大内要三 コラム「読む・読もう・読めば」

2009/10/28

読む・読もう・読めば 65

密約も約束のうちか

元毎日新聞記者の西山太吉氏は、沖縄返還に関して米国が支払うべき土地原状回復費用を日本政府が肩代わりする密約の存在をつかみ、公務員の国家機密漏洩を教唆したとして有罪となった。米国側は25年後に公文書を開示し、密約は明らかになったが、日本政府は存在を否定した。西山氏らはいま日本側の密約文書の開示を求める訴訟を起こしており、12月1日には東京地裁に交渉の当事者であった元外務省アメリカ局長の吉野文六氏が出廷して証言する。吉野氏は以前から密約の存在を肯定していた。岡田克也外相も密約関連文書を調査・公開するよう命じているから、密約文書の開示は近いと思われる。

西山氏が有罪になった件以外にも、日本政府と米国政府の間には密約がいくつもあるようだ。とくに重要なのは、核持込み容認の密約だろう。「持ち込ませず」がウソなら非核三原則はザル法であって、「核のカサ」の存在と相俟って、日本は核廃絶を主張する倫理的優位性を失う。では、国民に対して秘密にされていた政府間密約は、公表されると無効になるのだろうか。古い話になるが、1978年3月14日の参議院予算委員会で、上田耕一郎議員が質問している。

上田「もし日本の首相あるいはその代理人が外国の元首あるいはその代理人と秘密の取り決めを行った場合、そういう取り決めは国際法上効果がありますか。」真田法制局長「理論上の問題として両国のそれぞれの締結権限者が締結した取り決めは、仮にそれが不公表のものであっても、国際的にはそれはそのことだけをもって無効だと言うわけにはまいらないというふうに考えます。」大森条約局長「政府が交代しても、国が同一である限りはそれは効力は続くと言わざるを得ないと思います。」

密約もまた約束のうちだという。しかし上田質問は続く。「総理大臣個人が結ばないで、代理人に権限を与えて結んだ場合はどうですか。」大森「国際法上、総理大臣の代理人といったようなものが権限を持つといったような、そういう地位というものはございません。」上田「秘密の取り決めが日本の国益を害するものであった場合、そういう秘密の外交措置を行った総理大臣、これは処罰されますか。」瀬戸山法務大臣「残念ながら日本にはそういう処罰する刑法がございません。」

密約文書の署名者が問題だ。佐藤首相本人か、代理人か。非核三原則でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作氏は故人となったが。  2009年10月28日)

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2009/10/14

読む・読もう・読めば 64

「友愛」の祖

鳩山由紀夫首相は就任の少し前、月刊誌『VOICE』に「私の政治哲学」という文章を特別寄稿した。これが切り縮められて『ニューヨーク・タイムズ』電子版に掲載され、言うことを聞かない者は誰でも反米だとされてしまう米国で問題になった「事件」については、池田龍夫さんが「日刊ベリタ」(http://www.nikkanberita.com/)掲載論文で分析しているので、ここでは書かない。NYタイムズが端折ってしまった冒頭部分には、祖父・鳩山一郎の政治信条がクーデンホフ・カレルギーから学んだ「友愛」であることが書かれていた。現民主党のいう「友愛」はこれを引き継ぐものだという。

では、半世紀前の鳩山一郎首相とは何をした人なのか。在任は19541210日から561220日までのほぼ2年間と、長くはない。保守合同を実現し、さらに「ハトマンダー」と揶揄された、いかにも無理な区割りの小選挙区制を導入して憲法改正を目指したが、果たせなかった人、というのが第一印象だろう。しかしこの首相の他の「業績」にも鋭い目を向けているのが、荒川章二・静岡大学教授の『豊かさへの渇望』(「日本の歴史」第16巻)だ。2箇所を引用してみる。

その1、家族計画推進。「鳩山一郎内閣時代は、19552月の総選挙で、新生活運動の拡張を選挙公約とするなど世論の焦点とし、家族計画を重点とする生活改善運動が広く展開された。」専業主婦+一家の主人+子供2人を「標準世帯」とする近代家族が理想像とされたのは、このあたりからだった。少子だからこそ教育に力を入れる、つまりは受験競争もここに始まる。

その2、核持ち込み容認。「鳩山首相は19553月、原爆貯蔵を認める発言をし、野党の追及によってその撤回を迫られる。結局鳩山内閣は、在日米軍は核兵器をもたず、将来も日本の承諾なしに持ち込まないという架空の日米合意をつくりだし、追及を逃れた」。

さらには第五福竜丸事件の幕引き、横田基地の拡張、などなど。鳩山一郎内閣は米国からの自立を求める憲法改正指向のはずが、従属を強める結果になった。米国を手本に近代家族もつくった。その意味でも、なるほど1955年体制を作ったのは鳩山一郎内閣だった。お孫さんは『VOICE』論文の結論部分で、米国と中国の間で「いかにして政治的経済的自立を維持」するかが今後の課題、と書く。先々代の「友愛」路線から何を学び、何を引き継ぐのか。 20091014日)

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2009/09/28

読む・読もう・読めば 63

ミニコミの終わり方

1992年に創刊され、自衛隊海外派兵の動きを中心に軍事・安保問題の報道・論評に活躍してきた月刊誌『派兵チェック』が、この12月刊行予定の200号をもって終刊する。律儀に購読料の精算についての連絡があった。終刊の理由がなんとも具体的で身につまされる。「ここ数年の間に複数のメンバーの入院や手術を伴う病気、親の介護等による活動時間の制約などが重なり、財政的問題を『体力』でカバーすることも困難になりました(毎月の発送作業に3人集まることすらなかなか難しい状況にまでなってしまっています)。」太田昌国さんの鋭いコラム、池田五律さんの的確な論評、いつも愛読していました。ありがとうございました。

1984年創刊、地域誌のニューウェーブとして名をはせた『谷中・根津・千駄木』、通称「谷根千」も、この8月の94号をもって刊行終了した。「売れ行きに比べ印刷費などの経費がかかりすぎること、坂だらけの町を自転車で配達するのがきつくなってきたこと、4半世紀のうちにスタッフをめぐる環境も大きく変わったこと」によると、産経新聞は報道している。いまや作家となった同誌編集人のMさんは、東大新聞研→編集者→フリーの経歴を持つ方だが、自著に収録しようとした某短文を、いつ、どの雑誌に、どのような題で書いたかも忘れて、かつて私のいた某社編集部に問い合わせてきた(しかも本人でなく単行本の編集者が)。こういう人のつくる雑誌の終刊には、あまり同情しない。

これも創刊25年になる「古本と古本屋さん、すべての本を愛する方のための情報誌」、『彷書月間』も、来年10月の300号で休刊と予告されている。古本屋大賞出身の石田千さんのエッセイ、愛読していました。編集・発行人の田村治芳さん、どうぞお大事に。

大出版社の名物雑誌の休刊が続くのも淋しいが、ミニコミの終刊はもっと淋しい。活字文化の多様性は、ネット文化で代位されるものではないと思う。  2009年9月28日)

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2009/09/15

読む・読もう・読めば 62

勝ち方・負け方

もう2週間も前の話だが、総選挙で当選した民主党候補者たちが「バンザイ」をする姿が次々と映像で流れた。正しくまっすぐに耳の横に両手を挙げたのは自衛隊仕込みの某さんだけで、たいていは掌を見せる「お手上げ」あるいは一等賞ゴールだ。明治天皇巡幸で始まった、天皇の長寿を願って叫ぶ「万歳」が、ここまで安売りされるようになったのか。

負けた各党のコメントを採録しておく。

自民党の麻生総裁。「多くの同志を失い、残念至極に思っております。総裁としての責任を強く感じています。」「自民党は必ず態勢を立て直して政権を奪還いたします。」

公明党の太田代表・北川幹事長。「公明党は『生活を守り抜く』『政治は実行力』と主張し、今までの実績を訴え、理解をいただきたかったが、十分浸透できなかった。」「公約実現に全力を挙げる。その実現に当たっては、自民党との間に築いてきた信頼関係は大事にしたいというのが基本的な考えだ。」

幸福実現党「総選挙の結果を受けて」。「本党の主張した正論が国民に十分には理解されなかったものと思われますが、国難への警鐘を鳴らしたという点で、宗教政党としての重要な使命は果たしえたと思っております。」「選挙区によっては、母体である幸福の科学の信者数にもはるかに届かない得票数もあり、信者の信仰と政治選択に分離があるものと思われました。」

負けたときのコメントこそ、政治家の真価を見せるものだと思う。分かってもらえなかった、というのは、分からなかった国民大衆が悪い、と言っているのと同じだろう。グチを一切言わなかった麻生さんのコメントを、いちおう誉めておきたい。(2009914日)

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2009/08/29

読む・読もう・読めば 61

決戦! 太郎241

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憲法をどうするのか、マニフェストにはっきり書いているのは自民党と共産党だけ。分かりやすいが、民主党主軸の政権ができた後、来年7月の参院選にいたるドタバタが今から思いやられる。選挙カーのかまびすしい中、国会図書館に調べ物に行った帰りに国会見学土産物売場で、一部で評判になっている「決戦! 太郎241 白黒決着まんじゅう」を買ってきた。期間限定の土産物でもあるので。

包装紙に描いてあるのは、地球防衛軍(というより仮面ライダー)の制服(ベルトに菊の紋があるのは「不敬」ではないか?)を着た麻生さんが、宇宙人と手を結ぶ鳩山さんと国会議事堂を背景に闘おうとしている場面らしい。「太郎は地球を守ることができるだろうか」「もはや白黒はっきりつけるしか手段はない」とある。241とは衆議院議席の過半数のこと。開けてみると白と黒の饅頭が6個ずつ入っていて、どちらも麻生さんの顔を印刷した紙にくるまれている。

販売者「大藤」の社長はなかなかのアイデアマンで、日暮里に「江戸うさぎ茶屋」を、秋葉原に「うさぎ神社」を経営、うさぎ神社にはウサギの耳を付けた巫女姿の販売員がいる。バニーガールと巫女をミックスするとは、神も恐れぬワザか。なるほど今回の饅頭の「241」も、昨年の紅白にも出たアイドルユニット、AKB48を意識しているわけだ。麻生さんはオタクの友としてアキバで演説もしているし。

さて、ぐるっと巻いた包装紙の底の部分のマンガには、鳩山さんが「ついにわたくしの出番ですね…」と言い、小沢さんが「君にすべてを任せたよ」と言うフキダシがある。選挙中は裏方に徹した小沢さんが、本当に「任せる」かどうかは疑問だが。もうひとつついでに、同じ売店で「鳩山民衆サブレー」も買ってきた。こちらは「喜多村」が販売者で、包装紙には「友愛の日本を創る! 一皮むけた『宇宙人』を見て欲しい」とあり、鳩山さんは直江兼続ばりの「友愛」と大書した兜をかぶっている。こちらのほうが饅頭よりも長持ちしそうだ。  2009年8月28日)

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2009/08/14

読む・読もう・読めば 60

デジタル・ライブラリー

『日本経済新聞』は8月6日、「国会図書館の本、有料ネット配信 400万冊対照、11年にも」という記事を掲載した。すべての本は全文、パソコンで読めるようになる、それも来年から、という報道だ。日本文芸家協会、日本書籍出版協会との共同作業で、来年春には著作権者に著作権料を分配するための法人を発足させ、利用者へのサービス提供は民間の書籍通販サイトなどを通じるシステムにするという。たとえばAmazonのサイトから、新本を買うか、古本を買うか、ネットで読むか、読者の好みと料金によって3択になるということですね。

翌日、国会図書館は、この報道は「事実と異なるところがある」、日経からの取材はなかった、スケジュールは決定しているものではない、と発表した。「当館は、デジタル化した資料及び将来電子的に納本される書籍等を、著作権者及び出版社の利益に配慮しつつ、国内のどこからでもアクセスできるような仕組みを模索しています。」「今年に入り、日本文芸家協会、日本書籍出版協会及び弁護士有志と、このような仕組みの実現の方法について話し合い、研究会を設けることを検討しています。」という。

ということは、日経記事は書籍出版協会あたりからのリークによるもので、流れとしては誤りではないけれども、まだ検討段階であってスケジュールが決まっていないことについては誤報、ということになる。

国会図書館は、すでに「児童書デジタルライブラリー」で主に昭和30年以前に刊行された児童書を、「近代デジタルライブラリー」で明治大正期に刊行された書籍を、インターネットで無料で全文公開している。劣化して複写どころか閲覧も難しい本が読めるのはありがたいことだが、現在流通中の書籍までネット配信するとなれば、遠くない将来に出版業界は単なるコンテンツ産業になり、紙に印刷・製本する必要はまったくなくなる。

国会図書館は蔵書デジタル化のテンポを早めた。このように拙速な動きをするのはむろん、Googleによる書籍の全文ネット配信システムが年内にも稼働する可能性があるからだ(『図書新聞』6月27日号の高須次郎さんのインタビューなど参照)。この件についてはあらためて書く必要があるが、著作権とはたんにビジネス上のことだけではないはずだと、いちおう物書きの端くれとしては言っておきたい。何が読者の利益・著作権者の利益・出版社の利益になることなのか、慎重に検討すべきだと思う。 (2009年8月14日)

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2009/07/28

読む・読もう・読めば 59

民主党は憲法を変えるのか

民主党は723日に「民主党政策集 INDEX2009」を、次いで27日に「民主党政権政策 Manifesto」を発表した。前者は57頁で目次・索引つき、後者は24頁。ざっと目を通したところ今回の鳩山マニフェストは、実現可能性をそれなりに考慮した2005年の岡田マニフェスト、大衆受けを狙ったような2007年の小沢マニフェストの中間の感じだ。私ども平和運動者にとって興味深いのはやはり安保・外交・憲法に関する記述だが、憲法についての記述は政策集もManifestoも同じで、400字強しかない。さわりを引用してみる。

「民主党は、『国民主権』「基本的人権の尊重』『平和主義』という現行憲法の原理は国民の確信によりしっかりと支えられていると考えており、これらを大切にしながら、真に立憲主義を確立し『憲法は国民と共にある』という観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改める点があれば改めることを国民の皆さんに責任をもって提案していきます。」ということは要するにやはり民主党は憲法改正を提起すると言っているわけだが、肝心の9条をどのように変えたいのかは明言していない。

続けて「2005年秋にまとめた『憲法提言をもとに』」と書いているので、20051031日付の民主党憲法調査会の「民主党『憲法提言』」を引っ張り出してみる。終わりのほうに「いわゆる憲法9条問題について次の『4原則・2条件』を提示する」とあり、①戦後日本が培ってきた平和主義の考えに徹する ②国連憲章上の「制約された自衛権」について明確にする ③国連の集団安全保障活動を明確に位置づける ④「民主的統制」(シビリアン・コントロール)の考えを明確にする の4原則と、①武力の行使については最大限抑制的であること ②憲法附属法として「安全保障基本法(仮称)」を定めること とある。やはり具体的に9条をどのように改めようとするかは書いていない。

鳩山氏自身は2002年夏に「憲法改正試案の中間報告」を発表して、「安全保障」および「平和主義及び国際協調」の章条の改正試案を書いている。前者には「日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を組織する」とある。後者には「日本国は、国際社会の平和と安定に寄与するため、集団的安全保障活動に参画するときは、法律により、主権を制限することができる」とある。明らかな国家武装、国連軍への参加を主張するわけだ。この内容を平易に展開して、2005年には『新憲法試案 尊厳ある日本を創る』という本をPHPから刊行した。

仮に民主党単独政権が成立したとしても、鳩山氏の主張がすぐに実現することはないだろう。この総選挙にさいして民主党が、憲法9条をどうするか政策に明確に書けないでいる、その足踏み状態に注目したい。 2009728日)

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2009/07/14

読む・読もう・読めば 58

書籍の流通は変わるか

東京ビッグサイトで行われていた第16回東京国際ブックフェアの専門セミナーとして711日、「2009年本の学校 出版産業シンポジウムin東京」が開催され、特別講演「出版産業の課題解決に向けて」と4分科会が行われた。特別講演といっても、日販・トーハンの2大取次(要するに本の問屋さんですね)、出版社の筑摩書房、大手チェーン書店の丸善、集団仕入をしている書店グループNET21、の5氏によるパネルディスカッションで、司会は出版業界紙『文化通信』の編集長が務めた。

なんと言っても書籍の返品率が40%を超える、つまりいったん書店まで届けられた本の半分近くが売れずに戻って来るのは異常なことだ。委託販売システムでは、書店側が注文しなくても自動的に見計らいで本が届き、その時点でいったん出版社・取次側の収入になるが、期限内に売れなければ返品・精算される。1970年代までの教養主義が生きていたころには有効なシステムだったが、本の定価が相対的に安すぎるのに売れない現状のなかでは、うまく機能しなくなった。小売店の取り分を増やすことが難しいなら、マージンの多い責任販売システムや、また定価販売の縛りを外す(賞味期限の迫った弁当をコンビニで安売りできるようにするのと同じ)時限再販制との併用を進めなければならないだろう。

確かに、読者のニーズを読めない出版社が倒産したり、地域の文化に貢献しない書店が立ちゆかなくなっても、仕方がない。けれども男性書店員が結婚を機に辞める、つまり家族生活が成り立たない給料というのは異常ではないか。書店側から、どこの店に何冊あるというデータまであるのなら、なぜ偏在(ある書店では売り切れで注文しても入らない本が、別の書店では山積みになっている状況)が起こるのか、という問いがあっても、取次側は答えられない。きめ細かな対応をするためのシステム改良と流通経費負担には腰が重いのだろう。

「出版産業シンポ」の前身は1995年から5年間続いた「本の学校 大山緑陰シンポ」だった。米子の今井書店が肝いりとなって全国から出版業界人が集まり、「地域から描く21世紀の出版ビジョン」を熱く討議した。復活をとげ東京国際ブックフェアに併せて開催されるようになって4年目だが、次第に本音の議論ができなくなっているように思える。今回の特別講演でもオンライン書店について、ブックオフについて触れられることがなかったのは、これらに深く関与している取次への遠慮からではないかと思ってしまう。

200971 4日)

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2009/06/29

読む・読もう・読めば 57

17条憲法の再来?

大川きょう子「幸福実現党」党首のポスターに、「憲法9条改正。北朝鮮のミサイルから日本を守ります。」と書いてある。ノドンが飛んできたらミサイル防衛システムでも防げないと思うが、どうやって憲法改正で防ぐのか。大川隆法「幸福の科学」総裁(幸福実現党創立者)が615日に発表したばかりの「新・日本国憲法試案」を読んでみた。

まず驚いたのはその簡潔さだ。日本国憲法が前文650字弱+103条であるのに対して、この試案は前文83字+16条。厩戸皇子(聖徳太子)がつくったとされる17条憲法にちなんだらしく、第1条には「国民は、和を以って尊しとなし、争うことなきを旨とせよ。また、世界平和実現のため、積極的にその建設に努力せよ。」とある。和を尊ぶのも世界平和の建設もまことに結構だが、憲法に冒頭から「せよ」と書かれていると、国民のひとりとして落ち着かない。フランス大革命以来、憲法とは獲得した新政権を守り、かつ独裁権力にならぬよう新政権を縛るものだと思う。国民に命令するものを憲法というのだろうか。

2条は信教の自由。3条以下、国民投票で選出された大統領が国家元首・国防責任者であり、大臣を任免、陸海空の防衛軍を組織する。「大統領令以外の法律」は国民によって選ばれた国会議員によって構成される国会が制定する。大統領令と国会による法律が矛盾した場合は、最高裁長官がこれを「仲介する」が、2週間以内に結論が出なければ大統領令が優先する。最高裁長官は「法律の専門知識を有する者の中から徳望のある者を国民が選出する」。巨大な権力を持つことになる大統領は、よほど立派な人でなければならないだろうが、大川夫妻が大統領・最高裁長官に就任することを想定しているのかもしれない。

幸福実現党の憲法試案を読んでみたが、なぜ憲法を改正すればミサイルから日本を守ることができるのか、よく分からなかったので、同党の「主要政策」を見る。「『毅然たる国家』として独自の防衛体制を築きます。北朝鮮が核ミサイルを日本に撃ち込む姿勢を明確にした場合、正当防衛として、ミサイル基地を攻撃します。」とある。このためには憲法改正が必要、ということらしい。しかし私たちは日本国憲法のもとに「毅然たる国家」をつくる努力をしつつ、「北朝鮮が核ミサイルを日本に撃ち込む姿勢を明確に」することのないようにも努力したい。  2009年6月29日)

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2009/06/15

読む・読もう・読めば 56

海保ならいいのか

4月23日に衆議院で可決されながら、迷走国会で店ざらしにされていた海賊対処法案の扱いが急転、6月19日に参議院本会議で否決、同日衆院再決議で成立の見込みという。あらためて法案を読んでみると、ソマリアのソの字もない。公海と日本の領海・内水、つまり他国の領海以外ならどこでも海賊行為を取り締まる法律であって地域無限定。期間限定もない。保護対象の限定もないのは、外航船は「日本船」といっても船籍はパナマやリベリアの便宜措置船が多いし、船員も外国籍の人ばかりだからだ。

実際に「海賊行為に対処」するのは海上保安官と自衛隊員の共同作業になる。目玉は第6条の武器使用基準だ。警察官職務執行法7条の準用は、①犯人の逮捕または逃走の防止、②自己もしくは他人に対する防護、③公務執行への抵抗の抑止、の3ケースで、基本は威嚇射撃だが、④正当防衛・緊急避難、⑤相手が死刑・無期・3年以上の懲役・禁固刑に該当する凶悪犯罪を犯した時、⑥逮捕・拘留に際し第三者から抵抗を受ける時の3ケースでは、危害射撃ができる(相手を死傷させてもやむを得ない)。さらに今回は、⑦相手船の進行を停止させるために他に手段がないと信ずるに足りる相当な理由のあるとき、⑧その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で、でも武器使用ができる。⑧など、いくらでも恣意的に解釈できそうだ。

国連平和維持活動の武器使用には2タイプがあり、この分類でいえばこれまで自衛隊はaタイプ、つまり自己保存のための武器使用しか認められていなかった。昨年のテロ対策補給支援法でも「自己又は自己と共に現場に所在する他の自衛隊員若しくはその職務を行うに伴い自己の管理下に入った者」まで守る範囲を広げたが、aタイプの範囲内だった。それが今度はbタイプ、つまり任務遂行にあたり妨害者と戦うための武器使用が解禁されることになるのではないか。

じつは海上保安庁は自衛隊に先立って、任務遂行のための武器使用を認められていた。1999年3月に巡視船15隻を出動させながらに能登半島沖で不審船を取り逃がしたことの反省から、01年11月2日に海上保安庁法を改正し、20条2項に上の⑦⑧を加えていたのだ(ただし日本の領海・内水で、という限定つき)。これを根拠に翌月、九州南西海域で不審船と銃撃戦を行い、不審船は自爆して乗員全員が死亡した。

海上保安庁は本来、海における国境紛争を戦闘行為にエスカレートさせないために、海上自衛隊に先立って創設されたはずだった。だから海上保安庁法25条には「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を営むことを認めるものとこれを解釈してはならない」と明記されている。その海上保安庁がいまや1000トン、2000トン級の大型船を持ち(プルトニウム輸送船の護衛用に建造された巡視船「しきしま」は6500トン)、40ミリ機関砲を積む。その海保が領海外で自衛隊と共同して事実上の戦闘行為をするようになる。  (2009年6月15日)

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2009/05/28

読む・読もう・読めば 55

「あたご」事件最終報告を読む

防衛省は522日、イージス艦「あたご」による漁船沈没事件の事故調査「最終報告」書を公表し、同時に事件関係者38人を懲戒処分とした。報告書は昨年321日の「中間報告」(本コラム第28回で取り上げた)に比べてはるかに詳細であり、また122日の海難審判裁決を尊重して、事故の主因は「あたご」にあるとの認識を前提としている。自衛隊が「自分が悪かった」と認めているわけだから、これから始まる刑事裁判も最初から勝負はついていることになる。しかし、裁判ですべてが明らかになり、再発防止に大いに役立つかといえば、そう安心はできない。

報告書を読むと、艦内での乗員の弛緩ぶりがよく分かる。第2当直士官は「雨も降っていないのに見張り員が艦橋内にいることに違和感」を持ったが、所定の位置に戻るよう指示しなかった。警報装置は「作動するような設定となっていなかった」。レーダー上で見つけた目標にシンボルを付けたが「画面が見づらく目標の情報表示が繁雑になると思い」消去した。当直体制を変え当直員を減らしたのは、ハワイで行われた「装備の確認試験」(つまりイージスシステムのチェック)の報告書を書くのに忙しかったからだった。078月の「訓練練度の評価試験」では、事故時とたまたま同じメンバー、同じ順序で当直の交代があり、「視界不良時の見張りへの指示」や「目標の確認」が要改善事項として指摘されていた(のに改善されず事件は起きた)。

事故の「直接的要因」を2点、「間接的要因」を7点挙げているが、見張り員が所定の場所にいなかったことも、自動操舵を続けていたことも、警報装置が作動しなかったことも、艦長が仮眠中だったことも「事故の要因とは考えられない」という。このあたりは海難審判裁決に助けられたような感じだ。

まだ明らかにされていないというか、まったく問題にされていないことも多い。通報の遅れは重大問題ではないか。救難体制に不備があったのではないか。事件当日「あたご」に発着した3機の自衛隊ヘリは何を運んだのか。レーダーの記録がないのは何故か。そして何よりも、衝突回避の行動を取らなかったのは、軍の驕りがあったからではないのか。等々。88年の「なだしお」事件のとき、航泊日誌の改竄を朝日新聞がスクープしたのは、海難審判2審の審理中だった。「あたご」事件でも、まだこれから明らかになることがあるはずだ。

38人の懲戒処分者中、氏名が公表されたのは4人。海難審判の指定海難関係人と同じ。艦長と事故時の当直士官が停職30日、事故前の当直士官が停職20日、船務長が戒告だった。「なだしお」艦長の休職処分に比べても、いかにも軽い。   2009528日)

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2009/05/15

読む・読もう・読めば 54

清志郎さんゑ

5月9日に青山葬儀所で行われた「忌野清志郎 AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」=葬儀には4万人を超えるファンが参加したという。「雨上がりの夜空に」を含む彼の代表曲が演奏され、参加者が唱和したのは、常識的には不謹慎だろうが、舞台ではもっぱらヒンシュクを買うことに賭けてきたロッカーの送られ方として、本人に異存はなかろう。 「君が代」のパンクロック・バージョンを含むアルバム『冬の十字架』がポリドールから発売中止になり、自主制作で世に出たのは99年だった。歌詞は正確で演奏はぐっちゃぐちゃの「君が代」のエンディングに「星条旗と永遠なれ」のメロディーが入っているのは、日本の米国への従属状態をおちょくったものか、とも言われた。清志郎さん本人は「ジミ・ヘンドリックスを尊敬してるからさ」と説明した。69年の(あの伝説の)ウッドストック・コンサートのトリでジミヘンがぐっちゃぐちゃの「星条旗よ永遠なれ」を演奏したことに倣ったのだから、立派に説明になっている。

清志郎さんの歌のほとんどは「分かりやすい」愛の歌というか、高校生がノートの端っこに書いた程度のものだ。ロックを日本語で明瞭に歌うこと、イントネーションに合わせて曲をつくることに拘ったことからすると、意識してのことか。あまり歌われなかったようだが、「善良な市民」などはやや異色かつやや生硬だ。「泥棒が 憲法改正の論議をしてる/コソ泥が 選挙制度改革で揉めてる/でも善良な市民は 参加させてもらえず/また 間違った人を選ぶ」

また、07年に小学館文庫で再刊されて最後の著書になった『瀕死の双六問屋』の一節にこうある。「この国の憲法第九条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。」

喉頭癌を病んだ清志郎さんが手術を拒み代替療法を選んだのは、歌えなくなることを恐れたからだという。声が出なくてもギターがあるじゃないか。いったん「完全復活祭」をした彼の癌は再発した。命より歌、という彼の選択が切ない。  (2009年5月14日)

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2009/04/28

読む・読もう・読めば 53

グアム協定を読む

日米間のグアム協定が18日に衆議院本会議で可決され、参議院で審議が行われている。参議院で否決されても5月中旬には成立してしまう。正確には「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」という。すでに200651日に日米安保協議委員会で合意し、本年217日に来日したヒラリー・クリントン国務長官と中曽根外務大臣とが署名した政府間協定だから、本来は国会を通す必要はない。わざわざ国会に上程して条約なみのものにするのは、たとえ政権交代があっても必ず実施するという縛りのためだ。

米第三海兵隊は沖縄に普天間飛行場のほか8箇所にキャンプ・訓練場を持つ。2014年までに一部をグアムに移転して沖縄の負担を減らすから、グアムの基地整備は日本負担で、というのが協定の趣旨。普天間は県内の名護市辺野古への移転で、環境破壊が明白なため反対運動が根強く続いているし、本当に削減効果があるかどうかは疑問だ。だいたい移転費用というから引っ越し代かと思えば、違うのだ。

日本の出費分は司令部庁舎、教場、隊舎、学校、家族住宅、基地内インフラ整備に使われる。家族住宅用地は1エーカー(約4000㎡)あたり5.6戸、二等兵用でも120㎡以上の建物という、なんとも豪勢なもの。締めて日本負担は609000万ドル(国民1人あたり約4700円)。米負担は燃料・弾薬施設、道路整備など418000万ドル。という数字はまことにドンブリ勘定であって、協定7条に「未使用残額」は返還される規定があるが、すぐその後には日本の同意があれば「他の個別の事業に使用することができる」とある。利子についても同じく同意を得て使うことができる。要するにいったん日本が払ったら1銭も返ってこない。自民・公明政権は米国にはなんとも気前の良いことだ。

必要な費用を積算するのではなく、総額でふっかけて少し譲歩したような顔をする、という米国のやりかたは、72年沖縄返還のときの日本負担と同じ、と岩波新書『沖縄密約』で西山太吉氏が書いている。   (安保条約発効から57周年の428日記)

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2009/04/14

読む・読もう・読めば 52

書籍流通のオルタナティブ

もともとは文学評論畑の出の方だと思うが、行動する批評家の大澤信亮氏が、出版社や取次を通さない書籍流通の別の市場を構想している。昨年暮れに相次いで出た『フリーターズフリー』2号と『ロスジェネ』2号で。巨大市場とは別にコミケ(コミックマーケット)やフリマ(フリーマーケット)が成立していることからの発想のようだが、より直接的には、上記2誌の刊行企画を持ち込んだ出版社の対応からであるようだ。

大澤氏らの構想そのものは実際に掲載された誌面で読んでいただきたいが、ひとりの編集者として(現流通機構に縛られて多くの出版企画を没にしてきた痛みをもつ者のひとりとして)大いに共感した文章を、少しだけ引用する。

ひとつは物書きとしての矜恃(違うかな)について。「出版社や取次や書店を敵視しているのではありません。みんなギリギリだということはわかっている。しかし、採算度外視のボランティア的な試みを続けるなら、若者の労働問題に物書きとして関わる私の当事者性がなくなってしまう。先行投資的に話題を作って、商業出版へ勝ち抜けるという、つまらないルートしかなくなる。」

もうひとつは「無料で配れ」という意見への反論。「お金を払ってものを買うとは、そのお金を得るために払った自分の努力を、敬意をもって他者の努力に譲渡するということです。それはイデオロギーとは別のレベルで『社会』について考えることでもあります。私は『無料で配れ』という放言に、働くことに苦しんだ人の感覚を認めません。」

本が売れなくて困っているのは、著者も編集者も出版社も流通業者も小売店も同じだ。文字を読み理解する能力のある人が減ってきているからではないか、という推測は恐ろしくて誰もしないが。流通過程がいちばんの問題だろうということから、これまでにも独自の流通機構が、中小出版社などによってさまざまに模索されてきたが、壁は厚かった。新しい世代の新しい構想の展開に注目したい。 2009414日)

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2009/03/28

読む・読もう・読めば 51

古本の楽しみ

古書店の店先に置かれたいわゆる均一台に目が行く。某日、1993年に出た小沢一郎著『日本改造計画』を某古書店で100円で買った。政治資金について72頁に次のような文章がある。

「まず、政治資金の出入りを一円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にすることである。それによって、政治家が不正を働く余地も、国民が不信を抱く余地もまったくなくしてしまう。/政治家の政治資金団体を一つに限り、政治活動にかかわるあらゆる資金はそこを通してのみ受領、支出し、一年ごとに全面公開する。これだと、公私の別のはっきりしないドンブリ勘定も、政策決定に絡んだカネのやりとりもできなくなる。/さらに、企業や団体による政治献金は政党に対してのみとし、政治家個人への献金は禁止してもいい。理論的にはおかしいことだが、政治家と特定の企業、団体との関係について疑いを持たれる余地をなくし、国民の政治不信を払拭するためにはやむを得ないと思う。」

さて、何が「理論的にはおかし」くて何が「やむを得ない」のか。また某日、2007年に出た田村重信著『民主党はなぜ、頼りないのか』を某古書店で50円で買った。133頁以下に『週刊現代』2006年6月3日号の記事「すべては田中角栄のマネ、小沢一郎の『隠し資産』を暴く」が要約されている。

「小沢氏所有のマンション10戸の購入価格の合計は、なんと約6億1000万円。/多くの国民が住宅ローン返済で苦しんでいるときに、建設業者などから受けた政治資金で超高級マンションをいくつも購入する小沢氏は、政治家として、どういう神経を持っているのだろうか。/これらマンションの一部は、自ら理事を務める国際交流団体や民間会社にも貸しているという。」

小沢氏の金脈については以前から断片的に報道されていたが、本格的な「研究」はないようだ。立花隆さんの田中金脈研究に匹敵する小沢金脈研究をマスコミがしないのはなぜか。

2009年3月28日)

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2009/03/15

読む・読もう・読めば 50

世襲

北朝鮮の金正日総書記もすでに67歳、昨年8月に脳卒中の発作を起こしたとされ、健康問題が心配されるなかで、後継者が誰になるかがさまざまに報道されている。昨年121日には朝鮮労働党組織指導部が一部の党幹部に対して、後継を世襲とすることを強く示唆する内部通達を出した、同20日には軍総政治局も軍幹部に同様の通達を出した、というのは朝日新聞報道。毎日新聞はもっと具体的に、人民軍政治局が「後継者に三男正雲氏が選ばれたとする内部通達を出していた」と書いた。ともに北京情報だ。

                                                                                                   

38日の最高人民会議代議員選挙では683人が当選したが、当選者のなかに金総書記の3人の子息の名はなかった。総書記自身が代議員になったのは82年、74年の後継者指名以後8年もたってからだから、不都合はないのかも知れない。しかしこのように世襲を前提とした後継者選びが憶測を交えて報道されるのは、指導者が世襲でなければ国家の統一が維持しがたい苦境を現しているのだろう。金王朝とも揶揄される。しかしながら日本の国会も世襲議員ばかり、米国もブッシュ世襲とクリントン夫婦の4代続く大統領を戴きかねなかったのだから、民主主義の質に関してはいい勝負だ。

韓国軍事政権下での革命運動家群像を描いた李恢成の長編小説『見果てぬ夢』のなかでも、難所のひとつが「後継者問題」だった。朝鮮労働党の意向を伝える羅道卿は言う。「革命は代を継いで行われるのですから。そこで金日成主席に最も忠実で、主席の革命思想を継承・発展させる人物を早く準備する必要がある」「たまたまあの方が金日成主席の御子息だというので絶対に後継者になるのはいかんというのじゃ、これは人権侵害というか、当人に気の毒じゃありませんか」。ヘリクツであろう。

同じような会話が繰り返されるのだろうか。人工衛星「光明星2号」打ち上げが後継者指名を祝う花火であるとしたら……。  2009314日)

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2009/02/27

読む・読もう・読めば 49

ソマリア国連決議を読む

まだソマリアにこだわっている。

政府は3月上旬にも「海賊対策法案」の国会上程を目指している。広島県呉市の海上自衛隊第8護衛艦隊では「さざなみ」と「さみだれ」の2隻(なんか象徴的な艦名だが)が海上保安庁職員を乗せて出港する準備を進めているし、ソマリアの隣国ジブチを本拠に飛んで海上パトロールをするP3C機も出動の準備を進めている。「海賊対策法」の冒頭には、自衛隊・海上保安庁派遣の根拠・権威づけに、国連安保理事会決議が言及されるはずだ。国連安保理はこのところ立て続けに「ソマリア情勢に関する決議」を採択しているが、そのなかでも海自・海保派遣の根拠として重要なのは決議1951

「海軍艦船及び空軍機の展開並びに同国沖での海賊行為及び武装強盗に組みすると疑わしき船舶・艦船・武器及び関連物資の没収または処分を通じて同国沖における海賊行為及び武装強盗との戦いに積極的に参加することを要請する。」

と昨年1216日の安保理決議1951には書かれている。この決議の共同提案者のひとりが日本(非常任理事国)だった。この部分だけが報道されて、まあ海賊退治なら助っ人に行ってもいいか、日本のタンカーや豪華客船が海賊に襲われても困るし、と思う人も多いかも知れない。けれども、この安保理決議は海賊対策のためだけに出されたものではない。ソマリアに大国の都合の良い政府を擁立することが主要な目的なのだ。

だからこの決議に従って派兵する国々は「ソマリア暫定政府を支援する」ことになるのだとはっきり書かれている。自国内で会議を開けずジブチで発足した暫定政権が、沖合の大国の軍艦に援護されつつ勢力を伸ばし、安保理決議1863116日)ではこれを統一政府に昇格させるため本年6月には国連PKO部隊を送ることまで決まっている。要するに国連大国はソマリアに「イスラム原理主義」政権ができることを阻止しようと、必死で暫定政権を育てているわけだ。こういうのを内政干渉と言うのではないか。1992-94年に国連が大軍を送って内戦の一方に荷担し、惨敗して撤退した歴史を忘れたのか。  

2009227日)

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2009/02/14

読む・読もう・読めば 48

ソマリア援助とは何だったのか

ソマリアに滞在したことのある日本人はごく少ないだろう。観光はあり得ないし、貿易もごく限られたものだった。それでも『実用ソマリア語入門』『ソマリア語辞典』がともに刊行されているのは、農業・漁業・緑化などの支援で滞在した人々があり、支援の拡大が望まれたからだろう。いずれも1991年に崩壊したシアド・バーレ政権時代のことだ。

ユニセフ(国連児童基金)の職員として19831月から翌年6月までソマリアに駐在した小山久美子さんが、『ソマリア・レポート 国連職員の暮らした不思議の国』という本を94年になって書いている。ユニセフといえば、貧困・暴力・疾病・差別から子供たちの命と健康を守る組織であって、親善大使に黒柳徹子さんやオードリー・ヘップバーンがいる。小山さんの本はソマリア体験を記した貴重なもののはずが、不思議なことにこの本は著者の見聞を綴るものの、著者がユニセフ職員としてどのようなプロジェクトをどのように進め、どれだけの成果を得たかが、まったく書かれていないのだ。

たとえば、このような記述がある。「遊牧民の特質とされる誇りの高さ、独立した精神は、表面的な付き合いだけでも、そのストイックな、迎合しない態度から感じ取れる」が、「誇り高さは、往々にして偏狭さ、根拠の無い、無知によるおごりになる事が起こった。ソマリア人は、他の世界を知らないくせに自分たちが一番良いと思っている節もあった。」

そして、このように綴じられる。「ここまでばらばらになってしまった国を、一つにまとめていくのは、ソマリア人自身がやるしかない。今のソマリアは、地面に力一杯たたきつけられて粉々に砕けた鏡のようだ。」そうかも知れない。けれども援助にかかわった人にここまでクールに書かれるのは淋しい。砕けた鏡には国連も米国もソ連もイタリアも、そして日本も映っているのではないか。  2009214日)

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2009/01/28

読む・読もう・読めば 47

蟹工船をソマリアへ

海賊退治のため海上自衛隊をソマリア沖に派遣する計画が進行している。海上警備行動は本来、最初に発動された1999年の能登半島沖不審船事件で、日本の防空識別圏を越えたところで不審船追跡を中止しているように、本土防衛のためのものだから、東アフリカ沖まで行くのはいかにも無理だ。だいたいソマリアの海賊は漁民の副業なのだから、彼らが漁業で暮らしていけるように援助すれば海賊は激減するはずだ。

先例がある。1979年にソマリアの首都モガジシオに日本政府代表団が赴き、ソマリア政府との間に農業・畜産・漁業・工業・観光ほかの開発協力に関するメモに調印した。同年末にはソマリアの外相が来日、3ヵ年開発計画等を提出した(海外漁業協力財団『ソマリア民主共和国3ヵ年開発計画等』に収録)。漁業部門では、漁港と加工場の建設、魚類資源調査船の派遣、漁協育成の援助、指導職員の研修が求められた。これに基づき、翌年に海外漁業協力財団、国際協力事業団、宝幸水産から5名の調査団が派遣され、冷蔵施設とプレハブ建築の市場施設を建設する計画を立てた。予算5億円(国際協力事業団『ソマリア民主共和国水産物流改善計画基本設計調査報告書』)。これは実現したようで、国際協力推進協会『ソマリアの経済社会の現状』には日本の無償援助のひとつとして81年の水産物流改善計画5億円が掲載されている。

なぜもっと大規模な漁業援助ができなかったのだろうか、と不思議に思うのは、当時日本の北洋漁業が衰退に向かっていたからだ。サケ・マス・カニ・イカを中心とした北洋漁業は、米ソの200カイリ漁業専管水域宣言とオホーツク海での漁業規制の強化で大打撃を受け、1988年には終結する。北洋漁業は船団を組み、母船は漁獲物を船内で缶詰に加工していた。小林多喜二が1929年に雑誌『戦旗』に発表した小説『蟹工船』は「博光丸」が舞台だが、これは林兼商店(のち大洋漁業=マルハ)の「博愛丸」で起こった争議をモデルにしているという。鮮魚を冷蔵・冷凍のまま流通させることが困難だった時代、ただちに缶詰にしてしまう北洋漁業の母船は、まことに合理的なものだった。北洋漁業が立ち行かなくなったのなら、これらの船団をソマリアにプレゼントすれば良かったのではないか。鉄道もなく道路も未整備、冷凍施設も満足にないソマリアに漁業を発展させるには、恰好のものだ。指導のため乗組員も行けば、リストラも避けられた。

上記の報告書に掲載された写真を見ると、1970年代にソマリアに導入された動力漁船のほとんどはまことに小さなもので、公園のボートに毛が生えた程度。あまり魚食の習慣のなかったソマリアに漁業を起こす必要があったのは、オガデン地方の領有をめぐる戦いでエチオピアに敗れて大量の難民が生まれ、家畜を失った遊牧民を漁村に定住させたからだ。なぜ同じソマリ族の住むオガデン地方をめぐる戦いに敗れたかと言えば、それまでソマリア「革命政権」を支持していたソ連が1974年のエチオピア革命を支持するようになったからだ。さらに言えば、1960年にイタリア領ソマリランドと英領ソマリランドが合併・独立した際にも、さらにさかのぼってオスマン・トルコが敗れた一次大戦後にソマリ族の地を列強が5分割した時にも、ソマリ族の主権が尊重された形跡はない。植民地支配した英国もイタリアもソマリアのインフラを整備せず(わずかにイタリアが作った製塩工場の施設は、二次大戦後に連合国に接収され持ち去られた)、「革命政権」に軍事顧問団を送ったソ連も、秘密警察を養成した東独も、ソ連が引き上げた後に最大の援助国となった米国も、バーレ「革命政権」を腐敗させただけだった。そして91年にバーレ政権が崩壊した後のソマリアは崩壊国家となった。93年の武装解除のための国連介入は、米軍による軍事行動への反感から「ブラックホーク・ダウン」、つまり米兵18名虐殺の惨事を引き起こして失敗した。領海も漁業専管水域も意味がなくなり、大型船に対抗できないソマリア漁民は困窮して海賊になった。

旧英領ソマリランドがそれなりに秩序を保ってあらためて独立を宣言していることや、自治政体プントランドの動きについては、ここでは触れない。ただ、ソマリアの現状が、西欧列強が寄ってたかって100年かかってソマリ族の地をボロボロにした結果であることは確認しておきたい。その当事者たちが責任をとらず、日本までも加わって軍艦を送り海賊討伐をするのは間違っているのではないか。取り締まるべきなのはソマリアの漁業専管水域で密漁する漁船であり、必要なのはソマリア漁民の生活が成り立つようにする援助であるはずだ。蟹工船をソマリアへ! 2009128日)

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2009/01/14

読む・読もう・読めば 46

ガザの物語

新年はガザ攻撃のニュースで、少しもめでたくなかった。数え切れないほどの国連決議を無視するイスラエル政府は、それでも麻生政権と違って国内では圧倒的に支持されている。旧ソ連・東欧圏から流入した「ユダヤ人」を加えて失業率は高い。迷惑至極なハリネズミ人工国家を作り維持する米英の責任は重い。

ガザはアフリカとアジアを結ぶ交易路上の町だから、古代エジプト・メソポタミアの史料にすでに現れる。『旧約聖書』には創世記からゼカリア書までの22箇所に出てくる。いま数えたわけではなくて、『旧約聖書語句辞典』とか『新共同訳聖書コンコーダンス』などの便利な本があるのだ。なかでも有名な箇所は、「士師記」第16章のサムソンとデリラの話だろう。

イスラエルをペリシテ人から解放すべき大力のサムソンは、ペリシテ人のデリラを愛し、その奸計にかかって大力の源、髪の毛を剃られた。捕らえられ眼を刳り抜かれたサムソンはガザで獄につながれる。サムソンは叫ぶ。「ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。再び髪が伸びて力を取り戻したサムソンは、大勢のペリシテ人の満ちた家の柱を倒し、自分も下敷きになって死ぬ。

これを愛と改心の物語と解して表題に使ったのが、オルダス・ハクスリーの『ガザに盲いて』で、1936年の作品。ガザもサムソンも出てこない現代小説だ。8ポイント2段組400頁を超える長編で短い章ごとに時間が行ったり来たりするので、まことに読みにくい。野暮を承知で短縮すれば、主人公アントニーが親友ブライアンの自殺、初めて愛を意識したヘレンとの行き違いを経て、ミラー博士との出会いにより「非暴力・無抵抗主義平和運動」に加わり、愛国主義者の脅迫を無視して演説会に行こうとするところで終わる。なにしろ『恋愛対位法』『すばらしき新世界』のハクスリーだから、マルタン・デュ・ガールの『チボー家』に比べても平和運動に加わる必然性が観念的だが。

20世紀前半の英米文学は、ロレンスもエリオットも読まれなくなって、ジョイスだけが気を吐いているのが少々淋しい。欧米の知識人にとって欧米以外は「土人」の国だった時代の文学なのだから、ある意味当然ではあるが。ちなみにイスラエル建国は1948年だった。   2009114日)

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2008/12/14

読む・読もう・読めば 45

貝になれなかった人

橋本忍氏の脚本による映画『私は貝になりたい』が評判になっている。同氏の脚本による映像化は、1958年の東京放送によるテレビ放送(芸術祭参加・文部大臣賞)、翌年の東宝による映画化、94年のTBSによるテレビ放送、そして今回の東宝による再映画化と、4度目になる。橋本氏は今回の脚本を朝日文庫で出版するに当たり、「序に代えて」で「改訂決定稿」と書いているが、加藤哲太郎氏による原作と自身の「作品」との関係については、まったく何も発言していない。したがってこのあたりの事情については、加藤氏側の『私は貝になりたい あるBC級戦犯の叫び』(春秋社刊)ほかで補わなければならない。

戦犯として死刑を宣告された(のち再審により30年の有期刑に減刑)加藤哲太郎氏が、巣鴨プリズンの中から、米軍批判は刑期短縮の妨げになることからやむを得ずペンネームで発表した創作「狂える戦犯死刑囚」中に、「私は貝になりたい」の名セリフがあった。このセリフを含む一節を『週刊朝日』が本物の戦犯死刑囚の遺書と誤認して掲載し、橋本氏はそれを読んで物語をふくらませたという。橋本氏は他の戦犯の手記もいろいろ取り込んで自身の作品にしており、加藤氏のオリジナルを読んでいる可能性もある。加藤氏が「私は貝になりたい」の原作者として名乗り出た後の橋本氏の対応は、不誠実きわまるものであったようだ。しかし東宝は加藤氏を原作者として認め、「遺書・原作 題名 加藤哲太郎『狂える戦犯死刑囚』」と明記するようになった。朝日文庫もそれを踏襲している。

橋本作品を読む。典型的な庶民のひとり、床屋の清水豊松が無実の罪で死刑にされる理不尽さ、日本軍の野蛮さと無責任体制については、素直に伝わるものがある。あまりにもベタでクサい表現ではあるけれども。しかし、戦争はこわい、というところで終わってしまっているのは、戦後60年余を経て戦争責任問題の論議が深まったいま、これで「改訂決定稿」とするのはなんとも淋しいことだ。今回の映画を見て、戦犯裁判は勝者の不公正な裁きだという印象だけを強める人もあるだろう。

加藤作品には、天皇への責任追及があり、強制されたとはいえ犯罪者となった自身への反省がある。戦後責任を考える走りであったかもしれない。そのような良質な部分を無視してお涙頂戴の部分だけを利用した橋本版「私は貝になりたい」が、衛生無害と判断され文部大臣賞を得たのも納得できる。貝になり沈黙することのできなかった加藤氏(1976年没)の無念さを想う。   20081214日)

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2008/11/29

読む・読もう・読めば 44

出版界・冬の時代は続く

本コラム第24回「雑誌の終わり方」の続報として書く。『主婦の友』の本体は休刊したが、新年号付録の家計簿だけが長年の愛読者の要望に応えて継続出版された。『2009年版 主婦の友 365日のおかず家計簿』という。カレンダーと「領収書入れ兼用クリアポケット」を付録にして(かつての付録に付録がつくのはご愛敬)、税込み920円。

しかし本が売れず雑誌も売れない状況は続く。売上高のピークは書籍が1996年、雑誌が97年、ついでに音楽CD97年だという。以後は落ちる一方だ。広告のスポンサーも、効果の小さくなった媒体への広告量は絞るから、ますます立ちゆかなくなる雑誌が増える。オピニオン誌『論座』(朝日新聞出版)と『現代』(講談社)の休刊はとりわけ淋しい。映画雑誌『ROADSHW』(集英社)も、男性誌『PLAYBOY 日本版』(同)も、育児誌『マミイ』(小学館)も、そして『広告批評』(マドラ出版)、『読売ウイークリー』(讀賣新聞社)も消える。代わって隆盛を誇るのがネット広告とフリーマガジンだ。フリーマガジンの代表格、『R25』については本コラム第3回に書いた。

フリーマガジンの先輩格が就職情報誌ということになる。リクルート社が職種別に発行しているほか、地域誌も多い。ところが最近、繁華街で若い女性に『モモコ』がおおっぴらに配布されているのを見て仰天した。かつて学研が出していたアイドル誌『Momoco』とはまったく違う。『モモコ』は「高収入求人が満載・女のコ応援マガジン」と銘打った風俗業界の就職情報誌で、要するにピンサロ、イメクラ、SMクラブ、デリヘル、ソープ等の求人情報が満載されている。最新号の12月号は第38号で、300ページを超える。このような雑誌がばらまかれるのは、それなりに効果があるからなのだろう。こういう雑誌を作らねばならない編集者のことを考えると悲しい。 (20081128日)

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2008/11/17

読む・読もう・読めば 43

田母神論文の何が問題となったのか

田母神俊雄氏が空幕長の地位を棒に振って、確信犯として「日本は侵略国家であったのか」という論文(のようなもの)を書いたのはなぜか。何が問題になったのか。東京裁判史観批判とか靖国史観とか論文によるクーデタとか言われるが、やはりまずは論文の原文を読まねばなるまい。

冒頭に出てくるのは、米軍の日本駐留を日本侵略とは言わないのは、条約によるものだからだ、という話だ。なるほど空幕長ともなると、まずは日米同盟を持ち上げなければならないのか、と思いきや、続きを読むとまるで話が違ってくる。論文は日本軍の中国大陸・朝鮮半島駐留も条約に基づいたものだった、と述べた後、それは「圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない」と続く。「昔も今も」というところがミソだ。要するに彼は日本国憲法ばかりか日米安保条約までも批判しているのだ。そして論文の後のほうでは日米戦争を「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠」であると述べる。

田母神氏がついに退職を余儀なくされるに至ったのは、日米同盟を批判し、米国からの独立を説いたことによる。これは現在の自衛隊主流の志向とは異なる。今年の東大五月祭で田母神氏が安田講堂で講演するに先立ち、石破防衛相(当時)は「政府見解や大臣見解と異なることを言ってはいけません」と釘を刺したという(1113日付「毎日新聞」)。

航空自衛隊の生みの親のひとり、戦術指導を行ったのは、米国のカーティス・ルメイだ。1945年に東京大空襲ほかの無差別戦略爆撃を立案・実行して日本の市民33万人を殺した当人である。昭和天皇はそのような過去を水に流して、自衛隊への貢献をもって1964年にカーティスに勲一等旭日大綬章を授与した。田母神氏は昭和天皇にも空自の大恩人にも楯突いて、米国からの独立を主張したことになる。  (20081116日)

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2008/10/29

読む・読もう・読めば 42

シリーズ「福祉に生きる」のこと

『レーニン全集』を見て、「これ全部、ひとりで書いたの?」と言った人がいたそうだが、ひとりで1冊ずつ書いても50冊のシリーズを完成させるのは容易ではない。商業的に失敗すれば、即、出版社の倒産につながる。ところが、大空社は10年かかって「シリーズ『福祉に生きる』」50冊の刊行を実現し、続いて11月にはさらに5冊を刊行するという。快挙と言うべきだろう。ジャンルを問わない評伝シリーズなら吉川弘文館もミネルヴァ書房も出している。しかし本シリーズは福祉関係者に限った評伝を、ひとりの人物についてひとりの著者が1冊で書きおろし、各冊定価は本体2000円という設定だから、普通の出版人なら「とても商売になりません」と二の足を踏む企画だ。

『週刊読書人』1031日号に、一番ケ瀬康子さんとともに編集者をつとめる津曲裕次さん(長崎純心大学教授)が「編集にあたって」を書いている。当初の候補者・執筆予定者は93名、うち実現したのは15人分とのこと。既刊の50人+11月刊の5人を見ても、私が無知なせいもあるだろうが、知っている名前のほうが少ない。全容は大空社(おおぞらしゃ)ホームページで見てください。一般的には無名に近くても、福祉史のうえで大きな働きをした人はたくさんいるのだ。

すごいのは、「本伝記シリーズでは、執筆を依頼するに当たって、締切を設定していない。研究の成果が纏まり、それを伝記として書き下ろしていただくことが大前提だからである。」という編集方針だ。決して完成することのないシリーズということになり、出版人としては夢のような企画でもある。大空社は1983年創業の学術出版社で、主に復刻の揃えものシリーズをいくつも刊行しているが、なかには中途で別の出版社に譲渡せざるを得なかったものもある。本シリーズの刊行が継続されることを願い、まだ出版界というのも捨てたものではないな、とも思う。 (20081029

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2008/10/14

読む・読もう・読めば 41

ジュリーさんゑ

もとザ・タイガースのジュリー、沢田研二さんが自ら作詞した日本国憲法第九条賛歌、「我が窮状」を歌っている(作曲は元スパイダースの大野克夫さん)。「老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ」「この窮状救いたいよ 声に集め歌おう」という歌詞は、スターとしての浮き沈みと何度もの変身を経て還暦を迎えた彼の新しい「決意」を示しているのか。結構なことだ。

少しばかりの危惧が2点ある。九条が「英霊の涙に変えて 授かった宝だ」という、その「英霊」という言葉が気にかかる。というのも、かつて早川タケジさんの派手派手しい舞台衣装で歌っていたころ、「サムライ」という曲で袖にナチスのハーケンクロイツのマークを付けていた(のち抗議を受けて×マークに変更)のは、確信犯だったのか、という疑問があるからだ。もうひとつは、タイガース解散後にもとテンプターズのショーケン(萩原健一)らとPYGを結成してロック?に転向して「花・太陽・雨」などを歌ったものの、日比谷野音や京大講堂で「こんなんロックじゃねえ!」と野次られまくった経験をどう生かしているのか、ということだ。本来、ロックは体制批判の音楽であって、単にこれからはもうグループサウンズの時代ではない、という渡辺プロの都合で結成されたチームには困難な世界だった。もっともPYGにはたしか井上堯之さん、大野克夫さんもいたから、その後のジュリーの方向性を決める重要な結節点だったと思う。

さらにさまざまな曲折を経て、いま沢田さんは九条賛歌を歌う。幸いにスローで比較的単純な曲だから、今年の忘年会で団塊オヤジが歌えるかもしれない。「我が窮状守りきりたい 許し合い信じよう」とオヤジたちが照れながら歌うのは悪くない。かつて「僕は担いでもらう御輿になっているのがいちばんいいんだ」(玉村豊男編『我が名はジュリー』、1985年)と言っていた沢田さんが、いま自分の方から発信し始めたのだとしたら、もっといい。たとえそれが護憲運動への参加というようなものでなく、護憲運動と響き会うものがある、というだけのものであるとしても。  20081014日)

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2008/10/05

読む・読もう・読めば 40

『黄金郷(エルドラド)伝説』を読む

時代の空気を読んだ読み物だけがベストセラーになれる。では、刊行当時に熱狂的に迎えられ、今なお読み継がれる、『コロンブス航海日誌』とデフォーの『ロビンソン・クルーソー』とドイルの『失われた世界』の共通点は何か。それは「探険帝国主義」だ、というのが本書、山田篤美著『黄金郷(エルドラド)伝説』(中公新書、089月刊)の主旨だ。

なるほど、そうだったのか、とあらためて思う。ロビンソン・クルーソーは絶海の孤島にひとり暮らしたのではなく、ベネズエラのオリノコ河口でサバイバル生活を送ったのだった。ロビンソンは原住民フライデーだけでなくスペイン人たちまでも従えて、島をイギリス植民地にすることに成功する。オリノコ川は後の英領ギアナへの入口であり、上流には金鉱地帯がある。

4人のイギリス人が「アマゾン川の上流」、周囲から隔絶されたテーブルマウンテンの頂部で、恐竜と猿人に出会うという物語『失われた世界』の舞台も、じつはギアナ(グアヤナ)のロライマ山だという。ロライマ山探険の記録が情景描写の種本になっていることを、著者は綿密な調査で確認した。この小説もまた、金鉱地帯をイギリス植民地に併合する動きのなかで受容されたのだった。

米国の介入でイギリスの野望は破れ、宝石と金銀略奪が主だった「探険帝国主義」の時代は終わった。いまや石油・天然ガスとウラン・レアメタルのために傀儡政権を樹てることが「帝国」の手口となった。しかし史書・地誌・小説を併せて読み解くという著者の方法は、いまも通用するはずだ。500年のドラマを一気に読ませる軽妙な語り口が、『蟹工船』が『源氏物語』と同じぐらい難しいというイマドキの学生に通用すればうれしい。2008928日)

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2008/09/14

読む・読もう・読めば 39

三島由紀夫の原爆論

作家の三島由紀夫は、一度だけ原爆に関して発言したことがある。『週刊朝日』1967811日号に寄稿した短文だが、没後の71年に刊行された『蘭陵王』に「私の中のヒロシマ」と改題して自衛隊体験入隊の記録などとともに収録されているから、遺稿のひとつと言えるかもしれない。三島は日本核武装論者であり、その基調は「民族的憤激」である。

三島はいう。「核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被爆国、日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。」

ここでは、核時代がすでに逃れられない現実であることの認識と、敗戦と米国による占領が「最大の屈辱」であったという認識が前提になっている。そのうえで「米ソの核均衡」に換わる「弱者が優位に立つといふ“逆勢力均衡”」の先端を切るのが、「被害者の極、ヒロシマ」だと結論するのである。実際には三島が「おのれの傷口を誇りにする」と罵倒する「ヒロシマ平和運動」の中からは、日本も核武装して米国に復讐すべきだという論理は現れず、核廃絶への努力だけが続けられてきたことは幸いだった。

三島は平和運動を罵倒はするが、「ヒロシマ」と「広島」を書き分けながら、正面から見ているようにも思われる。先の引用のすぐ後に、次のような文章がある。「広島で原爆が使はれたという事実、たくさんの人が死に、今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるという事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さがわかつてゐても、必ず使はれたらう。人間とは本来、さういふものである。その意味でヒロシマこそが、最大の『核抑止戦略』であつた。」核時代を逃れられない運命として受け入れるか、核廃絶への人々の善意の力を信じるか。「人間とは本来」というあたりが分かれ目であるようだ。

2008914日)

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2008/08/28

読む・読もう・読めば 38

おお、ジョージア

黒海とカスピ海にはさまれた旧ソ連邦のグルジアの国名は、守護聖人ゲオルギウスに由来する。ドラゴン退治のゲオルギウス伝説の本場はここだ、ということだろう。ロシア語ならグルジア、英語だとジョージアで米国ジョージア州と同じ綴りになってしまう。ロシア側から見れば、モスクワの市章は聖ゲオルギウスがドラゴン退治をしている図だし、あのスターリンはグルジア出身という「親しさ」がある。米国側から見れば、ジョージア州の名は英国王ジョージ2世にちなむから、とりあえず聖人伝説とは関係がない。現グルジア大統領サアカシュビリが米コロンビア大学大学院出身、米国の法律事務所に勤務した経験を持つという「親しさ」か。そんなグルジアで米ロの対立がいま取り沙汰されている。

新聞報道では、グルジア内のアブハジア自治共和国と南オセチア自治州の独立を認めたロシアと、同地のグルジア帰属を死守したい米国との、民族独立運動をめぐる争いのように見える。しかしこの地は紀元前から、ビザンツ帝国、ササン朝ペルシア、イスラム帝国、オスマン朝、ロシア帝国と、さまざまな勢力の興亡の影響を受けたところであって、1民族1言語1宗教1国家でまとまることなどあり得ない。

インターネットで流れている投資家向けの情報では、もっぱら石油と天然ガスのことが語られている。グルジアにはカスピ海原油・天然ガスをヨーロッパに向けて運び出す複数のパイプラインが敷設されているのだ。2006年には米国の援助で南ルート、つまりロシアを全く経由しないルートも稼働し始めた。同じ年、ロシアは南オセチアに天然ガスのパイプラインを敷設し始めた。これらのラインが今回の軍事衝突で停止したことが、投資家たちの当面の関心事なのだ。

なるほど、それでロシアも米国もグルジアに関与したいのか。原油・天然ガスの消費者であるEUの関与で停戦が成立した後もロシア軍は居座っており、米国は平和維持軍を「多国籍化」して軍事介入することに失敗したが、イージス艦「マクフォール」をグルジアのバトゥーミに入港させた。ブッシュ政権末期に至っても緊張は続く。大国の思惑のとばっちりを受けるのは、いつも中小国の市民だ。  2008828日)

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2008/08/15

読む・読もう・読めば 37

オリンピックと核

19641016日、中国政府は初の原爆実験成功を発表し、開催中の東京オリンピックに冷や水を浴びせた。実験場は新彊ウイグル自治区のロプノールと発表された。シルクロードの要所、楼蘭に近い。核兵器の開発が行われたのは青海省海北チベット自治州の「221工場」だった。工場は95年に機能を停止し、99年に公開され、今では「青海原子城」の石碑が観光コースに入っているという。青海からロプノールまで直線距離でも1000キロ近いが、原爆はどのようにして運ばれたのだろう。鉄道だろうか。

本年6月には青海省が青海湖の世界自然遺産登録をめざす、と発表した。中国の核開発はソ連の指導で始まったから、初期の核廃棄物はソ連方式にならって湖に捨てるか浅い地面に埋めるだけだったはずだ。残留放射能はないのか、気にかかる。北京オリンピックに向けての聖火リレーも、623日には青海湖畔で行われているが。

中国の核兵器開発と核兵器配備は、主に漢族の地ではなくチベット族とウイグル族の地で行われてきた。米国の核実験が「インディアン居留地」や太平洋の環礁で行われてきたのと同じことだ。汚染された地域で暮らす多数の住民が被害を受けてきたと考えるのが当然だろう。しかし自由な取材のできない中国の情報は限られている。チベット国際キャンペーンがまとめた『チベットの核』(邦訳は2000年刊、日中出版)の内容は戦慄的だが、「本書の情報のほとんどは米国で機密扱いから解除された資料に基づいている」と堂々と書かれると、なにしろイラクの「大量破壊兵器」で公然とウソをついた米国のことだから、と引いてしまう。

この87日、中国から英国に亡命したウイグル人医師、アニワル・トフティ氏がウイグルの核汚染について東京で講演した。内容は主催者の日本政策研究センターの機関誌に載るはずだ。新聞では産経だけが10日にインタビュー記事を掲載した。「(新彊ウイグル自治区の)区都ウルムチの病院の腫瘍専門外科勤務だった私は、病床に占めるウイグル人の割合が極めて大きいことに気付いた。調査すると、ウイグル人の悪性腫瘍発生率は、中国の他の地域の漢人と比べ、35%も高かった。漢人でも、新彊ウイグル自治区に30年以上住んでいる人は、発生率がウイグル人と同程度に高かった。」トフティ氏は同時に中国でのオリンピック開催にも抗議している。

核にまつわる情報がみな明らかになる時が来るとすれば、それは核廃絶への展望が明らかに見えてきた時のことだろう。嘆息しながら、オリンピック漬けの新聞を開く。

2008814日)

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2008/07/28

読む・読もう・読めば 36

ゲバラの出発

ゲバラの2度目の妻、アレイダ・マルチが前夫について書いた『わが夫、チェ・ゲバラ 愛と革命の追憶』がまず昨年イタリアで、次いで今年は日本、キューバでも刊行され、評判になっている。驚くほど率直にゲバラとの出会い、ともに過ごした革命の日々、そして別れを書いているが、ソ連が崩壊した今でもまだ書けないこともあるのだな、と残念にも思う。

ゲバラがすべての地位とキューバ国籍を放棄してコンゴに転戦するに至った事情については、19652月のアルジェでの演説が引かれている。「われわれ代表に、アジア・アフリカ人民の集まりにおいて意見を述べることが許されたことは、決して偶然ではありません。共通の願望、すなわち帝国主義の打倒こそが、未来への前進においてわれわれを結びつけるのです。同一の敵との闘いという共通の過去がわれわれを結びつけてきたのです。」アレイダ・マルチがたんに「アルジェでの演説」と書いているのは、アジア・アフリカ人民連帯機構会議第2回経済セミナーでのオブザーバーとしての演説であり、引用部分は冒頭の「ごあいさつ」にすぎない。だからゲバラはコンゴに行き、次いでボリビアに行き、戦士として闘ったのだとしてこの部分を挙げるのは、適切とは思われない。

むしろ同演説中でソ連批判を行ったことが帰国後にキューバの党内で問題になり、ゲバラがカストロに4月には「別れの手紙」を書いて出国する原因になったというのが、現代史研究者の常識だ。ゲバラのアルジェ演説の1週間前にはブレジネフ新政権がキューバとの間に経済協力3カ年協定を結んでいるから、タイミングがいかにもまずかったと。しかし「ソ連批判」と言っても、決して剥き出しの形ではない。『ゲバラ選集』第4巻収録の訳文によれば、彼はまず「解放への道を歩みはじめた国の発展は、社会主義国によって負担されねばならない」と述べ、次いで社会主義国が「国際市場価格」で後進国と貿易を行うことについて、「こうした関係ができあがるなら、社会主義国といえども、見方によっては、帝国主義的搾取の共犯者とされても仕方ないだろう」と述べた。そしてその後ではソ連も中国もキューバの砂糖を「国際自由市場における標準よりも高い価格で」買ってくれている、とフォローもしている。

それでもゲバラは出国しなければならなかった。ハバナの革命博物館でも、サンタ・クララのゲバラ廟でもフォトコピーを見た「別れの手紙」は悲しい。

2008728日)

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2008/07/16

08.6.15 豊玉9条の会総会 情勢報告

大内要三(ジャーナリスト)

 いま全体として憲法状況がどうなっているのかということについて、少しお話しをしたいと思います。

 皆さんよくご存じのとおり、安倍内閣は任期中に憲法を改正すると言っていたんですけれども、途中でコケて福田内閣に代わりました。安倍内閣の最大の功績というのは、憲法を変えるぞ、変えるぞと言って、逆に憲法を守らなければいけないという人々を増やしたことだと思います。参議院選挙の結果がそれを示しています。それで安倍さんは退陣することになりました。

 その後、福田内閣は憲法について何を言っているかというと、何も言っていないんです。118日の国会での施政方針演説では、憲法については「すべての政党の参加の下で、幅広い合意を含めて、真摯な議論が行われることを強く期待しております」と言っているだけです。憲法を変えるとも言えないし、変えるための議論をいつ、どういう形で始めるとも言えない。それはやはり、憲法を変えてはいけないという世論が浸透してきたからです。

 そのことを典型的に現しているのが、読売新聞の世論調査でした。読売新聞はご存じのように、憲法改正試案を何回も出して、憲法改正の世論作りに貢献してきた新聞です。ところがこの3月、その読売新聞が世論調査をやったところ、憲法改正に反対が43.1%、改正しようというのが42.5%、わずかですが改憲派が少なかったんです。結果は結果ですから発表せざるを得なかった。

 朝日新聞が5月に発表した世論調査では、逆なんですね、これが。憲法改正が必要が56%、不要が31%。ここで大事なのは20代の変化です。1年前に朝日が同じような世論調査をしたとき、20代のじつに78%が憲法改正せよの意見だった。ところが1年たって、憲法改正必要という20代は55%に減りました。この動きは何かということですね。非常に生きにくい時代になっていて、憲法が変わればもっとひどくなることを体感しているのではないでしょうか。ひとつ安心していただきたいのは、朝日調査でも9条だけについてみれば、改正賛成は23%しかおりません、反対が66%です。国会の議席とは逆転して、国民は9条を守れと言っている。この健全な世論はいまも変わっていないということです。

 したがって安倍内閣は国民投票法をごり押しで通しましたけれども、それが使えない状況なんです。せっかく国会のなかで憲法改正の議論をしようという制度を作ったけれども、それを始動させることができない。憲法審査会を国会に設置するためにいま自民・公明が談合していますが、すぐには合意に達しない。

 ではどうするか。今年の3月ですけれども、新憲法制定議員同盟ができました。彼らは憲法改正というとどうも国民の間に浸透しないので、新憲法制定に看板を書き換えたんです。会長がなんと中曽根康弘さん、527日で御年90歳になられた方です。それが親分になるような組織とはどういうものかと思いますけれども、あとずらずらと役員が名前を連ねています。顧問のなかには、海部元首相、安倍前首相、民主党の鳩山由紀夫さん、国民新党の亀井静香さんがいます。みんな一緒に、憲法改正がダメなら新憲法制定と、虎視眈々と狙っているわけです。612日にも勉強会をやりましたが、講師は読売新聞の政治部長と産経新聞の政治部長です。なんとか世論を変えようと必死なんですね。

 国会で憲法を変える議論が始められないとすると、どうするか。彼らが考えたのは、憲法は変えないけれども、憲法の中身を壊していくという戦略です。すでに何年も前から財界はそのような提起をしていました。そう簡単に憲法は変わらない、だから憲法が変わったと同じ状況を先に作ってしまおうということです。その2つのフロント、大事なところが、9条と25条なんです。9条は非武装・戦争放棄条項、25条は「健康で文化的な生活」を国民に保障する条項ですね。この2つを破壊して、財界と米国の思い通りの国にしようと、自民・公明・民主は考えているわけです。

 9条に関してはどういうことが行われているか。自民党防衛省改革小委員会は5月、自衛隊の憲法上の位置づけの明確化を提言しました。あり得ないことですね。いま自衛隊に関していちばん一生懸命やっているのは、海外派兵恒久法づくりです。自衛隊を外へ出すたびに新法を作るのは大変だから、内閣が決めたらいつでもすぐ海外派兵ができるようにする。限りなく戦闘行為に近いこともできるようにする。それもあわてて作ろうとしているのは、来年1月になるとテロ特措法が期限切れで、インド洋での給油活動ができなくなる。来年7月にはイラク特措法が期限切れで、米軍の空輸支援ができなくなるからです。さらに年内にもアフガンに地上部隊を再度送るとか、スーダンにPKO派兵をすることも検討されています。

 このように9条を壊していくのと同時に25条も壊していく。その典型例が、先ほど佐々木先生から詳しくお話のあった、後期高齢者と言われてしまった人々の新しい医療制度ですね。9条を壊す、25条を壊すことで、憲法がないも同然の状態にしようとしている人々がいるということです。

 9条と25条はどのようにつながっているのか。彼らはことあるたびに「お金がない」と言いますね。本当だろうか、ということです。医療と福祉のための財源がないから、新しい税金を作るとか消費税率を上げるとか言っています。しかし非常にはっきりしているのは、大企業に対する税制優遇、そして軍事費、この2つの問題です。無駄遣いをしているから、取るべきところから取らないからお金がないんです。私どもの払う税金はここ10年、ほとんど毎年上がっていますよね。ずしりと実感されていると思います。それなのに大企業の優遇税制は変わっていないんです。そして軍事費の無駄遣いがあります。

 確定したところでは、2007年の防衛関係費は48000億でした。これが本当に日本を守るために必要なのか。兵器を見ると分かります。イージス艦という船がありますね。この間「あたご」というイージス艦が漁船を沈めて2人、行方不明になりました。そのすぐ後、3月に6番目のイージス艦「あしがら」が竣工しました。6隻というのは米国に次いで多いです。これを1隻作るのに1400億かかるんですよ。積み込むミサイルを新型のSM3に換えますが、120億。もっとすごいのは護衛艦「ひゅうが」です。事実上の航空母艦です。長さ200メートル、ヘリコプター4機を積むんですが、甲板が真っ平らで、改修すればすぐに航空母艦になる。これを2隻作りますが、1隻1050億かかります。

 こういう兵器を何に使うのか。イージス艦は飛んでくる敵ミサイルを撃ち落とすことができると言われます。しかし、たとえば北朝鮮からミサイルが東京に飛んできたら、十数分で届きます。それを途中で落とすことなんか絶対にできない。しかし米国向けのミサイルを落とすには役立ちます。そしてなぜ航空母艦が日本に必要なのか。日本を守るなら日本の空港から戦闘機が飛べばいいんです。日本でないところで戦争をしようとするから航空母艦が必要なんです。まったく日本を守るための兵器ではない、米国に追随して海外派兵するための兵器に、こんな巨額を使う必要があるのか。

 そうして良く言われるのが米軍への「思いやり予算」ですが、これを含めた米軍駐留経費は、2007年度は6104億円でした。

 こういうところにお金を使っているから、お金がなくなるんです。何億とか言われると、1万円札で何枚かと、想像もできない数字ですが、みんな税金なんですよね。われわれが払ったんです。だから使い方については絶対に文句を言う必要がある。

 それで後期高齢者と言われる人々の話とつながります。いま75歳以上の人口は1276万人です。先ほど挙げたように、どう考えても日本を守るためでない兵器を削減すればすぐ1兆円が浮きますが、1兆円をこの人口で割ればひとり78370円ですよ。保険で個人負担を増やす必要なんか全然ないですね。ということで、9条と25条は、こういうふうにお金の問題でつながっているんです。9条を壊すから25条も壊れるんです。

 いろいろなことを申し上げましたが、最後にひとつだけ、これは絶対に忘れないでいただきたいのは、25条は純国産だということです。日本国憲法は米国のおしつけだと言う人がありますが、これはウソですが、25条に関しては誰もおしつけとは言えない。たしかに憲法はGHQが原案を作りましたけれども、そのあと国会で議論をして、国民が納得して、これからの日本はこれでいこうと決めたものです。そのGHQ原案に25条にあたるものは無かったんです。国会審議の過程で、衆議院憲法小委員会で、森戸辰男さんらが提案して加えたものです。

 いま、私たちは憲法9条と25条が壊されている状況のなかで、守り発展させていく、新しい中身を作っていく運動が必要だと思います。

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2008/07/15

読む・読もう・読めば 35

黒田三郎のリルケ

日記によれば詩人・黒田三郎は1942106日にリルケの『マルテの手記』を読了する(『黒田三郎日記』戦中篇Ⅳ)。友人の大井康暢が聞いた話によれば、黒田はその『マルテの手記』をジャワへ行く船の舷側から海中に投げ捨てたという。黒田が戦時中の繰上で東京帝国大学経済学部を卒業したのが429月、同時に南洋興発に入社。箱根丸で任地のジャワに向かったのは431月。黒田は一度はリルケを読み返すつもりで嚢中に入れ、途中で気が変わったことになる。

大井は上記黒田日記の付録で、次のように書く。「当時、戦局は日本に有利だったとは言え、この天性の詩人が、一時は詩を棄てて、占領地で軍国主義のお手伝いをしようと決心したこともあったのだ。大袈裟かも知れないが、黒田三郎も人並みにお国のために見栄をきったのである。」そうだろうか。黒田が船中でリルケを捨てたとしても、詩を捨てたことにはならないだろう。後に戦火で焼失したが詩集3冊分の原稿は残してきたし、ジャワでも詩作はしているのだ。本人が書いている。「戦時中の詩はない。南方から戦後一年目に帰ってくるときに、書いたものいっさい焼いてしまったからである。」気になるのは、焼いた原稿がどのようなものだったかということだが、時局迎合的な作品を書いたとは思えない。黒田は黄麻農園の管理、休廃止製糖所の管理に従事したのち、現地召集で二等兵になる。

戦後の黒田は日本放送協会で働きつつ『荒地』創刊メンバーとして12冊の詩集を発表した。小市民であることに居直ったような、分かりやすい、彼の作品は没後28年たったいまも愛読される。「荒地」グループの基調には戦争で生き残った者の後ろめたさがあるが、黒田の戦争体験はもう少し知りたいところではある。

黒田は42923日の日記に、リルケの次の箇所を引いている。「僕はあらゆる人生の中にいる、そしてあらゆる文学のなかにいるこの第三者、しかしほんとうは決して存在したことのない第三者の『幻影』が無意味なものであるのを知ることが出来なかった。」コメントはしていない。   (大内要三 2008715日)

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2008/06/29

読む・読もう・読めば 34

小学校は大丈夫か

中国の四川大地震で、省都成都の高層ビルにはほとんど被害がないのに、多数の学校で校舎が倒壊して、それだけでも6500人以上が死亡したと伝えられる。役人が業者から賄賂をもらい手抜き工事をさせた疑惑で遺族が抗議したところ、当局が弾圧したという(612日付読売新聞ほか)。日本の学校は大丈夫なのか。岩手・宮城内陸地震のように、不意打ちに近い大地震もあるし。620日付朝日新聞によれば、文科省調査で「公立小中学校1万棟、震度6強で倒壊の恐れ」という。

文科省の発表原文を同省ホームページで読んでみた。「公立学校施設の耐震改修状況調査の結果について」という620日付の文書だ。高校、特別支援学校、幼稚園の数字も出ているが、繁雑になるので小中学校だけ見ると、耐震診断実施率の全国平均93.8%、耐震化率62.3%。全国の小中学校の3分の1は大地震が来れば倒壊する、ということだ。こういうことを気にせずにはいられないのは、大地震等の災害の際の地域の避難場所として小学校が指定されているからだ。今回の新聞報道はそのことに全く触れていないけれども。家が壊れたから学校に避難したところ、学校も壊れていた、というのでは話にならない。

都道府県ごとの数字も出ているので、千葉県のところを見る。耐震診断実施率は96%と高いが、耐震化率は56%と低い。100年かかってあまり進歩していないと感じるのは、1902年に津波で倒壊した学校を全町民の日掛け貯金で12年かけて再建した、千葉県御宿町の物語を一昨年、書き下ろしで上梓したからだ(『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』窓社)。御宿では国からも県からも援助が得られなかったので、町民自身の力で学校を建てた。

いま学校耐震化工事の地方自治体負担は約1割、ほとんど国の費用でできる。それでも工事をしないのは何故だろうか。少子化でいずれ統廃合されるから、それまで放っておくのか。学校ごとに耐震診断の結果を公表しているのは全国平均で51.8%というのも、いかにも住民に知らしむことを避けたい役人のやりそうなことだ。  (大内要三 2008629日)

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2008/06/14

読む・読もう・読めば 33

『ロスジェネ』を読む

5月に発売されて一部で話題になっている『超左翼マガジン ロスジェネ』創刊号を書店で見つけて買ってみた。編集長は浅尾大輔さん、「3月まで都内の労働組合で非常勤職員の組織化を担当。2003年小説『家畜の朝』で新潮新人賞を受賞。元『しんぶん赤旗』記者」と紹介文にある。適任だ。

「ロスト・ジェネレーション」、直訳すれば「失われた世代」とは、本来は1920年代から30年代にパリで暮らしていた一群の米国の作家たちのことだった。ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、スタイン、その他。青年期に第一次世界大戦を経験し、旧秩序の崩壊を目の当たりにした人々だ。のちにより広い意味でも使われるようになったが、本来は文学史の用語だった。それを、2006年に朝日新聞が団塊ジュニアの、バブル崩壊期=超就職氷河期に就職活動をして割を食った人々の呼称として使い、なんとなく定着した。就職氷河期は長く続いたから、正規雇用に就けないロスジェネはいまや2000万という。団塊は団塊と呼ばれるのが嫌いだが、ロスジェネは自らロスジェネというらしい。で、雑誌だ。

マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」をパロった「ロスジェネ宣言」の文章は歯切れが悪く、複数の起草者がいろいろ書き込んだままらしく整理も悪い。宣言中の「私たち左翼」という自己規定は、仲間を増やすことに障害とならないのか。実際に巻頭の赤木智弘さん(「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争」で論壇デビュー)との編集長対談も、かなりすれ違いが多い。私ども本家左翼中高年との間だけでなく、同世代同士でもロスジェネ同士でもなかなか話が通じないらしい、というのは残念なことだ。

意思を通じるための道具としての言葉を研ぎ澄ましていくには、どれだけの研鑽が必要なのかと、読解を拒否する長文を読み進みつつ嘆息する。いかにも身内以外との議論の習慣なくどの世代も過ごしてきたのだ。せめて『ロスジェネ』のような雑誌を読む努力は続けたいと思う。『赤旗』には「期待します」と紹介記事が出た翌日、「特定の雑誌を支持、讃美する方針はとっていない」とわざわざ編集局告知記事が出たが。第2号は12月刊とのこと。(大内要三 2008614日)

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2008/05/28

読む・読もう・読めば 32

都江堰のこと

中国四川大地震の報道に接するたびに胸が痛む。救援寄金を送るくらいしかできることがないのも悔しいことだ。余震におののく中で衣食住に欠き、感染症が広がり、さらに土砂ダム決壊の危険があるという。地震そのものの発生は天災で防ぎようがないが、危険地域が人口稠密地帯であること、耐震構造のない建築物が多いこと、そして土砂ダム決壊の危険が迫っていることは、みな人災ではないのか。

震源の近くに都江堰(とこうえん)市がある。都江堰とは紀元前250年ごろに建造され、今なお現役の治水・利水施設であり、ユネスコ世界遺産に登録されたのを記念して、灌県の地名も都江堰に改名された。むろん観光客狙いではある。かつて旧満州国建国大学に学んだジャーナリスト田中譲二氏は、1960年代と2000年の2度現地を訪れ、著書『覚え書 中国古代の水利施設都江堰と創建者李冰父子』(光陽出版社、2001年)に、都江堰建造の事情を要領よくまとめている。山を削って岷江の分流を成都に流し成都平原を潤すとともに、水を堰き止めるダムではなく、分水堤と低作堰により水量調節を行い土砂の堆積を防ぐという、古代の智慧と大工事に感嘆させられる。詳しくは同書を参照していただきたい。

しかし現代の中国政府は脱ダムではなく増ダムに邁進した。岷江の上流に06年に完成させた紫坪埔(しへいほ)ダムは日本最大の徳山ダムの倍の水量をたたえる。4万人の少数民族が立ち退いたという。円借款で建造され、電源開発が参画した。このダムに512日の地震で亀裂ができ、14日から緊急放流したことが、土砂ダム決壊危機の遠因だろう。紫坪埔ダムが決壊すれば都江堰市は水没するが。中国水利部は25日、地震による危険ダムは四川省内だけでも1803あると言っている。ダムで治水ができるなどと思うな、というのが都江堰の教訓であったはずなのだが。     (大内要三 2008528日)

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2008/05/14

読む・読もう・読めば 31

イノセント

58日午後9時半ごろ、制服姿の現職自衛官が国会構内に侵入し、正面玄関前の踊場に正座して割腹自殺未遂という事件を起こした。朝霞市の自衛隊体育学校所属、陸士長、20歳。家族あての遺書を持っていたから、覚悟の自殺のつもりだったろうが、刃渡り20センチの短刀では死に切れず逮捕、入院。13日になって建造物侵入と銃刀法違反の疑いで再逮捕された。

再逮捕の発表と同時に、この自衛官が地下鉄国会議事堂前駅のコインロッカーに「福田首相に告ぐ」と題する抗議文を収録したUSBメモリーを入れていたことも発表された。「政治や外交、若者に対する不満をつづっているという」と産経新聞は報じているが、それ以上に詳細な内容は不明。諫死のつもりだった自衛官の上申書が公開されないのは、どのような配慮からだろうか。

9日の記者会見で石破防衛相はこの事件に関して、「国会議事堂であるということ、そしてそこにおいて自傷行為を行ったということ、そしてそれが極めて若い隊員であったということについて、非常に強い関心と問題意識は持っている」と述べた。さらに「鹿児島、茨城と陸自が最近続いていますが」との問いに、「若いから人生経験が足りないということもあるのかもしれませんが、若いだけに純粋というようなところもあるだろうと思っておりますし、イノセントという言葉をどう訳したら良いのか分かりませんが、そういうこともあるだろう」と答えた。

国会構内に軍人が入るといえば、当然2.26事件が想起される。「鹿児島」とはタクシー運転手を19歳の陸自隊員が刺殺した事件であり、「茨城」とは18歳の陸自隊員らが駐在所にロケット花火を打ち込み、制止の警官に暴行した事件のことだ。そしてイノセントとはもちろん、無邪気という意味もあるが、本来は「罪のない」という意味である。9日の記者会見の時点で石破氏がすでに諫死未遂自衛官の抗議文の内容を把握していたとしたら、イノセントとはたいへん意味深なことになる。  (大内要三 2008514日)

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2008/05/08

宇宙基本法案のこと

【要】通信〈26〉より

http://the-za.somard.co.jp/j_photo/jp_space/photopre_008.shtml

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2008/04/29

読む・読もう・読めば 30

パール・バックの原爆小説

『大地』3部作で知られる米国のノベル文学賞受賞作家、パール・バックは、むしろ社会活動家として評価されるべきだろう。ピーター・コンは『パール・バック伝』(丸田浩ほか訳、舞字社2001)で、文学史から抹殺された彼女の作品群の再評価をめざしたが、あまり成功していない。かえってバックが精力的に展開した、女性の権利拡張運動、公民権運動、アジア文化紹介運動、不幸な子どもたちの里親運動、そして反核運動のありようが、この伝記からは浮かび上がる。70冊といわれる彼女の作品のほとんどは、これらの運動の資金を得るために書かれたのだった。

私はこの伝記から、バックが1950年代に反核運動にかかわり、59年には撤退してしまう経緯について知りたいと思った。しかし谷本清がノーマン・カズンズと組んで始めた原爆乙女(と日本では報道されたが、ここでは「ヒロシマ少女達」と書かれている)の渡米治療運動を支援したことについては10行ほど、反核運動とのかかわりは主に関連作品について3頁ほど書かれているだけだった。バックは原爆製造にかかわった科学者たちへのインタビューをもとに、戯曲『ある砂漠の出来事』と、小説『暁を制す』(のち『神の火を制御せよ』の題で邦訳、丸田浩監訳、径書房2007)を、ともに1959年に発表した。

『神の火を制御せよ』は、原爆開発の物語だが、実在しない若く美しい女性科学者をヒロインにすることで成立している。人物描写はありきたりで会話もぎごちない。濡れ場のないハーレクインといった感じのメロドラマだ。核廃絶の主張はなく、倫理問題に解消されている。原爆が使用されず戦争が続いたら「低く見積もって」50万の米兵と250万の日本人の生命は失われただろう、というプロパガンダを無批判に使っているし、広島被爆の情景はわずか4行、戦後日本を訪れた米国人科学者は記者に対してパール・ハーバーを持ち出して反撃する。要するに徹底して通俗的であることで大衆小説として成功したのだ。バックが原水禁大会に来日して日本の文学者と論議する機会がなかったのは残念。

(大内要三 2008429日)

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2008/04/19

「おばた」さんのコメントにお答え

228日付の私のコラム記事に対して、早くも翌日に「おばた」さんがコメントを書いてくださっていたことに、つい昨日になって気付きました。対応が遅れてすみません。

私は漁船に体当たりしたイージス護衛艦「あたご」について、「部内応募で艦名が『ながと』に決まりかけ、さすがに『時期尚早』として見送られたという」と書きました。これに対して「おばた」さんは、「本当か?」と疑問を呈されました。それまでのイージス艦「金剛以下の命名はいずれも旧海軍の巡洋戦艦と重巡洋艦の山岳名に由来している。長門は旧国名で旧海軍では戦艦につけられていた」から、「長門が候補に挙がったというのは疑問がある」ということです。

14DDGの名で三菱重工場長崎造船所で建造されていた艦は、2005824日の命名・進水式で今津寛防衛庁副長官によって「あたご」と命名されました。このことは写真入りで『朝雲新聞』に報道されていたと思います。「ながと」の名が見送られた経緯については、05819日付の共同通信配信記事で報道されています。ご確認ください。

なお、「おばた」さんも書いておられるように、すでに旧国名を付けた護衛艦、つまり旧海軍の戦艦を彷彿とさせる艦が建造中であることに、注目すべきだと思います。07823日にIHI横浜工場で命名・進水式が行われ、093月に就役予定の「ひゅうが」は、なんと全長197m18000tで、「最大の護衛艦」の記録をまたまた書き換えました。ヘリ搭載護衛艦とされていますが、写真を見ると空母そのもの、甲板を張り替えるなどで軽空母に改装することが可能と思われます。旧海軍の戦艦「日向」が、戦争末期に航空戦艦に改装されたことを考えても、意味深長な命名ですね。陸軍と違って海軍は切れ目なしに海上自衛隊につながっていますから、旧軍復活と騒いでも迫力に欠けるのかもしれませんが。  (大内要三 2008419日)

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2008/04/14

読む・読もう・読めば 29

最初の従軍記者

現在まで続く日本で最古の日刊商業新聞は『東京日日新聞』(『毎日新聞』の前身)。1872221日の創刊だ。同じ年、学制が発布され、新橋・横浜間を鉄道が走り、福沢諭吉が『学問のすゝめ』第1編を刊行する。つまり日本は文明開化に邁進していた。近代日本の最初の対外戦争はその2年後、1874年の台湾出兵である。そして日本で最初の従軍記者は東京日日の編集責任者、岸田銀次(号は吟行、画家・岸田劉生の父)だった。岸田の書く「台湾信報」が唯一の戦争報道であったために、東京日日は急激に読者を増やした。

東京日日は明治政府から有形無形の援助を受けてはいたが、従軍記者派遣の願いは、なかなか許可されない。軍の行動は隠密が常識だから、電信網さえ未整備で飛脚と船便で記事を送るような時代であっても、新聞に書かれてはまずい、という判断だった。岸田は「台湾蕃地事務都督」つまり総指揮官の西郷従道(西郷隆盛の弟)に直接談じ込み、軍の御用商人、大倉組の手代(社員)として事実上の従軍記者となることに成功した。

台湾出兵は、台湾「蕃族」による漂着した「琉球」島民54人の殺害事件を端緒としている。明治政府の抗議に清国が「化外の民」の仕業として応えなかったため、事件から2年後に出兵を決めた。清との間で帰属の明確でない沖縄の領有を宣言するとともに、征韓論に敗れた西郷隆盛が下野した後、国民の目をそらす目的もあっただろう。台湾出兵はのちの日清戦争、その結果としての台湾領有につながり、つまりは1945年まで延々と続く対外侵略戦争の第1歩となった。

岸田吟行が書いた記事は、「蕃賊」「土人」「酋長」といった用語を別とすれば、センセーショナルに国益を煽ることなく、淡々と見聞きした事実をつづる。日本軍兵士が、農民の逃げ去った後に残された農作物や家畜を食糧にしてしまうことも、民家を焼き払うことも。価値判断は読者に任せるということか。しかし野蛮なアジアを脱して欧米に続け、というイメージは、すでにここに胚胎する。戦争報道をめぐる問題の多くは、このように最初から現れていたと思われる。 (大内要三 2008414日)

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2008/03/29

読む・読もう・読めば 28

責任の所在

322日の朝、千葉県野島崎から太平洋を見た。沖合をひっきりなしに大型・中型船が行き交い、その手前をたくさんの小型漁船が行き来する。このような状況のなかへイージス艦「あたご」は、仮眠中の艦長のもと自動操縦のまま、一直線に突っ込んできたのだ。東京に戻り、21日に防衛省が「艦船事故調査委員会による調査について」という報告書を発表していたのを知った。36日以来、約70名の「あたご」乗組員に対する聴取をした結果をまとめたものだが、「海上保安庁との調整により」当直員の一部について聴取が実施できていないという。

一読して驚くのは、問題の「あたご」に海上交通が輻輳する海域を航行している自覚がまったくなく、当直が弛緩しきっていることだ。「通り雨があり、見張員の配置を艦橋内に」とあるが、雨が降ったら視界が悪くなるのに、濡れるのが嫌で室内に入ってしまったということだ。衝突時の前の当直は7名が勤務すべきところ4名しかいなかった。漁船団を見つけた当直員は「この目標は目視ではっきり視認できたため、当直士官は当然了解しているものと考え報告していない」。「当直士官の『この漁船近いなあ』という発言と当直員Eが『近い、近い』といいながら、右舷ウィングに出て行こうとしているのを確認し、さらに窓に近づき、身を乗り出したところ、右70100メートル付近に近接する紅灯を掲げた『清徳丸』と思われる目標を視認した」。それから「両舷停止」と「後進一杯」をかけても、間に合うはずがない。救助のため降ろされた内火艇に潜水員は乗っていたが、夜間であるため「練度が及ばない」ので潜水作業を実施しなかった。

報告書は「あたご」の「対応の評価」について、それなりに厳しく評価してはいる。「艦全体として周囲の状況について見張りが適切に行われていなかった」。「『あたご』に避航の義務があったが、『あたご』は適切な避航措置をとっていない。また、衝突直前に『あたご』がとった措置は、回避措置として十分なものでなかった」。ただしこのような評価は、「現時点までの聴取結果によれば」とか、「可能性が高い」などの修飾語で限りなく責任の所在が希釈されている。

226日の衆議院安全保障委員会での石破防衛相答弁によれば、この報告書を作成した事故調査委員会には、事故当時「あたご」に乗艦していた護衛艦隊幕僚長もメンバーに入っている。自分で自分をチェックしているわけだ。これでは公正な調査はできないだろう。これから行われる海難審判の審理を注目したい。

(大内要三 2008328日)

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2008/03/15

読む・読もう・読めば 27

暗い時代に

「一つの國で、紙の質が段々すつきりしなくなつて來て紙質も低下して來たやうな時期に、どんな内容の本を出して來てゐるかといふことが、殆ど例外なくその國の進展の十年二十年さきを豫言してゐるやうに思はれるのが、世界の歴史の實情である。紙のわるいときにも本當にいゝ本が出されつゞけたか。それとも、紙のわるさにふさはしい屑が出たかといふことは、粗笨な主観に立つて氣に入らない本は出ないやうにする快味以上に、未來に向つて深刻な意義をもつてゐるのである。」

旧字旧仮名でなければ最近の文章とも思えるが、これは1940年の宮本百合子の文章であって、1941年に高山書院から刊行された『文学の進路』に収録された短文、「今日の文学」の末尾の部分だ。奥付をみると「定價 壹圓六十錢 外地 壹圓七十六錢」とあり、ちゃんと著者検印がある。朝鮮・台湾でも1割増しの定価で買えたのだ。表紙はダイコン畑のペン画だが、「matu」とサインがあるのは、松山文雄だろうか。軍による出版統制が深まろうとする時代に、彼女はこのような文章で抵抗していた。読む人が読めば軍政批判であることは明白なのに。勇気あることだ。

当時、高山書院がこのような本を刊行することができたのは、それなりに売れ筋の著者を多数抱えていたからだ。巻末広告を見ると、徳田秋聲、石坂洋次郎、丹羽文雄、尾崎一雄、田村泰次郎、田中英光、窪川稲子、といった名前が並んでいる。アタリマエのことだが、戦中と戦後はつながっているのだ。

出版人のありかた、物書きのありかたを、たとえばこのような文章から考える。「紙のわるさにふさはしい屑」を生産してはいないかと。宮本百合子は、「あと5年我慢すれば」という具体的な展望があって書いたわけではあるまい。このような文章が活字になって残っていて、21世紀の出版人・物書きの襟を正させることについて考える。

(大内要三 2008314日)

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2008/02/29

読む・読もう・読めば 26

事実は小説より

福井晴敏氏の『亡国のイージス』が講談社から刊行されたのは1999年。日本推理作家賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞とトリプル受賞して2002年に文庫になったので読んだ。お話の設定自体に馴染めず、メッセージ性にも違和感を持ったので、すぐに処分したらしく、いま手元にない。イージス艦「いそかぜ」の艦長、宮津弘隆が特殊兵器で首都東京を人質に反乱を起こす、という物語。北朝鮮の工作員がからみ、登場人物は多彩だ。映画化に際しては実物のイージス艦「みょうこう」が使われたが、防衛庁の協力をとりつけることができたのは、当時長官が軍事オタクの石破茂氏だったからで、さすがに艦長が反乱を起こすのはまずいから副長に変更されたという。この映画は見ていない。

小説・映画・コミック・ゲームソフトまで含めたエンターテインメントよりも、現実のほうがはるかに醜悪だ。イージス艦の艦長と石破氏が登場する、なんともやりきれない今回の事件の真相は、いまだ解明されていない。この事件を見る私どもの基本姿勢は平権懇の225日付声明に書かれているので、繰り返さない。

この3月には6隻目のイージス護衛艦(重巡洋艦と呼ぶべきだが)、「あしがら」が就役する。「こんごう」型より大型の「あたご型」2番艦で7700トン、佐世保に配備される。これで日本のイージス艦は横須賀に1隻、佐世保に2隻、舞鶴に2隻、呉に1隻になる。太平洋よりも日本海重視であることは明白だ。名称からして、すべてのイージス艦は旧海軍の艦名を踏襲している。金剛、霧島、妙高、鳥海、愛宕、足柄。今回の事件を起こした「あたご」は2005年に進水しているが、部内応募で艦名が「ながと」に決まりかけ、さすがに「時期尚早」として見送られたという。

このような大型艦は起工から3年かけて竣工する。最初のイージス艦「こんごう」が就役したのは1993年だから、ずいぶん前からこのような金食い虫の巨大艦隊は準備されていたのだ。いったい国会での予算審議で何をしていたのか、と改めて思う。

(大内要三 2008228日)

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2008/02/14

読む・読もう・読めば 25

雑誌の終わり方

『主婦の友』が5月発売の6月号で「休刊」になるという。1917年創刊という名門中の名門だが、婦人総合誌から生活情報誌への転換は叶わなかったのか。これで4大婦人総合誌はすべて消え去ることになる。19868月号で休刊の『婦人生活』、884月号までの『婦人倶楽部』、933月号まで続いた『主婦と生活』。こうして誌名を並べてみると休刊も無理からぬものがあるが、ひとつの時代の終わりを感じさせることでもある。休刊とは復刊の可能性を残した言いようだが、同じ誌名での復刊はまずあり得ないことだろう。

昨年中に「終刊」した雑誌のひとつに『現代コリア』がある。1961年に『朝鮮研究』の名で創刊され、84年に誌名変更、拉致問題では先進的な役割を果たしたが、佐藤勝巳氏、西岡力氏など中心メンバーが「救う会」の活動に忙殺され、「『現代コリア』を支える会」が結成されたものの採算がとれず終刊した。批判的に読んではいたが、これまた拉致問題がマスコミを席捲した時代の終わりを象徴しているように思われる。ただし雑誌に代わりウェブサイト「現代コリア」が後を引き継いでいるから、雑誌の終わり方としては幸いなほうかもしれない。

同じく昨年「休刊」した『ダカーポ』は、発行元が雑誌の改廃のうまいマガジンハウスだし、読者の少なからぬ部分が出版業界関係者だから、終わり方もクールでスマートだ。ここで各誌終刊号の、読者への挨拶文をいくつか紹介すれば良いのかも知れないが、控えておく。というのは、1993年に第三書館がこの種の挨拶文と表紙写真を出版社に無断で掲載した『ラストメッセージ in 最終号 休廃刊雑誌286のサヨナラ語録』という本を刊行して、出版社10社から著作権侵害で訴えられ、負けた事件があるからだ。まあ、引用の範囲内なら問題はないけれども。

それでも、読者へのお別れの挨拶が掲載できる雑誌はまだ幸せだと思う。社内外を含めた編集チームの解散も笑顔でできるのだろうし。(大内要三 2008 214日)

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2008/01/28

読む・読もう・読めば 24

スズキ君の出自

朝日新聞の別刷「be127日付、「築地おさかな図鑑」がヒラスズキについて書いていた。スズキと近縁種でより高級食材とされている魚だ。築地の鮨屋さんの話から始まるのだから、もっと楽しいコラムにすればいいのに、半分以上の行数を分類の話に当てて、ヒラスズキがスズキと別種と分かってからわずか50年、と強調している。では、分類の話をしようか。

高等学校生物に時間に習ってご承知のとおり、動物の分類には上から門・綱(こう)・目(もく)・科・属・種というランクがある。スズキは、スズキ目スズキ科スズキ属スズキであって、学名はLateolabrax japonicus。淡水域まで川を遡るセイゴやフッコ(ともにスズキの幼名)、宍道湖の奉書焼をはじめとする名物料理、心躍るルアー釣りなど、楽しい話はいくらもある。ヒラスズキは同属で、Lateolabrax latus。静岡以南の海でしか獲れないと思う。分類については、スズキ属が科の段階ではどのような仲間と一緒にされるかで3説がある。記事はスズキ目が多くの種を含むことを強調するのみで上のような基本的なことについて何も書いていない。スズキの仲間の分類について述べるなら、さらにタイリクスズキについてもっときちんと位置づけしてほしいところだ。

記事の最末尾に、「今では中国沿岸部のタイリクスズキという種もスズキ一族に加えられている」とだけ書かれている。「一族」とは分類のランクでいう目なのか科なのか属なのか? みんなスズキ君だからね。正解は属。しかもタイリクスズキがスズキと同属別種と認定されたのは1995年で、ヒラスズキの1957年よりずっと新しい。ただしタイリクスズキはいまなお学名が確定していない(Lateolabrax maculatusという学名を使う人もあるが)。

海釣り愛好家や漁師さんたちの間ではこのタイリクスズキがいまや大問題になりつつある。もともと日本近海にはいない魚だった。1980年代に韓国・中国から養殖のため導入したところ、大食いで成長が早いのはありがたいが逃げ出して増殖してしまい、海域によってはスズキを駆逐しつつある。海のブラックバスといった状況だ。釣り上げたのはスズキなのかヒラスズキなのかタイリクスズキなのか、はて。外見だけで見分けるのは難しい。そしていま東京のデパ地下で安く売られているのは? 

(大内要三 2008128日)

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2008/01/14

読む・読もう・読めば 23

看板と中身

昨年、国民投票法がさまざまな制約を課されてかろうじて成立することにより、表だっての憲法改正は遠のいた。昨年の政局を単純化して言えば、「9条の会」が安倍改憲政権を打倒したのだ。しかし今年に入って、インド洋で侵略戦争遂行国のためのガソリンスタンドを再開する法案が成立したように、私どもの国家は戦争協力国、戦争参加国であることを続けており、憲法9条という看板の裏はあまり人様にお見せできるものではなくなっている。

丸山眞男は196411月の憲法研究会で、「憲法9条をめぐる若干の考察」と題して次のように語った。

1928に締結され、日本自身も加わった『不戦条約』においては、第1条で『締約国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを不正とし、』かつ『国家政策の手段としての戦争を放棄すること』を厳粛に宣言しました。大日本帝国といえども、原則としては国策遂行の手段としての戦争放棄にかつて一度はコミットしているわけであります。……戦前においてすでに原則としてコミットしていたものを、新憲法のなかでただ明文化したにすぎないことになります。……平和主義の理想の堅持については、改憲論者も含めて全員一致しているということは、実質的にはなにごとも言わないのに均しいのではなかろうか。」

「私は、第9条の規定には、それよりもう一歩進めた思想的意味が含まれていると思うわけです。ということは、第9条、あるいはこれと関連する前文の精神は政策決定の方向づけを示しているということです。政策決定の方向性を現実に制約する規定である。したがって主権者たる国民としても、一つ一つの政府の措置が果してそういう方向性をもっているかを吟味し、監視するかしないか、それによって第9条はますます空文にもなれば、また生きたものにもなるのだと思います。」

「ますます空文」になった9条を守れと言うだけでは、「実質的にはなにごとも言わないのに均しいのではなかろうか」。中身を掘り崩すことに抗すること、中身を作っていくことが9条を守ることなのだと、当たり前のことをあらためて感ずる新年が明けた。

(大内要三 2008114日)

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2007/12/28

読む・読もう・読めば 22

浮遊する団塊

1947年から49年にかけてこの国に生まれた者たち(出生数は約800万だが、現存しているのは約680万ともいう)を「団塊の世代」と名づけたのは堺屋太一さんだった。じつは団塊と呼ばれて一緒くたに扱われるのをもっとも嫌う(くせに大多数が没個性)のが本人たちであって、「みんなちがってみんないい」と言われたいのだ。大学進学率22%なのだから「全共闘」のひとりよがりなど片隅の話だし、専業主婦率が史上もっとも高い年代なのだから「自立」にもやや遠い。

ともかく便利な言い方だから、反発しつつも「団塊」の用語を使う。その団塊にデカい顔をされて圧迫感を覚えてきたであろう世代の三浦展さんは、『団塊格差』でこう書く。

「団塊世代は、中卒、高卒であれば、自分の意志で就職先や仕事の内容を決めることはまずなかった。大卒者ですら、理科系なら研究室単位で就職先が決まっていたし、文科系でも法学部を出て官僚になるというコースが厳然と存在した。……言い換えれば、ほとんどの団塊世代にとっては、実質的には職業選択の自由はなかったのだ。もちろん女性は男性以上に職業選択、進路選択の幅が狭かった。こうしたことに対する不満が彼らをして、子どもが自由に自分の好きな仕事を選ぶことを望ませたのであろう。」

結果、団塊の子の27%がフリーター、ニート、派遣であり、団塊自身も定年になってあらためて「自分さがし」を始める者が少なくないという。そうだろうな。なんか気の毒だがなんか気持ち悪い。

この60年間の日本社会の構造変化のうち、どの部分をどのように担ってきたのか、早くも自分史を書き始めた団塊には問いたい。時代に応じての変わり身をすべて正当化するような、あるいはヒトのせいにするような、開き直りの偽インテリ元サヨクは嫌いだ(むろん人ごとではない)。こうして「2007年問題」といわれた、団塊大量定年が始まった2007年は暮れる。 (大内要三 20071228日)

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2007/12/14

読む・読もう・読めば 21

ゴルゴタの丘を

川人博さんは「過労死」の語を広めた社会派の弁護士であり、その功績は大きい。けれども北朝鮮による拉致問題の解決をめぐっての姜尚中さんへの批判は、「正義感」が過ぎて、読むのも辛い文章になっている。今年の6月に刊行された『金正日と日本の知識人』では姜さんを「金正日のサポーターか」と書き、「姜尚中よ、耳をすまして民衆の声を聞け、そして、過去の言動を謝罪し、日朝民衆とともに、独裁者と対峙せよ」とまで書いている。ほとんど2ちゃんねるのノリだ。彼の北朝鮮現政権への態度は、次のようにまとめられる。

「軍事攻撃でない方法で、金正日独裁体制を一日も早く崩壊させる。/それによって、拉致被害者を救出し、共生収容所を解体し、人権蹂躙体制に終止符を打つ。このことは、アジアに人権と平和を実現する礎石を築くことを意味する。/その目標に向かって、一人ひとりの実践が積み重なっていくことを期待してやまない。」

拉致という国家犯罪が人権蹂躙の極致であることはそのとおりだ。しかし拉致被害者を救うために金正日独裁体制を崩壊させようという主張には、危ういものを感ずる。次のような指摘がある。

「なぜ彼(蓮池透さん)が「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)から出て行ったのかというと、「救う会」が体制転換を考えているからだ、というのです。/拉致問題を解決するということとレジーム・チェンジを起こすということは違います。体制を転換させれば、生き残っている日本人は全部殺されてしまう。誰が考えてもそうですよ。コソボの問題を見れば、北朝鮮の体制が崩壊すればどうなるか自明です。」

これは川人さんに罵倒された姜尚中さんの、小森陽一さんとの対談のなかでの発言である(『戦後日本は戦争をしてきた』200711月刊)。なるほど。さらに姜さんは次のように敷衍する。私には分断朝鮮の悲劇をより深く理解している姜さんの主張のほうが正論に思える。重い結論ではあるが。

「私の結論は単純なんです。好むと好まざるとにかかわらず、自由のウイルスを北朝鮮にバラまくしかないんです。これによって北朝鮮は資本主義化への道を歩まざるを得なくなる。/我々は、現在の資本主義の矛盾がどれほど大きいものかということを知っています。資本主義の矛盾の中で、キリストが十字架をかついでゴルゴタの丘を登っていったのと同じように、あの国の多くの国民はゴルゴタの丘を登っていくでしょう。……南北が統一されれば素晴らしい道が我々の前に開けているのか、と問われれば、そうは思いません。思わないけれども、今の段階では歩まざるを得ないのです。」(大内要三 20071214日)

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2007/11/29

読む・読もう・読めば 20

一般国民の正義

ジャーナリストの大多数は、不特定多数の人々に対して、これだけは伝えたい、これだけは読み取ってほしい、という思いで書いたり発言したりしているのだ。だからいちばん不愉快なのは、「大衆はバカだから分かるわけがない」と断定されることだ。

次々と著作を世に出している起訴休職中外務事務官、佐藤優氏(鈴木宗男議員の事件に関連して起訴された)の透徹した頭脳と鋭利な文章には感心するが、違和感を覚えるのは、例えば彼の最初の著書『国家の罠』の次のような箇所だ。田中真紀子外相によって日本外交が混乱していたころのこと。「新聞は婆さん(田中真紀子氏のこと)の危うさについてきちんと書いているんだけれど、日本人の実質識字率は五パーセントだから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく。残念ながらそういったところだね。」幸いにこれは佐藤氏自身の発言ではなく、彼の「信頼する外務省幹部」の発言である。

しかし同じ本の別の箇所では、検察官との会話で、同じようなことが語られる。検察官「僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなければならない」。佐藤「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショーと週刊誌の論調で事件ができていくことになるよ」。検察官「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」。佐藤「それじゃ外交はできない。ましてや日本のために特殊情報を活用することなどできやしない」。

佐藤氏は情報のプロではあるが、キャリアは20年にすぎない。その彼が外交は「国民の目線」ではできず、「特殊情報を活用」して初めてできることだ、と言うのだ。なぜなら国民は新聞記事を読み解く能力などなく、「ワイドショーと週刊誌の中吊り」で判断しているのだから、と。その情報のプロが国家の利益のために働いたことが「一般国民の正義」で有罪になるとは、と佐藤氏は言いたいらしい。佐藤氏の事件についてはここでは判断しないが、このような物言いはいかがなものか。(大内要三 20071129日)

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2007/11/14

読む・読もう・読めば 19

シーア派とは何者か

米国の軍事介入のおかげで統一指導者を失い、内戦状況にあるイラクは、メソポタミア文明の栄えた地域にほぼ重なる。紀元前4000年からシュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアと続く高度な文明国だった。わずか220年の歴史しかない、そして21世紀のうちに潰えるであろうアメリカ帝国とはえらい違いなのだ。

現在のイラク国民議会は275の議席のうち、シーア派の統一イラク同盟が128、あとはスンナ派が2党合わせて55、クルドが53。宗教のうえでシーア派が半数を少し超えるといわれる状況をほぼ反映している。分かりにくいのがイスラームの諸系統であって、だいたいシーアとスンナはどう違うのか。教科書的には、ともに聖クルアーン(コーラン)を聖典とすることに変わりはないが、スンナ派とは預言者ムハンマド(さすがにマホメットと書かれることは最近ではなくなった)の伝承(ハディース)を重視してムハンマドの言行(スンナ)を解釈してきた人々、シーア派とはムハンマドの娘婿アリーをカリフ(後継者)とし、その子孫をイマーム(指導者)として奉じる人々、とされる。( )だらけでスミマセン。しかし誰が正統な後継者か、とか、クルアーン解釈がどうとかの問題だけではないだろうなあ、と思っていたところに、とても分かりやすい説明を見つけた。

田中宇(たなかさかい)氏が2003年に出した光文社新書『イラク』(このころはこんな単純素朴なタイトルの光文社新書もあったのだ)に、次のように書いている。

「イスラム教は古代ペルシャ帝国だけでなく、西アジアのいろいろな文明を武力で総なめにし、その後はアラビア商人がインドからフィリピンまで行って貿易し、アジア各地の王室や有力者に改宗を勧めた。その結果、イスラム教は、ペルシャ文明の宗教だけでなく、インドの古代宗教や各種の山岳信仰など、各地の人々がイスラム以前に持っていたいろいろな宗教を消化しきらずに内包している。それらを総称して『シーア派』と呼んだり『スーフィ』と呼んだりしている。イスラム教というのはヘビのお腹の皮のようなもので、その皮の下には、ヘビが飲み込んだいろいろな動物の形が透けて見える。」

敬虔なムスリム(イスラーム教徒)は激怒するかもしれないが、なるほど、と言っておきたい。「黒い聖母」やサンタクロースを内包しているキリスト教と同じことだ。

(大内要三 20071114日)

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2007/10/29

読む・読もう・読めば18  発刊の辞

活字が文化であった時代はとうに終わり、活字もまた(まだ)文化の一端(片隅)である時代になって久しい。正確に言うなら活字とは1文字ごとにバラせるハンコのことなので、電算写植普及以後は活字媒体などという言葉は実態に合わないが、とりあえず慣例により新聞・雑誌・書籍等を活字媒体と呼ぶ。その活字文化を今なお誇らしげに語っているのが、文庫の巻末に麗々しく掲げられている「発刊の辞」なのだ。

岩波茂雄氏は1927年に書いた。「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう」。

角川源義氏は1949年に書いた。「私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に連続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい」。

野間省一氏(講談社)は1971年に書いた。「いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく、長期にわたって良書に生命をあたえようとつとめるところにしか、今後の出版文化の真の繁栄はあり得ないと信じる」。

文庫を古典の廉価版から大量消費本へと変身させたのは角川だった。岩波は売れ行きによって文庫を数年で品切れにし、古書価の動向を見て復刊する。講談社は文庫の巻末に書誌を掲載することを数年で止めてしまった。いまや新潮・文春・朝日・ハヤカワ・創元・徳間・幻冬舎・ちくま等の各文庫が「発刊の辞」を掲げることをしていないのに、上記3文庫が恥を感じることなく今なお巻末に毎度毎度このような初志を掲載し続けていることは、痛々しくも頼もしいことだと思う。

(大内要三 20071029日)

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2007/10/14

読む・読もう・読めば 17  自衛隊の民活

米国の戦争請負会社、ブラックウォーター社のイラクでの蛮行が裁かれようとしている。9月に民間人17人を殺害した事件を、イラク市民が1011日、米ワシントンの連邦地裁に提訴したのだ。ブラックウォーター社はイラクでは米軍の食糧輸送と在イラク米大使の警護を担当しているが、社員は戦闘訓練を受け完全武装した事実上の傭兵であり、しかも正規の兵ではないから国際人道法の適用も受けないと主張しているという。

日本人で同種の会社で働いた経験のある者も出てきたが、幸いに日本に戦争請負会社はまだない。それでも自衛隊の艦船修理のため石川島播磨重工から中東に派遣された労働者の例がある。朝鮮戦争では機雷掃海作業にかり出されて亡くなった民間人船員もあった。そのような系譜を頭に置いて読むと興味深いのが、7月の参院選で晴れて議員となった佐藤正久氏(元自衛隊イラク派遣先遣隊、ヒゲの隊長)が今年3月に出した著書『イラク自衛隊「戦闘記」』だ(戦闘行為がなかったことが最大の功績なのに、戦闘記とは!)。

佐藤氏が強調しているのは、イラクで自衛隊が行った復興支援活動は本来は民間に託すべきことだが、自衛隊が警備を担当して民間が復興支援を行うことはイラク特措法ではできないので、自衛隊が「民間の発想」で活動した、ということだ。友好第一で現地社会にとけ込むことができたのは、何よりも上司が自由裁量を認めてくれたからだと。そしてこれまでの陸海空自衛隊の体質を自ら揶揄するものとして隊内に伝わる言葉を挙げている。陸自:用意周到、動脈硬化。海自:伝統墨守、唯我独尊。空自:勇猛果敢、支離滅裂。そして自衛隊最高機関である統合幕僚会議:高位高官、権限皆無。

シビリアン・コントロールの原則から言って統幕は権限皆無であり続けてほしいものだが、有事(=戦時)法制の整備が進んでいるいま、自衛隊が民間から学ぶというよりも自衛隊の民活が現実の問題になっている。自衛隊OBを役員とする「調査会社」や「警備会社」が、国民保護計画作成・有事訓練で次第に大きな顔をし始めていることに注目しておきたい。日本のブラックウォーターに成長しないように。

(大内要三 20071014日)

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2007/09/28

読む・読もう・読めば 16 バトンタッチ

福田新首相は、どのように安倍前首相の後をフォローしていくのだろうか。ひとつの前例がある。

2002513日、安倍官房副長官(当時)は早稲田大学で講演した際、質問に答えて、憲法上は日本は核兵器を持つことも使うこともできる、大陸間弾道弾(を落とすミサイルと言ったつもりだったようだが)も、と語った。これが62日付『サンデー毎日』に報道されて問題になっていたとき、福田官房長官(当時)は記者会見後の懇談の席で、核兵器は「憲法上もしくは法理論的には持ってはいけないと書いてはいない、最近は憲法も改正しようというぐらいになっているから、国際情勢や、国民が持つべきだということになれば非核三原則も変わることになるかもしれない」と語り、ニューヨーク・タイムスにまで報道されてしまった。福田氏は「安倍のガキがこんなとき(有事対処3法案の国会審議が始まったばかりのとき)に」と苦々しく思ったかもしれないが、立派にフォローしたつもりで、言い過ぎてしまったのだ。

日本国憲法は自衛のための実力保持を禁止していないから、その範囲内であれば核保有も核使用も違憲ではない、というのが岸内閣以来の政府公式見解であるのは事実だ。そして佐藤内閣以来、非核三原則は「国是」であって、核拡散防止条約を批准しているのも事実だ。だから日本は核兵器を「持てる」が、あえて「持たない」政策を採っている、ということになる。しかし政策は時代により状況により変わる。

だからこそ国会では首相が替わるたびに「非核三原則を堅持するか」と新首相に質問することが繰り返されてきたし、米国との間で有事核持ち込み密約があることが米国側から明らかにされているにもかかわらず、新首相が「堅持する」と答えることが慣例化してきた。この儀式の空しさは、核武装論者も核廃絶論者もひとしく感じるところだ。どちらの方向に踏み込むかで言えば、安倍氏も福田氏も同じと思わせるフォローのしかたが、少なくとも2002年に1