読む・読もう・読めば109
書くということ
サラ・パレツキーは米国で愛国者法を強く批判するなど社会的な発言を続けている作家のひとりだが、ミステリ界のベストセラー作家であることから軽視されるのか、日本ではその発言が十分に評価されていないように思われる。昨年10月に東京で国際ペン大会が開かれて来日、早稲田の大隈講堂で90分にわたって講演したときにも、これを報道したマスコミはなかった。わずかに朝日新聞がインタビュー記事を掲載した。愛国者法とは9.11テロ以後の米国で成立して今なお有効な、なんら具体的な証拠がなくても政府がテロリストと疑った人物に対しては憲法の人権条項は適用されず、自由に監視・盗聴・逮捕し、無期限に拘束できるという法律だ。
来日に合わせて刊行された『沈黙の時代に書くということ』は彼女が2002年から全米図書館協会の依頼で「発言と沈黙」をテーマに行っている講演を元にしている。それは「愛国者法のもっとも悪質な条項を用いた攻撃の矢面に立たされているのが図書館だから」だ。誰がどのような本を読んでいるか、政府の命令があれば図書館は個人情報を提供しなければならない。「危険」な本を読んでいる読者にはただちにテロリストの容疑がかかる。
愛国者法とともに米国の作家が縛られているのは、出版産業が衰退し、一握りのメディア複合企業の傘下に入ったことだ。その結果、「超大型店で毎年売れる本は、ストックされている15万タイトルのうち500ほどである。」だから「ベテラン作家でさえ、いまの時代、出版社を見つけられずにいる。」大量に売れそうなものしか書けないとなれば、書かないほうがマシと考える作家も多いだろう。
パレツキーの書くミステリ中には編集者でありもの書きであるでもある人物がよく出て来る。そのひとりドン・ストレイペックは『ビター・メモリー』の中でこのように嘆く。「おれがバルセロナにいたあいだに、うちの幹部が《ジャーナル》のインタビューに答えて、『作家は本の中身の提供者にすぎない』と宣伝しやがった。つぎに、原稿をタイプするさいの規則一覧表を送りつけて、本の中身の提供者を単なるタイピストに格下げしちまった。」編集者にはとてもよく分かる話だ。
パレツキー作品の「進化」については別稿(『葦牙ジャーナル』掲載予定)で書く。残念なのは、日本はまだ米国ほど表現者にとって厳しい環境ではないにもかかわらず、パレツキーのように本質をつく発言をする者が少ないことだ。要するにインテリが少ないのですね。「がんばれ日本」とか、「脱原発」とか、時流に乗った一般論なら誰でも言えるけど。
(2011年9月14日)

