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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2012/04/18

3月23日平権懇学習会の記録 3

原発を廃炉に! 九州原発差止め訴訟
質疑討論


A 確認ですけど、普通は訴訟って、問題を感じている市民がいて、弁護士事務所に行って、こういうことをしたいんだけど、それで始まるのが一般的だと思うんですけど、この訴訟は福島の事故をきっかけにして弁護士の先生たちが、これは何とかしなきゃいけない、それを市民も巻き込んで大きな運動にしていきたいということで始めた、ということでよろしいんですか。
長戸 運動は別にありましたけれども、裁判自体は弁護士が思いついて、だんだんと広げました。
A こういう形って、今までけっこうあったんですか。
稲村 今までにはそんなにないと思います。
A そういう意味じゃ、先生たちの熱い思いのこもった運動ですね。
B 運動だよな。
長戸 そうなんです、これは完全に運動の一環なんですよ。
B 原告の数が1万というのは、僕の感じだと、全国で集めるんだったら1万なんて感じではないと思うんですよ。現実に1000万人署名をやっているでしょう。イラク訴訟でも5000を超えていますね。
長戸 確かにそうだと思います。基本的に九州を中心に集めているんで。
稲村 いま原告団長は、1万人原告なんて言わずに10万人を目指そうじゃないかと言っています。それは決して夢物語ではなくて、現実的にたったの4、5ヶ月で3000人集まったということから、この裁判がもっともっといろんな人に知られれば、もっともっと原告が集まるんじゃないかということです。
 問題は法廷の位置ですよね。
長戸 玄海原発がある所の法廷(佐賀地方裁判所)になっています。
A 始めた当初、たとえば昨年末ですとか今年の1月末だと、まだ1000人ちょっとで、不安もあったわけですよね。それが具体的に増え始めてきたというのは、どういったところが要因だったのでしょうか。ひとつは、先ほど原告の費用を大幅に下げたということを言われましたけど、それ以上にもっと根本的なところで何か、いろんな人の思いがあったと思うんです。
稲村 やっぱりみんな潜在的に、原発止めたいと思っている方が多いということだと思います。第一陣提訴で1704名という数をマスコミに発表したときに、「それは弁護士が入って1704名なのですか」とか、「弁護士関係の団体が入っているんじゃないですか」という質問も受けたんですけども、決してそんなことはありません。本当に一般の方が多いです。普通に事務所に来られる一般の依頼者の方にですね、「ところでこういう裁判もあるんですけれども、ちょっと入ってみようとは思いませんか」、という声かけをしてみると、意外にみなさん、あ、それ私やります、というふうに、すっと入ってくださるんですよ。5000円という原告登録費用は、たぶん一般の方、普通の方からすると高いと思うんですけども、それでもみなさん入ってくださるわけです。たとえば保育園に持っていって、お母さんたちに、「こういう裁判があるからなってください」と言うと、みなさんが「入ります」と、すぐなってくださる。という意味で、潜在的にもうみんな原発を止めたいんだけど、具体的にどうしたらいいか分からない、だけど裁判だったらもしかしたら止められるかもしれない、という期待を持ってくださっているんだと思います。
長戸 集会でも、あまり動員しなくても人が集まって来る。おそらく市民のみなさんの意識がだいぶ変わっているというのが事実だろうと。
 原告団に入るときに5000円もらって、あとは団費とか会費とかはないんですか。
稲村 原告の人が払うのは5000円ぽっきりです。ただそれだと財政的に成り立たないので、原告でも原告でない人でも入れる「支える会」を作りまして、年会費数千円から1万円いただいて財政的基盤にしようとしています。
長戸 5000円は印紙代でほぼなくなります。原告を増やさないとひとりあたりの印紙代が下がらない。
B 福島の被害を前面に出しているでしょう。僕の認識では福島の被害は止まっていないという認識なんで、その点はどうですか。また被害という場合に、放射性物質による被害なのか、メンタルな面も含めての全体的な総括的な被害なのか。被害は外国にも及んでいますね。海はもう全然ダメ、垂れ流しですよね。作業員が着ている服を洗った水はそのまま垂れ流しですから。そういう全体的な被害はものすごい被害だと思うけれども、それをどういうふうに主張しようとしているのか。
稲村 いろんな被害あるというふうに私たちは考えていて、経済的な被害はもちろんだし、健康被害もそうだし、精神的な被害もそうだと考えています。地域のつながりが失われたというところは、とくに私たちは強調したいと考えていますし、これはもちろん主張・立証します。それから海の汚染のことについても、訴状では少し触れていますし、被害班という準備書面検討班ができているので、そこでこれから深めていくと思っています。
長戸 たしかに被害はまだ全然終わっていないんです。おそらく現時点ではここまでという主張が出てくると思います。
D 北海道の年配の男性の方が福島原発の差止め訴訟を起こしたときは、号機ごとだったんですね。今回は玄海原発のすべてということですが、全国に及ぶということになると、号機ごとでもなく原発ごとでもないのではないかという気がするんですけど。
稲村 それも確かに弁護団で議論になったんですけども、玄海原発も川内原発もまとめていいんじゃないかということですよね。
D 両方いくのも、競合するのかとも思ったんですが。
長戸 玄海のほうが先に動いて先に人が集まった。もともとプルサーマルの組織があったんですね。それ以外にも裁判を支える組織もいっぱいありまして、集まれる体制もあったんですけど、川内はあまりそういう体制ができていなかったんです。玄海が動いてから動き出したようなところがある。
D 1万人というのは、あくまでも玄海訴訟の原告ですね。
稲村 はい。
E 本気で私はこの玄海原発を止めたいですね。というのは、私は出身は佐世保なもんですから。松浦に近いところなので、原発から35キロぐらいですか。私はこっち(東京)に住んでいますけど、母親は向こうに住んでいますし、甥も姪もいて、事故があればたぶん直撃を受ける。本気で止めたいんです。何かの被害があってそれ対する裁判をやるのは聞いたことがあるんですけど、まだ実害がほとんどない時点で裁判をやって、端的に言って勝てるもんなんですかね。勝ちたいですけども。本気で。もし勝てなかったら、原子力村と言われている人たちに言質を与えることになる、勢いづかせることになるんじゃないか。もうひとつは、1万人も集まったのに変わらなかったとすると、やる気が落ちてしまうんじゃないか、マイナスになるんじゃないかという気もするんですよ。勝てる見込みはあるんでしょうか。
長戸 僕らが「勝てない」とは、口が裂けても言えません。勝ち負けは僕らの言うことじゃないんで。
E ただ法律的には、勝ちそうとか負けそうとかいうことは言えるでしょう。
長戸 法律的にはいろいろあるんですけれども、言い方を変えると、もし勝つとしたら、今しか勝てないと思います。
E 大飯だって再稼働しようと政府も言っているし。裁判官も向こうの人ばかりだから、政治のほうから変えるしかないのかなと。
長戸 これは運動の一環なんで、この人数によって政治が動いてくれれば、それはそれでいいと思っています。
B 脱原発になるまで裁判をなんとか維持して、ラグビーで言えばスクラムを組んだままずるずると押し合う、というような状況を作り出そうとしているんですか。
長戸 先のところまでまだ決めているわけじゃないんです。将来的に、この裁判がある程度見えたところで違う形の裁判を起こすとか、そういうやり方はあるかも知れません。まだそこまで明確には話し合っていません。
稲村 私の考えを言わしてもらうと、この裁判は最終的には勝つと思います。たしかに技術的にも難しいと思うし、もしかしたら第一陣は負けるかも知れない、第二陣は負けるかも知れない。だけどその次で必ず勝つ、いつか必ず勝ってみせるという意気込みではいます。これは弁護団の、水俣訴訟などをやってきた馬奈木昭雄弁護士が言っていたんですけども、私たちは絶対に負けない、なぜなら勝つまでやめないんだと。それは非常に大事なことだと思っていて、1万人で負けたら1万5000人集めます、私たちは。それだと時間がかかるじゃないかと言われるかも知れないけれども、そうやって負けても負けてもやるんだという姿勢を見せることで、政治を動かせるんじゃないかと思っています。それから、技術的な論争で負けるんじゃないかということもありますけれども、危ないものを危ないと常識的なことを言う。確かに今までの原発訴訟は負けが続いていますけど、2つは勝ってます。
 でも、最高裁でひっくり返されてます。
稲村 最高裁を動かすような書面を書くし、最高裁を動かすような人数を集めます。
長戸 私も負けるとは思っていないんですけど、我々が負けると思ったら負けますから。まあ、勝つまでやるしかないかなと思ってます。
B ひとつの大きな焦点は、今年6月に国のエネルギー政策が転換できるかどうかということと、福井の再稼働の問題ですね。活動家の人たちはみんな福井に行っていますけど。ここで再稼働を認めさせなければ、かなり押し込めると思うんですね。10万人集会を7月16日にやります。そういう意味では運動ではかなりやってるけど、国の政策を変えるような裁判はなかなか難しい。イラク訴訟だってずっと負け負けですもんね。負けないでずっと粘り強くつないでいかれるのかな、というのが僕の感じです。
長戸 今後まだ変わってくると思います。まだ先のことは考えていないんです。
 原告の数は集まると思うんです。ただ1000万人署名も1000万にいっていないから、なかなか厳しい。
稲村 イラク訴訟で負け続けていても、続けていく理由というのがありますね。
B 目標は平和的生存権の確立だから、それをやるしかないというか。平和的生存権を確立するためには、国連で「平和への権利」というのが人権委員会にかかるようになったでしょう。何十年もかかってですね。
 新しいことを始めておられる、私がこれまで知らなかったタイプの運動が始まっているな、という感じがしています。新しいことですから、結果がどうなるか、これは予測あるいは希望の議論ですね。だから事実によって証明されなければ、本当にそれが実現されるかどうか分かりません、将来のことだと思います。ということを前提として次の段階のこととしては、これまで行われてきた裁判での主張と立証の積み重ねがありますから、その実績から推論するということができますね。
また観点を変えると、証明できないけれども、これをもって勝利とするという理論仮説を出す。たとえば私が経験したことで言うと、1960年代に教科書裁判、家永訴訟というのがあります。家永三郎教授が教科書検定で条件付き合格になったことに対して、処分取り消しを求め、プラス慰謝料を請求した。当時弁護士や学者等に相談なさったら、誰も裁判に勝つとは言わなかった。でも家永先生は「私は必ず勝ちます」と言うんです。「国民の法廷に歴史的な事実が出されます、それによって私はこの裁判に勝つんです」と。これは新しい理論なんですね。判決主文によって原告の請求の趣旨を認めるという勝ち方もありますが、それは問わない。密室で教科書検査官が検査しているという事実を、裁判所という公開の場、法廷を通して国民に示す、そのことによって私は勝つと言っているわけです。
 この会と関連して言うと、憲法論としてどういう主張をするかということです。平和的生存権というのは憲法前文に書いてあるとおり、「恐怖と欠乏からまぬがれ、平和のうちに生存する権利」です。たんに平和を求める、たんに生きるということではなくて、「恐怖と欠乏からまぬがれ」ということと結びつけて主張されている。この権利を実現するために、いま国連レベルでも人権理事会が取り組んでおりますけれども。
この裁判はみなさんが玄海原発の問題をとらえるだけでなく、それは全世界に向かって発信されるものであるように理解しております。この会の役割は非常に大きいということだと思います。
稲村 平和的生存権に関しては、私たちもその主張はしています。ここから先は私の個人的な意見なんですけども、憲法のなかに、将来の世代に負担を負わせないというのが条文でありますよね(第97条)。私は原発のいちばんの問題点は、将来の世代に負担を負わせることだろうというふうに思っています。それは事故が起こったらもちろんだし、通常運転しても結局、廃棄物という形で将来世代に負担を押しつけていくものである。しかも通常運転をすると周囲の白血病患者が増えるとか、免役疾患に陥る人の数が増えることが統計として有意に現れるという研究成果もあります。そしてその被害をいちばんに被るのは感受性の高い子供であるというような研究もあるわけで、私はやっぱり原発の問題というのは、将来の世代、まだ見ぬ世代に負担を押しつけるものだろうと思っています。ただ、これを裁判のなかで主張・立証するかというのは、因果関係の問題で難しい論点に持ち込むと思うので、それは確実にここで「言います」とは言えないんですけども。その意味で、これは人間が人間として生きるための権利を守るための裁判ではなかろうかと思います。その意味で、世界に発信するというのは、がんばっていきたいと思います。
 私の本業は書籍編集者なんですけど、今まで原発訴訟の記録を読もうとすると大変だったんですよ。訴状も判決文もなかなか簡単には見られない状況だったですね。記録集のようなものも非常にマイナーな出版社から非常に少部数出るだけで、国会図書館にも入っていないような例がたくさんありました。ついこの間、海渡弁護士が岩波新書を出されて、あれで初めて全容が分かるような本が出たかなというふうに思っています。今までの裁判、約20件あると思いますけれども、原発訴訟といいますと、数人あるいはせいぜい十数人の原告が、周りから鼻つまみになることを覚悟の上で、それでもがんばってやる、みたいな悲壮な覚悟での裁判でしたよね。今回の裁判のブックレットも読ませていただきました。なるほど、これくらい明るくやれる時代になったんだなあと感じました。とりあえず訴訟がどういうふうに進んでいくか全然分からないし、何年もかかるかも知れないし、入口でもう終わりにさせられてしまうのかも知れないし、それでもまた提訴されると思いますけれども。裁判で勝つのが先か、政権を代えて脱原発の政権をつくるのが先なのか、それぐらいの大きな話になっていくと思います。ですから、裁判もやっている、政治闘争もやる、現地でもやる、東京でもやると、その一環として、ぜひ大きなものに広げていただきたいなと期待しています。
 「九州発差止め訴訟」の九州「発」というのはどういう意味ですか。
長戸 これまでは1000人以上集めるという発想自体がたぶんなかったと思いますし、あとは国を巻き込む方法とかだと思うんですけども。主にその2点です。
 私の理解では、九州で我々はこういうでかいのをやった、だから今度は西から東に向かってどんどんと同じような裁判を始めろよ、という意味じゃないんですか。
長戸 団長はおそらくそう言って回っているはずです。
稲村 「九州発」の意味には、川内と連携を取るという意味もあります。連携を取って大きな団体を作って、とにかく大がかりにやろうと思います。いまうちの共同代表のひとりの板井弁護士は各地に行って、こういう大きな裁判をどんどん仕掛けてみんなで連携をし合おうというふうに宣伝をして回っているし、みんなを応援して回っています。これはまだ断定的な情報じゃないんですけども、関西の方でもこういう大きな訴訟を準備し始めていると聞いています。まだ具体的なことは分かりません。その意味で私たちは九州が、もしかしたらおこがましいかも知れないんですけど、まず最初に名乗りを上げて数千人単位で提訴をして、こういう裁判の形もあるんだよと全国に示していけたらと思います。
H 今後どいうふうに発展するか分からんというお話だったんですが、やっぱりどういうふうに持って行きたいのかというイメージみたいなものを持って、これを全国にどんどん波及させて、全国でそれを覆い尽くすという形になるのか。それとも九州のこれを全国に広げていくという形か。両方あり得ると思うんですけど、私のイメージだと、九州は九州でまずやって、それをどんどんと広げていく、それで全国を覆い尽くす。そのときに誰が原告になるんだと。九州では九州の人間が中心になって全国で入りたい人は入ってもいいけど、あくまで九州が中心だと。関西は関西が中心で全国の人がまた入ればいい。北海道は、泊は泊でやればいい。そういうようなイメージというのは、弁護団や運動体の中では話し合ってないんですか。
長戸 いまおっしゃっているイメージはみんな持っていると思うんですけど、それを具体的にこうやっていこうというところまでは、まだ行っていないんです。
 さっきEさんが問題を提起した切実な問題は、訴訟という手段で対抗できるのかという議論、根本的な議論なんですね。自分の親族がいつ原発の被害に遭うかも分からんと、そのときにこういう訴訟が実際に意味を持つのか、という質問がされたと思うんですよ。そのへんの議論をもう少しやったほうがいいと思う。被害を受ける陣族が身近にいたときに、それを差止めるような力が裁判運動にあるのかどうか。それにどう答えたらいいのか、私は答を持たない、運動をやるしかないかなと思うけど。
稲村 なんで裁判なんですかと、原告になろうかどうしようかと迷っている人からよく聞かれます。裁判をやるぐらいだったら運動をもっと一生懸命やればいいじゃないですか、そっちのほうが早道なんじゃないですかということもよく言われるんです。だけど私たちは、運動がいちばん大切なことではあるんだけども、運動では限界もあるのかなというふうに感じています。たとえば電力会社に情報を開示せよといったときに、運動だとどうしても逃げられてしまうことがある。裁判でもなかなか難しい側面もあるかも知れないけれども、裁判所を使って情報の開示を求めることができるし、求釈明、この点に答えなさいということで、裁判所の力を借りて相手に圧力をかけることができる。そういう意味で、裁判には力があると思っています。相手と対等の立場に立てるのかどうかというと、よほど強い運動体でないとおそらく勝てない。だけど裁判であれば、対等の立場に立てるし、情報の開示をさせることもできる。で、そうやって得た情報を運動体のほうに流せば、運動のほうがさらに力を盛り上げることができる。裁判が運動を助ける、運動が裁判を助ける、そうやって脱原発への道筋を作っていくことができるんじゃないかと思っているんです。だから運動しかないというのは、半分正解で、半分ちょっと違うんじゃないか。運動が大切だけれども、それをより円滑に進めるというか、より大きな力にするための補助輪のような役割に裁判がなれるんじゃないかというふうに思っています。
 それはそれでいいんだと思うけど、切実感ということでもうちょっと聞きたかったんですね。明日にも止めてほしいわけです、福島を見たら。過酷事故が起こる状況は玄海では高いわけでしょう、客観的には。だからその危機感に対してどう対応するかという。
 しかしそれは、この運動を起こした人に聞く問題じゃないと思う。聞いてはいない、ここで議論すべきだと言ってるのかも知れないけど、それはもう運動を進めていくなかでみんなで考えていくしかない。
長戸 運動としては、まず再稼働させないことがいちばん主になっていくんだと思います、現時点では。再稼働をしなければ、とりあえず最悪の危険は避けられる。
 私は法律の専門家じゃないんで、あくまでも素人として感じていることなんですけど、原発事故が昨年起きて、さまざまな論説がなされて、しかし今年に入って若干弱ったかなという気があったわけですね。そういう中で、具体的に裁判という形でひとつの運動を起こした。それがあるということ自体が非常に現状を具体的に変えていく、関与していく中で具体的な大きな要因になっているという気がしますよね。
 いま再稼働に反対するとか、いろいろな運動が原発のところであるわけですよね。その中でこの裁判を起こしたということが、運動の中でどういうふうな意味を持ってくるのか、どういう意味を持たせたいと思っているのか。
稲村 今まで九州各地でバラバラに活動していたグループが集りだしたという側面はあると思います。この裁判の原告を集めるために同じチラシを配る。それを刷るために一カ所に会して会議を開いて、どうやったらこの裁判をもっと世間に知らせるかということで話し合いをする。そうすると当然そこで顔が繋がって、じゃあこの運動をするからそっちも協力してよとか、一緒に要望書を提出しに行ったりとか、そういうふうになっているので、この裁判はひとつの要になっているのかなというふうには感じています。
 私が考えていることを言わしてもらいたいんです、質問にも意見にもならないかも知れないんですけど。要するに原発を推進したい側と、それを押しとどめたいという側の、本当の論点はどこにあるのかということがいちばん気になっていることなんです。推進していきたい側がいちばん言いたがっていることは、彼等が考えている経済社会にとって原発は必要なんだと、いろいろ問題はあるかも知れないけど、必要なんだと。そういう中で原発反対の訴訟を起こすときに、こういう問題があるから危険なんだということを言っていくだけでは足りないんじゃないかと思うわけです。こういう問題があります、こういう問題があります、と今までも言ってきたと思うんですけど、それに対して原発を推進する側は、それに対してはこうやります、こういう対策を立てますということでやってきた。なかつ彼等としては、自分たちが考える経済社会にとって原発は必要なんだから、何が何でもやる。だから、ただ今ある危険性だけについて追及していくというやり方ではどうも分が悪いなという気がしていまして、もうすこし先まで踏み込んで、じゃあ私たちはどういう社会を作っていきたいのかというところ、原発をめぐる本当の論点がこれから解き明かされる必要があると思っているんです。それは裁判の場で議論されるようなことじゃないし、人によっても見方もたくさんあると思うんですけど。ただ、原発のない、その中で豊かに人が生きていけるような社会をある程度イメージを持って、そこまで踏み込んで裁判を闘えたら、少し今までと変わった地平が開けるんじゃないかという気がしているんですよ。
 いまAさんが言われたことと、Bさんが言われた国のエネルギー政策をどうするかということは、重なるところがあると思うんですけども。私は地球環境問題懇談会というところに所属していて、温暖化問題をずっとやっているんですけどね、そのときにやっぱりエネルギーをどうするのかという問題がある。ドイツやデンマークやのように自然エネルギーでいく国と原発の国と、どっちの道を行くのかで鮮明に分かれているんですよね。6月に日本の政府見解が決まっていくことになるんだろうと思うんですけど。
 将来的にはやっぱり経済成長の話になってくると思うんですよ。たとえば原発を推進する側がなぜ原発を必要とするかということを考えたら、やっぱり経済成長のために必要だというのが彼等の基本的な考えなんですよね。もちろん、儲けたいというのはありますよ。原子力村と言われている人たちの金もうけの話もあるけれども。じゃあ我々はその経済成長ではない豊かな社会をどう描けるかということが、これから本格的に問われなきゃならないものだと思っているんです。
 僕は突き抜けてまして、本当は電力会社はいらないんです。自然代替エネルギーだけでやってしまえば、送電線も発電施設もいりません。そうなると今の電力のシステムがまったく変わってしまうんで、彼等は今のシステムにしがみつきたいわけです。自分たちのオマンマの糧がなくなるわけですから。だからどうしてもそこにしがみつきたい。経済成長といまおっしゃいましたけど、本当は自然代替エネルギーにしたほうが経済は伸びるはずです。新たな産業が起こってきますから。だから経済成長というと、ある意味、向こうの論理にもう乗ってしまっている部分がある。電力会社はいらないです、本当に。自然代替エネルギーの技術が進めば。原発どころじゃないです。そう私は思ってます。
 先ほどの話にまた戻りますけど、運動ということはすごく分かります。ただ、1万人集めたら裁判に勝てるのか、という話なんです。原告の数で勝てるんならたくさん集めたほうがいいと思いますけど、裁判というのはそんながさつなものじゃないと、私は素人目でも思いますから。難癖つけてるように見えるかも知れないけど、僕もじつは応援したいんですよ。だから、きっちりやってほしいんです。緻密に、ちゃんと裁判をやってほしい。運動のひとつではなくて、裁判として。いかに地震国のこの日本で原発があることが非科学的なことなのか、非経済的なことなのか。経済コストなんか目茶目茶でやってますから。  
 脱原発弁護団との関係はどうなんですか。
長戸 全員もちろん入っているわけじゃないんですけど、連携はしています。私は日弁連の環境委員会なんですけど、ここは蓄積を持っているし、その伝手もいっぱい持ってますんで。当然そういうことは我々だけでは限界があるんで、日本中でやっている他の団体、同志から情報をもらいながら、当然勉強もしていかなければいけない。雑な裁判をする気はありませんから。
 立証責任を原告側と被告側のどっちが持つかということで、逆転できるような理屈を立てられるんですか。
長戸 それなりの準備をしていかないと変わりませんので。そこに持って行くための十分な研究と主張と立証は、当然、前提としなければ。その上で、そう変えるべきだと思っていますんで、訴訟としてはそこを目的にがんばりたいと思います。
 玄海原発では冠木さんがずっとやっていて、それと今の訴訟との相違点というのはどういうことなんですか。
稲村 冠木先生がやっていらしたのは3号機のプルサーマル使用の差止めだったんですね。私たちはその後、1号機から4号機まで全部の差止めを求めたので、対象とする原子炉が違うというところがまずひとつの違いです。ただ、後からプルサーマル裁判の方も全部の原子炉の操業を止めるということに請求の趣旨を拡張されましたので、この点ではもう違いはないわけです。あとは国を被告に入れているかどうかということです。細かい点を言えば、慰謝料を請求しているかどうかも違いますけど、いちばんメインはやはり国を被告としているかどうかということです。
 技術論をやらないというのも大きな違いなわけでしょう。
長戸 たしかに訴状の構成はだいぶ違うだろうと思います。
H 訴状を拝見していて、公害事件みたいないわゆる受忍限度論的な考え方を取るのか、そこらへんが分からないんですね。原発を作ること自体が、即、違法な行為だからと言うのは簡単ですけど、違法というわけではないわけですよね。公害型の事件だと裁判所が採っている考え方としては、受忍限度を超えるから違法になるんだという考え方ですよね。そういう形で考えているのか、それとも他の形で何らか考えているのか。被害がこんなにすごいぞということが、法理論的にはどういう構成になって差止めや損害賠償につながるのか、もうひとつ良く分からない気がするんです。
稲村 客観的には原発をもう立てたこと自体が違法行為、その存在自体が人類の生存を脅かすという点で危険な行為だというふうには私たちは考えているんですけれども。ただ訴状の構成としては、3.11で原発の危険性が明確になった、国がどれだけ対応が後手後手に回るのか、どれだけ電力会社を優遇してきたかということも明らかになった、だからその後も運転を続けることは明らかに違法だ、というような構成で書いているんです。
 不法行為で考えると、侵害行為があって損害がある。損害といっても福島の人たちじゃないから、こういう事故があることによる不安ですよね。建っていること、操業することが不安につながると。けれども故意過失なりなんなり、違法性がなきゃいけないわけですよね。何をもって違法というのか、そこのところの全体構成が、もうひとつ良く見えない気がするんです。福島でこんな大変なことがあったんだから、もう止めなきゃダメでしょうというと、もうひとつ情緒的に流れているような感じがするんですけど。
長戸 差止めの根拠は物件的請求権です。ということがまず前提であって、要請については、どちらが主張するものかというところで、その問題は意図的に落しました。被侵害利益があって、侵害行為があって侵害の事実があればいいという論法で書いてますので。それを今後、受忍限度論で書いていくのか、違うものかは、どこかで書かなければならないというのは、ご指摘としては必要だと思います。
 コミュニティの破壊の問題で生々しい話が今日の昼間あった。僕らはモニタリングの仕事を福島原発行動隊として受けるかどうかが議論になっていて。福島県川内村で帰村を村長さんが決めた。ほとんどの村民の人たちは、本音のところでは帰りたくない。本当に元に戻るなら帰るけど。たとえば一人で帰ったとしても、お店屋さんなど商売にならないわけですね。だからたとえ放射線量が低くなったとしても、そこでコミュニティが成立していかないと帰れないという実態があるわけね。じつは4月にあそこで選挙があるんですね、村長選挙。現村長の遠藤さんとは違う人が立っているんですよ。非常にコミュニティの破壊というのは深刻ですよね。除染をやってますけども、きれいにすればいいという問題ではないんだよね。昨日、いわきで岬学園という障害者施設の除染をやった効果を点検してデータを取って来たグループがあるんですよ。やっぱり除染の効果はあるんです、ある程度は。だけど、戻れるということと放射線とはイコールじゃないという、複雑な問題が生れてきている。どこまでを被害として裁判所に考えさせられるのか。
 それは損害賠償訴訟をやる場合に今までの公害裁判と違う点ですね。非常に被害が多様で複雑で、どういうまとまりでやっていけばいいのか。
いろんな意見がでましたけれども、がんばってほしい、というのが皆さんの本心だと思いますし、我々の問題でもありますので、さらにがんばっていただきたい、という言葉を申し上げて、今日の会を終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

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