読む・読もう・読めば 110
電子書籍の罠
ミステリーの古典。エドガー・アラン・ポー、コナン・ドイルはもちろん、ディクスン・カーもヴァン・ダインもクロフツもイーデン・フィルポッツもエラリー・クイーンも、ほとんどの作品を翻訳で読んでいると思うが、アガサ・クリスティーだけは強烈な違和感を覚えて、数冊しか読んでいない。最初に読んだのが「オリエント急行の殺人」だったからかもしれない。けれども一般的には、クリスティーの日本での販売実績は古典ミステリーの中では群を抜いている。そのクリスティーだが、日本では早川書房が全作品100冊の翻訳権を持ち、来月から電子書籍化して発売するという。コミックに続いてミステリーも、画面で読む時代に入ったわけだ。
デジタルデータにした書籍は、いかようにも読者の好きな書体・組み方で画面に出すことができる。弱視者向けの大活字本が不要になってしまったというメリットはあるが、著者と編集者が相談のうえ、これしかない、と決めた「紙の本」「活字の本」のデザインが、無意味になってしまうわけだ。装幀も版面デザインも含めて。原作本・翻訳本のオリジナルがどのような形式のものであったかを、ぜひ電子書籍では分かるようにしておいていただきたいものだが、無理なのだろうか。コミックの場合も、著作権表記はあるものの、初出が何であったかを記していない「紙の本」、電子書籍が多すぎる。
そして。いったんデジタルデータにしてしまえば、誰がいつ改作したかをたどれないまま悪意の改作本が流通する可能性もある。著作権の尊重は商売上のことだけではない。パロディや本歌取りは大いに結構、しかしオリジナルを尊重するという文化が育たなければ、なにがなんだか、になるだろう。
高額定価の本は全頁コピーしたほうが安い、というコピー濫用の風潮に抵抗して発足した「出版者著作権管理機構」委託出版物は当初奥付に、「本書の無断複写は著作権法上での例外を除き禁じられています」等の表記をしていたが、最近ではこれに加えて、「本書を代行業者の第三者に依頼してスキャニング等の行為によりデジタル化することは、個人の家庭内の利用であっても、一切認められません」と表記するようになった。出版者の心意気が踏みにじられて絶滅の危機にあるというか、悲しい時代になった。 (2011年10月15日)
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10月20日の朝日新聞夕刊に「アマゾン日本で電子書籍」と題する記事が掲載された。「アマゾンの電子書籍事業にPHP研究所が参加する意向」、「すでに文芸書や実用書など約1千点の電子データを提供」、しかし「多くの出版社と交渉をしているが、合意に至ったケースは少ない」、「電子書籍の価格決定や絶版の判断などで出版社の意向がどれだけ反映されるかが不透明」なのでと結んでいる。これをきっかけに日本の出版業界全体がどのように変貌していくのか。米国ではアマゾン本体が出版社抜きで著者と直接契約して電子書籍を販売しはじめており、また気に食わない出版社の紙の書籍をアマゾンで検索しても見つからないように仕組む(ISBNを載せない例がある)など、支配力を広げているだが。
一方、書籍業界全体の低迷を反映しているのか、最近の出版編集者、翻訳者あるいは校正者の技量の低下には目にあまるものがある。「北方四島返還」が「変換」に、「戦車の車長ハッチ」が「社長」にというようなパソコン入力ミスを見逃すなどは可愛らしい方で、戦後イタリアの革命的出版社の歴史『フェルトリネッリ』(晶文社)では、こんな間違いが・・・
「連帯」が「連体」、「対抗」は「対攻」。著名な雑誌『国際社会史評論』が“社会科学の国際的見直し”という文章に。ソ連に侵攻したのは“総勢3千人のドイツ軍”(事実は3百万)、極めつけは“ネグリ・・・刑務所に収監”は原書発行時の話。翻訳出版時には釈放されていたが、日本入国を拒否され送還された事件があった。それ位は調べるのが当たり前であったと思うのは、昔昔の作法なのだろうか。
投稿: 小幡利夫 | 2011/10/21 16:01