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  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2012/09/23

領土問題とは何か

領土問題とは何か
2012 年9 月20 日大内要三(日本ジャーナリスト会議会員)

領土問題の根源


北方4 島、竹島、そして尖閣列島。このところ日本の領土に関するニュースが連日、報道されています。日本は国境・領土問題について、ロシア・中国・朝鮮半島という3 つの方面で当事国と見解を異にしており、その対立が民主党政権末期のいま、目に見える形で明らかとなっているわけです。この3 方面の問題はそれぞれ独自の歴史的経緯があります

が、それらの元をたどると、次の4 つの点で共通しています。

1.東アジアの国々の中で日本がいちはやく近代国家となったこと

2.サンフランシスコ講和条約に領土に関して不明確なことがあったこと

3.戦後日本の外交政策が米国追随であったこと

4.米国が意図的に日本と近隣国の間に紛争の種を作ったこと

以下、まずこの4 点についてご説明します。

近代国家・日本の領域

1868 年、明治維新。この年号は覚えておられる方が多いと思います。1853 年のペリー来航から日清戦争(1894-95 年)・日露戦争(1904-05 年)あたりまでの日本の近代史の始まりを考えてみますと、まず日本のどの一部も、英米露仏のどこの植民地にもならなかったことは、希有なことではありました。尊皇攘夷運動の指導者たちがいちはやく開国・文明開化路線に切り替えたことがその一因ですけれども、幕末に日本植民地化を狙っていた国々が、インド大反乱(1857-59 年)、南北戦争(1861-65 年)や普仏戦争(1870-71 年)のため日本に介入している余裕はなかった、という国際情勢が幸いしたと思います。

江戸時代の日本は「鎖国」をしていたと言われますが、中国・朝鮮・オランダとの交易のほか、アイヌ・琉球を通じても世界とつながっていたわけですから、決して国を閉じていたわけではありません。「海禁政策」、つまり外国との交易・交流の許認可を幕府が厳しく統制していただけ、と見るのがいまの歴史学界の見方です。またこのような外交政策は日本独自のものではなく、近代以前の国家では常識でした。朝鮮でも中国でも、自由貿易などというものはあり得なかったのです。ですから吉田松陰は無断で外国に行こうとしただけで死刑になりましたし、朝鮮の安龍福は無断日本渡航による死刑を免れるために「日本の将軍に鬱陵島・竹島が朝鮮領であることを保障させた」と偽証して、英雄となったのです。

明治「維新」によって近代国家としての歩みを始めた日本は、すぐに国境画定問題に直面します。樺太・千島交換条約によって平和的に領土問題を解決したのを例外として、以後は戦争によって領土を拡張・確定しました。

日清戦争の結果として台湾を領有すると同時に、沖縄が日本領土であることを確定した。琉球王国は日本・中国の双方に対して臣下の礼を取っていましたから、沖縄が日本領となるか清国領となるかは微妙なところでした。薩摩藩による琉球侵攻(1609 年)、維新政府
による琉球処分(1872-79 年)が先行したために、実効支配者として日本が有利だったのでしょうか。日本政府は清国との国境確定交渉では1880 年、先島(宮古島から先、与那国までの沖縄)を清国領とする提案もしています。日清戦争によってこの提案はチャラになったのですけれども。

日露戦争の結果、細かいことは省きますが、日本は南樺太を獲得し、朝鮮への「優越権」を獲得しました。もともと、日露戦争が朝鮮・満州の権益をめぐる戦争であったことは最大の激戦地が旅順であったことからも分かりますし、日本海海戦はまさに鬱陵島・竹島付近で行われました。

朝鮮・中国が近代国家としての歩みを始めるに先立って日本は近代国家となり、同時に列強による帝国主義的植民地獲得競争に加わりました。日露戦争以後は朝鮮・中国の植民地化を進め、第1 次世界大戦に参戦することで南洋諸島の国際連盟委任統治権も獲得します。このような経緯を見ますと、近代国家日本の国境確定は帝国主義的植民地獲得と同時に、戦争を伴って進められたわけで、細かく見ればどこまでが日本「固有の」領土なのかは、たいへん微妙な問題であるわけです。

さらに問題なのは、近隣国との日本の国境確定交渉は、その地域の生活者である旧アイヌモシリ、旧琉球国などの人々の意向を無視して行われていることです。言い方を変えれば、帝国主義日本の成立は、国内植民地の成立と平行して行われたことになります。

敗戦後日本の領域


現在の日本の領域を定めたのは1945 年のポツダム宣言と1952 年発効のサンフランシスコ講和条約です。この宣言・条約は、日本が侵略戦争によって不当に獲得した領土と平和的に領有している領土の仕分けをしました。この仕分けが公平であったかどうかはもちろん問題ですが、ポツダム宣言を受諾することで停戦となったわけですし、公式には講和条約の成立によって戦争は終結したわけですから、ポツダム宣言・サンフランシスコ講和条約を否定することは戦争状態に戻ることになります。

そのポツダム宣言は、敗戦後の日本の領域を「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」としていました。サンフランシスコ条約2条は日本の放棄すべき領土として台湾、朝鮮、千島などを挙げ、3 条は沖縄を国際連合の委任統治領となるまでの間は米国支配下に置くとしていますけれども、あまり細かいことは書いてありません。ですから歯舞・色丹も、竹島も、日本が放棄すべき領土なのか保持すべき領土なのか、不明確なままに残されました。あとは当事国との外交交渉で、という
ことになります。

しかしサンフランシスコ講和条約は、冷戦の深化のなかで、片面講和となりました。ソ連は講和会議には出席していますが、講和条約には調印しませんでした。中国については、米国ほかが中華民国を支持し、英国ほかが中華人民共和国を支持したため、どちらも講和
会議に参加できませんでした。朝鮮は日本の植民地下にあったわけですから、講和会議で独立を認められたものの、もちろん講和会議そのものに出席はしていません。

このため、歯舞・色丹が日本の放棄すべき千島に含まれるかどうか、そもそも千島のソ連帰属が正当かどうかというあたりは、サンフランシスコ条約後の日ソの外交交渉に任されたことになります。しかしソ連は講和条約に調印せず、冷戦下では日本の仮想敵国でしたから、交渉は難航します。1956 年に日ソ国交が回復しますけれども平和友好条約はいまだ成立せず、領土問題は棚上げのまま現在にいたっています。

竹島は日本の放棄すべき鬱陵島に付属するかどうか。これは領土問題に伴う漁業海域問題として扱われます。南朝鮮と日本をともに支配した占領軍は1945 年、マッカーサー・ラインを設定して日本漁船の操業海域を制限しました。韓国の李承晩政権はサンフランシ
スコ条約後もマッカーサー・ラインを引き継いだ李承晩ラインを設定して、竹島もその内側に取り込みました。以後、李承晩ラインを侵犯したとして韓国軍に拿捕された漁船は328隻、銃撃・沈没による日本漁船乗組員の死者は44 名に及びます。まことに非道なことですが、朝鮮戦争があり、済州島武装蜂起事件があって、朝鮮半島をめぐる海はたいへん緊張していた背景を見る必要があると思います。

1951 年から65 年までかかった日韓条約交渉で日韓間の公式外交は成立して李承晩ラインは消滅、日韓共同管理の暫定水域が設定されましたけれども、このときには竹島の領有については棚上げとされました。ただし竹島の韓国による実効支配は続いていますし、竹島周辺での日本漁船の操業はできないままです。

日韓基本条約でまた問題なのは、朝鮮半島の唯一正当な政権として韓国を認知した、つまり北朝鮮は共産主義者によって不当に支配されている地域として認知したということです。拉致問題が起こるはるかに以前から、北朝鮮にとって日本は敵対国家であって、もちろん公式な国交が成立したことはありません。その北朝鮮もまた、竹島の領有を主張しているのです。

尖閣諸島はどうか。サンフランシスコ条約で尖閣が沖縄に含まれるかどうかは、名前をあげては明記されていません。しかしサンフランシスコ条約の結果、尖閣諸島を含めた沖縄が米国軍政下に入り、尖閣諸島の一部が米軍の射爆場となったことに対して、中華民国政府も中華人民共和国政府も、異議を唱えたことはありません。両政府が尖閣諸島の領有を主張したのは、1968 年に国連アジア極東経済委員会(現・国連アジア太平洋経済社会委員会)が周辺海底に石油等の資源が存在する可能性があるという調査結果を発表し、さらに沖縄返還協定によって尖閣諸島を含めた沖縄が日本に返還されることが明確になった1970 年以降の話です。

このような経過を見てみますと、日本の「領土問題」が冷戦構造に深く規定されたものであることが良く分かります。ソ連の崩壊によって世界の冷戦構造はなくなりましたけれども、東アジアではまだ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の分断という冷戦構造があり、中華人民共和国(中国)と中華民国(台湾)の分断という冷戦構造があります。日本は2 つの分断「国家」の、それぞれ片方としか国交を開いていないのです。ソ連が領土交渉になかなか応じなかったのも、北方4 島を日本に返還すればただちにそこに米軍基地が建設されると考えたからでしょう。日本の領土問題解決は、東アジアの平和確立と不可分に結びついていることを知らねばなりません。

日本外交の貧困

次に、戦後日本には独自の外交政策というものが成立しがたく、米国追随に終始していることを述べようと思いましたが、幸いにいま元外交官の孫崎享さんが『戦後史の正体』という本を書いて、この問題を詳しく、たいへん分かりやすく述べておられ、なるほどと思わされることが多々あります。また、同じく元外交官の佐藤優さんが精力的に著作活動を続けておられます。ですから、これらを読まれるほうが外交というものをリアルに理解できると思います。

ただし肝心のところでは、これらの著述がどこまで正確であるかは、日本政府が日ソ・日中・日韓の交渉記録を公開していない現在、誰にも、もちろん著者たちにも確認のしようがありません。双方の当事者の証言や、相手側の発表から類推するほかはない、ということでは、日米安保をめぐる密約問題と同じことです。

紛争の種をまいたのは米国

全千島はともかく、誰が見ても北海道の一部である歯舞・色丹が今なお返還されないのは何故か。それは米国の横やりが入ったためです。この件については孫崎さんの本以前にもすでに多くの証言が公表されています。1956 年の日ソ交渉でソ連側が歯舞・色丹の返還を了承し、この線で妥結しそうになったとき、米国は国後・択捉も含めた4 島一括返還でなければ妥結するなと日本政府に圧力をかけました。以来、「北方領土」問題は膠着して、ロシアの実効支配が進んでいます。すでにロシア人入植者も代替わりしており、日本側旧島民がもとの地所に帰れる可能性は限りなくゼロになっています。

米国は、2 島返還で妥結するなら沖縄は永久に返さない、と圧力をかけました。日ソの間に紛争の種を残しておき、自衛隊の仮想敵をソ連としておきたかったのでしょう。自衛隊はソ連軍が太平洋に進出することを監視・防止する役割を果たし続けました。歯舞・色丹・国後・択捉の4 島を「北方領土」と呼ぶこと自体、この1956 年からのこ
とです。要するにこれは4 島まとめての返還運動でなければならない、という政治的な用語です。2 島返還を急ぎ他は交渉の余地を残しておく、というほうがずっと現実的だったのではないでしょうか。それをさせなかったのが米国です。

竹島に関しては、米国はいちどだけ日本のものと認識したことがあります。サンフランシスコ条約の文案を作成する途中の1949 年、鬱陵島は朝鮮のもの、竹島は日本のもの、と判断しました。しかし李承晩側からの抗議で撤回されたものの、日本が放棄すべき領土のなかに竹島を明記する要求も米国は拒否しました。

そして断続的に延々と続いた日韓条約交渉。長引いたのは日本側の植民地支配への反省が不足していたためもあります。米国は休戦状態の朝鮮戦争が再開した場合に備えて日米韓の共同作戦体制をつくる必要もあって、日韓交渉の最終場面に介入、竹島の帰属を棚上げにした日韓基本条約が結ばれました。米国はここでは日韓のどちらにも良い顔を見せなければならなかったのです。

そして尖閣諸島。うち2 島は米海軍が射爆場として使っていましたが、日本への沖縄返還以後はまったく使用していません。それでも日本政府は地権者から賃借して米軍に供与することを続けてきました。国有化となれば借地料は不要になります。日本からの供与を受けているわけですから当然、米国は尖閣を日本領と認識していることになりますが、1970年以降、台湾・中国が尖閣領有を宣言して以後は、米国は尖閣の帰属についての判断をわざと保留しています。たとえば2010 年9 月23 日、米国のベーダー国家安全保障会議アジ
ア上席部長は「尖閣諸島をめぐる日中の領土紛争に関与しない」と言っています。

見てきたように、米国は日本とロシア・中国・韓国の間に意図的に「領土問題」を残して、米軍の日本駐留の理由としてきたのです。では本当に米軍は日本領土を守るため助っ人に来てくれるのか。
米軍は頼りになるか米国にとって、日米安保条約と地位協定によって在日米軍基地を自由に使えることは、たいへんありがたいことであるはずです。これがなければ朝鮮戦争やベトナム戦争はもちろん、イラク戦争もできなかったはずですから。米軍はこのような待遇を受ける見返りとして、敵が日本に攻めてきたときに日本防衛を手伝ってくれる、はずでした。日米安保条約第5 条には、次のように書いてあります。

「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動する」

このうち、「日本国の施政の下における」というのがくせものです。日本が実効支配をしている地域に関してしか安保条約5 条は適用されません。したがってロシアが実効支配している北方4 島も、韓国が実効支配している竹島も、安保条約の適用外です。また尖閣諸島については米国は、安保条約の適用範囲であると何度も明言していますけれども、日本の実効支配がなくなれば話は終わりです。

尖閣の日本実効支配と言っても、簡易灯台を立てただけで住民もなく全く使用していない状態が実効支配と言えるか、と主張する中国が、たとえば尖閣に軍を派遣して上陸・占領した場合、米軍はただちに奪還作戦に参加してくれるのか。それはあり得ません。なぜなら沖縄の海兵隊を含めて、在日米軍には日本防衛の任務をもつ部隊は皆無だからです。

1978 年の日米防衛協力指針(ガイドライン)で、日本防衛は基本的に自衛隊の仕事、米軍は有事来援、となりました。事実上の安保改定です。さらに1997 年の新ガイドラインでは、自衛隊は周辺有事(たとえば朝鮮半島や台湾海峡での紛争)の際には米軍を支援しながら日本防衛をすることになりました。すでに安保条約は米軍に日本を守ってもらう条約ではないのです。

いま米国は日本と第3 次ガイドラインを結ぶ準備を進めています。周辺有事での米軍支援どころか、北朝鮮対応、中国の太平洋進出対応で、もっと自衛隊の役割が重くなることが考えられます。2010 年の新防衛大綱以後、自衛隊は南方にシフトして離島防衛演習を繰り返していますけれども、これは自国は自分で守るという以上の意味があるのでしょう。

グアム・サイパンに日米共同の軍事基地をつくる計画も進んでいます。

つい最近、元海上自衛隊の対潜哨戒機パイロット・元統幕学校副校長の川村純彦さんが、『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力』という本を書きました。最終章はフィクションとしての「日中尖閣沖海戦」ですが、ここでは自衛隊は独力で潜水艦同士のバトルまで行い、中国軍に完勝する結末になっています。元自衛隊幹部は、尖閣紛争で米軍が出動するなどあり得ないことをよく知っており、また自衛隊の戦力が核を除けば非常に高いことを自覚しているのです。

領土・領海・領空

米軍が助けに来てくれないなら、自衛隊はどのように不法入国・領土侵略に対応するのか。そのシステムを説明する前に、領土についての国際法の基本的な決まりについて説明しておきたいと思います。

領土とは、その国の主権(統治権)の及ぶ範囲です。その国の政府が政治を行い、教育を行い、税金を取り立てる等々の権限を持っている地域。日本は島国で国境線はすべて海上ですけれども、これは世界では少数派で、ふつう国境は地上にあるものですね。

領土の先、主権の及ぶ範囲の海が「領海」です。かつては海岸から3 海里(1 海里は1852メートル)までという慣例がありましたけれども、これは「大砲の弾が届く範囲」という牧歌的なものでした。現在では1994 年発効の国際海洋法条約3 条で、12 海里を超えない範囲、と決められています。この条約はきわめて重要な国際法ですけれども、批准しているのは161 か国、調印はしたけれども議会が批准していないのは18 か国、この18 か国のなかには米国と北朝鮮があります。

隣国との間の海が幅24 海里以下だったらどうするか。ちゃんと同条約15 条に、中間線とする、という規定があります。陸から12 海里といっても、満ち潮のときと引き潮のときでは違うではないか、海岸線が入り組んでいるときはどうするか、などという疑問に答える細かい規定もありますが、ここでは省きます。

領土・領海の上空が「領空」です。ただし大気圏内という、高さの制限があります。大気圏外については1966 年の宇宙条約で、領有や軍事使用が禁止されています。しかし現実にはミサイルや軍事衛星が実用化されていますから、宇宙条約はかなりザル法です。また民間航空機が各国の領空を飛ぶのにいちいち通過の許可を得ていては面倒ですから、1944 年の国際民間航空条約で航路とその運用について決められています。軍用機は別で、無断領空侵入をすると、撃墜されても文句は言えません。

日本のような海洋国にとっての問題は、領海のそのまた先です。国際海洋法条約33 条に「接続水域」の規定があります。外国船がいきなり領海に入って来ないよう、領海の外縁、陸から24 海里までを接続水域として、ここでは領土・領海内での通関、財政、出入国管理、衛生上の違法を防止し、違反者を処罰することができます。隣国との海が幅48海里以下の場合、今度は中間線ではありません。見解の相違があれば国際司法裁判所規定に基づいて合意を求めることになっています。

領海または接続水域で違法行為を発見した場合、これを取り締まる船は違法船を他国の領海外までは追跡することができます。国際海洋法条約111 条に定められた「追跡権」です。他国の領海内に逃げ込まれたらそれで終わりです。

接続水域のさらに先があります。国際海洋法条約57 条に定められた「排他的経済水域」です。海岸から200 海里まで。この範囲では、天然資源の探査・開発などの権利を持ちます。日本は最南端の島として、高潮時には海上16 センチしかない沖ノ鳥島を領有するおかげで、かなり排他的経済水域を広げていますけれども、中国・韓国はこれは島でなく岩にすぎないと、クレームをつけています。

空の場合の民間航空の場合と同様、海の場合も通過するだけなら黙って領海に入ってもかまわない、という規定があります。国際海洋法条約17 条に定められた「無害通航権」です。通過するだけなら、ということですから、他国の漁船は無断で操業することはできませんし、もちろん資源探査や測量はできず、潜水艦は浮上して旗を掲げて通らなければなりません。

以上、少々複雑になりましたが、領土についての国際法の基本的な決まりの説明を終わります。漁業資源だけでなく海底資源の採掘技術も高くなってきたいま、海の領有権紛争が多くなり、それだけ国際法も細かくなってきたことがお分かりでしょうか。領有する陸海空をどのように統治するか、取り締まるかが問題です。

自衛隊はどう対処するか

前記の川村純彦さんは同書の末尾に、「警察と同様の法律によって行動を縛られる自衛隊を一日も早く諸外国なみの軍隊にして、その能力を十分に発揮させることこそ、今後の日本の防衛において不可欠な要件である」と書いています。これはどういうことか。

自衛隊法84 条は、領空侵犯への対処を定めています。事前通告のない不明機が領空に侵入しようとしたとき、航空自衛隊の戦闘機がスクランブル(緊急発進)をかけて、警告し、退去をうながし、従わない場合は強制着陸を求めます。幸いに強制着陸あるいは撃墜にまで至った例はありません。ただし1976 年にはソ連のミグ戦闘機が亡命を求めて函館に着陸したことがあります(ベレンコ中尉亡命事件)が、このとき航空自衛隊のレーダーはミグを発見していなかったため、大騒ぎになりました。

領空侵犯を防ぐためには、それより外側で警戒しなければなりません。しかも戦闘機は音速を超える速度で飛びますから、早い対応が必要です。そのため自衛隊は、1945 年に米軍が日本の外縁に設定した防空識別圏、(ほぼ200 海里の現・排他的経済水域に等しい
範囲まで)を引き継いで、ここに侵入してきた機に対してスクランブルをかけます。日本の防空識別圏に、北方4 島と竹島は入っていません。西では与那国島の上空を防空識別圏の外側線が通っていましたが、2010 年5 月、米国との普天間協議のなかで変更され、台
湾と与那国の間の海上に移されました。

スクランブル機は4 航空基地で各2 機が24 時間待機、5 分以内に出動できるようになっています。必ず2 機がセットになっているのは攻撃を受けたときに反撃できるようにするためです。平時の自衛隊の武器使用基準は警察官職務執行法を準用することになってお
り、警告射撃はできても危害射撃(相手に向かって撃つ)は、身の危険を感じたときの正当防衛以外はできません。ですから相手が攻撃してくれば味方の1 機には当たる可能性が高く、反撃にはもう1 機が必要、ということです。

海の場合はどうか。自衛隊法に「領海侵犯対処」の項目はありません。領海侵入を取り締まるのは海上保安庁の役目です。ですから1999 年の能登半島沖不審船事件のときも、2001 年の南西海域不審船事件のときも、まず海上保安庁の巡視船が対応しました。1999
年事件のあと海上保安庁の武器使用基準が改められたため、2001 年事件では巡視船は不審船の船体を狙って危害射撃を加えました。そのため逃げられないと判断した不審船は自爆して沈没したのです。

海上自衛隊が海上における治安維持のために出動するには、総理大臣の承認のもと防衛大臣が「海上警備行動」を命じる必要があります。自衛隊法82 条によれば、海上警備行動では「人命・財産の保護、又は治安の維持」のためには武器を使用することができます。

実際に発動されたのは、1999 年不審船事件、2004 年の中国原潜領海侵犯事件、2009 年以降のソマリア海賊対処派遣、の3 回だけです。

以上に見たように、自衛隊の武器使用は厳しく制限されています。尖閣諸島に対しても、海上自衛隊の派遣を控えています。弱腰だと非難する人もありますが、慎重に対処しているからこそ武力紛争になることが避けられています。中国側も正規の人民解放軍海軍は出
動せず、農業部漁業局に所属する漁業監視船「漁政」と、国土資源部国家海洋局に所属する「海監」が出て来ているわけです。海監の船はけっこう大型で軍艦の転用もあり、武装していますけれども、あくまでも軍艦ではありません。ここに自衛隊が出れば必ず中国海
軍が出てきます。

尖閣諸島への不法上陸、あるいは領海での外国漁船の不法操業は、警察力(海の警察力が海上保安庁です)で取り締まるべきものであって、自衛隊の出番ではありません。

平和な海を

石原慎太郎東京都知事が尖閣諸島を買い取ると発表した本年4 月以降、中国側の対応には異常なものがありました。それに煽られたように見える中国民衆の反日行動は、常軌を逸していると思います。しかし日本国内で同じように反中行動・嫌中行動をとることほど
愚かなことはありませんし、煽る日本マスコミも異常です。最近の中国の対応には、政権交代期の権力争いが反映していると思いますし、中国民衆のデモも反日と反権力の両方の意味を持っているようにも思います。毛沢東の肖像を掲げた反日デモとは何なのか。中国
国内事情の分析は私の能力を超えますが。韓国の場合も、李明博が政権存続をかけて竹島上陸のパフォーマンスをしたわけですね。あちらの事情です。

私が7 月15 日にねりま九条の会でお話ししたことをまとめた文章(「憲法と安保のあいだ」、同会ウエブサイト掲載)では、尖閣問題にも触れています。加えて急ぎこの文章をまとめたのは、このような状況のなかで、「領土」問題に関しての基礎知識を身につける必要を感じたからです。長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございます。ご批判、ご感想をお待ちします。

なお、9 月18 日付朝日新聞夕刊に掲載された、八重山漁協の上原亀一組合長のコメントは、社会面最下段で目立たないけれども、たいへん貴重なものした。引用します。「中国漁船が攻めて来るかのようなイメージを流すのは、日中ともにやめてもらいたい」「大半の船は禁漁期が明けたので出漁しているだけだ。毎年の光景なのに」「ぼくらが求めているのは魚釣島への避難港の整備。でも、あそこが『争いの海』になれば、すべてにブレーキがかかる」

主な参考文献〇印はおすすめ本
川上健三『竹島の歴史地理学的研究』古今書院、1996 年(初版は1966 年)
〇和田春樹『北方領土問題』朝日選書、1999 年
(担当編集者は私ですが、すでに品切れ・増刷未定状態のようです)
下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004 年
〇内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2007 年
富坂聡『平成国防論』新潮社、2009 年
防衛システム研究所編『尖閣諸島が危ない』内外出版、2010 年
子どもと教科書全国ネット21『竹島/独島問題の平和的な解決をめざして」つなん出版、
2010 年
〇松竹伸幸『これならわかる日本の領土紛争』大月書店、2011 年
(同書66-67 頁で排他的経済水域200 海里を「3700 キロ」としているのは誤りで、正しく
は約370 キロです。私はこれを出版社に指摘しましたが、無視されました)
山田吉彦『日本国境戦争』ソフトバンク新書、2011 年
孫崎享『日本の国境問題』筑摩新書、2011 年
〇孫崎享『戦後史の正体』創元社、2012 年
佐藤優『国家の「罪と罰」』小学館、2012 年
川村純彦『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力』小学館101 新書、2012 年
その他、防衛省、米国防総省、外務省、島根県、などの文献はそれぞれのホームページで参照しました

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本論の趣旨とは別になるが、現代中国の国境問題・領土問題について歴史的事実を確認しておきたい。1959年から62年にかけて断続的に続いたのがカシミール地方での中印国境紛争である。中国が先制攻撃し優位に立ち実効支配した。1954年の周恩来とネルーの間に結ばれた「平和五原則」を全く無視したわけである。領土・主権の相互尊重、不可侵、内政不干渉、互恵、平和共存という「五原則」は今日あらためて想起しておきたいものだ。次の中ソ国境紛争は記憶にも残っている。1969年3月、アムール川(黒竜江)のダマンスキー島(珍宝島)を巡る武力対決である。新疆ウィグル自治区にも波及し、近年になってソ連・ロシア側が大幅に譲歩して解決をみた。ベトナム戦争末期の1974年に起きたのが西沙諸島(パラセル諸島)を巡る南ベトナムとの局地戦。中国の圧勝であった。現在もまだ対決が続いているのが南沙諸島(スプラトリー諸島)。中国は南シナ海の領有権を主張し、ベトナム、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ブルネイと対立し、岩礁に構造物を建て、この海域では圧倒的な軍事力を背景に実効支配を進めている。こうして見ると尖閣を巡る中国の対応もある種の一貫性を持っているとも言える。

中国の軍事力増強について、最新のニュースは空母正式配備を伝えている。空母「遼寧」だ。“空母”と自称しているが、しかし、実態は少し異なるようだ。もともとは旧ソ連の「重航空巡洋艦」ワリャーク(バイキングのロシア語)で、Show the Flagには有効だろうがヘリは別として固定翼搭載機の目処は立っておらず実戦に使えるレベルには程遠いというのが専門家の見解。過剰に反応すべきではあるまい。

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