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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

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2013/09/28

脱原発テントの実情と今後の見通し

脱原発テントの実情と今後の見通し

正清太一

2013829日 平権懇学習会報告

 テントひろばができるまで

 いろんな形で研究や勉強をしていらっしゃる方が多いので、今日はぜひ勉強させてもらいたいことが多いんですけれども、これまでの経過をまず簡単に申し上げておきます。

経産省前テントの立ち上げは一昨年の911日ですから、今年の911日が来ると3年目に入ります。2011911日は日曜日でしたけれども、皆さんの呼びかけで「人間の鎖」を経産省でやろうという動きがあって、それに私どもも全面的に協力したんですが、たしか2時から5時までという予定だったと思います。「5時になったら家に帰るのか、俺は嫌だ」いう人がありまして、座り込みだ、やれテントだという話はじつは23日前から出ておりました。経産省に対する抗議の決議文みたいなものを渡そうとしたんですが、経産省は日曜日だから誰もいませんと断ってきたので、ふざけるなという話になって、そういういくつかの刺激があって。

私どもというのは「九条改憲阻止の会ですが、安倍が最初に総理大臣になったときに、九条を変える、憲法を変えるという話が出て、冗談じゃないということで、主として60年安保、70年安保の学生運動の経験者、ほとんどみんな現職を辞めている人が多いから、その人たちが集まって始めたということです。

私の経歴ですが、社会党の練馬の区会議員を1967年から12年間、やっておりました。議員を途中でしたが社会党を飛び出して、江田三郎さんがつくった社会市民連合に入りました。菅直人さんとか江田五月さんとかは、われわれが育てたということです。

当時は原発問題について、自民党から共産党まで、平和利用はいいじゃないかという状況があった。社会市民連合をつくりましたら、関西から促進派と反対派と両方が出て来たんですね。一緒にこの問題をやろうということで、杉並で原水爆禁止運動を始められた方とか、そういう方々に来てもらって、勉強をさせてもらった。そして日本の政党としては初めて、原子力発電はやめるべきだという政策を打ち出したのが、78年です。

当時の社会民主連合には、田英夫さん、秦豊さん、楢崎弥之助さんとか、わりと有名な人たちに参加していただいていました。その後、福井県の小浜でがんばっている中嶌哲演さんなんかともつながりができました。

その間、私はもう自分の生活で精一杯だったんですけれども、たまたま私の明石書店社長の石井君が昔の友人で、ばったり会ったら「お前、俺のところに来ないか」と言う。「年金だけちゃんとやってくれるならいいよ」ということで、あそこで8年ばかり働きました。70歳になったところで辞めました。

先ほど申し上げました「九条改憲阻止の会」は国会の動きに合わせて、国会前に座り込むとか、いろいろな形で活動していたんですけれども、11年の311日に津波と原発事故が起こって、13日に水素爆発で放射性物質が大気中にばらまかれた。それで僕らの内部でも相当議論をしました。街頭宣伝とか何かで金を集めて赤十字に持っていったらどうだという話もあったんですが、いやそれは違う、昔の足尾鉱毒事件を考えろ、とにかくまず現場に行って現場の状況を分かって、その上で政府に対して、あるいはみんなに対してもの申すことが必要だということになりました。

3月の末、福島に支援活動という形で、箱根の強羅から水を1トン積んで、夏ミカンを1トン積んで、それから野菜を積んで行きました。そういうことで、私は約半年ばかりの間に都合8回ばかり、ポンコツの2トントラックで行ってまいりました。それで現地の状況をよく勉強させていただいた。そういう背景があって初めて、半年後の911日に経産省前のテントが立ち上がったということです。

十月十夜がんばる

いま私と淵上太郎君の二人がテント撤去で裁判に訴えられていますけれども、私ども「九条改憲阻止の会」が最初にテントを立てたことは、これは間違いないです。11日が日曜日で、12日に経産省に会見の申し入れました。いまテントがある場所は道路ではなくて、経産省の用地です、三角地帯ですけど。あそこを原発問題をみんなで討論する場所として開放しろという要求を、申し入れたわけです。文書で持ってこいと向こうは言うから、私の名前で文書を出したというのが、いちばん最初です。そのときはテントはすでに作っておりました。経産省の担当職員が、「ここは経産省の土地ですから出て行ってください」と、今でも毎朝来ます。

そうしたら、たまたま私どもと同じ原発反対でがんばっている、上関原発に反対している青年たちが7人、10日間ハンストをやるという話があって、それはわれわれも支援しなくちゃならないということでやってきました。テントができて3日経ったら郵便物なんかも届くようになりまして、一週間したら今度は外国のメディアが飛んできて、とくにオランダとかフランスとかアメリカとかが来て、「がんばってますね、でも日本人はおとなしいですね」という声がありました。

そうこうするうちに、野田首相がニューヨークの国連総会に出てまして、それに対してもの申すという形で福島の女性、それから北海道の泊原発反対をやっている女性、それから静岡の浜岡原発に反対している女性の代表が抗議に行ったんですね。その報告をこのテントの前で、925日でしたけれども、やったわけです。夜でしたけど、もちろん一般のメディアなんか来やしない、むしろフリーのジャーナリストの方が多かったんですけども、そのとき福島代表の佐藤さんという方が、「これはいい場所ができた、私たちは来月来るよ」という話になりましてね。一ヶ月どうやって保たせるかというのが、正直なところわれわれの問題だったんです。

最初はテントを借りてきたんです。だけど女性が来たらやはりもうひとつ作らないかんから、じゃあもう買っちゃえという話で、都合40万くらいかかったと思うんですけれども、テントを買った。じゃあ俺たちも作るよということで、別なグループがもうひとつ、いま小さな物置になってますが、だからいまテントは3つできているんです。

私ども「改憲阻止の会」だけではなくて、もっといろんな原発反対をしている人がいるわけだから、たとえば「たんぽぽ舎」なんかとも相談して、10月の20日の日にテントひろばの全体会議みたいなものを立ち上げて、それでいろんな人を受け入れる形が始まったということです。

同時にテント広場をどう運営するかということで、運営委員長として、テントの村長ということになってます。淵上君がテント運営の委員長になったわけです。私の名前で出した要請は、9月の29日に経産省から拒否の返答がありまして、特定の団体には貸せない、異議があるなら受けるというので、10月の19日には異議申請を正式にしました。

1027日に福島からバス2台で、100人ぐらいのほとんど女性ですが、やって来まして、その女性たちが3日間の座り込み行動をやったんです。これで一気に日本全体の、とくに反対運動をやってきた方々の参加が始まったということです。そして一気に全国的なものになってきたということです。

12月初めになったら福島代表の女性が参加をして、これは私どもは想像もしなかったのだけれども、「私は十月十夜がんばる」と言われました。十月十夜という表現はわれわれには分からなかったけれども、女性の方々は良く分かる話です。そういう宣言をされて、それから若い青年たちも参加する、全国から参加するという形で、一気に広がっていったということです。

1月にはテントの前で餅つきをして、近所の農林水産省や外務省や財務省に、その餅を持っていったりなんかしました。

テントを守るのは大変です

年が明けて125日に、27日午後5時までに立ち退けという正式な排除命令が出たわけですね。そこでわれわれはすぐ経産省に会談を申し入れて、あなたたち役人では分からないから、大臣、大臣がだめなら副大臣、政務官でもいいから、国会議員を呼んでいらっしゃいという話をしたんです。それが成立しないという状況のなかで、1月の27日の5時を迎えるわけです。非常に象徴的な言葉でいうと、「撤去すべきは原発じゃないか」と、文字通り経産省を取り囲むような、約1000名といわれる参加者があったということです。枝野経産相が後で「自主的な撤去を求める」というコメントを出して、その問題はいちおう収まっています。

もうひとつ、テントは「九条改憲阻止の会」ではなくて「脱原発テントひろば」のものだという切り替えを要請した。中身は同じじゃないかとかガタガタ言いながら、最終的には2月末に、責任者は私から淵上君の方に変わりました。

その後はあっという間に1年半経ったわけですけれども。その間には12年の417日に、瀬戸内寂聴さんだとか鎌田慧さんだとか、それから中嶌哲演さんとか、あそこで集まった。というのは、55日に日本全体の原発が止まるという状況が予定されていました。いちばん最後に始めた泊原発が55日に定期検査ということです。ではそれまでハンガーストライキをやろうじゃないかということで、集会をやったわけです。これがいろんな形で拡がって、さらにメディアでも取り上げてくれたこともあって、大きな動きのひとつとして出て来た。

ところがそれから間もなく、野田首相が大飯原発を再稼働するということをやって、これに対してわれわれとしても大飯原発への反対の行動をしていますけれども、大飯原発が動き始めるという状況があったわけです。

大きな運動としていえば、4月から反原連という反原発の若い人たちが中心として首相官邸に抗議を申し込むという運動が始まる。それから一方では1000万人原発反対署名運動、それからもうひとつ福島の方々が中心で始めている東電に対する賠償訴訟、それから違法訴訟という形での福島の運動。もういろんな形で運動が始まっています。

原発ができてかれこれ40年ぐらい経つわけですけれども、その間、原発反対は全国組織という形ではほとんどやられていなかったんです。まったくなかったわけではないんですけれども、それがある意味でものすごくプラスになった。いろんな形でいろんな人々が自由に反対運動ができるという状況がある。できている。今でもその状態は続いています。たまたまテントがあそこにあるということで、いろんな地域の方々が全国からお見えになります。もちろん北海道や沖縄や、あるいは九州や四国や、日本海側の方から太平洋側の方から、もうとにかくひっきりなしにいろんな方々が参加をして、私も完全に名前なんか覚えられないぐらいな状況です。

ただ実際には2年も経ちますと、みんなくたびれちゃうということがあります。とくに夜、だいたい56人は最低いないと保ちませんので二交代で、3時半まで寝る人と、逆に3時半まで起きている人といて、交代する。正直な話、テントを守るのはいろんな意味で大変です。すでにわれわれが知っているだけで4人の方が亡くなってます。それは決してテントの中で亡くなっているというわけではないが、テントの行動を通じてくたびれて、具合が悪くなってやめたという形です。ひとりはまだ31歳の女性で、私どもが期待していた、私と一緒に福島へ行ったこともある女性です。それから58歳の学校の先生だった方。それから昔からずっと運動をやっておられた623ぐらいの、この人はとくに去年の冬なんかはものすごくがんばってもらった。それからもうひとりは女性の、昔学生運動で一緒にやっていて、出版社をやっていた方です。私どもが分かっているだけでも4人の活動家、、一緒にやってくれた方々がすでに亡くなっています。

正直言っていろんな入れ替えはあります。もう私は嫌になったとか。運動家だもんだから、けっこう内部でケンカしたりなんかして、それで出て来なくなった人もいらっしゃいます。いろんなことがあって、必ずしもすべてがうまくいっている状態ではありません。いろんな党派やいろんな会派やいろんなグループや、そういう形での確執というのをとにかくしないという前提で始めた「九条改憲阻止の会」が中心になっていますから、グループ間の抗争を極力避けるという形で、今日までやってきているわけです。

原発に未来はない

そういう経緯のなかで、これは原子力発電の最大の問題点を分かっていただきたいのは、原発の廃棄物のことです。低レベル廃棄物をイギリス、フランスに引き取りに行って、それを六ヶ所村で再加工してプルトニウムを作る。何のためにやるかというと、プルトニウムに変えて原発に使うという話です。いつでも原爆の材料にできるという状況があるということです。

プルトニウムを燃料に使う高速増殖炉「もんじゅ」の建設計画からすでに30年以上経っている。だけど結局成功しないという状況が続いて、あれはもう止めたほうがいいというのは、もう保守党も含めて同じような考え方になってきております。結果的にはそれを進めたのは日本だけです。他の国はみなもうあきらめてやめた。

すでに日本に54基の原発ができている。しかもまだ、あそこに作る、ここに作るという計画が進んでいる。残念ながらその原発による廃棄物の処理というのは、まったく見通しがないと言っても言い過ぎではありません。あとの人が考えてくれという状況です。

1年半ぐらい前ですか、モンゴルで引き取ってもらおうみたいな馬鹿なことを役人が言うというようなことがあった。日本の中で地下400メーター近くにガラスで固めて埋めよう、みたいな話もあって、お宅でやっていただけませんかという形で、いろんな村に行ったけれども、みんな反対です、当たり前のことですけれども。そういう状況がずっと続いていて、要するに廃棄物の処理がもうどうにもならないという状況があります。

すでにプルトニウムが日本に約30トンぐらいあるらしいんですね。これを日本がどうするかというのをアメリカはものすごく心配して、注目している。放っておけばいつでも核兵器の材料になります。全部使ったら300発ぐらいできるとか言われています。「3ヶ月ぐらいあればできるぞ」と石原慎太郎が言ったとかいう話がありますけど、実際問題としてそんな難しい問題じゃない。

半年ぐらい前ですか、フィンランドで廃棄物を地下深くに埋めることを、NHKで放映していましたけれども、じつは大変なことなんです。結局それしか廃棄物の処理は道がない。まさか海に放り出すわけにいきませんので。他の廃棄物と決定的に違うのは、プルトニウムの場合でいえば半期が24100年。人類の歴史はせいぜい78万年ですね。どうするかはあとの人が考えてくださいというふざけた話があって、今日まで進めてきたところに、やっぱり最大の問題があると思います。

それだけではなくて、六カ所村の再処理施設がもうパンク寸前になっていて、もう持ってきてもらっちゃ困るという状況で、54基の原発それぞれで、廃棄物をそのまま置いてあるんです。柏崎でも、あるいは福井でも。この上まだ原発をつくるのかという問題が、ぜひ考えなきゃならない問題としてあるわけです。

よく、日本の経済発展のためにエネルギーは必要だから、やっぱり原発を止めるわけにはいかない、みたいな話があります。よく考えてみたら、あと30年したら日本の人口が約3分の2ぐらいに減ります。だいた8000万ぐらいになるだろうと言われています。しかも、われわれみたいな老人がどんどん増えて、若い人たちが少ないという状況のなかで、経済成長っていったい何を意味するのか。きちんと考えなければならない問題としてあると思います。

日本にある54基の原発を完全に廃棄をするためには、建設の約3倍くらいの資金が必要だといわれるんです。それは廃棄物の処理も含めてです。

今まで原発は国策としてやってきたわけです。電力会社が新聞に一面広告をどんどん出しましたけど、ほとんど値切りなしで出しているんです。これはメディアにとってみれば最高のうれしい話であって、原発反対ということがなかなか言えなくなってきた。タレントなんかもみんな買収されていますから、反対は言えないんだという状況があります。

それからもうひとつ、もう福島は片付いたと、福島の情報が主要な新聞、テレビでは報道されなくなってきている。去年の12月の衆議院選挙でも、本当はいちばん重要な課題であるべき原発問題がどこかに行ってしまって、消費税値上げのような問題に振り替えられている。野党側はそれぞれ自分の言いたいことは言うんだけれども、まとまりがない。結果として自民党と公明党の大躍進という状況になってきているわけです。

地方から変える

これをどういうふうに立て直すかというのが、われわれの今後の課題だと思います。かつてはいい悪いは別にして、まとめ役というか、各政党間の調整がきちんとできる人がいた。それが今まったくいなくなったと言っても言い過ぎではない状況の中で、それぞれが自分の言いたいことは言うんだけれども、それをどうやって原発を止めるかという形でまとめられない。それが大問題ではないかと私は思っています。

とにかく放射能は目にも見えない、匂いもない、色もない、放っておけばみんな分からない。原発からどれだけ放射能が出ているかということが分からない中で、それをいかに隠すかということをこれまではやって来た。かれこれもう10年ぐらい前になりますか、東海村の事故で2人が亡くなりましたけれども、その後も柏崎の火事の問題とか、本当に火がつき始めるとしょうがないから報道するけれども、相当いろんな形で起こっている、原発の内部はほとんど報道されていない。

23日前に福島で汚染水を海に流して大騒ぎになりました。これは前から心配はされていたけれども、全然報道されてこなかった。そういう問題は行政側が、政権側が本来なら責任をとらなくちゃいけない。持てる状況ではない。原発を今日まで進めてきた電力会社は、もともとは国策でやってきた。昔は国の機関だったわけです。それに結びついている金融機関も、今ものすごくあわてていると思います。その金を元に開発してきた東芝だとか日立だとか、あるいは三菱だとかそういうところも、せっかく作った原発を放っておけない。早くなんとかしてほしい、ベトナムとかトルコにも売り込もうとことがあるだろうと思います。

ところがじつは彼等がいちばん困っているのは、国民の7割、8割が、もう原発は止めたほうがいいと言っている、それが世論なんです。何回調査してもそれは変わらない。もちろん、多少はしょうがないかな、という人も中にはいます。

誰ががんばっているかというと、私はやっぱり女性だと思います。かつて日本の歴史でも「米よこせ運動」という運動がありましたけれども、女性が動いたときは世の中も変わらざるを得ない。そういう極端な状況が、今あると確信しています。原発はやっぱり止めたほうがいいと女性ががんばっているとき、それをどうやって助けるか、育てるかということが、私どもの重要な役割だと思っています。

長い目で見れば必ず原発は終わりになります。それは100年なのか50年なのか30年なのか20年なのかという、そういう違いだと思います。どうやったらこれを早く止めさせられるかというのが、われわれの課題です。

たまたま「テントひろば」というものがあって、ウチのメンバーはデモとか集会とかやれば解決すると思っている人が多いけれども、実際はそんな甘いものじゃない。やっぱり選挙や、あるいは国会や、そういうところを変えていかないとどうしようもないわけでして。次の国政選挙は3年後とよく言いますけれども、その前に2年後に統一地方選挙があるわけですから、地方議員を作っていく。無所属でも何でもいいから、とにかく市区長選挙で反原発の新人、しかも若い、できれば女性、そういうものを当選させていくということを、この2年間かけてできるかどうかというのが、僕はひとつの大きな課題だと思います。少なくとも関東一円で、何人でも構わないんです。

というのは、国会議員は300万の供託金を用意しなくちゃならない。こんなことは普通の人はできないです。つまり、出たい人より出したい人を、というのが本来の選挙のあり方だけれども、残念ながら出たい人はいるけども、出したい人はなかなか出られない。

地方議員の場合は非常に単純明快で、だいたい多くて30万の供託金があればなんとかなりますからね。しかも地方によって違うかも知れませんけど、だいたい23000票ぐらい集めればいいんだから、そんな難しい問題ではないと私は考えています、経験から言っても。

余計なことは言わない。市政の問題、区政の問題は新人が分からなくて当たり前です。だけど私は原発反対ですよと、それだけで徹底的に闘う候補者を何人作れるかです。そして一緒に勉強しながら今の問題を考えるということが、これからの私たちの課題だというふうに思っています。テントもそういう形に切り替えていけるものはいきたいというのが、私の個人的に考えているところです。

質疑討論

* 小泉純一郎前首相がフィンランドを見に行って、脱原発を言い出したようですが。

正清 自民党の河野太郎なんかは一貫して原発に反対していますし、「もんじゅ」は早く止めたほうがいいとはっきり言っていますね。たまたま小泉がそういう発言をしたようですが、もう権力の中心部分は、国民がこんなに反対していることは分かっているわけだから、もうしょうがないと切り替えつつあるという面があるんじゃないか。

* 「脱原発テントと命を守る会」というネーミングに工夫されたと思うんですが、そのへんの狙いとか。

正清 非常に単純な話、国は福島の女性とはケンカをしたくないというのがかなりあると。昔の左翼じゃないから。われわれとはケンカする。ただ、正清と淵上だけじゃない、われわれが主力だというのが350人ぐらい申し出てきていまして、それをどうするかという問題があるんです。これは法廷戦術ですけれども、何人か主なメンバーを出させて、論議だけはしたほうがいいかなということがひとつ。

もうひとつはテントって誰のものだという問題があって、端的に申し上げますといま物置になっているのは、私どものものではありません。たまたま私どもと一緒にやっています高瀬君という関連している人たちが自分たちで作った。女性テントについていうと、運営その他については一切われわれは関与していません。

もうひとつ戦術的にいうと、417日にテント前で行動をやったときには、私は伊方で集会があったものですからそちらに行っていて、ちょっと遅れて参加しました。ところが国は417日の私がいないときの写真を証拠として出してきて、仮にAさんと言っておきますけど、このAと淵上の二人が被告だと。Aを正清と向こうが勘違いしたかどうか分かりませんけど、監視カメラの写真で言ってきているわけです。

向こうのデータでは監視カメラを付けてから私は100日ぐらいテントに出ているんですけれども、私の手帳やなにか全部調べてみると、そのうち確実に20日間は出ていないんです。912日に第3回の法廷をやりますけれども、この前の法廷では河合弁護団長が、これでは話にならないと言って突っ返したので、96日になにか文書で出すと行政側は言っているようです。弁護士の方々にはものすごく協力してもらって、いま150人ぐらいの弁護団を結成していただいて、裁判官もあまり無下にはできないという状況があって、非常に慎重なやり方をしています。どうなるか分かりませんけど、私はまあ来年の3月か4月くらいまではちゃんと保つだろうと。

それからもうひとつ、これはたまたまその問題との関連で出て来た話としていうと、自民党本部の駐車場が不法占拠なんですよね。それで僕らの仲間の何人かがそれを告発したんです。金額にするとだいたい15億円ぐらいの使用料は最低もらってもいいと分かってきた。じつはこの問題は国会で一昨年の暮れに民主党の国会議員が出しているんですが、野田が押さえ込んだらしいですね、自民党と一緒に消費税を上げたいというので。一部の週刊誌なんかでは書いたんですけれども。

私どもに使用料として要求しているのは1100万。どうなるか分かりませんけれども、おそらく成り立たないだろうと思います。普通の時だったらあそこは広場として誰でも座ったりできる、そういう時には一銭も金になっているわけではないし、われわれ自身があそこで金儲けをしたというならまだ分かるんですけども、そんなことはないですからね。そういう意味では、まだまだ裁判闘争はあるだろうと。

* 九州電力前にもテントがあって、交流の拠点になっていますね。

正清 あそこは青柳さんという方ががんばって、朝作って夕方引き上げるという形です。それを大阪の公園でもやろうとしたんですけど、府警が排除したということです。青柳さんには5年ぐらい前ですか、ピース・ウォークで福岡を通ったときにお会いした経緯もあって、連絡はお互いに取り合っています。

いろんなところでいろんなグループがいろんな形で行動しているというのが、いま相当広がっているんです。それは別に頼まれてやっているわけじゃないわけで、どこかが考えて一気にやろうという形はもはや古くなったと言っていい。ご承知の通り、毎週金曜日に首相官邸前に集まっている方々も、みんな頼まれてきているわけじゃありません。みんな自主的な判断で行動されている。これはすごいことです。

それがなんで選挙に影響しないのかという話はありますけれども、しかし逆に言うと、ウチのメンバーたちに、じゃあお隣のおばさんに話をしたかと聞くと、何も話してない。いま運動も大事だけれども、同時にコミュニケーションを地域の中で広げていくということがいちばん大事じゃないかと言っているんですけど。

 それがひとつと、自分の言いたいことは一生懸命言うんだけども、人の話を聞くということができていない。やっぱり人の話を聞くという姿勢をどう作れるかということによってかなり変わってくると、私は思っています。この前の衆議院選挙にしても参議院選挙にしてもそうですけれども、どうせダメだよ、もうしょうがないと棄権した人が決して少なくなかった。しかし、こんな言い方をすると大変失礼ですけれども、公明党を支えている創価学会なんかは、とにかく学会員が毎週1回票を集めているんですからね。それは強いですよ。

* 訴訟で経産省、国側としていちばん問題なのは、当事者の問題ですね。テントが正清さん個人の所有物であれば正清さんを追い出すことは可能だけど、もし共有物であれば、全員についてそう言わなきゃ出せない。それから、使用料1100万にしても、ひとりで使用しているなら正清さんに払えということは可能であっても、共有関係になっていれば、全員を相手にしないと、もしくは団体であれば団体を相手にしないと実現できないのではないかという気がします。

 マンションの管理組合なんか、法人のところもありますけど、法人じゃないところは権利能力が希薄だということで代表者を相手に団体扱いでできるんだけど、正清さんたちのテントの団体がどういう組織なのか、ということになると、財団か社団かと言われれば社団だと思うんだけど、団体か、と言われると、組合にもなってないし。

正清 使用料の議論の前に、私どもが開放せよといったときに、金を取りますというわけですよ。いくらだと聞いたら、路線価で決めるからという。じゃあ図面を出してくれと言って、913日に不動産会社まで入れてここはいくらだという話をして、請求してきているんです。だけどテントがない状態のときには一銭にもなっているわけではない。もうひとつは仮処分という問題もありますけれども、当然、高裁、最高裁まで行く論議になりますからまだまだ時間はあるし、そういう中で、いかに原発が目茶苦茶かということを明らかにしていくことが、われわれの主たる任務だと思っています。

 * 国でも地方でもそうなんですが、公の団体というか行政が持っている財産というのは、行政財産と普通財産ですね。行政財産だと行政目的があるわけです。あそこの場所が何なのかといったら、これはおそらく行政財産で、経産省の施設として使用するという目的でやっているわけですから、それを行政目的に反して貸すなんてことは、もともと考えようがない議論だと思うんですね。その土地の鑑定をさせるなんてことはそもそも考えようがないと思います。

 あと、使用するということ自体も、例えばマンションの一室を貸そうと思ったら占拠されたと、貸せば毎月20万円で貸せたのに、それが貸せなくなったというんなら20万円の損害ということはあり得ますけれども、もともと貸せないものだから、使用料としての損害というのは理屈に合わないと思うんです。実際にあそこにいることによって現実に損害が生じたということであれば損害を立証しないと、なかなか損害賠償としては難しい。何が具体的損害でそれはいくらかという議論をしないと、原告は請求できない。出て行けと請求するだけならともかく、使用料なんてことを言い出すと余計に時間がかかって、逆にそれは国側のネックになるんじゃないかと思います。

正清 当然そういう問題が議論としては出てくるだろうと思います。よく右翼が来ているんですよ。違法じゃないか、出て行けみたいな話をしてくるんですけど。私が言っているのは、法律に違反しているんじゃないと、3年ぐらい前に経産省で作った規則で、届けなければならないというのがあるだけで、違法じゃないと。一般に開放している土地なんですね。

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