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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

ライターきのしたの“一言いわせて”木下壽國

2013/12/14

ライターきのしたの“ひと言いわせて”④

ライターきのしたの“ひと言いわせて”④

木下壽國

「平和的生存権」への想い

 ~故・榎本信行さんに捧ぐ~ 

私は勉強不足の人間で、そのためにいままで損ばかりしてきた気がする。つい最近も、それを感じさせられる場面に出くわした。先日、榎本信行弁護士を偲んで開かれた平権懇の例会でのことだ。

榎本先生、通称エノさんの後を受けて、横田基地公害訴訟の事務局長を引き継いだ中杉喜代司弁護士が、訴訟の経過といまを報告した。普段はあまり顔を見せない浦田賢治・元早大教授のほか、かつて国会でも活躍した内藤功弁護士も参加された。それだけでも各分野がエノさんに寄せていた信頼と親しみの情を感じることができそうだが、浦田先生はさらに中杉先生の報告後、エノさんの業績の出版化も提起された。

エノさんが生涯をかけて「平和的生存権」という権利の確立に心血を注いできたであろうことは間違いのないことだと思う。それは、最近まで平権懇の活動に熱心にかかわってきたことからもうかがえる。

彼が長く代表を務めてきた私たちのグループ平権懇は主として軍事、平和の視点から、この権利の確立に努力してきた。しかし私自身はというと、ちょっと異なるところから同権利に注目している。この春、私はあるシンクタンクの季刊誌に、住宅問題の論考を発表したが、その中で、生存権および平和的生存権を“住み続ける権利”を構築するための基礎概念とすることを提唱した。生存権で人間生活の底辺を支え、さらに平和的生存権によってより積極的に人間らしい生活、住まい方を構築できないかと主張したのである。「平和」という概念は幅広い。ひとり軍事、平和の問題にとどまらず、人の生活の多様性を包含するのにふさわしいものといえるのではないか。

平和的生存権の内実の多様性は、この概念の生成、発展過程にもよく表れているように思う。私は、今回の例会に際し、エノさんが著した「軍隊と住民」(日本評論社)を急いで読んだ。すると、この権利が軍事基地問題への対応の中から生成しつつ、憲法の基本原理である民主主義、基本的人権、平和主義を体現し、都市問題や公害などをめぐる環境権、教育問題、健康などの日常生活など幅広い分野を包含しながら、その概要を固めてきた様子が明快に伝わってきたのである。

だが、例会では意外な裏話を耳にした。浦田先生によれば、同年輩の2人がまだ心身ともに意気軒昂だったころ、ある基地訴訟にかかわる中で、平和的生存権ではダメだ、というようなことをエノさんが話したことがあったらしい。前述したようにエノさんが平和的生存権の確立に尽力してきたことは確かだろうけれども、ときどきの訴訟戦術によっては、それを回避することもあったのかもしれない。それともいったんは同権利に見切りをつけたものの、その後のさまざまな闘いの中で、あらためてその優位性に気づき、その発展に努めてきたのだろうか。

本当のところは、どうだったのですか、エノさん。国を相手にしての困難な闘いの中で、他人には言えぬ葛藤に悶々とする日々があったのでしょうか。

しかし、いまではそれも聞く能わぬこととなってしまった。もっと早く、彼が元気だったころに勉強しておけば、教えてもらえることもたくさんあっただろうに…。身から出たサビとはいえ、ホントに私は損ばかりしているなあ。           2013.12.13

2012/08/08

ライターきのしたの“一言いわせて”3

木下壽國

いま、ぜひこの3冊を

 唐突ですが、以下に3冊の書物を推薦します。①「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(ダグラス・ラミス、平凡社)②「デフレの正体」(藻谷浩介、角川書店)③「社会変動の中の福祉国家」(富永健一、中央公論新社)です(順不同)。

 いま私たちはどういう時代に生きているのかを大きな視点から普遍的に考えるための好著として、上の3冊を(野田総理風にいえば)心から、心から、心から推薦します。

 「経済成長がなければ」の著者ダグラス・ラミス氏は、その道ではそこそこ知られた人で、以前は津田塾大学の教授をしていた。いまは退職して来日当時と同じ沖縄に住んでいるようだ。大変失礼なことではあるけれども、私は30代のころ、氏のことをイデオローグだと思っていた。しかしいつだったか「内なる外国――“菊と刀”再考」(時事通信社)を読んだときちょっとしたショックを覚えると同時に、その考えを完全に改めた。当然なことではあるが、氏は学者なのだ。余談だが、難しい文章はどう読んだらいいかというような技術的なことも同書に教えてもらった気がする。

 「週刊現代」(4/28)で、大橋巨泉氏は「経済成長が」を「一人でも多くの人に読んでいただきたい名著」(「今週の遺言」)と激賞している。私は本書を、日本初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さんが同誌の読書欄で紹介していたのを読んで知ったのだが、巨泉氏も同様だったらしい。氏のコラムを読んだ時「そうだよな、そう言いたくなるよな」と膝を打つ思いがした。「経済成長が」を読むと、つい周りの人に「ぜひ読んでみて」と薦めたくなるからだ。

 同書は、人々が決して疑うことのなかった「経済成長」という正義そのものに、極めて説得的な疑義を呈している。私が同書でとくに感銘を受けたのは、2点。経済「発展」という言葉は本来自動詞(発展する)で、「発展させる」という他動詞が使われるようになったのは、第二次大戦後、トルーマン米大統領が相対的に貧困な国々を開発してゆく際のイデオロギーとして初めて用いてからだったということ。もう一つは、人々が経済成長の過程で切り捨ててきたものを振り返り、貨幣では測れない人間的な喜びに価値を見出すことが、新しい豊かな社会(我慢するだけというマイナスのイメージではなく)につながると提言していることだ。

 同書が書かれたのは2000年だから、もう12年も前のことになるが、その中身は決して色あせない。それどころか原発事故に関する叙述は極めて適切で「3・11」以後に書かれたものかと思ってしまうほどだ。あの日以降、私たちの社会をめぐる価値観には大きな動揺が生まれた。首相官邸や国会を取り囲んでいる大勢の人々の反原発の訴えには、市民の声に耳を傾けようとしない既存のさまざまなシステムそのものへの不信が込められている。さらに脱原発と、これまで当たり前と思われてきた経済成長型とは異なるエネルギー抑制型の社会をどう構想してゆくのかという課題は切っても切り離せない。「3・11」後、社会が多様な価値観を受け入れやすくなっているように見える中で、私たちの意識に根本的な変革を迫る同書は、執筆当初よりもかえってその輝きを増しているとさえいえよう。

 「デフレの正体」はいわば経済書だが、その方面はどうも、という方にも取っつきやすい内容になっている。10年6月に初版が出たと思ったら翌11年2月には16版を重ねるという途方もない売れ行きが示すように、社会にちょっとした衝撃を与えた書でもある。

この本が優れている点の一つは、アカデミズムのオーソドックスな手法により、誰でもが検証できるデータを積み重ねることによって、説得力のある独自の解を抽出していることだ。著者しか知り得ないような(場合によっては、ホントかウソかわからないような)事象に依拠しがちなジャーナリズムとは、この点が決定的に異なっている。

普通、書物の推薦というのは他人が行うものだが、本書では著者自身が「読んだほうがいいと誰にでも薦められる本は、そうそうはありません。…でも今回は心からお薦めします。これ(「デフレの」)は読んだほうがいい本だと思います」と力を込めている。私もその言葉に誇張はないと証言しておきたい。

デフレについてはいまさまざまな分析がなされているようだが、この本の肝は、生産年齢人口の減少が需要の減退=デフレをもたらしていると主張している点にある。またデータは「率」ではなく、「絶対数」で見るべきだと強調している。「人口ボーナス」とか「人口オーナス」という用語が一般的に使用されるようになったのも、同書の功績だろう。ちなみに人口ボーナスとは、生産年齢人口(15~64歳)がそれ以外の人口(従属人口)の2倍以上存在し、消費を活発化させる状態のことで、人口オーナスとは、逆に従属人口が増え、消費の重荷になっている状態をいう。

「超長期予測 老いるアジア」(小峰隆夫・日本経済研究センター編、日経新聞出版社)と併せて読んでいただければ、日本といま最も期待を集めている中国をはじめとするアジア新興国の経済的未来がどのような制約を抱えているのかがよく理解できるだろう。日本はすでに人口オーナス期に入ったが、その暗雲はそこに止まらない。世界の“成長センター”と見られているアジア各国までが、あと数十年で人口オーナス期に入ると予測されているのだから。すでに「中国で働く世代はもう増えません。中核となる15~59歳をみても、来年からは総数も緩やかに減り始めます」(「インタビュー・追いゆく中国/働き手もう増えぬ/人口ボーナス消失」朝日4/20)という見立てさえ表れている。

いま経済界がはしゃいでいるように、見込みのない日本国内を見捨ててアジア新興国に進出さえすれば明るい未来が開けるなどということは決していえないのだ。

ただはじめに述べたように同書の主張には十分な説得力があるものの、弱点を指摘するとすれば、すべての景気要因を人口の増減のみに帰していることだ。もしそれが正しければ、論理的には政治は何もしなくともいいことになる。ただ“産めよ、増やせよ”と言っていればいいだけだ。しかしやはりそれはおかしいのであって、政治の出番は必須だろう。そのことは著者自身が最後のほうで、賃金の1.4倍説を主張している通りだ。私自身は、そうした点も含め、やはり本格的な内需の掘り起こし策が必要不可欠だろうということのみをここでは記しておきたい。

 「社会変動の中の福祉国家」は、社会がさまざまなレベルで変容をきたしている中で、誰が福祉の担い手たりうるのかを論じている。著者の富永氏によれば、福祉を担いうるプレイヤーには、家族、組織(企業、官庁、NPOなど)、市場、地域社会、国家などがあるが、決定的に重要となりつつあるのは国家なのだという。

 同書については、半面教師として、富永氏と同じ社会学者である金子勇氏の「高齢社会とあなた」(日本放送出版協会)との併読をお勧めしたい。金子氏は「血縁を媒介とする福祉資源」「全員(国民同士)で支えあう高齢社会」を強調し、富永氏とはほぼ正反対の主張を展開している。しかし今日の日本社会の現状を顧みれば、どちらに軍配が上がるのかは明白だろう。私自身、孤独死の取材を通じて、家族機能の縮小(独居化、親の経済力の低下など)と企業が担ってきた福祉機能の消失などを痛感しているだけに、富永氏の主張には大いに共感させられる。

 さて「社会変動の中の福祉国家」が今日とりわけ重要性を増しているのは、民・自・公3党が国会に提出している社会保障制度改革推進法案との絡みである。同法案は、消費増税法案と抱き合わせで国会に提出され、ほとんどなんの審議もなされないまま衆院を通過してしまった。報道によれば、本会議で法案が議員に配布されたのは、本会議開始10分前だった(!)という。

 同法案は「自助、共助」「家族相互および国民相互の助け合い」を強調することで国家の役割を否定し、社会保障制度そのものを否定する内容になっている。国民生活が疲弊している下で、さらに追い打ちをかけるような仕打ちは、一体だれのためのものなのか。同法案は自民党の言い分が全面的に容れられたものだそうだが、あらためて新自由主義が息を吹き返しつつある現状に危惧を覚えざるを得ない。生活保護をめぐっても、保守としての性格を強調する自民党などが激しいバッシングを展開している。しかし自立機能を失った人間に鞭打てば、活力が生まれるというものではない。かえって相手を落ち込ませてゆくだけだ。

 なにかというと社会保障は保守勢力の攻撃にさらされやすい。だが第一次大戦後、資本主義が最も高度に発達しそれゆえ世界大恐慌の荒波をもっとも強く受けざるを得なかったアメリカが、社会不安を緩和し、自らの体制維持・存続を図って編み出した秘策が社会保障(世界最初の社会保障法)だったというのは歴史の事実である。社会保障制度がその後もしばしば多分に揶揄的な響きを持って体制的な「自動安定装置(スタビライザー)」と表現されるのは、それゆえだ。行き過ぎた社会保障攻撃が、自らのよって立つ基盤そのものを掘り崩しかねないことに、自民党は気づいているのだろうか。

 本書は本質的に持続可能な社会体制と制度を考える上でも有益な一書と思われる。

(きのした としくに/ライター)

2012/07/23

ライターきのしたの“一言いわせて”

ライターきのしたの“一言いわせて”

木下 壽國

JR脱線事故と井手氏と国鉄改革と

 かつて国内の小さな通信社に在籍していたころ、最も熱を入れた取材の一つが国鉄改革だった。八重洲口鍛冶橋交差点のそば、いまは高層ビルの建っているあたりに立派な国労会館(国労本部)があって、私は連日のようにつめていた。夜を徹して組合員の動きを追ったこともある。ど新人だった私が少しは記者仲間からも認められるようになったのは、この仕事を通じてだったといえる。

 いまはもう取り上げられることもほとんどないが、国鉄改革は当時もっとも社会的関心を集めるできごとだった。テレビも新聞もメディアは長期にわたり連日のようにこの問題を大きく取り上げた。関連文献に目を通してもらえればわかってもらえるだろうけれども、現場ではすさまじい人生の愛憎劇が繰り広げられた。それを身近にいて見続けた私は「これは本当に戦国時代ではなく、現代の話なのか」と青空を見上げながら何度も思ったものだ。誇張ではない。実際にそう感じたのだ。

日教組、全逓と並んで総評ご三家の一角を占めていた国労(国鉄労働組合)は、“たたかう労働組合”だったことに加え国鉄改革に真っ向から反対したこともあり、「国家的不当労働行為」のターゲットとされ、政府や国鉄当局から徹底的な弾圧(組合つぶし)を受けた。北海道や九州では、心を引き裂かれる思いで、家族を地元に残し本州への広域配転に応じた組合員も大勢いた。有名な「人活センター」も国労などの分裂を狙った露骨な組合差別だった。労働者の間では「(職場を)去るも地獄、残るも地獄」とささやかれた。職場で最大最強だった国労は、結果として完全な少数組合に追い込まれた。

その改革を国鉄内にいて主導したとされるのが、松田昌士、葛西敬之、井手政敬という、いわゆる「国鉄改革3人組」だった。国労の中では「3馬鹿」と呼ばれていた。

そのうちの1人、井手氏の姿を久しぶりに新聞紙面で見かけた。JR福知山線脱線事故をめぐる76日の強制起訴裁判の初公判の記事だ。それによれば、井手氏は強制起訴の段階になって初めて被害者の前に現れた。「これまで、JR西日本の幹部が何度頼んでも、毎年425日の追悼慰霊式や被害者説明会に出てこなかった」(76「朝日」夕刊)という。同氏は、公判で事故への謝罪は口にしながら、起訴内容については否認した。遺族の1人は「申し訳ないという言葉が空々しく聞こえた」と述べている。遺族の心の痛みをわがこととして受け止める良心が、同氏にははたして残っているのだろうか。

思い返せば、国鉄改革を成し遂げ、JR会社の幹部に就任したころ、同氏は絶頂の時期にあったのかもしれない。労働者の人権を踏みにじり、困難な国鉄改革を成就したことで、おおいに意気軒昂だったのだろう。しかし、新しく発足したJR西日本では調子に乗ってもうけ本位の経営に走り、悲惨な事故を引き起こす誘因をつくったと推察される。その責任者としていま法廷に引きずり出されることになった。天網恢恢疎にして漏らさず。いわばこれは同氏の人生にとって、遅れてやってきた国鉄改革の総決算なのだ。負わなければならない責めは大きい。

とげのあるまなざしで同氏を見つめているのは、事故の被害者らだけではない。国鉄改革のあらしの中で人生を翻弄されもみくちゃにされた人々の苦痛に対しても、この際、同氏は真しに向き合うべきだ。そのすべてを償うことなど、とうていできることではないが、少なくとも心に降ろすことのかなわぬ十字架を背負って、残り少ないだろう人生を歩いてゆかねばならない。

(きのした としくに/ライター)

2012/06/25

ライターきのしたの“一言いわせて” 1

「東京スカイツリーからのぞく明日――スカイツリー その1

 開業からちょうど一カ月目の622日、私は初めて東京スカイツリーを見にいってきた。高いというよりも、でかい。やたらにがたいのいい、一言でいえばずんぐりと太った、巨大なパイプの塊というのが、第一印象だった。それは、テレビや新聞で見慣れていたすっきりとしたシルエットとはイメージをかなり異にする。スカイツリーのほぼ真下から見上げたのだから、それも当然といえば、当然なのだが。

 一躍有名になったスカイツリー駅ではなく、都営線の押上駅を出ると、ちょっとした広場だった。見物客らしい人たちがあたりに散らばっていたが、夕方だったせいなのか思っていたほどの人出ではない。肝心のツリーは、どこにあるのか。目の前にあるのは、都心ならどこでも見られるようなガラス張りの黒っぽい商業ビルだけだ。上のほうにユニクロのマークが目に入った。

 期待はずれの感を抱きながら、東側に廻ってみると、やあ、出てきた、出てきた。これがあのスカイツリーか。そのときの印象は、冒頭に述べた通りである。

 さらに進み、ツリーの根元あたりまで来てみたが、列をなしているような人は見かけない。ちょっと拍子抜けだ。雑踏警備で棒を振っている警備員に迷惑を顧みず、観光客の出足について質問してみると「行列ができたのは、出だしのときだけ」だという。

 やはり迷惑とは思いながら別の警備員にも聞いてみたが、答えは同様だった。最近では「込み合うのは、土日や祭日くらい」らしい。繰り返すが、ツリーは開業してからまだ1カ月に過ぎないのだ。にもかかわらず、客足はすでに遠のきはじめているということなのか。

ツリーの下部にある商業施設は外見から判断する限り、さすがにきれいでピカピカしているが、とくにこれといって目を引くところはない。さらに歩いてゆくとスカイツリー駅だ。その出口からツリー下部に通じる路地には、ほとんど人通りがない。完全な裏通りになっている。事実、こちら側には、従業員関係者の通用口や車両用道路が並列しているだけ。つまりこちらはスカイツリーという街区の完全な“裏側”なのだ。正面はさっき歩いて来た商業施設がある側ということになる。小規模の商業ビルならいざしらず、スカイツリーという一つのまちにこんなにはっきりと表と裏があるのはさびしい。たとえば、東京タワーは、下部にある施設の正面はあっても、東京タワーという施設そのものに裏表はない。どの方角からもその姿を楽しむことができる。

日本を離れてエッフェル塔の例を持ち出せば、違いはさらに明白だ。エッフェル塔は広々とした公園の中に建っていて、人々は塔に昇ったり、階段を下りたりするだけでなく、その周りに佇んだり思い思いに散策を楽しんだりしている。そこに塔の裏表はまったく存在しない。思い込みが激しすぎるといわれるかもしれないが、エッフェル塔は市民のアイデンティティの一部と化しており、市民と一体化しているように見える。ひるがえってスカイツリーは、とにかく施設に客を呼び込もうという思惑が勝ち過ぎているのではないだろうか。言い換えれば、そこにあるのはスカイツリーとお客さまという、一体化することのない2項なのだ。

さらにそれは街の作り方にも当てはまる。スカイツリーの新街区の景観は、周辺に以前から存在する街なみとは完全に断絶しており、連続していない。超近代的な新街区を取り囲む道路のすぐ外側に、むしろレトロと呼ぶほうがふさわしい対象的な商店街が並立するさまは奇妙とさえいえる。あの六本木ヒルズだって、周りから浮きあがってはいない。一帯の街並みにそれなりになじんでいる。過激な言い方をするならば、これは東京スカイツリーという都市計画の敗北なのではないか。

私はその朝「今日は休肝日にする」と決めた決意を機敏に修正し、適当な居酒屋をみつくろって入った。意思が弱かったからではない。これは、あくまで取材の一環なのだ。

店内には、すでにいかにも地元の顔なじみといった雰囲気の客が78人いた。いずれも年配者ばかりだ。相手をするのは、これまた年配の女性主人が2人。銚子を注いでくれた81歳とかいう片方の女性によると、目の前にスカイツリーが開業したというのに「新しい客はまったく来ない」。たしかにその日の先客たちは、昔からの常連ばかりといった風情だ。この店だけでなく、近所の店も繁盛どころかさびれるばかりだという。スカイツリーの商業施設に地元の店は出店していないのかと聞いてみたが、どうやらそういうこともなさそうだ。地元がスカイツリー開業の恩恵に浴しているようには、どうも見えなかった。

メディアには、スカイツリー開業のだいぶ前から、高揚感があふれていた。それらは社会的に八方ふさがりの今日にあって、どこか明日への希望と結びついていたのにちがいない。その心理は理解できる。しかし、現実のスカイツリーは、人々の期待にこたえられる存在になれるのだろうか。

居酒屋を出た時、ツリーは淡い青色にライトアップされていた。少なくともその美しさは本物のような気がして、心に沁みた。

(きのした としくに/ライター)

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