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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2012年7月

2012/07/31

読む・読もう・読めば 121

あたご事件控訴審傍聴記4

76日、第5回公判。この日の証人は2人。1人目は控訴審に提出されている清徳丸の航跡図を書いた横須賀海上保安部の救難専門官で、なんと3度目の出廷だ。航跡作図の元になったのは康栄丸からの視認だが、その康栄丸のGPSプロッターに残された進行方向は船首方位でなく実効進路、等について証言した。

2人目の証人は第一審の横浜地裁に清徳丸の航跡図を提出した宮田義憲・元高等海難審判庁長官。衝突直前の清徳丸が同船の能力を超える速力を出したとしていたことを追及されて、「船の速力は波、うねり、風、潮流などによってバラつきがある、小型船は大型船よりそれらの影響を受けやすい、秒単位で速度を求めると変動要因は大きく働く」と弁明した。「事故当日は凪に近い状態だったから速力の変動幅はせいぜい1ノット以下ではないか」との質問には、「うねり、波が少しでもあれば変わる」と答えた。

次回公判は81日。次々回914日の公判について、検察側は現地勝浦市で康栄丸を動かして検証したいと希望、しぶる弁護側を「東京から勝浦まで特急で1時間半ですから」と説得した。914日は勝浦大漁祭(1619日)の準備たけなわだ。もちろん川津神社の御輿も出る。駅あるいは街道筋から港まで行くのは容易ではないと思われる。また狭い漁船の操舵室に人がたくさん入れるはずもなく、傍聴人は陸に取り残されるのだろうか。

蛇足1。問題のイージス艦「あたご」は艦長交代後の2010710日、ハワイ沖で行われたリムパック(環太平洋合同演習)で、護衛艦「あけぼの」とともに、標的艦を撃沈させる演習を実際に行ったことが、今年の5月になって分かった。標的は退役した米海軍の強襲上陸艦「ニューオーリンズ」で、米・オーストラリア・カナダの艦艇が対艦ミサイルを撃ち込んだのち航空機からの攻撃があり、さらに「あけぼの」が76ミリ速射砲で、「あたご」が127ミリ速射砲で攻撃、「ニューオーリンズ」は40分で沈没した。なるほど、イージス艦はこういうふうにも使われるのか。しかし明らかにこれは「ともに戦う」行為であり、集団的自衛権行使のための演習ではないか。

蛇足2。「あたご」を無罪とし、事故原因は清徳丸にあるとした横浜地裁不当判決以後、こういう主張も出て来るだろうなと思っていたところ、やっぱり出て来た。佐藤守・元航空自衛隊南西航空混成団指令の『自衛隊の「犯罪」 雫石事件の真相!』という本だ(青林堂、20127月刊)。雫石事件(1971年、自衛隊の戦闘機が全日空機に接触、戦闘機のパイロットはパラシュートで脱出、全日空機の乗客・乗員162人は全員死亡)も「あたご」事件と同様に審理すれば、自衛隊側は無罪になるはずだという。『実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』(講談社、2010年)などという本も書いている人だから、と軽視しないほうがいいと思う。  2012730日)

2012/07/23

ライターきのしたの“一言いわせて”

ライターきのしたの“一言いわせて”

木下 壽國

JR脱線事故と井手氏と国鉄改革と

 かつて国内の小さな通信社に在籍していたころ、最も熱を入れた取材の一つが国鉄改革だった。八重洲口鍛冶橋交差点のそば、いまは高層ビルの建っているあたりに立派な国労会館(国労本部)があって、私は連日のようにつめていた。夜を徹して組合員の動きを追ったこともある。ど新人だった私が少しは記者仲間からも認められるようになったのは、この仕事を通じてだったといえる。

 いまはもう取り上げられることもほとんどないが、国鉄改革は当時もっとも社会的関心を集めるできごとだった。テレビも新聞もメディアは長期にわたり連日のようにこの問題を大きく取り上げた。関連文献に目を通してもらえればわかってもらえるだろうけれども、現場ではすさまじい人生の愛憎劇が繰り広げられた。それを身近にいて見続けた私は「これは本当に戦国時代ではなく、現代の話なのか」と青空を見上げながら何度も思ったものだ。誇張ではない。実際にそう感じたのだ。

日教組、全逓と並んで総評ご三家の一角を占めていた国労(国鉄労働組合)は、“たたかう労働組合”だったことに加え国鉄改革に真っ向から反対したこともあり、「国家的不当労働行為」のターゲットとされ、政府や国鉄当局から徹底的な弾圧(組合つぶし)を受けた。北海道や九州では、心を引き裂かれる思いで、家族を地元に残し本州への広域配転に応じた組合員も大勢いた。有名な「人活センター」も国労などの分裂を狙った露骨な組合差別だった。労働者の間では「(職場を)去るも地獄、残るも地獄」とささやかれた。職場で最大最強だった国労は、結果として完全な少数組合に追い込まれた。

その改革を国鉄内にいて主導したとされるのが、松田昌士、葛西敬之、井手政敬という、いわゆる「国鉄改革3人組」だった。国労の中では「3馬鹿」と呼ばれていた。

そのうちの1人、井手氏の姿を久しぶりに新聞紙面で見かけた。JR福知山線脱線事故をめぐる76日の強制起訴裁判の初公判の記事だ。それによれば、井手氏は強制起訴の段階になって初めて被害者の前に現れた。「これまで、JR西日本の幹部が何度頼んでも、毎年425日の追悼慰霊式や被害者説明会に出てこなかった」(76「朝日」夕刊)という。同氏は、公判で事故への謝罪は口にしながら、起訴内容については否認した。遺族の1人は「申し訳ないという言葉が空々しく聞こえた」と述べている。遺族の心の痛みをわがこととして受け止める良心が、同氏にははたして残っているのだろうか。

思い返せば、国鉄改革を成し遂げ、JR会社の幹部に就任したころ、同氏は絶頂の時期にあったのかもしれない。労働者の人権を踏みにじり、困難な国鉄改革を成就したことで、おおいに意気軒昂だったのだろう。しかし、新しく発足したJR西日本では調子に乗ってもうけ本位の経営に走り、悲惨な事故を引き起こす誘因をつくったと推察される。その責任者としていま法廷に引きずり出されることになった。天網恢恢疎にして漏らさず。いわばこれは同氏の人生にとって、遅れてやってきた国鉄改革の総決算なのだ。負わなければならない責めは大きい。

とげのあるまなざしで同氏を見つめているのは、事故の被害者らだけではない。国鉄改革のあらしの中で人生を翻弄されもみくちゃにされた人々の苦痛に対しても、この際、同氏は真しに向き合うべきだ。そのすべてを償うことなど、とうていできることではないが、少なくとも心に降ろすことのかなわぬ十字架を背負って、残り少ないだろう人生を歩いてゆかねばならない。

(きのした としくに/ライター)

2012/07/06

情報保全隊監視差止訴訟控訴審開始へ

イラク自衛隊派兵差止訴訟の関連である、自衛隊情報保全隊監視差止訴訟は今年の3月に仙台地裁で画期的な勝利判決を得ました。この訴訟の控訴審が9月に始まります。その対策会議が8月10日に開かれることになりました。私も参加します。どなたでも参加できます。参加を希望される方はお知らせ下さい。

携帯電話 090-5341-1169 杉山 隆保

場所  仙台弁護士会館301号会議室  

懇親会 午後6時45分~  弁護士会館の近く 

議題

1.情報保全隊監視差止訴訟控訴審(第1回弁論/9月21日)対策

   控訴理由書・答弁書など、主張に関する意見交換

   裁判所の訴訟指揮・当方の立証などに関する意見交換

   秘密保全法に反対する取り組みなど世論喚起・市民運動との関係

2.自衛隊・憲法9条をめぐる最近の情勢

   情報提供と意見交換

   森元防衛大臣(「背広を着た軍人」)の下、情勢の展開予測。我々の取り組みの視点。

3.レンジャ-部隊訓練差止仮処分のたたかい

   担当した種田弁護士(64期/参加してくれます))の特別報告と意見交換

4.その他

2012/07/01

読む・読もう・読めば 120

『国富論』を読む

アダム・スミスの主著を『富国論』として翻訳したのは石川暎作(M17年)であり、これを『富国論』として新たに翻訳したのは大内兵衛(S15年)だった。原題はAn Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations、初版は1776年だからアメリカ独立戦争中ということになる。大河内一男の解説(中央公論社『世界の名著』31巻)によれば、「日本くらいアダム・スミスが広く読まれている国も珍しい」、それは、昭和初期の思想統制下ではマルクス『資本論』を読み講義することが難しかったから、ということだ。たしかに商品、分業、地代、資本などの概念は、スミスを読んだあとでマルクスを読むほうが、最初から『資本論』に取り組むよりずっと分かりやすいだろう。労働価値説はスミスからリカードに引き継がれ、マルクスが完成させたという。だからスミスをマルクスの入門書として読んでいた時代があるわけだ。はるかな昔になってしまったけれども。

いま『国富論』を読んで興味深いのは、もともと倫理思想の研究者でもあったスミスが、イギリス帝国の脆弱性について深く洞察していたことだ。当時はまだ東南アジアとの貿易を独占したオランダのほうが英国より経済力は上だったし。というわけで、巻末で、次のように書いている。「グレート・ブリテンの支配者たちは、過去一世紀以上ものあいだ、われわれは大西洋のかなたに大帝国をもっているんだという想像で国民をいい気持にさせてきた。しかしながら、この帝国なるものは、いまにいたるまでただ想像のうちにしか存在しないものであった。」ここでいう「大西洋のかなた」はアメリカのこと。そして、「もし、大英帝国のどの領土にせよ、帝国全体をささえるために貢献させられないというのなら、いまこそグレート・ブリテンは、戦時にこれら領土を防衛する経費と、平時にその政治的、軍事的施設の一部なりとも維持する経費とから、みずからを解放し、未来への展望と構図とを、その国情の真にあるべき中庸に合致させるようにつとめるべき秋なのである。」強大な軍に支えられた帝国は長持ちしないと言っている。大英帝国興隆のときにそう言っている。国防費にかんする記述部分とあわせて、いま仲良く並んで没落しつつある帝国同士、米国と日本の政治家たちに読ませても仕方がないが、中国の次世代の人々に読ませたい。  2012630日)

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