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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

平権懇 連続学習会

2014/01/16

榎本さんを偲んで②

榎本さんを偲んで②

1211日の平権懇例会では、中杉さんの「横田基地問題の歴史と課題」についての報告の後、ご出席の浦田賢治・内藤功両先生からコメントをいただき、のち限られた時間で若干の討論を行った。

「基地弁」の雄にして「町弁」を自称した:榎本弁護士を偲ぶ言葉

浦田賢治(早稲田大学名誉教授、元平権懇代表)

 榎本君とは60年近いつきあいです。私が申し上げたいことのひとつは、榎本弁護士の業績をもう1冊の本にすることをご検討いただきたいということです。すでに1993年、日本評論社から彼の本が出ております。『軍隊と住民』というタイトルでして、副題が「立川・横田基地裁判を中心に」です。この書物については私も『法学セミナー』に書評を書いたことがあります。1993年以降20年ほど経っておりまして、その間の仕事があり、諸文献も業績として蓄積されていると思います。整理されているかどうかは分かりませんが、これがひとつです。

 もうひとつ、思い出を語りますと、榎本君とは水のごとき付き合い(「荘子」山木篇)で、お互いに君子と自覚したわけではないけれども、私生活のことについて立ち入ったことはありませんでした。しかし榎本君とは学部(早稲田大学法学部)の早い時期に、お互いにドイツ語の読書会でラードブルフ『法学入門』などを読んでおりました。彼は大学院に進みまして、志向としては研究者あるいは学者になりたかったのではないかと思っています。少なくとも私生活では学究的な営みをしていたのではなかろうかと思います。

たまたま榎本君の息子さん、弘行さんが大学院生になりまして、修士課程を終えてさらにドクターコースに進まれて、現在は東京農工大学の教員をしております。彼もまた父の暮らしぶりを語りまして、「学究的な志向を持っていた」と語ってくれたことがあります。というわけで、私としては彼がやりたかったけれどもやれなかったことを、これからもやって責をふさぎたいと思います。

 3つ目としてあえて指摘すると、これは公的な側面を持った関わり方です。と申しますのは、ここにいらしている内藤先生から初めてに恵庭訴訟についてのレクチャーを受けたのが大学院生の頃でして、次は百里、長沼というふうに進みますが、それに先立つ砂川事件判決の時が大学院の1年生の頃でして、鵜飼信成先生の憲法研究の授業に出ました。その時に砂川事件最高裁判決が出まして、判例検討の2回を砂川事件判決の検討に充てられました。そこでいま思いだしますと、榎本君はその時すでに砂川裁判に実質的に関わっていたことが良く分かります。

 この後私は、百里訴訟で鑑定書を出すように求められて、教授になってから証言をいたしました。その時に恵庭事件や長沼訴訟で主張された平和的生存権を受け止めて、水戸地裁で私なりの主張をいたしました。主張しましたけれども1審では認められない。また他方、長沼訴訟の控訴審判決で平和的生存権が退けられるということがありました。この頃すでに榎本君は横田基地訴訟に取り組んでいまして、僕がやっている平和的生存権というのは「役に立たない」と、僕に面と向かって言いました。「俺は憲法論はやらない、公害裁判をやるんだ」と言って、きわめて意気軒昂でしたね。

 その頃僕は初めて榎本君と、居酒屋で夜遅くまで付き合ったことがあります。すると彼はちゃんと旅館を予約しているんですよ。私は所沢に家があるので、遅くまで酒を飲んだせいで家に帰るのに苦労しました。

 それはともかくとして、その後彼が横田旧訴訟の第2次あるいは第3次の訴訟をする中で、彼から頼まれて横田基地訴訟を支援する会の学校の手伝いをやりました。組織された大衆集会の実行委員長を務めるということもありました。横田は基地公害訴訟として進むことになりますが、軍事公共性論のことでは私にも意見を求めました。控訴審判決が出た時にも呼ばれて成果を報告したことがあります。

 けれどものちに、嘉手納基地訴訟の書面を見ますと、平和的生存権論では僕のだけが引用されているんですね。僕の平和的生存権論も復活させられたという思いがいたしました。そもそも板付基地訴訟をはじめとする判例批判論文を書いた時に僕は、基地訴訟ではこれからは平和的生存権論が重要だと強調しました。その後実務ではほとんど強調されることはなかったんだけれども、嘉手納訴訟でこのような受け止め方をしてくれました。

 彼は「基地弁」の雄でありながら、「町弁」だと自称していました。いま「ヒロシマからフクシマへ」という事態の中で、福島の原発災害対策について平和的生存権では適切でない、十分でないという説も強い中、なお平和的生存権論と「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」の役割がおおいに期待されている。その懇談会の代表を今日まで務められた榎本君は、実にすばらしいことをなさったと思います。ありがとうございました。

 以上をもって榎本弁護士を偲ぶ言葉にしたいと思います。

榎本さんに感謝しています

内藤 功(自由法曹団常任幹事・日本平和委員会代表理事)

 ただいま中杉先生からあらためて横田基地訴訟の全体の経過、その中での榎本弁護士の役割など、よく整理されたお話をいただきまして、ありがとうございます。

 私はひとつ非常に榎本さんに感謝していることがあります。長沼事件の訴訟が始まりました直後だと思いますが、榎本さんが弁護士になられまして、たしか尾崎法律事務所に所属されまして、尾崎先生のご命令もあって長沼裁判に参加していただけるようになりました。私も弁護団の一員で、とくに自衛隊の実態問題の立証を担当していた時だったものですから、若い方に手伝ってもらいたいと、榎本先生にお願いしました。

陸海空の幕僚長を尋問することになりまして、「私が海と空を担当するから、榎本さん、俺のやり方を参考にしながら陸上幕僚長(中村龍平という陸将ですが)を尋問してみないか」とお願いしたら、初めは遠慮しておられたんですが、やりましょうということになって。それで彼の書いた雑誌、書物を集めてきまして、3回も家に来てもらって練習をやりまして、立派に尋問をされましたですね。

 これがちょうど横田訴訟を提起する前の、1970年代始めぐらいの時期です。だから両方やっておられた。正月には3日か4日に私の家に訪ねてきて、一緒に酒を飲んで、カード作りをした。つまり尋問を11枚カードに書いた。心から感謝をしております。

若干の討論

杉山・ひとつ残念なのは、やっと平和的生存権が国連の場で議論になって、国内ではまだそれほど広がっていませんけれども、まったく同じ平和的生存権ではないけれども、「平和への権利」として議論されている。その中身に実は長沼や恵庭や、内藤さんがご存じのようにイラク訴訟や、日本の人たちが一生懸命取り組んだものが書き込まれています。榎本さんがもう少し元気だったらもう少し進められたな、という思いがあります。

木下・ちょっと理解不足かもしれないんですけど、先ほどの浦田先生のお話で、平和的生存権は役に立たないというようなことを榎本先生がおっしゃったんですか。

浦田・横田基地訴訟を前段階として公害訴訟を始める、70年代の前半ですね。砂川、恵庭、百里、長沼と進んだいわゆる基地訴訟は憲法9条を基本軸にして、憲法の中の平和的生存権の主張を強めてきていたわけです。ところが長沼の控訴審判決で退けられて、最高裁でも言及されない。というわけで榎本さんは、横田問題は新たな切り口でもって取り組むと言い出した。新たな公害訴訟として取り組むことにして、これまでの非軍事、反軍事の平和的生存権はあえて採らない、日米安保も憲法論もやらない、という手法でもって起訴したんですね。

木下・僕は『戦争と住民』を急いで読んでいたんですけど、この本を読むと、平和的生存権の萌芽から展開されていく様子が良く分かると思ったんです。だから個々の戦術では自衛隊違憲論は採らないということで、基地弁としては非常に抵抗があったと言っていますけど、全体としては榎本さんは平和的生存権で解釈して、最初は単に平和という問題だけであったのを、環境権とか生存権とかも含めた幅広い概念として平和的生存権を発展させていく、そういう様子がこの中に感じられました。ですから、浦田先生の紹介された榎本先生の態度というのはちょっと意外な気がしたものですから、申し上げました。

浦田・ひとこと付け加えますと、榎本君の平和的生存権の基調をなしているのは、暮らしを守ろうということですね。農民の人たちの暮らし、そして基地周辺の人たちの暮らし。この暮らしを守るためには平和が必要だと。平和のうちに生きるということは、暮らしを大事にすることだという考え方が基本だと思います。

木下・榎本さんは、「平和的生存権」という言葉は良くないと、生存では冷たいと、「平和に暮らす権利」にしたほうがいいんじゃないかと言っていますね。

浦田・平和的生存権の中身については論者でさまざまですけれども、いちばん基本にあるのは暮らしですね。もともとアメリカの1930年代、ニューディールの時期に失業した人たちが、俺たちの暮らしをどうしてくれるんだというふうに言った。「生活」ということでこの権利意識が発生した。それは砂川の住民の要求であるし、恵庭・長沼で憲法13条論として出て来ます。この対極にある考え方は、核戦争の惨禍から免れる権利ということを言います。抵抗権を含みます。核時代の平和的生存権は、非核化のための道具であり、人類の生存を確保するための正当な要求だという。そういう要求までを含んでいて、恐怖と欠乏からの自由、さらに憲法25条の「健康で文化的な生活」を要求することにもつながっていきますね。

大内・たいへん強引ですが、忘年会会場に移動しますので、これで閉めさせていただきます。中杉さん、どうもありがとうございました。ご出席のみなさん、どうもありがとうございました。

榎本信行さんを偲んで ①

榎本信行さんを偲んで 

横田基地問題の歴史と課題

中杉喜代司

横田基地の概要と歴史

横田基地についてお話をして、その中で榎本先生と訴訟との関わりについても触れたいと思います。

 横田基地は東京都福生市・立川市・武蔵村山市・羽村市・瑞穂町にまたがっていますが、昭島市にもミドルマーカー(滑走路端から1マイルの位置を示す無線標識)跡があります。東西約2.9キロ、南北4.5キロ、総面積7136413平方キロという大きなものです。滑走路はオーバーランを含めると3955メートル。

 ここに在日米軍司令部・第5空軍司令部がありますが、横田基地を管理しているのは第374空輸航空団です。基地内にはあらゆる設備が整っていると言っても過言ではないほど、いろいろな施設があります。幼稚園から大学まである。ここは前線基地に対していわば兵站基地ですので、家族もハウジング・エリアで一緒に暮らしています。それらを書き込んだ「横田基地フィールドマップ」は、基地見学のために東京平和委員会の人たちと一緒に作ったものです。

 在日米軍司令部といっても、空軍・陸軍・海軍・海兵隊はそれぞれの指揮に従うもので、在日米軍司令部がすべてを指揮しながら戦闘行為を行う形にはなっていないようです。ただ全体を統合して日本との調整をするという意味合いがあるということです。

 駐在する部隊のうちケニー司令部ジャパンというのは、ハワイのヒッカム基地にある第13空軍司令部の第1分遣隊、50名です。平時には活躍しないんですが、いざという時はこの13空軍がすべてを統括すると聞いています。

 2010年に航空自衛隊の航空総隊司令部が横田基地に移駐しました。これに伴って航空総隊防空指揮軍が付いています。米第5空軍と自衛隊の航空総隊司令部が同居するわけですから、それをどう調整するかという意味での、日米共同統合運用調整所とミサイル防衛共同指揮所も横田基地にあります。まさに日本における米軍の司令基地であり、中枢基地であるということです。

 どういう飛行機がいるかということですが、横田基地は374空輸航空団が管理している輸送中継基地ですね、基本的には。ですから常駐機の中心はC-130Eハーキュリーズ輸送機、14機あるのではないかと思います。これは4発のプロペラ機で、もう何十年にもわたって米軍の近距離輸送の主力です。イラクに行った自衛隊も使っておりました。もうひとつはC12Jヒューロンこれは双発のプロペラ機で人を運ぶ飛行機、これは3機です。それからUH-1Nというヘリコプターが4機。

これらが常駐機ですが飛来機のほうは、C-5ギャラクシー、これは有名な世界最大の輸送機ですが、今でも横田に来ております。C-17Aグローブマスターも大型輸送機として頻繁に来ています。主に米本土と横田の間を飛んでいます。KC-10エクステンダーとKC-135ストラトタンカーは空中給油機です。E-3CセントリーとE-767はお椀のようなレーダーを積んでいる司令機です。戦闘機や艦載機もときどき飛来します。

横田基地の歴史ですが、最初は19404月に旧日本陸軍立川飛行場の付属施設、多摩陸軍飛行場として作られました。今よりもはるかに小さい314万平方キロで、今の姿は19459月に米軍が接収して以後、どんどん拡張された結果です。朝鮮戦争の時はB29爆撃機の出撃基地として使われた。いちばん騒音が激しかったのは1970年代、ベトナム戦争の時代です。この時は兵站基地であり、輸送基地であり、訓練基地だった。C-9ナイチンゲールという飛行機が、さかんにベトナムから負傷兵や遺体を運んだそうです。基地に勤務する人たちに、負傷兵の手当てをしたり遺体を洗ったりしたという話をよく聞かされました。

197211月に「横田基地爆音をなくす会」が福生・昭島の60名で結成、と記録されていますが、別の本ではもっと多い人数です。榎本信行・岩崎修・盛岡暉道の3人の先生(我々は横田基地問題に命をかけたということで尊敬の意味を込めて「A級戦犯」と呼んでいます)が、訴訟を始めたということです。10月にその榎本先生が亡くなって、11月に岩崎先生が亡くなりました。

盛岡先生は新訴訟の時、後でも触れますが、「危険への接近」を裁判所で名指しで言われた人です。弁護団で盛岡先生の陳述書を作りました。その陳述書に当時のことが書かれています。さわりを読みますと、

「弁護士として歩き始めた71年の秋、三多摩法律事務所に昭島堀向地区の住民から、大阪空港裁判のように横田基地でも国に対して裁判を起こしたいという相談が寄せられ、他の2名の弁護士とともに私もこの件を担当することになりました。まず現場に足を運ぼうということで行ったところ、頭上を襲う米軍ジェットの猛烈な爆音は私の予想をはるかに超えていました。また、この爆音のため800戸のうち500戸の住宅と商店が集団移転させられていました。土台だけを残した建物の残骸が延々と続く中、移転に応じていない78軒の家がポツンポツンと取り残される光景は、まるで焼け跡のようでした。」

 これは堀向という地区の話なんですが、都営住宅が800戸、並んでいたんです。それが全部移転させられてしまった。堀向銀座商店街には医院が5軒もありました。今はまったくありません。拝島温泉という銭湯もありましたが、ジェット機の衝撃波でガラスが割れて、入浴中の女性が怪我をしたという曰く付きの所です。銀杏並木に曳光弾が落下して木が折れたこともありました。

「私たちは人たちと話し合いを繰り返し、72年の3月に横田基地裁判準備会を作りました。私はこの準備会の一員として大阪空港訴訟弁護団と交流するため、川西市と豊中市を訪問した」と陳述書には書いてあります。「横田基地周辺住民が置かれている状況を法律家仲間に広く伝え、同年4月と5月の2回にわたり、延べ50人の弁護士に現地に入ってもらって、基地周辺住宅約200戸を訪問し、被害の聞き取り調査を実施しました。日中の訪問調査を終えた弁護士たちは集会所などに集まって調査の結果を報告し合い、現状分析とこれからの方向性について討議を深めました。その結果、住民の被害感はきわめて大きいものの、騒音と闘う住民同士の姿勢と結束が必ずしも十分でないことが分かってきました。まずは住民同士の結束をはかる強固な運動体を作り、横田基地や防衛庁との交渉から始めるべきとの結論が、討議を通じて導かれました。」

このようにして197211月に「爆音をなくす会」が結成されました。盛岡先生の話だと150世帯ということですが、先ほどの数字とどちらが正しいのか、私には分かりません。いきなり訴訟をやるというのでは駄目だ、住民同士の運動から開始しようということだったようです。盛岡先生は立川に住んでおられたんですが、横田の玉川上水のすぐ南側に転居されました。榎本・盛岡・岩崎、この3人が中心になって横田基地訴訟が始まったということです。

私の印象で言うと、べらんめえ調でバンバン物を言う岩崎先生と、包容力があって方向性を指し示す榎本先生、なにしろ地道で人がやりたがらないことをコツコツとたる盛岡先生、この3人がよく揃ったと思いますが、同い年なんですね。

このようにして横田基地訴訟をやっていくわけですが、実際に訴訟が提起されるまでに、197411月に米軍の関東計画に基づいて第5空軍司令部・在日米軍司令部が府中から横田に移る。司令基地・中継輸送基地・訓練基地になっていきます。横谷米軍施設が集中する中、1976年に横田基地訴訟が提起されます。

 横田基地の飛行状況

 実際にどんな騒音がどのくらいあるのかということですが、拝島第二小学校というのは滑走路の南の延長線上にある学校です。私は米国には新訴訟の時に3度ほど行ったんですが、その時の説明に使った写真に、女の子がC-130の影の中にいる写真があります。拝島第二小学校の運動場です。それだけ飛行機が低く飛ぶところに学校がある。ここでの1993年から2012年までの爆音の推移を見ますと、1日平均が1993年に44.1回だったのが、2012年には19.8回、かなり低減されてきています。

同じ場所でのW値は最高が1995年で902012年には80でした。W値(WECPLN)は「うるささ指数」と通常呼んでいるですが、単なる騒音の大きさではなくて、被害感とどうマッチするかで編み出されたICAO(国際民間航空機関)という国際組織で採用されたものですが、日本と韓国ぐらいでしか使われていません。世界ではLeq(等価騒音レベル)、エネルギーで測る方法が採用されていまして、今年から環境省の環境基準もこちらで、エルデン(Lden)という方式に変わっています。

これまではW値でしたが、これがだんだん低減する中で、夜間の飛行回数がきわめて少なくなってきています。月平均で1993年に20.6回だったのが2010年には3.6回、2011年が6.8と増えたのは東日本大震災の対処で出て行く飛行機、原発事故から避難する家族のためです。

コンター図(等値線図)は地域指定図ですが、防音工事のために防衛省が告示しているものです。W75の地域を指定しています。以前はもっと外側まで地域指定をしていたんですが、2005年の見直しでだいぶ狭まりました。それだけ騒音が低くなったのかもしれないですが、今までは無償での住宅の防音工事が認められていたものが認められなくなりました。住民の意識的には、そんなに下がったとは思えないということです。訴訟は旧訴訟と新訴訟、第2次新訴訟と3つあります。新訴訟の途中で国が2005年の告示をしたために、原告のうちで負ける人が出て来ました。

これが今の騒音状況ですが、実際には飛行機は風上に向かって飛びますので、冬はだいたい南から北に向かって降りて北に向かって飛び上がる、北風ですから。夏は逆に南風なので南に向かって降りる。旋回訓練もやりますので、騒音は単純に滑走路の南北だけではありません。旋回訓練はどちらかというと西側に旋回することが多いです。

 横田基地公害訴訟の歴史

 横田基地訴訟は、最初は正確には「横田基地公害訴訟」といって、「騒音」は付けていません。1976年に41名で提訴しました。世帯主だけです。第2次が翌年に112名、これも世帯主です。1982年には第3次訴訟、599名でやりました。

全国の基地騒音郊外訴訟の判例を一覧にしたものを私がまとめましたが、横田が最初に判決を受けています(東京地裁八王子支部)。1次訴訟と2次訴訟が併合されまして12次訴訟といいますが、81713日に第1審判決を受けました。差止請求は却下、損害賠償についてはW値によって月1000円から5000円までです。控訴審判決は87715日(東京高裁)、損害賠償が2500円から15000円まで、かなり増えた。これは武藤さんという研修所の教官として有名な方が裁判長です。89315日に第3次訴訟の1審判決。93225日に12次訴訟の上告審判決で上告棄却。基本的には差止は却下、損害賠償は一部を認め、将来請求については却下です。ただ法的なことを言うと、最高裁では却下と言わずに棄却と言っています。主張自体が失当だということで棄却にしています。

1審では飛行差止については統治行為論とか、義務付け訴訟とか、いろんなことを言ってきたんですが、93年の最高裁では安保条約6条、地位協定31項で、施設・区域(基地)管理権は米軍に委ねているから、国にはそれを規制する権限がないと。権利がない者に止めろと言うことは主張自体が失当だというのが、差止を認めなかった理由です。

損害賠償については「受忍限度論」を採っています。さまざまな要素の中で受忍限度、簡単に言えば我慢できるかできないか、我慢できないほどひどいなら金をやろうか、という発想です。裁判所に対して丸投げだといろいろ批判もありますけれども、今は受忍限度論で統一されています。

この受忍限度についてはその判断要素としてどういうものが挙げられるのかということですが、横田ではおおむね5つです。①侵害行為、音の大きさとか頻度、まさにどんなにひどい騒音なのかということです。②被害、それによってどんな被害があったか。この①②は主に原告側が主張するものです。

③以下は主に国の方で主張するものです。③公共性、基地は公共性が高いのだから我慢しなさいという理屈です。新幹線とゲームセンターでは公共性が違う、新幹線が多少うるさくても仕方がない、という言い方です。④危険への接近、「危険に接近した者が、その存在を認識しながらあえてそれによる被害を認容していたときは、事情の如何により加害者の免責を認める場合がないとはいえない」、免責まで行かなくても損害賠償の一部を減額すべきだ、という考え方です。うるさいのが分かっていて寄ってきたんだからしょうがないでしょう、我慢しなさい、ということです。⑤周辺対策、防音のためどれだけ国が努力したか。国が一生懸命やっているなら多少の我慢は仕方がないということです。

この被害のところで特徴的なのは、共通被害という考え方です。本来なら全部の原告がひとつひとつ自分の被害を立証していかなければいけないわけですが、新訴訟は6000人ですから、それをやっていたらみな死に絶えてしまうので、そんなことをする必要はない。共通する最低限の被害が受忍限度を超えるかどうかということでいい。3軒並んでいれば、両隣の人が陳述書で被害を述べていれば中の人は出さなくてもいい。騒音は均一的に来るわけですから、一人一人が立証する必要はないというのが共通被害です。

共通被害についてはちょっと分かりにくいですが、裁判所でも、育児の苦労はお母さんだけでしょうとか、療養は病気の人だけでしょう、ペットが怖がるというのは飼っている人だけでしょう、共通ではないのではないか、という判決もありました。難聴・耳鳴りについては大阪空港の控訴審判決で最高裁も認めているわけですが、難聴・耳鳴りの危険性可能性、発生するかもしれない環境にいることが被害なのだと判断しています。

これは私自身の考え方なんですが、テレビが見えない、電話が聞こえない、こういう被害はどの裁判所でも認めるんですが、テレビのない家だってあるわけです。すると共通ではないではないかと。そうするとすべて共通でないから被害はないという話になる。これは慰謝料請求なので、共通するのは個々の飛行騒音によって現れた状態ではなくて、それによってテレビが見えなくてイライラする、勉強が妨害される、そういう精神的苦痛が積もっていくと、最大公約数でこのくらいの苦痛がある。それが共通だと考えれば、育児だって共通被害で構わない、病気療養も共通被害で構わないし、ペットだってそうだと。そのように私は考えています。はっきりそう言っている判決はないんですが、横田の新訴訟の控訴審はそういう考え方を採っているんではないかと思います。

これまでに提起した訴訟ですが、先にお話ししたように3次の旧訴訟をやりました。12次訴訟は併合になって最高裁まで行った。3次訴訟は高裁で終わった。新たな1万人訴訟を起こそうということで1996年から3次にわたって新訴訟を提訴したんですが、残念ながら5921名ですか、6000名に若干足りないところで終わったんですが。これが日本各地の基地騒音で大型訴訟を起こす走りになりました。今度は1万人と方向付けたのは榎本先生です。次は大型訴訟をやると。

旧訴訟と新訴訟のどこが違うかというと、新訴訟は対米訴訟、米国も相手にした訴訟をやりました。これは旧訴訟が規制権限のない国に対して差止を請求しても、権限がないからできないというので、それなら本人に請求しようと、差止だけ米国を相手にしました。これも榎本先生が提唱されたと思います。

榎本先生は新訴訟で弁護団長になりました。旧訴訟では森川金寿先生が団長です。私は旧訴訟の最後のところで事務局長をさせていただきました。

新訴訟は3次まで併合されて、対米訴訟は審理されずに却下されました。そして今年、第2次新訴訟を起こしています。2回にわたって提訴して、いま1078です。これは米国を相手にしないで国だけが相手です。ただ先ほどお話ししたように2005年の騒音地域指定図見直しで負けてしまった人たちがいるのでその代表選手のような形で、W75の騒音地域を外れた5名の方も参加しています。また差止時間も前は夜の9時から翌朝7時までとしていたのを、家族の団らんの時間を含めて、7時から7時までの請求にしました。

対国訴訟の特徴

そこでまた受忍限度の判断要素に戻ります。

公共性の問題ですが、これが旧訴訟の最大の論点でした。我々は「軍事公共性至高論」と呼んでいるんですが、端的に言えば国側は「誰のおかげで平和に暮らせるのか、人権などというものは平和だからこそ謳歌できる。そういう意味で、横田基地は何物にも代えがたい公共性の高いものだ」という主張を盛んにしました。

全国の基地騒音公害訴訟の判決を順に並べてみますと、まず横田第1審、次が厚木第1審、次が厚木が横田を抜いて控訴審判決です。ある意味では意図的に抜いていただいた。このときは中曾根政権です。厚木は横須賀の空母ミッドウェーの訓練基地ですからものすごく飛んでいて、国会でも問題になった。これだけ飛べばひょっとすると差止に手が届くのではないかという思いもありまして、まず厚木で高裁判決を取って横田が続く、というふうに思っていたんですが、実はここで損害賠償も負けてしまった。棄却、受忍限度を超える被害はないと。その大きな原因として言われたのが軍事公共性です。我々としてもまったく予定が狂いました。榎本先生たちも焦られたと思います。

それで、何としても軍事の専門家に軍事公共性の問題で証人として立ってほしいと、次々と申請しました。林茂夫さんは出しました、藤井治夫さんは出したかどうか。次々と却下なんですね。その必要はありません、と。誰が見つけてきたのか分かりません、榎本先生が尋問されましたが、前田寿夫さん、当時は茨城大学の先生をされていたと思うんですが、元防衛研修所研究部第1研究室長が証人として採用になったのですね。

「国防というのは非常に沙枚意味と広い意味に使われまして、軍事力だけで国を守るという国防を狭義の国防というふうに申します。……国を守る上には単に軍事力だけではなくて外交、それから経済、あるいは社会、あるいは技術といったものも考慮しなければならない。」

「(国防なくして人権もない、国を守ってくれる兵隊さんがいなくて何が自由だと。国、あるいは国民の幸せの価値の根源は国防だという考え)は、もちろん偏った考えです。戦前から戦争中にかけてそういう考え方が通用しておったわけであります。」

 こういうふうに証言していただいています。私も非常に意外に思ったのですが、これは軍事の専門家からすると至極まっとうな普通の考え方のようですね。中曾根首相・石橋誠嗣社会党書記長の間で「丸腰でどうする」という論争がさんざんやられたことがあるんですが、前田先生から私も何度もお話しをうかがいました。先生は元防衛研究所の方ですから、軍備が必要でないとは言われません。でも、軍事は下の下だと。まずは外交・文化・貿易、それで互いの関係を深めていくことが平和への道なのだと。最低限に守れる態勢を備えておけばいい。もうひとつは、日本は海に囲まれているから防衛には非常に有利なんだと。ソ連のミサイルが海を越えて来るではないですか、と言ったら、戦争の目的は占領、壊しただけで占領しなければ何の意味もない、海があることはものすごく大きな防衛力なんだ、と言っておられました。

 前田先生の証言の結果が、控訴審判決です。「国防は行政の一部門であるから、千字の場合は別として、平時における国防の荷う役割は、他の行政各部門である外交、経済、運輸、教育、法務、治安等の荷う役割と特に逕庭はないのであり、国防のみが独り他の諸部門よりも優越的な公共性を有し、重視されるべきものと解することは憲法全体の精神に照らし許されないところである。」

 これは榎本先生にとっても我々にとっても、ものすごくうれしい判決でした。榎本先生は大学院学生のころ砂川事件にかかわったとうかがっていますが、砂川から恵庭、長沼、百里と憲法9条で裁判をして、榎本先生には憲法9条に強い思いがあったと思います。しかし横田基地訴訟では憲法を一言も主張していない。ところが判決で憲法を言わせたので、非常にうれしかったのではないかと思います。

 横田の旧訴訟はこうして公共性の論争で控訴審で勝ったと思っていますが、これが全国の基地訴訟に基本的には引き継がれている。これ以降、損害賠償で負けた事件はありません。一部的に負けたことはありますけれども、全面的に損害賠償が認められなかった訴訟はありません。

 新訴訟になっていちばん激しく闘われたのが「危険への接近」です。これについては「横田が先頭に立って」と言いたいところですが、嘉手納訴訟が最初に認めさせないことになりました。沖縄ですから、危険に接近するなと言ってもどこに住めばいいんですか、どこに行っても基地だらけではないですかと。それから各地に広がってきて、最後に横田が勝ちました。

危険への接近では大阪でも2名ですか、負けてしまったところがあるんですが、横田では新訴訟の1審でもっとも悪い判決を食らって、1銭も認められなかった、あるいは減額された人がかなり出ました。控訴審では危険への接近で減額すべきでないと判決されました。盛岡先生は訴訟をやるために昭島に移住したので、旧訴訟では原告でなかったけれども新訴訟で原告になった。高裁の裁判官は、「危険への接近は認めるべきでないと思っているが、ただ一人問題の人がいる」と。知らなかったとは言わせないということです。控訴審判決には盛岡先生一人についての記述が1頁以上あります。

対米訴訟の特徴

対米訴訟については、1996年の米大使館口上書というものがあります。

日本の裁判所が外国政府に対して裁判権があるのかという問題ですが、これについは1928年の大審院決定で、領土の問題はともかくとして、無いんだと、外国政府に対してはできないということになっています。横田ではこれに風穴を開けることができて、外国政府に対しても基本的には裁判権が及ぶと。ただし最高裁は主権的行為については及ばないと言って、米軍の軍事訓練なり軍事行動はまさに米国の主権的行為だから、そこについては及ばないと。そういう意味では、イラク戦争では誤爆などで大勢の人が亡くなったから、米国政府に対して損害賠償請求ができるかといえば、戦争は主権的行為だから認められないことになります。そういうわけで対米訴訟は結局、認められなかったということです。

口上書は、「大使館は、米国が本事件で日本の裁判権に従わないことを決定しただけでなく、訴状等訴訟書類の送達も拒否することを回答する。」と全否定です。

新訴訟では差止請求を米国に対して訴えたわけですね。ところがこの口上書を見ると、訴えてもいない損害賠償についても言っています。「日本の裁判所が最終的に原告の金銭請求を認容した場合、日本政府のみが責任を負うものであること」と。

米軍の行為によって不法行為があった場合の損害賠償は、地位協定で4分の3は米国が払う約束になっていますが、今だに騒音訴訟について米国はいっさい日本政府に対して求償に応じていない。外務省に行くたびにどうなっているかを聞いていますが、いつまで経っても「協議中です」という答えです。

横田基地訴訟の成果

駆け足になりましたが、最後に横田訴訟の主な成果です。

まず日米合同委員会合意があります。「22時から6時までの間の時間における飛行および地上における活動は、米軍の運用上の必要性に鑑み緊急と認められるものに制限される」と、19931117日に合意されています。

これに関連して「横田基地公害第3次訴訟の和解提示にあたっての当裁判所の見解」という文書があります。3次訴訟では10ヶ月にわたって和解協議をしました。これは横田訴訟で唯一の和解協議で、当時私は事務局長をしていましたから当事者なんですが。ここで国が和解案を出せないまま原告の和解案に対して、裁判所が1993118日に出した和解案です。なかなかいい和解案で前文も付けて、国としては被害を軽減する責務があると明確に述べています。ここまで言うなら差止を認めてくれても良かったのにとの思いもありますが。

118日に高裁の和解案が出て、9日後に日米合同委員会の合意があった。和解案を意識したのは当然です。裁判所案では「午後10時から午前7時まで」、国として騒音が少なくなるよう努力せよと、止めろと言えばできないと言うから、努力という和解案を出した。すると10時から6時まで原則として飛行制限をするという日米合意ができました。あと1時間の努力についていろいろやったのですが。

この時に榎本先生は、私が裁判所に行く時に必ず付いてきて下さった。国は観測気球みたいなのを新聞記者に出しますが、そのたびに裁判所に行って回答があったのかと、裁判所に回答せずに発表するのはけしからんと言って帰ることを何度もやりました。細川政権の時でしたか、厚木の弁護団員でもあった千葉景子さん(参議院議員・社会党)にお願いしたりして、羽田外務大臣にも会わせてもらいました。けっこう盛り上げたのですけれど、最後のところで国と住民との間の協議会を作る合意までには至らなかったということがあります。

他の成果としては、夜間着艦訓練、これは空母ミッドウェーとかジョージ・ワシントン艦載機の訓練ですが、厚木や横田でやっていたのを今ではかなりの部分を硫黄島でやっています。英霊の上空をうるさくしてけしからんという話もありますが。

それから、差止は認められていないけれども、実質的に飛行回数は少なくなってきています。

損害賠償を認めさせ、6000名近い大訴訟につなげることができました。

旧訴訟では国の軍事公共性至高論を排斥できました。

危険への接近の主張を退けました。

将来請求についてはここでは説明をしませんでしたが、それまで全部却下だったのを新訴訟の控訴審では1年間だけですが認めさせて、ちょっとした風穴を開けました。上告されて覆されましたが、32という1票差でした。

何よりも、嘉手納などとくにそうだと思うのですが、辺野古に行かずに嘉手納にヘリを持ってきてもいいと思うんですけども、基地のキャパシティからいえば十分できますが、それを許さないのは住民の騒音訴訟です。

以上、雑駁ですが報告を終わります。

(本報告は20131211日、平権懇例会で行われたものです)

2013/09/28

脱原発テントの実情と今後の見通し

脱原発テントの実情と今後の見通し

正清太一

2013829日 平権懇学習会報告

 テントひろばができるまで

 いろんな形で研究や勉強をしていらっしゃる方が多いので、今日はぜひ勉強させてもらいたいことが多いんですけれども、これまでの経過をまず簡単に申し上げておきます。

経産省前テントの立ち上げは一昨年の911日ですから、今年の911日が来ると3年目に入ります。2011911日は日曜日でしたけれども、皆さんの呼びかけで「人間の鎖」を経産省でやろうという動きがあって、それに私どもも全面的に協力したんですが、たしか2時から5時までという予定だったと思います。「5時になったら家に帰るのか、俺は嫌だ」いう人がありまして、座り込みだ、やれテントだという話はじつは23日前から出ておりました。経産省に対する抗議の決議文みたいなものを渡そうとしたんですが、経産省は日曜日だから誰もいませんと断ってきたので、ふざけるなという話になって、そういういくつかの刺激があって。

私どもというのは「九条改憲阻止の会ですが、安倍が最初に総理大臣になったときに、九条を変える、憲法を変えるという話が出て、冗談じゃないということで、主として60年安保、70年安保の学生運動の経験者、ほとんどみんな現職を辞めている人が多いから、その人たちが集まって始めたということです。

私の経歴ですが、社会党の練馬の区会議員を1967年から12年間、やっておりました。議員を途中でしたが社会党を飛び出して、江田三郎さんがつくった社会市民連合に入りました。菅直人さんとか江田五月さんとかは、われわれが育てたということです。

当時は原発問題について、自民党から共産党まで、平和利用はいいじゃないかという状況があった。社会市民連合をつくりましたら、関西から促進派と反対派と両方が出て来たんですね。一緒にこの問題をやろうということで、杉並で原水爆禁止運動を始められた方とか、そういう方々に来てもらって、勉強をさせてもらった。そして日本の政党としては初めて、原子力発電はやめるべきだという政策を打ち出したのが、78年です。

当時の社会民主連合には、田英夫さん、秦豊さん、楢崎弥之助さんとか、わりと有名な人たちに参加していただいていました。その後、福井県の小浜でがんばっている中嶌哲演さんなんかともつながりができました。

その間、私はもう自分の生活で精一杯だったんですけれども、たまたま私の明石書店社長の石井君が昔の友人で、ばったり会ったら「お前、俺のところに来ないか」と言う。「年金だけちゃんとやってくれるならいいよ」ということで、あそこで8年ばかり働きました。70歳になったところで辞めました。

先ほど申し上げました「九条改憲阻止の会」は国会の動きに合わせて、国会前に座り込むとか、いろいろな形で活動していたんですけれども、11年の311日に津波と原発事故が起こって、13日に水素爆発で放射性物質が大気中にばらまかれた。それで僕らの内部でも相当議論をしました。街頭宣伝とか何かで金を集めて赤十字に持っていったらどうだという話もあったんですが、いやそれは違う、昔の足尾鉱毒事件を考えろ、とにかくまず現場に行って現場の状況を分かって、その上で政府に対して、あるいはみんなに対してもの申すことが必要だということになりました。

3月の末、福島に支援活動という形で、箱根の強羅から水を1トン積んで、夏ミカンを1トン積んで、それから野菜を積んで行きました。そういうことで、私は約半年ばかりの間に都合8回ばかり、ポンコツの2トントラックで行ってまいりました。それで現地の状況をよく勉強させていただいた。そういう背景があって初めて、半年後の911日に経産省前のテントが立ち上がったということです。

十月十夜がんばる

いま私と淵上太郎君の二人がテント撤去で裁判に訴えられていますけれども、私ども「九条改憲阻止の会」が最初にテントを立てたことは、これは間違いないです。11日が日曜日で、12日に経産省に会見の申し入れました。いまテントがある場所は道路ではなくて、経産省の用地です、三角地帯ですけど。あそこを原発問題をみんなで討論する場所として開放しろという要求を、申し入れたわけです。文書で持ってこいと向こうは言うから、私の名前で文書を出したというのが、いちばん最初です。そのときはテントはすでに作っておりました。経産省の担当職員が、「ここは経産省の土地ですから出て行ってください」と、今でも毎朝来ます。

そうしたら、たまたま私どもと同じ原発反対でがんばっている、上関原発に反対している青年たちが7人、10日間ハンストをやるという話があって、それはわれわれも支援しなくちゃならないということでやってきました。テントができて3日経ったら郵便物なんかも届くようになりまして、一週間したら今度は外国のメディアが飛んできて、とくにオランダとかフランスとかアメリカとかが来て、「がんばってますね、でも日本人はおとなしいですね」という声がありました。

そうこうするうちに、野田首相がニューヨークの国連総会に出てまして、それに対してもの申すという形で福島の女性、それから北海道の泊原発反対をやっている女性、それから静岡の浜岡原発に反対している女性の代表が抗議に行ったんですね。その報告をこのテントの前で、925日でしたけれども、やったわけです。夜でしたけど、もちろん一般のメディアなんか来やしない、むしろフリーのジャーナリストの方が多かったんですけども、そのとき福島代表の佐藤さんという方が、「これはいい場所ができた、私たちは来月来るよ」という話になりましてね。一ヶ月どうやって保たせるかというのが、正直なところわれわれの問題だったんです。

最初はテントを借りてきたんです。だけど女性が来たらやはりもうひとつ作らないかんから、じゃあもう買っちゃえという話で、都合40万くらいかかったと思うんですけれども、テントを買った。じゃあ俺たちも作るよということで、別なグループがもうひとつ、いま小さな物置になってますが、だからいまテントは3つできているんです。

私ども「改憲阻止の会」だけではなくて、もっといろんな原発反対をしている人がいるわけだから、たとえば「たんぽぽ舎」なんかとも相談して、10月の20日の日にテントひろばの全体会議みたいなものを立ち上げて、それでいろんな人を受け入れる形が始まったということです。

同時にテント広場をどう運営するかということで、運営委員長として、テントの村長ということになってます。淵上君がテント運営の委員長になったわけです。私の名前で出した要請は、9月の29日に経産省から拒否の返答がありまして、特定の団体には貸せない、異議があるなら受けるというので、10月の19日には異議申請を正式にしました。

1027日に福島からバス2台で、100人ぐらいのほとんど女性ですが、やって来まして、その女性たちが3日間の座り込み行動をやったんです。これで一気に日本全体の、とくに反対運動をやってきた方々の参加が始まったということです。そして一気に全国的なものになってきたということです。

12月初めになったら福島代表の女性が参加をして、これは私どもは想像もしなかったのだけれども、「私は十月十夜がんばる」と言われました。十月十夜という表現はわれわれには分からなかったけれども、女性の方々は良く分かる話です。そういう宣言をされて、それから若い青年たちも参加する、全国から参加するという形で、一気に広がっていったということです。

1月にはテントの前で餅つきをして、近所の農林水産省や外務省や財務省に、その餅を持っていったりなんかしました。

テントを守るのは大変です

年が明けて125日に、27日午後5時までに立ち退けという正式な排除命令が出たわけですね。そこでわれわれはすぐ経産省に会談を申し入れて、あなたたち役人では分からないから、大臣、大臣がだめなら副大臣、政務官でもいいから、国会議員を呼んでいらっしゃいという話をしたんです。それが成立しないという状況のなかで、1月の27日の5時を迎えるわけです。非常に象徴的な言葉でいうと、「撤去すべきは原発じゃないか」と、文字通り経産省を取り囲むような、約1000名といわれる参加者があったということです。枝野経産相が後で「自主的な撤去を求める」というコメントを出して、その問題はいちおう収まっています。

もうひとつ、テントは「九条改憲阻止の会」ではなくて「脱原発テントひろば」のものだという切り替えを要請した。中身は同じじゃないかとかガタガタ言いながら、最終的には2月末に、責任者は私から淵上君の方に変わりました。

その後はあっという間に1年半経ったわけですけれども。その間には12年の417日に、瀬戸内寂聴さんだとか鎌田慧さんだとか、それから中嶌哲演さんとか、あそこで集まった。というのは、55日に日本全体の原発が止まるという状況が予定されていました。いちばん最後に始めた泊原発が55日に定期検査ということです。ではそれまでハンガーストライキをやろうじゃないかということで、集会をやったわけです。これがいろんな形で拡がって、さらにメディアでも取り上げてくれたこともあって、大きな動きのひとつとして出て来た。

ところがそれから間もなく、野田首相が大飯原発を再稼働するということをやって、これに対してわれわれとしても大飯原発への反対の行動をしていますけれども、大飯原発が動き始めるという状況があったわけです。

大きな運動としていえば、4月から反原連という反原発の若い人たちが中心として首相官邸に抗議を申し込むという運動が始まる。それから一方では1000万人原発反対署名運動、それからもうひとつ福島の方々が中心で始めている東電に対する賠償訴訟、それから違法訴訟という形での福島の運動。もういろんな形で運動が始まっています。

原発ができてかれこれ40年ぐらい経つわけですけれども、その間、原発反対は全国組織という形ではほとんどやられていなかったんです。まったくなかったわけではないんですけれども、それがある意味でものすごくプラスになった。いろんな形でいろんな人々が自由に反対運動ができるという状況がある。できている。今でもその状態は続いています。たまたまテントがあそこにあるということで、いろんな地域の方々が全国からお見えになります。もちろん北海道や沖縄や、あるいは九州や四国や、日本海側の方から太平洋側の方から、もうとにかくひっきりなしにいろんな方々が参加をして、私も完全に名前なんか覚えられないぐらいな状況です。

ただ実際には2年も経ちますと、みんなくたびれちゃうということがあります。とくに夜、だいたい56人は最低いないと保ちませんので二交代で、3時半まで寝る人と、逆に3時半まで起きている人といて、交代する。正直な話、テントを守るのはいろんな意味で大変です。すでにわれわれが知っているだけで4人の方が亡くなってます。それは決してテントの中で亡くなっているというわけではないが、テントの行動を通じてくたびれて、具合が悪くなってやめたという形です。ひとりはまだ31歳の女性で、私どもが期待していた、私と一緒に福島へ行ったこともある女性です。それから58歳の学校の先生だった方。それから昔からずっと運動をやっておられた623ぐらいの、この人はとくに去年の冬なんかはものすごくがんばってもらった。それからもうひとりは女性の、昔学生運動で一緒にやっていて、出版社をやっていた方です。私どもが分かっているだけでも4人の活動家、、一緒にやってくれた方々がすでに亡くなっています。

正直言っていろんな入れ替えはあります。もう私は嫌になったとか。運動家だもんだから、けっこう内部でケンカしたりなんかして、それで出て来なくなった人もいらっしゃいます。いろんなことがあって、必ずしもすべてがうまくいっている状態ではありません。いろんな党派やいろんな会派やいろんなグループや、そういう形での確執というのをとにかくしないという前提で始めた「九条改憲阻止の会」が中心になっていますから、グループ間の抗争を極力避けるという形で、今日までやってきているわけです。

原発に未来はない

そういう経緯のなかで、これは原子力発電の最大の問題点を分かっていただきたいのは、原発の廃棄物のことです。低レベル廃棄物をイギリス、フランスに引き取りに行って、それを六ヶ所村で再加工してプルトニウムを作る。何のためにやるかというと、プルトニウムに変えて原発に使うという話です。いつでも原爆の材料にできるという状況があるということです。

プルトニウムを燃料に使う高速増殖炉「もんじゅ」の建設計画からすでに30年以上経っている。だけど結局成功しないという状況が続いて、あれはもう止めたほうがいいというのは、もう保守党も含めて同じような考え方になってきております。結果的にはそれを進めたのは日本だけです。他の国はみなもうあきらめてやめた。

すでに日本に54基の原発ができている。しかもまだ、あそこに作る、ここに作るという計画が進んでいる。残念ながらその原発による廃棄物の処理というのは、まったく見通しがないと言っても言い過ぎではありません。あとの人が考えてくれという状況です。

1年半ぐらい前ですか、モンゴルで引き取ってもらおうみたいな馬鹿なことを役人が言うというようなことがあった。日本の中で地下400メーター近くにガラスで固めて埋めよう、みたいな話もあって、お宅でやっていただけませんかという形で、いろんな村に行ったけれども、みんな反対です、当たり前のことですけれども。そういう状況がずっと続いていて、要するに廃棄物の処理がもうどうにもならないという状況があります。

すでにプルトニウムが日本に約30トンぐらいあるらしいんですね。これを日本がどうするかというのをアメリカはものすごく心配して、注目している。放っておけばいつでも核兵器の材料になります。全部使ったら300発ぐらいできるとか言われています。「3ヶ月ぐらいあればできるぞ」と石原慎太郎が言ったとかいう話がありますけど、実際問題としてそんな難しい問題じゃない。

半年ぐらい前ですか、フィンランドで廃棄物を地下深くに埋めることを、NHKで放映していましたけれども、じつは大変なことなんです。結局それしか廃棄物の処理は道がない。まさか海に放り出すわけにいきませんので。他の廃棄物と決定的に違うのは、プルトニウムの場合でいえば半期が24100年。人類の歴史はせいぜい78万年ですね。どうするかはあとの人が考えてくださいというふざけた話があって、今日まで進めてきたところに、やっぱり最大の問題があると思います。

それだけではなくて、六カ所村の再処理施設がもうパンク寸前になっていて、もう持ってきてもらっちゃ困るという状況で、54基の原発それぞれで、廃棄物をそのまま置いてあるんです。柏崎でも、あるいは福井でも。この上まだ原発をつくるのかという問題が、ぜひ考えなきゃならない問題としてあるわけです。

よく、日本の経済発展のためにエネルギーは必要だから、やっぱり原発を止めるわけにはいかない、みたいな話があります。よく考えてみたら、あと30年したら日本の人口が約3分の2ぐらいに減ります。だいた8000万ぐらいになるだろうと言われています。しかも、われわれみたいな老人がどんどん増えて、若い人たちが少ないという状況のなかで、経済成長っていったい何を意味するのか。きちんと考えなければならない問題としてあると思います。

日本にある54基の原発を完全に廃棄をするためには、建設の約3倍くらいの資金が必要だといわれるんです。それは廃棄物の処理も含めてです。

今まで原発は国策としてやってきたわけです。電力会社が新聞に一面広告をどんどん出しましたけど、ほとんど値切りなしで出しているんです。これはメディアにとってみれば最高のうれしい話であって、原発反対ということがなかなか言えなくなってきた。タレントなんかもみんな買収されていますから、反対は言えないんだという状況があります。

それからもうひとつ、もう福島は片付いたと、福島の情報が主要な新聞、テレビでは報道されなくなってきている。去年の12月の衆議院選挙でも、本当はいちばん重要な課題であるべき原発問題がどこかに行ってしまって、消費税値上げのような問題に振り替えられている。野党側はそれぞれ自分の言いたいことは言うんだけれども、まとまりがない。結果として自民党と公明党の大躍進という状況になってきているわけです。

地方から変える

これをどういうふうに立て直すかというのが、われわれの今後の課題だと思います。かつてはいい悪いは別にして、まとめ役というか、各政党間の調整がきちんとできる人がいた。それが今まったくいなくなったと言っても言い過ぎではない状況の中で、それぞれが自分の言いたいことは言うんだけれども、それをどうやって原発を止めるかという形でまとめられない。それが大問題ではないかと私は思っています。

とにかく放射能は目にも見えない、匂いもない、色もない、放っておけばみんな分からない。原発からどれだけ放射能が出ているかということが分からない中で、それをいかに隠すかということをこれまではやって来た。かれこれもう10年ぐらい前になりますか、東海村の事故で2人が亡くなりましたけれども、その後も柏崎の火事の問題とか、本当に火がつき始めるとしょうがないから報道するけれども、相当いろんな形で起こっている、原発の内部はほとんど報道されていない。

23日前に福島で汚染水を海に流して大騒ぎになりました。これは前から心配はされていたけれども、全然報道されてこなかった。そういう問題は行政側が、政権側が本来なら責任をとらなくちゃいけない。持てる状況ではない。原発を今日まで進めてきた電力会社は、もともとは国策でやってきた。昔は国の機関だったわけです。それに結びついている金融機関も、今ものすごくあわてていると思います。その金を元に開発してきた東芝だとか日立だとか、あるいは三菱だとかそういうところも、せっかく作った原発を放っておけない。早くなんとかしてほしい、ベトナムとかトルコにも売り込もうとことがあるだろうと思います。

ところがじつは彼等がいちばん困っているのは、国民の7割、8割が、もう原発は止めたほうがいいと言っている、それが世論なんです。何回調査してもそれは変わらない。もちろん、多少はしょうがないかな、という人も中にはいます。

誰ががんばっているかというと、私はやっぱり女性だと思います。かつて日本の歴史でも「米よこせ運動」という運動がありましたけれども、女性が動いたときは世の中も変わらざるを得ない。そういう極端な状況が、今あると確信しています。原発はやっぱり止めたほうがいいと女性ががんばっているとき、それをどうやって助けるか、育てるかということが、私どもの重要な役割だと思っています。

長い目で見れば必ず原発は終わりになります。それは100年なのか50年なのか30年なのか20年なのかという、そういう違いだと思います。どうやったらこれを早く止めさせられるかというのが、われわれの課題です。

たまたま「テントひろば」というものがあって、ウチのメンバーはデモとか集会とかやれば解決すると思っている人が多いけれども、実際はそんな甘いものじゃない。やっぱり選挙や、あるいは国会や、そういうところを変えていかないとどうしようもないわけでして。次の国政選挙は3年後とよく言いますけれども、その前に2年後に統一地方選挙があるわけですから、地方議員を作っていく。無所属でも何でもいいから、とにかく市区長選挙で反原発の新人、しかも若い、できれば女性、そういうものを当選させていくということを、この2年間かけてできるかどうかというのが、僕はひとつの大きな課題だと思います。少なくとも関東一円で、何人でも構わないんです。

というのは、国会議員は300万の供託金を用意しなくちゃならない。こんなことは普通の人はできないです。つまり、出たい人より出したい人を、というのが本来の選挙のあり方だけれども、残念ながら出たい人はいるけども、出したい人はなかなか出られない。

地方議員の場合は非常に単純明快で、だいたい多くて30万の供託金があればなんとかなりますからね。しかも地方によって違うかも知れませんけど、だいたい23000票ぐらい集めればいいんだから、そんな難しい問題ではないと私は考えています、経験から言っても。

余計なことは言わない。市政の問題、区政の問題は新人が分からなくて当たり前です。だけど私は原発反対ですよと、それだけで徹底的に闘う候補者を何人作れるかです。そして一緒に勉強しながら今の問題を考えるということが、これからの私たちの課題だというふうに思っています。テントもそういう形に切り替えていけるものはいきたいというのが、私の個人的に考えているところです。

質疑討論

* 小泉純一郎前首相がフィンランドを見に行って、脱原発を言い出したようですが。

正清 自民党の河野太郎なんかは一貫して原発に反対していますし、「もんじゅ」は早く止めたほうがいいとはっきり言っていますね。たまたま小泉がそういう発言をしたようですが、もう権力の中心部分は、国民がこんなに反対していることは分かっているわけだから、もうしょうがないと切り替えつつあるという面があるんじゃないか。

* 「脱原発テントと命を守る会」というネーミングに工夫されたと思うんですが、そのへんの狙いとか。

正清 非常に単純な話、国は福島の女性とはケンカをしたくないというのがかなりあると。昔の左翼じゃないから。われわれとはケンカする。ただ、正清と淵上だけじゃない、われわれが主力だというのが350人ぐらい申し出てきていまして、それをどうするかという問題があるんです。これは法廷戦術ですけれども、何人か主なメンバーを出させて、論議だけはしたほうがいいかなということがひとつ。

もうひとつはテントって誰のものだという問題があって、端的に申し上げますといま物置になっているのは、私どものものではありません。たまたま私どもと一緒にやっています高瀬君という関連している人たちが自分たちで作った。女性テントについていうと、運営その他については一切われわれは関与していません。

もうひとつ戦術的にいうと、417日にテント前で行動をやったときには、私は伊方で集会があったものですからそちらに行っていて、ちょっと遅れて参加しました。ところが国は417日の私がいないときの写真を証拠として出してきて、仮にAさんと言っておきますけど、このAと淵上の二人が被告だと。Aを正清と向こうが勘違いしたかどうか分かりませんけど、監視カメラの写真で言ってきているわけです。

向こうのデータでは監視カメラを付けてから私は100日ぐらいテントに出ているんですけれども、私の手帳やなにか全部調べてみると、そのうち確実に20日間は出ていないんです。912日に第3回の法廷をやりますけれども、この前の法廷では河合弁護団長が、これでは話にならないと言って突っ返したので、96日になにか文書で出すと行政側は言っているようです。弁護士の方々にはものすごく協力してもらって、いま150人ぐらいの弁護団を結成していただいて、裁判官もあまり無下にはできないという状況があって、非常に慎重なやり方をしています。どうなるか分かりませんけど、私はまあ来年の3月か4月くらいまではちゃんと保つだろうと。

それからもうひとつ、これはたまたまその問題との関連で出て来た話としていうと、自民党本部の駐車場が不法占拠なんですよね。それで僕らの仲間の何人かがそれを告発したんです。金額にするとだいたい15億円ぐらいの使用料は最低もらってもいいと分かってきた。じつはこの問題は国会で一昨年の暮れに民主党の国会議員が出しているんですが、野田が押さえ込んだらしいですね、自民党と一緒に消費税を上げたいというので。一部の週刊誌なんかでは書いたんですけれども。

私どもに使用料として要求しているのは1100万。どうなるか分かりませんけれども、おそらく成り立たないだろうと思います。普通の時だったらあそこは広場として誰でも座ったりできる、そういう時には一銭も金になっているわけではないし、われわれ自身があそこで金儲けをしたというならまだ分かるんですけども、そんなことはないですからね。そういう意味では、まだまだ裁判闘争はあるだろうと。

* 九州電力前にもテントがあって、交流の拠点になっていますね。

正清 あそこは青柳さんという方ががんばって、朝作って夕方引き上げるという形です。それを大阪の公園でもやろうとしたんですけど、府警が排除したということです。青柳さんには5年ぐらい前ですか、ピース・ウォークで福岡を通ったときにお会いした経緯もあって、連絡はお互いに取り合っています。

いろんなところでいろんなグループがいろんな形で行動しているというのが、いま相当広がっているんです。それは別に頼まれてやっているわけじゃないわけで、どこかが考えて一気にやろうという形はもはや古くなったと言っていい。ご承知の通り、毎週金曜日に首相官邸前に集まっている方々も、みんな頼まれてきているわけじゃありません。みんな自主的な判断で行動されている。これはすごいことです。

それがなんで選挙に影響しないのかという話はありますけれども、しかし逆に言うと、ウチのメンバーたちに、じゃあお隣のおばさんに話をしたかと聞くと、何も話してない。いま運動も大事だけれども、同時にコミュニケーションを地域の中で広げていくということがいちばん大事じゃないかと言っているんですけど。

 それがひとつと、自分の言いたいことは一生懸命言うんだけども、人の話を聞くということができていない。やっぱり人の話を聞くという姿勢をどう作れるかということによってかなり変わってくると、私は思っています。この前の衆議院選挙にしても参議院選挙にしてもそうですけれども、どうせダメだよ、もうしょうがないと棄権した人が決して少なくなかった。しかし、こんな言い方をすると大変失礼ですけれども、公明党を支えている創価学会なんかは、とにかく学会員が毎週1回票を集めているんですからね。それは強いですよ。

* 訴訟で経産省、国側としていちばん問題なのは、当事者の問題ですね。テントが正清さん個人の所有物であれば正清さんを追い出すことは可能だけど、もし共有物であれば、全員についてそう言わなきゃ出せない。それから、使用料1100万にしても、ひとりで使用しているなら正清さんに払えということは可能であっても、共有関係になっていれば、全員を相手にしないと、もしくは団体であれば団体を相手にしないと実現できないのではないかという気がします。

 マンションの管理組合なんか、法人のところもありますけど、法人じゃないところは権利能力が希薄だということで代表者を相手に団体扱いでできるんだけど、正清さんたちのテントの団体がどういう組織なのか、ということになると、財団か社団かと言われれば社団だと思うんだけど、団体か、と言われると、組合にもなってないし。

正清 使用料の議論の前に、私どもが開放せよといったときに、金を取りますというわけですよ。いくらだと聞いたら、路線価で決めるからという。じゃあ図面を出してくれと言って、913日に不動産会社まで入れてここはいくらだという話をして、請求してきているんです。だけどテントがない状態のときには一銭にもなっているわけではない。もうひとつは仮処分という問題もありますけれども、当然、高裁、最高裁まで行く論議になりますからまだまだ時間はあるし、そういう中で、いかに原発が目茶苦茶かということを明らかにしていくことが、われわれの主たる任務だと思っています。

 * 国でも地方でもそうなんですが、公の団体というか行政が持っている財産というのは、行政財産と普通財産ですね。行政財産だと行政目的があるわけです。あそこの場所が何なのかといったら、これはおそらく行政財産で、経産省の施設として使用するという目的でやっているわけですから、それを行政目的に反して貸すなんてことは、もともと考えようがない議論だと思うんですね。その土地の鑑定をさせるなんてことはそもそも考えようがないと思います。

 あと、使用するということ自体も、例えばマンションの一室を貸そうと思ったら占拠されたと、貸せば毎月20万円で貸せたのに、それが貸せなくなったというんなら20万円の損害ということはあり得ますけれども、もともと貸せないものだから、使用料としての損害というのは理屈に合わないと思うんです。実際にあそこにいることによって現実に損害が生じたということであれば損害を立証しないと、なかなか損害賠償としては難しい。何が具体的損害でそれはいくらかという議論をしないと、原告は請求できない。出て行けと請求するだけならともかく、使用料なんてことを言い出すと余計に時間がかかって、逆にそれは国側のネックになるんじゃないかと思います。

正清 当然そういう問題が議論としては出てくるだろうと思います。よく右翼が来ているんですよ。違法じゃないか、出て行けみたいな話をしてくるんですけど。私が言っているのは、法律に違反しているんじゃないと、3年ぐらい前に経産省で作った規則で、届けなければならないというのがあるだけで、違法じゃないと。一般に開放している土地なんですね。

2013/07/18

「脱原発テントといのちを守る裁判」のめざすもの

2011年3月11日以後、「脱原発」に関心を寄せる方が増えてきました。

この年の9月11日に経済産業省前に「脱原発」第一テントが建てられました。10月には「福島の女たち」の為に第二テント、その後に第三テントが建てられ「経済産業省前テントひろば」と呼ばれるようになりました。

このテントが建っている土地が国有地であることから、国は土地の明け渡し請求訴訟を起こしました。被告らは「加害者が被害者を訴えた違法な訴訟」として裁判闘争を開始しました。被告らは「このテントは原発事故がなければ存在しえなかった」と主張して国がこれまでも、これからも推進しようとしている「原子力発電推進」政策を問う裁判にすべく力を注いでいます。

「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」は、この裁判を考え、討論し、意見交換する集まりを持つことにしました。報告者は被告のお一人である正清太一さんにお願いしました。ぜひ、ご参加ください。

■日 時 8月29日(木)午後6時30分から
■会 場 新宿・スモンセンター

東京メトロ新宿御苑前下車
■主 催 平和に生きる権利の確立をめざす懇談会

※第2回口頭弁論が、7月22日(月)午後2時から103号法廷で行われます。103号という大法廷の使用は、被告、弁護団が「この裁判は“土地明け渡し訴訟”などではなく国の原発推進政策の誤りを質す訴訟」という主張を裁判所が一部認めて実現したものです。ぜひ、傍聴に来てください。

●問い合わせ先 杉山 隆保 携帯電話 090-5341-1169

2012/10/29

脱原発・地球温暖化防止・自然エネルギー (レジュメ)

2012.10.27

脱原発・地球温暖化防止・自然エネルギー

日本のエネルギー戦略を考える

歌川 学(産総研)

はじめに

 福島第一原発事故を契機に、電気・エネルギーのありかたを全面的に考え直す必要がある。

 エネルギーの選択は将来社会の選択のひとつでもある。省エネ・自然エネルギー普及を進め、原子力や化石燃料を減らし、地場産業発展・雇用拡大、地域を豊かで持続可能な低炭素社会に移行させる方向を考える。

1.エネルギーと発電の現状

 原発(日本に50基)が5月にいったん全て停止。現在も関西電力の2基を除いて停止。

 化石燃料(石炭、石油、天然ガスなど)と原子力には、環境への負荷、リスク、資源制約がある。

 現在はエネルギー全体も電気も化石燃料と原子力に約90%を依存している。

 省エネと自然エネルギー普及で、負荷の小さなエネルギーへシフトしていくことが課題。

 2011年は原発停止で火力発電所の燃料が増加したが、節電及び電気以外での省エネのため、化石燃料輸入量はほぼ横ばい。ただし、価格高騰で輸入金額は約3割増加。

 政策の動き(別紙参照)

2. 夏のピーク電力について

 電気を最も使うのは夏の平日の昼間(北海道は冬の夕方)。

 2011年、2012年夏のピーク

 福島第一原発事故を契機に企業も家庭も節電を実施

 両年とも、節電で前年比13%のピーク削減(約2300kW、原発23基分)。

 2012年には原発は関西電力の2基以外全て停止(結果的に、大半が止まっていても需給可能。)

・ピークに近い需要はごく短時間

 夏の最大電力に近い電力需要は年間10時間などごく短時間のみ発生。

 この時間帯だけ節電を徹底することで、設備を使わずにすむ可能性も。

・節電(ピークカット)方法について

 2011年・2012年夏は、冷房停止、深夜・土日出勤など無理も。熱中症で4万人が救急搬送。

 無茶な行動依存では現状維持すら不可能。

 スマートな節電手段は多数

 ・省エネ機器に更新すれば電力が半減する可能性

 ・もともと必要性の薄い設備停止、過大な容量の縮小抑制

 ・設備・機器はそのままで、労働環境や生活環境を損なわずに電力消費削減する制御など

・電力消費実態

 東京電力のピーク電力時間帯の需要割合:オフィスなど4割、工場3割、家庭3割(経産省推定)

 年間電力量:大口の工場・オフィスなどで3分の2を消費。家庭・中小商店やオフィス・町工場などは3分の1のみ。

・料金などを通じピーク電力を下げ節電を促すしくみ

 デマンドレスポンス:需給逼迫時に節電と引き替えにボーナスを支払い、節電を促すしくみ

 ピーク電力料金:ピーク時間帯近くの電力料金を上げて節電を促すしくみ

 需給調整契約:需給逼迫時に供給を止めることを条件に、安い料金を適用(日本でも実施)

3.省エネの展望(自然エネルギーを最大活用するために)

(1)膨大なエネルギーロス

 日本ではエネルギーの3分の1しか有効利用できず、3分の2は排熱で捨てている。最大のロスは発電所。

 日本の1990年以降のエネルギー効率変化をみると、産業もオフィス等も家庭も停滞し、改善がほとんどない。運輸旅客(主に乗用車)は効率が大幅に悪化した。

(2)省エネの可能性(無理のないスマートな省エネで大きな可能性)

 火力発電所は燃料のエネルギーの40%分が電気になり(発電効率40%、平均)、6割は熱として捨てている。→設備投資で発電効率を上げることと、排熱利用を進めることが課題。

 工場にも大きな省エネ余地。経産省も「省エネ法ベンチマーク」として、業種ごとに中期的に目指す優良水準を発表(鉄鋼など一部業種)。

 同じ種類の施設で、エネルギー効率(床面積あたりエネルギー)やCO2原単位(床面積あたりCO2排出量)に差があり(都内の施設では最大と最小で効率に4倍の違い)、省エネ余地がある。

 設備、建物更新時に最良の省エネ設備を導入すると、技術的には日本全体で2020年には2010年比で25%以上、2030年には3040%の省エネが可能。

 こうした対策を効果的に進めるためには実態把握が必要。

4.自然エネルギーの普及

(1)自然エネルギーの種類と導入可能性

 地域資源。一度に大量に取り出せないが、長く使える。特徴を活かして組み合わせていくと有効。

 自然エネルギー電力買取法が成立。住民や企業が設置で損しない価格で買取

 自然エネルギーも事業として成り立つのが発展の基本。大量普及すれば製造コストは大幅に低下。

・自然エネルギーの電気の導入可能性(電気)

  現在は電力の1割のみ(ほとんどがダム式水力発電)。

  自然エネルギー電力は日本の現在の電力量の数倍もの可能性(環境省「再生可能エネルギーポテンシャル調査」)。

  2020年の導入可能性は電力量の20%2000kWh

  2030年は電力量37%3580kWh(政府「選択肢」)

  今後の自然エネルギーの発電コストは大きく低下が予測される

  日本は多様な自然エネルギーに恵まれる、資源の豊富な地域。

・省エネと自然エネルギーを組み合わせた可能性

 2030年にむけ、電気でもエネルギー全体でも、脱原発でも省エネと自然エネルギーで、化石燃料消費を半減できる技術的可能性がある。

 温暖化対策も、原発停止でも、技術的には温室効果ガス25%削減(2020年に1990年比)を上回る削減技術があり、その選択組み合わせが可能(省エネ、再生可能エネルギー、燃料転換など)。

5. 省エネ・自然エネルギー普及による地域産業発展や雇用増

・お金の使い方、支払先(自然エネルギーは雇用に。石油代金は海外に)

 日本は石油などの燃料輸入に2008年には年間25兆円、国民一人あたり20万円を使う。これは環境・エネルギーで問題なだけでなく、国内雇用にもほとんど役立たない。

 化石燃料やウラン燃料(輸入)は、大半が海外の石油会社などへ。

 省エネ・自然エネルギー対策は、お金の流れを変えて、地域産業や雇用に役立てることでもある。

・省エネや自然エネルギー普及でCO2を減らす国、産業が発展

 経済発展・雇用拡大と、エネルギー消費・CO2とは別もの(連動しない)。欧州、14ヶ国で1990年以降GDP成長が日本より大きく、かつ温室効果ガス排出を減らした。経済のサービス化や産業構造転換と、省エネ再エネ産業の発展の2つが背景。

・地域から持続可能な低炭素社会へ

 デンマークやドイツは、住民や農家、地元企業など地域の主体が中心に自然エネルギー発電所を建て、売電収入を地域で得られるように制度を工夫してきた。

 地域が省エネ自然エネルギーの低炭素社会に向けて先導先行できる可能性。

・新興国・途上国への発信

 途上国がいったん先進国型の経済成長をし、環境破壊や資源エネルギー争いで疲弊した後にようやく低炭素社会への転換をするのではなく、最初から環境を意識した低炭素型経済発展を目指すことが望まれる。京都議定書の義務の枠組みに新興国等から順に入ってもらうことなども課題。

 先進国が自らエネルギー・CO2減、かつ地域産業発展・雇用創出の成功例を示すことが必須。

・新しい環境・エネルギー安全保障

 気候変動の悪影響防止、国際的な省エネ・自然エネルギー転換による化石燃料資源争いからの脱却が課題。

 従来は大量エネルギー消費継続のまま、他国と競合して資源を確保。戦争になる例も。

 今後は需要を減らし、国際的な共通ルール化(京都議定書の排出削減はそのひとつ)を広げていく。(国連安全保障理事会で環境安全保障、気候安全保障を議論したこともある)

 これが途上国の貧困問題解決や、石油輸入による疲弊の解決、地域産業振興にもつながる

まとめ

 省エネや自然エネルギー普及には大きな可能性があり、化石燃料・原子力を大きく減らすことができる。温暖化対策とも共通に取り組むことができる。

 大量生産・大量エネルギー消費社会をやめ、エネルギーやCO2を減らしながら、経済発展することができる。途上国に成功例を示し、持続可能な低炭素社会への転換を促すことも重要。

 実態把握・情報共有と計画的な普及のしくみが必要。

 地域が、省エネ・自然エネルギー普及で持続可能な低炭素社会に向け先行できる可能性。住民や地域企業が自然エネルギーを「生産」、利益を得ながら持続可能な社会づくりに寄与、地域企業に様々な発注をし、地域が豊かに発展する可能性がある。

 エネルギーの将来はその国の将来に大きく関与し、影響も大きい。国民・住民が意思決定し選び取るもの。

別紙

最近のエネルギー環境政策の動き

【1】「革新的エネルギー環境戦略」(9/14、閣議決定9/19)

1.原子力

(1)国内の原発

 2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」

  原発に依存しない社会への道筋の検討「検証を行い、不断に見直していく」

  1)40年運転制限制を厳格に適用する

  2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ、再稼働とする

  3)原発の新設・増設は行わない(ただし、建設中の3基は建設続行容認)

(2)核燃料サイクル:再処理工場、高速炉とも事実上継続。

(3)原発輸出:継続と読める文章がある

2.省エネと自然エネルギー普及(経済成長率が上がれば削減率も下がり、目標とは言えない)

 電力消費削減:2030年に▲10%(2010年比)。経済成長率が上がれば▲1%

 エネルギー消費(熱など含む)2030年に▲19%削減(同)、経済成長率が上がれば▲12%

  注:成長するとエネルギーものびるという従来型経済を想定

 自然エネルギー:電気2030年の電気の30%相当。(熱利用は数値なし)

3.温暖化対策

 2020年の温室効果ガス排出量:1990年比で▲5〜9%、経済成長率が高ければ▲2〜5%。

 2030年:1990年比▲約2割。経済成長率が高ければ▲約1割。

4.電力システム改革

 発電送電配電の分離の方向。小売の全面自由化を実施、送電部門の中立化・広域化

 自然エネ受け入れ強化のため、必要に応じ国が政策的に送電網の強化。

5.今後の政策スケジュール

 年末までに政策とりまとめ

6.背景

 経済成長をするとエネルギーやCO2も増える経済を想定。

 大量生産社会からの脱却、産業構造の転換、などをあまり想定していない。

上記の閣議決定(9/19)

 政策文書自体を閣議決定することが多いものの、今回は以下が全文。

今後のエネルギー・環境政策について

平成 24 年9月 19 日閣議決定

 今後のエネルギー・環境政策については、「革新的エネルギー・環境戦略」(平成 24 年9月 14 日エネルギー・環境会議決定)を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する。

(参考)パブリックコメント

 原発ゼロの意見が87%(即時ゼロが78%)、原発15%1%、原発2025%が8%であった。

【2】国際的な枠組み:京都議定書

 京都議定書の先進国の今の目標(義務)は2012年まで。

 先進国は2013年以降の目標(義務)を交渉中。今年12月の条約会議で決める予定。

 日本、カナダ、ロシアは2013年以降の目標を拒否(また、米国はまだ京都議定書自体に未加盟)

 途上国を含む共通ルールは2015年までに合意予定で交渉中。

2012/06/05

5月27日 平権懇学習会の記録3

質疑討論

 裁判の原告は7人ですか

早川 はい、そうなんです。URは、耐震性というのがもともと問題で、それで立ち退いてくれということだったんですけど。裁判になったら今度は、耐震性は問題にしないみたいなことを言い始めた。だから、住民側は耐震性の問題を技術的に争うつもりで準備していたんですけど、裁判になったらURは建物については争わないで、出て行ってもらうという、そのことだけに専念する。自分たちは正当な手続きを踏んでいるのにこの人たちは出て行かないと言っているおかしな人たち、不法占拠している人たちなんだ、みたいなことを言い始めて、みんなすごくびっくり仰天してしまって、あんなに耐震性って言っていたのになんでだろう、みたいな感じなんですけれども。耐震工事の専門家とかも出て来ていろいろ突かれると、URとしてもボロが出て来てしまうのか、ちょっと分からないんですけど。

木下 今の耐震基準は1981年に新しい基準になったんですけど、それ以前に建てられた住宅が何十万戸とか何百万戸とかあるわけですよ。本当に耐震基準だけの問題であったら、その何十万戸、何百万戸をどうするという話になるんですけど、そうならない。たとえば私の家なんかもう古いですから、とっくに何とかしなければいけないはずです。でも区からも横浜市からも何も言われてないです。ここで耐震基準なんて言われているのは、単なる追い出しの理由です。彼等が裁判でそれを持ち出さないのも、私はうなずける話ですね。

 聞きたいことが2つあります。私は都議会議員のスタッフをやっています。東京都は住宅局をつぶして、もう都営住宅は作らない、作るとしたら改築でいくという政策を立てて、しかし一方では老人用に新しく作らなきゃいけないみたいなことになって。そこらへんの調整のことを早川さんがどう考えているかというのが1点目です。

 2点目は、いまお話が出た通り、けっこう古い建物が公共のものであって、たとえば昭和30年代にできた児童会館の耐震のIR値が0.6ないというので裁判を起こされて、結局早く壊さなきゃいけない、放っておくと3.11みたいな形になると。やっぱり耐震性は問題になると思うんですけど、そこらへんはどう考えていったらいいのか。2点、お聞きしたいと思います。

早川 私はもう政府の考えひとつだと思うんですよ。もちろん高齢者のための住宅も充実していってほしいと思いますし、でも若い人たちも全然住宅が足りないので、新規建設をしないというのは、やっぱり問題だと思うんですね。とくにこれだけ不況が長引いて、企業ももう正社員では雇わないという時代になってきているから、年代とか年齢にかかわらず、あらゆる層で貧困層が発生していると思うんで、やっぱり公共住宅をもっと充実させてほしいというふうに思っています。

 あと耐震補強については、私は73号棟について耐震補強をしなくて大丈夫とは全然思っていなくて、耐震性が弱い建物はどんどん補強していってほしいと思うんです。URはコストがかかりすぎると主張しているんですけど、でもURの天下りとかがいろいろ指摘されていますけど、そのコストのはじき方とか運営の仕方で、すごく割高になってしまっているのではないか。もっと本当に国民の方を向いて経営してくれないと、最初に住宅公団を作った意味がなくなってしまうというふうに思っています。耐震補強も、別の専門家の人に言わせれば半分ぐらいの値段でできるわけだし、技術的にもいろんなタイプの補強の仕方ができるのに、やろうとしない。それはもう政治の考え方ひとつで決まることなんだなあというふうに、つくづく思いました。

 73号棟ではなにか新規で開発する話はあるんですか。児童会館のところはキャッチアップという形で、あそこらへん一帯を青山病院とかも含めて開発するつもりで児童会館を壊したと、私たちは見ているんですけど。そういった話は出ているんですか。

早川 73号棟を取り壊す話が持ち上がったときは、そういう計画があったそうなんですね。でも噂なので、私はその書類とかを持っているわけではないので、具体的には映画でも言っていないんですけれども。73号棟の隣に廃校になった小学校があるんですよ。その土地と73号棟の敷地を合わせると、かなりのスペースになるんですね。なので開発業者の目論見として、ショッピングセンターとか、高齢者の施設とか、ゼロ歳児保育とか、そういうものの複合施設みたいなものを作る計画が持ち上がったそうなんですけれども。その後にリーマンショックが起こってしまって、今はまったくの白紙です。白紙なんだけれども、73号棟を取り壊す計画だけは残っていて、追い出しだけは進めているという状態です。

 野次馬的な関心で失礼ですけれども、URの方の名前が出て来たりとか、取材を拒否しつつURの言い分も出て来るような映画を作られて、何かプレッシャーみたいなものはなかったんですか。

早川 全然ないんですよ、それが。私はそれをある程度想定して作ったんだけど。URも映画のことは知ってると思うんですが、どの程度の人が見に来ているかっていうのは分からないんですけれども、苦情も何も言われたことがなくって。映画の「靖国」とか「ザ・コーヴ」みたいに、批判すると逆に私の宣伝になる、そういうのってあるじゃないですか。だからもしかして言ってこないのかも知れないけれども、表だって抗議をされたことはないんです。URの労働組合の人とかは何人か見に来てくれたことがあるんですけれども。

 URの職員の方でも、こういった追い出しとかについて、おかしいんじゃないかという方もいるんじゃないかという声は。

早川 特には届いていないんですよね。インタビューの中で出て来た人は、URの元職員で元労働組合の人だから、URにいるときからけっこう発言していたり、情報をマスコミに渡したりとかしていたそうなんですけれども、彼は本当に珍しいほうだったそうなんですね。URの労働組合の人で見てくれた人もいるんですけれども、やっぱり一個人というよりサラリーマンのアイデンティティのほうが大きいので、「おかしいよね」と個人的には言ってくれるんですけれども、何か社内で声を上げようというところまではなかなかいかない。なかなか難しい問題だなあという感じでした。

 私は30年間、公団が施工して開発したところに住んでいます。八王子ですけれども、そこの職員の方は病んでいた、みんな本当に体を壊していた。みんなどこかで無理をしていることを知りながらやっているということだと、そういうふうに思います。それでもやっぱり自分に打ち勝つというか、信念を通して住民のほうの考えを取り入れてくれる、そういう方にも会いましたし、とことん意地悪をする方もあります。それは、どこに行ってもそういう方がいるんだなと、私は世の中知りませんでしたけれども、教わりましたけれども。夫は、「こんなに16時間も外に出て働くようなことをして、何も言わないのかね」と言いました。「替わろうか」とも言いましたね。替わって仕事ができるわけじゃないんですけど。「少しそこをがまんすればいいんじゃないか」と言いましたら、「子供たちが働き盛りになったらもっと悪くなる」と言うんです。定職がなくなったということは、生活が成り立ちませんから、世の中も崩れてきているというところまで来たなと思ったので、もう黙っている時じゃないと。夫が亡くなったのも働きすぎたからじゃないかということもありますけれども、もう失うものがなくなったということです。もうひとつ言いますと、私は父が戦争で亡くなっています。中学生ぐらいのときに母に、「なんで戦争に反対しなかったの」と単純に聞きました。そうしたら母は言いよどんで、何も言わなかったんですね。それを今度、私がその立場に立ったなと思ったので、どこにその切り口があるかと思って。原発のことも、いろんなことが全部吹き出して、いまその時に来たなということで。このチラシをもらったときに、URは自分の30年住んでいるところですから、今日はここに来させていただいて良かったと思っています。URにいる方も私たちも同じところにいる感じがします。

  私は千葉県の浦安市のURに住んでいます。どっちかというと採算のとれる駅前の団地ということで、いま整備して立派になりつつあるんですが、そこから来ました。木下さんのお話がとてもすばらしかったんですが、どのような肩書きといいますか、ご職業ということでこの研究発表をされたのか、お聞きしたかったんです。

木下 私はいまフリーのライターをしています。ただ私は社会人で大学院に入りまして、早稲田の、研究テーマに住宅問題を取り上げて、居住問題をやっていたので、それで今日は報告をさせていただきました。

 監督は「ブライアンと仲間たち」が第1作ということでしたけれど、私は浦安の「9条の会」のことに手を染めているんですが、先ほど、9条の会でもどこかこれを上映されたということなんですけど、私のところでもやりたいなと思っているんですね。それについて、どうしたらいいかは、これが終わった後にお聞きしたいと思います。

 それから、浦安にも「ドキュメンタリー・テーク」というのがありまして、ドキュメンタリー映画を定期的に上映しているグループがいるんですね。そこで「さようならUR」も是非取り上げてもらいたいと思うので、これもまた後で、どんなふうにしたら上映できるのかご相談させていただきたいなと。

ともかく、「さようならUR」というのは、本当に主権者としてこの問題をどういうふうに考えたらいいのかなということも考えさせられましたし、そしてものすごく頑張ってこの作品を作られたなと思って感心しました。ただ内容があまりにもすごくて、素人には疲れましたけれども。でもすばらしい映画だったと思います。ありがとうございました。

 世界の中で住宅政策というか、またはその成功例というか。どうしても住宅を固定的に見がちなわけですけれども、有機体なわけですから、建てられてから生命を持っているわけですよね。私が国外で生活したときに、東南アジアですけれども、シンガポールの住宅政策が非常に私は気に入ったんです。日本は所得そのものは非常に高いと言われつつも、なんでこんなに貧しい住宅にしか住めないのか。住環境は、都市生活とまた田舎の生活は違うところはあるわけですけれども。非常に低廉で人間らしい生活を過ごせるような、また過ごしているような例というのは、あるのでしょうか。

早川 そうですね。あんまり成功例というのは聞いていないんですけれども。私はイギリスに住んでいたんですけど、イギリスって言えば「揺りかごから墓場まで」みたいに良く言われてますけど、サッチャー政権のときにすごく民営化とかが進んで。イギリスの場合は公共住宅として建てられたものが、5年たてば買う権利が発生するようにして、市場にどんどん流していったんですね。だから外見は公共住宅みたいなのがいっぱい並んでいるんですけど、でも中身はどんどん売買されているみたいな。自分がいわゆる公営住宅に入りたいと応募したとしても、たとえばシングルマザーとか障害者とか、ホームレスの状態だとかという人には住宅はあてがわれやすいんですけれども、ワーキングプアみたいな人でも、とりあえず仕事があると、申込みはできるんですけど、20年待ちとか、そういう結果が出て来るんです。ああ、イギリスもけっこう大変な状況なんだなあと、住んでみて思いました。これは人から聞いた話なんですけど、たとえばオランダとかの場合は、住宅政策が環境省のなかにあって、環境の一環として考えられている。だから町との調和とか発展とかと、全部こみで考えている。それはすごくいいんじゃないのかなというふうに思いますけど。

あと私はこの「さようならUR」を韓国と中国で上映したんですけど、中国の追い出しは本当にすごくて、向こうのほうが再開発とかがすごいし、でも立ち退きに抵抗する人もいっぱいいるんですけど。そうすると最終的にはもうビルごと爆破しちゃうんですって。だからこの映画を中国で上映したときに、「URって優しいですね」と言われて、この映画は中国では広まらないかもしれないと思いました。韓国もものすごくて、最後まで立てこもって住民のほうが火炎瓶を投げて、政府は空からヘリコプターで警官を投入みたいな状態になっていたりするんですよ。シンガポールはちょっといいのかも知れないですけど。

5月27日 平権懇学習会の記録2

2012527日、「日本の住宅政策と3.11震災、生存権」と題して、文京区民センターで平権懇の学習会を開催した。会には、20人弱が参加した。最初に木下壽國会員から趣旨説明を兼ねた基調報告(既報)が行われ、その後に早川由美子監督作品「さようならUR」を上映、監督自身による解説と、質疑討論が行われた。「さようならUR」は、耐震性不足を理由に取り壊しが決まった、東京都日野市のUR(旧日本住宅公団)高幡台団地73号棟に住む人々を主人公に、住宅問題の専門家、UR、国交省なども取材、公共住宅の将来を考えるドキュメンタリー。予告編はhttp://www.youtube.com/watch?v=c7A2uPQ2Pm8 で見ることができる。

早川由美子さんのお話

 今日、私の作品を上映していただいた平権懇は、平和運動を中心に活動されているグループだとお聞きしました。私も今回の「さようならUR」というのは2本目のテーマで、1本目の作品は平和運動だったんですね。イギリスはアメリカと同じようにイラクとかアフガニスタンに兵隊を送っていたので、それに反対してイギリスの国会前で座り込みをしていた男性がいたんですけど、10年間1回も家に帰らなくて、国会の前の広場にテントを張って、それで抗議活動をしていた。たまたま私は通りかかって見付けて、「あ、こんなことができるんだ」と衝撃を受けて、それまでビデオとか映画とか全然勉強したことがなかったんですけれども、5万円ぐらいのちっちゃいカメラで1年半ぐらい撮り続けて映画にしたというのが、私の1本目の作品「ブライアンと仲間たち」なんです。

 なんで住宅問題を2本目に撮ったかというと、「ブライアンと仲間たち」は日本でけっこういろんなところで上映してもらえてたんですよ。「9条の会」とか、いろんな社会運動の人たちが上映してくれたんですけど、そういう上映会に私も行くと、社会問題にかかわる人たちの年齢層が高いなと思ったんです。労働問題でもそうなんですけど。なんでだろうと考えたときに、自分と同じ年齢とかもっと下の人たちというと、もう正社員ではなくて、たとえば家を買うとか、そういうのはほとんどもう無理な状態で、みんな派遣社員とか契約社員とか、時給いくらという生活をしていて、ふだんの生活でいっぱいいっぱいになっている。平和運動とか社会運動にわざわざ時間を割いて出かけていくということが、なかなか出来にくい状態であると思ったんですね。

 なので私は、平和運動とかももちろん大事なんだけれども、それ以前に、東京に住んでる人だともう給料の3分の1とか、中にはもう半分近くが家賃に消えている。それを何とかしないかぎり社会は変わっていかないんじゃないかと思ったんです。私自身は映像だけ作ってそれで食べていけてるかというとそれはなくて、居候生活をしているんですね。家賃は請求されているけれども払ってないので、好きなことをやっているという感じなんですけれども。そう考えてみると、やはり家賃の負担がないとか、12万円で済むような生活だったら、もっと人生の選択肢が増えると思ったんですよ。お金にはならないけどやりたいことをやるとか、地域の活動に参加するとか、家族との時間を増やすという、そういうゆとりが生まれてくる。それをいちばん生み出せるのはやっぱり家なんじゃないのかなあと、家賃の問題じゃないのかなあと思って、それで「さようならUR」というのを作りました。

たまたま私が住んでいるのが日野市なんですけれども、住宅問題を調べているなかで、この高幡台団地も日野市にあって、立ち退き問題が起こっているというのを知りました。公共住宅というと庶民の味方みたいな感じですけど、それが、家が余ってると学者の人たちが言って、削減されていこうとしている。でも実際、家は数字上では余ってるけど、私の廻りとか貧乏な人たちにふさわしい広さと価格の住宅は全然足りてないみたいな。中途半端に豪華な住宅が余ってるみたいな状態、すごくミスマッチだと思うんですね。住宅は足りてるし、人口はどんどん減っていくんだから、公共住宅ももういらないみたいなことを言われるのは違うと思って、それでこの問題で映画を作ろうと思いました。

 でも、住んでる人は40年近くこの団地に住んでいて、そうすると70代とか80代の人がけっこういるんですね。インタビューさせてもらったときに、この問題だけじゃなくて、今までの人生とか生き方も聞いていったんですけれども、生まれたときに沖縄戦が始まって、東京に帰ってくるつもりがそのまま沖縄にいたとか、生まれたのが満州だったとか。それまで住宅って自助努力って言われてきて、私もそう信じ込んでいた部分があるんですけど、やっぱりそれ以前に、そのときの国がどういう状態なのかで、私たちの住む場所とか家とか人生というのが、すごく大きく決まると思った。それで私はUR対住民というふうな対立の映画ではなくて、やっぱり住宅っていうのはある程度国の政策とか、そのときの国の考え方によって決まってくるもので、それが回り回って私たちの今の生活にかなり影響しているんだよ、っていうことを言いたくて、事業仕分けとか、国の住宅政策にかかわる大学の先生とかも登場してもらいました。

 この映画のなかで中央大学の先生は、けっこうすごいことを言ってるんですけど、私は成蹊大学の出身なんですが、そのときの先生だったんですよ。法学部だったんですけど、先生の専門は憲法なんです。私はあまりまじめな学生ではなかったので、いったい先生が人権とか生存権とか、そういうことをどういうふうに説明していたかっていうことは全く記憶にないのですが。

 住宅問題の取材をしてみて、私がいちばん問題だなと思ったのは、追い出しというのはある程度強力に進めなければいけないわけですよね、出たくないという人も追い出していかなければいけないわけだから。そうするとやっぱりコミュニティを分断させるというか、団地内の人たちを対立する方向に持って行くのがいちばんやりやすいわけなんですよ。だから73号棟の人たちも、なんであの人たち出て行かないのとか、あの人たちが出て行かないから新しい建物が建たないみたいな感じで、出て行かない人たちが「変な人」扱いされていくみたいな構図があって。それってたとえば米軍基地を作るとか原発を誘致するとか、そういうときに地元の人たちが賛成と反対で分断されて、対立していくようになるのと全く同じ構図だなあと思って。そうやって日本の各地のコミュニティが破壊されていくっていうのが、いちばん問題というか、見ていて本当に悲しいことだなあというふうに思いました。

 去年の3月に73号棟の裁判が始まったんですけど、裁判はだいたい2ヶ月に1回ぐらいのペースなので、まだ続いているんです。次回は7月にあるんですけれども、良かったらぜひ傍聴に来ていただきたいと思っています。私のホームページ

http://www.petiteadventurefilms.com/ にも裁判の日程は書いてあります。あとは、ブライアンは去年亡くなってしまったんですけど、東京で追悼上映会が何回か、来月と再来月に予定されていて、それもホームページに載っているので、良かったら見に来てください。

2012/05/31

「日本の住宅政策と3.11震災、生存権」報告(要旨)

「日本の住宅政策と3.11震災、生存権」報告(要旨)

木下壽國 

“建築”問題だけが、住宅問題ではない―――

 はじめに、住宅問題、住宅政策とはなにかということです。住宅問題とは、一般に、適切な住宅が適正な方法で手に入らないことというように解釈されています。ですから、それに対応する住宅政策とは、適切な住宅を供給することとなるわけです。これが従来の典型的な解釈といっていいでしょう。

 ところが、住宅問題というのはよくみると、いろいろあって、高齢であること、単身であること、子育て世代であること、外国人であることなど、あらゆることがらがすべて住宅問題になり得るわけです。

 最近、週刊誌やNHKなどで、空き家問題が取り上げられています。都会に住んでいる人が、田舎の実家を相続した。ほうっておくと傷んだりして、周りから苦情が出る。しかし取り壊そうにもカネがない、などというようなことです。総務省が5年ごとに行っている「住宅・土地統計調査」によると、こうした空き家がここ20年程の間に倍増したといいます。これからもこうした傾向は続きそうです。こうした人に住宅を供給しても、なんの問題解決にもならないわけです。ですから、どんなことが問題になっているのか、よくみることが大事です。住宅問題といっても、“建築”にかかわることばかりではないのです。従来型の住宅政策は、建築に偏りすぎていることが問題だと考えています。

住宅は、“商品”ではない―――

住宅はなぜ大事なのか、市場任せにできないのかというと、第一に、住宅が生活の福祉的基盤だからです。生存権に深くかかわっているからです。完全な商品と違って、持っていてもいなくても個人の自由というわけではありません。住宅の保障は、人間的な生活を保障する社会保障と相互補完的な関係を有しています。第二に、住宅は土地と不可分だからです。土地は、人が自由に作り出すことはできません。空や海の上に勝手に「ここは自分の土地だ」などと宣言するわけにはいかない。いまはやりのタワーマンションなどの高層化も、土地が限定的なところからくる現象です。ですから社会政策の対象とならざるを得ません。第三に、住宅は高額だからです。したがって住宅市場への何らかの公的介入がないと、必ず深刻な格差が生じます。放っておけば、問題は静かに深く潜行してゆきます。

また住宅問題は見ようとしないと見えにくいという性格を持っています。住宅に困っているいわゆる社会的弱者が声を上げたりすることはあまりないからです。私は、孤独死の取材で、市民団体の人たちと夜の横浜・関内のまちを歩いたことがあります。そのとき初めて横浜スタジアムを取り囲むようにして大勢のホームレスが寝ていることを知りました。隣は横浜市庁舎、目の前には高架のJR根岸線が走っている横浜官庁街の中心部です。そんなところに夜になるとホームレスが集まってきていたのです。

住宅を市場任せにしていたのでは、こうした問題を緩和したり解決したりすることはできません。

平和的生存権と生存権は複層的関係―――

私たちの「平権懇」は、平和的生存権の実現など、主として平和問題に取り組んでいるグループです。それがなぜ、一見無関係にも見える住宅問題を取り上げるのか、理念的に考えてみます。

日本国憲法は、前文とそれを保障するための各条項から成り立っています。前文に表現されている憲法の原理は、平和主義、国民主権、基本的人権です。このうち今日の話でとくに大事なのは、平和主義と基本的人権です。平和主義を保障しているのは第9条、基本的人権を保障しているのは第3章「国民の権利および義務」(第10条~第40条)です。この中には25条「生存権」も含まれています。

「平権懇」の会員でもある浦田賢治・早稲田大学名誉教授らによれば、平和的生存権の法的根拠は、憲法前文第2段「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、・・・」にあります。

一方、基本的人権とは、人間の自由、すなわち「思想・良心・学問の自由」などおよび「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)などの社会的経済的権利のことです。

平和的生存権と生存権とをわかりやすくそれぞれ「平和」と「人間の自由」とに置き換えてみます。そうすると人間の自由のないところに平和はない。逆に、平和のないところに人間の自由はない、という関係が成り立ちます。つまり両者はお互いに支えあう関係にあるということです。

つぎに平和的生存権自体、両者によって構成されているということができます。浦田名誉教授によれば、平和的生存権とは「平和」のうちに「生きる」というのが、その内容だからです。浦田氏は、「平和」も広い概念だけれども、「生きる」というのも広い。そこには、単に命を奪われないという受動的意味から人間的尊厳を保った生活を獲得するという能動的意味まで、さまざまな意味の「生きる」という概念があると述べています。ここでいう人間的尊厳が、基本的人権=人間の自由に相当することは明白でしょう。

世界に目を移してみましょう。いま国連で「平和への権利」を日本国憲法のように法典化しようという動きがあります。国連人権高等弁務官事務所に長く勤務したスペインの弁護士カルロス・ビヤン・デュラン氏らが取り組んでいる運動です。国連に提出されている条文「平和に対する人民の権利の宣言草案」をみると、「序文」で、「暴力をなくし、すべての人権および基本的自由を尊重して、互いに平和に生きる」ことの確認を求めています。「平和」のうちに「生きる」ことの重要性がまずうたわれているわけです。

序文を支える条項として、「第9条 発展」では、すべての人が以下の諸権利を享受しなければならないとして、十分な食料、衛生、衣服、教育、社会的安全および文化などと並び「住居」を挙げています。

ここでも住居は、平和にとって不可欠な人権を構成する要素として位置づけられているわけです。

難しいことをいいましたが、私たちの生活を振り返ってみれば、よくわかると思います。つまり私たちが住む家もなく、生活が平和で落ち着いていなければ、とても腰を落ち着けて平和問題など社会的問題なんかに取り組むことはできないだろうということです。

日本ではなぜ住宅と人権が結びつかないのか

 住宅政策の歴史―――

ここまで住宅と人権との深い結びつきについて述べてきました。しかし、現実に目を移してみると、住宅が人権なんてだれも考えてないのじゃないかというような気もします。なぜでしょうか。そこで住宅政策の歴史を振り返って考えてみます。

日本で近代的な意味での住宅問題が発生したのは、封建社会が資本主義社会に移行する時期においてです。すなわち、江戸時代から明治・大正時代にかけてです(注)。近代的な都市化が大きな要因の一つでした。

(注)この時期の住宅問題と歴史的特殊性との因果関係については、以下を参照。

木下私家版「日本住宅政策の検証による基本視座――住宅問題の発見」

興味のある方には、コピーをお送りします。

英国では産業革命期に都市化が自然発生的に進んだのですが(F・エンゲルス「イギリスにおける労働者階級の状態」参照)、日本では絶対的政府によって強権的急進的に都市化が進められたために、労働者の住宅問題が激化しました。そのために、大正期にいたってようやく初の住宅法が成立したのです。

 戦後になると、住宅金融公庫法(1950年成立)、公営住宅法(1951年)、日本住宅公団(現・UR)法(1955年)ができました。日本の住宅政策3本柱です。

 これらは成立当初、その目的に社会福祉的な性格を掲げ、住宅に困窮する国民への住宅政策というそれなりの性格を有していました。しかし基本は、できるだけカネをかけずに住宅をどんどん建てようという“建設戸数主義”の性格が濃いものでした。戦後の社会を立て直す経済政策=景気対策の意味合いが強かったからです。

 金融公庫法が公営住宅法よりもさきにできたのも、同じ理由です。公営住宅を建てるとなると、政府により多くの資金が必要になるからです。とにかくカネをかけないで住宅をどんどん建てるには、比較的余裕のある裕福な層の懐を当てにして、政策を進める必要があったということです。

 それらに加えて日本住宅公団法をつくったのは、先の2つの法律だけでは、住宅をどんどん建てるには役不足という認識があったからです(注)。

(注)「3本柱」の成立過程については、以下に詳しい。

木下「第2章 公的住宅供給」『住宅政策と社会福祉の展開についての基礎的考察』(早稲田大学大学院社会科学研究科修士論文)

興味のある方には、コピーをお送りします。

 こうして建設戸数主義の住宅政策が展開された結果、“カネは建築についてくる”(ほとんどすべての住宅施策は、なんらかの建築がなされないと助成をしないことになっている)という性格がますます強まりました。また持家と公的住宅以外は、ほとんどなんの施策も考えられてきませんでした。最悪は民間賃貸アパートです。それでもアパートを建てる時にはオーナー向けのささやかな施策がありますが、住んでいる人には何の援助もありません。アパートの住人に援助しても、経済効果が期待できない、つまり建築業者などがもうからないからです。日本の住宅政策による支出は、住宅関連企業がもうかる場合にのみなされるといっても言い過ぎではないと思っています。結局資力のない人や、縁者の連帯保証が受けられない人などは、ろくな設備もない安アパートに住まざるを得ません。住宅問題には、階層性が深く表れるのです。新宿のアパート火災で亡くなった方の中に、生活保護受給者が何人もいたのは、こうした背景があるためです。

 こうして高度経済成長期から2000年代初頭にかけて建設戸数主義の住宅政策が行われてきました。ピークの70年代には180万戸の住宅が建てられました。しかし10年度には81万戸と半分以下になっています。これには、やはり小子化が影響していると考えられます。人口が減少してゆくこれからは、ますます住宅建設にブレーキがかかるでしょう。

 住宅をどんどん建てるための「住宅建設5カ年計画」は05年度末で終わり、代わって「住生活基本法」がつくられました。しかしこれは「基本法」といっても、なにか崇高な、居住人権思想などの内容がうたわれているわけではありません。それどころか「住生活」という市場の中に、これまでのデベロッパーや住宅メーカーだけでなく、医療や福祉などの「事業者」や「関係者」もより幅広く呼び込もうというものです。

 住宅政策の3本柱のうち金融公庫は2000年代に入って、「独立行政法人住宅金融支援機構」という民間機関になりました。住宅に困窮する国民ではなく、民間金融機関をサポートする機関です。日本住宅公団は、「住宅・都市整備公団」、「都市基盤整備公団」と変わった後、最後には“公団”ではなくなり「独立行政法人都市再生機構(UR)」になりました。重点はそれまでの住宅の供給から都市の再開発事業に移りました。3本柱のうち、かろうじて原形を残しているのはいまや公営住宅だけとなりました。

 こうして住宅政策は大きくリストラクチャリング、再編されたのです。――住宅市場が縮んでゆく中で、住宅をどんどん建てる住宅政策は役割を終えたと言わざるを得ない。しかしせめていまある市場は関連企業がせいいっぱい確保したい。ただ、それだけではジリ貧なので、新たな市場づくりにも取り組んでゆこう――住宅政策の再編から、関係者のそうした思惑を読み取るのは、うがち過ぎでしょうか。

 住宅政策を振り返ってみると、もともと住宅と人権との結びつきが弱かった。政策の展開過程で公的責任がどんどん薄れ、結局はほとんど完全に市場化されてしまった。住宅政策とは、理念的にいえば住宅市場への公的介入のことなのに、それに背を向けるようなことがやられてきた。こう総括できると思います。つまり住宅が社会保障の一環ととらえられている欧米とは異なり、日本では、現実の住宅政策が人権とは正反対の方向に運営されてきた。そのことが、多くの人に、住宅と人権とはなんの関係もないと思わせる最も大きな要因になっているのだといえるでしょう。

今日の住宅問題と課題―――

 3.11大震災で多くの人たちが被災し、いまなお苦しんでいます。住居をめぐる悩みも深刻です。災害時の仮設住宅の根拠法は災害救助法、壊れた住宅(持ち家)の支援法は被災者生活再建支援法ということになっています。  阪神大震災以降、仮設住宅の建て方をめぐってはいろいろな進展がありました。ところが今回の大震災でも、行政側と住民との間で仮設住宅の設置の仕方などをめぐってあちこちで認識の不一致が見られました。建設した仮設住宅を今後、どう運営していくのかといった方針も政府に確固としたものは見られません。被災者生活再建支援法は、都道府県が「相互扶助」の観点から支援策を決め、それを国が応援しようというのが趣旨です。震災で国民が深刻な被害を受けた時、国が直接的にどう責任を持つのかという点は不明確です。災害救助法と被災者生活再建支援法の抜本的拡充は不可避です。

 住宅の供給や施設の整備といった建築のみに偏らない、総合的な生活擁護施策が必要となっています。住宅の供給は、どうしても住み手の需要(ニーズ)との間にミスマッチを生じさせます。住み手が住宅に求める要求は千差万別だからです。それを供給側が完全に満足させることは不可能です。そのためにも住宅に困窮するすべての人を対象にした家賃補助の制度が有効です。建築業者などを優遇する持ち家一辺倒の政策も見直す時期です。住み手が必要に応じて持ち家だけでなく借家も選択できるように、借家支援制度の充実を図るべきです。震災によって多くの持ち家所有者が二重ローンに陥っているのは、これまで政府によって取られてきた持ち家奨励策の帰結といえます。借家(ストック)の有効活用は、環境保護の観点からも重要なことです。高齢者や単身者、子育て世代、外国人などが自由にアパートなどと入居契約を結ぶことができるようにするため、連帯保証制度の確立は切実です。

 日本列島は地震列島でもあります。どこに逃げても絶対に安全というところはありません。自然災害は地震だけではありません。つい最近も竜巻によって関東北部では数百棟レベルの住居に被害が出たばかりです。東京も富士山が噴火すれば、甚大な被害は免れないでしょう。日本列島に逃げ場はないのです。だからこそ、いまのうちに人間の福祉的基盤である住宅について、きちんとした態勢を構築しておく必要があるのです。災害直後の即応体制や短期的施策、中長期的施策などというように体系的に整備しておくことが大事です。ところが実際は大地震対策というと、ドクターヘリだとか、帰宅対策などといった即応体制やマスコミ受けする施策(それは、それで大切ですが)ばかりが取りざたされがちな点に危惧を覚えています。

(きのした としくに/住宅政策研究者・ライター)

連絡先e-mail:ckz13610●moon.odn.ne.jp

「●を@に変えて送信してください」

2012/04/18

3月23日平権懇学習会の記録 3

原発を廃炉に! 九州原発差止め訴訟
質疑討論


A 確認ですけど、普通は訴訟って、問題を感じている市民がいて、弁護士事務所に行って、こういうことをしたいんだけど、それで始まるのが一般的だと思うんですけど、この訴訟は福島の事故をきっかけにして弁護士の先生たちが、これは何とかしなきゃいけない、それを市民も巻き込んで大きな運動にしていきたいということで始めた、ということでよろしいんですか。
長戸 運動は別にありましたけれども、裁判自体は弁護士が思いついて、だんだんと広げました。
A こういう形って、今までけっこうあったんですか。
稲村 今までにはそんなにないと思います。
A そういう意味じゃ、先生たちの熱い思いのこもった運動ですね。
B 運動だよな。
長戸 そうなんです、これは完全に運動の一環なんですよ。
B 原告の数が1万というのは、僕の感じだと、全国で集めるんだったら1万なんて感じではないと思うんですよ。現実に1000万人署名をやっているでしょう。イラク訴訟でも5000を超えていますね。
長戸 確かにそうだと思います。基本的に九州を中心に集めているんで。
稲村 いま原告団長は、1万人原告なんて言わずに10万人を目指そうじゃないかと言っています。それは決して夢物語ではなくて、現実的にたったの4、5ヶ月で3000人集まったということから、この裁判がもっともっといろんな人に知られれば、もっともっと原告が集まるんじゃないかということです。
 問題は法廷の位置ですよね。
長戸 玄海原発がある所の法廷(佐賀地方裁判所)になっています。
A 始めた当初、たとえば昨年末ですとか今年の1月末だと、まだ1000人ちょっとで、不安もあったわけですよね。それが具体的に増え始めてきたというのは、どういったところが要因だったのでしょうか。ひとつは、先ほど原告の費用を大幅に下げたということを言われましたけど、それ以上にもっと根本的なところで何か、いろんな人の思いがあったと思うんです。
稲村 やっぱりみんな潜在的に、原発止めたいと思っている方が多いということだと思います。第一陣提訴で1704名という数をマスコミに発表したときに、「それは弁護士が入って1704名なのですか」とか、「弁護士関係の団体が入っているんじゃないですか」という質問も受けたんですけども、決してそんなことはありません。本当に一般の方が多いです。普通に事務所に来られる一般の依頼者の方にですね、「ところでこういう裁判もあるんですけれども、ちょっと入ってみようとは思いませんか」、という声かけをしてみると、意外にみなさん、あ、それ私やります、というふうに、すっと入ってくださるんですよ。5000円という原告登録費用は、たぶん一般の方、普通の方からすると高いと思うんですけども、それでもみなさん入ってくださるわけです。たとえば保育園に持っていって、お母さんたちに、「こういう裁判があるからなってください」と言うと、みなさんが「入ります」と、すぐなってくださる。という意味で、潜在的にもうみんな原発を止めたいんだけど、具体的にどうしたらいいか分からない、だけど裁判だったらもしかしたら止められるかもしれない、という期待を持ってくださっているんだと思います。
長戸 集会でも、あまり動員しなくても人が集まって来る。おそらく市民のみなさんの意識がだいぶ変わっているというのが事実だろうと。
 原告団に入るときに5000円もらって、あとは団費とか会費とかはないんですか。
稲村 原告の人が払うのは5000円ぽっきりです。ただそれだと財政的に成り立たないので、原告でも原告でない人でも入れる「支える会」を作りまして、年会費数千円から1万円いただいて財政的基盤にしようとしています。
長戸 5000円は印紙代でほぼなくなります。原告を増やさないとひとりあたりの印紙代が下がらない。
B 福島の被害を前面に出しているでしょう。僕の認識では福島の被害は止まっていないという認識なんで、その点はどうですか。また被害という場合に、放射性物質による被害なのか、メンタルな面も含めての全体的な総括的な被害なのか。被害は外国にも及んでいますね。海はもう全然ダメ、垂れ流しですよね。作業員が着ている服を洗った水はそのまま垂れ流しですから。そういう全体的な被害はものすごい被害だと思うけれども、それをどういうふうに主張しようとしているのか。
稲村 いろんな被害あるというふうに私たちは考えていて、経済的な被害はもちろんだし、健康被害もそうだし、精神的な被害もそうだと考えています。地域のつながりが失われたというところは、とくに私たちは強調したいと考えていますし、これはもちろん主張・立証します。それから海の汚染のことについても、訴状では少し触れていますし、被害班という準備書面検討班ができているので、そこでこれから深めていくと思っています。
長戸 たしかに被害はまだ全然終わっていないんです。おそらく現時点ではここまでという主張が出てくると思います。
D 北海道の年配の男性の方が福島原発の差止め訴訟を起こしたときは、号機ごとだったんですね。今回は玄海原発のすべてということですが、全国に及ぶということになると、号機ごとでもなく原発ごとでもないのではないかという気がするんですけど。
稲村 それも確かに弁護団で議論になったんですけども、玄海原発も川内原発もまとめていいんじゃないかということですよね。
D 両方いくのも、競合するのかとも思ったんですが。
長戸 玄海のほうが先に動いて先に人が集まった。もともとプルサーマルの組織があったんですね。それ以外にも裁判を支える組織もいっぱいありまして、集まれる体制もあったんですけど、川内はあまりそういう体制ができていなかったんです。玄海が動いてから動き出したようなところがある。
D 1万人というのは、あくまでも玄海訴訟の原告ですね。
稲村 はい。
E 本気で私はこの玄海原発を止めたいですね。というのは、私は出身は佐世保なもんですから。松浦に近いところなので、原発から35キロぐらいですか。私はこっち(東京)に住んでいますけど、母親は向こうに住んでいますし、甥も姪もいて、事故があればたぶん直撃を受ける。本気で止めたいんです。何かの被害があってそれ対する裁判をやるのは聞いたことがあるんですけど、まだ実害がほとんどない時点で裁判をやって、端的に言って勝てるもんなんですかね。勝ちたいですけども。本気で。もし勝てなかったら、原子力村と言われている人たちに言質を与えることになる、勢いづかせることになるんじゃないか。もうひとつは、1万人も集まったのに変わらなかったとすると、やる気が落ちてしまうんじゃないか、マイナスになるんじゃないかという気もするんですよ。勝てる見込みはあるんでしょうか。
長戸 僕らが「勝てない」とは、口が裂けても言えません。勝ち負けは僕らの言うことじゃないんで。
E ただ法律的には、勝ちそうとか負けそうとかいうことは言えるでしょう。
長戸 法律的にはいろいろあるんですけれども、言い方を変えると、もし勝つとしたら、今しか勝てないと思います。
E 大飯だって再稼働しようと政府も言っているし。裁判官も向こうの人ばかりだから、政治のほうから変えるしかないのかなと。
長戸 これは運動の一環なんで、この人数によって政治が動いてくれれば、それはそれでいいと思っています。
B 脱原発になるまで裁判をなんとか維持して、ラグビーで言えばスクラムを組んだままずるずると押し合う、というような状況を作り出そうとしているんですか。
長戸 先のところまでまだ決めているわけじゃないんです。将来的に、この裁判がある程度見えたところで違う形の裁判を起こすとか、そういうやり方はあるかも知れません。まだそこまで明確には話し合っていません。
稲村 私の考えを言わしてもらうと、この裁判は最終的には勝つと思います。たしかに技術的にも難しいと思うし、もしかしたら第一陣は負けるかも知れない、第二陣は負けるかも知れない。だけどその次で必ず勝つ、いつか必ず勝ってみせるという意気込みではいます。これは弁護団の、水俣訴訟などをやってきた馬奈木昭雄弁護士が言っていたんですけども、私たちは絶対に負けない、なぜなら勝つまでやめないんだと。それは非常に大事なことだと思っていて、1万人で負けたら1万5000人集めます、私たちは。それだと時間がかかるじゃないかと言われるかも知れないけれども、そうやって負けても負けてもやるんだという姿勢を見せることで、政治を動かせるんじゃないかと思っています。それから、技術的な論争で負けるんじゃないかということもありますけれども、危ないものを危ないと常識的なことを言う。確かに今までの原発訴訟は負けが続いていますけど、2つは勝ってます。
 でも、最高裁でひっくり返されてます。
稲村 最高裁を動かすような書面を書くし、最高裁を動かすような人数を集めます。
長戸 私も負けるとは思っていないんですけど、我々が負けると思ったら負けますから。まあ、勝つまでやるしかないかなと思ってます。
B ひとつの大きな焦点は、今年6月に国のエネルギー政策が転換できるかどうかということと、福井の再稼働の問題ですね。活動家の人たちはみんな福井に行っていますけど。ここで再稼働を認めさせなければ、かなり押し込めると思うんですね。10万人集会を7月16日にやります。そういう意味では運動ではかなりやってるけど、国の政策を変えるような裁判はなかなか難しい。イラク訴訟だってずっと負け負けですもんね。負けないでずっと粘り強くつないでいかれるのかな、というのが僕の感じです。
長戸 今後まだ変わってくると思います。まだ先のことは考えていないんです。
 原告の数は集まると思うんです。ただ1000万人署名も1000万にいっていないから、なかなか厳しい。
稲村 イラク訴訟で負け続けていても、続けていく理由というのがありますね。
B 目標は平和的生存権の確立だから、それをやるしかないというか。平和的生存権を確立するためには、国連で「平和への権利」というのが人権委員会にかかるようになったでしょう。何十年もかかってですね。
 新しいことを始めておられる、私がこれまで知らなかったタイプの運動が始まっているな、という感じがしています。新しいことですから、結果がどうなるか、これは予測あるいは希望の議論ですね。だから事実によって証明されなければ、本当にそれが実現されるかどうか分かりません、将来のことだと思います。ということを前提として次の段階のこととしては、これまで行われてきた裁判での主張と立証の積み重ねがありますから、その実績から推論するということができますね。
また観点を変えると、証明できないけれども、これをもって勝利とするという理論仮説を出す。たとえば私が経験したことで言うと、1960年代に教科書裁判、家永訴訟というのがあります。家永三郎教授が教科書検定で条件付き合格になったことに対して、処分取り消しを求め、プラス慰謝料を請求した。当時弁護士や学者等に相談なさったら、誰も裁判に勝つとは言わなかった。でも家永先生は「私は必ず勝ちます」と言うんです。「国民の法廷に歴史的な事実が出されます、それによって私はこの裁判に勝つんです」と。これは新しい理論なんですね。判決主文によって原告の請求の趣旨を認めるという勝ち方もありますが、それは問わない。密室で教科書検査官が検査しているという事実を、裁判所という公開の場、法廷を通して国民に示す、そのことによって私は勝つと言っているわけです。
 この会と関連して言うと、憲法論としてどういう主張をするかということです。平和的生存権というのは憲法前文に書いてあるとおり、「恐怖と欠乏からまぬがれ、平和のうちに生存する権利」です。たんに平和を求める、たんに生きるということではなくて、「恐怖と欠乏からまぬがれ」ということと結びつけて主張されている。この権利を実現するために、いま国連レベルでも人権理事会が取り組んでおりますけれども。
この裁判はみなさんが玄海原発の問題をとらえるだけでなく、それは全世界に向かって発信されるものであるように理解しております。この会の役割は非常に大きいということだと思います。
稲村 平和的生存権に関しては、私たちもその主張はしています。ここから先は私の個人的な意見なんですけども、憲法のなかに、将来の世代に負担を負わせないというのが条文でありますよね(第97条)。私は原発のいちばんの問題点は、将来の世代に負担を負わせることだろうというふうに思っています。それは事故が起こったらもちろんだし、通常運転しても結局、廃棄物という形で将来世代に負担を押しつけていくものである。しかも通常運転をすると周囲の白血病患者が増えるとか、免役疾患に陥る人の数が増えることが統計として有意に現れるという研究成果もあります。そしてその被害をいちばんに被るのは感受性の高い子供であるというような研究もあるわけで、私はやっぱり原発の問題というのは、将来の世代、まだ見ぬ世代に負担を押しつけるものだろうと思っています。ただ、これを裁判のなかで主張・立証するかというのは、因果関係の問題で難しい論点に持ち込むと思うので、それは確実にここで「言います」とは言えないんですけども。その意味で、これは人間が人間として生きるための権利を守るための裁判ではなかろうかと思います。その意味で、世界に発信するというのは、がんばっていきたいと思います。
 私の本業は書籍編集者なんですけど、今まで原発訴訟の記録を読もうとすると大変だったんですよ。訴状も判決文もなかなか簡単には見られない状況だったですね。記録集のようなものも非常にマイナーな出版社から非常に少部数出るだけで、国会図書館にも入っていないような例がたくさんありました。ついこの間、海渡弁護士が岩波新書を出されて、あれで初めて全容が分かるような本が出たかなというふうに思っています。今までの裁判、約20件あると思いますけれども、原発訴訟といいますと、数人あるいはせいぜい十数人の原告が、周りから鼻つまみになることを覚悟の上で、それでもがんばってやる、みたいな悲壮な覚悟での裁判でしたよね。今回の裁判のブックレットも読ませていただきました。なるほど、これくらい明るくやれる時代になったんだなあと感じました。とりあえず訴訟がどういうふうに進んでいくか全然分からないし、何年もかかるかも知れないし、入口でもう終わりにさせられてしまうのかも知れないし、それでもまた提訴されると思いますけれども。裁判で勝つのが先か、政権を代えて脱原発の政権をつくるのが先なのか、それぐらいの大きな話になっていくと思います。ですから、裁判もやっている、政治闘争もやる、現地でもやる、東京でもやると、その一環として、ぜひ大きなものに広げていただきたいなと期待しています。
 「九州発差止め訴訟」の九州「発」というのはどういう意味ですか。
長戸 これまでは1000人以上集めるという発想自体がたぶんなかったと思いますし、あとは国を巻き込む方法とかだと思うんですけども。主にその2点です。
 私の理解では、九州で我々はこういうでかいのをやった、だから今度は西から東に向かってどんどんと同じような裁判を始めろよ、という意味じゃないんですか。
長戸 団長はおそらくそう言って回っているはずです。
稲村 「九州発」の意味には、川内と連携を取るという意味もあります。連携を取って大きな団体を作って、とにかく大がかりにやろうと思います。いまうちの共同代表のひとりの板井弁護士は各地に行って、こういう大きな裁判をどんどん仕掛けてみんなで連携をし合おうというふうに宣伝をして回っているし、みんなを応援して回っています。これはまだ断定的な情報じゃないんですけども、関西の方でもこういう大きな訴訟を準備し始めていると聞いています。まだ具体的なことは分かりません。その意味で私たちは九州が、もしかしたらおこがましいかも知れないんですけど、まず最初に名乗りを上げて数千人単位で提訴をして、こういう裁判の形もあるんだよと全国に示していけたらと思います。
H 今後どいうふうに発展するか分からんというお話だったんですが、やっぱりどういうふうに持って行きたいのかというイメージみたいなものを持って、これを全国にどんどん波及させて、全国でそれを覆い尽くすという形になるのか。それとも九州のこれを全国に広げていくという形か。両方あり得ると思うんですけど、私のイメージだと、九州は九州でまずやって、それをどんどんと広げていく、それで全国を覆い尽くす。そのときに誰が原告になるんだと。九州では九州の人間が中心になって全国で入りたい人は入ってもいいけど、あくまで九州が中心だと。関西は関西が中心で全国の人がまた入ればいい。北海道は、泊は泊でやればいい。そういうようなイメージというのは、弁護団や運動体の中では話し合ってないんですか。
長戸 いまおっしゃっているイメージはみんな持っていると思うんですけど、それを具体的にこうやっていこうというところまでは、まだ行っていないんです。
 さっきEさんが問題を提起した切実な問題は、訴訟という手段で対抗できるのかという議論、根本的な議論なんですね。自分の親族がいつ原発の被害に遭うかも分からんと、そのときにこういう訴訟が実際に意味を持つのか、という質問がされたと思うんですよ。そのへんの議論をもう少しやったほうがいいと思う。被害を受ける陣族が身近にいたときに、それを差止めるような力が裁判運動にあるのかどうか。それにどう答えたらいいのか、私は答を持たない、運動をやるしかないかなと思うけど。
稲村 なんで裁判なんですかと、原告になろうかどうしようかと迷っている人からよく聞かれます。裁判をやるぐらいだったら運動をもっと一生懸命やればいいじゃないですか、そっちのほうが早道なんじゃないですかということもよく言われるんです。だけど私たちは、運動がいちばん大切なことではあるんだけども、運動では限界もあるのかなというふうに感じています。たとえば電力会社に情報を開示せよといったときに、運動だとどうしても逃げられてしまうことがある。裁判でもなかなか難しい側面もあるかも知れないけれども、裁判所を使って情報の開示を求めることができるし、求釈明、この点に答えなさいということで、裁判所の力を借りて相手に圧力をかけることができる。そういう意味で、裁判には力があると思っています。相手と対等の立場に立てるのかどうかというと、よほど強い運動体でないとおそらく勝てない。だけど裁判であれば、対等の立場に立てるし、情報の開示をさせることもできる。で、そうやって得た情報を運動体のほうに流せば、運動のほうがさらに力を盛り上げることができる。裁判が運動を助ける、運動が裁判を助ける、そうやって脱原発への道筋を作っていくことができるんじゃないかと思っているんです。だから運動しかないというのは、半分正解で、半分ちょっと違うんじゃないか。運動が大切だけれども、それをより円滑に進めるというか、より大きな力にするための補助輪のような役割に裁判がなれるんじゃないかというふうに思っています。
 それはそれでいいんだと思うけど、切実感ということでもうちょっと聞きたかったんですね。明日にも止めてほしいわけです、福島を見たら。過酷事故が起こる状況は玄海では高いわけでしょう、客観的には。だからその危機感に対してどう対応するかという。
 しかしそれは、この運動を起こした人に聞く問題じゃないと思う。聞いてはいない、ここで議論すべきだと言ってるのかも知れないけど、それはもう運動を進めていくなかでみんなで考えていくしかない。
長戸 運動としては、まず再稼働させないことがいちばん主になっていくんだと思います、現時点では。再稼働をしなければ、とりあえず最悪の危険は避けられる。
 私は法律の専門家じゃないんで、あくまでも素人として感じていることなんですけど、原発事故が昨年起きて、さまざまな論説がなされて、しかし今年に入って若干弱ったかなという気があったわけですね。そういう中で、具体的に裁判という形でひとつの運動を起こした。それがあるということ自体が非常に現状を具体的に変えていく、関与していく中で具体的な大きな要因になっているという気がしますよね。
 いま再稼働に反対するとか、いろいろな運動が原発のところであるわけですよね。その中でこの裁判を起こしたということが、運動の中でどういうふうな意味を持ってくるのか、どういう意味を持たせたいと思っているのか。
稲村 今まで九州各地でバラバラに活動していたグループが集りだしたという側面はあると思います。この裁判の原告を集めるために同じチラシを配る。それを刷るために一カ所に会して会議を開いて、どうやったらこの裁判をもっと世間に知らせるかということで話し合いをする。そうすると当然そこで顔が繋がって、じゃあこの運動をするからそっちも協力してよとか、一緒に要望書を提出しに行ったりとか、そういうふうになっているので、この裁判はひとつの要になっているのかなというふうには感じています。
 私が考えていることを言わしてもらいたいんです、質問にも意見にもならないかも知れないんですけど。要するに原発を推進したい側と、それを押しとどめたいという側の、本当の論点はどこにあるのかということがいちばん気になっていることなんです。推進していきたい側がいちばん言いたがっていることは、彼等が考えている経済社会にとって原発は必要なんだと、いろいろ問題はあるかも知れないけど、必要なんだと。そういう中で原発反対の訴訟を起こすときに、こういう問題があるから危険なんだということを言っていくだけでは足りないんじゃないかと思うわけです。こういう問題があります、こういう問題があります、と今までも言ってきたと思うんですけど、それに対して原発を推進する側は、それに対してはこうやります、こういう対策を立てますということでやってきた。なかつ彼等としては、自分たちが考える経済社会にとって原発は必要なんだから、何が何でもやる。だから、ただ今ある危険性だけについて追及していくというやり方ではどうも分が悪いなという気がしていまして、もうすこし先まで踏み込んで、じゃあ私たちはどういう社会を作っていきたいのかというところ、原発をめぐる本当の論点がこれから解き明かされる必要があると思っているんです。それは裁判の場で議論されるようなことじゃないし、人によっても見方もたくさんあると思うんですけど。ただ、原発のない、その中で豊かに人が生きていけるような社会をある程度イメージを持って、そこまで踏み込んで裁判を闘えたら、少し今までと変わった地平が開けるんじゃないかという気がしているんですよ。
 いまAさんが言われたことと、Bさんが言われた国のエネルギー政策をどうするかということは、重なるところがあると思うんですけども。私は地球環境問題懇談会というところに所属していて、温暖化問題をずっとやっているんですけどね、そのときにやっぱりエネルギーをどうするのかという問題がある。ドイツやデンマークやのように自然エネルギーでいく国と原発の国と、どっちの道を行くのかで鮮明に分かれているんですよね。6月に日本の政府見解が決まっていくことになるんだろうと思うんですけど。
 将来的にはやっぱり経済成長の話になってくると思うんですよ。たとえば原発を推進する側がなぜ原発を必要とするかということを考えたら、やっぱり経済成長のために必要だというのが彼等の基本的な考えなんですよね。もちろん、儲けたいというのはありますよ。原子力村と言われている人たちの金もうけの話もあるけれども。じゃあ我々はその経済成長ではない豊かな社会をどう描けるかということが、これから本格的に問われなきゃならないものだと思っているんです。
 僕は突き抜けてまして、本当は電力会社はいらないんです。自然代替エネルギーだけでやってしまえば、送電線も発電施設もいりません。そうなると今の電力のシステムがまったく変わってしまうんで、彼等は今のシステムにしがみつきたいわけです。自分たちのオマンマの糧がなくなるわけですから。だからどうしてもそこにしがみつきたい。経済成長といまおっしゃいましたけど、本当は自然代替エネルギーにしたほうが経済は伸びるはずです。新たな産業が起こってきますから。だから経済成長というと、ある意味、向こうの論理にもう乗ってしまっている部分がある。電力会社はいらないです、本当に。自然代替エネルギーの技術が進めば。原発どころじゃないです。そう私は思ってます。
 先ほどの話にまた戻りますけど、運動ということはすごく分かります。ただ、1万人集めたら裁判に勝てるのか、という話なんです。原告の数で勝てるんならたくさん集めたほうがいいと思いますけど、裁判というのはそんながさつなものじゃないと、私は素人目でも思いますから。難癖つけてるように見えるかも知れないけど、僕もじつは応援したいんですよ。だから、きっちりやってほしいんです。緻密に、ちゃんと裁判をやってほしい。運動のひとつではなくて、裁判として。いかに地震国のこの日本で原発があることが非科学的なことなのか、非経済的なことなのか。経済コストなんか目茶目茶でやってますから。  
 脱原発弁護団との関係はどうなんですか。
長戸 全員もちろん入っているわけじゃないんですけど、連携はしています。私は日弁連の環境委員会なんですけど、ここは蓄積を持っているし、その伝手もいっぱい持ってますんで。当然そういうことは我々だけでは限界があるんで、日本中でやっている他の団体、同志から情報をもらいながら、当然勉強もしていかなければいけない。雑な裁判をする気はありませんから。
 立証責任を原告側と被告側のどっちが持つかということで、逆転できるような理屈を立てられるんですか。
長戸 それなりの準備をしていかないと変わりませんので。そこに持って行くための十分な研究と主張と立証は、当然、前提としなければ。その上で、そう変えるべきだと思っていますんで、訴訟としてはそこを目的にがんばりたいと思います。
 玄海原発では冠木さんがずっとやっていて、それと今の訴訟との相違点というのはどういうことなんですか。
稲村 冠木先生がやっていらしたのは3号機のプルサーマル使用の差止めだったんですね。私たちはその後、1号機から4号機まで全部の差止めを求めたので、対象とする原子炉が違うというところがまずひとつの違いです。ただ、後からプルサーマル裁判の方も全部の原子炉の操業を止めるということに請求の趣旨を拡張されましたので、この点ではもう違いはないわけです。あとは国を被告に入れているかどうかということです。細かい点を言えば、慰謝料を請求しているかどうかも違いますけど、いちばんメインはやはり国を被告としているかどうかということです。
 技術論をやらないというのも大きな違いなわけでしょう。
長戸 たしかに訴状の構成はだいぶ違うだろうと思います。
H 訴状を拝見していて、公害事件みたいないわゆる受忍限度論的な考え方を取るのか、そこらへんが分からないんですね。原発を作ること自体が、即、違法な行為だからと言うのは簡単ですけど、違法というわけではないわけですよね。公害型の事件だと裁判所が採っている考え方としては、受忍限度を超えるから違法になるんだという考え方ですよね。そういう形で考えているのか、それとも他の形で何らか考えているのか。被害がこんなにすごいぞということが、法理論的にはどういう構成になって差止めや損害賠償につながるのか、もうひとつ良く分からない気がするんです。
稲村 客観的には原発をもう立てたこと自体が違法行為、その存在自体が人類の生存を脅かすという点で危険な行為だというふうには私たちは考えているんですけれども。ただ訴状の構成としては、3.11で原発の危険性が明確になった、国がどれだけ対応が後手後手に回るのか、どれだけ電力会社を優遇してきたかということも明らかになった、だからその後も運転を続けることは明らかに違法だ、というような構成で書いているんです。
 不法行為で考えると、侵害行為があって損害がある。損害といっても福島の人たちじゃないから、こういう事故があることによる不安ですよね。建っていること、操業することが不安につながると。けれども故意過失なりなんなり、違法性がなきゃいけないわけですよね。何をもって違法というのか、そこのところの全体構成が、もうひとつ良く見えない気がするんです。福島でこんな大変なことがあったんだから、もう止めなきゃダメでしょうというと、もうひとつ情緒的に流れているような感じがするんですけど。
長戸 差止めの根拠は物件的請求権です。ということがまず前提であって、要請については、どちらが主張するものかというところで、その問題は意図的に落しました。被侵害利益があって、侵害行為があって侵害の事実があればいいという論法で書いてますので。それを今後、受忍限度論で書いていくのか、違うものかは、どこかで書かなければならないというのは、ご指摘としては必要だと思います。
 コミュニティの破壊の問題で生々しい話が今日の昼間あった。僕らはモニタリングの仕事を福島原発行動隊として受けるかどうかが議論になっていて。福島県川内村で帰村を村長さんが決めた。ほとんどの村民の人たちは、本音のところでは帰りたくない。本当に元に戻るなら帰るけど。たとえば一人で帰ったとしても、お店屋さんなど商売にならないわけですね。だからたとえ放射線量が低くなったとしても、そこでコミュニティが成立していかないと帰れないという実態があるわけね。じつは4月にあそこで選挙があるんですね、村長選挙。現村長の遠藤さんとは違う人が立っているんですよ。非常にコミュニティの破壊というのは深刻ですよね。除染をやってますけども、きれいにすればいいという問題ではないんだよね。昨日、いわきで岬学園という障害者施設の除染をやった効果を点検してデータを取って来たグループがあるんですよ。やっぱり除染の効果はあるんです、ある程度は。だけど、戻れるということと放射線とはイコールじゃないという、複雑な問題が生れてきている。どこまでを被害として裁判所に考えさせられるのか。
 それは損害賠償訴訟をやる場合に今までの公害裁判と違う点ですね。非常に被害が多様で複雑で、どういうまとまりでやっていけばいいのか。
いろんな意見がでましたけれども、がんばってほしい、というのが皆さんの本心だと思いますし、我々の問題でもありますので、さらにがんばっていただきたい、という言葉を申し上げて、今日の会を終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

3月23日平権懇学習会の記録 2

原発を廃炉に! 九州原発差止め訴訟
報告2 長戸和光さん


弁護士の長戸です。いま稲村先生のほうから詳細な説明がありまして、あまり私がどうこう言う必要もないのかなと思っているんですけれども。私はもともと福岡で弁護士を始めて、佐賀に来たのが7年ぐらい前だと思います。そのころにプルサーマルの日本の最初の導入をする、しないという問題がありました。残念ながら導入されてしまったんですが、このときに佐賀県弁護士会で反対の会長声明を出した。たまたま反対の団体の方が見えられて、その後しばらくプルサーマルの反対運動に関わったことがありました。条例を作って県民が投票して決めようという運動がありまして、署名運動をして、実際に法定数まで達して議会に上がったんですが、議会ではあえなくはねられた、さらにその後、市民報告会が開かれまして、例のやらせの問題があった会ですけれども、みなさんが賛成しているということで、即座にプルサーマルが始まった。
このときにも私は少し関わっていたんですけれども、その後、裁判をする、しないという動きの中では内部的な問題もありまして、私もしばらく外れておりました。外れている中で例の福島の事故が起きてしまいまして、非常に後悔しました。今回の裁判の話が、稲村先生がいる事務所のボスである東島浩幸弁護士から話がありまして、もう逃げちゃいけないと思いまして、引き受けることになりました。事務局長という、ちょっと偉そうな役職に就いています。自分がそんなに力量があるとは思っていないんですけれども、地元、佐賀のほうでとりまとめはすべきだろうということで役職を引き受けて、これまで弁護団として活動しております。
これまでの経過は稲村先生のご報告のとおりですが、昨年9月4日の前に、いろいろこれまで佐賀で存在していた原発に反対する団体にはそれぞれ当たりまして、こういう裁判を起こすから協力してくれと説いて回りました。OKという方もいらっしゃったし、残念ながら先に動かれたプルサーマルの会とはちょっと違う形の動きになりました。特段もめているわけでもないんですけれども。
結局、数の力で変えていかなければ仕方がない、裁判所に対しても数の力を示して、考え方を変えていかなければならないという発想が最初からありました。1000人以上という目標が最初からあって、いつの間にか1万人原告でいこうという話になりました。1万人とは途方もない数字だと最初は思っていたんですけども、1回目で1704名、2回目で1370名、3000人を超えましたので、まあ1万人まではまだまだ遠いですけど、途方もない数字ではないんではないかと最近は思っておりまして、もうちょっと広げていきたいなというふうに考えています。
どうやってたくさんの原告を集めるかということでは、もちろんいろんな団体に働きかけをするというのはあるんですけれども、たぶんひとつの特徴は、原告ひとりの負担金をすごく減らしたことだと思います。通常の差止め訴訟だと、だいたい3000人ならひとり1万3000円の印紙代がかかるわけで、いろいろ事務手数料もかかりますので、通常この手の裁判だと最初に2万円ぐらいはもらっていると聞いていますけれども。弁護団内部でも、2万円いるとか、1万円は最低もらわなくてはとかいう説もありましてが、最終的にはひとり5000円で原告になれますということにしまして、原告の申込金はみなさん5000円しかもらっていません。支える会の組織を作るために会費を募っているところですけども、単純に原告になることについては5000円というふうにお願いしました。実際、そういう金額にしたこともあって、これだけの数が集まったんではないかと、ハードルをかなり下げることは人数を集める上では良かったと思っています。
もちろん、これだけ集まりましたんで、これからはこの人数をどうやって我々がさばいていくか、伝えていくのかという問題は残っておりますけども、出発点としてたくさんの方に幸いに参加していただくことができましたし、まだ今でも広がっていると思います。
もうひとつは、先ほど稲村弁護士から説明があったとおり、あくまでも原発を止めることが目的であって、個人の思想信条をいっさい問わずに入ってもらっています。ですからいろんな所属団体がありますけれども、所属団体に帰ってからみなさんにいろいろ話すのは全然かまわないんですけれども、内部ではいっさいそこは出さないでもらっています。反面これはもうひとつ我々弁護士側の問題もありまして、今までこういう原発とかをやっている弁護士というのはある程度、一定の層に固まっていると思われていたと思います。そうすると当然、集まって来る原告もどうしてもある程度固まった層になるんではないか。ですので、原告もいっさい問わない、弁護士も右から左まで関係なく入ってもらう、ということで呼びかけをして入ってもらっています。
私が事務局長をしている理由のひとつが実はそこにありまして、他の弁護士の方々はこれまで市民運動とかに、いろいろな形で関わった方が多いんですけれども、私の場合は、有明の問題にはある漁業団体の関係でずっとやっていた時期があるんですけれども、基本的には福岡では行政の顧問をしていまして、今でもどちらかというと企業側の仕事をすることが多い状況です。ただそういう人間が責任ある地位に立ってやるということが、弁護士を集めるなかでのひとつの象徴であろうと思いまして、それも含めて事務局長を受けたんですけれども。垣根を原告だけではなく、我々のほうも広げてこの裁判に取り組んでいこうというのが、この裁判の内容になっております。
弁護士もまだ充分に広がっていないところがありますし、原告の方々も、完全に何も書かれていない方々がいっぱい入って来ているかというと、まだまだだとは思っているんですけれども。これからどんどん浸透させて、我々受け入れ体制としても、いろんな人がいるんだから気にしなくていいよと、別に入ったからといって何か勧誘を受けたりするわけじゃないから、という意味で、どんどん入っていってもらいたいなと思っていますし。やはり1万人ぐらい集まると、もうちょっと違う展望が見えて来るのかなと最近は考えています。
で、ちょっと変わった訴状です、実際のところは。先ほど稲村弁護士からだいぶ説明がありましたけれども、今までの原発裁判とまったく違う訴訟を作ってみました。私が訴状について説明した文書がブックレットの中に入っています。これはもちろん裁判の目標ではあるんですけれども、我々の掲げる目標をそのまま訴状にしたものだと思っています。科学技術論争じゃなくて、起こった被害から、被害を理由にして原発を止めていくんだと。こんな被害を今後もう起こしちゃいけないということで、原発を止めたいという我々のきっかけですね、この裁判に対する。それを訴状にしたものと思っています。
で、国を入れるためにずっと書いているんですけれども。原発を止めるということの中に、玄海だけ止めればいいのかと、まあとりあえず佐賀県民としては当面安全かもしれませんけれども、しかし福島の被害は日本中、世界中に及んでいますので、ひとつを止めればそれでいいという話ではありませんので、原発自体を止めさせるためには国を巻き込まなければいけない。いろいろそれを考えた結果、差止めの被告にした上に、それだけでは逃がさないように、請求も付けている。要するに差止めの要件を満たさなくても慰謝料では国を逃がさないと。そういうやり方で請求の趣旨を立てています。
第二陣もまったく同じ訴状で押してまして、第三陣のほうは若干、慰謝料の起算点を入れるかも知れませんけれども、基本的にはずっとこの内容で提訴していきます。ただ、もちろんこの内容だけで勝てるという話ではないので、いま個別の論点についての検討班を組んで検討しているところです。科学論争をしたくないと言いましたけれども、しないで終わるとも思っていないです。個別の危険性というのも、玄海1号については日本中で言われている通りで、危険なものですから、その問題を当然言わなければならないですし、3号のプルサーマルの問題もあると思います。また2号炉も30年を超えてきましたので、配管等の老朽化もあると思いますので、そういったこともこれから論を深めていかなければならないと思っています。
もう第三陣の原告が集まり始めていると思うんですが、第二陣もじつは2月の終わりごろの段階で800人ぐらいだったんですね。これは1000人集まるかと思っていましたけど、気がついたら1300人を超えていました。ちょっと我々が補足し得ないような動きになってきてますので、三陣がどれくらい集まるか、まだこれからですけれども、うまくこの流れを途切れさせずに、どんどん広げていきたいなと思っています。

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