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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2012年6月

2012/06/25

ライターきのしたの“一言いわせて” 1

「東京スカイツリーからのぞく明日――スカイツリー その1

 開業からちょうど一カ月目の622日、私は初めて東京スカイツリーを見にいってきた。高いというよりも、でかい。やたらにがたいのいい、一言でいえばずんぐりと太った、巨大なパイプの塊というのが、第一印象だった。それは、テレビや新聞で見慣れていたすっきりとしたシルエットとはイメージをかなり異にする。スカイツリーのほぼ真下から見上げたのだから、それも当然といえば、当然なのだが。

 一躍有名になったスカイツリー駅ではなく、都営線の押上駅を出ると、ちょっとした広場だった。見物客らしい人たちがあたりに散らばっていたが、夕方だったせいなのか思っていたほどの人出ではない。肝心のツリーは、どこにあるのか。目の前にあるのは、都心ならどこでも見られるようなガラス張りの黒っぽい商業ビルだけだ。上のほうにユニクロのマークが目に入った。

 期待はずれの感を抱きながら、東側に廻ってみると、やあ、出てきた、出てきた。これがあのスカイツリーか。そのときの印象は、冒頭に述べた通りである。

 さらに進み、ツリーの根元あたりまで来てみたが、列をなしているような人は見かけない。ちょっと拍子抜けだ。雑踏警備で棒を振っている警備員に迷惑を顧みず、観光客の出足について質問してみると「行列ができたのは、出だしのときだけ」だという。

 やはり迷惑とは思いながら別の警備員にも聞いてみたが、答えは同様だった。最近では「込み合うのは、土日や祭日くらい」らしい。繰り返すが、ツリーは開業してからまだ1カ月に過ぎないのだ。にもかかわらず、客足はすでに遠のきはじめているということなのか。

ツリーの下部にある商業施設は外見から判断する限り、さすがにきれいでピカピカしているが、とくにこれといって目を引くところはない。さらに歩いてゆくとスカイツリー駅だ。その出口からツリー下部に通じる路地には、ほとんど人通りがない。完全な裏通りになっている。事実、こちら側には、従業員関係者の通用口や車両用道路が並列しているだけ。つまりこちらはスカイツリーという街区の完全な“裏側”なのだ。正面はさっき歩いて来た商業施設がある側ということになる。小規模の商業ビルならいざしらず、スカイツリーという一つのまちにこんなにはっきりと表と裏があるのはさびしい。たとえば、東京タワーは、下部にある施設の正面はあっても、東京タワーという施設そのものに裏表はない。どの方角からもその姿を楽しむことができる。

日本を離れてエッフェル塔の例を持ち出せば、違いはさらに明白だ。エッフェル塔は広々とした公園の中に建っていて、人々は塔に昇ったり、階段を下りたりするだけでなく、その周りに佇んだり思い思いに散策を楽しんだりしている。そこに塔の裏表はまったく存在しない。思い込みが激しすぎるといわれるかもしれないが、エッフェル塔は市民のアイデンティティの一部と化しており、市民と一体化しているように見える。ひるがえってスカイツリーは、とにかく施設に客を呼び込もうという思惑が勝ち過ぎているのではないだろうか。言い換えれば、そこにあるのはスカイツリーとお客さまという、一体化することのない2項なのだ。

さらにそれは街の作り方にも当てはまる。スカイツリーの新街区の景観は、周辺に以前から存在する街なみとは完全に断絶しており、連続していない。超近代的な新街区を取り囲む道路のすぐ外側に、むしろレトロと呼ぶほうがふさわしい対象的な商店街が並立するさまは奇妙とさえいえる。あの六本木ヒルズだって、周りから浮きあがってはいない。一帯の街並みにそれなりになじんでいる。過激な言い方をするならば、これは東京スカイツリーという都市計画の敗北なのではないか。

私はその朝「今日は休肝日にする」と決めた決意を機敏に修正し、適当な居酒屋をみつくろって入った。意思が弱かったからではない。これは、あくまで取材の一環なのだ。

店内には、すでにいかにも地元の顔なじみといった雰囲気の客が78人いた。いずれも年配者ばかりだ。相手をするのは、これまた年配の女性主人が2人。銚子を注いでくれた81歳とかいう片方の女性によると、目の前にスカイツリーが開業したというのに「新しい客はまったく来ない」。たしかにその日の先客たちは、昔からの常連ばかりといった風情だ。この店だけでなく、近所の店も繁盛どころかさびれるばかりだという。スカイツリーの商業施設に地元の店は出店していないのかと聞いてみたが、どうやらそういうこともなさそうだ。地元がスカイツリー開業の恩恵に浴しているようには、どうも見えなかった。

メディアには、スカイツリー開業のだいぶ前から、高揚感があふれていた。それらは社会的に八方ふさがりの今日にあって、どこか明日への希望と結びついていたのにちがいない。その心理は理解できる。しかし、現実のスカイツリーは、人々の期待にこたえられる存在になれるのだろうか。

居酒屋を出た時、ツリーは淡い青色にライトアップされていた。少なくともその美しさは本物のような気がして、心に沁みた。

(きのした としくに/ライター)

2012/06/14

読む・読もう・読めば 119

魚が出てきた日

63日夕刻から、千葉県いすみ市大原漁港にイワシの群れが押し寄せ、酸欠のためその死骸が港を埋め尽くした。イワシといってもメザシにするマイワシやウルメイワシとは違う、体長10から15センチくらいのカタクチイワシで、地元では「ゴマ漬け」にする。鰯という文字のとおりとても弱い魚なのですぐに痛み、大量に獲れても利用のしようがない。今回押し寄せたイワシは総量で200トンといわれ、漁協では回収して埋めたが、腐臭はなかなか消えない。港が汚染されたため魚を生かしたまま運ぶための海水が採取できなかったり、対応に人出を取られたりして、漁協は大迷惑だった。

というニュースはネット社会ではいちはやく拡がったが、まともに扱った全国紙は読売くらい、あとは地方版だけの小さな扱いだったようだ。テレビもフジ系のスーパーニュースで放映されたくらいだろう。これだけの量の魚の大量死はかなり珍しい事件なのだが、なぜ報道しないのか。なにか規制がかかったのか、と疑いの目を向けたくもなる。

ここで思い出されるのは1968年のギリシア・イギリス共同製作の映画「魚が出てきた日」。「その男ゾルバ」のカコヤニス監督作品だ。66117日にスペインの地中海側の漁村パロマレス上空で起きた、水爆搭載の米爆撃機が給油機と空中衝突して墜落した事件を下敷きにしている。現実の事件では4個の水爆のうち2個が、核爆発は起こさなかったものの地上にプルトニウムをまき散らした。1個は海中に没し、回収には3000人、33隻、80日を要した。米軍は当初核兵器事故であることを秘密にしていたが、1700人の兵を投入して放射性物質除去に当たらせたためにばれてしまった。このあたりは梅林宏道さんの『隠された核事故』(創史社、1989年)による。映画のほうはギリシアの島を舞台にしたコメディとして作られているが、最後の場面ではタイトル通り魚が大量に浮かび上がって来る。

福島原発事故で海を汚染し続けている放射性物質の量は、広島・長崎で拡散したそれよりも桁違いに多いと推定される。海の中で何が起こっているか分からない状況では、海の異変には敏感であるべきだと思われる。イワシが港に押し寄せた例はこの間、大原港だけでなく、同じ千葉県の太東、川津、松部の各港からも報告された。大量発生したイナダの群れに追われたとも言われるが、ではなぜこの間、イナダが大量発生している(からイナダもブリも市場価格が暴落している)のだろう。むろん無責任な憶測での発言は避けたいし、私は千葉県産の魚を食べ続けるけれども。   2012614日)

2012/06/05

5月27日 平権懇学習会の記録3

質疑討論

 裁判の原告は7人ですか

早川 はい、そうなんです。URは、耐震性というのがもともと問題で、それで立ち退いてくれということだったんですけど。裁判になったら今度は、耐震性は問題にしないみたいなことを言い始めた。だから、住民側は耐震性の問題を技術的に争うつもりで準備していたんですけど、裁判になったらURは建物については争わないで、出て行ってもらうという、そのことだけに専念する。自分たちは正当な手続きを踏んでいるのにこの人たちは出て行かないと言っているおかしな人たち、不法占拠している人たちなんだ、みたいなことを言い始めて、みんなすごくびっくり仰天してしまって、あんなに耐震性って言っていたのになんでだろう、みたいな感じなんですけれども。耐震工事の専門家とかも出て来ていろいろ突かれると、URとしてもボロが出て来てしまうのか、ちょっと分からないんですけど。

木下 今の耐震基準は1981年に新しい基準になったんですけど、それ以前に建てられた住宅が何十万戸とか何百万戸とかあるわけですよ。本当に耐震基準だけの問題であったら、その何十万戸、何百万戸をどうするという話になるんですけど、そうならない。たとえば私の家なんかもう古いですから、とっくに何とかしなければいけないはずです。でも区からも横浜市からも何も言われてないです。ここで耐震基準なんて言われているのは、単なる追い出しの理由です。彼等が裁判でそれを持ち出さないのも、私はうなずける話ですね。

 聞きたいことが2つあります。私は都議会議員のスタッフをやっています。東京都は住宅局をつぶして、もう都営住宅は作らない、作るとしたら改築でいくという政策を立てて、しかし一方では老人用に新しく作らなきゃいけないみたいなことになって。そこらへんの調整のことを早川さんがどう考えているかというのが1点目です。

 2点目は、いまお話が出た通り、けっこう古い建物が公共のものであって、たとえば昭和30年代にできた児童会館の耐震のIR値が0.6ないというので裁判を起こされて、結局早く壊さなきゃいけない、放っておくと3.11みたいな形になると。やっぱり耐震性は問題になると思うんですけど、そこらへんはどう考えていったらいいのか。2点、お聞きしたいと思います。

早川 私はもう政府の考えひとつだと思うんですよ。もちろん高齢者のための住宅も充実していってほしいと思いますし、でも若い人たちも全然住宅が足りないので、新規建設をしないというのは、やっぱり問題だと思うんですね。とくにこれだけ不況が長引いて、企業ももう正社員では雇わないという時代になってきているから、年代とか年齢にかかわらず、あらゆる層で貧困層が発生していると思うんで、やっぱり公共住宅をもっと充実させてほしいというふうに思っています。

 あと耐震補強については、私は73号棟について耐震補強をしなくて大丈夫とは全然思っていなくて、耐震性が弱い建物はどんどん補強していってほしいと思うんです。URはコストがかかりすぎると主張しているんですけど、でもURの天下りとかがいろいろ指摘されていますけど、そのコストのはじき方とか運営の仕方で、すごく割高になってしまっているのではないか。もっと本当に国民の方を向いて経営してくれないと、最初に住宅公団を作った意味がなくなってしまうというふうに思っています。耐震補強も、別の専門家の人に言わせれば半分ぐらいの値段でできるわけだし、技術的にもいろんなタイプの補強の仕方ができるのに、やろうとしない。それはもう政治の考え方ひとつで決まることなんだなあというふうに、つくづく思いました。

 73号棟ではなにか新規で開発する話はあるんですか。児童会館のところはキャッチアップという形で、あそこらへん一帯を青山病院とかも含めて開発するつもりで児童会館を壊したと、私たちは見ているんですけど。そういった話は出ているんですか。

早川 73号棟を取り壊す話が持ち上がったときは、そういう計画があったそうなんですね。でも噂なので、私はその書類とかを持っているわけではないので、具体的には映画でも言っていないんですけれども。73号棟の隣に廃校になった小学校があるんですよ。その土地と73号棟の敷地を合わせると、かなりのスペースになるんですね。なので開発業者の目論見として、ショッピングセンターとか、高齢者の施設とか、ゼロ歳児保育とか、そういうものの複合施設みたいなものを作る計画が持ち上がったそうなんですけれども。その後にリーマンショックが起こってしまって、今はまったくの白紙です。白紙なんだけれども、73号棟を取り壊す計画だけは残っていて、追い出しだけは進めているという状態です。

 野次馬的な関心で失礼ですけれども、URの方の名前が出て来たりとか、取材を拒否しつつURの言い分も出て来るような映画を作られて、何かプレッシャーみたいなものはなかったんですか。

早川 全然ないんですよ、それが。私はそれをある程度想定して作ったんだけど。URも映画のことは知ってると思うんですが、どの程度の人が見に来ているかっていうのは分からないんですけれども、苦情も何も言われたことがなくって。映画の「靖国」とか「ザ・コーヴ」みたいに、批判すると逆に私の宣伝になる、そういうのってあるじゃないですか。だからもしかして言ってこないのかも知れないけれども、表だって抗議をされたことはないんです。URの労働組合の人とかは何人か見に来てくれたことがあるんですけれども。

 URの職員の方でも、こういった追い出しとかについて、おかしいんじゃないかという方もいるんじゃないかという声は。

早川 特には届いていないんですよね。インタビューの中で出て来た人は、URの元職員で元労働組合の人だから、URにいるときからけっこう発言していたり、情報をマスコミに渡したりとかしていたそうなんですけれども、彼は本当に珍しいほうだったそうなんですね。URの労働組合の人で見てくれた人もいるんですけれども、やっぱり一個人というよりサラリーマンのアイデンティティのほうが大きいので、「おかしいよね」と個人的には言ってくれるんですけれども、何か社内で声を上げようというところまではなかなかいかない。なかなか難しい問題だなあという感じでした。

 私は30年間、公団が施工して開発したところに住んでいます。八王子ですけれども、そこの職員の方は病んでいた、みんな本当に体を壊していた。みんなどこかで無理をしていることを知りながらやっているということだと、そういうふうに思います。それでもやっぱり自分に打ち勝つというか、信念を通して住民のほうの考えを取り入れてくれる、そういう方にも会いましたし、とことん意地悪をする方もあります。それは、どこに行ってもそういう方がいるんだなと、私は世の中知りませんでしたけれども、教わりましたけれども。夫は、「こんなに16時間も外に出て働くようなことをして、何も言わないのかね」と言いました。「替わろうか」とも言いましたね。替わって仕事ができるわけじゃないんですけど。「少しそこをがまんすればいいんじゃないか」と言いましたら、「子供たちが働き盛りになったらもっと悪くなる」と言うんです。定職がなくなったということは、生活が成り立ちませんから、世の中も崩れてきているというところまで来たなと思ったので、もう黙っている時じゃないと。夫が亡くなったのも働きすぎたからじゃないかということもありますけれども、もう失うものがなくなったということです。もうひとつ言いますと、私は父が戦争で亡くなっています。中学生ぐらいのときに母に、「なんで戦争に反対しなかったの」と単純に聞きました。そうしたら母は言いよどんで、何も言わなかったんですね。それを今度、私がその立場に立ったなと思ったので、どこにその切り口があるかと思って。原発のことも、いろんなことが全部吹き出して、いまその時に来たなということで。このチラシをもらったときに、URは自分の30年住んでいるところですから、今日はここに来させていただいて良かったと思っています。URにいる方も私たちも同じところにいる感じがします。

  私は千葉県の浦安市のURに住んでいます。どっちかというと採算のとれる駅前の団地ということで、いま整備して立派になりつつあるんですが、そこから来ました。木下さんのお話がとてもすばらしかったんですが、どのような肩書きといいますか、ご職業ということでこの研究発表をされたのか、お聞きしたかったんです。

木下 私はいまフリーのライターをしています。ただ私は社会人で大学院に入りまして、早稲田の、研究テーマに住宅問題を取り上げて、居住問題をやっていたので、それで今日は報告をさせていただきました。

 監督は「ブライアンと仲間たち」が第1作ということでしたけれど、私は浦安の「9条の会」のことに手を染めているんですが、先ほど、9条の会でもどこかこれを上映されたということなんですけど、私のところでもやりたいなと思っているんですね。それについて、どうしたらいいかは、これが終わった後にお聞きしたいと思います。

 それから、浦安にも「ドキュメンタリー・テーク」というのがありまして、ドキュメンタリー映画を定期的に上映しているグループがいるんですね。そこで「さようならUR」も是非取り上げてもらいたいと思うので、これもまた後で、どんなふうにしたら上映できるのかご相談させていただきたいなと。

ともかく、「さようならUR」というのは、本当に主権者としてこの問題をどういうふうに考えたらいいのかなということも考えさせられましたし、そしてものすごく頑張ってこの作品を作られたなと思って感心しました。ただ内容があまりにもすごくて、素人には疲れましたけれども。でもすばらしい映画だったと思います。ありがとうございました。

 世界の中で住宅政策というか、またはその成功例というか。どうしても住宅を固定的に見がちなわけですけれども、有機体なわけですから、建てられてから生命を持っているわけですよね。私が国外で生活したときに、東南アジアですけれども、シンガポールの住宅政策が非常に私は気に入ったんです。日本は所得そのものは非常に高いと言われつつも、なんでこんなに貧しい住宅にしか住めないのか。住環境は、都市生活とまた田舎の生活は違うところはあるわけですけれども。非常に低廉で人間らしい生活を過ごせるような、また過ごしているような例というのは、あるのでしょうか。

早川 そうですね。あんまり成功例というのは聞いていないんですけれども。私はイギリスに住んでいたんですけど、イギリスって言えば「揺りかごから墓場まで」みたいに良く言われてますけど、サッチャー政権のときにすごく民営化とかが進んで。イギリスの場合は公共住宅として建てられたものが、5年たてば買う権利が発生するようにして、市場にどんどん流していったんですね。だから外見は公共住宅みたいなのがいっぱい並んでいるんですけど、でも中身はどんどん売買されているみたいな。自分がいわゆる公営住宅に入りたいと応募したとしても、たとえばシングルマザーとか障害者とか、ホームレスの状態だとかという人には住宅はあてがわれやすいんですけれども、ワーキングプアみたいな人でも、とりあえず仕事があると、申込みはできるんですけど、20年待ちとか、そういう結果が出て来るんです。ああ、イギリスもけっこう大変な状況なんだなあと、住んでみて思いました。これは人から聞いた話なんですけど、たとえばオランダとかの場合は、住宅政策が環境省のなかにあって、環境の一環として考えられている。だから町との調和とか発展とかと、全部こみで考えている。それはすごくいいんじゃないのかなというふうに思いますけど。

あと私はこの「さようならUR」を韓国と中国で上映したんですけど、中国の追い出しは本当にすごくて、向こうのほうが再開発とかがすごいし、でも立ち退きに抵抗する人もいっぱいいるんですけど。そうすると最終的にはもうビルごと爆破しちゃうんですって。だからこの映画を中国で上映したときに、「URって優しいですね」と言われて、この映画は中国では広まらないかもしれないと思いました。韓国もものすごくて、最後まで立てこもって住民のほうが火炎瓶を投げて、政府は空からヘリコプターで警官を投入みたいな状態になっていたりするんですよ。シンガポールはちょっといいのかも知れないですけど。

5月27日 平権懇学習会の記録2

2012527日、「日本の住宅政策と3.11震災、生存権」と題して、文京区民センターで平権懇の学習会を開催した。会には、20人弱が参加した。最初に木下壽國会員から趣旨説明を兼ねた基調報告(既報)が行われ、その後に早川由美子監督作品「さようならUR」を上映、監督自身による解説と、質疑討論が行われた。「さようならUR」は、耐震性不足を理由に取り壊しが決まった、東京都日野市のUR(旧日本住宅公団)高幡台団地73号棟に住む人々を主人公に、住宅問題の専門家、UR、国交省なども取材、公共住宅の将来を考えるドキュメンタリー。予告編はhttp://www.youtube.com/watch?v=c7A2uPQ2Pm8 で見ることができる。

早川由美子さんのお話

 今日、私の作品を上映していただいた平権懇は、平和運動を中心に活動されているグループだとお聞きしました。私も今回の「さようならUR」というのは2本目のテーマで、1本目の作品は平和運動だったんですね。イギリスはアメリカと同じようにイラクとかアフガニスタンに兵隊を送っていたので、それに反対してイギリスの国会前で座り込みをしていた男性がいたんですけど、10年間1回も家に帰らなくて、国会の前の広場にテントを張って、それで抗議活動をしていた。たまたま私は通りかかって見付けて、「あ、こんなことができるんだ」と衝撃を受けて、それまでビデオとか映画とか全然勉強したことがなかったんですけれども、5万円ぐらいのちっちゃいカメラで1年半ぐらい撮り続けて映画にしたというのが、私の1本目の作品「ブライアンと仲間たち」なんです。

 なんで住宅問題を2本目に撮ったかというと、「ブライアンと仲間たち」は日本でけっこういろんなところで上映してもらえてたんですよ。「9条の会」とか、いろんな社会運動の人たちが上映してくれたんですけど、そういう上映会に私も行くと、社会問題にかかわる人たちの年齢層が高いなと思ったんです。労働問題でもそうなんですけど。なんでだろうと考えたときに、自分と同じ年齢とかもっと下の人たちというと、もう正社員ではなくて、たとえば家を買うとか、そういうのはほとんどもう無理な状態で、みんな派遣社員とか契約社員とか、時給いくらという生活をしていて、ふだんの生活でいっぱいいっぱいになっている。平和運動とか社会運動にわざわざ時間を割いて出かけていくということが、なかなか出来にくい状態であると思ったんですね。

 なので私は、平和運動とかももちろん大事なんだけれども、それ以前に、東京に住んでる人だともう給料の3分の1とか、中にはもう半分近くが家賃に消えている。それを何とかしないかぎり社会は変わっていかないんじゃないかと思ったんです。私自身は映像だけ作ってそれで食べていけてるかというとそれはなくて、居候生活をしているんですね。家賃は請求されているけれども払ってないので、好きなことをやっているという感じなんですけれども。そう考えてみると、やはり家賃の負担がないとか、12万円で済むような生活だったら、もっと人生の選択肢が増えると思ったんですよ。お金にはならないけどやりたいことをやるとか、地域の活動に参加するとか、家族との時間を増やすという、そういうゆとりが生まれてくる。それをいちばん生み出せるのはやっぱり家なんじゃないのかなあと、家賃の問題じゃないのかなあと思って、それで「さようならUR」というのを作りました。

たまたま私が住んでいるのが日野市なんですけれども、住宅問題を調べているなかで、この高幡台団地も日野市にあって、立ち退き問題が起こっているというのを知りました。公共住宅というと庶民の味方みたいな感じですけど、それが、家が余ってると学者の人たちが言って、削減されていこうとしている。でも実際、家は数字上では余ってるけど、私の廻りとか貧乏な人たちにふさわしい広さと価格の住宅は全然足りてないみたいな。中途半端に豪華な住宅が余ってるみたいな状態、すごくミスマッチだと思うんですね。住宅は足りてるし、人口はどんどん減っていくんだから、公共住宅ももういらないみたいなことを言われるのは違うと思って、それでこの問題で映画を作ろうと思いました。

 でも、住んでる人は40年近くこの団地に住んでいて、そうすると70代とか80代の人がけっこういるんですね。インタビューさせてもらったときに、この問題だけじゃなくて、今までの人生とか生き方も聞いていったんですけれども、生まれたときに沖縄戦が始まって、東京に帰ってくるつもりがそのまま沖縄にいたとか、生まれたのが満州だったとか。それまで住宅って自助努力って言われてきて、私もそう信じ込んでいた部分があるんですけど、やっぱりそれ以前に、そのときの国がどういう状態なのかで、私たちの住む場所とか家とか人生というのが、すごく大きく決まると思った。それで私はUR対住民というふうな対立の映画ではなくて、やっぱり住宅っていうのはある程度国の政策とか、そのときの国の考え方によって決まってくるもので、それが回り回って私たちの今の生活にかなり影響しているんだよ、っていうことを言いたくて、事業仕分けとか、国の住宅政策にかかわる大学の先生とかも登場してもらいました。

 この映画のなかで中央大学の先生は、けっこうすごいことを言ってるんですけど、私は成蹊大学の出身なんですが、そのときの先生だったんですよ。法学部だったんですけど、先生の専門は憲法なんです。私はあまりまじめな学生ではなかったので、いったい先生が人権とか生存権とか、そういうことをどういうふうに説明していたかっていうことは全く記憶にないのですが。

 住宅問題の取材をしてみて、私がいちばん問題だなと思ったのは、追い出しというのはある程度強力に進めなければいけないわけですよね、出たくないという人も追い出していかなければいけないわけだから。そうするとやっぱりコミュニティを分断させるというか、団地内の人たちを対立する方向に持って行くのがいちばんやりやすいわけなんですよ。だから73号棟の人たちも、なんであの人たち出て行かないのとか、あの人たちが出て行かないから新しい建物が建たないみたいな感じで、出て行かない人たちが「変な人」扱いされていくみたいな構図があって。それってたとえば米軍基地を作るとか原発を誘致するとか、そういうときに地元の人たちが賛成と反対で分断されて、対立していくようになるのと全く同じ構図だなあと思って。そうやって日本の各地のコミュニティが破壊されていくっていうのが、いちばん問題というか、見ていて本当に悲しいことだなあというふうに思いました。

 去年の3月に73号棟の裁判が始まったんですけど、裁判はだいたい2ヶ月に1回ぐらいのペースなので、まだ続いているんです。次回は7月にあるんですけれども、良かったらぜひ傍聴に来ていただきたいと思っています。私のホームページ

http://www.petiteadventurefilms.com/ にも裁判の日程は書いてあります。あとは、ブライアンは去年亡くなってしまったんですけど、東京で追悼上映会が何回か、来月と再来月に予定されていて、それもホームページに載っているので、良かったら見に来てください。

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