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「平権懇」☆関係書籍☆残部僅少☆

  • ●大内要三(窓社・2010年): 『日米安保を読み解く 東アジアの平和のために考えるべきこと』
  • ●小林秀之・西沢優(日本評論社・1999刊): 『超明快訳で読み解く日米新ガイドライン』
  • ●(昭和出版・1989刊): 『釣船轟沈 検証・潜水艦「なだしお」衝突事件』
  • ●西沢優(港の人・2005刊・5000円+税): 『派兵国家への道』
  • ●大内要三(窓社・2006刊・2000円+税): 『一日五厘の学校再建物語 御宿小学校の誇り』
  • ●松尾高志(日本評論社・2008刊・2700円+税): 『同盟変革 日米軍事体制の近未来』
  • ●西沢優・松尾高志・大内要三(日本評論社・2003刊・1900円+税): 『軍の論理と有事法制』

追悼・松尾高志さん

2008/04/20

「日米同盟」とは何か「安保」からほど遠い現実を分析 松尾高志著『同盟変革』

…… 昨年6月急逝した松尾高志さんは、自衛隊や在日米軍を中心に取材、分析し、日米関係や国際政治を見つめ平和構築を考えてきた。亡くなる前日も大学で講義し、次週には連続講座が予定され、日米関係の新しい著書の発刊を準備していた。 …… 〈本・BOOK・ほん〉

2008/03/06

松尾高志著『同盟変革』刊行

Photo_2 民衆の立場から軍事問題で発言するジャーナリストで、平権懇運営委員であった松尾高志さんが急逝してから9ヶ月。多数の人々の募金を得て、3月5日、著作集『同盟変革――日米軍事体制の近未来』が刊行されました。(最新記事はひとつ下にアップ)

第1章 自衛隊国軍化への「大きな第一歩」

第2章 日米安保から見た有事法制

第3章 「イラク特措法」の問題点

第4章 朝鮮半島「危機」の平和的解決を

第5章 自衛隊法施行令改正

第6章 日米共同作戦の中枢としての横田基地

第7章 日米共同演習「ヤマサクラ45

第8章 新々ガイドラインの合意

第9章 同盟変革始動の宣言

10章 日米グローバル・アライアンスの構造

A5判上製、154頁、日本評論社刊、定価本体2700円+税。募金に応じた方には送本されます。希望者は事務局までご連絡ください(3u5j2z@bma.biglobe.ne.jp)また全国の書店で注文可能です。

4月20日(日)午後1時半から、東京・銀座スエヒロにて「松尾高志さんを偲び、『同盟変革』の出版を記念する会」が開催され、約100名のゆかりの皆様が集いました。会場では追悼文集(略年譜・著作目録を収録、私家版)も配布されました。

2007/12/02

「松尾高志著作集」刊行にあたって

募金のお願い(最新記事は1つ下にアップ)

私たちの友人、松尾高志さんが、6月15日に急逝してから、早くも5カ月余が過ぎました。「戦後レジームからの脱却」「憲法改正を私の政権で」と主張した安倍内閣は退陣、福田内閣がスタートしましたが、テロ特措法の後継法をめぐって「大連立」が企てられるなど、政治の混迷は続いています。こうした中で、世界の歴史と情勢を正確に見ながら、米軍再編や自衛隊の動向を観察、分析してきた松尾さんを失ったことは、日本と世界の平和を願う私たちにとって非常な痛手です。

松尾さんは亡くなる前日も大学で講義していたのですが、この情勢の中で、初めての単著の執筆を計画していました。ご遺族と友人たちで話し合った結果、彼が書き残したいくつかの論文、肉声の残った講演記録、継続中だった講演のレジメなどをもとに、「同盟変革――米国と日本の近未来」(仮称)と題する単行本を編集、来春を目標に、出版することになりました。

出版は彼の本も共著ですが何冊か出している日本評論社にお願いし、一般にも販売することになりますが、現在の出版情勢からいって、一定の販売が確保されていなければ、採算が取れない状況にあります。このため、出版後にも団体引き受け、集会などでの販売をお願いすることになりますが、事前に別記の通り、「松尾高志著作集刊行委員会」を作り、資金を集めることといたしました。

 つきましては、松尾さんと関わりがあった皆さまにご協力をお願いしたく、募金のお願いをする次第です。

また、この出版と併せて、彼に対する皆さまの想い出などを集め、別の追悼文集を編纂するとともに、来春には彼の本の出版を記念し、追悼文集もここで配布、彼の業績や人柄を偲ぶ会を開きたいと思っています。

ぜひ、ご理解の上、この計画にご協力いただきたく、お願い申し上げます。みなさまのご協力で何とか意味のある、いい本をまとめたいと思います。

寒さに向かいます。お体を大切になさってください。

松尾高志著作集刊行委員会・呼び掛け人

足立 昌勝(関東学院大学教授)

池田 眞規(弁護士、日本反核法律家協会会長)

石崎 一二(日本ジャーナリスト会議代表委員)

石原 雅晴(「銀座スエヒロ」社長)

浦田 賢治(早稲田大学名誉教授)

榎本 信行(平和に生きる権利の確立をめざす懇談会代表)

海部 幸造(日本民主法律家協会事務局長)

新原 昭治(国際問題研究者)

畑田 重夫(日本平和委員会代表理事)

東野 尚志(日本基督教団鎌倉雪ノ下教会主任牧師)

三輪  隆(埼玉大学教員)

渡辺  脩(弁護士)

1 皆さんのご参加によって、「松尾高志著作集刊行委員会」を作り、出版資金を募ります。郵便振替口座 00170-2-280776、松尾高志著作集刊行委員会 あて、なるべく年内にお振り込みいただきたいと思います。基金は1口3000円とし、多くの皆さんに会員になっていただくよう呼び掛けます。

募金いただいた方には、本を贈呈します。できるだけ2口以上をお願いしますが、もちろん、3.333…口(1万円)、1.666…口(5000円)も歓迎します。

2:追悼文集はブックレットの形を想定しています。執筆要領は次の通りです。

(1)長さは3000字程度を基準とします。手書きでも構いませんが、印刷の費用を節約するため、できるだけパソコンを使用し、ワードまたは一太郎、テキストファイルによる電子メールでお送りいただきたいと思います。旧ワープロの場合は転換できない場合が多いので、打ち出したプリントでお送りください。

(2)原稿の締切は、2008年1月15日とします。

(3)原稿の送り先は、電子メール: 3u5j2z@bma.biglobe.ne.jp

郵送の場合:〒176-0012 東京都練馬区豊玉北5-24-2-1003 大内要三 あてでお願いします。

なお、事務局は以下の4人が担当します。

大内 要三(編集工房【要】)

清水 雅彦(明治大学講師)

千坂 純 (日本平和委員会事務局長)

丸山 重威(関東学院大学教授) 

2007/06/23

追悼・松尾高志さん

お別れの言葉
松尾さん
こんな形でお話をしなければならなくなるなんて、私には思ってもみないことでした。 私はいま、当惑しています。2人でこなすことにしてはいましたが、実はあなたに任せておけば大丈夫、と思っていた、23日の大学の公開講座「平和を語る」を、私一人でおなさなければならなくなったからです。
そして、それ以上に、私にとって、かけがえのない知識と感覚を持ち、私のことをも分かってもらえる仲間を失って、こころの中の大きなつっかい棒のようなものを失った感じが続いているからです。

私が松尾さんに初めて会ったのは、共同通信社に入って間もない1969年の夏、新人時代を過ごした大阪から東京・社会部に戻り、仕事を始めて、そんなに時間が経たないころだったと思います。三上正良さんが事務局長をしていた当時の日本ジャーナリスト会議(JCJ)で、ジャーナリズムの仲間としてお会いしました。多分、辻井順二さんにお会いしたのが最初だったと思いますが、やがて山田昭さんにお会いし、そのころ松尾さんにお会いしたのだろうと思います。当時はベトナム戦争のさなか、ベトナム反戦の運動も広がり、一方で60年に結ばれた新安保条約が70年6月に期限を迎える、とあって、日本の運動もそれなりの盛り上がりを見せていました。
山田さんはこの時期、新日本出版社から「現代史の記録」というシリーズを出して居られ、一方でニュースレターを始めていましたが、そのニュースレターへの協力を求められたことも、あったのでしょう。私は、いわゆる商業ジャーナリズムの記者として、山田さんたちが提起する視点は、非常に新鮮で勉強になりました。

松尾さんはそのころは、あまりJCJの場には出てこられなかったと思います。しかし、松尾さんとのお付き合いが改めて深くなったのは、70年代の中頃、私が平和問題を遊軍で担当し、原水禁の統一問題や平和委員会の活動も取材対象としたころだったのではないか、と思います。
松尾さんが奥様と結婚されたのは、82年だったと伺いました。葉山のレストランで開かれたパーティに出席したことを覚えています。
1980年代に入ってからでしょうか、林茂夫さんに誘われた、弁護士の池田真規先生の勉強会でも一緒でした。林さんと一緒に、米軍の横須賀基地開放を見に行って、帰りに松尾さんのお宅に寄って、皆さんと楽しくお話ししました。なぜか長尾正良先生にお会いしたと思います。そんなこともありました。勉強会は形を変えて、いまも続いています。その勉強会の場で、私は足立昌勝先生にお会いし、関東学院大学に紹介されました。松尾さんも非常勤講師として講座を持つようになりました。
関東学院大学で、非常勤講師として「国際紛争の防止」と題する講義を始めた松尾さんは、毎週、早く出てきて図書館で勉強していることも、多くの学生が知っています。また、法学会のプロジェクトで、足立先生や宮本先生と私もご一緒したのですが、東チモールやカンボジアを訪問し、それぞれの国の平和構築の努力について観察し、討論し報告しました。専門的な立場からの指摘は、私たちみんなに大変有益でした。

松尾さんを尊敬してやまないのは、ジャーナリストとして、きちんとした現場取材と、地道にデータを集め、積み重ね行く中で、実態を分析し、それを理論化していくという姿勢です。日米安保についても、自衛隊についても、決して上滑りしないで、この姿勢を貫いてきたと思います。
そして彼の姿勢は、実際に事実を知らせ、論じていくというジャーナリストの立場だけでなく、平和委員会を中心にした平和運動の中でも貫いていたと思います。
多くの皆様がご存知のように、「平和」の問題は、ともすれば政治的な側面が先に出て、そこに引きずられて、運動が分裂したり、行き詰まってしまったりすることの多いテーマだと思います。しかし、彼の姿勢は、政党であれ、宗教であれ、専門家であれ、現場の感覚であれ、決して短絡してしまうことはありませんでした。自分の目で見て、自分の頭で考えるという、主体的な姿勢を失わず、運動の大きな目標のために、議論し主張していたことを、お聞きしています。
今回、自衛隊の情報保全隊の活動が問題になっていますが、私が書いたコラムに関連して、専門的な立場から、この問題をどう見るか、ということについてアドバイスしてくれました。
つまり、彼が指摘していたのは、「あれは監視ではなく調査であり、その時期が、自衛隊が海外に出るにあたっての国内対策としての調査だったことを重視しなければならない」といったことでしたし、警務隊と情報保全隊の違いとか、シビリアンコントロールというものの考え方とか、専門的な立場でのいくつかのポイントです。いま、抗議運動が広がり始めている中で、非常に重要で、しかも彼らしい指摘だと思いました。
 
私たちは本当に残念なことですが、松尾さんを失いました。それは、私にとって、安保や軍事の問題で判断に迷うとき「この問題はこういうことでいいのかなあ」と気軽に聞くことのできる仲間を失ったことですし、彼が活動していた多くの組織や仲間にとっても、同じように、仲間を失い、働き手を失ったことだと思います。
どうか、運動を一緒に進めていた皆さんには、松尾さんが終生願った、平和な世界、平和な社会をつくるために、彼のことばを忘れずに、大きな立場で、運動を広げていけるようにがんばってほしいと思います。
長々とお話ししてしまいました。
奥さんとお話ししたとき、本人が一番驚いていると思います、といわれましたが、まだいっぱいし残したことがあるし、彼にとっては、何よりも奥さんのことが気懸かりだったのではないかと思います。私たち友人は、その遺志を継いで、奥さんを応援していかなければ、と思っています。
松尾さん、どうか安らかにお眠りください。そして私たちをどこかでずっと見守ってくださって、声を掛けてください。ありがとうございました。

2007年6月18日     丸山 重威

(関東学院大学教授、元共同通信記者)

2007/06/19

追悼・松尾高志さん

お別れのことば

松尾高志さん。急なお別れになりました。

あなたが日本の平和運動のなかでどれほど貴重な存在であったか、その評価を過去形で語るには、いかにも早すぎます。

ジャーナリストとして松尾さんは、私にとっては山田昭門下の兄弟子でした。松尾さんは一九七〇年にジャパンプレスサービスという通信社に入社して、山田昭さんのもとで「ジャパンプレス・ウィークリーブレティン」や「現代史の記録」の取材・執筆・編集をされていましたね。私はその翌年に朝日新聞社に入り、たびたび山田さんの教えを受けてきました。

一九七二年、世界の平和を求め、社会の進歩を求める運動の中で、松尾さんは会社の内外で起こった政治的な事件に巻き込まれて、何人かの人々とともに会社を離れ、フリーのジャーナリストとして独立されました。この経験は松尾さんのなかに深く陰を落として、物事をより慎重に考える習慣と、権力的なものに対する反骨精神を、よりいっそう強めることになったと思います。そして私は企業に属したまま、書籍編集者としての道を歩みました。そのように、一九七〇年前後を原点として、松尾さんはジャーナリストとして私の一歩前を歩き続けてきました。

松尾さんが軍事問題を深く研究されて、この分野に限れば師匠の山田さんの跡を継ぐばかりか、それをさらに超えるだけの仕事をされたのは、誰もが認めることです。文献や情報を深く読み込み、詳細に分析する松尾さんの仕事は、何よりも信頼性の高いものでした。学究肌、と表現しても良いかもしれません。平和憲法のもと、軍事知識が求められることの少ない日本で、松尾さんのように、戦争評論家として活躍することを望まず、民衆の側から戦争を防ぐためにこそ軍事知識を活かそうとする人に、陽の当たることが少なかったのを残念に思います。

そして松尾さんは、研究室にこもる人ではなく、行動する市民運動者でした。呼ばれればどこにでも出かけて講演をする、あるいは研究会に出席して持論を述べる、フットワークの軽い運動者でした。日本平和委員会の理事として活躍されたことはよく知られています。一九八五年に私も入れていただいて「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」を創立してからは、その中心的なメンバーとして活動してこられました。松尾さんの、よく考えぬかれた短い発言が、議論の流れを変えた場面を、いくつも思いだします。議論のあと、酒場に場を移してからのくだけた会話では、真剣なまなざしとは打って変わって目を細めた笑顔の松尾さんの、民衆の歴史に対する深い信頼感、楽観的とも思える未来像に、いつも頭の下がる思いでした。

さて、松尾さんがこの間取り組んでこられた、有事法制研究、日米同盟分析の成果が、いまほど活用されなければならない時はありません。私は編集者として松尾さんに、近年の講演録をまとめて、今年中には本を出さなければいけませんよ、と言っていました。そうだよなあ、と答えながら、松尾さんはこの仕事にとりかかることができませんでした。

私たちが松尾さんの何をどう引き継ぐのか。たいへん重い課題ですが、松尾さんなら、まあ何とかなるさ、あとはよろしくな、と言ってくれそうな気もします。そうですよね、松尾さん。

二〇〇七年六月一九日     大内 要三 

2007/06/16

追悼・松尾高志さん

ジャーナリストで「平権懇」運営委員の松尾高志氏が、6月15日、腹部動脈瘤破裂で亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申しあげます。

http://www.jcj.gr.jp/postmort.html

通夜  618日(月)19時~、鎌倉市「雪ノ下教会」

葬儀  619日(火)13時~、同上

喪主  妻・松尾康子さん

雪ノ下教会=鎌倉市小町21536 電話=同=0467-23-0652

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