども、国際人権裁判所ではそういうことはどうなっているのかということをうかがいたいと思います。
●会場から
 今日は興味深いお話をありがとうございます。1点だけうかがいたいと思います。ディエゴガルシアではチャゴシアンが自分たちの島に戻ろうということで運動をしておりますけれども、沖縄では基地を返還してほしい、自分たちの土地を自分たちに戻してほしいという根強い要求で運動もかなり高まっています。私が見ているところによると、どうも日本政府が沖縄を裏切っているような気がするんですね。結果的に現在、日本政府がアメリカに従属しているから今の沖縄の基地返還がうまく進んでいかないんだと思うんですけれども、どういうふうにお感じになっていらっしゃるか、教えていただきたいと思います。
●会場から
 お話ありがとうございました。私の意見と質問なんですけれども、アメリカの市民というのはアフガン戦争とかイラク戦争のことには関心があるし、退役軍人はたくさんいるけれども、海外の米軍基地のことはほとんど知らない。逆に日本とか韓国とかドイツに住んでいる人たちは、米軍基地のことは良く知っているけれども、イラク戦争とかアフガン戦争に対する関心はどんどん低下してきている、と私個人としては思っています。軍事主義にはいろいろな側面があるので、それをつなげて考えることが必要だと思うのですけれども、具体的な私からのサジェスチョンとしては、アメリカの退役軍人の人たちと、海外でアメリカの米軍基地によって被害に遭った人たちが具体的に交流を進めて、その人たちの話を私たちなりアメリカの市民が聞く、というような動きが必要だと思います。それは軍事主義というものをひとつの全体の仕組みとして捉えるために必要だと思うんです。
 質問がひとつありまして、2009年の3月にワシントンD.C.で海外基地に関する市民の会、国際会議がありましたが、その後アメリカ国内の反戦平和運動のなかに、海外基地に関する関心というのはどうなっているのか、というのが質問です。
●ヴァイン
 皆さまの質問もコメントも非常にすばらしいです。私の今後の研究の方向性にもヒントを与えて下さいました。
 まず、『ワシントン・ポスト』と米国政府の問題です。圧力というのは1960年から65年にかけてなされました。チャゴシアンに関する報道はこの間全くありませんでした。1975年に『ワシントン・ポスト』に記事が載ったのですけれども、たまたま『ワシントン・ポスト』の記者がモーリシャスに、問題のことは知らずにホリデイとして行ったときに知ったことです。悲惨な状況をその記者が書いて、それが載って、問題になったのですが、残念なことに1975年に米国国会で1回だけヒアリングが行われて、その後何も起こりませんでした。メディアの関心が非常に低かったのが70年代から90年代の様子です。
 でも2000年になって、英国の裁判所でチャゴシアンが勝利を収めたときに、国際的な関心が爆発的に大きくなりました。それは英国メディアであって、米国ではまだまだメディアの関心も低いです。
 ジブチの質問、どうもありがとうございました。米国は世界中にある在外基地の95パーセントを支配しています。その他はフランス、ロシア、中国、そして日本が外国に基地を造っています。私の理解ではジブチの日本の基地は、つい最近完成したと理解しています。米国はジブチにかなり大きな基地を持っていまして、自衛隊はその一部に駐屯しています。米国の政府高官が日本の政府高官に、ジブチに日本の基地を造ったらいいと奨励したと聞いています。
 それを見ても、米国が軍事費があまりにも大きくて経済的に苦しいので、日本や韓国に対して、軍事費をもっと増やして軍事活動をもっと増やして、アジアで軍事活動をもっとさかんにするように勧めているように思えます。もしよろしければ、皆さんからジブチの自衛隊基地についてどう思うのか、戦後初めて日本の基地が海外にできたことについてどう思うのか、知識と意見をお聞かせいただければと思います。
 ヨーロッパの人権裁判所の件に移ります。非常にそのプロセスがゆっくりで、判決は昨年出るはずだったんですけれども、今だに出ていません。ヨーロッパの人権裁判所は一国からの提案がなくてもチャゴシアンの人たちが訴えることができますが、国際裁判所に持っていくためには一国の提案が必要になります。このような件を裁判所が扱いにくくしているのは、たぶん2つの理由があります。ひとつは帰還の権利は世界のいろいろな国が抱えている問題だからです。もうひとつは補償問題があるからです。
 誤解があるかもしれませんが、沖縄の地主に土地を返還すること、米国の基地をなくすことを邪魔している日本政府の役割というのは、非常に大きいと思います。米国が何かをやりたいときに、日本政府と英国政府は似たようなジュニア・パートナーの役割を果たしています。汚い部分を英国政府、日本政府がやっているのではないか。
 いま思いだしたのですが、チャゴシアンと沖縄の大きな相違があります。チャゴシアンは自分たちが苦しんだ末に、いつか帰還したい、補償が欲しい、というのが主な要求です。帰還と補償についてはチャゴシアンはみな一致しているのですけれども、米軍基地をそのまま置くべきか、誰がそこで主権を持つべきかについては、意見が割れています。ディエゴガルシア基地の労働者は、元の島民はそこで働くのは禁止されていて、その代わりにフィリピンやスリランカ、モーリシャスから人を連れてきています。チャゴシアンは赤貧ですので、島に帰ったとしても豊かな生活ではない。だから米軍基地で働くほうが豊かになると考える人たちもいます。
 3人目の方のご質問です。確かに米国人は海外の米軍基地について知らない。米軍基地の隣に住むことがどんなに大変かも知りません。エクアドルにも米軍基地があって、長いこと借地協定があったのですけれども、それを打ち切ったとき、エクアドル大統領がまさにその点を指摘しました。彼は言いました。「私たちが米軍基地の借地協定を更新するとしたら、ひとつ条件がある。エクアドルの基地をマイアミに造らせてくれるなら、米軍基地をエクアドルに置いたままでもいい。」そのようなことを考えることもできないのが米国市民です。
 私は新しい本を企画していますが、それは米軍基地のネットワークに関するものです。そこでは外国の基地がある生活というのはどんなに嫌なものかを、米国市民に知らせたいと思います。いろいろな問題があります。環境、健康、安全性、そして犯罪に巻き込まれる危険性、とくに女性がレイプされる危険性などです。もっと複雑な社会的・経済的な側面、とくに米軍基地があることによる平和と安全への影響についても書いていきたいです。米軍基地が必要だと考えている人たちは、米軍基地があるからこそ世界が平和なのだと信じています。でもその主張をがんばって分析していきたいと思います。
 2009年に開かれた国際会議は私も主催者のひとりですが、非常に良い結果をもたらしたのではないかと思います。日本からも韓国からも大きな代表団が来ましたし、他にも6カ国から人が来ました。会議自体は非常に盛り上がったのですが、米国社会に与えた影響のちいささに非常にがっかりしました。200人ぐらいが参加したのですけれども、その人たちには影響を与えたにせよ、その他には影響をこれっぽっちも与えられなかったのではないかと思ったこともありました。
 しばらく経って分かったのは、実際に参加した人たちには仕事場でも生活の場でもずいぶん影響を与えたと。そしてこの夏になって、米国の上院がその会議で使われた資料、半話の内容を材料にして、経費節減のために、世界の米軍基地をもっと閉鎖すべきだと主張したのです。やはりこの夏、米国のジャーナリストが同じような記事を書いたのですけれども、その材料は2009年の会議でした。米国がほとんど破産状態になっている今になって、やっと海外の米軍基地を閉鎖するという討議が始まったわけです。
 私も記者でもあり研究者でもあるわけですが、今やっていることがすぐに結果を出すわけではない、けれども、いつか意外なところから結果が出るかもしれない。これはずっと心に留めるべきことだと思います。ですから先ほどの話の中で、退役軍人と基地周辺に住むたちとの交流、それを始めるときにも、このようなことを考えれば良いと思います。
●北村
 最初のご質問であった、『ワシントン・ポスト』は継続的に報じているのか、他のメディアはどうか、という点はいかがでしょう。
●ヴァイン
 米国に「シクスティ・ミニッツ」というテレビ番組がありまして、政治にも影響を与えるような重要な番組です。この番組でチャゴシアンの問題を2003年に取り上げました。同じ2003年にはイラクへの攻撃が始まりました。チャゴシアンの番組は完成してもすぐには放映されずに、結局放映されたのは6月でした。米国では夏の休暇でみなビーチに行きますから、あまりテレビは見られないときです。番組が完成したのは2003年の初めだったのですが、そのころはまだイラクを攻撃をするかどうかという時期です。6月は、攻撃が始まった後です。もし完成してすぐ放映していれば、イラク問題に影響を与えてしまう恐れがあって、ブッシュ政権を刺激しないように放映を遅らせたと考えられます。
 その他はメジャーな放送局ではほとんど報道されていません。ひとつ、公共ラジオ局で流されたことはありました。メディアで取り上げられないので私は、これを研究して皆に知らせなければ、というモチベーションが上がりました。
 私の本『アイランド・オブ・シェイム(卑しめられた島)』が、少しでもチャゴシアンの運動の力になればと思っています。日本語版はまだ出ていません。これから出る本は、日本語だけでなく世界中で翻訳されたらいいなと思っています。ここに参加されている皆さんも、ぜひチャゴシアンの話を知り合いの方に広めてください。口コミが運動を広めてきたわけですから。私がやっている非常に小さな運動ですが、印税はすべてチャゴシアンに寄附しています。英語を読める方、英語の読める人を知っている方は、私の本を買っていただけたらそれがチャゴスの人たちを支援することになります。自分の本の宣伝をするのは恥ずかしいのですが、その利益を自分が得ているのではなくて、チャゴスの人の利益になるので、ここで宣伝させていただきました。アマゾン・ドットコムをよろしく。
●北村
 アマゾンで簡単に買えますから、英語のできる方はぜひ。
 2番目の方から、沖縄の基地問題で日本人が裏切っているのではないかという質問がありました。さっきのお答えのなかで、英国も日本もアメリカのやりたい汚いことを請け負ってやっているという話がありました。日本の沖縄基地問題は、いわゆる本土、沖縄以外のところに住んでいる日本人が沖縄のウチナンチューの痛みが分からない、この問題を自分のものとして感じていない、そういう意味で日本人が沖縄の人たちを裏切っている、そういうことだと思います。そのへんについて、もし良かったら教えてください。
●ヴァイン
 非常に重要で貴重なご質問です。私の本の狙いも、それを読んだ人が、自分がチャゴシアンだったらどう感じるだろう、自分が沖縄の人だったらどう感じるだろうと、その人の身になって考えやすいように書いています。1冊目でも2冊目でも、狙いとしては、私たちの生活はすごく遠くの人の生活とかなり直接につながっているということです。例えば私が税金として払うお金がチャゴスの人の強制退去、帰れない状況を長引かせている。私が払う税金が、沖縄の人を苦しませている。それはお金の問題だけではなくて、人としてのつながりについても書いていきたいです。ですから、地球の裏側の人と、同じ人間としてつながっているということです。
 それが米国のメディアの罪なところで、メディアの人もそこで報道されたことを読む人も、米国市民は地球の裏側に住んでいる人に何が起こっても自分たちには関係ないと思いがちです。それは悪循環で、知らないから気にかけない、気にかけないから知ろうとしない。その悪循環を断ち切りたいと思っています。
●北村
 結局、われわれ本土に住む者は、沖縄のことが分からないから自分のこととして認識できない。まだ知らないでいる。そういう意味で、今日はここにいる人はディエゴガルシアのこと、チャゴシアンのことが分かったわけですから、それを口コミで知らせていくことが必要だと思います。
 先ほど逆に聞かれたジブチの基地の問題です。「週刊金曜日」は、これは初めての自衛隊の海外基地であるということで批判的に報道していますが、日本のメディアでは残念ながらほとんど報じられていません。本格的な基地というような表現をとっていません。ですから大半の日本人は知らないというのが現状です。これをどう思いますか、と聞かれましたので、どなたかに語っていただけたらと思います。
●会場から
 ジブチの基地のことについて詳しいというわけではないんですけれども、とても悲しい出来事だなあというふうに思っております。今日のお話の感想も含めてなんですけれども、チャゴシアンのような少数民族の人たちが基地によって追い出されたり、人権を奪われていることについて、研究しておられるアメリカの方がおられるということに、とても励まされました。
 基地の問題を考えるときに、日本の中でも基地で利益を得ている人と、それで苦しんでいる人といるし、それからアメリカというひとつの固まったものではなくて、やっぱり現地でも貧しいがゆえに軍人にならなければいけない人もいて、それで家族から離れて基地で楽しい生活をしているわけではない、そういう意味でひとつの国の中でもそれで利益を得ている人と辛い思いをしている人がいて、辛い思いをしている人たちがつながっていく方法を、これからいろいろ考えたいなあと私は思っています。
 ジブチの問題ですけれども、日本で海賊対処法ができました。日本の商船が積荷を奪われるような危険があってはならないというので、初めてアフリカに日本の軍隊を送ったわけですけれども、その時からずっと心配していました。それがひとつの布石になって、そこを守るために日本も、それで利益を得る人たちのために、基地を造るような国になってしまったんだなあと。絶対に阻止しなければならないことだと思い続けてきました。海賊対処法ができたときに、日本が外へ出る第一歩だなあと思った、その延長線上にあって、これは決して日本だけではなくて、アメリカからも示唆をされ、ヨーロッパ諸国からも示唆をされて、一緒にやっていることだと思います。どんどん軍事力で日本も力を外に出して行こうとすることについては、日本の多くの平和を愛する人は反対しています。
●会場から
 デービスさん、今日は貴重なお話をありがとうございました。ジブチの基地に関して私が初めて知ったのはもう2年ぐらい前でして、だから「週刊金曜日」もずいぶん遅いなあと思ったんですけれども、どなたかのウェブサイトか何かで見たんです。本来ならば海外に基地を造るというのは国会を通してやらなければいけないものだったのに、これはジャーナリストの方もご存じなかった交換公文という、外交上のウルトラCを使って、知らない間に造っていた。外務省のホームページには、いちばん下に書いてあるんですよ。
外務省の地図には載っていないんですけれども、ジブチは地理的な重要性で、ソマリアの海賊に対処するためにあると言っているんですけれども、ジブチの重要性は海を隔てた対岸にイエメンがあるんですよね。『ニューヨーク・タイムス』の記者とかは、いまアメリカがイエメンで戦争を行っている。イエメンを攻撃している無人攻撃機というのは、ジブチの米軍基地から飛び立っているという詳細な報告が出ています。
これは私の補足なんだけれども、アメリカが外国を支配するときにひとつのパターンが見えるんですね。それは支配する国の軍隊とまず密接な関係を作る。80年代は中南米を支配する、中南米に対してテロ行為を行ったときに、エル・サルバドルとかグアテマラとか、グアテマラは1960年代に遡りますけれども。憲法改正とか日本では言っていますけれども、もう既成事実として日本の自衛隊は海外で、沖縄もそうかもしれないけれども、米軍と情報を密に交換して、軍隊が一体になっているんじゃないかという、そういう危惧を抱くんですよ。最後の最後に憲法改正。どんどんそういう流れが、日本の外で、僕らの見えないところで起こっているような気がします。
今日は本当はジブチの話が聞けるかと思って来たんですけれども、私はそういう危機感をすごく抱いています。
もうひとつ話をさせていただきたいんですけれども、いちばん最初に質問された方のヒントになるかもしれないのですけれども、私もこれだけ米軍基地があるのは変だと思うんですけれども、アメリカの戦後の歴史をたどっていくときに、第二次大戦後にアメリカが世界の最強国として台頭してきたときに、戦後世界をどのように作っていこうかという構想を立てたんですね。
有名な文書に、国務省の政策企画部門トップのジョージ・ケナンが書いたPPS24だか22だかという文書があるんですね。これはトップ・シークレットの文書で、戦後アメリカがそれぞれの地域をどのように支配していくか、地域ごとに全部書いてあるんですよ。アジア地域のなかに日本という項目があるんですね。そのなかにとくに印象に残っている文章がいちばん下の方にあって、これは1946年に書かれた文書なんですけれども、「われわれの人口はわずか世界の6パーセントに満たないが、われわれは世界の50パーセントの富を独占している。今後われわれはこの不均衡な状態をいかに維持していかなければいけないか、その戦略を立てなければいけない。」
ジョージ・ケナンはアメリカではどちらかというとハト派で、このレポートを書いたあと左遷されるんですね。その後はもっと頭のおかしいアチソンとかが入ってきて、もっと変な文書を書くんですけれども。
私が知る限りアメリカが1946年に策定した対外政策を、路線を変更した形跡はまったくないんですよ。そうすると、どうしてこんなに基地があるかとか、なぜTPPのような経済的な方法で支配しようとするか、それが見えてくるような気がするんですよ。
冷戦時代、1980年代には基地というのは、ソビエトや共産主義に対抗するためにあると言われていた。だけど冷戦が終わっても、本来ならば平和の配当があって、基地が少なくなっても良かった。米軍基地が冷戦とはまったく関係がないことがいま言えると思うんですね。アフガニスタンのオサマ・ビンラディンがいなくなったのに、アルカイダはほとんどいなくなったのに、デビッドさんの(世界の米軍基地の位置を示した)地図ではアフガニスタンの輪郭が分かるぐらいにまっ黒じゃないですか。だからそういう根本的なところを見ていかないとダメなのか。だから国対国、日本対アメリカという図式じゃなくて、ウィキリークスで外務省の人たちがアメリカの国務省の人たちにアドバイスしていたということがあるように、アメリカの支配層プラス日本の支配層・対・日本とアメリカを含む世界の人々、そういう考え方をしなくちゃいけないのではないかなと思いました。
情報提供ですが、私がディエゴガルシア島のことを初めて知ったのは、インターネットにジョン・ピルジャーさんというイギリスの優れたジャーナリストが作った「スティーリング・ア・ネーション(Stealing a Nation)」という、このことだけを取り上げた1時間ほどの映画があるんですけれども、それが無料でいつでも見られます。
●会場から
 今日はいいお話をありがとうございました。私はこのことを全然知らなくて、恥じる思いで聞いたんですけれども、例えば本土の人が沖縄の人に思いを重ねられなくて、沖縄基地の返還に力を注がないという事実があります。でも、そうじゃない人もある。その違いは何かを考えるときに、私は例えば20世紀の半ばに新たに植民地ができるというその事実を考えるときに、ではそれをどこから断ち切っていけばいいのかを考えると、本当にいろいろな運動がたくさんあったけれども、なかなか難しかった。すると、これが先の人々にどういう国民が、市民が育ってそれを変えていくのかというところにしか、希望が持てないんじゃないかというのが、私の大きな思いなんですね。
 それでとても気になるのが、良い教育を受けるかというところに行き着きます。教科書の問題にも関心があるのですが、今日、ヴァインさんが今後、調査をしたり研究をしたりする中に、ひとつ付け加えていただくとありがたいと思うのは、それぞれの国でどういう教育がなされているか、どんな教科書が使われているかという問題です。たとえばモーリシャス島に移住させられた人々はいまどんな教育を受けているのか。イギリスに1000人ぐらい行っておられるということですが、その人たちはどんな教育を受けて、いまどんなことを考えているのか、ということ。それからもうひとつは、たとえばアメリカの子供たちが広島に、長崎に、爆弾が落とされたことについて、どんな教育を受けているのかということを、関心を持って調べていただけると、何かもうひとつ別の切り口で、新しい、もっと人権を大事にする地球人が生まれることにつながるんじゃないかと思えます。
●会場から
 質問をしたいのはやまやまですが、ちょっとガマンをして、お知らせだけしたいと思います。「宇宙の核格差に反対するグローバル・ネットワーク」です。
 いま辺野古よりもっと熱い地区がすぐ隣にあります。韓国の済州島です。ここにいらっしゃる皆さんに広めていただきたいのは、いま済州島で農民が基地拡張に反対の運動をしようとしても、逮捕されて裁判にかけられたり、軍隊や警察が根こそぎ反対運動を弾圧しています。このことは日本でも一時期新聞に載ったんですけどいままた載らなくなって、知られていないんですけど。とにかく今、済州島で、恐らくイージス艦の基地になるであろうという海軍基地の拡張工事が進もうとしているという状況があります。ヴァインさんは沖縄に行かれると思うんですけど、ぜひその帰りにでも改めて韓国に取材に行っていただいて、それを全世界に広めていただきたいと思います。
●北村
 済州島にはもういらっしゃっているようです。
●ヴァイン
 あらためてご質問、そしてコメントをありがとうございました。本当に私の研究に取り入れていきたいと思います。本日意見を言って下さった方も、ここでは言えなかった方も、もし他にも研究に対してこうしたらというご提案がありましたら、ぜひここにご連絡ください。これは日本と沖縄、済州島でいろいろなことに関して、今日この場でもうちょっと教えて下さってもいいですし、ぜひご連絡ください。日本語でもOKです。すばらしい仲間がいて日本語と英語のバイリンガルです。
〔E-mail: vine◎american.edu ◎をアットマークに変えて送信してください〕
 済州島のことをお話しくださってありがとうございます。私もそこに行って、火曜日に戻ってきたばかりです。もうちょっと研究してみないとはっきりは言えませんが、済州島、ジブチ、いろんなところで行われている共通点があると思います。済州島の基地というのは、公式的には韓国の基地です。それでも米軍がその基地を使おうとしているだろうと疑いがあって、それは非常に濃い疑いです。ジブチと同じように、米軍が地元の政府にかけあって、武器をもっと買うように、そして基地をもっと拡張するようにと働きかけています。
これはホンジュラスでも見たんですけれども、地元の基地を拡張することで、実際には米国がそれに影響を与えているんだけれども、その米国の役割を隠すことができる、というのを狙っているのではないか。ですからホンジュラスでも国軍の基地をいくつか見てきましたけれども、実際の米国のプレゼンスがどれくらいのものか、そして将来的にその基地が米軍がどれだけ使うのかというのは灰色でした。
先ほどおっしゃってくださった方に大賛成で、ぜひ済州島のことをもっと知っていただいて、村人、農民の人たちの支援もして下さればと思います。いつでも韓国には行くことができるので、韓国軍が入るなというところもあるでしょうけれども、村人の人たちから情報を得ることはいつでもできると思います。もうひとつは8月にピース・キャンプがありまして、フロンティアーズという韓国の団体が組織しています。これに参加していただいてもいいと思います。ピース・キャンプについての日本語情報も、いま訳しているところです。週末にはウェブサイト〈www.davidvine.net〉でご紹介できると思います。
ピース・キャンプと辺野古の運動の人たちがもっとつながればいいなと思います。非常に共通点もあるからです。環境グループもぜひ済州島にも辺野古にも行って、本当に共通点が多いので、そこから運動を広げてほしいなと思います。
どうもありがとうございました。
●北村
 先ほど、ジブチの問題、教育問題のご発言がありました。
●ヴァイン
 先ほど教科書の話が出ましたが、戦争と平和について、そして基地について、どう教育を受けるかというのは、非常に大きな影響を与えると思います。いい提案をありがとうございました。私もいろいろな国を訪れますが、そこでは調査を進めたいと思います。たとえば米国のプレゼンスがどのように教育されているのか、など。
 ジブチとイエメンについての非常に有益なコメントも、ありがとうございました。そこにもディエゴガルシアとの共通点があると思いました。ディエゴガルシアでもジブチでも、どちらでも民主的でない方法で強制的に基地が造られました。ディエゴガルシアの場合は、米国議会も英国議会もどちらも承認はしませんでした。それは基地を造ることも、チャゴシアンを強制退去させることも、どちらも議会では承認されていないわけです。それどころか議会からの監視を非常にうまく避けて造られた基地でした。ですから民主主義も守るためにも、政府が何をするかに目を光らせる必要があると感じます。
 米国の基地も日本の基地も、地理戦略的に考え抜かれているわけです。イエメンの基地もアフリカ大陸に影響力を持つために造られたものだと思います。確かに地元の国軍との連携を強くしていくことが、米軍には見られます。エル・サルバドルでもそうですし、ホンジュラスでもそうです。グローバルに見ていく必要があるのだと思います。たとえば日本がジブチに基地を造ったことで、もしそこに日本の基地がなかったら米国がやっていたようなことを日本がやるわけで、だから基地の問題はその国だけのもんだいでなくて、グローバルに見ていく必要があると思います。米軍基地が何を行っているかというと、米国の世界支配を維持しているわけです。
 いま米国が外国基地で何をやりたいかというと、中国への牽制です。今日、全然中国の話が出なかったのが驚きなくらい、中国を米国は意識しているわけで、ですから米国と中国の関係、それから米中韓日の関係などをいろいろと見ていく必要があります。
 2つ懸念があります。もしかしたら基地の建設・拡大競争が行われているかもしれない。それは米国と中国とロシアの間でです。米国とその同盟国である日本と韓国で、アジアの軍拡を行っていると聞いています。でもそうやって基地を拡大することで、アジアの中での緊張が高まって、戦争が起こる危険がかえって高まることを懸念します。
 米軍が中国との戦争に備えて訓練をしたり基地を造ったりすることで、かえって中国との紛争が起こりやすくなると感じています。もちろん米軍の拡張は、お金がないのでそろそろ止まるかもしれません。ですから将来的にその軍拡競争がどうなるかは分かりませんが、少なくとも済州島の人、沖縄の人、ディエゴガルシアの人、その支援者の人たちの反基地闘争を見ていると、非常に励まされます。
●北村
 時間が来てしまいました。僕のほうからもうかがいたいこと、とくに中国のことをまさにうかがいたかったんですが、残念ながらが来てしまいました。今日は本当に刺激的なお話をたくさんしていただいて、ありがとうございました。ぜひまたメールででも、みなさんもご連絡してください。今日は本当にどうもありがとうございました。

7.29 ヴァインさんの話を聞く会 記録①

●北村肇
 ディエゴガルシアとかチャゴシアンといっても、今日いらっしゃっている方々はお分かりかもしれませんけれども、なかなか日本にはまだ浸透していないと思います。しかし今日、ヴァインさんのお話を聞くことによってよく分かると思うんですけれども、アメリカの軍事戦略上、ディエゴガルシアのことを追求するということは、沖縄の問題を考える、あるいは日米の軍事同盟に我々が反対しているわけですけれども、そういうことを考えていく上で、非常に貴重なお話になると確信しております。今日は僕のほうから質問させていただいて、それでお答えをしていただく、このやりとりで参りまして、ヴァインさんのお話が伝わるようにお手伝いをしたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 最初に、少しアウトラインを少しお話ししていただこうかなと思います。ディエゴガルシア島、チャゴシアン、そしてそこにある米軍基地、CIAのテロ容疑者収容所、こういう問題についての概要といいますか、歴史的な経緯も含めて20分ぐらい、お話をしていただきます。
●デビッド・ヴァイン
 今晩は。どうもありがとうございます。
 お招きいただいてたいへんうれしいです。この会を開いてくださいました実行委員会、協賛の「週刊金曜日」、そして賛同団体のみなさま、通訳のお2人、北村さん、そして何よりもここに聞きに来てくださった皆さん、どうもありがとうございます。
 今晩皆さまにお話しできるのは、私としてもうれしいことです。というのは、米軍基地のネットワーク、世界中のネットワークについて、新しい研究を始めているからです。今晩は北村さんからも質問をいただきますし、皆さんからも質問をいただきます。その質問を通じて、私もまた皆さんから学んでいきたいと思います。
 それでは始めに概略をお話しします。
 ディエゴガルシア島については、世界中でも、そしてここに基地を置く米国人でさえ、あまり知りません。これはインド洋の真ん中に位置する島で、アフリカとインドネシアの中間にあります。チャゴス諸島のなかのひとつの島がディエゴガルシアです。
皆さんがこの島の名を聞いたことがあるとしたら、イラクやアフガニスタンへの出撃基地になっているという面からでしょう。非常に大きな米国の海軍基地、空軍基地があります。イラク・アフガニスタンへのいちばん主要な出撃基地となりました。近年はイランを脅かすための基地になっています。
 ブッシュがテロとの戦いを始めてから、その戦犯とされる人々がディエゴガルシアに収容されていると信じられています。何年間も、基地を持つ米国政府も、そしてもともとこの土地を持っている英国政府も、テロの容疑者がここに収容されていることは否定してきました。しかし2006年にテロ容疑者の一部がここに収用されていることを認めざるを得なくなりました。でも、どんな容疑者がどれだけの間、どんな条件で収用されていたのかは、まだ真相が見えていません。歴史的にも闇に葬られてしまう問題かもしれません。
 米軍基地がディエゴガルシアにあることを知る人は非常に少ないので、その基地を造るために先住民が強制退去させられたことを知る人は、より少ないでしょう。その強制退去のひどさについては、なおさら知られていないでしょう。そこに住んでいた人たちは、2000キロ離れたモーリシャス、そしてセイシェルに追放されたのです。『ワシントン・ポスト』がそれを報じたのですけれども、強制退去させられた先住民はひどい赤貧のなかで暮らしています。
 それでも米軍はディエゴガルシアのことを「自由のためのフットプリント」、自由のための基地がある場所と呼んでいます。強制退去させられた人々はチャゴシアンと呼ばれますが、その人たちの痛みをまったく感じないわけです。
 強制退去前の様子を、何枚かの写真でご紹介します。リタさんのお話は私の本の中でも紹介しています。イーストポイントはディエゴガルシアの首都でした。1960年代の写真です。ごらんのように教会がありました。役所も学校もありました。すばらしく機能している社会が、18世紀から存在していたわけです。理想郷とも言えるような島だったのです。
ここにはアフリカやインドから移住してきた人々の子孫が住んでいました。初めは奴隷として連れて来られました。あるいは奴隷ではなくとも、強制労働のために移ってきました。それでも自由を得て、すばらしい社会を作っていたわけです。理想化しすぎてもいけませんが、プランテーションの労働者として働いていたところで、ここでの生活が終わってしまいました。プランテーション労働者であっても、自分たちの島に住んで、安定した生活が送れていました。労働の対価として社会保障もしっかりしていました。給料は現金、食物としてあたえられて、教育も無料でした。保険もありました。年金も出ましたし、葬儀のお金も出ました。
そのようなチャゴス諸島での生活がどのように終わったかといいますと、1960年代の初めに、米国海軍がディエゴガルシアに基地を造る計画を始めました。戦略的にディエゴガルシアを選んだのは、インド洋の真ん中という位置にあったからです。1963年にケネディ大統領がディエゴガルシアに基地を建設することを認めました。1964年にアメリカの高官とイギリスの高官が秘密裏に話をしました。というのはここは英国領で、そこに米国の基地を造るからです。その時代は植民地が独立していった時期でしたが、そのなかで新しい植民地を作る計画を立てました。セイシェルとチャゴスはひとくくりだったのですが、それを2つに分けました。チャゴス諸島は英国領インド洋諸島という、新しい植民地になったのです。
島にはチャゴシアンが住んでいたわけですけれども、米国の高官は、誰も住んでいない状態で引き渡せと主張しました。私が見つけた文書ですけれども、米国高官が英国高官に対して、もし人が住んでいたら強制的に退去させろと要求した文書があります。英国政府はそれに従いました。そして1400万ドルを支払うという約束で、英国は強制退去に賛成しました。その協定は1966年に署名されています。1400万ドルを払うことで米国はディエゴガルシアに基地を建設する権利を得たのです。英国はそのお金を受け取って、自分たちの手を汚して、チャゴシアンたちを強制退去させたのです。
1968年以降、チャゴシアンでたとえば医療を受けるために島を離れた、あるいは旅行で離れた人たちは、二度と帰って来られなくなりました。すぐ帰れると思って出て行ったのに、いざ島に帰ろうとすると、「あなたの島はもう売られてしまいました、戻ることはできません」と言われたのです。その後英国は、島に入ってくる薬とか食料を止めてしまいました。物資が不足することで仕方なく出て行く人たちが増えてきました。でも、いつか帰って来られると信じていました。
米海軍の最高権威が、残っているチャゴシアンの全員を強制退去させようと、1971年に命令を下しました。命令書はわずか3語です。Absolutely must go. 「絶対に行かなければいけない。」その後、アメリカ海軍が監視するもとで、イギリスの官僚がチャゴシアンを探して、見つけたら強制退去させる、ということを始めました。そして貨物船に詰め込んで、モーリシャス、セイシェルに送り出しました。
このとき、イギリス官僚はチャゴシアンがペットにしていた犬を燃やしました。飼い主の目の前で犬を燃やしたのは、命令を聞かずに居残るならお前たちもこうなるのだ、というメッセージでした。そのようにチャゴシアンの弁護士が言っています。彼らは強制退去に対する補償金はいっさいないままに連行されて、そのまま放っておかれました。ですから突然、非常に貧しい状態になったわけです。
強制退去のときの写真をいくつか見ていただきます。
持っていっていいものは、この箱一杯のものでした。モーリシャスやセイシェルでは、こんなところに住まわされていました。
いくつかのデータをご紹介します。平均収入は1日2ドルです。モーリシャスやセイシェルの人たちはもっとずっと高い収入があります。識字率は54パーセントです。アルコール依存症あるいはドラッグ依存症は、自己申告だけでも20パーセントです。これは私が仲間のアメリカ人と3人で行った調査によります。
チャゴシアンはその後、ほんの少し補償金を英国政府から受け取りました。でもその補償金を得るまでは、強制退去させられた人はモーリシャス、セイシェルでもどん底の生活を送っていました。
●北村
 ありがとうございました。質問をさせていただきます。
 まず、チャゴシアンが帰還の権利、金銭的な補償、戻った後の基地での雇用という要求を掲げて2000年に米国・英国両政府を訴えたと報道されています。この要求がどうなったか、お話しください。
●ヴァイン
 強制退去させられた後、チャゴシアンは抵抗運動を行って、帰還させよと主張しています。沖縄の人たちが運動を展開しているように、町中でデモをしたりハンガーストライキをしたり、署名を集めて英国政府・米国政府に提出したりしています。そしてここ15年、いくつかの訴訟を、米国政府、英国政府を相手に起こしています。訴訟を通して求めているのが、島に帰る権利を与えよということ、そして補償、さらには米軍基地があるならそこで労働させよというものです。
そのなかのいくつかは2000年に英国政府に対しては歴史的な勝利を得ています。経過は複雑ですが、ここ8年間でチャゴシアンは英国政府を相手に3回勝っています。英国の裁判所で満場一致で、強制退去が非合法であると言われたわけです。3回、チャゴシアンは勝ったのですけれども、その後英国政府が上告して、最高裁判所で1回は英国政府が逆転勝利してしまった。そのときは3対2という評決でした。
チャゴシアンは国際人権裁判所にこの件を持っていって、今度は勝つように努力しています。
●北村
 1975年に『ワシントン・ポスト』が強制移住について初めて報道したと。集団誘拐行為だという、かなり批判的な報道をしたということですけれども、この裁判闘争も含めて、そういうメディアの報道によって何か広範な運動が起きて、チャゴシアンをバックアップするというようなことが、米国あるいは英国で起きているんでしょうか。あるいはメディアの報道というのは、ほとんど影響がなかったのでしょうか。
●ヴァイン
 メディア報道はやはり影響が大きくて、1975年に英国で支援運動が広がりました。最近になってチャゴシアンが英国の裁判所で勝利を得たことを受けて、支援運動はさらに広がっています。それでも最後のチャゴシアンが強制退去させられてから2年もたってからようやくそういったニュースが出たのは、米国政府・英国政府の政策があったように思います。ディエゴガルシアの米軍基地を造ること、そのために強制退去をさせることは秘密裏に進められました。米国でも英国でも、国会には政府が嘘をついていました。その間、メディアが本当に行われていることを明らかにしないように、という政策が施かれていました。実際に米国国務省が『ワシントン・ポスト』に対して、基地に関する詳細を報道するのを遅らせるように命令しました。悲しいことに、『ワシントン・ポスト』はそれに従ったわけです。
●北村
 ウィキリークスが最近報じました。在ロンドン公使館の公電に秘密事項があると。そのことを少し、内容も含めてお話しください。
●ヴァイン
 ウィキリークスの件を見ても、ディエゴガルシアに限らず、米国がいかに秘密裏に物事を進めているかがよく分かりますし、ウィキリークスを支える運動の重要性が分かります。英国はチャゴス諸島に最近、海洋保護エリアを作ることにしました。海の環境を守るという、聞こえの良いものです。それでもチャゴシアンとその支援者たちにはすぐ分かりました。それは守るという名目でチャゴシアンが戻って住むことを妨害するためのものだったのです。質問に対して英国高官は、「いや、これは環境を守ることだけが目的だ」と言いました。でも、そこでウィキリークスが来たわけです。
 ウィキリークスが暴露した文書のやりとりのなかで、やはり海洋保護という名のもとでチャゴシアンが帰れなくしようということを、英国・米国政府が話し合っていました。英国高官からの文書のほうでは、チャゴシアンを非常に差別的に呼んでいました。1960年代によく使われていた言葉ですけれども、「あのターザンたち」とか、「あのフライデーたち」と。フライデーは『ロビンソン・クルーソー』のなかに出てくる、白人の言いなりに使える現地の人たち、という意味です。
 私にとって凄いなと思え、自分も頑張らなければと思うのは、チャゴシアンが40年経った今でもこの運動を続けていることです。私たちももちろん、自分たちの故郷の環境を守りたいです。私たちも、そこにいて守りたいです。
●北村
 海洋保護エリア、MPAと呼ばれていますけれども、これはもうできてしまったんでしょうか。
●ヴァイン
 英国政府によると、もうできたと宣言しているそうです。ただ、具体的に何かが進んでいるかというと、私が知る限りありません。環境を保護するなら、自分たちをそのための管理人にしてくれというのが、チャゴシアンの主張です。
●北村
 海洋保護エリアと米軍基地とは、きわめて矛盾した存在になると思うんですけれども、この点について米国はどういう見解でしょうか。
●ヴァイン
 ウィキリークスが暴露したなかにあった米国高官の文書には、まさにそのことが書かれています。「そのうち一般民衆がたぶんこういう質問をするだろう。どうして環境保護地区なのに大きな米軍基地があるのかと。そういう質問に対してどう説明しようか」というふうなやりとりもありました。
●北村
 結局、どう説明しているのでしょう。
●ヴァイン
 国家の安全保障のためには、例外も必要なんだと言っています。
●北村
 話は変わるんですけれども、これは日本でも大きく取り上げられました、ケビン・メア発言、当時の国務省日本部長の発言ですが、沖縄の人たちが「ゆすり名人」だというようなひどいものです。ヴァインさんは学生の作成したメモは正確であるとか、オフレコはなかったとか書かれていますけれども。実際にケビン・メアの沖縄の人たちを愚弄する発言は、先ほどのお話に引きつけて言えば、チャゴシアンに対する差別的な感覚を持っているんだと思いますが、ケビン・メアの発言を実際に聞かれたときにどのような印象を持たれたか、教えていただきたいのですが。
●ヴァイン
 ケビン・メアの発言を聞いたときに、私自身が侮辱されたような気もしましたし、日本の皆さんに心からお詫びしたいと思います。私の国の高官がそんなことを言うとは、非常にショックを受けました。彼がケビン・メアと学生たちの会見をセットしたのですけれども、そのセットした日がちょうどウィキリークスで米国の国務省の公電が暴露された、その日でした。彼が日本に学生を連れて来る前に、国務省日本担当の人に話を聞かせて下さいと、こういう話が出るとは知らずにセットしたんですね。そのときに米国の高官のほうから最初に「自己紹介をしてください」と言ったときに、学生たちは「ウィキリークスから来ました」とジョークを言ったそうです。高官も笑ったし、私たちも笑いました。それが下手なことを言ってはダメという牽制にもならずに、その後に彼はああいう差別発言をしたわけです。
それでも私たちの前で彼が本心を言ってしまったのは、いいことだったと思います。それがみんなに知れ渡ったから良かったということで、彼の態度、物の見方というのは残念ながら米国では珍しくはありません。彼がとくに「沖縄は日本のプエルトリコだ」と言ったのは、高官レベルで沖縄をどう見ているかをよく暴露していたと思います。プエルトリコも沖縄もどちらも島ですけれども、どちらも植民地的だった歴史を持ちます。プエルトリコの人も沖縄の人と同じように差別を受けています。どちらでも米軍基地を造るために住民が強制退去させられています。
このリストは、米軍基地のために強制退去させられた人々のリストです。沖縄では沖縄戦から始まって、1960年代まで強制退去させられています。ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんけれども、沖縄の人が何千人も何万人もボリビアとか南米に移住した歴史があります。プエルトリコのビアケスというところでも、20年間にずいぶんたくさんの人が強制移住させられました。リストは続いてつい最近でも、韓国の平沢では米軍基地の拡張のために人々が強制移住させられています。これは2006年から2008年という、つい最近の出来事です。
誰が強制退去させられているかを見ると、ひとつのパターンが見えてきます。植民地化された人々。そして西洋人ではない人たち。少数民族で政治力のない人々。そしてこういった人種差別がチャゴシアンだけではなく、世界中の強制退去させられた人たちに共通した話だと思います。
●北村
 今のお話の延長線上でちょっとおうかがいしたいんですが、沖縄はまさに1972年の施政権返還以後も、占領状態になっているというふうに、多くの人たちが思っている。僕自身もそう思っています。今の話で類似点は分かりましたけれども、ディエゴガルシアと沖縄と、相違点はどういうところがありますか。
●ヴァイン
 類似点をもう少し言いますと、強制退去させられたときに、差別的な態度を権力側にとられたのは類似点です。強制退去させられたときに家がそのまま確保できなかった人と、いちおう用意をしてもらった人という違いがあります。
日本でも人種差別があったということがはっきりするケースがひとつあったということですけれども、小笠原には19世紀以来、西洋の人を祖先に持つ人たちが住んでいます。第二次世界大戦のときに、そこに住む人たちを全員、日本が避難させました。避難したあと、日本を祖先に持つ人々も、欧米を祖先に持つ人々も、どちらも島に帰れなくなりました。その当時は米国海軍に占領されていた島です。でも本当に帰らせてもらったのは、欧米の人を祖先に持つ人だけでした。白人ということです。そこに地方自治体政府もできて、食料などの支援も受けました。ですから、米軍基地の隣に住んでもいいと許された人々と、同じところから来たのにそこに住んではいけないとされた人たちがいたわけです。その2つのグループの違いは人種でした。
先ほどのご質問に戻って、沖縄とディエゴガルシアの違いですが、強制退去させられた人数がだいぶ違います。沖縄のほうが多く、ディエゴガルシアのほうが少なかった。チャゴシアンの人数が非常に少なかったので、その人たちを強制退去させても誰も気にしないだろう、あるいは誰も気が付かないだろう、というのが米国政府・英国政府の考えでした。
もうひとつの違いは、始まった時期です。沖縄は第二次世界大戦の終わりぐらいから始まって、そもそもここに来たのはここに米軍基地を置きたかったからです。でも強制退去は戦争が終わった後も続きました。米軍が戦後になっても米軍基地を拡張し続けたので、退去も続いたわけです。
●北村
 沖縄にしてもディエゴガルシアにしても、島を利用した米国の軍事戦略というものがあると思いますが、それについて少し解説をしていただけますか。
●ヴァイン
 これは本を書くために見つけた文書です。ディエゴガルシアができたのはもう思いつきでできたわけではなくて、そもそものベースが、戦略的軍事施設を島に置いておこうというコンセプトに基づいています。第二次世界大戦中はもちろんその前から、主要な場所に位置する島に軍事施設を置くというのが、非常に重要なことになってきました。とくに太平洋戦争ではそうでした。それでも1950年代、60年代に、いろいろなところで植民地が独立するにつけ、米国政府は米軍基地も追い出されるのではないかと心配するようになりました。植民地が独立すれば、どうせ米軍基地も出て行けと言われるだろうと。そこで米国政府が考えたのが、戦略的軍事施設を島に持っていくコンセプトです。
 米国政府は世界地図を眺めて、米軍施設を置ける島としてどこがいいか、探し始めました。探した島は、戦略的に場所がいい、人口が少ない、政治力・経済力がないというものでした。その場所を探すときの鍵になったのは、たとえば東京とかソウルのような大都市の近くだと反対運動も起こってしまうから、できるだけ離れた、孤立した島を探しました。ディエゴガルシアはその大計画の最初の島だったんですね。その後も沖縄やグアムには米国は執拗に固執し続けています。
 ここに人口概数の欄があるんですけれども、ディエゴガルシアは500人とされています。これは米国政府が出している資料ですけれども、実際にはディエゴガルシアのメインの島には1000人が住んでいて、諸島には1500から2000人が住んでいました。私が見つけたCIAの文書には、また違う記録があります。チャゴシアンの人数を4文字を使って表記しています。NEGL、「無視するに足る」という意味です。非常に少ないからとくに考えなくても良いと。それは政府高官がどういう目で見ているかをよく表していると思います。今では強制退去させられた人たちの子供たちも含めて、約5000人がチャゴシアンです。
 先ほど、英国の裁判所で勝利したケースがあったと申し上げました。何を勝ち取ったかというと、英国の完全なる市民権です。ですから彼らはイギリス人として堂々と英国で生きていける。2002年以降、約1000人のチャゴシアンがロンドンの周辺に住んでいます。

2011/08/05

「ヴァインさんの話を聞く会」のご報告とお礼

「米軍基地問題をグローバルに考える~ディエゴガルシアから沖縄まで~

「ヴァインさんの話を聞く会」のご報告とお礼

残暑に負けずにご奮闘のことと拝察いたします。

表記集まりはスタッフなどを含めて約65名の集まりとなりました。これも一重に賛同団体の方々のご尽力によるものと心より感謝申し上げます。

賛同団体のみなさまは、実際に会に足を運ばれ、積極的に討議に参加してくださいました。「平権懇」は小さな組織ですのでこれからもお付き合いいただければ幸いです。

賛同団体 
沖縄意見広告運動(第二期) /イラク自衛隊派兵違憲訴訟全国弁護団連絡会議/基地はいらない!女たちの全国ネット/核とミサイル防衛にNO!キャンペーン/国際会議「占領下における対話 DUO V(デュオファイブ 沖縄)」/JUCON(Japan-US Citizens for Okinawa Network) /第9条の会・オーバー東京/ピースリンク広島・呉・岩国/許すな!憲法改悪・市民連絡会/横田基地問題を考える会/PARC・NPO法人アジア太平洋資料センター

会議は2時間30分に渡りました。ヴァインさんの映像を駆使されたお話により、ディエゴガルシアや世界の米軍基地などについて理解を深めることができました。質疑についても真摯に対応していただきました。

インタビュアーの北村さんはご自分のインタビューだけでなく“回答漏れ”について質問者に代わってヴァインさんに再質問するなど会を盛り立てていただきました。

通訳の古山葉子さん、メリ・ジョイスさんは、お二人で力を合わせて通訳してくださいました。

みなさまのご協力で素晴らしい集まりとなりました。どうもありがとうございました。

詳細は、この「へいけんブログ」に掲載いたします。記録の小冊子の作成については「平権懇」の運営委員会で検討させていただきます。

ご協力に重ねてお礼申し上げます。

    
2011年8月5日
                     
平和に生きる権利の確立をめざす懇談会
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へいけんこんブログ
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