「おおすみ事件」被害者救援・真相究明の会が発足
「おおすみ事件」被害者救援・真相究明の会が発足
起訴(公判)を求める署名運動にご協力を
大内 要三
7月26日午後2時から広島市観音町の生協けんこうプラザで「“おおすみ”衝突事件の真相究明を求める集会」が開催され、107名が参加して、「“おおすみ”衝突事件の被害者を支援し、真相究明を求める会」を発足させた。
事件発生から半年余が経つが、「おおすみ事件」は「なだしお事件」や「あたご事件」に比して広く知られているとは言いがたい。それは「あたご事件」での報道合戦で叩かれた経験に懲りた防衛省・海上保安庁が極端に情報を出し惜しみ、マスコミ報道が少ないためでもあるだろう。「おおすみ事件」は「あたご事件」と同じく自衛艦がらみで2人の犠牲者が出ているのに、全国紙の大きな扱いは事件発生翌日で終わっている。そのようなわけで、私の集会参加報告を記しておきたい。
今年の1月15日午前8時ごろ、瀬戸内海に浮かぶ世界文化遺産・宮島の隣にある阿多田島の北東約1400メートルの海上で、海上自衛隊呉基地を母港とする輸送艦「おおすみ」が岡山県玉野へ定期修理に向かう途中、広島市内のボートパークから岩国市沖の甲島付近に釣りに出た小型船「とびうお」を後ろから追い抜こうとしたとき、「おおすみ」の左舷中央に「とびうお」が衝突した。現場は快晴で風は弱かった。「とびうお」は転覆し、乗っていた4人のうち高森昶船長と大竹宏治さんが死亡した。寺岡章二さん、伏田則人さんは救助された。真冬の朝だ。4人はいずれも団塊世代、平日に釣りを楽しめるようになったばかりと思われる年代だった。
海上保安庁・第6管区海上保安本部は2月13日に現場検証を行い、6月5日になって田中久行「おおすみ」艦長、西岡秀樹同当直士官(航海長)、高森「とびうお」船長の3名を送検した。6管の記者会見では双方の見張りに過失があったので両者を送検したと説明したが、具体的な内容については「公表を差し控える」を連発した。
検察が不起訴と認定すれば当然刑事裁判はなく、事件の真相は究明されないまま、犠牲者の無念は晴らされず、誰にもおとがめなしで終わってしまう。また2008年の法改正により自衛艦が海難審判の対象となることはない。
集会でははじめに呼びかけ人を代表して皆川恵史・元広島市議会議員があいさつし、被害者の声を伝えた。
――後ろを向いて座っていた寺岡さんは、「おおすみはずっと見えていたけど、まさかそのまま突っ込んで来るとは思ってもいなかった」とおっしゃっています。前を向いて座っていた伏田さんも「ボ、ボーッという音とともにおおすみが真横に来ていて、あっという間に転覆した」とおっしゃっています。今日は体調を崩して参加できていませんが、亡くなられた大竹さんの奥様が私に語られた言葉を紹介させていただきます。「福島県で農業をやっていた弟が原発による風評被害で自殺した。『国に殺されたようなものだ』と母が嘆いていた。今度は私の夫まで国に殺された。私は、絶対に許せない。」
続いて、亡くなった船長の夫人・栗栖紘枝さん、被害者の寺岡さん、伏田さんが、支援への謝辞を述べた。
集会のメインは、田川俊一弁護士による報告「過去の自衛艦事件の特徴と“おおすみ”事件」だった。田川氏は「なだしお事件」の被害船「第一富士丸」船長の弁護団長として活躍され、「あたご事件」でも海難審判・刑事裁判を傍聴して適切なコメントを発表されている。今回の「おおすみ事件」では手弁当で東京から広島に通い、裁判への協力を申し出られている。以下は報告の要点。
――潜水艦と遊漁船が衝突して30人が亡くなった「なだしお事件」では、なだしお側は航泊日誌を改ざんし、衝突時刻を2分遅らせるなどの証拠隠滅・公文書偽造までして責任逃れをはかった。海難審判・法廷でも偽証の数々があった。
――今回の事件の争点は、海上衝突予防法13条1項の規定(追い越し船の義務)から、どちらがどちらを追い越した時に衝突したかだ。寺岡さん、伏田さんはともに、おおすみが後方から接近してきて衝突したと証言している。
――ここで、6月5日の送検時の第6管区海上保安本部発表で、次の点が問題だ。おおすみは「とびうおに対する見張り不十分でその動静を十分に把握せず、適時適切な操船を行わなかった」。とびうおは「周囲の見張りを怠り、適時適切な操船を行わなかった」。とびうお船長は前方を見ながら操船していたが、後方から来るおおすみを見ていなかったことが「周囲の見張りを怠り」とされてしまっている。
――現在、運輸安全委員会船舶事故調査委員会が調査中であり、刑事事件としては検察が起訴するかどうか、つまり裁判が行われるかどうかの判断がなされる。ぜひ起訴させ、公判の場で事件の真相究明をすることが重要だ。
続いて私が「あたご事件」の経過と、その刑事裁判の異常性について報告した。
――海難審判は「あたごの主因」と裁決し、海上自衛隊に安全運航を求める勧告をした。長期にわたる裁判の中では、海上自衛隊の秘密体質が明らかになり、また高圧的なあたご側弁護人に対して裁判長からの注意があったりした。それでもあたご側が無罪となったのは、被害漁船の僚船乗組員の証言を退け、あたご乗組員の証言を採用した結果で、納得できない。判決確定後、防衛省はあたご乗組員の処分の見直しをしたが、処分の全面撤回をすることはできなかった。
この後の質疑討論では、多くの釣り愛好者やプレジャーボート所有者から、瀬戸内海で自衛艦に出合い危険を感じた例が生々しく証言された。また海自艦が海技免状なしに操艦されていることと、2008年10月の法改正で自衛艦が海難審判の対象にならなくなったことへの批判が集まった。海難審判が「あたご事件」で海上自衛隊組織への勧告をしたのは、事件発生が2008年2月で旧制度での審判だったためで、空前絶後ということになる。
集会の最後に「“おおすみ”衝突事件の被害者を支援し、真相究明を求める会」の結成を決定、5人の代表委員と会則を決め、当面8月末までに1万人の「公判開始要請署名」を集めることにした。会の連絡先は〒730-0051 広島市中区大手町4-2-27 中央レジデンス403 広島共同センター気付、電話082-245-2501。残念ながら会のHPはなく、署名用紙をダウンロードすることはできない。
なお、この集会にはマスコミ記者も取材に来ていたが、管見の限り記事掲載は「しんぶん赤旗」と「中国新聞」のみ。
「おおすみ事件」については発表が少なく分析も難しいが、断片的な発表や報道から私が注目したいのは以下の点だ。公判ですべてが明らかにされることを望む。
――「おおすみ」のAIS(自動船舶識別装置)記録では17ノットと、内海にしてはかなり高速を出している。「とびうお」のGPS(全地球測位システム)装置は引き揚げられたが、記録は復旧できなかったという。海に投げ出されたひとりを助け上げたのは民間船だった。「おおすみ」は呉を出港してしばらくは「航海保安」の態勢をとっていた、つまり甲板に見張りが並んでいたはずだが、音戸瀬戸から広島湾に出たところで早々にこの態勢を解除してしまっていたのか。「おおすみ」の艦橋は右側に寄っていてここから左側は見えにくいが、衝突直前になって警笛を発しているから、「とびうお」に気付いていなかったはずはない。自衛艦が「そこのけそこのけ」と民間船を追い散らす体質はまだ改まっていないのか。
私は集会の翌日、基地ウォッチャーのみなさんのご案内で米軍岩国基地を外から見たが、この際に「おおすみ事件」現場海域を見ることができた。「とびうお」が向かっていた甲島は、まことに小さな島だった。